500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第49回:偏愛フラクタル


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 私の目の前に大きな鏡が立っている。
 ふと足元に目をやると、ハガキ大の古い鏡が一枚捨てられている。
 私はそれを拾い上げ、目の前の大鏡に映してみる。
 『合わせ鏡』って言うんだっけ、これ。鏡の中に、私と鏡。その鏡の中には、さらに私と鏡。姿こそ小さくなっていくけど、永遠に途切れることのないフラクタルな世界。
 とその時、どこからともなく聞こえる声。
 「ようこそ。あなたは∞+1人目の私です。」
 
背後に、カチャリと鏡を置く音。

 嫌な予感がする。



 浜辺をさまよっている。淋しい冬の浜辺を1人、さまよっている。
 繰り返す波は、ざざあん、ざざあんと耐えることなく打ち寄せて、コカ・コーラの空き缶を掻っ攫っていった。
 私は、満ちようとしているのか、それとも引いていく最中なのか分からない波のどこら辺に、愛しさゆえに  してしまった  を捨ててしまおうかと。捨てるべきかと苦悩しながら赤いマフラーを翻した。
 そしてただひたすらに、浜辺を。



 自己犠牲こそが恋愛だよ、君。その他の行為や感情なんか全て性的欲求に基づいているわけだから、ドキドキしたりセックスすることが恋愛だなんて甚だ可笑しいね。ただの生物の本能じゃあないか。コオロギが鳴くのが恋愛かい?あれは遺伝子サバイバルと云ってもいいぐらいだよ。どうだい、君もそう思うだろ?僕達だけはあんな理性を削り合うような関係にはならないでいようね。愛とは自己犠牲で、自己犠牲だけを僕は愛するよ。

 あーあ、派手に轢かれたもんだね。電車に轢かれると、こんなんなるんだ。勉強になったよ。もう僕の声なんか聞こえないだろうけど、実は僕はもう君にはうんざりしてたんだ。だから、最後くらいロマンチックに別れようという僕の憎い演出がこれさ。最後くらいこんないい思い出をくれても良いだろう?なんてったって、こんなに長い間、自分の心情を犠牲にしてまで退屈な君に付き合ってやったんだから。おや、もう泣かないと。
「だ、大丈夫ですか?ホームまで上がってこれますか?も、もう一人の方は・・・あ!」
「彼女、自身を犠牲にしてまで・・・ぼっ僕の、こっこと・・・突き飛ばし・・・てくれてっ・・・うわあぁぁぁああ」
 怨んでくれるなよな。



 その街の若者たちはフラクタリストを自称し、フラクタルの身体を求めて旅に出る。だが、どうしてなのか誰も彼もフラフープを持って戻ってくる。そして指摘されるまでそのことに気がつかない。大量の青・黄・赤・緑・黒のフラフープを有効活用するため、その街議会は次のオリンピック開催地に立候補することを決定した。責任を感じた若者たちは五輪をフラクタルにデザインしたシャツを着てオリンピック誘致に貢献しようと考える。「そんなことよりも真面目に働いてほしい」と嘆く大人たちはわが子をフラクタルにデザインしたネクタイやスカーフを目立たないように身に着けている。その街の大人たちはフラクタリストを自称せず、フラクタルの身体を求めない点において大人なのだ。



仮にだ、僕の君への愛情を100としよう。
そして、それを100分割して、そこから1個取り出したとしよう。
そして、それをさらに100に分割する。そして、そこから1/100をさらに取り出す。
そしてさらに、それを100回繰り返す。

