500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

1st Match / 新着メール1件

赤コーナ : よもぎ

「新着メール1件です」
ドアを開けるとペンギンが、マジメな顔で立っていた。
人まちがいかと思ったが、せっかくはるばるやって来て、追い返すのもなんなので、一緒に午後のお茶をした。
ペンギンさんの言うことにゃ、
「メールが来たけど、ケータイ落とし、返信できなくなっちゃって、仕方がないので訪ねてきたの」
まあまあそれはご苦労さま。ところでご用はなんでしょう?
「いえいえどうもこちらこそ、ご用はいったいなんでしょう?」
ペンギンさんの言うことにゃ、
「メールの本文見る前に、ケータイ海に落としたの。相手もご用もわかりません」
まあまあそれは大変ね。お茶でも飲んでちょうだいな。
そのとき私のケータイが、クルックポポウと着信したら、ペンギンぎゃふんと飛び上がり
「新着メール1件です!」
さけんで窓から飛び出した。

青コーナ : フルヤマメグミ

 携帯が震えた。慌てて開いたら、例のごとくスパムだった。
 最近のスパムは凝っていて、知らない女が「忘れられないの……」などと言ってきたり、「逆援助!」などと寝ぼけたアピールをしてきたりする。何が逆援助だ。そんなんで飯を喰えるならフリーターなんてやってないし、僕を覚えてくれてる女の子がいるなら、僕の右手はペニスじゃなくてその子の手を握る。喪男をなめるな。
 実は先日とあるオフ会にて、感じのいい子とメアドを交換した。解散した後、帰途につく電車の中で早速アドレス帳に登録してメールを送り、なんか俺普通の男子っぽいとかちょっと自画自賛しながら、返事を待っている最中だ。
 再び携帯が震えた。彼女からの返信だった。すっかり動転してしまってまともに本文を見ることができず、まずはメールを保存しようとした。ボタンを押して……と。あ、あれ。あれれ。手が滑った。本文を読む前に、メールを削除してしまった。まさか「どんなメールだったの?」なんて聞くわけにもいかない。気分は『こどものうた』の黒ヤギさんだ。いっそ悪魔にでもなってしまいたい。
 かくして僕の喪男歴はまた更新されることになるのだった。



2nd Match / けむり草

赤コーナ : キセン

 帰省したついでに、昔遊ばされた裏山に火を放った。すぐに遠くから悲鳴が聞こえる。まだ火は見えないはずなのに、おかしいと思っていると、泣きながら走り降りてくる子供の影が見えた。その情けない姿がかつての、そして今の自分に重なる。いくつもの嘲笑が見える。舌打ちが聞こえる。俺が首を振りそれを消す間にも、火は燃え広がり、無理矢理食わされた雑草からは煙があがる。走り降りてきた子供が異変に気付き、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた顔をこちらに向ける。俺ははやく降りるように声をかけたのだが恐怖からか子供は動こうともしない。しばらく俺のほうを吐瀉物でも見るように睨んだあと、上から聞こえる囃し声に答えるようにまた山を登っていった。俺は呆然と立ち尽くすしかない。しばらくして、いくつにも重なり合った悲鳴が聞こえた。
 ……遠くからサイレンが聞こえる。俺はふらふらと劫火に近付き、はじめて買った煙草を取り出して、火を付けて、吸い込んだ。熱い。ひどくむせた。距離は保っていたつもりだったが、もしかしたら煙を吸い込んでいたのかもしれない。咳が止まらない、苦しい、畜生、こんなことをしても大人にはなれないとわかっていたのに。

青コーナ : 根多加良

 君が生きるためにはけむりになるしかない。
 わかった、私は生きる。


 やつれた私の手から楕円形のオカリナが落ちる。
 
 こ ろん ころん ころ ん こ ろん
 
 やせた赤茶の斜面を転がっていき
 
 ころん こ 
 
 やがて煙に包まれて、聴こえなくなってしまった。


 あなたと暮らした丘の木蓮に私は今日も抱きついている。
 あなたが子どもだったころには、私は風にたなびく一筋のけむりでしかなかったのに、今では丘を覆い尽くしている。
 けむりの私は、ずっとあなたの肩につかまってばかりだった。

 とさ
 
 その肩が倒れたとき、私はあなたを見捨てて、つかまるものを探して、この木蓮に抱きついた。あたりを見回したら他の草木はいつの間にか枯れてしまっていた。日光を遮ってしまったら生物は生きていけない。
 残っているのは私と木蓮だけ。
 木蓮が倒れたら、けむりは空にいってしまう。
 木蓮の皮がボロボロと剥けていく。自分に泣いたらダメだよと言い聞かせなくてもよくなった、乾いた瞳。私のほうに倒れてくる木蓮。木蓮とわたしとあなた、いつも一緒でいたかっただけなのに。私の身体をすり抜けて倒れて


