500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第101回:あおぞらにんぎょ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 あおぞらにんぎょ1 作者:水面月

九十歳にして現役の海女である祖母は、ぷかぷかと海面に体を浮かべ、雲一つ無い青空を物憂げに見上げていた。
不思議な現象があるものだと、私は掌に持った干乾びた魚のような死骸を、海中から上がってきた祖母に見せた。
見るも奇妙な形状をしていた死骸は、空から降ってきたのだ。
死骸の腰から下は魚類に見られる鱗と尾ビレがあり、上半身には腕と水かきを備えた指を持ち、まるで人魚を連想させた。
祖母は、岩場にしゃがむ私の掌から優しく死骸を取り上げると、私の目を見つめた。祖母の目から一滴、頬を伝ったけど、それが涙か海水かは分からなかった。
その昔、この辺一帯には人魚がいた。やがて物珍しさに人間によって乱獲され、絶滅の一途を辿った。多くの人魚は、鱗を加工した装飾や見世物で娯楽に利用され、他の者は皆一同に、つむじ風に乗り空へ逃れた。
祖母は手の中の死骸を優しく包み込んだまま、空に視線を移した。
「帰ってきたね……お帰り」
青く広い空を見上げた祖母の表情は、さんさんと降り注ぐ太陽の逆光で、窺い知る事は出来なかったけど、ぼんやりとそう呟いたような気がした。
空から降ってきた死骸は、きっと故郷に骨を埋めたかったのだろうと祖母は言った。



 あおぞらにんぎょ2 作者:砂場

 オルゴールが閉じると箱の中は朝になり、青空が、世界の端から広がって行く。
 ある日、蓋がずれ、水音を立てて何かが逃げた。



 あおぞらにんぎょ3 作者:つとむュー

 朝起きたら枕元に人魚が置いてあった。
「やった、願いが叶った!」
 ボクは喜びのあまり、鱗が黒光りする人魚を抱き上げた。
 説明書を読むと、その鱗は太陽電池になっているらしい。

 西暦二一○○年。
 二酸化炭素濃度の上昇に伴う温暖化がいよいよ深刻になった。
 このままの状況が続くと、古生代と同じ環境になって人類は死滅してしまう。
 そしてこの問題は、科学にとどまらず宗教にも及んだ。
 神は人をお造りになる前に、二酸化炭素を減らす生き物をお造りになったのではないか?
 困った宗教団体は、新たな学説を提唱した。

「人魚だ人魚だ。神様が地球で最初にお造りになった人魚だ!」
 嬉しくなったボクは、早速人魚を抱えて家を飛び出した。
 照りつける光を太陽電池に受けて、ウイーンと人魚が動き出す。
「初めまして。あたし水辺に行きたいな」
「じゃあ、ボクが連れて行ってあげるよ」
 近所の池に人魚を浮かべると、彼女は生き生きと泳ぎ出した。

 宗教団体が造り出した人魚のおもちゃは、泳ぎながら口から二酸化炭素を吸ってそれを水に溶かす。
 そして、古生代もこんな風に二酸化炭素が減ったと教えている。
 今日も各地の水辺では、太陽の光を浴びて沢山の人魚が泳いでいる。



 あおぞらにんぎょ4 作者:加楽幽明

その日もいつもの様に雲を眺めていた。僕は雲を眺め夢想するのが好きなんだ。例えばあれは猫、こっちはドーナツで、隣はパラソルって具合にね。すると一つだけ違う動きをしている雲があった。飛んでいるというよりも、泳いでいるという表現が似合う悠然とした動きだったよ。碧空を涼しげに移動するそれに僕は見惚れていた。たおやかに雲間を縫うそれが、僕には人魚のように思えた。空を泳ぐ人魚というのも乙なものじゃないか。普段お目にかかれない光景を僕はたっぷり楽しんだ。遠くの空を見れば何時しか夕闇が迫ってきていたよ。彼女もそれに気付いたのかな。突然声が聞えてきたんだ。空一面を覆うよく通った声は、春の雨みたいに優しく僕に降り注いだ。声は妙な旋律がついて唄に変わっていった。歌声は一日の終わりを報せるサイレンみたいに街中に鳴り響いた。けれどサイレンみたいに耳障りじゃないし、不思議と胸を掻き均した。唄いながら彼女はゆっくり東へ泳いでいったよ。
それからかな。今までは気付かなかったんだけど、空から色んな声が聞えてくるんだ。きっとあの空には僕の知らないことがまだまだたくさんあるんだろうね。だから僕は今日も空を眺めて夢想する。



