500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第82回:スクリーン・ヒーロー


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 私の前を行く人は居ない。
 私の後ろを来る人も無い。
 ここは彼らの道ではない。
 ここは人の、辿る道でない。
 私は、人でない。
 私は、いつでも『登場』の冠詞を付ける。
 私の仮面を解して見たいか? そこに顔はない。これは本当の事なのだよ。





 鍵を回し、スイッチを押す。(外す)
 タイを外し、コックを捻る。(外す)
 フォークを洗い、煙を吐く。(外す)
 息をつき、マクラを延べる。( … …〜〜—     ・    ・  ・

 こうしてようやく  、“そこに顔はない”を外す。
          ↓
         私は ← これも外れよう。


     曰く「眠り」と「死」、「自由」。

                   この三様の近しいこと、と。


  内ふたつだけ、「見て」「知って」いる。



      秒針に身を刻まれ、思考に意識が落ち込むばかり。

            溜息と、グラスに火を、注いだ。



         何ということもないのだが、


  今夜もまた眠れないようだ。











長い幕間だ。



 恋人と来るはずだった映画館にひとりで入る。コーラを手に、暗い場内で、恋人の別れの言葉を何度も思い返すが、自分のなにが間違っていたのかはわからない。映画はアクションもので、ちょうどヒーローの登場だ。完全なる正義。おれに任せろと言い放ち、悪漢と銃撃戦を繰り広げる。誰かに似ていると思いながら、おれはコーラを飲み続ける。
 バタンと音がして、映画館の扉が開く。黒ずくめの男がスタッフの女性の首を締めあげてスクリーンの前に立つ。まるで映画から抜け出してきた悪漢そのままの姿。そのとき、おれの隣に座っていた子どもがおれの服の裾を引く。助けてよ、あなた、ヒーローでしょ。おれの周囲に人だかりができる。期待に満ちた人びとの視線。焦ったおれの目に飛び込んでくるスクリーンのなかの主人公。誰かに似ていると思っていたあれは、おれなのか。
 ふと見ると、おれの右手にはコーラではなく黒い拳銃。おれはそれを両手で握る。おれは完全なる正義のヒーロー。おれの両手はぶるぶる震え、拳銃の扱い方なんか皆目わからない。それでもおれは叫ぶ。おれに任せろ! おれは間違ってなんかいない。だっておれは正義のヒーローだから。



 腰に回した綱の先に、大きな磁石が結んである。車を押して歩く内、小さい鉄が引っつくのだ。
「あっ、こっちに来るな。丁度ばらまいたところだ」
 なるほど金銀のねじやボルトで、あちこち斑に光っていた。
「そこの山を持ってけよ。力任せが減らなくて、簡単に頭をつぶしやがる」
 俺は車にねじ屑を乗せ、腰を入れて押して行く。眼鏡用の小さいのは、多分磁石についてきた。
「ああ、金屑の日だったか」
 こいつは顔も上げないで、一心に銀を削っていた。
「二等、特賞、20ポイント。足元のを持ってってくれ。とても手が止められん」
 あんまりカードを擦るので、硬貨は曲がって割れるのだ。ここには何日か前に来たばかりだが、もう机の下に積もっていた。
「最近は不況のはずだけど」
「量は確かに減ったかな。仕事があって万歳だ」
 自転車かごも看板も硬貨も、俺のところに来ればただ城の材料だ。天まで届きそうな城の隙間を、今日の収穫で埋めてやった。
 冬の風で、夜の城はがらがらと随分きしんだ。ぱっとついたのは小さな液晶だった。きれいな男が映っていて、長い間忘れられていたのか、ぼうっとした目で俺を見た。そうしてすぐに明かりは消えた。
 Rまで行けるか、試したくなった。



