500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

1st Match / 屋根裏の皇女

赤コーナ : sleepdog

 遠征に出た蒸気船団が東方から銀を持ち帰り、城塞の中は待ちわびた女子供でにぎわった。凱旋パレードが鳴り、七色の風船が飛び、抜け目ない商人の声が往来にあふれる。群衆がまぶしげに見上げる巨大な船影の舳先には逞しい皇子の姿があった。皇帝もテラスまで現われて、息子の帰還を目に焼きつける。
 皇子は出迎えへの挨拶もそこそこに、蒸気靴を履き、城壁にそって高く飛び上がった。ドーム型の屋根は真珠のように輝き、少しでも太陽熱を吸わないよう造られている。皇子はドームにただ一つの窓を尋ね、すばやく身を入れた。窓は一瞬しか開けてはならない。人影のない室内は高密度に蒸れていて、豪奢な調度品が虚静を紛らわす。
 姉さん。皇子は肺胞のすみずみまで姉の粒子をじっくり呼び込む。帝国を守護する水と火の精霊が交わり、皇族で代々ひとりだけ産まれる蒸気体の皇女。輪郭も感覚器も声もなく、ほとんど質量のない彼女はこの密閉された最上階に一生を暮らす。
 弟は姉の欲しがっていた大粒の紫水晶を掲げ、室内の気圧が昂揚していくのをじっと待つ。気管支は息苦しいほど粘りつき、彼女は見知らぬ外界の土産話を、弟の喉からためらいもなく絡め取っていく。

青コーナ :

私がまだ子供の頃、異国の若い皇女を垣間見た。この邸で。
陶器の如く透ける頬に碧眼、高貴なお顔立ち。一目で心奪われた。
父は皇女を徹底的に隠すことにした。革命軍が執拗に皇女を追っていたためだ。
皇女は邸からはおろか、居室となった屋根裏部屋からさえ一歩も出られなくなった。御前に上がるのも、父と二、三人の使用人だけになった。
私はお顔を拝することもできず、運び下ろされる品々に皇女の痕跡を探した。まだソースの残る銀器にそっと唇を当て、衣服に微かな異国の香を嗅ぎ、紙屑の間に細い巻き毛を見付けると、大切に懐紙に仕舞い込んだ。それでも、上にあの方がおられる、と思うだけで胸が弾んだ。
終わりは突然訪れた。我が国は彼の国の皇室を見捨て、革命軍と組んだ。父達は皇女を匿っていることを公にできなくなった。
邸から連れ出された様子はない。ただ屋根裏への扉は閉ざされ、階段は取り壊された。夜中、寝静まった邸内に細い悲鳴を聞いた気もしたが、確かめることはできなかった。 だから皇女は、未だこの邸におわすのだ。綿埃の版図に、蜘蛛の侍女と鼠の騎士団にかしずかれて。

寝たきりになった祖父はこの話を繰り返す。うちは確かに古い石造りの邸だが、平屋根で屋根裏はない。
でも祖父の指が弄り続ける古い銀細工は、どこかの国の宝冠に見えなくもない。



2nd Match / スパイカズ・スパンカー

赤コーナ : 水池亘

「僕に帆船を貸してください!」
 そのカラスは真っ白なのでした。
 ヤミウシの支配する闇が世界に満ちてから、闇の上を疾走する帆船は旅の必需品となりました。様々な造船師がしのぎを削る中、一際名声が高かったのがスピカでした。帆船のすばらしさはもちろん、心の優しさにおいても。
 ですから、
「僕に帆船を貸してください!」
 無理を承知でカラスは頼むのでした。遠く遠くのアンタレスに住むという、どんな物でも、どんな色にでも塗り上げてしまうというペンキ職人にどうしても会いたいのです。
 無垢な心が透けて輝く瞳に見つめられたスピカは、すぐに造船を開始しました。全身全霊を込めて作り上げた帆船はいつも以上にすばらしい物になりました。
 ただ一点を除いて。

