500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第63回:冷気


短さは蝶だ。短さは未来だ。

『放課後、屋上で待ってます。』

そう一言書いた手紙を靴箱に忍ばせた。僕のありったけの想いを今日こそ彼女に伝えよう。精一杯のプレゼントも用意したんだ。あぁ、考えただけで胸が高鳴るよ。

約束の時間が過ぎても彼女は現れなかった。それから一時間。やっぱり来てはくれなかった。
肩を落とし教室に戻るとそこにも彼女は、居なかった。既に帰ってしまったのか…。

階段を降り、玄関まで来た。靴を履き変えようと手をかけたその時、僕の靴箱に真っ白な封筒が一つ。

『放課後、屋上で待ってます。』


溜息が12月の空にちりちりと舞った。



しんしんと降り積もる私共の成れの果てが、ささやかながらに肺を侵し、今日も歌の一つを食い潰す。

(幼子の母を呼ぶ声金切り声鬼が笑むも全ては幻)

白く細く薄くなった指先で、その頬を撫でる私は、硝子球の様な眼を見つめ、暖かく湿った筈の吐息に自身を重ね合わせる。
過去とは忘却されゆくものであるか。白黒に、ただ記録として再現され、あらたに生産されるものか。記録としての貴方が問う。きれい。きれい。かなしい。きれい。千の景色の中で、二人だけ極彩色。それなのに、どうして君は泣いているんだい?

言葉はしんしんと掻き消される。忘れられた筈の歌の向こう側に、愛しいと言う姿は喪失する。

「だって、それは貴方が」



 私の名前は小野温子、ゆうこといいます。あたたかい人になるように、温子です。心の方は、例えばスーパーの前で募金に立っている人がいたら、素通りはできません。チャリン。でも、体の方は……。今春、私は大学に入って、恋人ができました。夕暮れの、信号待ちの時でした。彼は私の手をそっと握ってきて、ぱっと放しました。私はすばらしく冷え性なのでした。友達は、私の周りに冷気が見えるといいます。ひどい友達です。そろそろ冬ですが、愛媛の実家から少し北の方へ出てきたからか、こちらはとても寒いです。エアコンをつけても寒いし、お風呂からあがると三分で体が冷えています。ちょっと、つらい。そして私はこたつを買ったのです。ご存知でしたか。こたつってすごく暖かいのです。ずっと入っていたい。冬眠したい。すっぽりと潜って……。
「ちょっと!」
 外から何やらキンキンとした声が聞こえました。私が亀のように頭を出すと、そこには白いもや、そして声が──。
「出てよ。あたしを路頭に迷わせる気?」
 ええと?
「早く出て! こたつでぬくぬくなあんたの体に憑いたらあたしの性格変わっちゃうでしょ!」
 私は頭を再びこたつに突っ込みました。それから左腕をそろそろと布団から出しました。指の先からぞくり、と来ました。



 私の生活にはなんの変哲もない。ただ、朝起きて、夜眠るだけの日々。いたってどこにでもある日常。
 深夜、私は冷蔵庫を開けて氷を口に含む。小さなワードローブを開けると、そこには木彫りの箱がある。私が毎日開け閉めをするのですっかり黒ずんでしまった蓋を開けると、小さな陶器の人形がたたずんでいる。私の片手にのってしまうぐらいの、白い人形。私は氷を含んだ口で、人形に息を吹きかける。すると人形の肌が徐々に赤らんでくる。塊だった黒髪がゆらゆらとした絹糸に変わる。ぴくりとその指が動き、彼女はゆっくりと冷たい息をはく。またたきをする向こうにあるのは、濡れた黒い瞳だ。お帰り、私の恋人。
 彼女は小さな手で私の指をきゅっと握る。その小さな冷たいぬくもりに、私は凍えた唇を寄せる。枕元で彼女はその日の夢を囁き続けてくれる。暮れゆく世界。愛しいあなた。
 氷を舐め尽くした私が温かい息を吐きかけると、彼女はまた眠りにつく。小さな陶器の塊。私は人形をそっと木彫りの箱に戻し、眠りにつく。私の生活にはなんの変哲もない。ただ、朝起きて、夜眠るだけの日々。