どうやら僕を好きみたいだな、君は。
ここんとこ毎日のように、君のために僕は僕の物語を演じ続ける。
いや、ちょっと正しくはないかな。正確にいうと、
物語のスタートボタンは君が握っているわけだけれども。
くり返しくり返し演じ続ける僕を、相当好きみたいだな、君は。
そりゃ、そうだろうな。僕はなんてったって
毎回、地球を救っているんだからね。
空を飛んで、ビーム出して、でっかい悪い怪獣と、
これでもかってぐらい戦っているんだから。
格好いいんだろう。痺れてるんだろう。僕のこの勇姿に。
それで最後に決まって君は、感動の涙を流すんだろう。
毎回そうやって君は、感動の涙を流すんだろう。
泣きじゃくる君を見るたびに、僕は思うんだ。
相当僕を好きなんだな、君はって。

でも違った。昨日は違った。恐ろしく違った。
僕が怪獣を倒した後に君は、泣きながらこう言ったんだ。
「ヤダ、死なないで」って。

だから今日は大好きな君のために。
僕は敢えて、タブーを犯す。
さあ、スタートボタンを押して。
君だけの物語のはじまりだ。



 正月限定販売の七色バスクリンは透明な湯を虹色に変えた。パッケージには『貴方の願い事が叶うかも』と記されている。
 私は、脱皮するように服を脱ぎ捨て体を湯に沈めた。
 そして、防水テレビを観賞。ハリウッドスターに夢中になりながらも、何の気なしにつぶやいた。
「スクリーンヒーローに会いたいな」
 すると七色の湯がボコボコと泡立ち始めた。それは、ジャグジーどころか噴火直前のマグマのようであった。
 と、突然そこから、ざぱぁーっと月光仮面のおじさんのような格好をした男が現れた。
 衣装は虹色でおでこと胸の辺りに片仮名で『バ』の字が書かれている。
 男は「いないいないばぁー」のポーズをとりながら
「やぁ。夢を叶えに来たよ」と満面の笑みを浮かべていた。
 私は、ぎゃぁっと鳥が首を絞められたかのような声をあげた。
 バの字は「君が願ったことなのに」と肩をおとした。
「誰よ、あんた?」
 冷静になって小さな胸を両手で隠しながら訊ねると
「バスクリンヒ……」
 男が言い終える前に、その続きがわかったので片手をあげてそれを素早く静止させた。
「違います!」
 バの字は寂しそうにまた、ボコボコ泡の中へと消えて行った。
小さな箱の中でジョニーデップが「オーマイゴーットゥ」と叫んでいた。



 ほんのついさっき、数分前まで真っ白で真っ暗だった世界に、わたしはいる。軽いのにしっかり芯がある新雪を踏みしめ、本物の最北端目指して歩いている。
 足音も星々も煌めき、もちろん吐く息だってしんと凍てついて、固く凛と軟らかい高周波を奏でる。今・過去・未来、すべての時・世界と空続きなのに、眼前に広がる白銀は美しい。
 180度、全天を遮る障害の無い雪原に、今、わたし、一人。
 黒く明るい天然の銀幕に、再演の無い光のレヴュがはじまる。わたしのためだけに太陽が脚本を書き、わたしのためだけに地球が演出をした、静寂のレヴュ。能のごとくしなやかにゆらめき、京劇のごとく絶え間なく移ろう絵巻物。熱く冷たく、薄くて厚い非生物の脈動は、ヒロインたる唯一の観客を独占し、めぐって、輝く。
 英雄たちの葛藤は太陽の息が続くまで、地球の衣が朽ちるまで、あるいは、わたしが黒く凍りつくまで続く。つまり、まさしく渦中のわたしは生きている。
 今、生きている。



 主役を誰にするかで妖怪たちが騒いでいる。
『やっぱり俺様だろ?』
 分身術が得意なクローン・ヒーロー、研究と称して受精卵をでっちあげる博士より正直な嘘つき猿。
『食べ物を大切にする事にかけちゃ一番だぜ』
 残飯も平気で食べるクリーン・ヒーロー、賞味期限の名の元に食物を廃棄するエコ貴族より地球に優しい化け猪。
『地球の3分の2は海だって知らないのか?』
 水中を護衛するスクリュー・ヒーロー、守るはずの漁船にぶつかる護衛艦よりも安全な人食い河童。
『水を司れば世界も意のまま』
 人の傲慢に天災で応報するスコール・ヒーロー、水循環を破壊するダムより野山を潤す白馬の竜。
 そこに乱入するは、
『熱を抑える者こそ未来を制す』
 火炎山を制御して五穀を育てる干支魔王、省エネと言いつつ牛肉を食す輩より無駄の少ないグリーン・ヒーロー。
『なんでもお見通し』
 最後に現われたのはスクリーニング・ヒーロー、手紙で済む申請を出頭しないと受け付けない役所より話の早い観音様。