 あおぞらにんぎょ5 作者:どらごん

奴は編みタイツをはき、上空から常に獲物を狙う。
その姿を見たものはまだ誰もいない。
この間も美少年と呼び名の高いBクラスの山口が青草波打つ堤防路で
強風に煽られるように学ランを剥ぎ取られた。
その日以来山口はふり〇ンで登校している。
なんでもそれが奴とかわした契約らしい。
でも山口のやすらぎを見て皆がうらやましがったのだ。
そして卒業を迎える3月までには俺の町に美男子と呼ばれるふ〇チン野郎があふれ、
ついに俺の番がやってきた。
俺は決して生まれながらの美少年ではないが、耐え切れず顔にメスをいれた。
今日は気配がする、耳元にかすかに聞こえるこの歌声はもしや。
脳みそがピンク色に染まるのが分かった瞬間目の前が真っ青になったが、鮮明に残る奴のイメージに俺の分身が反応する。
想像以上の快感に襲われ、やはり俺もあの契約をかわすことになる。
もうあの頃の俺の幸福な顔を知るものはいないし、俺もあの町にいない。
あるのはあおい水にうつる空と無数のうろこ雲だけ。
ただ俺には今も、あいつの香りが快晴に漂う。



 あおぞらにんぎょ6 作者:空虹桜

 ハリケーンが通り過ぎたから、雲ひとつない快晴。
「レイラ、海へ行こうよ」
 開きっぱなしの窓から、ボクは声をかけた。のに、いつもなら射し込む陽を避けるみたいに、日陰のソファで本を読んでるレイラがいない。
 レイラは大人なのに子どもみたいなんだ。お人形のような顔してるのに、一日中部屋で本を読んでる。島へ来たのに音楽を浴びず、しかめっ面を崩さない。
 そんなレイラだって、今日の天気にほだされたかもしれない。だって、じーちゃんが言ってた。
 この島は海へ帰る入り口なんだって。
 太陽におはよう。パイナップルに水をあげよう。蜘蛛の巣は壊さないよう。バックビートに乗っかって、ボクは海へ行く。赤い道が草むらを掻き分けたら、
「レイラ!」
 水平線の向こうまで、ボクの声が響いた実感がある。ホントだよ。
 駆け足で波打ち際まで行って、もう一度叫ぶ。波が打ち寄せる。優しい風がボクの声を高く、遠くへと運んでいく。
 世界はまぁるい。
「ボーデ!」
 レイラの声がして、姿が現れて、快晴よりも澄んだレイラの瞳。
 まるで海が故郷みたいなレイラに、ボクはじーちゃんの言葉を思い出す。



 あおぞらにんぎょ7 作者:sleepdog

 昔からこの幼稚園につとめる天野久仁美先生は、とても声がきれいな人である。天気の好い日はよく外でお手製の絵本の読み聞かせをする。園児はいつも熱心に聞き入っていた。
「桃太郎は鬼ヶ島に着きました。途中、船乗り場で美しい人魚と出会い、きびだんごと人魚の肉だんごを交換し、不死の体を手に入れて、バッタバッタと鬼を倒していきました」
 あるときはこんな話だった。
「浦島太郎は海辺で助けたカメと美しい人魚からお礼をしたいと言われました。人魚に指先の肉を少し与えられ、不死の体になった浦島太郎は、カメの背中に乗って窒息せずに海の底まで潜っていきました」
 また、こんな話もあった。
「魔女の毒りんごで永遠の眠りについた白雪姫のもとに、白馬に乗った王子様が現れました。白馬には美しい人魚も一緒に座っています。王子様は人魚の首筋の肉を少し噛み取ると、白雪姫に口移しで与えました。すると、なんと眠りから覚めたのです」
 よく晴れた動物園見学の帰りにはこんな話もしていた。
「サルにやられたカニは仲間たちによって家に運ばれました。美しい人魚の女中はすぐにわきの肉を少し切り取り──」
 久仁美先生は、美しさのまったく衰えない人である。