で、その1個分ぐらいなんだ。あの子に注いだ愛情ってやつは。
だから、許してくれよ。許して下さい。ごめんなさい。もう浮気しません。



「はっはっぁーい。銭屋ハートフルワードのお時間となりましたぁー。みなさん、よろしくよろしく、よろしくですぅー」by疲れたおやじの無理したハイテンションモード。
「あのう、先生、気になってたんですがハートフルワードって何ですか?」byクールなアシスタント、かわいい真美ちゃんモード。
「ハートフルですよ。ワンダフルですよ。ビューティフルじゃありませんか。つまり心、南総里美八犬伝、勾玉のおろち、山田詠美、レイチャールズ。いわゆる魂の叫びってやつです。ソウルですよ」
「それならソウルフルじゃありませんか?」
「そうでフル」
「すみません。むっちゃ寒々なオヤジギャグなんですが先生」
「ハッートふる」
「先生。正気に戻ってください。放送がむちゃくちゃですよ。先生!!」
「フラクタルですよ」
「えっ、何? フラクタル?」
「フラダンスじゃありませんよ」
「そんなことわかってます!!」
「自然界はフラクタルであふれているのです。真理を求めようとすることはフラクタルをフラクタルでないものとして……」
「あっ、先生、お時間です。
 はい。お時間となりましたぁー。みなさままた次の放送でお会いしましょう。ごきげんよう。さようなら」
「ほっほーい。鵺の鳴く夜のバーボン花火。おねぇーちゃーん。ワシいつでも用意万端やでぇー。待ってるさかいなぁー。銭もぎょうさんあ/
 ブッチッ。 off



 くいん、
 と鳴るたった一音に脳天から脊髄までを貫かれて以来、洋の東西、代の古今を問わずくいん、を求めて貪ってみれば、くいん、はきゅいん、はたまたぎゅいん、ぎゅいーんであったりもするのだが、そこここに、あちらこちらに散らばっていて、くいん、に触れる度に胸や背はあわ立ち、血は沸き立ち、身体の細胞という細胞は一斉に活性化される様な、それでいて頭はピンと醒め、視力はみるみると良くなる様な覚えがして、全く僕はくいん、に夢中になってはっきりと言えば恋をしてしまってそのあまりにくいん、には到底足らない他の数多の音を、くだらないと思う様になって今ではもうくいん、なしでは生きられないくいん、中毒で、そうだ、念の為に言っておくけれどくいん、はくの字よりもいんの字を強めて、つまり、く<いん、と読んでもらいたいので宜しく、いんの響きが重要で、時にはくいぃいぃいぃいぃいん、とビブラートが掛かる場合もあって、これも胸がきゅいんと共鳴してたまらなく、僕にとっての福音とも言うべきくいん、があれば僕はもう飯何杯でも、は食えんけど、喩えるならばそんな気持ち。



巨大な合わせ鏡の中で、男は目の前にいる無数の男たちを順番に抱きしめていった。



粟立つ肌に頬を当て、生成しては消え入るそのかたちに固唾を呑む。かぼそい呻きがひび割れて粉々に砕けゆく。サラサラになったそれをあなたに擦りつけ、そっと息を吹きかけて眼を閉じる。



十月三十日 天国で
 今日も明日の天気の話だ。
 昨日もそうだった。
 明日もそうだろう。
 果てしなく高い巨木の頂に咲いた永遠の花びらが一枚付け加わるたびに空の色はますます濃くなってゆく。

七月六日 縁日
 大きな青い朝顔の花を見つけて、美しい、まるで君の肛門みたいに。と言ったら殴られた。

九月十四日 庭
 ピアノを弾く。猫がくしゃみをする。雀蜂が飛び立つ。雀蜂が青いのは、逞しい腕に抱える肉だんごのもとになったかまきりの血を浴びたのだ。



「えー、フラクタル、フラクタル、フラクタルと言うと、あれ、あのフラクタルですか。あいやいや、存じております存じております、ドンと来いフラクタル。あなたの役に立つのならフラクタルの一つや二つ、ねえ、いやこっちの話。フラクタル、あれはね、あれだ、いいですね、とてもいい、好きです。うん、大好き。寝ても覚めても、家でも外でもフラクタルだらけてもんで、人生はフラクタル、また人間自体がフラクタル的な存在なのではと思い日々暮らし、私自身がフラクタルになるんじゃないかてくらい大好き。アレなんで速記なんか、小説か何かに使う、このまま、私を、参ったなイヤこっちの話、少し読ませて貰っていいですか。なんだか私フラクタルばかり言ってますね。何、それも書くんですか。ははあ、「なんだか私フラクタルばかり言ってますね」と。えええ、まだですか。「なんだか私フラクタルばかり言ってますね。何、それも書くんですか。ははあ、「なんだか私フラクタルばかり言ってますね」と。えええ、またですか。」て、また「なんだか私フラクタルばかり…
 