 騒ぎの陰で、
『私を忘れないでおくれ』
 馬上の人は早くもカメラに捕われて、逃げる事もままならず、まさにすくえーん男!
 そう、今はヒーローよりも無能な美形がスクリーンに選ばれる時代だ。



 本屋で煙草を買った女と風のない夜を歩く。この間他人の恋愛についてああでもないこうでもないと言っていた女は、現在本人曰くピュアな恋愛にはまっているようで、言うことが180度変わっていたがいつものことだ。
 女がピアニッシモ・ラズベリーに火を点け細く煙を吐きながら、時折少女のような表情で遠くを見つめるのに一瞬見蕩れる。
 薄膜を介したような距離感。
 
 語ることが失くなったら、とりあえず煙草に手を伸ばせばいい。いつも言いたい放題のちょっと我が儘な女を演じている。その方が簡単だから。
 近くにいても、触れられない。本当に言いたいことは言えない。
 まるで画面の向こう側にいるような。



 爆発音と共に倒壊する建物。響き渡るヒロインの悲鳴。残骸を縫って颯爽と駆けつけるのはお馴染みのヒーロー。使い古された手法。ど派手な演出だけが目に付く。僕らがあてもなくやって来たのは、そんなありふれた映画が公開されているどこにでもある劇場。目的もなく辿り着いた場所。この時間が、物足りなく感じるようになったのは、いつからだろ。彼女と出会えることに心が躍った、あの頃の僕はどこへ行ったのだろう。この瞬間が嫌なわけではなく、ただ、心細いんだ。彼女も同じように思っているなら、僕らの関係とは一体何なんだろう。映画は約束された結末へと収束していく。それを観て、暗い客席からは一喜一憂の声が漏れる。彼らが望んでいるのはきっと斬新な物語ではないのだろう。自分が過去に見たことあるシーンに照らし合わせて安心しているだけ。それで満足感が得られるのなら、それも一つの幸せなのだろうか。僕は特別を求めすぎてしまっているのだろうか。考えれば考えるほど深く落ちてしまう。そんな時、ふいに僕の左手を彼女が優しく握ってきた。別にそれは彼女にとって特別なことではないのかもしれない。だけど僕は嬉しくて、いつもより強く彼女の手を握り返した。



 銀幕の世界、という言葉の意味を履き違えた右半分は壁中にアルミホイルを張りつけた。
 千人目の血を吸ったばかりの剃刀で壁にかかっていた鉈や斧や銃のふくらみを叩きながら「破壊するだけの道具は世界の外にある」とつぶやいたけれど、左半分が閉じ込められた工房への扉も幕の外。

 検索サイトのトップページに更新された突然首から血を噴き出して絶命した999人の遺体の安置所と僕が逃げ込んだ彫刻家の廃屋とを繋ぐ場所にあるはずの教理。
 近づく足音の主から隠れようと焦る僕が掴んだドアノブは回らず投擲された炬が消毒用アルコールに引火する。

 ぶら下がった千体の蝋人形は彼が今まで出会ってきた人の臍を持っていてこの中にいるはずの恋人を見つけるまで999体の頚動脈を切断した。
 揮発性の強い液体に腰まで浸かった彼を見下ろして人形は喋る。
「名前をもった登場人物が、一番多く死んだ映画になるね」
 恋人の声ではなかった。

