500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 クスクスの謎 作者:たなかなつみ

 婆ちゃんはいつも離れでひとり縫い物をしていた。端切れが散らかっているその部屋の壁は土壁で、埃っぽいその壁に沿って、大きな茶色い木の実が所狭しと並んでいた。
 婆ちゃんの喉はいつも渇いていた。薬缶いっぱいに沸かしたお茶では足りなくて、その実を割っては泉のように溢れ出る果汁を喉を鳴らして飲んでいた。どろりとしたその液体はとてもおいしそうではなくて、わたしはいつも蔑むような目で婆ちゃんの首筋を汁が伝うのを見ていた。おまえもな、と婆ちゃんは言った。欲しがるようになる。年を重ねたらおまえにも、おれがクスクスを欲しがっていた意味がわかる、と。
 初めてその実を割って口をつけたのは、あなたが事切れてから間もなくのこと。明け方、喉が渇いてたまらなくなったわたしは庭に出て、茶色く光った大きな木の実に吸い寄せられ、むさぼるようにその汁を啜った。その甘くて冷たい汁を体内に浴びた。まだ婆ちゃんの歳には届かないので、なぜそれをそんなにまで欲しがるのかはまだわからないのだが。
 渇くのだ。体内に空洞があるのを感じるのだ。クスクスとそれが鳴るのだ。
 娘はわたしを蔑むような目で見る。



 序曲 作者:脳内亭

 アセロらはハッパを巻いている。
 クロレらはラッパを吹いている。
 ハバネらはバッタと跳ねている。
 カルメらは真っ赤なうそをつく。

 うそから生まれた真っ赤なバッタにハッパを巻いたラッパの音がパーンと跳ねて夜空を割る。三日月のブーメランがピンクの薔薇の首を刎ねるその時すべての歯車が回り始める。いずれ出会う子どもらは、今はまだバラバラだ。



 うめえよ 作者:白鳥ジン

 あら、いやですわ、おほほ、変な顔をなさらないでくださいまし。不思議に思っていらっしゃいますのね、コップ。中身はジュースですのよ、普通の。おやまあ、お飲みになりませんの? どうしたものかしら。いえね、ジュースですのよ、普通の。それなのに、お飲みにならないだなんて。おほほほ。おかしいですわね、まったく、本当に。ご心配いりませんのよ。あら、そんなに不思議ですかしらね、コップ。どうしてなのかしら。ジュースはお嫌い? いえいえ、中身はジュースですのよ、普通の。おほほほほ。どうかお気になさらないで下さいましね、コップ。
 こうして念入りに申しておりますのはですね、ジュースを召し上がっていただきたいから、ただその一心からなのでございますのよ。本当にそれだけ。それなのにご遠慮なさるだなんて! 一体どういうんでござんしょ! 一体どうしたらようござんしょ!
 そうですわね。きっと、そうですわね。コップのせいなのね。きっとそうよ。そうに違いありませんわ、コップなのね! コップなのね! そうなのね!
 いいえ、ですがね、中身はジュースですのよ、普通の。さあさあ、お飲みになってくださいまし、さあ! どうです、お味は? おほほほほほ。



 Jungle Jam 作者:脳内亭

 罪人達は磔にされる。衣服を剥がされ、蜜を身体に塗りたくられる。赤い蜜。青い蜜。黄色の蜜。橙色の蜜。最も重い罪の者には、黒い蜜。
 蜜は罪人の身体を蝕む。じわじわと体内へ侵入し、隅々まで巡って元の体液をすべて排出させる。蜜に蝕まれて罪人は息絶える。否、転生する。甘い甘い色とりどりの樹木となるのだ。
 陽を浴びて樹木は溌剌と映える。赤い枝。青い幹。黄色の葉。橙色の花。はじめに虫が群がり、それから鳥が、獣が、菌が訪れる。やがて、かつては頭だったものが、どさりと地面の上に落ちる。割れ目からのぞく豊満な果肉。実りの季節。

 極彩色の森の広がる、今では観光や名産で潤うこの地で、一体どれほどの罪人が磔にされていったのだろう。とれたてのベリーを大鍋で煮詰めながら、先人の犯した罪を想う。



 お願いします 作者:磯村咲

 夏の夜だった。会社帰りに同僚と一杯やって、いい気分でのったりした空気の中をフワフワ駅から家へ向かっていたところ、公園の入口、街灯の下にワンピース姿の女性が所在無げに立っていた。距離が縮まるにつれ、人ではなくクシクラゲ様のもので、ワンピースと見えたのは明滅する幾筋もの虹色の光だと分かってきた。前を通りかかると、「こうぉん、こうぉん」とどうやって音を出しているのか呼びかけられている気がしないでもない。ぽやっと光るプルプルする饅頭大のものを触手で差し出すのを、思わず受け取った。
 家に着くまでの間にぼんぼり饅頭はもじりもじりと腕をのぼって肩に上がり、鍵を開けている隙に私の頭に入り込んでしまった。以来何を見るにも聞くにも考えるにも頭の中にぼんぼり饅頭大の違和があり、夢だと思うも半信半疑でおよそ一年が過ぎた。
 それが昨夜、まぶしさに眼が覚めると私は動画に見入っていた。暗い部屋でPCを立ち上げ、女の子が「この子をお願いします」と子猫を差し出すアニメのワンシーンを繰り返し再生して、「この子をお願いします」と真似ていた。ぼんぼり饅頭の巣立ちが近いのだろうか。俄かに親心が込み上げて、一緒に頭を下げていた。