 ど



3rd Match / サッカリン主義

赤コーナ : イマノ

「サッカリンってのは人口甘味料でな、甘みを強くするために塩と一緒に使われる事が多いんだよ。スイカにも塩をかけるだろ。歯磨き粉にも入ってるんだぞ。」
 毎朝、洗面台に向かうと亡くなった父を思い出す。無学で酒飲みの父が知った風な口を利くのが思春期の頃たまらなく不快だったが、いつも真っ白な泡だらけの口で「おはあよう」と寝ぼけた私を迎えてくれたものだった。数少ない取り柄だったがそんな姿は好きだった気がする。
 
 今日も妻が息子を起こすタイミングで歯ブラシを構えてしまう自分。それに気が付いたのはつい最近のことだったが、いつから習慣になっていたかは覚えていない。

青コーナ : 影山影司

 サッカリン主食なのだ。彼は。茶碗一杯のサッカリンを三度三度の食後に飲み、三度三度の食前にサッカリンを排泄する。目尻からはらはらと流れ出るサッカリンは、ぼろぼろと不純に崩れ流れる。
「サッカリンはね、薄めないと苦いんだよ。甘すぎて苦いんだ」
 彼はサッカリン主義者。サッカリン即ち人生。
「人生ってのはサッカリンなんだ」「うすーく生きたら甘ったるい。濃く生きれば苦すぎる」
 苦渋に満ちた顔でサッカリンを頬張る彼のほっぺたにキスをした。微かにこびりついたサッカリンに舌が痺れ、甘いため息が漏れた。



4th Match / 熊の踊り

赤コーナ : 松本楽志

 影は待っている。ついさっきどこかへ行ってしまった主を。
 かつて血のような赤だったあの絨毯の真ん中に、誇らしげに置かれた古いピアノ。彼の主にとって大切な道具だったそれを奏でるものはいない。主はどこかへ行って帰ってこない。
 影はその時のことを思い出そうとする。ピアノに張り付いてみる。影は音を出すことが出来ない。彼の主のように両手を叩きつけてみても、影の姿はピアノの壁面にするりと逃げてしまう。
 影はいつしか、あのずんぐりとした主がスポットライトを浴び、楽しそうに弾いていた曲を思い出している。その後ろで、主と同じように楽しげに踊っていた自分を思い出している。そして、その思い出に浸るころには、影は主人がいなくなって、もうずいぶん経ってしまったことを思い出している。
 そんな日々はもう、どこにも残っていない。主のない影が踊ることは、ない。
 やがて、日が暮れて、部屋には次第に闇が侵入してくる。
 それは、部屋の真ん中に横たわっているかつて獣だったものも、覆い隠す。
 そうして影は世界に溶けて、今日を忘れる。
 明日もまた、影は待ち続けるだろう。ついさっきどこかへ行ってしまった主を。

青コーナ : 瀬川潮♭

 烈火の最前線ガ島に夜襲があった時、燃える浜辺で仁王立ちしゆるやかに演舞している熊を見た。沖合から砲撃する敵巡洋艦を威嚇しているのか。とてちてた。
 ともかくそれが、直後に銃弾に倒れた私の、ガ島での最後の記憶になった。暑い夜だった。
 この黄昏もそのくらい暑い。遥かな時を偲び、故郷の浜で熊の動きを真似ている。
「おじいちゃん、何してるの?」
 遠く背後で、先月の水難事故から後遺症も無く回復した孫が呼んでいる。
 もちろん、生きているのだ。
 古傷のうずきに耐えながら真似を続ける。砂が鳴るのはこの浜ならでは。上体の捻りが足の裏を伝い、素朴で深みのある調べが紡がれる。懐かしい。顔を上げれば島山が幽然とした佇みを見せる。足を踏み出せば強い音。沖では金剛石のように跳魚がきらめく。突き、薙ぎ。浜に残る足跡は遠く続き、満ち行く波が頁を捲るようにそっとさらう。
 生きているのだ。
 耳の奥に響く音撃がずんずん近付くので、必死に爪を突き出しかき消す。足元の音はまださらわれていない。とてちてたと腕を振り続ける。