いやもう止めておきましょう、この話はなかったことに。このままじゃあ私、本当にフラクタルになってしまいそうだ。」



 目の前で肢体が裂けた。血はしぶくこと無く、海水に揺らぎ混ざる。赤いのれんをくぐるように、サメは群れでうねる。でも、ヤツらは食わない。裂くだけだ。長い臓器が海蛇のように浮遊する。
 食わないのは報復だから。私には分かる。
 私も、噛み裂かれた。目の前が赤くなったかと思うと右手が舞った。無論、痛い。深海魚のような臓器が、泣き別れた私の腹から出て泳ぐ。恩知らずどもと思ったが、まあいい。今まで幸せだった。
 愛した彼は、もう死んだろう。でも私は死なない。恋して人になる前は、魚どもを統べる人魚の女王だったから。故に、海で死ぬことはない。
 彼を愛したのは、不思議に煙る瞳が美しかったから。どんな真珠にもない輝き。愛い。
 が、彼は死んだ。ただ、愛は貫きたい。
 私は海では死なない。臓器や肉片だけになっても、その一つ一つが私。幾那由他の肉塊と血球が、幾那由他の愛でそれへと向かう。無事に包むと着底し、守る。煙る瞳を開いて見上げると、彼の臓器が他の魚どもについばまれていた。



 ふたりの足跡を波が消していくのを、私は振り返って見た。
 雷鳴は段々近づいていて、空は真っ黒い雲で覆われている。
 車に戻るあなたを私は追いかける。
 ただひと言「愛してる」と言ってくれたら、それで終わるのに。
 ルール違反ができないあなたは、私の友達の恋人。
 ただひと言「愛してる」と言ってくれたら、それで終わるのに。
 車のフロントガラスに落ちる雨粒。
 雷鳴にまぎれてでもいいから、「愛してる」と言ってくれたら、それで終わるのに。
 ふたりの関係が変わってしまったら、もう私の愛はさめるのに。
 雷鳴にまぎれてでもいいから、「愛してる」と言ってくれたら、それで終わるのに。
 車のエンジンをかけて、何も言わずにあなたは走り出す。
 ただひと言「愛してる」と言ってくれたら、それで終わるのに。
 ルール違反しかできない私は、「愛してる」と言わないあなたを愛してる。



 仮定)遠くに見える真っ直ぐな地平線を、愛とする。
第一段階)愛を三等分する。
第二段階)分割した二点で三角関係を描く。
第三段階)分割点の愛を削除する。
 再帰)第一から第三段階を無限に試行する。
 結論)いかなる愛も微分できず、全ての愛は地平線に似ている。

 こうして地上に一方通行の愛は樹立する。



 地球が宇宙を愛するように、希望が未来を愛するように、現実が奇跡を愛するように、炎がろうを愛するように、猫が眠りを愛するように、死神が魂を愛するように、月が太陽を愛するように、音楽が空気を愛するように、雨が雲を愛するように、死神が魂を愛するように、瞳が涙を愛するように、天使が白光を愛するように、絶望が血を愛するように、亀が兎を愛するように、虚構が真実を愛するように、夢が夜を愛するように、不安が影を愛するように、群青が真紅を愛するように、水が地底を愛するように、おはじきがびーだまを愛するように、陽炎が蜃気楼を愛するように、悪魔が闇を愛するように、少女が詩を愛するように、翼が風を愛するように、海が空を愛するように、僕は君を愛せばいいのか?



