500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 そこだけがちがう 作者:空虹桜

つん つん つん
「あは〜ん」

 つん つん つん
「いひ〜ん」

 つん つん つん
「どこさわってんのよ!」

 つん つん つん
「うふ〜ん」

 つん つん つん
「えへ〜ん」

 つん つん つん



 連れてゆく 作者:雪雪

自力で思いつくか思いつかないか、ぎりぎりの境界を少しだけ越えたあたりの着想が、もっとも人を驚かせる。
それより遠い着想は、心を揺さぶることもなく過ぎ去ってしまい、惜しまれることもなく消える。もっと遠ければ、なにかに届いたことさえ当人に気づかせない。
引き起こされる感動を指標とする限り、一生に一度、とある一瞬だけ眼の端をよぎって去るようなかすかな着想を捕捉することはできない。思考は、ふだん自覚されない慣性にしたがって運ばれているから、追おうとすればその慣性に逆らって、急激に加速しなければならない。けれども心が掻き立てられなければ、興奮による集中力は動員されないし、着想を追尾する加速力も発揮されない。
ゆえに、「今まさに、驚くべきときである」という判断により、意図的に自分を感動させる必要がある。それは困難である。習熟によって、随意の度合いは多少上がるにせよ。
追尾が不能であるとき、遠ざかる着想にぼくは、名前を付ける。ただひびきだけを似合わせたあたらしい固有名詞を。そしてその名を書き留めておく。おりおりに、名前がなじむよう、心の中で反芻する。名前が定着すればその呼び名の対象は、果てしない闇の中で無意識が交わす、噂話の種になる。

ある日、やはり取り急ぎ名前を付けなければならないような影の薄い着想が、予告もなく訪ねてきて、くだんの名前を唱える。
「会いたいんでしょう?」
「会いたい」
ぼくはそのときしていたことはぜんぶ放り出して自分を身軽にする。
すでに流れ始めながら案内人は、振り返って言う。
「遠いから、心に鍵をかけてきたほうがいいわ」



 隣りの隣り 作者:雪雪

ジョイスボルヘスカルヴィーノって中学生が万引するラインナップではない。「どっから来た」「隣りの隣り」わざわざ万引しに七光年旅してきたんか。うちらの法律では裁けないから本持たせて送還。なにが起こってるの隣りの隣りで。
隣りに聞きにいく。隣りの神P。空間にダウンロードされた天然ソフトウェアで視野が広い。記憶が赤方偏移するぐらい広い。「迷球の深層で神聖言語発掘したって」「書いた物語が真実になるやつ?」「名作を書ければね」「無理。文芸の伝統断絶してるし。あっちの神まだH?」「ええ。同一座標に住んでるけど今はLって名乗ってます」私はLの自宅縮潰星睡槽の近傍に転移。空間がむっちり歪んでソファのように座れる。似たようなテーマの本を並行して読む癖がある私は、鞄に入れて持ち歩いていた高橋源一郎『一億三千万人の小説教室』保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』まとめて睡槽に叩き込む。これでも読んで粛々と文芸復興するがいい。アニー・ディラード『本を書く』も送り込みたかったけど、版元品切重版予定なしなので持ち帰る。
店に戻り棚から売り物の高橋保坂を抜いて「この二冊で言及されてる本急いで仕入れて」って文芸担当者に渡す。事務所に腰を落ち着けて消灯。瞑目。知らん限りの物語のなかで現実であって欲しい物語はどれだろうと考え始めるとたちまち閉店時間で蛍の光。



 生 作者:sleepdog

 むかし、文鳥が私にピーナツを三個要求してきた。理由を訊くと、一個は昨日に感謝するため、一個は今日を生きる活力を得るため、一個は明日への備えとして食べるのだという。結局今日生きるための三個じゃないかと問い質せば、それでは豊かさが実感できないと諭された。私はふといじわる心がはたらき、形のよく似た憂鬱の種を一個混ぜてみた。文鳥がどんなふうに食べるか観察する。すると憂鬱の種をかぎ分け、それをよけ、一個を半分に割って今日と明日用にした。それを毎日続けた。お互い頑固だったが、やがて文鳥が空腹でことんと死んでしまった。私はひどく動揺し、硬直したくちばしに取っておいたピーナツを押し込んだが、二度と目覚めなかった。死顔は泣きたくなるほど安らかで、豊かさの信条を捨てぬまま眠りに就いたのだと知った。明日用のピーナツは甘く香ばしく希望に満ちていた。それが一握りほども残ったが、私はもはや巣箱のように空っぽになっていた。



