500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第24回:春の忍者


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 春の夜だった。その日は妙に寝苦しい日で、むやみにのどが乾いた。私は起き上がって、外に飲み物を買いに行くことにした。外に出ると、空のあちこちがピカピカと光っているのが見えた。稲光のようだったが、音はなかった。なんだか現実味のない光景だった。
 生ぬるい風が吹き、汗がじとじと流れた。
 自転車置き場の横の植え込みに、人がかがみこんでいたのでびっくりした。中年の黒っぽい服を着た男で、「うー」などという声を発していた。酔っ払いか、とそのときは納得し、自転車を押して出かけた。
 自販機でジュースを二本飲み、帰ってくると、隣の家のブロック塀に黒い人影があったので、またひどく驚いた。
 男は塀に取り付き、中の様子をうかがっていた。よく見ると、さっき植え込みにいた男である。男も私に気づき、私と目をあわせた。私が完全に通り過ぎて目をそらすまで、男はじっとりした視線で影の中からこちらを見つめつづけた。二人とも一言も発しなかった。
 短い時間のはずが、ひどく長く感じられた。朝の4時に真っ暗な他人の家を覗いて、何が楽しいのだろう。わからなかった。ただ薄気味悪かった。再び眠ってから、なぜか影絵の人が大勢出てくる夢をみた。



「春は憂鬱だ」
「えー?私だ-い好き。ねー!」
「ねー!だってかわいいんだもーん」
あーそーかい。お前ら「くの一」はいいよ。俺達男はどうすんのよ。
「はーいそこ、ぶつぶつ言わないでさっさと着替えるー!忍者は姿を隠すのがお仕事
でーす!春といえば桜、桜といえばピンク。春の忍者はピンク色でえーす!」
俺はしぶしぶ眩しいくらいのピンク色の着衣に袖をとおす。
ふと、正面のピンク色の男と目があった。



 少女は風に、ただ純粋に抱かれたいと思っていた。セックスがしたい。体中を優しくまさぐられるような愛撫に身を委ねていたい、と。けれど少女は告げられない。風に打ち明けたところで、吹き抜けられればそれで終わり。少女は自分が崩れることを恐れた。だから風だけには悟られないように。そう思い、必死になって隠し続ける。
 慣れ親しんだはずの、少女の髪や頬や肩を撫でる穏やかな風の営みに度々苛立ちを覚える。このまま奪って。纏っている服をすべて脱がして、代わりにあなたで包んで。冷ややかな触手にあたしを捧げたいの、と。けれど少女は言えない。明らかにしたところで便りがなければそれで終わり。少女は自分が傷つくことを恐れた。だから余計に隠し続ける。
 少女の中の革命は幸いなことにまだ風には気づかれていない。けれど芽生えた性的感情はいつまでも隠し通せるはずがなく、いつかは風に知れることとなる。
 だから少女はいつその時がきてもいいように、風と戯れる。今、少女は空を飛んでいる。地に触れず、宙を泳ぐ。なめらかな風を受けながら心地よくなる。体から少しずつ春の香りが漏れてゆく。その匂いに、いつか風も気づいて。ほしい。と。思う。



 桜はすべて散ってしまった。あの、ピンク色をした小さな花びらはもうどこにもない。春は終わったのだ。
 私は今でも夢に見る。宙を舞う花びらから花びらへと飛び移ってゆく、若きころの自分の姿を。

 次に乗るべき花びらをすばやく見つけ出す。
 はらはらと落ちつづける花びらを力強く蹴る。
 なるべく衝撃を与えないように着地する。
 その繰り返し。
 だんだんスピードを上げてゆく。誰も見ることのできないくらいにまで速く。
 もっと速く! もっと速く! もっと速く!
 ひとしきり運動したあとは木の枝に止まり、ピンク色の景色を眺める。
 眺めつづける。
 そしてまた花びらと戯れる。

