500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 テレフォン・コール 作者:よもぎ

朝。手の中でスマホが震える。『彼』からだ。
「おはよ。そろそろ起きて。いい天気だよ」
返事はしない。けれど『彼』の声で気持ちよく目覚める。
通勤電車の中。イヤホンで聴く『彼』の声。
「今日は11時からミーティングだね。19時には「ボーノボーノ」で女子会だよ。楽しんできてね」
返事はしない。けれど『彼』が私のことをわかっていてくれるのがうれしい。
昼の休憩時。ミーティングで叱られた。『彼』にコールする。
「大丈夫。ボクがついてるよ」
返事はしない。けれど『彼』の声を聴くとヘコんだ気持ちが楽になる。
退社後。『ずいぶん歩いているけど大丈夫?ボーノボーノの場所?OK!ボクが案内するよ。まかせて』
おかげで無事到着。お礼は言わない。けれどいつも私を見守っていてくれる『彼』。

そんなスマホアプリが流行っているのだそうだ。GPS、ナビ、スケジュール管理、検索サイトなどと連動し、自分の好きな声優の声で、状況に応じてボイスメッセージを随時送ってくる。かくして彼女は常にスマホを持ち歩き、『彼』の声に癒され助けられて日々過ごしている。これは『彼』に恋した一人の女性の物語。



 あたたかさ、やわらかさ、しずけさ 作者:瀬川潮♭

「募金お願いします」
 街頭で募金箱を差し出す学生がいたので小銭入れを取り出した。ちゃりん、という音にやや物足りなげに感謝の言葉を返してきたので札入れを取り出した。
「ありがとうございます」
 あたたかかった。

「募金お願いします」
 しばらく行くと募金箱を差し出す黄色いヘルメットに口元を手拭いで隠した、サングラスの男がいた。小銭入れを取り出すと以下略なので札入れを。
「ありがとうございます」
 やわらかかった。

「募金お願いします」
 まただよ。
 仕方ない、と札入れを出したが中に何もない。相手も無言。

「募金お願いします」
 そんなわけで俺も募金箱を持って街頭に立つ。
 街はしずかだ。



 夢の樹 作者:笛地静恵

 僕は長虫蛇取りに山に入った。気がつくと、帰り道がわからない。沢に下りると三等兵がいた。先の大戦の強化兵だ。身体の半分以上が機械だ。色の褪せた軍服を着ている。無数の紋黒蝶が、彼に群がっている。その蝶たちに敬礼をしている。直立不動。僕が近寄って行くと、獲物は逃げてしまった。「ぼうず、どうじで、ごんなどころに、ぎたんだ?」言葉に濁点がついている。道に迷ったという話をした。夢木村まで連れて帰ってくれるという。子どもたちは、いつも三等兵を馬鹿にしている。石を投げたこともある。悪いなと思った。途中で太郎桃の実をくれた。喉の渇きがおさまった。長雨で山崩れの場所に出た。「ごごは八目鰻人が、あぶない。ぎをつけろ」敵国が送り込んだ生物兵器だ。人血を吸う。斜面の土が動いた。土中から八つの眼がこっちを見ている。三等兵は桃を投げた。八目たちが摘まみ上げた。目を細めている。うまそうに食っている。「逃げろ」三等兵が叫んだ。手を引っ張られた。飛ぶように走った。「ごごからは、わがるだろ?」いつのまにか、村はずれの葛橋のたもとにいた。一番星が光った。三等兵がやさしく笑った。両手をばたばた動かした。



 ロココのココロ 作者:熊野ゆや

 ロココとは何か。語彙の少ない僕にはなんのことだか分からない。調べてみるとフランスに関係があるらしい。ココロという言葉についてなら知っている。他人のココロとなると知っているとは言えない。
 ロココのココロとは何か。フランス人のココロか。僕にはたぶん分からない。ただ、紙に書いてみて、回文であることに気付く。フランス語が右から読むのか左から読むのか僕は知らない(左から読むとは思う)けれど文字を右から読む習慣の国に生まれ育った人には優しい。
 でも日本語としてロココのココロについて考えたのが間違いだったかもしれない。ロココもココロも文字として単純すぎて、似たような文字が外国語にあるかもしれない。OccやccOと似ている。
 ロココさんが鏡を見ると映し出されたココロさん。ロココさんは鏡に映る自分がccロでなくココロならば自分がロココさんではなくロccさんであることに気付いてしまう。何かがおかしい。ロココさんとココロさんは似ているけど同じ世界に生きていたはずで、どちらか片方が鏡の中にいたら、どちらか片方しか存在できない。僕は世界のどこかで困っているロココさんとココロさんのことを考える。