 昨夜は星空だったから、うっすら霜が降りていて、朝がいっそう凛とする。
「しゃっこくて、きもちいい」
 そう言ってつないだ貴方の右手は、かじかんでたのが嘘みたいにほんわかした。
「あっためてよ」
 陽は柔らかいままなのに、言葉は空気に磨かれる。それで、なんだか照れてしまった。
「うん」
 あったかくなりはじめた左手がぎゅっと握られて、気を取られた隙に貴方は駆けだした。
「ちょっと」
 口から順番に、喉にも肺にも空気が貼り付いて、内と外がはっきりする。雪虫までは余計だけどしかたない。
 乾いた唇。
 不意に立ち止まると貴方はキスをした。
「あったまった?」
 しゃっこくて、あったかかった。
 今年は素直に季節が過ぎるから、今日で秋物のスカートは最後。



お前でも泣くことがあるのだな。
窓辺に佇む少女に静かに声を掛ける。
“俺は、君を信じていたのに……っ”
あんな男の安い言葉にでも絆されたか?
赤子だろうが、親しくした者だろうが、任務とあらば顔色一つ変えずに消すお前が、ね。
クツクツと嗤い、少女を見下ろす。そして端正な顔に残る雫の痕を左手で拭った。
最終的に私を選んだのは賢明だ。
この組織においても、お前の存在は不可欠。指揮官もご満悦だろう。
突如、少女が私の胸に倒れ込む。華奢な身体を抱き止め、私は目を見開いた。
……あの人……たの。
か細い少女の声に耳を疑う。
私の腹部には深々と短剣が刺さっていた。少女という支えを失い、身体が崩れる。
この……短剣は……あの男の……
赤錆びた手を伸ばし、少女の服の裾を握り締める。
けれども、その手は少女に斬られ、地に落ちた。
無機質な空間が歪む。
冴え凍る月のように白い少女を独り残して。
「さすが」



 104号室のカーテンを開けるとそこに、眠った猫のぬいぐるみがあった。先週入ったばかりの少女のものだ。親を亡くした子供は、こういったものに依存することが多い。
 拾い上げてその手触りに驚いた。まるで本物のようだ。本体は硬く、猫に比べれば遙かに軽いが、細部までとてもよくできている。
 いや。
 唐突に本能がそれを否定した。
 違う。本物だ。本物の猫だ。
 私は思わず猫をベッドの上に放り出した。
 剥製ではない。もっとカラカラに乾いた、たとえばミイラや、フリーズドライのような。
「それね、私が作ったの。かわいいでしょう」
 振りかえると、いつ入ってきたのか、少女は無邪気に私を見上げていた。手のひらの中になにかを隠している。
「私ね、上手にできるのよ。お兄ちゃんより上手なの」
「お兄ちゃん?」
 子供が施設に来る理由は様々だ。この子の兄、確か両親と一緒に亡くなっている、その死因は。
 ぞくりと、冷たいものが背中を下った。
 凍死ではなかったか?
「先生も、見たい?」
 そっと広げた手のひらには、眠った雀。
 叫びは喉の奥で凍り付いた。板張りの床に、白い霜が音をたてて這い広がる。
 冷気が部屋の中を満たしていく。



 ち、り、リ
 夏の朝だった。ボロ球場のやぶれた金網くぐって、だれもいないスタンドで、あそんでた。あそんでた。ただ。
 その時。
 空が化けの皮をはいで目の前おどるのを聞いた。
 かわいたはらわたはひどくつめたかった。
 今、あなたの肩で、あなたの声を耳ではなくて舌で聞く。唾と汗と、かわいておどるのをひりひりと聞く。あの時、泣いて帰った。子供だった。おれ。



馬鹿みたいだどうして期待したんだろう

視線は綺麗なまでに擦れ違った。そう、確実に「擦った」のが判るような。
こんな時だけどうして反射神経よくなるかな、と泣き言のように心で呟いてみるけどわからない。
擦れたから痛い、摩擦熱でヤケド。
だけど、この人込みの中で、ねぇ、どうして。
こんなにスースーするんだろうね。
頑なに拒む、かたい氷からの風かな。
痛みが熱いから、ちょっとの寒さに過敏になってるんだ。