 しかし桜はすべて散ってしまった。この木が花を咲かせることは二度とない。春はもう終わったのだ。



 春は忍者には大変な季節である。まず花粉。忍者の顔を覆う布は、マスクとは違い単なる顔隠しの布なのだ。よって花粉は通るが鼻をかむことは出来ない。「おかげで花粉の季節はずっとサラリーマンでいないと。」そう弥助が言っていた。
 一方、彦右衛門は花見で痛い目を見た。会社の隠し芸大会で、ついちょっぴり忍術を使ってしまったのである。これはそれほど大したことではない(みんなほんの少し自慢したいだけなのだ。)しかしそれを偶然他の流派のやつに見つかってしまった。これはよろしくない。彼は3ヶ月間手裏剣を剥奪された。彼は泣く泣く折り紙で手裏剣を作っていたが、それも取り上げられてしまったようだ。
 そして何より、春はなぜか「よし、いっちょ忍者になってやろう」という輩が増え出す。勿論警察もそれを承知していて、忍者も逮捕に協力するのだが、忍者ではないのにそこらの人間を「コイツは忍者を騙っている!」と警察に突き出し、自分がお縄につく間抜けも多い。この間「忍者とは隠密ですから。人気があり過ぎるのも困ります。」と全日本忍者連盟の会長がテレビで会見していた。春は、忍者は忙しい。
 現在、正式に登録されている忍者の数は628人だという。



 場面は雲母煌く大寒境。時は払暁。人物の名を秋桜。眉目秀麗な美丈夫。春より秋に放たれた隠密。そして東方より現れた薬売りの菜の花もまた秋桜から密書を受け取りに来た春の隠密。渡した書状は梅雨ヶ丘で行われる春秋七草七番勝負の秋側の順名簿。「おお一番手は撫子。次は萩。大将は桔梗か。ご苦労。それとお主にこれを預かっておる」それは妹が異郷の兄に宛てた父親の死を告げる手紙。「しかし心配無用。妹殿は未だ達者ぞ」秋桜が黙して膝を墜くと「やや。そのような意味ではない。他意はないぞ」菜の花は慌てて帰城。
 やがて西方より秋明菊なる秋の坊主が登場。「首尾よく秋桜様」「本当に宜しかったので御座りましょうか」「ほほほ。これは遊戯。我ら秋が大勝する必要はありませぬ。ほどほどで結構。それに誤った情報では妹様の御身がご心配でしょう」「ご配慮を」「なんの。しかし秋桜様のお父上も畳の上での大往生。それも人徳。お気に召さるな」秋桜は驚いて「何故、父の事まで」坊主の福顔を見据えました。「他意はありませぬ。偶々そのような事を聞き及んだだけで御座います。他意はありませぬぞ」秋明菊は莞爾と笑い秋桜は目を伏せ。
 「秋桜様。妹様の為にも立派な春の忍者と成りましょうぞ」



朝、テレビの天気予報と花粉情報をチェックすると、私は山の杉林に出かけた。
花の中に本部から渡された薬を噴霧する。
目的は分からない。私は命じられた通り、実行しているだけである。

帰宅すると直ぐに製薬会社から新薬開発の情報を入手する。
後は、私の病院を訪れた患者のデーターを本部に送れば、仕事は終わりだ。



 砂に噛まれた箱が海辺にずんと座っている。箱の上にはオレンジひとつ、ヘタがこちらを睨んでいる。
 そういう画だ。
 このタイトルはどうも釈然としない。
 オレンジの奥に海がざざあんとひろがり数キロ先に島影が見える。島には大きな木が一本。そこへ視線を送ると、僅かだが、木の下の黄いろい茂みがかさりと揺れたような気がした。目を凝らす。レンギョウの花陰に眼を発見した。右方をじっと睨んでいる。視線を追う。

 キャベツの葉を陽に透かしたような黄緑色の春の野ッ原。黒装束の男が両手に印を結んでいる。風が、さわりと吹く。突如まなじりが裂け吊り上がる。への字に結んだ口は鼻とくっつき人の字となる。「火」の字貌。噴出した炎が渦まき龍と化し、ごおごうと宙を飛びさる。

