500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第156回:永遠凝視者


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 永遠凝視者1

 海面から突き出た岩の上に今日も『岩じい』はいる。大雪の日も、猛暑の日も、岩の上にただ座り続けていた。岩じいは百年以上前からいる妖怪だと、この町の小学生は本気で信じ怖れていた。だが成長するにつれ誰も気に留めなくなる。道路の真ん中に祀られている木のようなものだ。ふいに思い出しては一瞬不気味に感じる、そんな存在だった。
毎日岩の上で何をしているのか町の誰も分からない。だが僕だけは知っていた。
『この、うち寄せる波がひと時でも止まればあなたと一緒になりましょう』
 岩じいにそう言ったのは僕、正確には三つ前の前世の僕(女)だ。岩じいはその言葉を信じ、決して見逃すことがないよう昼も夜も岸から離れなくなった。すでに別の男と恋仲であった僕はそんな岩じいを無視し、やがて存在すら忘れた。
 教室の窓から海岸が見える。怖いもの見たさで岩じいを探す。何かが違うと思ったのと同時に、心臓が氷の手で握りつぶされた。こっちを見ている。やっぱり生まれ変わりの僕に気づいているんだ! 執念で何百年も生きている岩じいならそのうち波だって止めてしまいそうで、約束を果たせといつか襲ってくるんじゃないかと、僕は気が狂いそうなほどの不安と闘っている。



 永遠凝視者2

 さらさらと流れる川は、名前をひととき川と言います。

 こと、と音がしてマグカップが置かれる。紅茶の香り。
「そろそろ休んだら?」
 マグカップの中身はミルクティで、おそらくわたしの好みに合わせてたっぷりのお砂糖が入っている。右手で持ち上げ、くちびるをつける。甘い。
「その写真、この前のバーベキューで撮ったやつだよね?」
 パソコンのディスプレイを覗きこみながら訊かれる。そうだよ、と返した声は、若干そっけなかったかもしれない。疲れると夫に当たってしまうのは、よくないとはわかっている。わかってはいる。

 思い出マッピング。思い出をデータ上で再現する技術。最近はお手軽なサービスも出てきていて、本職の技術者は商売あがったりだ。私も技術者の一人。「だった」といったほうが正確かもしれない。本職での仕事は長く受けていない。
 今は捏造マッピングとでもいうべきか、虚構をデータにすることを仕事にしている。実在しない場所、実在しない人を用いて実在しない出来事を再現するのだ。

「ほどほどにね、おやすみ」
 そういって寝室に行く夫を、ひととき川氾濫時の人柱に捧げたことは、内緒。
 人柱は竜神さまの召使いとなる。



 永遠凝視者3

ふと立ち止まり、萌えが燃えになるような新緑の中にいた。例え、哀が愛に変わりようとも、時の流れが外をうなっている。私、此処、今。特定出来ない妖しさの中で、新緑をはためかせる光の舞いが美しい。凝縮と拡散が宇宙であるならぱ、一点と全は、或いは微小と極大の、あるバランスが有るに違いない。夢幻から幽玄、有限から無限へ。

漸く、光が語り始めた。想いとは愛の偏光、偏向。始めと終わりには必ず愛であり、愛になる。だから私は舞う。永遠の中で。忘れて永遠の外でも。

そよ風が肌を欹てる。感覚が、永遠からの帰りに空の波を添え、揺れがランダムと有為の間柄を伝える。近く遠く、哀を超え、止まらない時の中で、美しい旋律の鳥の鳴き声が聞こえる。



 永遠凝視者4

 一周するのに4分33秒かかるベルトコンベア。
 その上に乗せられただひたすらに演奏を繰り返す『4分33秒』。
 設置された一台のビデオカメラがベルトの決まった一部分のみをただひたすらに撮りつづける。
 問題。このカメラが映しているのは楽曲の何秒目から何秒目までの部分か。



