500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第27回:アルデンテ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

「アルデンテって、なんのことか思い出せない。えーとえーと...
 あっ、そうだ、ブラジルの隣の国。」
「それはアルゼンチンだろ。」
「えっ、あ、そう、じゃあ、音楽用語だ。」
「それはアンダンテ。」
「そうなの、困ったわ、どうしても思い出せない。じゃー、ポチに聞いてみよ。」
「ポチ、ポチ、アルデンテてなんなのか教えて?」
「     ...ン、ワン...ワン、ワン」



 はぁ〜。うめぇ。



 ちょ、ちょっと待ってくださいね。いやそんなに焦らなくてもいいじゃないですか。だから、落ちつついてって舌噛んだ。大丈夫ですから、とにかく時間をくださいって。途中でやられても困りますって。最後まで。ねえ。終わりまで見てくれないと。そんなことで目くじら立てない。絶対OK。分かってますよ。
 ああ、ほら来た。ようやくですよ。いや、ここに居続けたかいがありましたね。近づいてきますよ。あともう少し。ゆっくりと。私の言った通りでしょ? こっちこっち! 手早く! ああ! 通り過ぎちまった! 惜しかったのに惜しかったのに!



「石川の!とうとうお前も年貢の納め時だな!」
油の煮えたぎる釜を目前に控え、
五右衛門はふっと玄以を振り返りおねだりした。
「おいしく茹でてね」



ポコポコッボコポコッボコ。五右衛門風呂にそれを加えたら犬が誕生した。
僕はその犬をアルデンテと呼んだ。僕らはすぐ仲良しになりお気に入りのpatule en boisで遊んだ。
でも、アルデンテは部屋を飛び出し置手紙を残して消えた。『…すぐ来い…』って。
そして、ワガママな犬を追い僕は日本から旅立つ。
月夜の砂漠を歩きながら空を見上げると漢が広がっていた。正に青天の霹靂?
之もアルデンテのおかげかぁ。
万里の長城を越え、ターバンの民にデカの真似をしたところ奴の行き先が分かった。
水の都、橋の多いこの町ににアルデンテはいる。僕はそう確信しこの町を探索した。
カカシの足に魔法をかけるため僕は一城のレストランの扉を叩く。
テーブルの上に出されたナポリのソースの下にアルデンテはいた。そしてこう言ったのだ。
「ヴェニスの陰追いでもいかが?」
僕はティントレットの最後の晩餐に乾杯した。



 アスファルト路に黒黒と焼付く影を背で引き摺りながら、トコは朦朧と歩み続けた。思わず素肌の上にシーツを巻きつけただけの格好で家を出てしまったことを、一時の感情に流されたことを、ずっと後悔している。
 どのくらい飲まず喰わずなのだろう。まるで自分の身体が乾燥キュウリのようだと誰にも彼にも自慢してみたい。いかに飢え乾いているかを説明したい。喉がカスカスなので、愉快な身振りや手振りで。筆談を交えて。好意があるなら、アイコンタクトで。
 キッチリキチキチィセイホウケイ!!
 虚しい言葉を吐いて、恨めしげに暴れ太陽を見上げたトコの胸元に、ぽとり、どこからか水滴が落ちた。慌てて掬おうとするが、滴はトコの表面を滑り落ちていく。胸から腹へ、そして (突然ですが皆様はじめまして私はチュリピーナ・チョチュリーナという名前のチューリップの妖精です。村の長老から「名前なげぇ」と言われて人間界に新しい名前を探しに来ました。そして辿り着いたのが例えて言うなら森の中に妖しい塔が建っています。妖しすぎるので迂回すると双丘がありその谷間にある落とし穴に私は嵌ってしまいました)
 命を懸けたトコに不可能は無く、お尻から落ちそうになった滴をきゅぽとお尻の穴に吸い込む。
 ポリエステルーン。
 トコの全身に広がる、清涼感。



