500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 熱くない 作者:磯村咲

 画像検索したところ、こいつらしい。
 〔野生のすっぽん鍋〕
 日本経済が立ち直らなかったため、多くのすっぽん料理屋が廃業した。老舗の味が染み込んだ鍋は引き取り手が付かずに廃棄の憂き目を見、同時にほとんどの養殖池ですっぽんが放置された。
 九十九神となったすっぽん鍋が、脱走したすっぽんと出逢って意気投合し合体したのが由来。何が両者を惹きつけ合うのか、その生息数は少なくないと言われている。
 くつくつ煮える見た目に反して熱くない。一部の富裕層が今だに希求する若さ、健康、おいしいもの、そんな欲望自体まぼろしであったかのように冷めた目で眺める市場を映しているとも、熱くない鬼火と同じとも考えられている。

 なるほど。しかしそんな物の怪が白昼近所の貯水池の畦草を踏み分けて出てくるとは思いもよらなかった。鍋底に四肢としっぽが生えていてぶんぶく茶釜みたいだ。湯気の中にスープに浸かった甲羅が見える。熱くないというので、甲羅を押してみようと指を伸ばした。
 うん。熱くない。
 けど、噛むじゃないか。



 湖畔の漂着物 作者:水池亘

 ぬはこのあたりの湖でよく見られる。泳ぎは上手いが間抜けなのでたまにほとりに打ち上げられる。放っておくと腐る。有志のボランティアが水・土曜の朝に回収する。
 全体的にゆるい楕円形をしており、さらに右下部にも小さなまるみがある。ここを切り取り刺身にして食べるとほどよい甘味があって美味い。残りは硬くて人間には食べられないので湖に逃がす。
 まるみを切られたぬはめとよく似ているが全く別の科の生き物である。素人には区別がつかず本人たちにも見分けがつかないのでしばしば生殖活動をしている。遺伝子の関係から子の大半は死滅する。まれに成長しのとなる。のは幸運の象徴としてアクアリストに人気があり高値で売れる。
 近年ぬを町おこしに利用する動きがあり、ぬいぐるみやストラップが販売されている。人気はなく、たまに湖のほとりに捨てられている。有志のボランティアが水・土曜の朝に回収する。



 設計事務所 作者:海音寺ジョー

中国で大きな地震があったらしい。あちらの工場の打撃がたたって、ここのノルマが厳しさを増してる。
 メキシコのアグアスカリエンテスは自動車工業の一大拠点として日本人技術者が歓迎されており、俺も京都南工業団地の金型設計屋から流れてきたくちだ。
技術主任のマリオに今月の休みは大丈夫か?とたどたどしいスペイン語で訊いてみる。
「日本人は仕事が人生デショウ?休み、仕事でも問題ないデショウ」
マリオはメキシコ人らしくなく、くそまじめで勤勉なやつだよ。
それじゃあ日本の酷い労働環境から逃げてきた甲斐がないなと溜息をつく。
いまどきは全部パソコンのモニターで図面を引くから、過労はいつでも目に来るのがつらい。
設計事務室の屋根裏は荷物置き場になっている。俺は隠れてタバコを吸うため梯子をのぼる。明り取りの小窓から眼下の川を見下ろす。清流に見えるけれど実際は有害な産廃物がだくだく注ぎ込まれている。桂川の、ドス黄褐色に濁った支流に逞しく背を見せ遊弋していたニゴイの群れを思い出す。
 足に絡んだ蜘蛛の巣を振りほどいて座る場所を確保しようとしたら、でかい工程表示板がはずみで倒れた。その裏にドラフターが真横にしてダンボールの間に突っ込まれていた。停電対策に、マリオが捨てずに残していたんだろう。懐かしさがこみ上げる。この前時代の製図机で仕事をしていた若い頃を反射的に回想する。
 背後で小さく魚の跳ねる音が聞こえた。



やわらかな鉱物 作者:千百十一

 その隕石の変わっていたのは何と言っても、落ちた瞬間にポヨヨンと跳ね返ったことだった。研究所の人たちはこれを鉄の箱に入れたけれど、箱は一瞬でポヨヨンになった。そこでもっと頑丈な箱に入れたけれど、翌朝には研究所の中の金属とか鉱物はみんなポヨヨンになっていた。
 各国政府は警戒した。民家がポヨヨンになったって仕方ないが、ライフラインを守れ、兵器廠を守れ。……甲斐なく、兵士がポヨヨンな銃を撃てば発射されるのはポヨヨンな弾丸で、人は死なない。

 でも人類は負けない、強い、しなやかだ。
 世界初のポヨヨン製コンピュータを作った発明家はポヨヨンな豪邸で快適に暮らしているし、ポヨヨンに毒ガスを封じ込めた爆弾で大儲けした死の商人は、紙幣(鉱物インク不使用)を数えている。