 大爆発。
 煙が不可視に回帰すると血液の澱にバラバラの指が七本。靴が三つ。
(倫理の嘘を暴く論理が与えた逡巡)
 大爆笑。

「失くしちゃったんだ」
「なにを」
「指」
「どこに」
「アルミホイルの中」



 最寄の海岸から、振り返っても陸地が見えなくなるまで水平線を目指し、波打つ海原をまっすぐ下りた場所に、巨大なクジラが通りがかる。大きな口に次々と入っていくプランクトン。プランクトンたちは悠然として気にしない。クジラのほうだって知ったことじゃない。ちらりと視線を寄越すこともせず、行ってしまう。エキストラの私だけが残される。こんな海の真ん中で。



 路地裏のさびれた映画館。劇場には僕しかいない。中段の中央を陣取り明滅する白黒映画を見ている。
 ——ようこそ。
 祖母は死ぬ間際に僕の手を握り、お前はあの人に本当にそっくりだ、と言った。スクリーンの悪役はたしかに目鼻の筋が僕とよく似ている。我が祖父よ。一万の部下を従えるマフィアのボスよ。
 ——手前の勝ちだ。
 ——……!
 ——手前は知らねェのさ。この世にゃァ正義も悪もねェ。神様も悪魔もねェ。あるのは力だけさ。
 葉巻の煙る部屋。祖父はソファーに深く腰掛けそう言うと、鼻を鳴らして煙を吐いた。主人公の青年は銃口を祖父に向けている。銃口は小刻みに揺れている。
 ——さァ、茶番の幕引きだ。
 そして弾丸が祖父の胸を撃ち抜いた。体が跳ね、祖父はうなだれる。ズームイン。祖父は主人公を睨み上げるとにやりと笑って事切れた。湿っぽいバラードとエンドロール。

「いい映画だったよ」
 半分死にかけの老館長はカウンターで舟を漕いでいる。
「……いい役者だった」
「ありがとう」
 映画館を出ると外は小雨だった。駅に向かって流れる人と傘。その一部に僕も加わる。

 僕を見てマフィアのボスと指差す人はもういないだろう。
 さよならスクリーン・ヒーロー。



 歪んだギターの音に追い立てられるように僕は歩を早める。この町に延々と鳴り響くギターをママは「これは精神安定剤なのよ」と例えた。授業でも同じことを習うし友達も特に気にしていないから、本当のことなのだろう。だとすれば、僕はこの町にいらない存在に違いない。
 丘の上ではほんの少しだけ音が遠のく。僕は町を眺める。遙か向こうに在りながら圧倒的な存在感を備えているのは、一山ほどに巨大な、白いスピーカー。思わず目をそらして上を見ると黒い鳥が飛んでいる。おそらく鴉だろうと僕は見当をつける。
 あれは、僕だ。
 いつか僕は黒い翼を広げ、冷えた空を一直線に滑空してスピーカーを破壊する。

 家に帰って僕はすぐにテレビの電源を入れる。目的は十三チャンネル。切り替えた瞬間、流れ出した「無音」がギターの音を完全に打ち消す。一日五分間だけ、この映像は視聴を許可されている。そして僕はつかの間の安定を手に入れる。
 画面には一羽の鴉が写っている。闇の色をした孤独な鳥は、雄大な自然の中、真剣な瞳で清んだ大空を美しく滑空している。



 俺の叔父は映像技師として生涯現役の人だった。
 この町はかつて『水と緑と映画の街』と名乗り、行政も援助してあちこちに映画館を作った。しかし生憎ヒット作に恵まれず、観光地にはならなかった。映画館は次第に減り、叔父の勤めた映画館も長くは持たなかった。
 それでも叔父は若い頃から熱心に集めた国内外のショートフィルムをもとに、幼稚園や小中学校、福祉施設を隈なく何度もめぐり、小さな上映会を年に百回以上、それを何十年と続けた。頼まれれば車に機材を積み、どこだろうと喜んで出かけて行ったという。
 だから、叔父の葬儀には、近くの大通りまで溢れるほどの弔問客があった。新聞に訃報が載った翌日には数え切れないほどの電報が送られてきた。中には、この町に生まれ、都市圏で映像関係の職についた若者から万感の思いのこもった手紙が届いたりもした。
 俺は映像技師こそ目指さなかったが、教育出版社に就職した後、叔父の足跡をなぞるように学校や施設でプラネタリウムの上映会を毎年何十回とやっている。
「映画の幕は、技師が引くもんじゃないんだよ」
 叔父が、潰れた映画館から機材を持ち帰った時、ふと口にした言葉が今も俺をずっと支え続けている。