 売春宿の二階、窓が左右に開いている。ひとり佇む病身の女。そこへ炎の龍が迫る。
 危ない!
 瞑目する女。目尻のくまが斜め下に伸びて貌が「水」の字となる。ざざあん。炎をうち消す。奔流は街を洗い、どうどうと川へ、そして海へ。

 オレンジが眼に沁みる。
 箱が波に洗われて在る。



 ぴしぴしぴし。せせらぎの上で氷の割れる音。いつまで経っても足跡を消す術を身につけることのできないやつが、やってくる。諦め顔の冬の上に、ひらきなおって、悠然と、我がもの顔の、やつがやってくる。
 少女が仕事の手をとめて、汗をぬぐいながら、空をあおぎ見る。来たね。少女はぐるぐる巻きにしていたほっかむりをとり、着込んでいたちゃんちゃんこを脱ぎ、タイツを脱ぎ。ぬくい風に、その熟れた体をさっそうとさらす。ご覧。
 我がもの顔の女の上に、やつが落ちてくる。どうやら素通りする術も知らぬらしい。まったく、毎年毎年、進歩のないやつよ。諦め顔の冬が、こぼしながら、それでもやつのために席をあけてやる。その隙間をぬってどうと一陣の風が吹く。どうやら、もう、冷たい風を避ける上着は要らぬらしいが。









パシン








て学習机


パシンパシン


パシンパシン


れロフトベッド




に本棚
こ高い本棚




て自動洗濯機

るスリッパ(右)

といす
もテーブル
ないす
い自動食器洗い機
の電子レンジ
でコーヒーメーカー

そ冷蔵庫(三層式)
れガスレンジ(魚も焼ける)
で茶だんす
もキャスター付小物入れ(ゴミ袋も入れてある)
十米袋(30キロ1万円)

に恐れられているの
文明堂のカステラは
   かうょしで故何



 地に掘りし穴に完ぺきに身を隠す・・・“土とんの術”
 竹筒一本で水中に潜り、水面に波紋1つ起こさない・・・“水とんの術”

 兄弟子の忍者たちはいずれも得意とする“術”を有していた。

 それに引きかえ、おれはと言えば、それらのいずれもが不得手であったため、一時
は本気で“抜け忍”の道を選ぶほか仕方がない、と考えていたものだが・・・

 恋をし、それなりの“経験”を積むに従って、独自の“術”を体得するに到った。

 おれの場合、いわば“女とんの術”とでも言うべきか。女の身体の中に、そして心
の中に深く入り込むことが出来る。

 それの何処が忍術だって? ははん、お前は童貞だな? でなければ不能か?

 まぁ、そんな訳でおれは“情丸”と名乗ることになったわけだ。



あっけらかんとお空は青く 花は満開
ほろほろと散る桜の下で 酒はとろりと濃く美味く
目じりを赤く飲み干す人とは 焦がれて醒めてまた焦がれ
ふたりたがいにすれ違ううち……もう何とも抜き差しならぬ
だから今日 これが最後 尼君の教えてくれたお呪い
そっと 一握の落花を 襟元からするすると……

「ひゃあ、冷たい」

帰って服を脱ぎかけるとき あなたは気づいてくれるだろうか
白く震える蛍光灯に 再び舞い散る花びらを
闇ならある どこでもいつも たとえば服と背中の間
思いがけない果てしのなさが 他人(ひと)の心を潜ませる
さあ、行け、音もなく 桜うすべにあまたの忍び
ぬくい膚(はだえ)の闇滑り落ち 行って心を盗ってこい