 あおぞらにんぎょ8 作者:雪雪

底知れぬ不景気もどこ吹く風、次から次へと新規出店しているこの回転寿司は新商品開発に余念がない。耳馴れた名前がついていても、元の姿は似ても似つかない巨大魚だったり深海魚だったりするという噂を聞くが、安くておいしければそれに越したことはないな。
今しも初めて見るネタが流れてくるところで、銀の肌の縁にラピスラズリのような真っ青の肉身。珍しい。肉の色としては。続いても青。明るい空色の切り身だ。添えられた札を見ると、前の皿は“あおぞらにんぎょ(下半身)”、後の皿は“あおぞらにんぎょ(上半身)”とある。
おもむろに両方取ってみる。
手許で見ると上半身のほうは脂肪の千切れ雲が散って、成層圏から地球を眺めているみたいだ。当然ながら、いや当然じゃないかな上半身は哺乳類の味がするし、下半身は魚類の味がする。
そういえば人魚というのは、胎生だったろうか卵生だったろうか。ふと考えたとき、また青いネタが流れてくる。
澄み切った、まさしく青空の切り身のような。
札を見る。“あおぞらにんぎょ(あおちゃん)”。
青ちゃん?
ああ、そうか赤ちゃんのことか。



 あおぞらにんぎょ9 作者:ぱらさき

だいたい、金魚とは青空が好きなのです。
体が赤いのだから、それは仕方がありません。
「青空の中を泳ぐのが夢なの」
遊びにきた黒猫に、金魚はいつも言います。
「ふぅん」
いつものことなので、黒猫はさらりと流します。
ある日、それに加えて金魚は言いました。
「それをみて」
1枚の写真が池のふちにあります。キレイな青い海の写真です。
「どうしたの?」
黒猫が聞くと、パシャと金魚は跳ねました。
「そこで泳ぎたいの! 青空のようなその中で」
「なるほど、でも海水は平気かい?」
「大丈夫よ、100年も生きると人にだって化けれるわ」
当然よ、と金魚は応えました。
「はいはい」
黒猫は呆れつつも、次の日には、銀狐を紹介してやりました。
「もう20年は人として暮らしてますから」
と、油揚げ10枚で銀狐は請け負ってくれました。
「ただ、仕事があるので日帰りですよ」
そうして、よく晴れた夏の日に、銀狐と金魚は海へと行きました。青空を反射して光る海へついた時には、金魚は涙を流したほどです。

「夢のようだったわ」
帰ってきた金魚は、黒猫にうっとりといいました。
「これが写真です、私が撮ったんですよ」
そして、銀狐が写真を見せました。
キレイな青い海で、赤いドレスの人が幸せそうに泳いでいます。
「あー。次は水着、用意しなよ」
黒猫は苦笑しながら言いました。



 あおぞらにんぎょ10 作者:まつじ

「   」
 うん。おそらなの。
 「      」
 ううん。わたしが、ほしいなとおもったら、そうなったの。いいこにしてたからだとおもう。
    「      」
 だからみんな、おそらをかくしてるみたい。
  「   」
 でも、よるにはおつきさまとか、おほしさまがみえて、きれいだよ。
「                」
 あれはわたしのじゃないし、わたしは、こっちのほうがすきだから。
   「     」
 やだ。あげない。
「                      」
 わかんない。
       「                        」
 それか、いもうとやおとうとができたら、みせてあげるかもしれないけど。
    「               」
 うん。そしたら、かんがえる。
                「            」
 へへ。かわいいでしょ。ここにくもがあって、ほら、ここににじがあって、わたしのあかちゃんにもみせてあげたいなあ。おそらなのよ、わたしの、おにんぎょさん。



