1st Match / 君の隣には |
「この人が私の彼氏だよ」 |
窓を締め切っていても雨の匂いは部屋の中にまで忍び込んでくる。 |
2nd Match / 絶対解 |
娘たちはみな裸で、左右どちらかの小陰唇に焼き鏝で数字を刻まれている。窓のない四角い部屋に何人もいっぺんに押しこめられ、体を堅く閉じ蹲っている。互いの呼吸は近く、触れ合った肌は汗ばむほどなのに震えはやまない。裸電球に飛びこんだ虫が落ちて死ぬ。 |
江戸城の中庭にて忍装束に身を包み、構える者二人あり。闇夜黒装束の中で、眼のみ灼け爛々と光る。 |
3rd Match / 虹の歩幅 |
ふらついた犬が村なかを歩く。よくよく見れば、右手左脚を出すとき、また、左手右脚を出すとき、その傍らを素早くよぎるものがある。その歩みを写し取ろうとするかのように寄り添う影がある。しかし、その影はただむやみに細長く、複写とも模写ともほど遠い様子であった。やがて犬は脚をもつれさせて斃れた。息絶えたのは村長有する広大な休耕地のただ中である。犬の死骸が土に還るにつれ、土地は陥没し、ついに巨大な穴が現れた。当面使う予定のない土地故、村長が穴を埋めかねているうちに穴を見るために旅人が数多く訪れるようになった。虹の根もとにあるなにかを求めて来たと言うが、その立ち振る舞いが悉く軽薄でまったく信用がならない者ばかりである。やがて礼を失した旅人が穴をさらに掘り進む始末。村人が集い、旅人を罰しようとするその最中、穴の中から無数の影が湧き出す。影は連なって長く長く伸び、その連続さを恥じるそぶりで消えた。それを見た村人は、その日から歩みがぎこちなくなってしまう。どうもどこかへ向かって調整されている気がしてならない。だが、その調整が終わるまえに、戦争が起きて村は消えてしまった。 |
この円い遠浅の入江に棲む七色のアメフラシは、雨が上がるとその体内に光が点り、天空いっぱいにざらついたミラーボールのような虹を投射する。 |
4th Match / 壊れたメトロノーム |
放課後の誰もいない音楽室が好きだった。 |
しゃべりたかった。だけどしゃべらなければよかった。いつも言葉は思いには届かなくて。気持ちを言葉に出せなくて。ふたりでいたのに、ひとりでしゃべっていた。しゃべることだけしかできなくて、話されることにはなれていなくて、探して選んで探っていたり。教えたり教わったりするおしゃべりのしかたをどうやればいいのか考えたり。考えているとそれまでのことを忘れたりして。 |
5th Match / 赤い箱 |
すべて、止まれ。に染まる世界を、カレーのにおい背に駆けていく。長い長いしっぽのような影ふむ道。 |
針金の上での直立に似た不安定な眠りのなか、あなたは何かが喉をせりあがってくるのを感じる。ん、と思うと次の瞬間にそれは猛烈な勢いで口のなかにあふれ出る。あなたは何がなんだかわからないまま必死で唇を閉じているが、途切れなく上ってくるそれに長く耐えられそうにない。それでも耐えていると鼻から噴き出る。吐瀉物は鼻から出ないだろう。あなたはそれが血であることを知る。そして自分が死ぬことをも。残された時間はほとんどない。とうとう閉じた唇の端から血がだらだらと流れ落ちる。あなたは失禁したかのような恥ずかしさを覚える。急に力が入らなくなり、ぼんやりと唇が開く。意外なほど長い時間血液が飛散する。あなたは吐血する自分をぼんやりと眺める。意識が痺れる。布団も枕も真っ赤に染まっていく。ふと、開いた掌の上に何かが落ちるのを感じ、視線を向ける。箱だ。もとは別の色だったのかもしれないが、すでに血の色に染まっている。あなたはそれを見て、そのなかには生が入っているのだという確信を得る。自分が吐き出したあの箱のなかには、わずかに残された生が入っているのだと。あなたはその箱を残された力を使って開ける。 |
6th Match / ひからびさん |
ピンクひからびさんのカップにお湯を注いで三分。自分で蓋を押し上げ「御用ですかー?」あどけなく尋ねるあつあつのひからびさんに、娘への伝言を頼む。真剣に聴き入る表情は、ごく小さいのに遠くはないので、奇妙にあざやか。 |
投薬ミスで大変だったそうよ。そんなふうに呼んじゃ悪いわ。そう203号室のオカモリさんは言った。 |
7th Match / あふれる |
どっくんどっくん、吹き出る沸き出す艶やかな色。幾筋もの流れをつくる。次から次から出るにつれ、床の上の小さな池がゆるゆる広がる。床と液面の境界曲線は、見る間に形を変えていく。 |
容量を越えて満ち、こぼれること。「風呂はアヒルさんで──れていた」「遊び心に──れていればいいってものでもない」「二十八世紀、人類は次元・時空間移動技術を手に入れたが、同時に未知の敵《──れる》を発掘」「ヒッ」 |
8th Match / ナマコ式 |
博士博士どこに行ったんですか、と探す彼はまもなく腰を抜かすことになるのだった。 |
七夕にナマコは月を目指す。 |
9th Match / 文鳥のこころ |
五歳上の従兄は、縁側に置かれた籠の中の文鳥ばかり気にしている。何が楽しいのか、その鳥は一日じゅう歌い続けていた。高く転がる声は、姉の、小さいけれど涼やかに響いた笑い声を思い起こさせる。 |
彼の脳裏に幸せだった日々が蘇る。 |
10th Match / バニシングモーテル |
宵闇の二番星に牽かれ、沿道の標識に目もくれず、二人はただカーステレオに身をひたし、長い道のりを駈けていく。今夜のために彼女は新しい夏服をまとい、遥かな淵からやって来た。果てしなく天に横たわる河は、時を得てティアラのように輝いて、照り返す河面の銀が小さな車影を明るく染める。 |
車もなかったのに、一度そういうところに泊まったことがある。 |
11th Match / 泳ぐ空 |
天女が花を投げる。馥郁たる花散る午後、まだら雲の西へ流れるを見て諍う二人がある。曰く「雲は空を泳いでいるのである」、曰く「空の泳ぎに雲が押されているのである」。二人の体に触れたる花はぴたり吸い付き、いっかな手で振り落とそうとするもままならぬ。 |
こんにちは。おまわりさん。駐車違反はしてないので、僕は悪びれず声をかける。返事がないのは、別に偉ぶっているわけじゃない。婦警さんの心配そうな眼差しを追って空を見上げると。 |