 明かりが灯って、嘘が終わる。
 153,216コマの彼は、映写機の熱を冷ましながら、劇場に立ち込める、キャラメルポップコーンの香りの強さと、観客の男女比の相関関係について、静かに話し合う。他のキャストとは、言い争いになることもあるので、極力関わらないようにしている。無用の喧嘩は好まない、そういう設定なのだ。
 彼の心が動かされるのは、観客の視線の真剣さや、はっと飲み込む息、めじりに盛り上がる涙、握りしめられた汗ばむ手、気づかぬうちに漏れるため息、人目をはばかって押さえられた歓声だけだ。エンドロールの最中に交わされる無遠慮な言葉にも、もちろん注意深く耳を傾ける。同じようでも、観客が変われば反応も微妙に違ってくる。
 それが、この稼業の醍醐味であり、毒でもあるのだ。
 低く、ブザーが鳴った。
 映写機のスイッチが入る。容赦なく照りつけるライトに、焦げそうになる。153,216の心がざわつく。
 もっと光を!もっとあの目の輝きを!
 ああやめられない。やめられない!



焼けた朝をみたか。燻された桜のチップが舞いあがる。豚の燻製からおちた油は、はぜる焔にあたって砕けた。親子ともども死ぬれと命じ、逃げ回る裸体をみたか? 背と腹と足にささったナイフで己の首をえぐったか。お前はいまだ、覚えているか?
 炎上するネマティックは、太陽よりも腹黒い。
 生まれるならば朝だ。去るのも朝だ。一生を朝のもとにて送るのがいい。二四時間閉店開錠。昼もなく、夜もなく、一生を朝とたとえて去るのがいい。老いも餓えも戦もないこの世界がいい。アルティメタルなリアリティ、追い求めたのは最初の五日、そうして最後に「まったくくだらなかった」と一片の悔いもなく去るのがいい。たった五mmに過ぎない液晶画面、逃げ回る裸体の親子を発見する。
 炎上するネマティックは、太陽よりも腹黒い。



テレビのなかのパパはむてき。
きょうもゆうかんにあくのそしきとたたかっているの。
テレビをつければいつでもげんきなパパにあえる。
だからパパにむけてリモコンのボタンをおしているのに
よこになりころがったままで
なぜかもう、うごかない。



 正体不明の黒覆面の男に、進駐軍が襲われる事件が頻発した。
 凶器は、長い刃物——被害者は一様に「Samurai Swordで襲って来やがった。まるでカラスみたいに真っ黒な奴だったよ」と証言している。
 MPが犯人捜索に乗り出したものの、手掛かりすら一向に見つけることはできない。

「日本人の言うTenguってデーモンの仕業かと思っていたよ。何も証拠を残さない。犯行後は、まるで煙みたいに消えちまうんだ。神出鬼没ってやつさ」

 当時、MPとして捜査を担当していたジェファーソン氏はそう語る。

「なんせ、我々が日本を去るまで、凶行は続いたんだ。私はともかく、若い兵士たちは、すっかり怯えてしまってね。日々、東洋の正体不明の怪人に対する恐怖は募り、いつしか、犯人のことを“アッラーフ・カーン”とまで呼んだもんだ。“アッラー”に“カーン”さ。怖いからって、いくらなんでも無茶苦茶だとは思わんかね?」