引っ切り無しの風が涙も出させてくれない



 二十五時の学校は当たり前だけど誰も居ないからとても静か。裏門からそうっと忍びこむ。理科準備室の窓の鍵が一箇所壊れているのを知っている。下駄箱には寄らない。上履きはどうせいじめっ子たちの手によってどこかに隠されているし、それに、わざと靴下を履き忘れてきたから裸足だ。最近はいつもそう。土踏まずのはっきりした足跡が浮かび上がってすぐ消える。
 リノリウムの床は冷えている。壁も。全部が死んでいるよう。ホルマリン漬けの蛙や人体模型がちょっとグロい。背筋をぞくぞくさせながら見入っていると裸足の足許を生き物みたいな冷たい塊が通り過ぎていった。剥きだしの足の指がかじかんで赤くなっている。やっぱり寒い。待ち人は来ない。だって約束しているわけじゃないし。そもそも誰を待っているのかも。
 だけど、やって来れば必ず、冷えた足の指をごみくずごとしゃぶって暖めてくれるはず。



戸を閉める際に、ほんの僅かだけ隙間を開けておくのが母の流儀だった。気付いた私が寝室の扉を閉めると、居間の出入り口が開いている。居間を閉めると今度は客室の襖が開いている。その執念はまるで何かの信仰のようだ。一度だけ理由を尋ねてみたことがあるが、「お客さんが来られるように」という迷信だか寝言だかよく分からないことをもぞもぞ呟いてそれきりだった。
失踪した日も玄関は本当に少しだけ、細く開いていた。その晩は雪がちらついていたから入り込む外気がことのほか身に沁みたのだ。そうでなければ分からないくらいの隙間を残して母は消えた。もう昔のこと。
祖母の顔を知らない幼い娘は、この頃なぜか同じように家中の戸を少しずつ開けて回る。暗い部屋をじっと見つめる口のきけない娘に問う。お客さんは誰なのか、そろそろ教えてくれないかい。



一片の氷の塊を口の中に放り込んだ。
口の中に心地よい冷気が広がる、真夏の午後。
口の中で頬張る。痛いほどの冷たさ。
一ヶ所にじっとしていられなくて口の中を転がり回る氷。
口の中で充分楽しんだ後、氷を手のひらに移した。

びっくりしたかのように、氷は冷気を放ちながら水に身を変えた。
それはあたかも、異質な世界に触れた時のように、
しばらくすれば、完全にその姿を隠してしまう。

はかない物を楽しまなきゃ。感じなきゃ、駄目だ。

再び氷を口に頬張ると、隣にいる彼女に僕は抱きついた。
彼女は何事かと、きょとんとした顔で見た。
すかさず、彼女の唇に、僕の唇をかぶせた。
次の瞬間、氷は彼女の口に忍び込んだ。

ね、楽しまなきゃ、今この時を、はかないこの時を。



 なぐさめの言葉はいらないから、どうか思い出を混ぜないで。降りた日に行ったのは教会じゃなくて小さな劇場だったのに。暗い小屋の椅子の上で話をしました。どんな話だったのか思い出せません。でも今、思い出せないことが本当のことなのだから、勝手にあの人が言いそうな言葉を作らないでください。てんてんと時間軸に置かれている、唇の動きから、あの時口にしそうな言葉を編みだして、目の前で掲げないで。ぎゅっと手のひらに魂の塊。
 不意にライトが当たります。呟け、と、あのお方が命じます。喉を振るわせました。すると内耳を通り抜けるものがありました。それは老い、とよく似たような気持ち。失っていくばかりなのに、どんどん大きくなっていく御姿をふっと垣間見たような気がしました。
 そこは足元でした。板張りの床は柔らかな温もりを持ちます。近くの指に、躓き。接吻を。抱擁を。名は知りません、言葉になりません。言葉にならないことを告白しにきたのですから。言葉はいりませんから、どうかこの凍える我が身を忘れませんように。