 カタルシスをおもうとフラクタらずにいられない。カタルシスがカタルシせばカタルシすほど、わたしはフラクタってしまう。いまや、たとえカタルシさなくともカタルシスがカタルシスであることにかわりはないときづいて、カタルシしていないカタルシスにもフラクタるようになってしまった。もうカタルシスでなければフラクタれないし、カタルシスであればどんなにフラクタってもフラクタってもまだフラクタりたりない。でもわたしはわたしがフラクタったからといってカタルシスにもカタルシしてもらいたいだなんてけっしておもわない。もちろんわたしがフラクタることでカタルシスがカタルシしてくれたらうれしくてうれしくてますますフラクタってしまうのだろうけれど、それをもとめるのはちがうとおもう。ああ、いけない。わたしがフラクタればカタルシスがカタルシすとかんがえただけでまたフラクタりそう。どうしよう。



 間宮家には、なかなかな因縁がある。
 間宮さんのお父さんはAB型の次男坊。間宮さんのお母さんのお父さん、つまり、間宮さんのお爺さんもAB型の次男坊。さらに、間宮さんのお婆さんのお父さん、つまり、間宮さんの曾お爺さんもAB型の次男坊。
 それだけではない。
 間宮さんのお母さんのお姉さん、つまり、間宮さんの伯母の旦那さんもAB型の次男坊。間宮さんのお婆さんの妹さんの旦那さんもAB型の次男坊。
 高校生の頃、あまりに気になった間宮さんが調べると、間宮家母方の旦那さんはいずれもAB型の次男坊なのだという。
 だから、間宮さんは一人っ子のA型と結婚した。

 ハズだった。

 一人っ子だと思った間宮さんの旦那さんには流産となった兄がいた。
 そして、旦那さんの入院——骨髄性白血病。
 治療のため行った骨髄移植により、間宮さんの旦那さんの血液型はAB型となった。
「そんなのズルいよねぇ」
 たしかに。



 マギーばあさんの雑貨屋はいつも開店休業で、つぶやく愚痴はしわの数。エイミーは店のお手伝い。大学の中退届けは書きかけで、人柄はどこかフラクタル。まかないのサーモンサンドからはみ出たレタスの緑色。いきいきした白い歯でかぶりつく。鳩は分け前をもらえず飛び去った。リックは空を眺めて破顔する。色鉛筆の長さはだいぶまちまちで、坂から海を見渡せば、街路樹の間をぬってタグボートたちが行き過ぎる。
 初夏の鼻唄はフラクタル。しゃっしゃっと白い手が光と水をまく。店先に並べる種は品切れで、この子が全部隠したことは知っていた。
「ねえ。人が港へ流れてく」
 それもそう。街一番の建築技師(またの名は兄)が図面を引いた、街で最大の海上美術館——その翼が午後ついに開くのだ。建築技師のポリシーもまたフラクタル。ここで百回はその話題をした。
「行ってきなよ」
「お前の手のかたちが決まるまで動かんよ」
 水筒から熱い珈琲を注ぐ。
「年寄りってほんと意地っ張りね。じゃ、こんなかたちはどうでしょう」
 それもそう。ギザギザなものが坂を転がり、この子の両手をスパンと撥ねても、一本の色鉛筆だけは最後までそのフラクタルを解体していくことだろう。



 フラクタルには妹がいた。名をクリステルという。フラクタルはクリステルを偏愛していた。妹の事が可愛くて仕方がなかった。光の強い瞳とその上に綺麗に並ぶ睫も、カールがかったブラウンの髪も、おにいちゃんと呼ぶ声も、めそめそといじける仕草も、フラクタルには愛しい宝物だった。絵が得意だったフラクタルは、クリステルの絵を幾つも描いた。キャンパスにも、画用紙にも、ノートにも、本の端、広告の裏、下着、無地のスニーカー、カーテン、シーツ、フラクタルの持ち物の白い処はことごとくクリステルの絵で埋め尽くされた。何年も何年も、兄妹が成長し大人になっても、二十七歳で事故に遭い亡くなるまで、フラクタルの愛情は変わらなかった。
 そのフラクタルの死後から数年、街中のとある催場で個展が開かれた。詰め掛けた人々の目を特に引いたのは、最奥に飾られた一枚の大きな美しい絵だった。一人の少女が裸で後向きに座り、その背中にもう一人の少年が筆を走らせている。
 「この絵のモデルは?」
 「本人と、その兄だそうだ」
 C・ディアール展の目玉であるその絵には、『偏愛フラクタル』と題されていた。



