500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

冷えた椅子 作者:つぐみまほろ

 窓辺に座る彼女。
 彼女はいつも僕より先に店に来て、窓辺の明るい暖かい一等席を占領している。仕方ないので僕は少し暗めな奥の席に腰を下ろす。
 騒がしい雑踏を少し離れた裏路地の喫茶店。彼女はコーヒーをゆっくりと味わいながら本を読み、ときどき時計を気にしながら窓の外をちらちらと眺める。僕は奥の暗い電燈のオレンジ色の光の下で書類に目を通しながら今日もカフェオレを飲む。
 僕はあの席に座りたい。窓から射す暖かい穏やかな光り。ガラス越しに静寂を纏う人々。水槽から見上げたような青空。けれどいつだって僕が店に着く前に彼女がその席に腰を下ろしているのだ。いつだっていつだっていつだって。
 ある日、僕が店に着くと彼女の向いの席に、見た事のない男が座っていた。二人は僕には聞こえない魔法の言葉を話し、鮮やかな光の中で笑っていた。
 次の日から彼女の席は空いていた。
僕はその喫茶店中で一番明るく暖かい窓辺の席に腰を下ろす。彼女の居ない窓辺の椅子。いつもいつも眺めていた降り注ぐ光の中で輝く椅子。しかしその椅子は僕が座るとなぜかとても冷え冷えとしていたのだった。
 僕がその日飲んだカフェオレはいつもより少し苦かった。



結び目 作者:松本楽志

 すこし力を緩めると、勝手に結ばれてしまうらしい。こうなるとムキになってなんとか結ばれないようにといろいろ力を入れてみてはいるのだけれど、どうやっても結ばれてしまう。いっそのことハサミでバラバラにしちゃえばいいと妻は言うのだけれど、それでは負けたような気がする。だいいち可哀想ではないか。妻はそう言うことには案外無頓着であるから、気楽なものである。それにしても、いつまでもこんなものに時間と費やしているわけにもいかない。とりあえず結ばれないようにさえするだけで良い、形が不格好なのは気にしないと割り切ることに決めた。ところがそこまでしてもやっぱり結ばれてしまう。妻はそんなわたしをみてくすくすと笑って、目の前にハサミをちらつかせる。ますます、意地になって、でも、わたしはやっぱり結ばれてしまう。



面 作者:タキガワ

 帰り道に煌々と、一軒の夜店がでていた。小綺麗とはいえないような婆さんが、一人で店番をしている。
 何屋だろう、と横目で覗うと、ぼんやりとスルメをしがんでいたはずの婆さんが、バシンと私の顔面に飛びついてきた。老女離れというよりももはや、人間離れをしたその動作の素早さに、回避する余裕は全く無かった。
 一瞬、婆さんが私の顔に貼りついてきたように感じたが、彼女は売り物であるところの面を私に被せてきただけらしい。
 すまんことをした。
 婆さんは特に申し訳なさそうな素振りも見せずに言った。あんたの顔が大層うるうるとして見えて、面によく同化しそうだったからさ。
 指先で面のおもてに触れてはみたが、その形状が何故だかちっとも頭に入らない。
 婆さんは満足そうに、私を見てにかにかと笑う。おかめとかひょっとこだったら嫌だな、とはおもうが、それほど困ったというわけではなかった。



落ちる! 作者:はるな

 顔を洗っていた父が、洗面台に溜めた水にドボンと落ちるのを目撃してしまった。わたしは台所の母のところへ飛んでいく。
「またなの」
 大きなため息をつきながら、母は洗面所を見に行った。そこに父の姿はない。溜めた水の中にも見つけることはできない。一年と三ヶ月前、二番目の兄も同じように落ちたことがある。母はそのことに気づかずに栓を抜いてしまったので、兄は流れていった。最近こういう事故が多発しているらしい。
 母は溜まった水をじっと目をこらして見たが、父を見つけられないと分かるとすぽんと栓を抜いた。ぐるぐると回転しながら水は吸いこまれていく。
「お父さんだいじょうぶ?」
「めぐりめぐって雨になって、いつか落ちてくるでしょ」
 そういうわけで雨が降ると、兄と父が道に落ちていないか探しに出るのだ。