 あおぞらにんぎょ11 作者:オギ

 嵐の翌朝のことです。いつものように浜を歩いていると、流木の間にヒトの子が倒れておりました。
 開いたままの瞳は明るい空色。きっと母様のお気に召すと、その片方を掘りだそうとしたときです。激しい水沫に打たれ、あわてて流木の陰に逃げ込みました。
 海から現れたそれは、ヒトの子とうりふたつの顔で、けれどその瞳は海の群青。水と鱗のかけらを輝く帯のように引いています。二本足ではありますが、人魚にちがいありません。
 陸に上がった人魚はヒトの子に寄り添うと、愛しげに髪を撫で、いくつものくちづけを降らせました。溢れた涙が真珠になって転がり落ちます。
 涙を流しながらも、なぜか人魚は微笑んでおりました。その輪郭がふと力を失い、陽炎のように揺らぎます。ヒトの子を抱きしめたまま、すこしずつ、風に溶けるようにして、人魚は消えてしまいました。
 転がってきた真珠を一粒拾いあげます。ヒトの子のまぶたがぴくりと動き、ゆっくりと瞬きました。散らばる真珠と鱗にそっと触れ、呟いたのは人魚の名でしょうか。
 海を見つめるその瞳は、僅かに湿り気をおびた青色へと変わっておりました。



 あおぞらにんぎょ12 作者:脳内亭

 唄を忘れてスカイフィッシュはゆっくりと大人になる。丸みを帯びて透きとおる。もう急いで飛ぶ由のないその身は求愛に満ちている。
 忘れた唄をおもいだす。
 初めのひと声。そっと前に置く。紡ごうと上がり。下がり。こぼれる点と線。
 添わせて尾ひれを翻す。

 ん、と彼は空を仰いだ。何だろうかと耳をすます。ほんのりと届く声の辺りでふるり、とそよぐかぜの影。



 あおぞらにんぎょ13 作者:紫咲

 その娘が屋上から飛びおりた時、私はパトロールをしていた。人魚とスポーツをする者はいないので、昼休みは牡蠣を齧りながらゆらゆらと校舎を漂うのだが、花壇の上を低空飛行で横切ったところで、彼女が衝突してきた。私は海老反りを維持したまま腹で着地し、彼女にひとしきり遺憾を表明した。父親が失踪し、その他にも無理解な薄情が立てつづけにキャンペーン中だそうだ。私の小言を無視して、娘はせつせつと話した。
 もう飛ばないかと問うとわからないと泣く。飛んでも大丈夫なようにしてやろうと彼女を肩に乗せ、窓から給食室に侵入した。腕の肉を包丁でもぎ、小皿に乗せる。私のサシミに彼女は嫌な顔をしたが、最後は箸を握った。味が悪いと言う。歯ごたえがいやらしいと食べ終わってから述べる。翌日から彼女は学校を休んだ。
 そして秋が来て、私は再び衝突された。爪の上に移してみると、彼女の妹だと剣幕が凄まじい。おまえは何かを下から上へ引き上げたつもりでいるのだろうがとんでもない。それは回転させただけだ。リボルバーだ。喜びと悲しみを永遠に反復することを姉に強制させたのだ。何が不老不死だこのカマボコめ。姉は人魚に救われたことを恥じ、真っ当な女でなくなったことに絶望し、空高く身を投げてしまった。今頃は月の裏側で寂しく冷えているだろう。ケータイの電波が届かない。おまえは私と一緒に姉を連れ戻す責任があるのだ。よかろう。富士山を踏み台にし、私は青空に飛びこんだ。



 あおぞらにんぎょ14 作者:りんね

 どこまでもどこまでも続く広い広い青空。
 気持ちいい! もう、最高! 空がこんなに気持ちいいなんて。
 暖かい日差し。澄んだ空気。生い茂る木々。鳥のさえずり。
 何もかもとても新鮮だ。
 私は脚を得るために声を失い、王子様に失恋し、一度は海で泡となって消えた。
 でも、今は天使となり、海に代わってこの青空を自由に泳いでいる。
 もちろん、昔の姿で。



 あおぞらにんぎょ15 作者:もち

 それらはそら高くで生産される。
 暗い水底へぼとぼとと落とされたそれらはむくむくむくと大きく育つ。
 そしてそれらはある日一斉に海溝を出て、岸へと押し寄せる。
 にんぎょたちの虚ろな目に見つめられて人々は防波堤に立ち尽くす。にんぎょは速度を緩めない。ずんずん迫ってくるにんぎょにんぎょにんぎょにんぎょ。
 突然にんぎょたちは上へと向かい、人々は我に返る。見上げればそびえる塔のてっぺんからそらのあおにとけるにんぎょにんぎょにんぎょにんぎょにんぎょ。