天国の耳 作者:千百十一

 芳一の耳は天国で困惑していた。永らく平家の墓に捕らわれていたのだが、あるとき、近所の新墓に現れた観音様にすがったのがいけなかった。巧みに変装したマリア観音の存在など、この耳は知るよしもなかったのである。結果、着いた場所は言葉も通じず、音楽も奇異なばかりで全くなじめない。
 琵琶と錫杖の音が懐かしい一心で情報収集を続けるうち、だんだん言葉が通じるようになってきた。しかし天国からの脱出方法となると難しい。天国と極楽の間に直通の通路はなく、人の世を経由するか、地獄(こちらは、宗教が異なっても連絡があるらしい)を経由するしかないという。
 一時は芳一がまだ人の世にいたらしいが、一旦そちらに戻って合流してから極楽を目指そうとした矢先、それはもう昔話だと言われた。芳一に会えずに耳だけで幽霊としてさまようのは、如何にも心細い。地獄にしても、うっかり血の池に落ちたりしたら、小さな耳などいつまでも引き揚げてもらえまい。万一、芳一がそこにいたとしても、鬼は喜んでまた引きちぎるだけだろう。

 耳は天国で悶々としている。年に一度、イースター兎が尻尾で中をくすぐってくれるのが唯一の楽しみだというから、気の毒なことである。



ありきたり 作者:磯村咲

長いこと会っていない友人が夢枕に立った。死んだのを幸いに久しぶりに顔を見に来たと言う。道を歩いているときに、頭にドリアンの実の直撃を受けたのだそうだ。
面白い死に方をしたねと感心すると、「頭上注意」の看板も立っているのだけれど、気をつけていても当たる時は当たる、銀杏が今の1000倍の大きさだったらと想像してもらえば危険のほどが伝わるだろうか、伝統的な死因なんだ、車の天井だってベコベコなんだという。
朝、蒲団の中で、そういえばインドネシアの人と結婚して向こうで暮らしていると聞いてはいたが、ドリアンて、とおかしく思い出していると、起こしにきた家人が部屋に入るなり、何これ、何の臭い?と鼻をつまみ、窓を全部開け放った。



おはよう 作者:水池亘

 だからあなたはもう二度と目覚めることがないのだと言われた。
「君は誰だ」
「さあ?」
 彼がとぼけて首を傾げる勢いでシルクハットがずるりと滑る。この世界がおそらく僕の見る夢であって現実は他にあるということを僕は自力で悟らなければならなかった。
「もう二度と戻れない世界を現実と呼んでいいのかな?」
 うるさい。
 念じたが彼は消えなかった。少なくとも明晰夢ではない。
「ただし」茶目っ気を多分に含んだ口調と共に彼が人差し指を立てる。「あなたには眠りにつく自由がある」
「寝たらどうなる」
「夢を見る。夢の中で夢を見て、その夢の世界で眠ればまた次の世界の夢を見る。重力が働いているんだ。登ることは不可能でも、落ちることは無限にだってできる」
 彼は辞書を差し出した。あなたに一切の救いを禁じる書物だと言った。
 僕はページをめくる。どこからか風が吹いて紙の端がぱたぱたとなびく。僕はめくる。めくる。ひたすらただひとつの言葉を探す。めくる。探す。めくる。めくる。めくる。



鈴木くんのモロヘイヤ 作者:はやみかつとし

 一月も後半ともなると寒さの底だけれど、冬至前に伸び始めた日脚はもう随分長くなって、夕方五時でもまだベランダ側の窓から入る間接光は柔らかく暖かいオレンジ色を微かに滲ませている。こんな時間にこの小ぢんまりとした1DKの畳の部屋で白木調の炬燵にくるまるように座っているのは、ちょっとした至福の時間だ。白木調の本棚に白木調の箪笥、つまりどれもイミテーションなのだけれど、わたしには馴染みのものたちだから、柔らかい空気の一部になってしっくり馴染んでいる。そんなのどかさの中で炬燵に突っ伏していられるのも、今日はごはんを自分で作らなくていいから。甲斐々々しく立ち働く音がキッチンのほうから伝わってくるのを、丸めた背中で感じている。鶏と玉葱の匂いがうっすらと漂ってきて、本日のスープの主役に思いを馳せてみる。他の素材と混ざっていても判るような鮮烈な香りはないけれど、口に含むとまろやかに溶け合って、えも言われぬ味わいを醸し出す。そして一度食べたら忘れられない不思議なとろみ。なんだか、誰かに似てるような。それを舌の上で転がしたときの幸せを想像する自分が、なんだか淫らだなあ、なんて思いながらついうとうとしてしまう。