水浪漫 作者:永子

 海にいきたいなあ、という。大きい大きい、とてつもなく大きいと話にきく海にいきたいなあ、という。ここがそんなに手狭というわけではないのよ、と多少遠慮がちになりながら、でも、海にいきたいなあ、海で泳いでみたいなあ、という。海水につかったら干涸らびてしまうよと言っても、じゃあ、海につからなくてもいいから、海で泳いでみたいなあ、という。赤いひれをひらひらさせてる出目金はとてもわがままで、一晩中、海にいきたいなあ、という。しかたがないので朝一番の電車で海水浴場に行く。丸い金魚鉢を抱えて座席で揺られているのは、ちょっと恥ずかしい。まだ人のいない砂浜に立ち、金魚鉢ごと海につける。もちろん、海水が入らないよう気を付けて。しばらく金魚鉢のなかで満足げにひらひら泳いでいたがそのうち、やっぱり海のなかで泳ぎたいなあ、という。じゃあ、ここに置いてくから自分で勝手に飛びこんでよ、と言って帰る。
 満潮までどのくらいだろう。



輝ける太陽の子 作者:伝助

 ぼぉくらはみんな死んでいるぅ。と、くらぁ。手のひぃらひらを太陽にー。って。
 腐った脳内に言葉が反響する。
 僕たちの領星には避暑目的で一時的に死態となって身体を休める、三日間のデッドマンズ・ホリデーがある。その初日に僕と兄様は久しぶりに父王様と黄色型ボゥトで、大輪の花が埋め尽くす准ひまわり海を回遊していたのだけど。
 もう何時間も父王様の「有難いお話」を聴かされている。甲板上は遮る物もなく、輝く太陽が僕と兄様を無慈悲に照りつける。父王様は海面を指して、「向日葵が常に花弁を太陽に向けると言う神話を知っているか」と言う。
 もちろん。この准ひまわり海はその強向日性によって潮汐力を作り出しているから。
 父王様を崇拝している兄様は神妙な面持ちで頷く。でも僕はそれどころではなく、これは死んじゃうって(笑)。この暑さで、腕がもげたり、目玉がとろけたり。
 あう。
 倒れ込む寸前に涼やかな影に包まれた。見ると兄様が自分の影法師を僕に重ねてくれたのだ。かなり気分が助かる。それで、内緒でありがとうって意思を伝えようとしたのに、僕は兄様の首筋を、溶けた脳味噌が垂れるのを見てしまった。
 兄様の上着の裾をぐっと掴む。
 この、誰よりも太陽に近い場所で咲く向日葵を、僕は、眩しく見つめた。



アルデンテ 作者:はやみかつとし

 気絶するかと思うほど強く、あなたはあたしを抱きしめる。それは、あたしが決して折れたりしないと知ってるから。頼りなげに見えるあたしのピンと張った白い背筋が、いとしくもあり、妬ましくもあるから。あなたは全身の力をその腕に、指に、唇に込めて、あたしのかたちを絞り込む。しなやかにしなりながら、あたしはあやふやな日々の装飾を全部そぎ落として、一本の線になり、躍る。
 あなたの歯があたしの芯に達するとき、あたしはほの甘く匂い立つ。



楽園のアンテナ 作者:逆選王, 歩知

 息を吐く。息を吸う。
 息を吐く。息を吸う。
 心拍も意識に逆らいつつ、鎮まってゆく。
 黒みを帯びて電離圏まで突き抜けそうな空模様、凝った太陽が白色光を束ねている。真下の丘の頂で草いきれに包まれて、君は今日も不明瞭な予覚を掴み取ろうとしている。高く低く、震える切れ切れの囁きの正体を。揚げ雲雀に釣られた瞼を君は半眼に下ろす。イネの列に透き見える水面が天を大きく映している。

 d^2x/dt^2+bdx/dt+ω^2x=Asinθt

 共振。君の中で残響が暴れ、君は跳ねあがる。網膜の閃光は君の知らない形。鼓膜の共鳴は君の知らない音。無痛の涙があふれ、夢中で駆け下る。細流の橋板を飛び越え、藁葺の軒下で吠えられ、いきあたりばったり、真っ暗な土間に半歩、踏み込んで息を継ぐ。心音が聞こえ、赤色と水銀色の残像は薄れ、君の友達が笑顔をこわばらせているのに気づく。
 君のふくらはぎに犬が鼻息をかける。畦のむこうで合鴨がククと鳴く。遠くの空で雲雀が円を描く。幾千年を変わりなく繰り返すこの里で、今確かに君が弾き返した電磁波を、受け止めるものは、存在しない。
 丘に風が立ち、君の首すじを乾かし、イネの平野を渡ってゆく。