 あおぞらにんぎょ16 作者:タキガワ

 青空人魚の稚魚の目は、上下がさかさまにみえるそうだ。
 雲に生みつけられた卵から孵った稚魚たちは海面へ落ち、深海へとのぼる。そこで数年を過ごしたのち、めだまの反転した成魚が今度は空のてっぺんを目指すのだ。
 僕が幼い頃には、青空人魚の飼育キットが流行していたけれど、あれは多分ただのシラスだ。本物は、清水よりも透きとおっていて、ひれの先だけが虹色を放つ。
 釣りが趣味の兄に連れられて船に乗った日に、僕はタモで浮遊していた人魚の子を掬った。
 5年ほどで人魚は掌ほどの大きさに成長したが、完全に光を遮断できなかったせいで、半透明のからだになった。だけど、薄明かりを浴びてぬらりとする滑らかな肌は、かえってなまめかしい。
 もうすぐ、繁殖期を迎えた青空人魚が一斉に空へ帰る時期が来る。翔びあがる澄んだ影は瞬く間に何もみえなくなる。大空にはただ細波が無数に立ち、僕らの世界にあかるい雨を降らせる。
 僕が弄ぶぬるい水を、人魚が這う。
 僕の人魚は空をのぼれない。ここには深海の圧がないから、目だけが子供のままなのだ。



 あおぞらにんぎょ17 作者:デルタモアイ

海母ゆき子はA村の外れにある「人魚の墓」の掃除をする為に家を出た。空を見上げると夏の爽やかな青空が広がっている。ゆき子は人魚の血を引いていると言われている。それで子供の頃、いじめられもしたし、大人になっても、やっぱり差別する人間はいた。ゆき子もそんな血筋を厭わしく思う事もあったが、それも宿命なのだと二十歳を過ぎる頃には受け入れる様になっていた。生きる事とは、現世に縛られてゆくと言う事・・・。この現世に縛られながら、人魚の子孫として現世を逞しく泳ぎ切ってやろうと心に誓ったのだ。ふと、青空を見上げた。自分とは対照的に、どこまでも自由で、何にも縛られていない青空。正直、少し、憧れた。その憧れを、胸に仕舞うと、人魚の墓へと続く道を、歩き始めた。



 あおぞらにんぎょ18 作者:三里アキラ

 浮遊するジュゴンの母子が、呼吸の為に海へキスをする。ちゃぷん。

 青い海に沈んだ男が海面に目を遣り、寄り添う二つの影を掴もうと手を伸ばす。ごぼり。

 境界は波。遠くの低気圧でうねる。ざばん。届かない。届かない触れない。届かない触れない、他者。けれど互いの存在が見えてしまうのだもの、思いを馳せてしまうじゃないか。太陽が波を焼く。見えないけれど水蒸気が昇っている。もうじきここにも低気圧が来るだろう。天は曇るだろう、嵐が来るかもしれない。母子は太陽を目指す。目指して高く、もっとずっと高く、どこまでも高く。次の呼吸は成層圏を抜けてからだ。闇の宙へキスをするのだ。そのまま重力圏を抜けて旅立つのだ。遠く遠くへ。誰もいないところへ。それが幸福の海だと信じて。男からはやがて見えなくなる。見えなくなるがまだ海面を見つめ続ける。忘れよう、忘れるべきなのだとそう言い聞かせる。けれどまだ目を逸らせない。まだ。ゆっくりと沈み始める、深く下へ、意思とは関係なく。遠くなる。涙はそのまま海へ溶ける。涙とは何か。羊水のように海が包む。目を閉じる。やがて眠る。

 ほら、やっぱり雨が降り始めた。



 あおぞらにんぎょ19 作者:JUNC

別れ際にみかん。
慌ててポケットから出した、
くしゃくしゃの赤いハンカチにくるんだみかん。
そっと黙ってあいつがくれた。
走り去ったあいつの背中を見ながら
「好物じゃんか」ってつぶやいてみる。
おまけに。いつもの固すぎる結び目を見つけてしまった。
最後だと思うとほどけない。ほどきたくない。
あいつの好物なのに食べられない。食べたくない。
どうしたもんか。立ち尽くして散々悩んで。
青すぎる空に、思いっきり投げてみた。
舞い上がる様を見ていたくて、目で追った。
太陽が眩しくて目を細めながら、確かに僕は見た。
尾ひれをヒラヒラさせながら泳ぐ真っ赤な金魚を。
ピチャって跳ねた音がして、空に消えてった。
残ったのは、晴れ渡る空に、ゆっくりと僕の頬に伝うしずく。