土手に無数の穴を残してツクシ前線北上中。



弥生の忍者
「半蔵、好きだ!」
「い、嫌よ、やめて、影丸さま……」
すみません、うっかり『やおいの忍者』をお届けしてしまいました。

如月の忍者
「腕の立つ如月流忍者なのですが、背丈が五十尺(約十五メートル)あるのがちょっと」
「……『大仏(おさらぎ)流』の間違いではないのか?」


睦月の忍者
「半蔵、これを穿いてくれ!」
「い、嫌よ、恥ずかしいわ、影丸さま……」
すみません、うっかり『襁褓(むつき)の忍者』をお届けしてしまいました。



春の忍者ほど鬱陶しいものはない。春の訪れと共に至る所に現れる黒い影。奴らは仕事中でもお構いなしである。会議に必要な参考書類が消えている。社員食堂で注文したランチのおかずがいつのまにか一品少なくなっている。すべて忍者の仕業であるのは今さら言うまでもない。時に奴らは術を使い会社の人間になりすます。いつも、のろまで、ぐずで役立たずな上司などが妙にテキパキと働き、早口で喋ったりしている事があったら注意である。一番やりきれないのは術で幻影を見せられた時である。周りのものすべてが幻になるものだから、その日、一日積み上げてきた仕事すべてが崩れ去り、水泡と化す。しかし、最近になって社内で忍者の事を言う人間はいなくなった。毎年のことだから恒例行事と思い諦めているのか、防ぎようがないから言っても仕方がないと諦めているのか、どちらかわからないが、とにかくここ数年、忍者の噂は聞いていない。仕方なしに僕もその日、一日が現実であろうが、幻であろうが、上司が本物であろうが、忍者であろうが、関係なく精一杯、自分なりに頑張っている。そう思うと忍者の存在などは関係ないように思えてくる。しかし六月に入り少しずつ気温が上がり、夏が近づくにつれ、奴らの影が薄くなっていくのはやはり嬉しい。早く夏よ来い。



 トリック・オァ・トリート!
 ドアを開けると子供たちがどやどやと上がり込んできてベッドの上に鈴なり
になった。しまった、今日は春分か。僕は寝惚け眼を擦りつつ、しまい損ねの
炬燵の上にありったけの菓子と飲み物を並べる。
 冬の闇夜に暗躍した忍者たちは春分に仕事明けを祝して三人日の術を楽し
む。子供と青年、自分の二つの分身に命を与え、いつもは押し殺している心情
を託して街へと送り出すのだ。心をこめてもてなそう。秋分に千人火の術で火
傷したくはないからね。
 小突きあってはしゃぎながら菓子を頬張る子供たちの間から、くるりと光る
瞳が僕の視線を捉えた。嵐が去って部屋にぽつんととり残された後も微かに笑
みを含んだその娘の面影が僕の頭から離れない。秘書課の草野主任に似ていた
な。化粧っ気のない小作りの顔。僕ら総務課の鬼門だけれど、機能に徹した
クールな人だ。深夜手裏剣を研いでいてもおかしくないと思う。
 突然、携帯が聞き覚えのないメロディーを奏でだす。ランチでも一緒にどう
かな?リズミカルな明るい声、でも誰なのかすぐピンとくる。僕は大急ぎで
シェービング・クリームを塗り、とっておきのジャケットを探しにクロゼット
をかきわける。



用事を済ませ食卓へ帰ると、今まで食べかけていた魚がない。
これはうわさの春の忍者の仕業に違いない。
ふと足元を見るとなにやら足跡が。

・.    ・.    ・.    ・.
●・ ・. ●・ ・. ●・ ・. ●・ ・.
  ●・    ●・    ●・    ●・

そうか、春の忍者は猫だったのか。
まだ遠くへは行っておるまいと表へ出てみた。

  ☆☆ ☆☆  そこには猫が2匹いて恋をしていた。
 ☆  ☆  ☆  おや、もう魚は食べたのか。
 ☆     ☆  食欲の次は性欲ってか。
  ☆   ☆
   ☆ ☆
    ☆    さすがは春の忍者、やることが素早い。



