500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

超短篇ブック・ガイドvol.3

 前回の峯岸選ではお休みをしましたけれども、手に入りやすい作品集を2冊ほどご紹介いたします。


バリー・ユアグロー『一人の男が飛行機から飛び降りる』新潮社文庫
一人の男が飛行機から飛び降りる  いよいよ同時代の超短篇作家として最も重要な作家の一人、バリー・ユアグローです。あたかも夢の中に放り込まれているかのようなとりとめない状況をリアルに作り上げる事で、とても一口では説明出来ない切なさ、懐かしさ、怖さ、危うさ、滑稽さを描き出します。「500文字の心臓」に参加されている方なら皆さん、きっと名前くらいは聞いた事があるのではないでしょうか。

雪 snow

  私はガールフレンドを迎えに駅へ出かける。寒さに備えて、ありったけのマフラーを手当たり次第身につけていく。雪が降っている。列車がホームに入ってくる。だが私のガールフレンドは乗っていない。体じゅう雪玉に包まれた車掌が言うには、ガールフレンドは私に内緒で整形手術を受けて、手術が失敗したので、恥ずかしくてもう二度と私には会えない、とのことだ。
 たがいに相反する無数の想いを胸のうちにたぎらせながら、私は家に帰る。帰り道、何度もあたりを見回して、包帯に身を包んだ人間の姿を探す。もしかしたら彼女がこっそりバスでやって来たかもしれないからだ。
 家に着くと、私は冷蔵庫に入れておいた電話のことを思い出す。私は電話を取り出す。受話器の表面が、古びたレタスのように茶色くしなびている。でもなかの方はたぶんまだ大丈夫だろう。「これを彼女の皮膚移植に使えばいい」と私は考える。流しの水を出し、受話器の外側を慎重にこそぎ落としはじめる。私の両手のなかで電話が鳴る。私はそれに応えない。私は彼女を驚かしてやりたいのだ。ベルは長いこと鳴りつづき、やがて止む。私はうしろめたい気持ちになってくる。もし彼女が本当に私を必要としていたら? 私は彼女を驚かす計画に熱意を失くし、うっかり皮を一枚破ってしまい、痛んでいないところまで駄目にしてしまう。
 私はバスルームに行って、絶望のあまりマフラーをつないで首つり用の紐を作りはじめる。玄関でノックの音がする。列車の車掌が水をぽたぽたしたたらせながら入ってきて、「私のこと、わからなかったの?」と言う。


 この作品が収められている『一人の男が飛行機から飛び降りる』は149本もの作品が収録されている、かなりヴォリュームある超短篇集。出版当初は全体に流れるとりとめのない不思議な雰囲気が読書界で話題になりもしました。その後も『セックスの哀しみ』や、携帯電話への小説配信サービス「新潮ケータイ文庫」にて連載されていた『ケータイ・ストーリーズ』など濃密な超短篇を書き続けています。
 蛇足ですが、ユアグローは多くの悪夢的な作品を描きながら実際に見た夢を作品に流用する事はないそうです。



佐野洋子『食べちゃいたい』筑摩書房
食べちゃいたい  絵本『100万回生きたねこ』は誰もがご存知だろうと思います。幾度となく転生を繰り返す猫の人生を通して、生死や愛を深く描いた児童文学の傑作です。作者の佐野洋子はこの作品以外にも多くの絵本を発表している日本を代表する絵本作家ですが、絵本の他にも短篇やエセーなどでも瑞々しい筆致の魅力的な作品を多く発表しており、最近ではエセー集『神も仏もありませぬ』にて小林秀雄賞も受賞しています。
 今回、取り上げる『食べちゃいたい』では様々な野菜が一人ひとり、どことなくエロティックに語り始めます。

ごぼう

 医者が分娩室から青い顔をして出て来た時、父は、一瞬にして覚悟が体中にみなぎったそうである。「やはり、地球は汚染されつづけていたのです」と医者は人類を代表して父に頭をさげた。私は人差し指ほどの大きさで、母の産道をごぼうのまま通って来て、それでも元気にギーと泣いたのである。私はごぼうであるほか、なんの不自由もなく育った。
 ただ風呂に入れなかったので、水のかわりに泥をなすりつけられた。父は、日本中でいちばんごぼうに適した泥を、一年分としてトラック一ぱいを正月に注文して庭に盛り上げた。私は、女の子だったけどパンツもレースの洋服も来たことなく、朝、学校に行く時、母はていねいに全身にパフで、泥の粉をはたきつけてくれた。私は数学も運動も裸ん坊のままトップの成績だった。子供たちが「ヤイゴボウ」と言うのもはじめの一回だけで、あとは仲良く遊んだ。
 思春期になっても胸がもり上がることはなかった。
 大学に入って恋人が出来た。コンニャクだった。始めてキスしたあと、彼は、医者が「地球が汚染されすぎた」とやはり人類を代表して頭を下げたと告白し、私たちはきゃっきゃっと笑ってもう一度キスをした。


