500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

水系 作者:はやみかつとし

[第31回・たなかなつみ選]

 宵闇を抜け、黒光りする水面がたゆたうのを越えて懐かしい水田の村に戻ると、叔父たちの住んでいた家は床すれすれまで水に浸かっていた。十畳ばかりの寝室はほんの僅かに傾いで、四枚並べて敷いてある布団の一番向うはもう水没しかけていたが、その部屋に祖父が何事もないように床の間に背を向け、裸電球一つ点して座っていた。この慢性的な増水で水没するのが確実だったこの家に、叔父たちに代わって留まっているのだ。祖父は「区長」だったから、その責任感もあったのかもしれない。床の間の上には「区長」になりたての頃の祖父の、セピアがかった写真が額に入って飾られている。
 祖父が私のほうを見やるので、一番手前の布団だけは、端が少し水にかかってはいるものの、まだ大丈夫だとわかる。このくらいならあと数晩はしのげるだろう。横になり、枕に耳をつけると、ゆっくりと寄せて返す水の鼓動が伝わってくる。



不可侵 作者:はやみかつとし

[第27回・たなかなつみ選]

切り立った崖の怪我はひどいのですか、と聞いた端から大地は黄色く干からびていく。コンドルの背中から一瞥して別れを告げる。



蜘蛛の糸 作者:タキガワ

[第24回・タカスギシンタロ選]

 ひらりと君が、目の前を横切ってゆく。
 君のハネが震わせた空気に、キラキラと光が散る。一緒に行こう、と君は私を誘った。遠くまで。
 ハネを持たない私は、ただぶらぶらと風に揺られてそこにいた。畳み掛けるように君は言葉を重ねるが、私がどうすればその場所へ行けるのかについては、何も言うつもりはないようだった。
 私の流した糸が、風に煽られて君に届く。君が少しだけ怯えるのが解った。私はそのからだを縛り、あしを絡め、ゆっくりと確実に、君を繋いだ糸を手繰る。
 恨みごとを言うかともおもったが、君はかすかに息を吐いただけだった。
 力なく開閉を繰り返す、まだ自由なハネを私は踏み躙る。柔らかなハネが落ちる。風に吹かれて、君が乾からびてゆく。
 私のからだは、君が散らしたあのこまかな光を浴びて、ひとりでに輝きだしてしまう。



あるこどものおはなし 作者:まつじ

[第20回・タカスギシンタロ選]

 こどもたちは迷っていた。
 道はいくつにも枝分かれしていて、どこへ辿り着くのかまるでわからない。
 雑木林の中をのびるたくさんの道のうちのひとつを、こどもたちは思い思いに選んで進んだ。
 けれど、こどもたちは迷っていた。
 この道でいいんだろうか。

 ひとりのこどもが途中で、大きな扉に出くわした。
 道の上に、扉だけしかない。
 おそるおそる扉をひらくとそこは、がらくたばかりがまとまりなく散らばっている白い部屋になっていた。
 こどもはそこが気に入ったようで、がらくたを適当に組み立てたりして遊びはじめたのだが、やっと出来上がったのはやっぱりがらくたで、何か違うな、と、せっかく作ったのを壊して、また新しいのを作りはじめる。
 作っている途中で、組み立てたがらくたがバランスを崩して倒れた。
 それでもこどもは最後まで作ったが、結局気に入らなくて自分で全部壊して、もう一度作り直そうとすると、今度もがらくたは途中で崩れて、形になりそうになっては崩れた。
何度も何度もうまくいかなくて、こどもはがらくたを壊しながら暴れた。
 少し、時間が止まったように動かなくなる。
 そうやって、飛び散ったがらくたをしばらく眺めていた。
 それから、こどもはまた静かにがらくたを拾いあつめて、壊しては組み立てて、組み立てては壊している。



鉛 作者:なつめ

[第16回・タカスギシンタロ選]