5th Match / 君待ち

赤コーナ : 赤井都

 キスをして、観覧車に飛び乗った。私のドアはもう閉まっている。唇の上にあなたの温かい唇の感触がまだ載っている。
 あなたがゆっくりと小さく遠くなる。ビルの間の細い空間を観覧車は上る。月がしだいに近くなる。午後十一時十三分の十四号機。あなたが慌てて乗り込んだのは十五号機。一つ下の箱から見守っているあなたには、私の乗ったゴンドラが、ゆらゆら月に重なっていくように見えるでしょう。
 キン。耳が痛い。体が空に溶けて、私は私の世界に戻る。あなたは二枚向こうのガラスを叩いて叫んでいる。私が月に帰ってしまったと。
 あなたは観覧車に乗る。何度も、何年たっても。古びたゴンドラが輪の一番頂上で揺れる時、私を探して目を凝らす。そしてひとりでゆらゆら地面へ降りていく。
 私はいつもあなたのそばにいるのに。空からあなたを見て、空を私で満たし、あなたのそばにも満ちているのに。
 あなたはゴンドラと共に、老いて痩せた体を揺らし、からっぽの向かいのベンチの上に、少女の姿が現れるのを待っている。けれど私はあなたの周りにいて、あなたがゴンドラの中に満ちた私に気づいてくれるのを待っている。

青コーナ : 峯岸

 もし良ければ明日また遊んで下さい。
 今日、何度も行ったり来たりを繰り返しました。僕の居ない方で君が待っている気がして、もう居ても立ってもいられなかったので。それもこれも乗り換えの、同じ名前の駅が二つもあるのが良くない。約束は君の他に確かめられません。だから心許なかった事。いつの間に走っていました。汗をうんと掻いてしまったから、いっそ会えなくて良かった気もしなくはないのだけども。
 それにもし落ち合えていたとしてもまだ出来上がってなかったと思います。僕らの歌はどんなものになるだろう。君は曲を思い付けなくて僕は詞が書けません。僕らは何でこんな約束をしたのかなあ。何にせよ僕はいよいよ楽しみです。それに嬉しい。これは君が曲を書くのが先で僕にはまだする事がないからかも知れませんね。
 明日会えるとは限りません。歌も出来上がるか判らない。僕らのした約束はお互いが守ろうとしても三つとも駄目になるんだろうと実は気付いています。けれど約束はそれが果たされるかより、した事に意味がある気がするんです。なので僕は明日も明後日も、ずっと形にならない歌を口ずさみます。
 ごめんなさい。僕は僕の空想癖が嫌いです。



6th Match / みぎひだり

赤コーナ : マンジュ

 海陸の境界線に向かい合わせに立つ。わたしの右足とあなたの左足は罅ぜた砂の上に、あなたの右足とわたしの左足は冷えた水のなかへ浸す。わたしたちは長いことそうやって立ち続ける。会話は交わさない。陽は沈みまた昇り、月は輝きまた密やかに白く身をひそめてゆく。立ちはじめてからどれくらい経ったのかは、もう、忘れてしまっている。おそらく重要でもない。しだいにわたしの右側とあなたの左側は乾き、あなたの右側とわたしの左側は湿ってくる。足許から。
 あるとき、本当に唐突に、額の真ん中がしくしくと痛みだす。それは胸のあいだを通り、臍を抜けて陰部を貫く。境界線はとうとうそっくりそのままわたしたちの体表に写し取られる。
 するとわたしたちはどちらからともなく歩み寄る。慎重に。そっ、と、膚を触れ合う。乾いた半身は互いの湿った半身に吸い寄せられ、湿った半身はあますところなく乾いた半身を摘み取ってゆく。わたしたちはそれぞれに孵化し、わたしとあなたと、あなたとわたしになる。

青コーナ : 山本明徳

「どっかの国でね、一つ目のネコが生まれたんだって」
 冷房のききすぎた喫茶店で、アイスティーについていたレモンをかじりながら和美は言った。
「一つ目?」
「うん。奇形なの。すぐ死んじゃったみたいだけど」
 和美の声になんらかの気持ちを煽る調子はなかった。そのせいで僕は「かわいそう」と思うタイミングを失ってしまった。僕は感情のすき間を埋めるため、目がひとつであることで得られる利点を考えてみた。コンタクトレンズ……。それしか思いつかない。
 和美は果肉のなくなったレモンを口からはなし、ぬれた指先を僕の左目のまぶたに押しつけた。ゆっくりとなぞりながらなかなか離そうとしない。
「ねえ、私から見ると右目なのに、きみから見ると左目なんだよね」指先の冷たさが僕の角膜を潤していく。「逆に、なっちゃうんだ」
 ふたりが向かい合ったとき、映るものはアベコベになってしまう。指はまだ離れない。僕は長いウインクをしたまま微笑んでみせた。微笑みは嘘じゃなかったが、向かいの女性には悲しい顔に映ったことだろう。
「コンパスでかく円より、手でかいた丸のほうがいい」
 とつぜん妙なことを言いながら、和美は身を乗り出し、僕にくちづけをした。
「私が望むのは中心のない愛なの」
 左のまぶたはふさがれている。僕は生まれてからずっと一つ目だったような錯覚をおぼえ始めた。