 あおぞらにんぎょ20 作者:松浦上総

 青空に僕は、白い人魚をさがす。大好きな母さんが、いつか教えてくれた。
 幸せの人魚みつけることができたら。願い事はかなう。僕は強くなれる。
 今は君のため、僕は人魚をさがす。君を守るため、僕は空を泳ぐ。
 泳ぎつづけ、さがしつづけて、やっとみつけた小さな人魚。あたたかく僕をつつむ、それは君の手のひら。
 君を守る。守りつづける。だから、僕はこの手をはなさない。
 君のために僕ができること。たったひとつできること。

 大好きな母さんを、僕は守れなかった。伸ばした指の先、白い人魚がにげた。
 遠ざかる後ろ姿を僕は追いかけたけど。息のつづくかぎり、走りつづけたけど。
 君のために僕は、もっと強くなるよ。君のために僕は、きっと強くなれる。
 幼い日に、握りしめた、白いちいさな幸せは、空にのぼり、雲になって、もういちど舞い降りた。
 君が微笑む。君が寝ころぶ。こんなにも優しいこの世界。
 芝生の上で手のひらをかざす。君と空を見上げる。

 大好きな母さんに、僕は叫んでみたい。幸せの人魚、ちゃんとみつけたよって。僕は強くなったって。



 あおぞらにんぎょ21 作者:junes

 巨大な撮影セットの背景は青空。

 全身に薄い布と自分の艶やかに長い髪の毛だけをまとったミカはワイヤーで徐々に引き上げられて行く。


 ミカは小首をかしげながら真顔で「他の誰も私を欲しがらなければ、タカハシの恋人になるかも。」と僕に言うこともあった。
 完全なる自信のもとの残酷な慰め。
 他の男たちともめた時の一時避難所のような存在になるのがせいぜいの僕だった。
 ミカの身勝手さに対する怒りも、本人を前にすると「無」になる。ミカの美しさと天真爛漫な言動は、残酷な説得力を持っていた。

 当時人気の先輩カメラマンへの紹介を頼まれた時だって、ミカの犠牲者が増え、新たな自分の葛藤を生むという予想はできたのに、「お願い」なんて指先を握られると断れなかった。

 泳ぐような自然な姿態で青空に漂うミカは、完璧に美しい。
 天女?いや、空に浮かぶ人魚だ。
 来るんじゃなかった。
 僕はミカを見続けることが苦しくなり目を閉じた。


 その後のことは、いまだによく思い出せない。
 
 ミカは突然の事故で亡くなった。


 何年も経った今、青空に浮かぶ人魚の姿のミカを鮮明に思い出すようになった。
 あの頃の苦しさは少しずつ薄まり、僕は再び、今度は永遠にミカに恋焦がれるだろう。



 あおぞらにんぎょ22 作者:伝助

 嗚呼。ひもじい、ひもじいな。おひさまをさけて落ち葉のかげにかくれ、わたしは雲ひとつない、あおぞらをやや恨めし気に見上げた。ちょっと前に魔女さまに『代価』としてもらったお金も無くなりそう。
 どうしようかなとおもっていると、ぐぅいーん、ぐぅいーん、と脚の先がひっぱられた。
 あら。こんなからからに乾いたわたしの蜘蛛の巣にひっかかるなんて、初心な男。やせおとろえた肢体をうごかして獲物にちかよる。それとも一本かけた七本脚の女郎蜘蛛なんてものめずらしさから向こうからちかよったのかしら。
「やった! ふかふかベッドだ。ワーイ」
 巣の上でとびはねているのは、若いバタフライだった。
 一発、頬をひっぱたいてから話をきいてみると、その娘は、かねもちの男をあてにして故郷からとびだしたのはいいけど、かんじんの男はべつの女と結婚するとか、しないとか。姉がむかえにきて、帰っておいでと言ってくれだけど、
「いまさら帰れないじゃん。そんなら、つぎは、空だーって」
 からからと笑いながら言う。「湿っぽいのは、ダイッキライです」



