500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 消臭効果 作者:オギ

 朝起きると、鼻の下がぽっこりともりあがっていた。慌てて鏡をみるとなんと鮮やかな青色に腫れあがっている。
 一瞬、ひ、となるが、これはあれだ。貼るだけ吸臭くんトイレ用だ。なぜならうちのトイレのドアにも同じものが貼ってあるからだ。
 犯人は妻だ。なぜなら昨日、妻の新しい香水を、なんかくさいと言ってしまったからだ。
 剥がそうと引っ掻くが、あまりにぴったりくっついていて、押しても揺らしてもぷにょぷにょするばかり。
「お似合いよ」
 ふいに真後ろで妻の声がして、ひ、となる。
「ごはんよ」
 姿が消えると気配が消える。いつもはほのかな甘い香りが、ふわりとした存在感を放っているのだが。無臭の妻、怖い。
 キッチンに行くと、朝からカレーが湯気をたてていた。しかしびっくりするほど香りがしない。座ってスプーンを握るも、まったく食欲がわかない。
 妻は静かにコーヒーを飲んでいる。切れ長の目、薄い唇。鋭利な美貌は無表情だと妙な迫力がある。でも昔より、柔らかくなったかな。
 しみじみと見つめていたら、気づいた妻がふっと笑った。伸びてきた手がいとも簡単に無臭くんをひっぺがす。とたんにほわんと甘い香りに包まれた。甘い。甘すぎる。
 発生源カレー。ひ。



 すいている 作者:まつじ

 すいている?
 うん、すいている。
 なにを、すいているの?
 すいているのは、これです。
 おや、すいているね。
 うん、すいているね。
 すいているなら、つごうがいい。
 しんじられないくらい、すいているけれど、どうしてつごうがいいのかい?
 ははは。さあ、ぼくはきみをすいているぞ。
 きみがぼくをすいているなんて、こわいな。
 うむ、すいているよ。
 あああ、なぜかきみはぼくのからだをすいているな。
 いったい、なんのためにすいているのか、じぶんのことながらわからないよ。
 すいているということこそが、きみにとって、しあわせなのかも しれないね。
 そうだな、そうこうしているうちに、どんどんきみをすいている。
 うん、もうずいぶん、すいているね。
 しかし、なんだろうな、なんだかきもちがわるい。のりものよいでもしただろうか。
 ぼくたちが、ゆらいでいるのさ。



 シェルター 作者:葉原あきよ

 毎朝、玄関ドアの前に大量のカナブンが死んでいる。大小合わせて二十匹を超える。黒いやつも緑色のやつもいる。私は泣きそうになりながら、カナブンの死骸を箒で掃いてまとめ、ビニール袋に入れてすぐさまゴミ捨て場に持って行く。これが六日続いた。
 アパートの外廊下を見回しても、私の部屋の前以外には一匹もいないのだ。誰かの嫌がらせならまだましかもしれない。
 暗くなると、カツンカツンとカナブンが当たる音がし始める。ドアの上の明かり取りのすりガラスに小さな影がぶつかっているのが見える。部屋の灯りを消しても無駄だった。外が薄明るくなるまでカナブンの音は止まない。
 どうしてそんなにまでしてこの部屋に入りたいのだろう。私は真っ暗な中ヘッドフォンで音楽をかけ、必死に眠ろうとする。ベランダに出る窓は五日前からカーテンを開けていない。どうなっているか考えるだけで吐き気がする。これ以上続くとドアも開けられなくなりそうだ。



 その掌には 作者:koro

 祖母の四十九日の法要が終わった直後から祖父の様子がおかしい。口を覆って独り言を呟いているのだと思っていたが、どうやら掌に語りかけているようだ。両親も姉も気づいているが何事も無かったかのように笑顔で暮らしている。大人になりきれない私だけが祖父を気にしていた。
「むかし、婆さんもやっていたろ」
 縁側にいた祖父は、擂り鉢で擂った赤いものを左手の爪に乗せながら右の掌に話しかけていた。何をやっているのか訊ねると「鳳仙花の花弁を潰したもので爪を赤く染めている」と答えた。
 祖父がまた右手を口に運ぶので、咄嗟にその手首をつかみ掌を確かめる。すると、そこにはリアルな人間の耳が墨によって描かれていた。汗で少しばかり滲んでいる。ふと、居間のペンスタンドに目を向けるといつもそこにある筆ペンが無い。祖父が持ち出したのだとわかり私は冗談まじりで続ける。
「誰の耳? 耳なし芳一の、とか言わないでよ」
 すると祖父は目を細めながら「婆さんの」と答えた。
 祖父は私に構わず耳に語りかける。
「婆さんが爪に塗るとグミの実のようだった」
「笑うと鳳仙花みたいに赤くなる」
 祖父は自分の言葉に何かを思い出した様子でククッと笑った。掌に描かれた耳もそれに伴ってピクピク動いた。耳たぶは徐々に紅く花のように染まっていく。
 確かに笑っているのだ。その耳も、また。