 つまりこれは私の罪に関する物語なのです。
 カラスはヤミウシたちに捕らえられ、帆船もろとも闇の中に貼り付けにされました。
 黒ではなく闇の色に染まったカラスは、もはや輝きの欠片もない虚ろな瞳で私を見つめ続けています。その視線に捕らえられている限り、私は帆船を造る事が出来ないのです。

青コーナ : 松本楽志

 亡くした娘を捜しに涙の海を底までただ沈み続ける。永遠近くにまで引き延ばされた一瞬のなかで、銀の魚たちが慈悲深く囁く。「西を見よ。夕日に染められた国を見よ。つまらぬ感傷に彩られた魂の残骸たちが、うつろな視線で天球を徒に犯している」やっとたどり着いた海底で私は叫ぶ。「その手には乗らない。この偽物め」銀の魚はいっせいに身体を黒く変え、翼を広げたかと思うと一瞬のさらに一瞬の中に消えてしまう。すると初めて、重くのしかかっていた海面が、上空の有様を密やかに受信する。しかし、残された魚鱗のきらめきが私の目指す方向を惑わす。もはや浮力は霧散して、私は鱗をただ浴びるしかない。私は銀の魚の残した陥穽に気づいた。さかしまの海面が映し出すものは、私自身に過ぎなかった。私は最後の力で海上を進む誰かに向けて言葉を放つ。「旅人よ、虚飾の星に惑わされるな。お前の船が目指すべきものは、私ではない」そのあぶくは銀色の魚に一飲みされ、あとには暗い闇だけが残った。



3rd Match / 猫のいる情景

赤コーナ : 峯岸

 医者によれば妻が身籠もる事はもうない。正しく生まれて来られなかった我が子の代わりというのではないが仔猫を飼い求めたらばやはり妻は溺愛した。その猫が居なくなり半年になる。
 いつしか妻は「空から魚が降るとあの子が帰って来るの」と妄言まで繰り出すに至った。新しい猫を飼おうと持ち掛けても聞く耳を持ってくれない。猫がいつ帰って来ても良いよう子供部屋(と妻は呼んでいる)の窓は常に少し開けてある。
 気晴らしにでもと花火大会へ連れ出した。宵闇に浮び上がる光は一瞬で遠近感を麻痺させた。爆ぜた火花と空とが丸ごと墜ちて来るか如く迫力である。しばし見惚れた。浴衣姿の妻もただ空を見上げていた。ふと俺の手を握り小さく「ありがとう」と呟く。連れて来て良かった。そう思った。
 薮から棒に妻が「帰らなきゃ」と立ち上がる。面喰らいつつ理由を尋ねれば、花火。「ほら魚が降ってるから」微笑みが青に映えている。どこからか「たまや」との声。どうにも言い兼ねタクシーを拾い会場を後にする。家に着くなり妻は猫の名を呼びながら部屋へ飛び込み虚空を胸元に抱き締める。そして涙さえ流し頬摺りを繰り返す。遠くで魚の墜ちてゆく音。窓が閉まっている。

青コーナ : 赤井都

 その島には週に三回、連絡船が着く。夏になっても男の娘は帰ってこない。忙しすぎるから手紙もよこさない。出来のいい干物を箱に詰めて船に乗せたら、孫の手になる葉書が届いた。鉛筆書きの大きな文字に、妙に大人びた文章。娘の筆跡はどこにもなかった。岸壁でさっそく読んでしまい、風に吹かれて、ズボンのポケットに葉書を突っ込んで、男は自分の船まで歩いていった。熱された大気は海の湿度を大量に含み、息をしているだけで塩辛く思われた。空気の中で生きる魚。網の手入れをする。夕立が来る。船の中で煙草を吸う。港の端のバス停で、小さな庇を分け合い観光客たちが雨宿りしている。話がはずんでいる。隣にもやわれた船の中で猫が雨宿りしている。男は網の間で干からびていた雑魚を投げてみた。猫はしばらく知らん顔をしてから、首を伸ばして食べた。きれいに食べ尽くされた。なんだかすっとした。もっと食え、ともう一匹を手に見たらもういなかった。家に戻る道々、角屋の自販機の前で、色気づいてきた子どもたちがまたたむろしているのを見た。娘がああいう仲間に入っていたら連れ戻した。そして、猫を飼いたいと言われた時、頭ごなしに否定した、とふと思い出す。