 永遠凝視者5

 春になると土から眼玉が湧いてくる。縁起物なので拾い集め、瓶に詰めてテーブルの上に飾る。乾いてしまわないようにときどき水をやる。乾くと割れてしまうが、水さえ切らさなければ、その瞳がぐるぐると動くのを冬の時期まで楽しむことができる。
 わたしの恋人は異境からやってきたヒトで、瓶詰めの眼玉を怖がる。それがどんなに癒しを与えてくれ、幸いを運んできてくれるか、恋人は知らない。眼玉の前でキスをするのを嫌がる。ハグさえ拒む。何に脅えているのかわからない。
 季節が移り、異境の地と戦が始まった。恋人は故郷に徴兵されることになった。旅立つにあたり、まずはこの忌まわしい眼玉を潰していくと恋人が言ったので、わたしは躊躇なく恋人の額に銃弾を打ち込んだ。恋人の眼玉はだらりと眼窩から落ちてきたが、拾わなかった。それは仮の生命に宿っていただけのもの。永遠を見ることはない。
 凍った湖に小さく穴を空け、瓶から眼玉を流し込んだ。眼玉はわたしにその瞳を向けたまま漂い沈んでいく。春になるとまた幸いを運んでくる。その頃にはこの戦も終わり、眼玉もわたしたちのところへ戻ってくるのだ。



 永遠凝視者6

わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしを見ろ。わたしが見てるから、わたしを見ろ。



 永遠凝視者7

 サラリーマンが行き交う週明けの駅前に預言者が現れた。
 なんでも、遥か未来のことをピタリと言い当てるそうだ。
「七百兆日後の世界は……」
 なっ、七百兆日といえば、二兆年後じゃないか。
「月曜日です」
 人類が生きていればな。



 永遠凝視者8

 あの人達は文字通り次元が違うから。無理無理無理無理、真空並みの透過性を誇る私でも、あれは無理。



 永遠凝視者9

 螺旋階段を上る。いつか歩いたいやいつも歩いた階段だ。丸い灯台のような建物でその壁の内側に階段がついているつまり中心は狭い吹き抜け。
 時は黄昏。螺鈿階段を上る。上るって行為はすべからく下るためにするもんだとは登山好きの知人が言った言葉だったか。人生降りるというか幕を下ろしているんだなと上りながら奴の言葉を噛み締める。
 夢は画家だった。塗り絵のライオンにレの字だけで色を付けていたら才能があると褒められた。自分も信じ込んだ。いつか俺のレの字で世界を塗りつぶしたいと思ってた。俺の手で世界を変えてやる、新しい世界を見せてやる、と。
 上っていると時折狂った鴉のような叫びが響く。決まって吹き抜けを下まで逆落としに誰かが急ぐ。他人事ながらやり直せなかったのかと思う。
 ただ、やり直せないんだろう。
 俺も階段一段ごとにレの字を付けながら上っているが、書き殴ったレの字が増えているのだ。もう500文字は並んでいる。上り続けているはずなのに。
 また悲鳴がドップラー効果。誰かが時計の砂のように落ちていく。



 永遠凝視者10

囚人が一名脱獄した。独房の壁には大きな穴が開いており、そこから外へ逃げ出したと考えられる。
看守は頭を抱えた。「くそっ、道具もなしにどうやって……!」
「不可解な行動は何もなかったのか?」と所長。
「いいえ、特には……。あるとすれば、収容されて以来何かにとり憑かれたように、永遠とあの壁を見つめていたくらいで……」
「! ま、まさか!」
「どうしました?!」
「恐らくやつは『穴が開くほどに』永遠と壁を凝視し続けた結果、本当に視線で穴を開けたやがったんだ!」
「な、なんだってー!?」



 永遠凝視者11

虚空に響くは、いつのことばか。百尺竿頭一歩を進める。だれでもが、できることではない。生まれながらに、法器が大きくなければならない。器が小さければ、すぐに赤く膨れあがる。白く縮小する。虚空に霊山あり。中の器は、内に秘める炎があまりに強いと、内側から爆発する。それに耐える。自分の器が、どれほどであるかは、なってみないとわからない。ただ、おのれをいじめ、鍛えぬく。物質としてのからだを、極限にまでおいつめる。修行の日々だ。霊山に宝塔あり。ひたすら座る。只管打坐。動かない。われとは何か。どこから来たのか。どこへ行くのか。いっさいの疑いを捨てよ。ただ、ここにいる。固い信が、中心に生じてくる。宝塔は霊山を宝塔し、宝塔は虚空を宝塔す。さらに一点に集中させる。崩壊ではない。末路でもない。それを信じる。世界の頂上に立っている。宇宙の底が抜ける。透体脱落。落ちるのではない。上昇するのだ。次の宇宙へとつき抜ける。それが、できなければ、この宇宙に生まれてきたかいがない。輪廻転生。いくつもの生を経てきた。心身脱落。僧の瞳が、四十億年の果てに、この宇宙に開いた。