必殺ノ武器有リ花粉玉。敵顔面ニ投擲ス。敵自ラ己ノ目ヲ抉ル。杉最強。



ムフッ私ついに彼にあっちゃった。ゆり子は目の前にコンドームをちらつかせ、頬を少し赤らめた。さらにそれを握り締め、「私、絶対に忘れないわ」などと付け足す。
ユリの奴何考えてんのよ、私達まだ中学生だよ。下校路にブタの遠吠えを響かせているとそこに奴が現れた。
さあ、行こう。そう言うなり手を掴まれ、風の如く町をすり抜けると、Lの付くホテルに突入した。手馴れたようにルームキーを受け取り、アッという間に部屋の中へ。驚きと好奇心で気が取られていたら、奴は素っ裸になっていた。
之を観よ。と背後から巻物を取り出し、「その一、エイズとは…」などと性講義を始めた。その三六五が終ると、徐にコンドームを取り出し息子に嵌めた。そして、私に近づいて来た。キャ嗚呼嗚呼。
気が付いたようね。目が覚めると私はソファーにいた。私はポケットに入っていたピンクのそれを眺めていると、母が背中越しにこう言った。
「また、会えるわよ」母の背中の向こうにある湯気がとても美味しそうに見える。
「嗚呼ぁお腹空いた」私は明日への第一歩を踏み出した。



 私の後ろにしのんで付いてくるひとと、一緒に散歩に出る。背中にその気配を感じながら、ひたひたと道をゆく。行き先は決まっている。私達は冬のあいだから、桜を観に行く約束をしていたのだ。
 一時は2人で連れ立って歩く事が多かったのだが、少し前からこういう風になった。最初の頃は、色々と考えていたような気もするが、慣れてみればそう大したことでもない。
 桜見物の途中で和菓子屋に寄った。大丈夫、あなたのもちゃんと買うよ。彼はケーキよりも饅頭派なのだ。
 豆餅をふたつ貰って、自分の分をその場で開ける。粉にむせながら食べて、付いて来るひとの分の豆餅は、さりげなく地面へ落とした。
 少し歩いて振り返る。ついて来るひとが豆餅に手をだした様子がない。
 もういいよ、と私は道端の豆餅に向かって言ってみた。
 もういいんだよ。心からそれを言ってやりたいが、それでも私は自分に対してそう言うことが出来ない。
 私と豆餅を避けて、花見客が通り過ぎてゆく。彼の気配はまだ離れない。 



縁側に座ってぼんやりと畑を眺めていると、ときどき風景がぐにゃりと歪むことに気がつきます。これは老いの所為ではないのです。はるか未来から世のつれづれを書き留めた文を携えて駆け抜けるものが、幽かに生温い空気を揺さぶらせるため。彼らは物事と物事をつなぎ止めるためにあらゆる方向へ進むことが出来るので、ぼくたちが彼らの痕跡を感じることが出来るのは、この季節だけなのです。風や雨やその他の言葉になりそこねた仲間どもと肩を叩き合いながらどこからか現れ、去っていく彼ら。ああ、ほら。彼方に見える松の枝がとても近くにあるようです。彼が落としていった一葉のイチョウを、そっとつまんで日記に挟んで、あとは忘れてしまいます。



 桜が散り、花吹雪が舞う。
 春の忍者が、また任務に失敗したらしい。



<春の忍者>
梅の香りにほだされて 裏のみやまに分け入れば
ユキシロ混ざる川の瀬に 岩魚山女が見え隠れ
春の忍者となりにける

(色不異空 そこにあっても)
(空不異色 感じなければ無いのと同じ)

つくし 蛙に つばくらめ

春は忍者となりにけり



 せんせいあのね、わたしはね、とってもね、さむいのがきらいなの。
 だからね、はやくね、あったかくなってほしいんだ。
 だってね、あったかくね、なったらね、お花がね、きれいなお花がね、いっぱいさくんだよ。
 お花はね、ほんとはね、まっ白だけどね、あのね、ちっちゃなね、ちっちゃなね、うーんとね、にんじゃさんがね、赤とかね、白とかね、ピンクにするんだって。タックンがいうんだよ。
 わたしはね、ようせいさんがするってね、いったんだけどね、タックンはね、にんじゃさんがね, とってもはやく色をぬるからね、お花がちっちゃうっていうんだよ。
 だからね、はやくあったかくならないかなぁ。