 あおぞらにんぎょ23 作者:ドン・ハンギョ

 いつもの岩場で釣りをしようと出かけたら、人垣が出来ている。岩場は立ち入り禁止になっていて、テレビカメラまで来ている様子だ。
 仕方ないので堤防の方へ移動すると、突然、びしょ濡れの女の子が目の前に現われた。女の子は無言のまま、てのひらを開く。そこには、一枚の貝殻が握られていた。海の中で拾ったのだろうか、濡れた貝殻は不思議な光を放ってる。女の子はてのひらを閉じると、親指で貝殻をはじき上げた。ぼくは空を見上げ、貝殻の行方を追った。
 びしゃっ。
 何かがぼくの足にからみついた。ぼくの身体に何か大変なことが起こっていることは分かっていた。しかし舞い上がった貝殻は落ちるどころか空の深みにキラキラと沈んでいくようで、ぼくはいつまでも空の貝殻から目を離すことが出来ないのだ。



 あおぞらにんぎょ24 作者:はやみかつとし

 浮き袋をうまくふくらませると、ちょうど空気と同じ重さになります。
 尾びれの動きひとつで、上へも下へも、自由自在に動けます。
 でも、人魚はあこがれをなくしてしまったので、まるで自分が空に溶け入ってしまったように感じてしまうのでした。とうめいな人魚。とうめいなかなしみ。
 空の一部になって、誰からも見えなくなってしまうことの、それなのに何というすがすがしいよろこび。

 ──遠く下のほうから、さえずるような明るい声がとどきます。
 ちいさな子どもが、目と口をいっぱいに開け、顔をかがやかせて、人魚のほうを指さしています。

 そうか……あのこの、あこがれ。

 人魚はほほえみ返し、透きとおる空の高みへ向けて、ゆっくりと泳ぎ出します。
 子どものまなざしが、人魚を突き抜けて空の高みを見つめています。



 あおぞらにんぎょ25 作者:春名トモコ

 芝生に寝転がっている僕の周りで、キミがつたない足取りでボールを追いかけている。桃色のスカートはまるで人魚の尾ひれみたいに忙しくひるがえる。
 僕は目を閉じた。まぶたの裏には空の青が残って、ひらり、ひらりと、桃色の尾ひれが横切っていく。
 やわらかな春の日差しとキミの笑い声に浸っていると、僕の中で幸せな気持ちが増幅されていくんだ。
 桃色の尾ひれはいつまでも優しい熱を放ち続けるから。

 何度でも僕はこの残像だけで満たされてしまい、極彩色の沼から抜け出せない。



 あおぞらにんぎょ26 作者:不狼児

かえりたくない
たまごのままで いたくない
かえりたい
うみのなかへは もどれない
かえったら
おしおきだ きっとそうだ
かえれない かえれば かえる
はだかのにんぎょ
ひのひかりが いたいよう



 あおぞらにんぎょ27 作者:楠沢朱泉

「しけた顔してるわねえ」
 ため息をつくのと同時に下の方から甲高い声が聞こえた。足元を見てみると、水たまりから顔を出していたのは人魚だった。
 携帯の電波がかろうじて入るような、三六〇度山に囲まれた土地に来て喜んでいるのは脱サラした両親だけで。行動範囲を広げてみようと前向きになったら、予告なしの豪雨。天気予報の馬鹿。信じた私はもっと馬鹿。ため息ついて何が悪い。
 という気持ちが伝わったのか、人魚は鼻をフンとならした。なんかムカツク。陶磁のような肌といい、フワフワの金髪といい、私以上にこの盆地に合ってないくせに。
「こんな日だと、あっちの方角に虹が見えるわよ」
 人魚の指さした方向を見てみる。手前には風に揺れる田んぼ。遠くに迫り来るような杉の山。その奥にはすっかり雨雲の去った空。まだ、私にはこの風景の良さはわからない。
 わかるのは、待てど目をこらせど探す物は見えないということ。
「どこにも虹なんて見えないじゃない」
 この嘘つき。ちょっとどころかかなり期待しちゃったじゃない
 人魚をつまみ上げてやろうとしゃがみ込むと、すでに人魚はいなかった。水たまりにはどこまでも澄んだ青空が映るのみだった。 