お城でゆでたまご 作者:たなかなつみ

 ぐるぐると螺旋をえがく城塞のなかの階段を、ただのぼっていかなければならない。
 3000段ごとに、小さな扉がある。扉を開けると、小さな皿のなかに、ゆでたまごがのっている。刑を受ける罪人の苦痛を、少しでも癒すためにという配慮らしい。
 罪人がゆでたまごを手にとることはない。そんなものはいいから水をくれ。
 罪人にとって何よりも許しがたいのは、ゆでたまごに剥ききれなかった殻がこびりついていることだ。聡明な罪人は、ずっと見ないふりをし続けてきた。けれどもあるときついに我慢の限界をこえ、ゆでたまごをつかんだ罪人は、息を整え慎重に、殻に指をかけた。
 かしゃりとゆでたまごが欠ける。つるりとした楕円に、戻しようのない穴があく。
 それを見た罪人は、狂ったようにゆでたまごにむしゃぶりついた。それでは、渇いた喉に、いっそうの苦しみを与えるだけだと、知っていても。
 罪人はまたのぼっていく。そして扉を開けては、やはりぶかっこうに殻をかぶったゆでたまごがあることを確認する。罪人の口腔には、もう一滴の唾液もなく、あとどれぐらい歩けば城から出られるのかもわからない。



春の忍者 作者:タキガワ

 私の後ろにしのんで付いてくるひとと、一緒に散歩に出る。背中にその気配を感じながら、ひたひたと道をゆく。行き先は決まっている。私達は冬のあいだから、桜を観に行く約束をしていたのだ。
 一時は2人で連れ立って歩く事が多かったのだが、少し前からこういう風になった。最初の頃は、色々と考えていたような気もするが、慣れてみればそう大したことでもない。
 桜見物の途中で和菓子屋に寄った。大丈夫、あなたのもちゃんと買うよ。彼はケーキよりも饅頭派なのだ。
 豆餅をふたつ貰って、自分の分をその場で開ける。粉にむせながら食べて、付いて来るひとの分の豆餅は、さりげなく地面へ落とした。
 少し歩いて振り返る。ついて来るひとが豆餅に手をだした様子がない。
 もういいよ、と私は道端の豆餅に向かって言ってみた。
 もういいんだよ。心からそれを言ってやりたいが、それでも私は自分に対してそう言うことが出来ない。
 私と豆餅を避けて、花見客が通り過ぎてゆく。彼の気配はまだ離れない。 



私がダイヤモンドだ 作者:たなかなつみ

 店に入ったときにはもうあまり躊躇いはなかったのだが、女は迷っているふりをした。展示されている見本に触れてみたり。温もりというより、冷たい、という感触。抱きしめてみたり。温もりはなく、硬い、という感触。男から渡される品質保証の数字の羅列は、内容をもたず、けれども目には心地よいので、頷く。指先から? それとも髪から? 爪というのが一般的ですが、と男は促す。女は無意識に爪を噛む。温もり、という感触。
 夜ごと日ごと、女は夢をみるのだ。男が自分を仰ぎ見てひざまずく。女は服を脱ぐ。
 そのために自分は神聖であらねばならない、と思う。貴石化。
 女は爪を噛み、小切手を切る。それ自体にはあまり意味のない行為。けれども、その意味のなさこそが、女には大事なものであるように思える。
 帰り際、女はさも付け足しのように男に尋ねる。貴石化してからもセックスはできるの? 男もさも付け足しのようにこたえる。ご随意に。女は爪を噛む。マスターベーションは? とは女は聞かない。だから男もそれに対しては何も言わない。夢の言葉を口にすることができないまま、女は店をあとにする。