500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 作品一覧 > 第05回:松本楽志選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

末の点 作者:春都

 周りながら落ちるか、一直線に落ちるか、選べるのだけれどもと言われた。私は後者をお願いした。腕を前で組み、巨大な円すい形の穴の縁に腰かける。そして背中を押された。

 私はまっすぐに滑り落ちている。摩擦音しか聞こえない。穴に隙間なく刻まれた文字の列を、私の尻と背中が削っているのだ。それが複数あるので目を上げてみると、斜めになっている者と、ほぼ横向きになって滑る者が見えた。声もなく、瞬く間に私の視界から消えた。あれでは時間も相当かかるだろうに、と思った。

 私はまっすぐに滑り落ちていた。見る限り、円すいの広さはあまり変わらない。私が削られているからだ。元の私の何分の一になったか見当もつかない。見下ろす穴は同じ角度ですぼまり、やがて点と集束しているはずなのだが、私はまだ滑っており、文字も隙間なく並んでいる。

 私はまっすぐに滑り落ちた。穴に書かれた文字にようやく間隙を見つけた。私は組んでいた腕をとき、タイミングを合わせ、そのスペースに右の手の平を叩きつけた。文字が刻まれる。おそらく刻まれたはずだ。
 私はそれを確認することもなく、ややあってから穴を滑り終え、点になった。



影 作者:はるな

 私の部屋に来ると、彼はまずスーツを脱ぎ、靴下を脱ぎ、影を脱ぎ捨てる。私はフィルムのようなその影を拾い上げ、しわにならないようハンガーに吊るす。いつも思う。どうしてまだこんなものをひきずっているんだろう。
 世間体ってのがあるからね。ネクタイをゆるめながら彼は言う。影のない人間を嫌う人もいるのさ。君は自由でいいね。
 でも彼を縛っているのは影でも世間体でもなく、彼自身。賢い彼はそのことに気づかないふりをしている。
 ある日、彼は影を忘れていった。私は彼のシルエットを床にていねいに広げ、よく切れる裁ちバサミでひとまわり小さくなるように切り取った。それをお気に入りのスカートの裾にレースのように縫いつける。影の分重くなったスカートをはいて、鏡の前に立ってみた。小さくなった影に彼は気づくかしら。
 影のない私をあなたは自由だと言う。
 けれど本当は、少しぐらい私をつなぎとめていてくれるものが欲しかったのよ。



アイスクリーム・キャンディ・ラヴァーズ 作者:根多加良

 愛してる?
 彼女は僕の瞳を見てきいた。
 もちろんだって。ずっと一緒にいるよ。
 僕は左手の薬指で彼女のおでこをつっついた。
 雨が降っている。僕らの汚れた体を濡らしていく。
 甘い香りが辺りにたちこめる。僕は彼女の口の中に舌をねじ込んだ。酸味とアルコールの味がして、桃色の霞みがかった眠りの世界へと誘おうとする。だけど、眠るなんてもったいないことはしたくない。
 彼女が目蓋を開けた。空気が漏れる。同時に目玉がこぼれ落ちる。
 慌てて受け止めようとして屈んだら、僕の舌を彼女の口の中に置き忘れてしまった。それに指は一本しか残っていないんだから、拾うことすらできない。仕方なく、僕は目玉を唇に挟んで、彼女の顔まで近づけた。彼女のおでこは凹んだまま元に戻らない。彼女の目があったくぼみの部分に黒い雨がたまっていく。焼け爛れた下半身を引きずって、半分しかない彼女に寄り添うと、目玉を押し込んだ。ついでにくぼみの水も飲んであげる。ぬるくて、甘い。
 彼女の体がゆっくりと反り返る。二つの舌が入った口を開けて、空からのあめを受け止めようとしている。
 僕も甘い水が飲みたくて、彼女の体にすがり付き、もつれて、倒れる。
 彼女は僕を振り払うことなく、一緒に地面に溶けていこうとする。



氏の鼻 作者:庵之雲

 きっかけはフリースだった。
 初めて買ったフリースのプルオーバーから、氏はその高い鼻に静電気の雷撃をうけた。不思議なことにそのたびに鼻が少し伸びるのである。
 氏はフリースを止めた。が、直後折悪しく落雷事故に遭ってしまった。ショックから目覚めた時、鼻はあり得ぬ長さに伸びていた。路地につっかえて角を曲がれない。上を向いて歩けば電線に引っかかる。
 鼻いじりに没頭した。そのうちに筋肉が発達して蝶の口のように丸めることが出来るようになった。だがそれだと鼻が詰まる。氏はたびたび電線のない山野に出て、深呼吸のため鼻を伸ばした。それが重くてしょうがない。しかもそういう時に限って落雷に遭うのである。
 そのうち鼻腔が発達して広がり、ぴくぴくと羽ばたいて自ら宙に浮くようになった。鼻翼はだんだん大きくなって足が地を離れた。氏は鼻を鳴らしながら飛んだ。障害物から跳ね返ってくる音波をキャッチするのである。

「あんなの人間じゃない」

 私の不用意な発言を氏の鼻に聴かれた翌週、失踪した。
 それきりである。