 あおぞらにんぎょ28 作者:瀬川潮♭

 寒い晩なので梅酒をやった。
 お湯割だ。
「こんにちは」
 今入れた梅酒のお湯割から立ち上った湯気が、ねじれるようにくるっとうねって人魚の姿となった。白い肌に白い鱗の下半身。胸を両手で隠しているのが愛らしい。つ、とまたひねるように浮き上がった。長髪がうねって梅酒の甘い香りを振りまく。彼女は二度と喋らない。先のは幻聴だったのだろう。やがてしなやかな姿は膨らんで、消えた。
 もしかしたら幻覚かもしれない。
 そう思いながら干して二杯目を。
「こんにちは」
 幻覚ではないらしい。
 その晩、珍しく飲み過ぎた。

 妻と梅林を散歩した。
 寒いが空は青い。
「あら、あなた。人魚」
「見えるのかい?」
 そらに、白気が立ち上るように大きな白い人魚がくるくるうねりながら高く、高く。
「絵本みたい」
「そうだな」
 ひらがなのような柔らかさで妻は言う。
「あ」
 妻が指差す。
 眼下のくぼ地、小さな湖畔に白い角隠しと黒い取り巻きの姿。
「ことほぎだな」
 ひらがなで言ってみた。
 身を寄せた妻の手が温かい。



 あおぞらにんぎょ29 作者:ぶた仙

 透き通る冬空に雲のメッセージがぽっかり浮かんだ。
「フク ムリョウハイフ」
 さっそく出掛けたところ、福々しい男は「もう福は残ってないねん、服で我慢してくれや」と言って、下半身魚の着ぐるみを舟から放り投げた。おれは男だぞ。まあ男の人魚がいたっていいか。
「オープン ブンコ」
 男に教えられた呪文を唱えると、着ぐるみは俺を青空へいざなった。
「気持ちいい。これぞまさしくオープンスカイだ」
 声を出したのが失敗だった。いきなり小槌で叩かれる。
「電波でまき散らすのは、おやめ」
 見ると美しい女が柳眉を逆立てて俺を睨んでいた。その向うでは好々爺が何人か集まり「ゲホゲホ、飛行機が増えてかなわんわ」と喚く。
 しぶしぶ海辺に戻った俺は、今度は白波のメッセージを発見した。
「△×◎ リークス」
 メッセージの主らしき白髪の男が富士をバックに嵐を従えている。何だろうかと思う隙もあればこそ「敵はホークスだ!」という怒号と共に大風が吹いて、茄子で出来た7体のにんぎょうが宝船と共にバラバラと落ちて来た。

 うん、良い初夢を見た。今年の運は開けそうだ。



 あおぞらにんぎょ30 作者:根多加良

 海は上昇を続け、地球のすべての陸地を飲み込もうとしていた。
 僕の足元には海が広がっている。地平線の向こうに揺らめく影は富士山。それにアリのようなものが上から下へミッチリと重なりあっている。恐らくあれは日本で最後まで生き残った人たちに違いない。風が強く吹くたびに、ぱらぱらと海へ落ちていく。
 僕はその光景をプカプカ浮いている「関根ガラス店」の看板の上で眺めている。もう三日もなにも食べていない。

 日が暮れて夜がやってきた。月光の下で富士山は舌の上の氷のように消えてしまった。

 数えきれないほどの朝と夜がやってきては過ぎていった。どんどん空が近付いてくるのがわかった。酸素が薄くなって息苦しい。

 ある日のお昼。僕の体は看板から滑り落ち、海へ沈んでいった。
 ずいぶん高いところまでやってきたようだ。どこまで落ちていっても底が見えない。
 背伸びをした。ずっと看板の上に横たわっていたから筋力は落ちていたけど、動けない程じゃない。宙返りをしてみた。意外と上手くいった。
 お腹が鳴った。急に動いたからからだろう。ご飯を食べに、おうちへ帰ろう
 光飲み込む青空の中を泳いで、赤い屋根を探しにいく。