7th Match / 音撃の島

赤コーナ : 無線不通

 空を見上げていたら、陰鬱な気分になってしまった。
 青空に悪気は見られなかったからきっと、雲のせいだと思う。雲はいつだって僕をのけ者にしたがるんだ。
 仕方なく、ギターを持って海に行くと、「おいでおいで」 と、波が僕を海へと誘う。僕は泳げないので少し迷ったが、やがて沖へ向かって歩き出した。
 ギターにしがみ付いて海面上にプカプカと浮かんでいると、小さな島の砂浜に流れ着いた。誰もいないまっ白い砂浜で、潮騒が僕を歓迎してくれた。
 僕はそのお礼に、水を吸って少し重くなったギターでEmのコードを弾いた。すると、ギターから六つの銃弾が発射されて足元に深い弾痕を作った。それを見ていると、なんだか急に怖くなって、もう帰りたいと思った。
 ふと目を上げると、海上に小さなヨットが見える。女の人が乗っているようだった。僕はヨットに向かって、ついつい叫んでしまった。
「おーい!」
 あ、と思ったときには既に、僕の声は音撃となってヨットの帆を貫通していた。ヨットはバランスを崩し、きりきり舞を踊りながら海中に姿を消していった。
ヨットの持ち主はきっと、とても悲しんでいると思うが、それは僕だって同じ気持ちなのだ。
 わかって欲しい。

青コーナ : sleepdog

 砂ずきんは絶壁をゆっくりと垂直に登っていく。島に続々と舟が着き、いっそう数が増えていく。長い氷河期がもうすぐ歴史から追放される。海岸から舐めあがる吹雪もやわらいできた。
 凝固した植物の体は国境兵のように整列し、砂ずきんはそれを造作もなく越えていく。島の頂きをめざすと、うずたかく半月状に盛られた泥のなかに、地盤を揺るがすほどの巨大な蝸牛が眠りについていた。周囲の地面には網目のように静脈が張り巡らされ、海をわたり野を走り、この星のあらゆる叫びを吸い寄せていた。
 先陣は歓喜の目でふり返り、後続の輩に空いているバルブの場所を教えた。歓声はやまない。ついに頭数が揃ったのだ。かれらは呼吸を合わせ、すべてのバルブを一斉に回す。やすらかな蝸牛のなかに熱狂が流れこみ、赤々とふくれあがって地鳴りが島を覆いつくした。
 やがて用済みの古代史が焼かれ、舞いおこる陽炎をつき抜け烈烈烈烈と噴き出す大地の咆哮がぶあつい雲を撃ち破る。雲はうねり耳たぶとなり、島はそのゆるんだ穴の一点をひたすら撃ち続ける。天の耳が鳴きくずれ臨界を超えた時、一瞬ですべての鼓膜が犠牲になった。そして、地表には新緑のにおいがただ広がっていく。



8th Match / くすくす

赤コーナ :

ふと振り返った。一人の帰り道、声を聞いた気がして。
誰も居ないのに、聞こえる含み笑い。振り向くと同時に、回り込んで遠離った。
でも歩き出すと、すぐ背後に戻る。
なんだよ。腹立ち紛れに、勢いよく振り向いた。
誰も居ない。
息遣いだけが、耳の後ろに貼り付いている。
嘲笑っている。狙っている。
すう、と背が冷えた。
一目散に逃げる。両耳を塞いで。聞いちゃ駄目だ。聞いたら捕まる。
逃げ切れなかった。
その後も現れたのだ。決まって一人の時に。
その度に冷たい汗を垂らし、震えを堪えて逃げた。教室で、校庭で、街中で、自宅で。五年、十年。悪意は年毎に増した。医者に相談し、安定剤を飲んでも消えない。旅行中、通勤途中、仕事の合間、賑わう街に仲間と居ても、恋人を待っていても。
皆が離れた隙に奴は訪れ、息が掛かるほどに纏わると、体温と気力を奪う。なのに誰にも聞こえない。
二十年、三十年、声は続いた。結婚し、子が生まれ、親を見送っても。笑う以外に何もしないが、そう知っていても恐怖は消えない。震えは抑えられるようになったが、代わりに躰の芯が重く痺れた。
四十年、五十年。恐怖を理解せぬまま妻が死んだ。
子供達は既に独立していて、葬儀が済むと一人だった。
家は静まり返り、空気も動かない。
なんだ。居ないのか。
本当に消えたのか。
狼狽えながらも、笑いがこみ上げた。無性におかしい。
声を出して笑った。
息だけが漏れた。
くすくす。