 人生なんてアルデンテ。
 天気が良いなら、鼻歌まじえて山へ行こう。
 雨が降ったら、お気にの傘とおろしたてのレインコートで街へ行こう。
 夏は暑いぐらいの方がいいし、冬は寒いぐらいの方がいい。
 ボクとキミとの関係は、まるでオリーブオイルとガーリック。たまにはお塩をゼイタクに。
 背筋は伸ばして、芯は残して。
 あったかいうちに、召しあがれ。



 柔らかな飴色があたり一面に満ちあふれるなか、光食いが大口を開けている。飴色を口いっぱいほおばっては、ばっくりと食む。そのなかに、あまりにも細くて短すぎる雨がひとすじ。ふんむ。歯を合わせたあと、光食いは眉をひそめて空を仰ぐ。
 気づいた? 気づかれた? 光食いに気づかれたら負けだよ。もし気づかれたら。
 ふむん。光食いは表情を変えず、また大口を開ける。飴色の光はとどまることなく空から降り注ぎ続けている。
 エンジェルが飴色のなか、細い雨の矢じりをかまえては放ち続けている。危険な遊び。
 気づかれたら負けだよ。でも気づかれなかったら。
 柔らかすぎるんだよ。
 光食いは足りない顔でごおおと吸い込み、はむん。ばっくりと、エンジェルの胴の真ん中を、歯形で突き破る。エンジェルは笑い顔のまま、半身をごっそり食いちぎられる。
 光食いはもそもそとそれを味わう。このつかの間の歯ごたえのために、光食いは食い続けているので。



 パウリーニョは、うん、いつもどおりアゥ・デンチだ、と嬉しそうに喰っている。
 たまにヤツと会って昼飯でも、ってときは決まってこの神田すずらん通りからちょっと入った安いイタリア食堂だ。くすんだ赤白ギンガムのクロス、くたびれたウォルナットの鎧戸が開いた窓、どこを取ってもイタ飯屋なんて小洒落た呼び方より「食堂」という方が似つかわしい。そこで細縁の眼鏡が少々ずり落ちた気難しそうな親爺の供する、ただ一種類の「今日のパスタ」を喰らい、それからビールを呷ってはひたすら喋るのが俺とパウリーニョの習わしだ。
 で、何でいつもパスタなんだ、たまにはフェイジョアーダが喰いたくなったりしないのか、と一度訊いたことがあるんだが、ヤツは一瞬憮然とした表情をしてから、いや別に、とだけ言ってまた例によって昨夜クラブで引っかけた女の子のこととか計画中の新しいイベントのこととかを楽しげに喋り続けた。俺は何だか自分のした質問がバカみたいに思えてきた。ポキポキ折れるほどの固茹でを旨そうに平らげ、上機嫌で去ってくヤツの速い足どり、それで十分だ。俺は、って言うかこれじゃグリッシーニだろ、と軽口を叩いてはまたビールを流し込み喉を鳴らす。



「ねえ、これちょっと軟らかすぎると思うんだけど」
 鍋を洗ってる彼女は振り向きもしないで答える。
「いいのよ、それくらいで。それより顔洗ってらっしゃいよ」
確かに、うたたねしていたぼくの髪はくしゃくしゃだ。
「でも、パスタっていうのは…」
「いいの。軟らかめの方が消化にいいし。だいたいわたしの方がたくさん食べるんだから」
「まあ、二人分だからねえ」
 ぼくとムダ話しながらも彼女の手はてきぱき動き、みるみるミモザサラダが仕上がっていく。
まだ、なにも変わっていないように見えるのに。きっぱりした言葉は以前と同じでも話し声はなんだかやわらかくなった。自分の意見を決して変えないところは全然変わっていないけれど。
「もう。つまみぐいしてないでテーブルに運んでよ」
 言葉つきとは違うまろやかな声の響きを聞きながら、もう一口。うん、やっぱり。ぼくは芯のあるほうが好きみたいだ。