お父さん、お父さん、なぜ春になるとお花は咲くの。日曜日の昼下がり、ほんのり太陽に照らされていると娘がささやいてきた。私は一呼吸おいて、こう言ったんだ。
「それはね、忍者のせいだよ」てね。
娘は一瞬私を疑うように眺めて、フ〜ンって私に背中を向けてさ、小さなタンポポの前にしゃがみ込んでいつまでも眺めていたよ。
そんな娘も、もう私の前から消えてしまうと思うとなんだか、とてもさ、寂しいと言うか辛くてさ、だからあの場にいられなかったんだよ。
お父さん、お父さん、なぜ春になるとお花は咲くの。振り返るとそこには純白のウエディングドレスを着た見事な、とても美しい花が咲いていた。
「どうやら本物の忍者が来てしまったようだな」私はそう言って彼と固い握手をした。
そして彼に、娘の巻物を託したのさ。



 わたしは春の忍者です。
 残りの九ヶ月は、お屋敷でデスクワークをしています。
 どちらかというと、外で活動するよりも事務のほうがあっているようです。
 だから今度の配置換えでは、ぜひとも新年の忍者になりたいと思っています。



僕はこのことを今日初めて人に話す。その人とは、桜の下で会った。

ぼくはその時社会人になったばかりの新入社員で、昼間っから宴会用に花見の場所とりをしなければならなかった。それが僕が入社した会社の変な伝統だった。

会社の仕事よりも花見のほうが大事なのだろうかと、社会の仕組みを不思議に思いながら、僕は桜を眺めていた。

買ったばかりのスーツに、はらはらといくつもの桜の花びらが落ちてきていた。

しばらくすると、はじめは僕ひとりだった桜のまわりに、ぽつりぽつりと人が集まってきた。時刻はもう2時を過ぎた頃だろう。しかし僕らの花見が始まるのはまだまだ先だ。

僕は退屈していた。そんなときだ。彼女と出合った。

唐突に「たいへんね。」と言われた。僕はどこから声が聞こえたのかわからなかった。

きょろきょろしていると、真後ろのベンチに女の子が優雅に腰掛けていたのが視界にはいったので驚いた。いつの間にこんな近くに来たんだろう。

その人は、碧色の着物を着た二十歳くらいの女の子だった。着物なのに、柴犬を連れている。散歩の途中だろうか。

でも今時着物を着て日常を過ごす若い女性なんて会ったことがない。少なくとも僕とは無縁の世界のひとだ。

「いつの世も上の方に仕えるのは大変なことね」

変わったことを言う女性だなぁと思った。僕が、はあ。と間抜けな返事をした。

その瞬間、強い風が吹いて桜の花びらがこれでもかと舞い散った。僕の視界はたちまち桃色に染まった。

僕は思わず目を覆った。砂埃と甘い花の香りがまざって鼻がむず痒い。

ようやく目をあけると、もう碧色の着物の女性はいなかった。彼女がその場にいたという証拠を僕だけが知っていた。それは桜の花びらと小さな手紙だった。



 冬の忍者は、真っ白な雪の中を幾日も辛抱してきた。が、不覚にも隙を突かれてしまった。敵は無言で去って行く。あとには真っ赤な血が、音もなく広がっていくのみであった。
 季節は変わる。細流の音が広がる川辺にて。狼が屍を見つけた。旅の尼僧が追い払う。男の裸体は腐爛することなく保存されており、柔らかい陽射しを浴びてきらきらと光っていた。
 月に纏う雲。
 悪戯好きの鶯が囀る。男の表情は歪んでいる。背中に担いだ女は、死んだように眠っている。春の忍者は無言で去って行く。



 それは音もなく、酒の満ちた杯に舞いおりる。

 花見の酔い客はふと喧騒を忘れ、頭上をふりあおいだ。満開の桜が今を盛りと咲き乱れている。酒のせいか、少しめまいがした。
 ふたたび杯に目を落とす。粋な計らいに笑みが浮かぶ。まるで池に月を映したようだ。
 ぐいと一息に呑み干して、酔い客は宴の席に戻った。

 それは悟られることなく、人にまぎれる。



空が影で埋もれるとき、草原の真ん中で座り込んでいるぼく。