 彼の喉元が急に重くなった。鉛のかたまり。なんで鉛なんだろう。彼はぼんやりと思う。よくわからないが、それでも自分の喉元に生まれて重くのしかかるのは鉄でも銀でもない、にぶく光るねずみ色の鉛のような気がするのである。彼はもう何度となく、時節生まれるこの小さなかたまりを呑み込んできた。ある時は両親の喧嘩だったり、ある時は友人の裏切りだったりした。
 この鉛のかたまりはなんなのだろう。呑み込んだかたまりはどこへ行くのだろう。自分の内で融けて再び自分の血肉となるのだろうか、それとも、自分の奥底に、こつりこつりと溜まっていってるのだろうか。どちらにしても、自分はもうだいぶん重くなっているはずである。その鉛は、呑み込むより他にしようがないんだろうか。
 いま目の前には心から思っていた人のなきがら。「男なんだから、泣くな」父親の声、小学校の先生の声、大勢の声が交錯する。でも確か、心から思っていた人はそんな事は言ってなかった。
 いつもより鉛は大きすぎて、呑み込むには無理だった。彼は慟哭した。肺を震わせ声を、涙を絞り出す。今まで血肉となり、あるいは溜め込まれていた鉛のかたまりが、少しづつ吐き出されていく。



宵闇のガリレオ 作者:宮田真司

[第15回・たなかなつみ選]

 いつのまにかこの列車に乗っていた。産まれた時から乗っていたのかもしれない。ただ、気付かなかっただけで。
 うっすらと西日が差し込み、だけど視野の殆どは群青の宵闇に満たされている。列車の乗客は皆、個人個人の時間を過ごしていて、互いのそれが交わることはない。ゴーストのように半透明な乗客達の時間が隣接した時、ぽぅとほの白い灯りが生まれ、揺らめいて消えていく。
 車窓から眺める風景は嫌いだ。地平まで赤と黄のかざぐるまが埋まり、からからと回っている。時々ドレスの少女が現れて、スポットライトの中で歌を歌いだす。けれど音は空気を震わすことなく、私まで声は届かない。空を覆う青黒い闇が怖くって、だから私は進行方向に沈む西日をずっと眺めている。
 けれど列車はいつでも宵闇で、陽は沈むことも、昇ることもない。停車駅には辿りつかない。あのスポットライトの少女は夭逝した姉だったか、風に回るかざぐるまはあの縁日のお土産だったか。同じ時間の中で、いつも記憶から背をそむけている。

 陽は夜のうちに歩き出す。逃げ出した灯りを探す旅に出る列車は、半球の夜を私達を乗せて、西に沈む夕陽に向かって時速1674kmで逆走する。



旅するレリーフ 作者:雪雪

[第12回・タカスギシンタロ選]

岸のない島の山上の港に裏返しの船が着き、埠頭に乗客を彫り付ける。



切符 作者:佐藤あんじゅ

[第10回・松本楽志選選]

 角を曲がると人が溢れ、いつしかその流れに逆らって歩いていることに気がついた。トランクが他の人のカバンや足にぶつかり、何度も手から離れるので、腰に紐で結わいつけることにする。電車が到着することにより、駅からたくさんの人が排出される。ぼくは顔を上げ、遠くに見える駅の建物の突き出た尖頭だけを見つめて、人の波に逆らい進んだ。
 夕方だった。駅ではさらに多くの人が待ち合わせをしていた。ぼくはトランクと共に、夜行電車の乗り場へ向かう。駅は不慣れであった。今までこの街から一歩も外へ出たことがなく、電車に乗ったことはなかった。エスカレーターを下へ下へと降りた。
 プラットホームにたどり着き、待ってはみたものの電車らしきものはいっこうに来ない。ここは地下五階だ。照明は暗く、人もいない。この場所で本当によかったのか、時間を間違えていないかを確認するため、切符を探す。ポケットには見当たらず、財布にもない。トランクの鍵をかちゃりとあけた。その瞬間、トランクの隙間からトカゲに似た黒い小さな影が飛び出した。それは線路の間に消えた。顔を上げると、駅は消え、あたりには夜の砂漠が広がっていた。



霊感虫 作者:金魚

[第09回・峯岸選]