 罪人たちはみなケーブルに繋がれている。ただそれだけでは自立出来ないものたちをみていると、不安になって、そのせいで、ケーブルに繋がれて独房にいる。痩せた男はゾウを悲しませた罪で独房に入れられている。彼はゾウの鼻にモップを突き刺して、それをレーザーメスで切り刻んだ。その隣の女はおでん屋の女将。ただ、ゴボウをちくわをコラボレーションさせただけなのに、逮捕され、投獄された。みな不安だったのだ。その不安を取り除こうとしただけなのだ。なのに、私たちはこの薄暗い曖昧な場所に閉じこめられ、ケーブルに接続されている。痩せた男から、おでん屋の女将から、そして、この私からもやるせないケーブルが伸びている。ケーブルはどこまでも走っていき、不安定な現実と現実をしっかりと繋いでいるつもりになっている。どこかから、巨大なハサミが現れて、ケーブルを切断しようとしている。ケーブルはその中心で、少しだけ抵抗して、そして——ぶつん。



お前は食えない奴だ。若い頃親父によく言われたことばだ。
当たり前の事言うなよ。って口癖のように言い返していた10代には有り余るエネルギーを武器に見えない敵を打ち負かしてきた。
しかし、20代になると罅がはいり恐怖という痛みを知った。
そしてそんな私を暖かい温泉のように包み込んでくれた人と出会ったのが30代。
父親と同じ位置に立ちようやくあのことばの意味が分かった気がする。
親父、俺今も食えない奴ですか?この問いかけにきっと親父はこう答える。
「まだ少し時間はかかるが、あまり茹ですぎるなよ」ってね。



 スパゲッティ空間を渡る銀河鉄道に乗って少年は遥かなる旅に出た。
 あまい匂いのあたたかな星雲をからめとり、均質に透明な星間クラッドで減速し、ついに光の密なる天の川コアにたどり着く。肉体を遊離したパルスがほとばしり、情報は大河の如く滔々と、あらゆる明滅を内包するアンサンブルが軌道の上を永遠に流転している。
 生命はいつか死に至るもの。ならば歯ごたえある男になれ。
 黄金の髪にも似た超弦宇宙はしなやかに弾み、グルテンをたたえて今なお熱い。



 ぼくが君を蕩けさせてみせるから、信じてすべてを話して欲しい。
 きっと吐露すればとろとろに、ともすればたるたるに、爽快に氷解する重大な難題。
 けれど君は髪の毛一本の誇りで、ぼくの誘いを跳ね除ける。けれど君は薬指一本の約束でぼくの願いを吐き捨てる。
 たったひとつの汚点すら修正ペンで消されるのを拒む習性。たったひとつの汚点こそ蛍光ペンで飾られるのを好む傾向。
 忘れてしまえ。許されてしまえ。そんな硬質な生き方に一体何の価値がある。
 割れてしまえ。揺れてしまえ。そんな固執は死に様に一輪飾るだけで良い。
 今一秒進むのにそれがどれだけ不要で無用かと、どんなに多様にかように説いても、首が縦に振られることは一度もない。
 それでもぼくは諦めはしない。必ず君の苦悩を完全に解放する。焦らず君の不 能を丹念に介抱する。
 アンダンテで近付く、アルデンテな君に。ぼくはその芯を打ち砕く使者。



 気絶するかと思うほど強く、あなたはあたしを抱きしめる。それは、あたしが決して折れたりしないと知ってるから。頼りなげに見えるあたしのピンと張った白い背筋が、いとしくもあり、妬ましくもあるから。あなたは全身の力をその腕に、指に、唇に込めて、あたしのかたちを絞り込む。しなやかにしなりながら、あたしはあやふやな日々の装飾を全部そぎ落として、一本の線になり、躍る。
 あなたの歯があたしの芯に達するとき、あたしはほの甘く匂い立つ。