砂漠の中にいるような日照り。僕は彼女と虫捕りに出かける。一風変ったデートのつもりで。夏はまだ遠い日のはずで、まさかこんな風とは思わなかったから僕らは厚手の服を着ていた。「暑いね」彼女が言う。僕も「うん」と頷く。森の中に入ると、そこには巨大な花が自生していた。ラフレシアというのだと、彼女は教えてくれた。あちこちから蔦が伸びていた。暑くてたまらなかった。その内彼女が服を脱ぎ始めた。「暑い、けど何か変」彼女の腕には青白い鱗が生えているのに僕はその時初めて気付いた。彼女は尚も脱ぎ続けて、最後には下着だけになった。その時には彼女はほとんどトカゲだった。「あなたも脱いだらどお? 私、もう暑くないわよ」彼女は言った。僕も服を脱いだ。「あら」と彼女は言った。僕の肘から水が滴っていた。それは氷のようだった。氷の部分は大きくなっていく。僕はどんどん半透明になり、変形して、今僕は四角形のキューブだ。彼女が僕を舌で舐め取り始める。彼女は僕にぴったりとくっ付いて離れない。太陽に溶かされていく僕を、彼女が舐め取る。僕は歪曲する。いつの間にか僕らの周りには無数の紋白蝶。まるで雪のように。何かを祝福するように。



 ここではないどこかへ逃れ出ようとするかのように液体ヘリウムの海は絶えずうねっていた。そのほぼ0Kすなわち、約マイナス273℃の極限の海に、閑寂とした淀みがあった。
 せっかちな水素分子さえも思わず跫音を押し殺してしまいそうな静かなその淀みにできた空間で彼は瞑想していた。
 体の運動を抑え静かに思考に耽ると彼の体温は外部環境と同じく絶対零度に近づく。
 彼の思考する部位には僅かながら熱は発生しているものの、体表温はほぼ周囲に等しくなっていた。
 と、彼は、ひんやり、というあり得ない感覚を体表面に得た。
 分子の活動を熱とするならば、全てが停止した絶対零度より温度は低くなり得ない。静止したものよりも止まった状態など作り出せないのである。しかし、彼はどこか近くが絶対零度を下まわり、そのあり得ない温度を担った不可思議な流体が自分に接触したのをはっきりと感じたのだ。
 そして、ぞくり、とした。



 のっししのっししのっしのし。
 今年もあいつがここらを過ぎる。
 木枯し引き連れ馴染んだ顔で。
 のっししのっししのっしのし。
 並んで一列手繋ぎのっしし、野を越え山越え谷またぎ。
 雑草枯れさせ北からのっしし、足跡一つに霜おろし。
 励起の分子を押さえて戻せ。
 礼器は戸棚で結露を結べ。
 霊気も友とし靄かけ進め。
 霊亀を潜らせ冬眠させろ。
 のっししのっししのっしのし。
 稲藁燃やした煙に遊び、のっしし川から霧の気誘い、
「もうすぐ雪雲引くのが来るから」
 背中で笑って南へ歩く、たゆまずのっしし足音続く。
 木枯し散らした木の葉を掃いて、すぐ来るあいつの仲間を待った。



 ダイヤモンドダストは何をそんなに悲しむのか。白夜の地平は白金のティアラのように美しいというのに。
 特に今日は暖かい。まさに白銀の世界の春。
 私はいつも黒い燕尾服を着ているがさすがに少しうっとおしいく思う。それでも脱いでしまうとシャツもボトムも白いばかりか肌もプラチナの冠を載せた髪も白いので、この白い世界では私がどこにいるのか私ですら分からなくなるし本当に私が消えてしまいそうな気もする。大きな胸が締めつけられる感覚だけが私の存在証明のようなもの。多少暑いのは我慢して、きゅっと身の締まる苦しさに酔う。
 ああ。
 何て胸が苦しいんだろう。
 タキシードを膨れ上がらせている胸を両手で抱きしめる。自由に舞う細氷は淡い陽光を跳ねて瞬き、すぐに白い世界のどこにいるのかも分からなくなる。キラキラと消え入りそうなか細い泣き声だけが耳に残る。
 これを、愛というのでしょうか。
 目の前に白くキラキラと立ったままの男の胸にそっと手のひらを置く。
 決して消えることのない彼。
 白魚のように跳ねる心。手のひらから伝わるものは確かに温かいのです。
 思わずもれた吐息は白々とダイヤモンドダストに姿を変えては、姿を消していく。