青コーナ : ヘコKING

「今日は全国的に笑顔日和です。皆さん、今日も一日素敵な笑顔で過ごしましょう。」

 アレが降り出し始めたのはいつ頃だろうか。
 いつかの日、あの白くふわふわした小さな生き物が空から大量に降ってきた時、各地で笑顔フィーバーが巻き起こった。
 ウチの両親はいつも笑ってしているので違和感はなかったが、学校に行くとみんながみんな笑いあっているのには辟易した。テレビをつければ、いつもはいかつい顔の政治家たちも皆一様ににこやかに映し出されているし、夕刊では、銀行強盗が満面の笑みで逃走していったことを伝えていた。聞くところによると、抗争中のやくざがお互いの朗らかな様子に不審なものを感じて、笑いながらドンパチをやらかしたりもしたんだとか。普段は笑わない息子の嬉しそうな表情を見た母親が、ショックのあまり寝込んだという話すらある。
 これは神様の善意なのだろうか。
 いや、違う。
 私は乱暴にテレビの電源を切ると、天上でほくそ笑む神様の意地の悪い顔を思い浮かべて、ニコニコしながらぷんすか怒った。



9th Match / ナイタイクスブッチトテポ

赤コーナ : 不狼児

 箱の中で二十年。背の高さにも満たないので、中で立って歩くこともできない、本当に小さな木の箱だ。ニンギョウノイエにしてもみすぼらしい。内部は狭くて、ハテ? 暗かったのだろうか。覚えがない。ようやく返してもらったタマシヒを胸郭に収めると、かれはわたしに、わたしはかれになり、わたしは懐かしい木肌に触ってみて初めて、外側から箱を見ていることに気がつく。とすればわたしは閉じ込められていたのだ。もちろん、見ている情景は既にわたしのものだったから、わたしはソノコトを知っていた。メスブタメスブタメスブタメ……最後まで喚いていたのはかれだったのダロウか。ドウだろう? 廊下には黄色い薄明り。ドアの隙間からこぼれてくる。わたしの記憶はかれが生きたものかもしれない。それでも構わない。十年生きた人間もいれば、二十年死んでいた者もいる。世の中はいろいろだ。失われた二十年を過ごした箱と、足もとにうずくまる萎えた肉体を眺めながら、わたしは悠然とその場を立ち去った。胸がキュン。お腹がグウと鳴る。コンビニならまだ開いているだろう。だいじょうぶ。夜中に食べても太らない呪文を知っている。

青コーナ : 今井モモタロー

!!(チブッチボチベチバチブッチバ)スンダ―!スンダ!!(チブッチボチベチバチブッチバ)スンダ―!スンダ!!ダラバラバ!ダラバラバ!!ダラバラバスブッチトテポ―!タッバラチスブッチトテポ―!!ッア―(ッバド)!ルヤテレク、ンモナンコ、ンモナンコ…………(サガサガ サガサガ)…………、マトッョチ、ッッョチ!!ルヤテレイ、リブキゴ、ニカナノロクフ!!ラオ……ラナイナレク、ラナイナレク……ルテシニナ?カノタメラキア、ウモ、オ……(リポリパリポリパ)……ナーメウ、ナーメウ……(リポリパリポリパ)……メーダ!!レクチテポ、レクチテポ、レクレクレクレクレクレク!!レクレクレクレクレクチテポ!レク、レク!……ノツッイコテッカ……ナイタイク……イコテッカデンブジ……ナイタイク、ナイタイクスブッチトテポ……?アハ……ナイタイクスブッチトテポ



10th Match / ページの向こうに

赤コーナ : 銭屋龍一

今日のノートより

 くすぶり続けててもやっぱり燃え尽きちゃうんだよ。
 ノルマに追われる日々をおくる代わりに週末には彼女を連れて洒落たフレンチレストランに出かけて行けるかもしれない。だけどそんな生活を君は心から望んでいるのかい?
 何かができるのはこの今しかないんだよ。
 未来に何かが待っているんじゃなくて今のそれに続く今のその積み重なりが未来と呼べるものなんだ。
 あたりまえ過ぎておもしろくないかな?
 でも事実なんだからしょうがない。
 なぜできないのかと延々とその理由を書き付けても何も変わりはしない。何万字費やしても変わらないね。
 たとえ一瞬でもいい。激しく燃え上がる炎を見てみたいと思わないかい。
 それができる秘密の鍵は簡単なことなんだ。
 一歩前へ。一歩だけ前へ踏み出してみればいいのさ。
 道はそこから始まっていくんだ。