4th Match / ちみ

赤コーナ : まつじ

 とっておきですので。
 彼は俯き、男を一室に案内する。
 男は、いや気に入った大変結構と肩を揺すらせ上機嫌、有り難う御座いますと頭を垂れる彼とは反対にふんぞりかえりそりかえり、そのまま尻もちをついたが上手い具合に座布団がある。それにしても随分ふわりとしていなかったか、男は不思議に思うが、お体が痛むと良くありませんので、そう言い傍らに立つ彼の丁寧な態度を見るとすぐに機嫌を良くした。
 部屋の造りは簡素で落ち着き、もの言わぬ仲居が音もなく運んでくる料理はどれも絶品、大変居心地が良い、家に帰らずにずっとここにいたいくらいだ、と地酒をくいとあおると先ほどまで何もなかったあちらの壁にひとつ染み。
 向かいに座る彼が言う。
 とっておきですので。
 笑う口許。染みが蠢く。
 ふたつの昏い眼を見て何か思い出したか壁の染みに驚いたか声を発しようとする男の喉を飲んだはずの酒が胃から血となって遡り塞ぎ障子の向こうに仲居の気配黒い染みは瞬く間もなく広がり笑う男とおののく男の二人それから部屋の全てをその腹に飲み込み押し潰し喉につまった男の言葉が花火のように一瞬遅れて聞こえた気がするが四角い闇のなかに掻き消える泡と消える。

青コーナ : 影山影司

血道魑魅道、未知に充ち、見てみぃ。チビる超みみっちぃチミ達皆、ちみっこい存在に成っちみたら?



5th Match / 紅茶泥棒

赤コーナ : よもぎ

紅茶泥棒がいたってさ。はるかインドのお茶畑。姉さん摘んだお茶の葉を、盗んでみたはいいものの、お茶は摘みたてほやほやで、青い緑茶の味がした。

紅茶泥棒がいたってさ。暑い南の海の上。お茶の葉積んだお船ごと、盗んでみたはいいものの、お茶はすっかり蒸れちゃって、黄色い烏龍茶の味がした。

紅茶泥棒がいたってさ。イングランドの午後の4時。女王陛下のお茶会に、忍び込んだはいいものの、ポットはとっくにすっからかん。しかたがないので紅茶泥棒、おうちに帰って紅茶を淹れた。

青コーナ : 青島さかな

 ティーカップから立ち昇る湯気が真っ白い猫になった。呆気にとられていると紅茶の中にだらりと垂らしている尻尾から、だんだんと赤くなっていく。それと同時に紅茶の量が減っていくではないか。「こらっ」と叱ってやると今度は耳の先から白くなって、紅茶の量が戻っていく。カップが紅茶で満たされると猫は再び湯気になって空気に溶けて消えてしまう。ティーカップに口をつけると、すっかり甘くなり過ぎて飲めたものではなくなっていた。



6th Match / 子を運ぶ

赤コーナ : 春名トモコ

 鐘が夜空に鳴り響き、夢の町に散らばっている子供たちに帰る時刻を知らせた。坂の上の広場にある巨大な観覧車に、めいっぱい遊んだ彼らが駆けてくる。
 広場では、制服の役人が子供たちの切符にハサミを入れている。今日の切符は乾燥トカゲ。制服の足もとに切り落としたしっぽが溜まっていく。役人は時間に厳しい。ブザーが鳴るとハサミをポケットにしまい、ゲートを閉じた。運転手がはしごをのぼって観覧車の真ん中にある操縦席に乗り込む。音楽が流れゆっくりとまわり出した。朝が来る前に子供たちを返すのが彼らの役目。ゴンドラの中から歓声があがった。海沿いに建つ工場の煙突から金粉が吐き出されている。
 観覧車は回転速度をあげ、ゴンドラが見えないぐらいの速さになるとゴトンと軸から外れた。広場を転がり出ると、大通りに沿って街のシンボルタワーに向かう。坂道でさらに加速してタワーを一気に駆け上がると、夜空へ飛んだ。
「おかしいぞ」広場に残った役人が目を凝らして口々に言った。軌道がずれている。観覧車は突入すべきコールサックを外れて飛んでいってしまった。役人たちが慌てふためく。