 鈴をつける 作者:ぶた仙

「鈴は可愛い生き物がつけるものと相場が決まっている。もっとも、それは地上を移動する対象に限られ、魚や鳥は対象外だ。ペンギンはどうなのか? それが私の実験動機だ」
 黙々と歩く彼らから、雪片が体の動きに合わせて零れ落ちる。しゃらしゃらと。
「黄色い識別リングの代わりに、ちろちろと」
 生死をかけた行軍には、およそその軽やかな音色は似合わない。
「ヨチヨチ歩くたびに、楽しげな音が聞こえてくる」
 身体をすり合わせ、互いの体温でわずかな暖を取る。零下60度の吹雪の中では呼吸すら困難だ。立ち止まるな。さもなくば死。個の死、子孫の死、種族の死。意識が遠のくたびに、高く鋭利な音色が、倒れずに歩けと鼓舞する。
「やがて、音が海に飛び込む。ちろりん、ちろちろ。餌を求めて、矢のように泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ」
 嵐が止み、太陽の昇らない空から星くずが零れ落ちる。しゃらしゃら。沈黙の中で響くのは、
「南極海は、何千、何万もの天上の音色に満たされた。時速十キロの高速が作り出す奇跡」
 清かな鈴の音。



 東京ヒズミランド 作者:脳内亭

「ヒズミランド、ヒズミランド」
 と、二歳になったばかりの息子が何度もそう口にする。ならば誰が何といおうとここは東京ヒズミランドだ。
「チューチュ、チューチュ」
 うん、チューチュがテーテをふってるね。ワンワンもガーガもいるよ。
「ジージ、ジージ」
 そうだね、チューチュの背中がジージってひらいたね。
「ウーカンカン、ウーカンカン」
 ほんとだ、中からウーカンカンが出てきた。手にグシグシ持ってるよ。グシグシでみんなをコッコローンしてるよ。
「クデンシャ、クデンシャ」
 うんうん、ガーガがクデンシャ吐き出したね。ワンワンもあんな楽しそうにみんなをポリンポリンして、とってもにぎやかだね。何、アッコするの? はい、これでよく見えるよ。あっちもこっちも、みんなもうすっかりババーパだらけだよ。
「バッコチャン、バッコチャン!」
 わあすごい、ほんとにバッコチャンだ。おっきなクーチーだねえ。あ! ほらほら、バッコチャンこっち見てワラってるよ!
「コッチクル、コッチクル!」
 コッチクル、コッチクル!



 告白 作者:氷砂糖

 本当のことはそっと小瓶に入れる。金平糖のようなそれは、ときどき取り出して舐めるけれど、甘い香りでひどく苦い。嘘を着飾る舞踏会。踊って喋って笑顔のままに帰宅、ドレスも顔も脱ぎ捨てて、独り本当のことを小瓶にまた一粒。普段はベッドの下に隠している。
 ママからお嫁にいきなさいって言われました。相手はよく知らない人なんだけど、あっというまに準備はできて、白い嘘を纏ってお嫁入り。小瓶を荷物に加えていたら、なにその小汚い瓶、とママ。置いていきなさいと言うのを聞かず、小瓶を抱いて馬車に乗る。今夜からは大きなお屋敷がお家。主人は人が良さそう。笑顔。夜になり一つのベッドにいる。
「あなたといると楽しい」
 主人はそう言って目を閉じた。寝息。小瓶を眺め、枕の後ろに隠す。暗闇に目を閉じる。安堵。寝息。
 朝、召使いが紅茶とスコーンを持ってきて目が覚める。並んで食べる。枕がずれていて、主人が小瓶を見つけ、開け、ためらいもせず口に一粒。
「本当のこと、知りたいからちゃんと言って」
 主人にぐっと抱き寄せられ、もう増えない金平糖と、食べかけのスコーンと、紅茶がこぼれ散らばって、差し込む光も優しくって。全部、嘘ならいいのに。



 煙 作者:砂場

 刈り込んである紫陽花の枝を這うナメクジから顔を上げるとそこに立っていたのでぎょっとする。見ない子どもである。迷い子だろうとわかったが、それだけだろうか。さまよううつろな目、やせぎすな顔つき。名ばかりの春の冷たい風に倒れそうに見えたので、縁側に座らせた。本人が靴を脱ごうとせず、せめてもと私のジャンパーを羽織らせる。妻が、ココアとおにぎりを持ってきた。黙々と食べる。私は庭仕事の続きを少しする。食べ終わると、ふっくらとしている。背まで伸びたように思い、別の子どもかと思った。兄が迎えに来て、弟と入れ替わって座っているのかと思った。「どこから来たの」「丸くて細長いところ」まるでなぞなぞである。「一人で帰れるか」「帰るんじゃなくて行くところ」「どこに行くんだ」首をかしげている。つと立ち上がり、ひょこひょこと走って庭を抜けていく。追いかけて道に出ると、あちこちの家から自分と似たような大人と、子どもが飛び出してくるところだった。時差のある万華鏡のようだ。なんだかあっけに取られたまま大通りまでついて行く。子どもたちは軽やかに大通りの坂を上り、あっという間に見えなくなった。



 K 作者:峯岸

 強烈なボディで体がくの字に折れるとそこを見逃さずラッシュ、なす術がなくコーナーを背にしたまま腰から崩れようとしている。