 月面炎上 作者:神無月芥

「いいか、冷静に考えてみろ。
まず月に空気は無い、それはアームストロング船長の写真を見れば一発で分かるだろ。俺たちは何のために宇宙服を着てるんだ?空気が無いってことはつまり酸素が無いってことだぜ。
そんな場所で物体が炎上なんかすると思うか?何かが燃焼するためにゃ酸素が必要、そんなこたぁ科学の初歩だぞ。そりゃ少しは燃えるかもしんねぇ、だが勢いよく燃えるわきゃねぇだろ。
だから月面炎上なんてありえねぇ。俺は何かおかしなことを言ってるか?」

「いや、それが正論だろう。
・・・じゃあ一つ聞くが、今俺たちの目の前で勢いよく炎上しているヤツ、ありゃ一体何なんだ?」



 偏愛フラクタル 作者:秋山真琴

 仮定)遠くに見える真っ直ぐな地平線を、愛とする。
第一段階)愛を三等分する。
第二段階)分割した二点で三角関係を描く。
第三段階)分割点の愛を削除する。
 再帰)第一から第三段階を無限に試行する。
 結論)いかなる愛も微分できず、全ての愛は地平線に似ている。

 こうして地上に一方通行の愛は樹立する。



 だめな人 作者:sleepdog

にとぬの間で男がひとり肩を震わせしゃがみこんでいた。



 降るまで 作者:まつじ

「じゃあ何かい、降れってのかい」
「降れてんだよ」
「しかし何も降らなくったって、こわいじゃないか」
「降ったっていいじゃないか、こわかァないから、ぼちぼち降ってみなさいよ」
「降るってえと何かい」
「降るんだよ」
「やはり降るのか」
「降るよ」
「降るだろうな」
「せっかくもらったこの命、一生に一度くらい降るのが心意気ってもんよ」
「おうおうおう、そうと言われちゃおれだって後にはひけねえ、ひとっ走り降ってやろうじゃねえかべらぼうめ」
「おう、いよいよ降るか」
「じゃあ、ちょっとそこまで降ってくる」

 そういう具合です。



 指先アクロバティック 作者:くるみおとこ

カナイはお碗を机に置こうとした所でつまづいた。
 ムラキがあっと声をあげてカナイを指差す。
 きったねーの!
 ムラキの指先から伸びた紫色の線を辿ってスープをよそって貰っていたシラカワがカナイを観た。
 どうしたの? とスープをよそっている給食係のアカイがシラカワに訊ねる。
 ムラキがさ、といいながらシラカワがカナイを指差した。シラカワの指先から伸びた雪色の線がグルグルとよじれながらカナイに絡みついた。
 もったいないねーとアカイは言った。 指差しながら続ける。
 アオタの鞄が汚れてる、かわいそーw
 アカイの指先から伸びた赤色の線がアオタの汚れた鞄に巻きつき、アオタの青色の線が突き刺さる。
 おいどうすんだよこれ! 指差しながら嘆くアオタの足元で、カナイはこぼれたスープをハンカチで拭っている。
 なんか言えよカナイ! ウジウジとした姿のカナイにきれたアオタはカナイの頭を踏みつけた。
 カナイの悲鳴にクラス中が笑った。何本ものカラフルな線がカナイに引き寄せられる。
 どこを見ても誰かがカナイを指差している。カナイの目にはそれらがすべて同じ色に見えた。何十本もの指先が瞳にやきついてグルグル回っている。



 食 作者:伝助

 ショック。ああ、『土星蝕』という天文ニュウスがちっとも世間を騒がせなかったぜ、くるっくー、と愚痴り、せっかく天体望遠鏡を大量に仕入れたのに丸損だ、騙された、と罵りながら、愉悦イヒヒな快楽街を歩いていたオレマロは、運悪く出会った蜘蛛仕掛けの女に捕らえられてしまった。
 あたし、デキスギサンでーす。と名乗る女は、不景気顔のオレマロに纏わりつき甘い言葉を囁くと、「なんかぁ、お腹すいてきちゃったぁ」と言って腹を押さえ前屈みになり、尻のような胸の谷間をオレマロに見せた。
 それは、幸福な空腹擬態だ。
 オレマロは、腹減り、誰でもいいから話をしたい、おっぱい大チュキと、とにかく、そんな感じの欲望から女が腕を引くのに任せた。
 デキスギサンが案内したのは、友人がやっているという黒枠金網の店で、オレマロの小卓にはたくさんの酒や料理が並んでいく。「こんなに喰うのかよ」と呆れ気味にオレマロが言うと、
 「へーきっ。あたしの胃は宇宙よりでっかいのよ。どう、望遠鏡ででも覗いてみる?」
 女が口を大きく開ける。「あーん、食べさせて」
 オレマロは蜘蛛の巣の上に盛られた蝶羽の刺身を手ずから摘み、それを女のザラザラした舌の上にのせた。