 麦茶がない 作者:空虹桜

「イナガチャムギ観察!?」
 今でもハッキリと自分の驚き声を覚えています。
 夏休みの大半をわたしは野山で過ごしていたので、母は自由研究にそのような提案をしたのでしょう。イナガチャムギが珍しくない地域でもありました。
 ご承知の通り、イナガチャムギは蛹の間に発酵を伴うため、古来より蛹を集めて潰し、酒としました。子どもは誰しも一度呑んでみたいと思うもので、わたしも、自由研究中に呑む機会があるかと期待しました。
 翌日から、わたしは山でイナガチャムギの幼虫をたくさん捕まえました。幼虫は主に朽ちたギムの木にいますが、ギムトハの木にもいます。捕まえた場所や時間、木の名前を観察日記にまとめました。あまりにたくさん集めたので、一匹ずつではなく、しかし、詳細に記録しました。
 まとめる中、ギムチモの木で捕まえたイナガチャムギは、蛹の間に発酵しないことに気づきました。できる限り辞典やWebを調べましたが、そんな記載はどこにもありません。つまり、世界でわたししか知らない事実だったのです!
 そこからさらに研究を重ね、完成したのがチャムギです。商品名としては漢字を当てています。



 気体状の学校 作者:遠音

逃げ水が反射する大空の欠片、きっぱりした青を捉えた瞬間に、僕は見知らぬ門の前に立っていた。
見知らぬ、というにはあまりに既視感のある門だった。
「やぁ、テン君。ようこそ」
ギョッとしてふり返ると蝶ネクタイのにこやかな紳士がいた。
僕の幼い頃の、秘密のペンネーム。なぜ、この男が?
「あれ、テン君、覚えてないの? 君がこのぐらいの時はよく遊びに来てくれてたのになぁ」
紳士は掌でわき腹ぐらいの高さを示しながら、湿った紙のように、顔を悲しそうに縮こめた。
「ようこそ。蜃気楼の学び舎へ」
紳士は背筋を伸ばし、大仰な挨拶をする。

しんきろう。

途端に僕の埃とガラクタまみれの海馬の奥底がどぅと雪崩を打ち、ドミノ倒しのように記憶が波打ってゆく。
「ああ!」
思わず声をあげていた。
「おお、テン君思い出してくれたんだね?」
途端に校長が破顔する。
蜃気楼を抜け切った時だけ見える、学校。
会うたびに容姿が変わる、自称「校長」。
飛び来る銀矢の如く、僕の脳裏に蘇った、彼女のことを、手が焦げるのもかまわず、はっしと掴み、急いで言葉に紡ぐ、
「あの、彼女は?」
校長が僕の背後を指差す、僕はふり返って見つける、その左手の指に煌めくもの。
「…ありさ!」



 一夜の宿 作者:雪雪

夕刻に生を享け、明け方に死んだ新生児にとっては、いまある世界のすべてが一夜の宿。

目を覚ました自分が、しぜんに左を向いてそこに誰もいないことに驚いたことに驚く。誰もいるはずがない。それなのになぜ涙が流れるのだろう。夢の名残がある。古い約束。まるで生まれる前に交わしたかのような古い約束。

玄関を開けると訪問者は背景の夕焼けと混じり合ってもくもくしていたがぱつんと音を立てて適度に好感の持てる異性の姿形になった。
「お隣はお留守ですか」
「遠藤さん?あ、いやプロキシマケンタウリ文明ですね。わかりません。私達の文明は第三段階に入って四百年ほどなので、まだ恒星間航法は実現していないんです」
私の中から磁石にくっつくようにぽんと答えが出た。
「ネゲントロピー勾配を指標にして着象したので太陽系文明に着いちゃったんだなあ。お隣は滅んだのか非文明化したのか。恒星間くらいの短距離の方が消耗するので、一晩泊めていただけませんか」
「どうぞ」
と言った途端にもう室内におり「おひとりですか」その問いに私が答える前に「ああ、おひとりなんですね。そうか、そっちの歴史か」そうひとりごちて振り向くと顔が左右に激しく震動するようにぶれている。いま漂った微妙な空気に的確な表情を検索しているのだろう。



 永遠の舞 作者:笛地静恵

 都市の終末は、あまりにもしめやかに、おとずれた。やさしく、しかも華麗であり、においやかだった。だれが、このような最期を予知し得たであろうか。暗黒が、空をおおった。何人かは、空が、真紅に染まるのを見た。まだ夜の照明の光が首都の街路に、ともっていたからである。光が舞った。それから、電気が消えた。あたりが、暗黒に包まれた。空気が圧迫されている。耳鳴りがした。もっとも高いビルの屋上の階から建築物が、その物体の重みにつぶれ始めた。轟音が轟いた。深紅の物体の下降は、とどまるところをしらなかった。それ自身の重みで、ビル街を次々に押しつぶしていった。通りを歩く人々をコンクリートにすりつぶした。群衆の悲鳴も、叫びも、その下に消えていった。極東の小さな島国の、それでも一千万の人口を抱えていた首都が、一夜にして滅亡した。平野が陥没した。真紅の物体は、出現したときと同様に唐突に消失した。風が動いた。大津波が来襲した。新たに三角の海が生まれた。後世はそれを三角海と呼んだ。「おかあちゃん、舞の赤のパンティ知らん?ここに干しといたんやけど」「あんた、また、盗られたんとちゃうの」