青コーナ : 雨街愁介

 本というものは、本当に不思議なもので、読む人物により印象は万華鏡のようにさまざまな反応を示す。ある人物は最後のページをめくり、滂沱の涙を流し、またある人物は、本をそのまま壁に叩き付ける。不思議なものだ。人間とはこのようなものなのか、と私たち本は嘆いてしまう。しかし分かって欲しい。私たち本は、人間――あなたがうらやましくもあるのだ。私たちには、紙の字面に描かれていることのみが解答で、それ以外は何も存在しない。外宇宙を人間は覗き見ることが出来る。私たちにはそんなことは断じて不可能、だから私たちは常に読むあなたのことを見ている。うらやましくて仕方がないから。これは一種の恋か? でも時には私たちは捨てられ、売られ、汚された。一方的に。けれど私たちは、ずっとあなたの愛を求めた。なぜなら私たちはあなたがページを捲るまで不確定的な存在で、ばらばらの言語の海に転がる、ジャンクでしかないからだ。そう、あなたによって私たちの言語は物語と化すから。だから最後に言わせて欲しいことがある。私たちのために一杯のコーヒーを捧いでほしい。それが私たちの最後の願いだ。喫茶店で、私たちのためにコーヒーを一杯多く注文してほしい。そして最後のページを捲り終わるまで、そのコーヒーを飲み干さないでほしい。それが私たちの、『種』の、最後の頼みだ。愛するあなたへ。愛を込めまして。あなたの親愛なる最後の友。長すぎたお別れを告げに。



11th Match / シロクマ通り

赤コーナ : 砂場

 うちの街には南北に五キロくらいの細くて長い道路が走っている。通りは中央に二車線、その脇にイチョウ&ツツジ並木のついた歩行者道、そして端にはお店があったり民家があったり。私は一ヶ月前めでたく入学した海のそばの高校への通学にその道を使うようになった。
 土曜日。そういえばさ、変な名前だよね、とちょうど通りの真ん中に位置するハニィで友人に話題提供する。え、なにが。そこの通りの名前。あぁ、そうだよね、なんでシロクマなのかねぇ。は、シロクマ? ん? あっはは、シロクマ? え、なんで? だって、だってペンギンじゃないの? ペンギン? ペンギン? あはははは! なんでぇ?
 街の北に住む者はペンギン通り、南に住む者はシロクマ通りと裏で呼んでいるようだ(普段はまさか呼ばない。にしても水族館も動物園もないこの街でなぜ)、という事にして私たちはハニィを出た。出てすぐにあった横断歩道を指して、あれは赤道、と友人がぼそっと名づけ、チャリ置き場まで行ったところでぽつぽつと雨が。うわ、あたし傘ないよ。あたしもない。じゃ、明後日学校でッ。容赦なく大きくなった雨の中を、ちょっと気持ち良くなってチャリをこぐ。いざ北極へ。

青コーナ : 白縫いさや

 うち棄てられた路地裏は迷路であり、家々の窓から零れるまるくて暖かい灯は、堆積する闇を他所へ乱暴に追いやる。
 路地裏の隅の暗がりから子供たちは、か細く弱弱しい手を伸ばし、僕らに救いを求める。しかし僕らは歩みを止めない。彼女は僕の手を引く傍ら白い傘をゆったりと上下させ、ベージュのコートの裾を翻しながら路地裏を行く。
「ここでは、彼女がいちばんえらいのよ」
 昔、誰かが僕の耳に囁いたのを思い出した。

 彼女はやがて一人の子供の前に立つ。子供は怯え顔を伏せていた。なんとなく、睫毛が長いなと思う。
「行きましょう」
 残酷な顔で微笑む彼女の顔を子供はじいと見ている。彼女は子供に手を差し伸べ、もう一度「行きましょう」と言う。
 子供は彼女の言葉を受け入れ、彼女の妹になる。
 左手に白い傘を持ち右手で妹の手を引き路地裏を行く。彼女が、ここではいちばんえらい。
 石畳を踏むヒールの音が左右の壁を駆け昇る。音は雲のない夜空に拡散し、彼女の新たな妹の誕生を路地裏中に知らせる。
 夜が明けたら、幸せな姉妹は僕と子供たちを残してカフェテリアへパンケーキを食べに行くのだ。



12th Match / どこまでも歩いていく

赤コーナ : 水池亘

 真白な平野を一人の男が歩いている。卸したてのようにぴしっとしたスーツを着こなし、革靴はピカピカに黒く光っている。肩に背負ったオウムが時折鳴く。オハヨー、オハヨー。甲高い足音をカツカツと鳴らして男は歩く。決して振り向いたりはしない。その姿はまるでそうしなければ人類が滅んでしまうかのように真摯で孤高だ。やがて彼の姿は白の風景に溶けて見えなくなる。それでも足音は聞こえている。私にだけは聞こえている。そんな夢を毎晩見る。
 その朝はいつもと違って夢を見ない。目が覚めると見覚えのあるオウムが鳴いている。オハヨー、オハヨー。ハッとして私は耳を澄ます。足音が聞こえない。夢の外でも聞こえていたはずのあの甲高い音はまるで幻のように消えて今はどこにもない。私は悟る。順番が来たのだ。卸したてのスーツに腕を通し、新品の光る革靴に足を入れ、私は光の中へ踏み出す。オウムが飛んで来て肩の上に止まる。決して振り向いたりはしない。こうしなければおそらく人類は滅んでしまうのだ。

