500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 作品一覧 > 第29回:峯岸選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

月光 作者:北川仁

窓の外に広がっている蠢く活字の作り出す夜の影に、一筋の月明かりが差したその時、明朝体をかき分けて現れた一本の真白い腕が夜を切り裂き、月へ向かって伸びているのが見えた。
 僕は急に、見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって、慌ててカーテンを引いた。そして暗やみに包まれた部屋の中で自らも一片の活字と化して、ベッドの上にカラカラと崩れ落ちてゆくのだった。



安全な恋 作者:マンジュ

 僕らは舌の融合したシャム双生児です。母は産後間もなく体調を崩し他界して、父は呑んだくれて僕らを橋の上から棄てました。僕らは朝な夕な鼻先の触れ合うほど近くで互いの濃い息を上唇に受け止め、互いの舌をしゃぶるように食事しながら今日まで生きてきたのです。
 リズムよく左右に脚を出し自在に歩き廻ります。隙間なく抱き合い睡ります。時折、舌の裏に溢れた唾液を嚥下するため唇を合わせます。
「そんなに煩わしい思いをせずとも舌くらいひと思いに切り離してしまえばいいのに」
 僕らに逢うたいていの人々が、不思議そうに頸を傾ぎ、決まりきったように口を揃えてそう言います。
 けれども僕らは今のままが仕合わせなのです。今のまま、融合した舌を切り離さずにいれば何気兼ねなく二人愛し合うことが出来るのですから。
 何より僕らの融合した舌は、神の思し召しなのに違いありません。母が体調を崩し他界せずとも、父が呑んだくれて僕らを橋の上から棄てずとも、きっとこの関係は何も変わりはしなかったでしょう。
 今日も僕らは唇を合わせ、どちらのものとも判らない唾液をむさぼるように啜ります。



不老不死の秘術 作者:ブンガ

 不老不死を得る方法を探して旅していた男が、とある山奥でひとりの仙人と出会った。
「なに、簡単なコトじゃ。残された寿命をまず半分まで生きるのじゃ。半分まで生きたら、そこからまた寿命までの半分を生きるわけじゃ。常に半分の寿命を残して生きていくことで、不死を得ることができるのじゃ」
「なるほど。不老を得るのはその応用ですね。つまり、年老いてしまう日までの時間を半分ずつ過ごす、と」
「そうじゃそうじゃ。お前さんはなかなか飲み込みが早いの」
 ついに不老不死の秘術を手に入れた男は、何度も何度も仙人に礼をいい、喜んで山を下っていった。
 しかし、ふもとの村までの距離を半分だけ進み、その地点から村までの距離を半分だけ進み、またその地点から村までの距離を半分ずつ進んでいた男は、永久に山道を抜けることはなかったという。