「犯罪者と浮浪者と聖職者は類似した感性を基に成り立っている」
 ある著名な心理学者の言葉であり、警官である私には戦慄に値する予言であった。

 奴を逮捕した時の、あの恍惚に包まれていたかのような表情を今でも覚えている。
「なぜ笑っている?」護送車で私は、極刑必至の手錠に繋がれた連続殺人魔に問うた。
「・・・皆の・・・あの憎悪の目」奴はこう答え、自分は今幸福の極致にいると語った。
 複雑怪奇な事件にも拘らず、取調べは驚くほど順調に進んだ。それは奴が尋問に対し、すべて精巧なまでにありのまま答えたからで、その事も深く印象に残った。

 私は子供の頃から警官に憧れていて、よく用もないのに交番へ行き、彼らの職務を見学した。私は強くて優しくて勇敢な彼らのようになりたいと願い、そして夢を叶えた。
 現代の子供たちに私はどう映っているのだろうか。

 夕刻のパトロール。平和な日常と安らぎの町並み。談笑しながら夕餉を囲む幸福な家庭・・・・

 気が付けば、私の目の前は血の海であった。家族四人が食卓の周りに倒れていた。右手にはまだ発砲の余韻が残っている。
 庭先で吼えるラブラドールの目が憎悪で溢れていて、私をあの快感へと導いた。



 おかあさんが妹にとられてしまったの。だからあたしは庭にミカンのタネを埋めて、その芽が出るのを待ったわ。それはすぐに伸びて、ぐんぐんと大きくなって、あたしよりもさらに大きくなったの。そしてあたしよりも大きい実をつけた。しばらくするとその皮がむけて、おかあさんそっくりの新しいおかあさんが出てきたのよ。
 ミカンのおかあさんはあたしのことを大好きだって、やさしい声で言ってくれる。あたしは甘えた。お家のおかあさんは、妹とばっかり話し、妹のためのおもちゃやお洋服にばっかり目を向けて、まるであたしのことなんていないようにしていたから。(さびしかったよ)と泣いたら(もう大丈夫、さあ二人の新しいお家を探そう)と笑ってくれた。

 ぴかぴか光るガラスが夜空から落ちてきそうな野原を、ミカンのおかあさんといっしょに歩いた。つないでいる手があたたかくて、うれしくて、あたしはほっぺたをまっかにする。
 でもいつからか、そのぬくもりは消えて、あたしはひとり。



じゃすともーめんと。ぷり−ず、ふぁっくみー。いっつ、びぎにんぐ。



 私は数学が大嫌い。理数系は苦手だもの。
 数学が好きと言う彼の気持ちはまるで理解できないけれど、眠る前、なんだったか、フラクタルという言葉について、面白いだろう、なんて語っていた彼は、私の膝で今、フラクタルの夢でも見ているのだろうか。私には、ちっともわからないけれど。
 私は鏡が好き。合わせ鏡がとても好き。もしかして、彼の次くらい。あの不思議な感覚に、私の背中はぞくぞくするのだ。
 鏡と鏡の間に、鏡の中に、私と、眠っている彼と、私と、彼と、私と、彼と、私と、彼と。
 鏡は、光を反射して映っているのだったかしら。たしか、光にも速度があって、そうしたら、鏡に映った私達は、今よりも、一瞬に満たないくらいだけど、ほんの僅かだけ前の私達で、鏡の中の鏡の中の鏡の中の鏡の、もしかしたら、限りなく時間が止まったみたいに、私と彼は永遠に、ずうっと、二人きりでいられるのじゃないかしら、なんて考えながら、私達はどこか鏡の中、いつまでも、鏡の中、鏡の中、鏡の中、鏡の中。