青コーナ : ツチ

 ランドセルのフックには、給食袋がかかっている。
 歩くたびに、その中のプラスチックのコップが、ぽんぽんと腰やらおしりやらに当たる。
 うっとうしい。
 あたしはため息をついた。体をゆすって、ランドセルを背負いなおす。
 しんどい、しんどい、しんどいのなんか、あたりまえだろ。
 止まるなよ。止まったら人生、終わりだぜ。
 目の前で、踏切がおりる。足を止める。
 でも、やめたって死なないじゃん。
 ばか、そういうやつは、フツーじゃないんだよ。フツーじゃないやつは、生きてる意味ないんだよ。
 頭の中が一人歩きをして、どうにも止まってくれない。
 止まったら人生、終わりだぜ。違うか。違うのか。
 あんたの子どもに、いいよって言えるか。
 体をゆする。ランドセルは肩がこる。
 そうしてまた、給食袋がはねる。ぽんぽん、ぽんぽん、ぽん。



13th Match / 夜の観察会

赤コーナ : 青島さかな

 夜を観る僕たちを包む夜を観る僕たちを包む夜を観る僕たちを包む夜を観る僕たちを包む夜を観る……きっと一番端っこの僕たちは一番中心の僕たちを観ることができない。それどころかひとつ向こうの僕たちの姿も怪しいものだった。この夜を越えて向こうに行ってみないなんて気軽に君は言う。夜が明けてしまうその前に。それはとてもとても魅力的な提案だけれど、僕らは決してそれをしてはいけないように思えるんだ。だいいち夜は卵の殻のように容易く割れるものでもないだろうし。意気地なし。君は僕を突き放すと夜の中にとぷんと潜っていってしまう。非道く簡単に。
 君は向こうの僕に逢えただろうか。こんにちは。背中から君が声を掛けてくる。私たちが逢えたのだからきっと逢えたんじゃないかな。それでも君は君ではないよ。今日は僕が潜っていくから、君はここで待っていなきゃ駄目だからね。

青コーナ : 神谷徹

 宵からやがて空が白むまでの間、夜は幾千幾万のメタモルフォーゼを繰り返す。闇の濃度を変え空気の質を変え、そこに集い合う夜行生物たちの種を変える。神秘。夜はまさに崇高神秘な小宇宙。だからこうして週末になると我々はこの森に集まり、そのアメーバのような夜の変容を密かに愉しむことにしている。
「リーダー、そろそろ時間です」
 仲間の一人が囁き声で私に双眼鏡を差し出した。気づけば例の時刻がほど近い。それは夜の中でもっとも闇の濃度の高まる時間。その間にはいつも、妖しくも不思議な生き物たちが姿を現す。我々は切り株の影に身を潜め、息を殺してその時を待った。鼻を掠める夜の匂いが、次第に特異な深みを帯びてくる。
 ――来た。我々の構える十数メートル前方に、青白い光の群れが現れた。星蟲だ。星蟲、我々はそう彼らを呼んでいる。彼らは米粒大の小さな生き物で、星の瞬きによく似た光を放ちながら飛ぶ。待ち望んでいた祝祭をあげるかのように、星蟲たちは一斉に夜空の闇を駆け抜けていった。彼らが現れ姿を消すまで、時間にしておよそ数十秒。我々はその束の間の幻想飛行に、酔いしれ、夢を見、またひとつ夜の神秘に感謝するのだった。



14th Match /

赤コーナ : 脳内亭

 円。
 地にどこまでもくるり並んでる。けんけんぱで追ってけば、おなじく向こうからも一人。
(あそぼ)
(いいよ)
((けん、けん、ぱ。けん、ぱ。けん、ぱ。))
 ぱ。ぱ。ぱ。ぱ。と、円も弾み、むすんだ二人の腕を枝に、みかんになった。わ。わ。わ。と、むすびは蝶で、ひらりと幹の左へ右へ。
 雨。
 実は落ちて、くさって泥に、のみならず、なお叩く雨に蜂の巣にされ、あぶない、迫る大群に、蝶はひやりとむすびに戻る。ほどく手に残るは一つ。二人は立ちつくす。
 こたつ。
 ぬくぬくまるまり、なかよくむき合い、下ではかさこそ探り足。見つからない。顔をちらり。
(ふふ)
 ほっぺた重なって、くすぐるにおいに、まぶたもたゆたって、歯が、こつり。あ、
 あ。
 うす目にのぞき見た顔が、顔がはんぶん、ない。