 あっはっはっは、と笑い出したのは正吉だった。いーひひイヒッヒどわははは。気でも触れたのかと思う。
 何か面白いことありますかと尋ねると「いや思い出し笑い」ふたたび愉快な記憶を蘇らせたかブッフー、吹き出している。
「笑っとけ、とりあえず笑っとけ」
 涙を拭きながら正吉が言った。それはともかく。
 酒の勢いで、まああ怪しい屋敷に忍び込んでみようなんて話に乗ったのがいけなかった。地下にある部屋に入った途端いやあな音を立て扉がバタン、たちまち閉じこめられるという間の抜けた展開。ホラー映画ならまず冒頭で死ぬ役に間違いない、と出口の無い暗い部屋でひとり腹を抱え笑い転げる正吉を見ているのだがこれはこれでとても怖い。
 音も無いが、確かに何か近付くような感じにも参る。頭がどうかなりそうで、やはり笑って誤魔化すしかないかなあ、正吉は全身全霊をかけ思い出し笑い続けるがしかし私ときたら
「腹が減ったなあ」
 ぷう。
 腹が鳴らずに尻が鳴り、笑ってしまう正吉と私ワッハッハ、ああ少し楽になった。とは思うものの依然として体の内に、ひやり、ひやり、迫る気配、面白いことないか面白いことないか笑い声のなか頭をめぐらせイッヒヒ。
 ひやり。



 僕と彼女と彼と彼。毛剃中学の同級生。眉毛も髪も腋も脛毛も。男女を問わずマルガリータ。急行列車が止まらない最寄り駅を見下ろす小高い丘。急勾配の坂の途中。橋の上。坊主頭を風にさらして。漣の立った川面。彼が投げた石がどこまでも水を切って跳ねてゆく。垂れてきた洟をすすって、彼女は言った。「楽しかったね」もう帰らない日々。「この冷たい手を覚えておいて」愛しい君よさようなら。バリカン戦争の余波で(鋏と剃刀しか使えなくなっていたので)学期中断のお別れパーティー。僕らは全財産をはたいて注文した大量の肉料理を食い散らかした。フォークとナイフは肉を掻き回すための道具ではない。「ねえ。知ってる?」もちろん知ってる。彼は孵化しない卵の弔辞で即席の足跡をでっちあげ、我々自身の若すぎる死を惜しんだ。彼女は尋ねる。「まだ剃るの?」たかが、授業が出来ないだけだ。(鋏と剃刀しか使えなくなっていたので)髪剃りは痛い。でも、それが毛剃魂じゃないか。
「不器用なんだから」
 一本の絆を鋏でチョンと切る。手品じゃないので元には戻らない。
 耳がちぎれそうだ。欄干も手も顔も(コンクリート橋桁の鉄骨遠くで駅を通過する列車も窓も)同じほど冷たく、僕らはみんな凍えていた。



「次はいつ集まれるかな?」
「そうだな、次はお前の結婚式だな。」
そう言いながら解散した、学生時代の仲間。
学生時代、アルコール片手に皆で予想した通
りの結果になった、結婚の順番。

次に、集まったのは、葬式だった

「まず相手を見つけないとな」と言いながら
手を振り再開を約束した友人が死んだ。
私は結婚式と同じスーツで、ネクタイだけ黒
い物を選び参列した。
 前見たときは純白姿だった奥さんも、喪服
姿だ。ただ一点を見つめ、微動たりしていない。

古い町内会館は、隙間風多かったが、犇めき
合い暑くなった館内には丁度良く感じた。

タバコを吸いながら友人が言う。
「全員揃うのは、今日が最後だな。」
「今日は、揃った内に入らないだろ。」
ただただ、名前を呼びたくなりる。
熱くなった体にもまた、心地よい隙間風。