 君が好きだ。君の髪の柔らかさが好きだ。君の目の大きさが好きだ。君の唇のふっくら感が好きだ。君の声の少し鼻にかかるところが好きだ。君が豆腐を食べている姿が好きだ。君の耳たぶの形が好きだ。君の首筋の細さが好きだ。君の肩の小ささが好きだ。君が振り向いたときにさらりと髪が肩を流れるのが好きだ。君の二の腕のふにふに感が好きだ。君が二の腕を触られた時にくすぐったそうに笑うのが好きだ。君のひじのちょっとかさついているところが好きだ。君の手の指の長さが好きだ。君の親指の爪の形が好きだ。君と手をつなぐのが好きだ。君の鎖骨の浮き上がり具合が好きだ。君の胸の形と大きさが好きだ。君が恥ずかしそうに胸を隠すのを見るのが好きだ。君のおへその上向き加減が好きだ。君のおしりの形が好きだ。君が僕の膝の上に座るのが好きだ。君のふとももの太さが好きだ。君のひざの裏のくぼみが好きだ。君のふくらはぎの形が好きだ。君の足の手触りが好きだ。君の足の冷たさが好きだ。君がストッキングを履くのを見るのが好きだ。見ないでと言われるのが好きだ。君が僕を好きだと言うのが好きだ。君が好きだと言うのが好きだ。君が好きだ。



 天文学の先生と量子力学の先生が、仲良くかみさまを探しています。



 すでにご存知かもしれないが、Mr.フラクタルの好みはひどく偏っている。食べ物といえば新鮮な有機野菜しか食べないし、女性といえばポニーテールの女の子しか愛さない。読む本は決まってJ.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だし、聴く音楽はいつもベートーベンの交響曲第3番『英雄』だ。
 そんなフラクタル氏に、ためしに色んなものをお勧めしてみた。たまには美味しいステーキなんかどうですか、ショートカットの女の子も可愛いもんですよ、 トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』も面白いですよ、バッハの『G線上のアリア』だって捨てたもんじゃないですよ……。
 だがフラクタル氏は断固としてそれらを受け入れようとはしなかった。私もついムキになってしつこく迫ってみたが、それでもやっぱり無理だった。フラクタル氏は自分が好きなもの以外、決して受け入れようとはしないのだ。結局、最後には私の方が根負けしてしまった。まったくなんて頑固なやつなんだ。まさに偏愛、不落たる……。



ある男がある女に恋をした。
男は彼女の香りが大好きだった。

興味のない男は歯牙にも掛けない彼女。
彼女を手に入れた男は今だにいないらしい。
駄目で元々、男は彼女に告白した。

意外にも彼女は良い反応を見せた。
彼女が言った。
「私は貴方の鼻の形が好き。貴方の鼻、ちょうだい?」
男は鼻を取り外し、彼女にプレゼントした。
彼女はとても喜んだ。

鼻を無くした男は、彼女への興味を失った。
また彼女も、鼻のない彼に興味を失った。

彼女は家に帰り、箱を開けた。
箱の中には数々の同じ形の鼻が積み重ねられていた。
彼女は男の鼻を一番上の鼻の上にソッと乗せた。
数々の鼻。それは彼女の不落たる証。



 スケッチブックをめくっていると、映ったものをキレイに見せる「お化けかがみ」が出てきた。



あの人の中に私を見る。例えば性格。割と女々しいあの人の性格を、嫌いになれない。男のクセにと罵りながら、そこに愛情を込めている、つもりだ。
あの人の髪型を私と同じにしたい。私の帽子をかぶせたい。
少しふわふわしたブラウスなら、あの人も着れるだろう。