 佐野洋子の文章に難しい言い回しが使われる事はありません。ですが、いや、だからこそ言葉を深いところで掴んでいるようにも見えます。
 超短篇的な魅力のある作品には他に、おとぎ話の異聞を集めた『嘘ばっか』などもあります。こちらも艶やかで情念を強く感じさせる作品集です。機会がありましたら、こちらも手に取ってみて下さいませ。



 今回、自由題の更新が遅れまして申し訳ありません。次回の選を担当する松本楽志はきちんと出してくれるものと思われます。皆様、お楽しみに。
 その松本楽志といえば、井上雅彦編「異形コレクション」の近作「魔地図」に掲載された『皮膚』という短篇が好評の様子。皆様も是非ご覧になってくださいませ。


選者:峯岸 



掲載作品への評

私、何? : 霧生康平

> 私は私を追いかけていた。

 物語の構造よりもまず一人称と三人称の淡いを楽しめば良いのでしょう。幾つもの「私」が入れ替わり立ち替わり巡ってゆく。とりとめのない展開が自分という存在の不安定性すら表しているようでもあります。
 ただタイトルには一考の余地があるのでは。



ピーターの城 : まつじ

> 空を見上げると、そこにはお城がありました。

 空に浮かぶ城のイメージに主人公ピーターのアンビバレントな心情がさり気なく絡んでおり、派手ではないもののしっかりした描写に力を感じます。
 でも、です。これは個人的な趣味かも知れませんけれども、この作品のフックは「大砲」の扱いにあると思います。これを「きっと壊してしまおう」と言い切っている事で大砲のイメージが些か小さく纏まってしまったのでは。橋を「大砲を傍らに置いて、楽しそうに、一生懸命を造り続けている」という部分だけで物語の軸はしっかり通っている様にも思いました。



シュレディンガーの猫 : 瀬川潮

>  雲がえらく高い青空の下、草むらに

 普遍性のある物語をモチーフとしているなら異聞としてかなりの書き換えをしても作品として成り立ちます。ですが物語ではなく、またそれほどの普遍性もないだろう量子力学や哲学的なパラドクスで、その肝の部分が変えられてしまっているものをどう扱えば良いか、かなり悩みました。この作品を「シュレディンガーの猫」と言い切って良いものかどうか。
 とはいえ単にシュールな話として読めばやはり完成度も高く面白く読めた事も確かなので掲載としました。峯岸はさほど量子力学に通じている訳でもないので、この作品についてはどなたか詳しい方の御意見も聞いてみたい処です。



星が流れる : きき

> 満天の星空。雲のない暗い空の海。

 タイトルの通りただ星の流れる、美しい情景を描いた作品。これが物語かというと疑問はありますが、端正に描かれた詩的な文章に引き込まれました。



掲載されていない作品への評

くっつき虫

 何かを擬人的に書いてその後それが何かを明らかにする、というだけでは作品の魅力に乏しいと思います。
 あと、チョコレートケーキを食べて髭に砂糖だけがくっついているのっておかしくないですか? リアリティを感じられず。タイトルも一考の余地があるでしょう。



 絵に描かれた情景が説明されていますが、物語の核となるものが見えませんでした。あと、これは例えば「写真」ではいけないのでしょうか。「絵」である事を納得させる何かが欲しくなります。



毒林檎

 いわゆる「アダムの林檎」の異聞なのですけれども、聖書にはサタンが蛇に姿を変えてアダムを唆したと書かれています。こうした異聞は、いわば解釈の穴を突いた処に魅力が生まれるのではないでしょうか。単に蛇という共通のガジェットがあるというだけでは、やはり弱いかと。
 あと世界に女性がまだ一人しかいないのだからイブが一番美しいのは当然のような気もしますし、他に女性が存在していないのだからメデューサもまだ存在していないんじゃないかという気もします。うーん。



リラ冷えの墓

 センテンス毎の一行空けが利いていない印象。改行と一行空けは、句点と読点の様に違う機能を持っています。



ライブ

 全体に冗長な印象。前半が単なる状況の説明になっており、物語に機能していません。



13番通りの切絵師

 掲載にしようか悩みました。「切り絵師」を見付けて来た処が技あり。魅力的な作品だと思います。  一段落目、語り手が不思議な状況へ行く事への説明にしかなっておらず、物語に機能していない。些か冗長な印象を受けました。勇気を持って、いきなり物語を投げ出してしまっても良いのではないかと。



3年1組の話

 こうした読者にサゲを預けてしまう手法はどんな作品にも使えますから、そういう意味で緩いのでは。こうした飛び道具的な手法は、この手法でなければ書けないという時にこそ使うべきでしょう。



縊死

 リポグラム的な作品。言葉遊び的な作品はその言葉遣いが洗練されていればいるほど魅力が増すものです。もっと言葉選びやリズムに拘泥して欲しいと思います。



あさきゆめのいろ

 老人を自殺させる社会というモチーフは、これまでにも多く描かれてきました。モチーフに既読感があっても他に別の魅力があれば良いと思いますが、残念ながら既読感を超える程の魅力は感じられませんでした。
 あと、機種依存文字の使用は控えて貰えると助かります。



 比喩としての面白さを狙っている作品だと読みましたが、その比喩が作品に機能しているかに疑問がありました。また描写が整理されていない印象も受けました。