 僕は布団の中で丸くなると腫れあがった右手を両の太腿に挟んだ。
「卑怯者卑怯者」 クラスメートたちの声が耳から離れない。「何か理由があったのよね?」 女の子と並んで保健室で治療を受ける僕に先生は優しく微笑んだ。僕と女の子はお互い見つめあったまま、何も言わず、いつまでも動かない。
「女の子を殴るなんて、それでも男か」 居間で母から学校での話を聞いた父に殴られた。冷えた視線が包帯の巻かれた僕の右手に止まる。「しかも? 殴り方が下手すぎて親指を脱臼した。心底、情けないね、俺は」
 背すじに月光を捻りこまれた。
 僕はパジャマもブリーフも脱ぎ捨てて、布団に包まった。身体の震えが止まらない。
 そんなんじゃないよ、ばーか。という言葉をずっと繰り返している。みんなが思っているようなものじゃない。これは、ただちょっと、倒れることのできない僕の起き上がり右コブシが踏ん張ってしまったというだけ。男も女も好きも嫌いも、関係ない。
 歯を食いしばって背中を曲げる。痛めた右手の火照りが今にも消えてしまいそうだ。



自らその歴史に幕を引いた文明は茫洋と広がる冷たい雲となって、氷の玉座に縛り付けられた神を足裏から浸し始めている。



赤やピンク、水色に緑と彩られた幻想的なベールが夜空を覆う。
私は、このアラスカの地で長い歳月、オーロラを観察する研究員として、あらゆるオーロラを観てきた。
そして、その自然が作り出す奇跡ともいえる芸術は、まちがいなく神が創ったものに違いないと言わざるをえないほど神聖なものであった。
そんなある日、私は不思議な夢を見た。
空を守っている美しき女神が、オーロラの正体であるという夢だ。
冷たい空気が女神をとり囲み、彼女の白く美しい肌を赤やピンク色に染めていく。
そして、その冷気は水色の風を作って、女神のスカートのドレープをゆっくりとなびかせようとする。
やがて、彼女は束ねていた艶のある緑色の髪をほどき、愛する者を想いながら、それを櫛で丹念に梳かすのだ。募る想いは涙となって、時と共に夜空に星として煌めく。

私は今、この大地でオーロラを眺めている。
そして、あの夢はやはり真実なのではないかと思うのだ。
自分の吐く真っ白な息とオーロラだけが私の視界に映り、この世のあらゆるものを幻として消し去る。

冷気が私の脳を麻痺させているのだろうか。それとも偽りの無い世界を見せてくれているのだろうか。

ただ、熱い涙が頬を伝う。



 雪山で声をかけた女とホテルへ。長い髪に白い肌。
「シャワーは後でいいわ」
 女が言うのでそのまま行為に及ぶ。部屋は冷えていたが、動けば温まるだろう。
 ギッギッ。
 最中、細い首に手をかけてしまうのは性癖だ。女は抵抗しない。力を入れる。女は抵抗しない。強く絞める。女は抵抗しない。よく締まる。
 女の中に果てる。くったりと動かなくなった女の体は一握りの雪。精液は小さく凍りついている。
 寒い夜。体に残った凍傷は女の情かもしれない。



 つまり、人体の仕組みが問題なのだ。
 口から直接鼻へは行かない、ということがよく分かった。やつら、どうしても肺を通るのだ。
 溶けて小さくなった氷をぼりぼりと噛み砕きながら、俺は考えた。氷はうまい。買わなきゃ安い。ついでに言うならローカロリーで、おまけにカロリーオフなのだ。どう違うんだ。
 いや、話がそれた、俺は考えた、ならば仕方ない、いさぎよく肺を通そうじゃないかと。
 三つほど口に入れる。
 しかし、一回やってみて、肺は熱いということに気がついた。これではだめだ。肺の熱さでぬくもる前に、すばやく鼻から出さなければいけない。

 はあはあしてきた俺は、やがてぜえはあすることとなった。氷は減ったが、体がやたらに熱い。
 多分これ、無理なんじゃないかな。製氷皿に水を入れておく。まあ、よければ一度試してみてください。
 ただし、人前でやるとバカにされます。だからといって一人でやると、お寒いことこの上ありません。