 人の脳に寄生する虫がいる。大きさは針の先ほど。金色の虫だ。木の幹や草叢にひそみ、美しい声で歌をうたう。ローレライのように。その声に魅かれ耳をよせると、虫は耳の穴にすべりこむ。あるいは古い書物の頁の間に隠れている。書物の頁をめくると、虫はほこりと共に舞い上がり鼻の中にしのびこむ。そうやって虫は脳にすみついてしまう。
 虫は脳を食べる。脳は痛みを感じない。虫は気づかれることもなく、脳をかふかふ食べ進む。ある時、虫は食べるのをやめ、小さな卵をたくさん産む。数万個の卵を産み終えると、卵のかたまり全体を薄い透明な膜で覆う。薄い膜からは少しずつ物質がにじみ出て、卵を育む。きらきら光る金色の卵は、孵化するまでの数年間、その膜に包まれて眠る。
 卵を静かに育んでいく物質は、また、宿主の脳にも作用する。脳のある部分が刺激され、活動は異常に昴進する。すなわち、宿主に霊感と呼ばれるものが訪れる。言葉があふれ詩となり、物語は果てしなく、美しい旋律が絶え間なくつむぎだされる。そしてある日、膜が消え数万個の卵が数万匹の虫になった時、霊感も消える。
 宿主はあるいは狂い、あるいは不安に駆られ自殺する。宿主が死んだ瞬間、虫は脳から体の外へと移動する。口から、鼻の穴から、耳の穴から、しっかり閉じられたまぶたの間からも、光の粒のようにきらきらと輝きながら、金色の小さな虫がさらさらと流れ出る。死者の頭をつつんだきらめく金色のもやは、わずかな風のそよぎで一瞬のうちにかき消され、あとには何も残らない。



星になる 作者:峯岸

[第07回・たなかなつみ選]

 切りかけていた木に祖母が話しかけると木は女になる。腹から血を流している。祖母が私に薬を持ってくるように言いつける。私は木菟となり森の中をくまなく探すのだけども見付からない。
 沙漠へと出た私は穴を掘る。身を潜めていると蠍が私の左のふくらはぎを刺す。たちまち毒が回り私は死んでしまう。私はすぐに生き返る。蠍を罰してやろうとして初めて蠍は私がどういう存在か気付いたらしく命乞いをする。私は自分の目的を話して聞かせる。蠍は途切れ途切れ語り始める。蠍の言った通り夜を待つ事にする。
 夜は星が降ってくるのである。一面が星でいっぱいになる。中で最も綺麗で余り輝いていないものを拾い上げる。とても熱い。私の体は護られているので平気だけどもこれでは祖母やあの女は。空が白んでくる。星を銜え太陽から逃げる。
 幾年も夜だけを跳び続けている内に寒さで私の目は潰れてしまう。私が自分の名前を大声で叫べば方角が自ら私に向かうべき先を示すので何の不安もなく飛び続ける事が私には出来る。そうこうしている内に星はちょうど良い温度になっている。
 祖母は私から星を受け取ると殻を割りおもむろに中身を飲み込む。女は呻いている。祖母は女に歌って聴かせる。歌い終わると女を土に埋める。祖母と私は泣きながら抱き合う。
 次の朝私は木を切りにゆく。その木で少女の人形を作り、私と祖母の娘にする。



秘密 作者:はるな

[第04回・タカスギシンタロ選]

 かわいた花びらが、夜のアスファルトを転がる。それは僕の足首にくるりと絡まり、離れて、道路のすみに吹き溜まる。
 たくさんの花びらが、吹き溜まりの中でころころと戯れていた。かと思うと、それは真っ白なウサギとなり、暗闇の中へ跳ねて消えた。



橋を渡る 作者:峯岸

[第02回・松本楽志選]

 鼻削ぎが現れた。
 橋の中央に立っていてこちらを見つめ鞠をついている。鼻削ぎは橋から出られないので襲われる事はなさそうだけれどこのままでは川を渡れない。とはいえ急いでいるのも事実である。対岸を行き来できる橋は他にないのだから困る。どうにか良い手段はないものか。
 鼻の無い男がやってくる。ぶつぶつ何か呪文の様な言葉を口にしながら鼻削ぎに向かう。一歩々々男はその身を異形化させている。完全な獅子の形になり物凄い声で吼える。鼻が欠けているからなのか籠っている声で不気味だ。鼻削ぎはおかっぱ頭で静かに鞠をついている。もう陽が暮れそうだ。獅子が飛び掛る。
 獅子に喰われながら鼻削ぎはおぼろに微笑んでいる風に見える。鼻削ぎの手から離れた鞠がこちらに転がって来て俺の目の前で止まる。細かい刺繍は白い百合。紅い綺麗な鞠だ。拾おうと身を屈めると鞠がぼやけてくる。もう手を伸ばしても触れなくなっていて程なく消えてしまった。
 鼻削ぎを呑み込んだ獅子は手摺りに飛び乗る。咆哮。首を大きく振り上げるとそのまま石になってしまう。俺が橋を渡ろうとすると野次馬の一人が鼻の欠けた獅子の彫像に寄ってきてこれで金儲けが出来ないものかと画策している。