 永遠凝視者12

 フランス人・ルイブライユが発明した六点表記法によって日本語点字も六点の凸(突起)の組み合わせで表せる。一桝に六点、さいころの六の目の右上から下にかけて第一点・第二点・第三点、左上から第四点・第五点・第六点と定められ、一,二,四点の組み合わせで母音、三,五,六点の組み合わせで子音を表し濁音、半濁音、拗音、拗濁音、拗半濁音は六点×二桝で表現される決まりである。読む人は凸面から、書く(打つ)人は凹面からの読みをまず習うが、凸面からも凹面からも同表記の字がある。一,二,四点でウ段、三,五,六点でマ行を示す、「め」である。点訳者が催事などで点字版を打つ速さを競う目打ち競争は、「め」をひたすら打つ競技である。一分間に、小さい点字枠に点筆で「め」を何桝打てるか?というゲームだ。目目目目…慣れた点訳者はダラララと心地よい打音で目を量産していく。
 もう一つ、凸面からも凹面からも同じに読める字がある。一,四点でウ段、三,六点でハ行を示す「ふ」である。目打ち競争で延々と打ち込まれる「め」に対して、「ふ」は話題にもならない。



 永遠凝視者13

 あなたが何を見ているのだかは知らないけれど、それはもはや意思といえるだろうか、わたしには甚だ疑問だ。呼んだって、こちらに一瞥もくれはしないだろうが、本当のところ、あなたが何か見ているのかすら判別つかない。あなたは他に目をやる余裕がないのだから、わたしには無と変わらないように思えるが、形のないものに頼って生きているわたしも、実際無であるところのまぼろしと変わらない気もする。先人よ。いつかわたしもそうなるだろうか。  かわずとびこむ水の音。  瞬きも捨てたあなたはもう、此処にはいないのだろう。わたしたちを置き去りにして。



 永遠凝視者14

望んだところでなれるわけでは無いし、望まなかったからと言って免れるものでも無い。
そういうものらしい。ここに来て初めて知った。
いや、「知った」のでは無く「わかった」と言うべきだろう(多分)。それに「来た」というのも正しくない気がする。いつの間にかいたのだ。そもそもどこなのか?「場所」と言っていいのだろうか?
唯一ある(与えられた)のは透明な管。見える部分の中程が細く縊れている。かつて「砂時計」(確か)と呼んでいたものと似ている。確かめる術など無いけれど。
内部では細かな粒子が絶え間無く降り注いでいる。それらは上部から現れ、細くなった部分で一旦溜まって下の方から細く零れ落ちて下部へ消える。
いや、「落ちる」と言うのは正しくない。「上」や「下」などここでは意味をなさない様なのだ。
そう、粒子の色を選ぶことは出来た。いつか見た星の色、輝きもそのままに…その筈なのだが本当はどうなのだろう?「色」と言うものはここでは意味が無い。
ああそうだ仕事だ。仕事(の筈)だ。これを見つめていなければならないのだ。そう、見つめ続けなければ、一日中。いや、一にチナドトイウモノハ…。



 永遠凝視者15

「なんだ死んでも魂あるじゃないか」と思うが早いか物理の制約をほぼ脱した僕をおきざりに地球は軌道を走り去っていった。さようならあああ。
屈託も自己欺瞞も無くした僕はあらゆる記憶にアクセスできるので、宇宙紀元138億年の今日この頃は宇宙全史を一年に換算すると元旦0時0分0・00(ここで0を79個省略)04秒あたりの誕生直後に過ぎないことも早速思い出して先が思いやられる。これは暇だぞ。
そう思った二万年前の記憶も、いまだ鮮明だ。

「世界ってライヴなのビデオなの?」という質問が賢い姪から出るとそれはアラーム。
「ビデオだよ。心はビデオを鑑賞していて解釈は勝手だけどビデオの内容は変えられないのさ」
人類はとっくに滅んだと思うがいつかライヴの知性体に出会ったら、その容量と形式に見合った刺激が与えられるように無数の文明をシミュレートしている。文明の養殖あるいは園芸。
普段はどれかの誰かに没入して暮らしていて、今回は幸福で。
時間の流れが違うので、醒めるまでにこの生は終わる。自分が神だと気付いたまま過ごす余生。

僕みたいな流離う魂は限りなくいるはずだから、この宇宙で自分が知性体だと思っている存在のほとんどはキャラだ。
世界をいくら分析しても自由意志なんかあり得ないのになぜか自由意志という概念が否応なく介在するなら、そこ、ビデオ。