 魔女みたいな気分だわ。
 湯がたぎる大鍋から目を離さずに、彼女が言う。童話にありがちよね。毒薬つくるシーン。
 言葉をみつけられないまま、僕は缶詰を開ける。科白を選べば選ぶほど、泥沼に嵌る気がした。黙り込む僕を激しく責めたてていた彼女は、いつの間にか不機嫌すら露にしなくなっていた。
 無表情な横顔が、何でもない風に呟く。
 地獄の釜のほうがいい?
 そこへ飛び込んで終わりなら、どんなにか楽だろう。僕は、白くぶわりと茹で上がった自分の体を想像する。だらしなくゆるんだその皮膚を。
 彼女は、パスタ皿を僕に突きだした。
 今日の作品は過去最高、絶妙の茹で具合だ。そうおもったから、口にだした。その声は、しみじみと響いた。彼女が目を伏せて笑う。眉間を不自然に強張らせたまま。
 黙々と、僕らはフォークを動かした。
 彼女の茹でたパスタが嚥下の度に僕の臓器に絡まって、締めつけてくるのが解った。多分、このまま深く根づいてゆくのだろう。
 彼女が泣いた。



おれのこれまでの恋は、いずれも彼女らとの別離に終わっている。
ふられた訳でもないし、ふった訳でもない。

おれの別れ方、それが、ほら、そこに横たわっている女だ。
どうしたのか? だと?
知れたこと。

愛するが故に彼女らの魂をその肉体から“解放”してやったまでのこと。
責めるのか? おれを?
だがな・・・

おれなりの最期の愛情ってやつだ。
彼女らが苦しまぬよう、苦しみの長引かぬよう、窒息させるのではなく
頸骨をひと思いにねじり折ってやるんだ。

彼女らの細くしなやかな首の肉の手触りの中に
一本“芯”の通った骨の感触・・・それがおれに飽くことのない
新鮮な感動を与えてくれるってものだ。

・・・さあ、行こうか。
捕まえに来たんだろう? このおれを?



たわわに風が吹く蒼い草原の丘にわたしはいる。
目下にある小麦色の大地とゆるやかに流れる金色の波は大自然の香りを運んできてくれる。
そして、無題のアルバムは開かれた。
小さな小屋の小さな窓がある小さな部屋の小さなテーブル。
そこは二人だけの空間。
大きな笑い声も、わずかなプレゼントも、そしてくもの糸のような幸福も。
細く、細く、細く、いつ切れてもおかしくない。
美しく、美しく、美しく、この世にある天国の糸。
スルリと通るあなただけの味と優しさ。
呑みこんだわたしだけの思い出とわびしさ。
今ここにあるのは私だけの世界と落とされた一滴の雫。
アルバムは閉ざされた。アルデンテという題を残して。



たっぷりの湯を沸かす。バスソルトをひと握りいれる。アロマティックな香りが立ちのぼる。君を抱いてバスタブにそっと下ろす。君の髪を洗う。シャンプーをきめ細かく泡立てて髪の毛の1本1本をほぐすように優しく指の腹をあてる。よく洗い流す。君の体を洗う。まぶた、耳朶、うなじ、背中、乳房、指の先、へそ、陰部、膝の裏、足の指。アンティークの白磁を扱うように指先に神経を集中し丁寧に丁寧に君の形をなぞる。入浴時間は27分。1分前に脈拍を確かめる。頸動脈に唇をあてる。いつもより少し高めになったらバスタブの栓を抜く。柔らかく清潔なバスタオルで押さえるように全身の水気を拭きとる。そして洗い立ての真っ白なテーブルクロスに君を運び、君を楽しむ。



 塩加減はどうだ。湯の量は十分か。沸騰の具合は。適度にほぐす、そう、表面が荒れない程度に。
 間もなく茹で上がる。ソースの準備はどうだ。絡める間に火が通る分は計算済みか。盛り付けからサービングまでの段取りは。ワインは。---さあ、出来た!

 何が?
 永遠が。
 湯気に溶け込む麦の香が。