500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 作品一覧 > 第26回:松本楽志選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

時の扉 作者:sleepdog

あらゆるものが願望のままに生きていた太古の時代、
恐るべき大罪を飲みこんだ海鳴りが空をも覆う渦となり、
すべてが一個の卵に封じこめられた。

一個の卵。

時は眠る。
さびしげな鐘の音が霧雨のように降りしきる。
扉をくぐって来たぼくは、眠りつづける都市の空を見上げた。
塔だけが青白い気炎を吐いて、ただそこに生きていた。
都市の叡智を吸い尽くした孤高の塔は、展望台に小さな庭をこしらえた。
水もなく、風もなく、歯車の花が大小さまざまに咲き乱れ、
時計職人たちが摘み取りながら、都市の時計をひとつずつ修復していく。

展望台のへりから長い髪がさわりと覗き、
かごいっぱいに歯車を抱えた娘と目が合った。
インディゴ・ブルーの大きな瞳が夕立のようにすばやく潤む。
何かのはずみでかごから歯車が転げ落ち、ぼくの目の前でぶつかった。

一個の卵。

ひびが走る。
さびしげな鐘の音が霧雨のように降りしきる。
ごう、ごう、ごう、と海鳴りが恐るべき大罪を呼び覚ます。
都市の時計は次から次へと逆行し、
扉の向こうに澄み切った水の世界が口を開いて待っている。



3つの風 作者:パラサキ

風がないので風鈴は夢を見ていました。

それは青い空に浮かぶ風船の夢でした。

風鈴は青い空が大好きだったのです。

青い空へ上っていく風船は透明で、

青い空と同化しようとしています。

それがいつの間にか風鈴になり、

風鈴は念願の青い空へと舞い上がっていきます。

そんな夢を風鈴は見ていましたが、

そよ風が拭いて体の内側をチリンチリンと

揺らしました。

風鈴の夢はパリンパリンと砕けて消えました。



16才 作者:木村多岐

 何となく寄った花屋にとてもうつくしく花を扱う店員がいて、けれど私の目が奪われたのはそれが理由ではない。
 彼と私はかつて同じ教室にいた。おもいでになるほどの事はひとつとして起こらなかったが、お互いが大人になっていても私は気付く。
 軽い会釈の後、あじさいを抱えておもてへでると、すぐさま16才が付き纏った。そのせいか、私には細々とした用事が増えた。主に店の前を通りすぎて足すものだ。
 手入れを怠らないあじさいは、まだ部屋の隅で息づいている。萎れてうなだれる間隔は、日に日にみじかくなっているが。
 あたらしい花を買おうか。私が呟くと、16才は嫌々をする。事実、あれから結界でもあるかのように、私はあの店に立ち入れない。瀕死のあじさいをまるごとバケツに入れて蘇らせていると、16才がいつの間にか傍に立つ。私は、ただ黙って見下ろされている。
 どこからやり直せばいいのかが、解らなかった。
 花屋を通れば横目で窺うのは、私の癖だ。ウィンドウのなかに彼の姿がなかった。今日はお休みなのだろうとおもう。



シリウス 作者:はやみかつとし

 未明の冷えきった線路にじっと腰掛けていると私の体温でそこだけ尻の形に凹んでしまう。腰を上げてそっと触れてみると、温もりが退いていくにつれて少しずつかたちが元に戻っているのがわかる。もう一度だけそこを手でなぞり、立ち上がって歩き出す。空が白み始める頃には私の記憶など跡形もなく消えているはずだ。