 赤いサファイア 作者:佐多椋

 何を取り出そうとしていたのか、もう思い出せない。記憶は学習机の引き出しを開けたところから始まっている。
 整理も何もなく雑然と放り込んだ鉛筆、消しゴム、プリント等々、すべて消えてなくなって、代わりに見たことのないものが散らばっていた。
 まず目に飛び込んできたのは、透明な塊の数々。おずおずと指先で触れるといずれも固い。だが、それぞれわずかな違いがあるような気もする。そしてそれらとともに、引き出しのなかには《色》があった。【赤】、【青】、【緑】、その他いろいろな色のそのもの。もちろん、それらは眼に見える物体ではない。けど、ぼくは見ることができた。触れることができた。すくいあげることができた。
 ぼくは透明な塊のなかから、ひとつを右手で拾い上げる。なぜか胸が苦しくなった。
 続けて《色》のなかから、【赤】を左手ですくう。頭の中でどくどく音がした。紋白蝶の羽を毟るよりずっと興奮した。
 左手を開いて、【赤】をゆっくりと塊に垂らす。【赤】が塊に触れた瞬間、眼に見えない閃光がぼくを包んだ。矛盾を解決するために、すべてが矛盾になったのだと、あとでわかった。
 それから、ぼくはずっと偶数だ。



 群雲 作者:もち

 神様が生まれる。にぎにぎをする。群雲が生まれる。ふよふよと漂う。神様はそれらを眺めて暮らす。息を吹きかけると、ふよふよと雲が動く。きゃっきゃと喜ぶ。
 やがて雨が降り、海が広がり、地上を動くものが現れる。神様はそれらを眺めて暮らす。ときどき雲を眺めて、幼い頃をぼんやりと思い出す。なんとなく息を吹きかけてみたりする。



 円 作者:よもぎ

四角いメガネ、二本足をした円は、仲間を探す旅に出ました。
あるとき、門に会いました。門は「我輩は、確かに君と同じ二本足である。だが、この細くて知性的な目が君とは違うのである」と偉ぶって言いました。円はたじたじとその場を離れました。
あるとき、巴に会いました。巴は「アタシは、たしかにアナタと同じ四角いメガネ。でも、そんなガニマタの二本足じゃないわ」と言いました。そこへ、ポニーテイルをした色がやって来て、巴と色は二人でニョロニョロと行ってしまいました。
円はひとりぼっちで悲しくなりました。そこへ、ほっそりとした月が通りかかりました。少し自分と似ている気がしました。けれどもこんな美しい人と仲間になれるとは思えません。ところが月は「あら、あなた、私とそっくりね」と微笑みました。「ぼくはあなたのようにスマートではありません」円はうつむきました。月は優しく笑って「またお会いしましょうね」と言いました。円は、それから毎晩、月がやってくるのを待ちました。月は、夜ごとにふっくらとしていき、やがて満月になりました。自分が円でよかった。円はそう思いました。



 スイングバイ 作者:つとむュー

 徹夜で飲んだ朝帰りの千葉駅で、一年前に別れた元カノを見かけた。
 紺色のスーツに身を包み、黒髪をまとめている。颯爽と改札を抜ける後姿を、俺は思わず追いかけた。
 総武線東京行きホームへ上がる階段。揺れるうなじとタイトスカートの御御足が俺の心を奪う。
「あいつ、こんなに奇麗だったっけ?」
 あの頃、俺達はまだ学生だった。あれから彼女は就職したのだろう。ホームに着くと、その姿は白い電車の中に消えていく。
「えっ、特急?」
 千葉から東京までの間、特急でも快速でも時間はそれほど変わらない。メリットは乗り心地だけだ。つまり、それだけ経済的に余裕があるということ。
「俺はまだこんなことやってんのに」
 飲んでばかりの自分が情けなかった。差をつけられてしまった。だからどんな会社なのか見てやろうと思った。
 幸い彼女が乗ったのは自由席。通路側に座る彼女の後姿を眺めながら、俺は三つ後ろの席に深く腰掛けた……

「お客さん、終点ですよ」
 ヤバい、つい寝てしまった。彼女もすでに居ない。それ以上に俺を驚かせたのは車窓の景色だった。
「こ、ここはどこですか?」
「南小谷ですよ。長野県の」
 深々と降る雪に、やはりすれ違う二人だったと俺は思うのであった。