青コーナ : はやみかつとし

 「託送」と紙を貼られ子どもたちは転がされる。漆黒の空の下、文字通りの未明に、微かに震えながら運搬者を待つ。東の空がわずかに白み始めるかという頃に運搬者たちは三々五々現れ、子を無造作に一人ずつ取り上げて出発する。薄明を背に、運搬者は西へとひた走る。太陽に追いつかれまいと子を脇に抱え、汗を流し、道もない平原を真っ直ぐに駆けて行く。程なく太陽に追いつかれるが運搬者は止まらない。今度は太陽を追いかけ、遅れまいと更に足を速める。子は誰も不安げな顔に汗を滲ませ、真昼の光に目をしばたきながら運搬者を見上げる。見知らぬ大人の顔が、長年親しんだもののように思える。
 運搬者が辛うじて太陽の歩みを遅らせることに成功したかに見えたとき、無情にも夕闇がゆっくりと、確実に迫り来る。消え行く残照を追いかけて、なおも運搬者は走り続ける。子は揺られながら必死に運搬者を見つめる。最後の光が西の空から消えると、到達したか否かによらず託送はそこで終了となる。漆黒の空の下、送り届けられなかった子どもたちは転がされ、新たな運搬者を待つ。現れる運搬者の何人かはまだ顔にあどけなさを残しており、無事送り届けられたばかりなのだとわかる。



7th Match / キスの裏

赤コーナ : 雪雪

1.
空中にキスマークが付いている。まだ付いたばかりなのか艶々と光沢がある。
おもしろいなあと思って裏側にまわってみると、キスマークはひらりとひらめいて表に返り、喋る。
「なにか御用?」
口紅を塗った透明人間だった。
「はあ、びっくりしました。警察ですが、裸で歩き回ってはいけませんよ」
「ちょうどよかったわ。わたくし痴漢に遭いましたの」

2.
「やってないって言ってるの?」
「いえ、痴漢じゃなくて合意の上だと。誘惑してきたのは女のほうで、曰く『魂消るような』キスを仕掛けてきたと」
「ふうん、裏は取ってあるのか」
若い巡査は透明な袋に封入された刺身みたいな証拠品を差し出す。
「被疑者の上くちびると下くちびるです。ヤバいことになりそうだと思って、舐めたり顔を洗ったりしないうちに取っておいたそうです。これから被害者の唾液とか口紅が出れば」
「すぐ鑑識にまわそう。やあ、触り心地いいなあ、これ…キスの裏もらうの好き」
「回文作ったってあげませんから」

3.
痴漢の嫌疑が晴れ唇ももどった男は、厄落としに寿司を食っている。
「ん?」
シャリの上のネタをめくり、
「おいオヤジ。キスの裏にサビがないぞ」
オヤジはきゅっと音のするような笑顔で、
「それは姿なき女怪盗の仕業でさあ。うちの次女の」

青コーナ : 脳内亭

 名もない丘で名もない二人、寄りそい抱きしめ合っている。血も涙も枯れるほどに強く、果てしもなく。風が吹けば、擦れ合う骨盤に反響して、指よりもずっと密々と絡まるあばらをかららん、ぱららんと奏でる。軋んで折れてもそれはそれ。頭蓋もとうに見当たらないのは、ある日の突風にさらわれたから。残された下顎は微かに色がちがう。欠落を探るように噛み合い、互いを吹奏する。二つのキーはふちくちと溶け、好い音だろう、ゴキゲンに甘い。そう、ゴキゲン。だって二人にはもう想い出も未来も、性別さえも必要ない。あるのはロマンス。この音色は、睦言なんだ。ほら、重なる歯と歯の裏、素敵にさえずり合っている。
「ちゅう?」「ううん、ちがう」
「じゃあ何?」「マウス・トゥ・マウス」
 なんて、おどけたりもして。ねえ、そうだろう。そうだって言ってよ。
 名もない丘にはもう何もない。静けさばかりが叫んでいる。