でも、私の中にあの人はいるだろうか。
あの人を、もっと私に近づけたい。私はいつか、あの人になる。



水平線に手をかけてよじ登ってきた朝の光たちは、海面を一気に駆け抜ける。三角波の山脈を踏み石のように蹴ってゆく。光は水より脆いので、すべての三角波のへりに当たって砕ける。光はもともと砕け切っているからぜんぜん壊れはしないのだが。
水も、もともと砕けることが大好きなので、光の徹底した砕け方には感嘆し羨望をおぼえる。そこで今日もおらおらおらと陸にぶつかっていき砕け方の鍛錬に余念がない。
陸は陸で、水の震え方に感心している。すみずみまで届く無数の指のように微細にいじるいじり方に、とろけ続けている。水によって画定される陸の体形は海岸線と呼ばれる。水はどこまでも入り込んでくるので、海岸線の長さは実質無限である。
暇なときに陸は、水のつもりになってむーんといきんでぶるぶるっとしてみる。いかんせん陸は陸、水のようにはいかないわけだが、ときおり局所的に液状化現象するので一瞬なにかを悟りそうになる。さだめし「陸も砕け切れば光」みたいなことを。



偏った食生活を正そうと彼女がつくるランチ。
愛のない台所ね、とコメントした彼女は慣れた手つきで、
フライパンをコンロにセットしてひとこと、
ラゴスティーナ。イタリア製じゃない。宝の持ち腐れねと。
クルミを包丁で細かく刻んで、マンチェゴもスライス。
タリアテッレをふたりぶん。
ルビーのリングははずさぬままに。



 日曜日の繁華街にセーラー服姿の女子高生が一人。おもむろに機関銃を構える
と……。
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ。
 周囲は血の海。
 が、死体の山からむくりと人影。不死身の男、飛鳥史郎だ。
 飛鳥は血まみれで立ち上がると、女子高生をびしりと指差し言った。
「おい、君。一体どうしてこんな真似をするんだ!」
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ。
「だって、大人は分かってくれないのですもの」
 再度撃ち込んだ後、彼女は身をこねらせて言った。
「しかし(びしり)。青春はもっと別のものに撃ち込むべきだ」
 また起きあがって指差す飛鳥。
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ。
「でも、私は彼のことが好きでたまらないんです」
「だが(びしり)、恋に恋してるだけじゃないのか」
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ。
「君(びしり)、いい加減にしたまえ」
「ああ。私、悩みます。一体どうすればいいの(うっとり)」
 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……。



 キリキリと硬い茎を踏む。珊瑚のプランタから飛び立とうとするバタフライ。男のまぶたを開く鍵を、赤紫の羽のあわいに隠した犯人。あの人は目覚めない、まつげは枝分かれし、いっそう愛らしく、くせが強くなってゆく。出しなさい。あは、屈するものか、あいつはこの脚の先っちょを凝視してた、大きなあんたに興味はうせた、うせたは響きがきれいだね、男の焦点なんて十秒ごとに微小化してゆく、あんたは遺物、平坦なだけの白恋慕、ねえ持ち腐れのペディキュアをこっちに貸してよ。
 床は樹海のステンドグラス。段々に盛りあがり、珊瑚の枝もゆがんで軋む。自慢の脚を端から滑らすバタフライ。十秒ごとに拡張する幾何のひずみに羽がざらざら引きこまれ、粉などが舞い、床を非望の模様に変えてゆく。ニューロンが呼びだすの、あの人が自分の足を違う次元に切り刻む、むし暑い浴槽の水の渦、やがてまぶたが噛み合って、舐めてあげたって無駄だった。あは、女め、あんたの浅ましさは肺胞にからむ毛細管のよう。
 こんちきしょう! しゃにむに煙霧をかき分けて、アイスピックを6本のばたつく脚に突き立てる。ペディキュアなんてずいぶん昔に涸れちゃった、キリキリと、あは。



 あの子、前の彼女に似てる。
「好きだ!!」