青コーナ : 秋山真琴

歩いている、道を歩いている。かつてといつかを繋ぐ、あの日の稜線に、日が沈んでゆく。境界は見当たらない。すれ違う人は黒影。電信柱に猫の写真。子どもの字で書かれた電話番号は鏡文字。掛けてみても、きっと繋がらないだろうという静かな確信がたゆたう。吐息が夜を遠ざけるが、囁き声はじょじょに大きくなってゆく。時間は誰にでも平等で、その針を押し留めることは誰にもできない。それは希薄になってしまったものにも言える。外灯の下に辿りついた。昔に比べてずっと残り香のようになった私は、それでもこの時間が恐い。目をこらす。この声は、もう誰にも届かないが、それでも見たいのだ。一体、どんな顔をした人間がすれちがいざまに、この私を



15th Match / Follow me.

赤コーナ : 黒衣

 大風の通った次の日、私はそこを訪ねたのです。
 錆びた景観でありました。真ん中に道が一筋――いいえ、それは道というよりは、むしろ、ぽっかりとした空間の連続が、細い帯状に遠くへと連なっているのでした。そうして、その銅色の砂ばかりの帯の左右には、幾万もの朽ちた土塊が佇んでいるのでした。
 膝をついて頭を垂れた人間のような一つの土塊を、後ろから抱擁してみました。継げ。聞け。続いてくれ。どの土塊も、風の隙間に囁きを漏らしているのでした。
 それらは失敗した愚か者なのでした。
 たった一人の内に生まれ、誰もそれを継がなかった遺志。皆のために上げられながら、誰の耳にも届かなかった声。人々に付き従われることに成功した英雄が通っていった綺麗な道の両側には、夥しい数の愚かしい結末があるのでした。
 継げ。聞け。続いてくれ。私は涙が出るのでした。俺たちはいい。続いてくれ。
 愚か者たちは、この期に及んでもまだ、自分たちが潰えても、続く者がいてくれればよい、いる筈だと嘯いているので、それなので、私は泣くのをやめないのでした。

青コーナ : はやみかつとし

「神様に会いに行こう。」
きみが言った。
もちろん会ってなんかもらえなかった。

空が一番広い場所に来ていた。
通り抜けてきた広大な森が、眼下で虹色のグラデーションに染まっていた。
暮れかかったままいつまでもたそがれることのない光が、空一面に満ちていた。

空の一番深い場所まで来て、二人、座っていた。言葉もなく。

どちらがどちらを誘ったのか、今となってはどちらでも構わなかった。



16th Match / ダイヤモンドフィッシュ

赤コーナ : 空虹桜

 ブリリアントカットされたクリスタルガラスを強く握る。発見されたままの形で白く封印された時間は、深海を泳ぐために鱗の組成を八面体構造へ変化させるほど永く強い。パビリオンの尖端が右手のひらに食い込むので、さらに握りしめた。
 5億年あればモース硬度で10を獲得できるのに、わたしはたかが24年に潰され、溺れている。水深1万メートルに比べれば、この世界を泳ぐことは容易いはずなのに。
 握り疲れた右手からクリスタルガラスが零れる。深海を照らせぬ陽は、内側で全反射せず、封印された時間に乱される。
 取り上げて、今度は左手で強く握る。パビリオンの尖端が左手のひらに食い込むので、さらに握りしめた。
 ソーダガラスでいいから、わたしを守る鱗が欲しい。

青コーナ : まつじ

 暗い海の中を、群れが矢のように過ぎて行く。
 海草と岩の間を避けることなく進む。
 その端に触れた岩が砕け、身を潜めていた小魚たちが散り散りになって逃げる。
 危険を察知した一頭のシャチが合図を送り、身をひるがえし彼らが避けたすぐ後を突き抜けた幾つもの影は彼方の海へ消え、遠くで低く鯨の鳴く声がする。
 群れを阻むものは無かった。
 頭上をクラゲが漂う。
 海にそびえる山脈を越える。
 動きの鈍い巨大な船の側面を貫く。一瞬船内に取り残された数匹も、流れ込んでくる水を得て、前方に開けられた穴から群れを追う。船が沈みだす頃にはもう姿は見えない。
 それから暫くは何もない。
 何もない。
 何もない。
 群れが加速する。
 反対側の海から別の群れがあらわれたと思う間もなく互いの群れは衝突し通り過ぎ、旋回すると再びぶつかり、その身を削る。次の旋回で、彼らの一部が海中に届いた陽射しを浴びてきらめく。衝突と旋回を繰り返し硬い体を傷付ける。傷口がまた光を弾いた。
 やがて群れのどちらかが去り、残った群れから一匹が元の形をなくして海面に近づくと削られた体をひときわ輝かせ力尽きる。
 沈んでいく体を見届けることなく群れは暗い海の向こうへ消えて行く。