 ジェファーソン氏はそう言いながら、大きな古傷のある頬を歪めて笑った。

 GHQが、チャンバラ映画の製作を禁止した時代——嵐寛寿郎に代表される時代劇俳優たちが不遇を託ちつつ、そして日本人全体が鬱積していた頃の話である。



 あなたからの別れの言葉を繰り返しつぶやいてみる。一度。二度。三度。
 ただ会って、映画を見るだけ。それだけ。たった週に一度だけのデートだったけど、あたしはとても楽しみにしてたんだ。
 「またお会いしましたね」って、あなたの優しい言葉が今でも耳に残ってる。いつだって紳士だったね。あなたの怒った顔なんか、一度も見たことがなかった。
 あなたと会っている時、あたしはとっても幸せだった。あなたとなら、どこにだって行ける気がしたんだ。未来にも過去にも、ジャングルにも大都会にも、宇宙の果てにだって行ける気がした。いつもと変わらない町の暮らしでも、あなたといっしょなら、あたしはずっとお姫様でいられた。
 いつかお別れしなきゃいけないのは分かってたんだ。でも、ずるいよね。あたしを置いて先に逝っちゃうなんて。
 でもあなたと過ごした日々は、決して忘れないよ。あたしだけの宝物。
 だからあたしは、あなたからの別れの言葉を繰り返しつぶやいてみる。

 サヨナラ。サヨナラ。……サヨナラ。



 さあ登場だ。お出ましだ。我らがスクリーン・ヒーローだ。颯爽とかたつむりに乗り、何処からともなくばおーんと現れる。ばおーんとはスクリーン・ヒーローが好んで使う効果音だがともかくばおーんと現れる。続いてじゅばっと現れるは右腕のニヒル。じゅばっという現れ方はすらっとよりも若干劣るが決して悪くはないとニヒルは考えている。ニヒルには右肩を故障して甲子園を諦めた哀しい過去がある。本当は左利きだと彼に気づかせたのが他でもないスクリーン・ヒーローだ。以来、切ったら切れる縁。夢はいつしか全世界を焦土地獄に陥れること。よく焼けたもろこし畑でとんがりコーンをたらふく食うこと。ポップコーンは趣味じゃない。そんな初老に近い二人を母の眼差しで見守るかたつむり、姓はコバヤシ名はエスカル号。大概の敵は踏みつぶす。強いぞエスカル号! GO! GO! 寄生虫がたまに瑕。さあ目の前に立ちはだかるは悪玉コレ・スティ・ローラーズ。黄色いチェックの憎い奴だ。最後は己との勝負だ。戦うな、スクリーン・ヒーロー。エスカル号の影から口だけ挟め。ニヒルは笑え。お前はお前で俺は俺。サタデーナイトに踊らされてもポップコーンは食べんじゃねぇ。



 静かな日曜日、彼女は私だけのものになる。平日や普通の日曜日では駄目。静かな日曜日。つまりは、彼女の仕事であるところの撮影や舞台挨拶やファン交流会がない日のこと。
 気丈なヒロイン役が多いが、プライベートの顔はまるで子猫だ。この笑顔は私が守ってみせる。



 それは、ヒールとの激しい闘いの最中だった。
 ヒールの拳がヒーローの鳩尾に入る。止めの一撃を食らわせてやったと、右の口角だけあげてほくそ笑むヒール。顔を歪めて苦しむヒーローを、観客は手に汗握り見守る。観客の祈りが通じたわけではなかろうが、ヒーローはよろよろと立ち上がり反撃に出た。最後の力を振り絞り、長い足での廻し蹴り。
 渾身の蹴りは、しかしヒールには命中せず、スクリーンを見事に突き破る。
 グガバッグバガバグバッガ
凄まじい音を立て一瞬で白い破れ幕と成り果てたスクリーンから、ごろり、ヒーローが観客席に転がり落ちたのだった。
 夢にまで見た二枚目ヒーローがそこにいる。だがそれは、瀕死の重傷を負った男だった。観客席に喜びとも痛みともいえぬ悲鳴が響き渡る。
 まもなく到着した救急車で運ばれたヒーローの安否も、映画の結末も、ついぞ知られることはなかった。
 スクリーンが破られる音ばかりが、滓のように耳に沈んでいる。



なぜ俺がヒーローなのかまだ理解できていない。
俺はただ年金が欲しかった。
俺は何回も何回も保険事務所に足を運んだ。
だけど役人は、知らぬ存ぜぬの一点張りで取り合ってくれない。
あげくの果てに年金の受給証明書を持って来いといいやがった。
俺はキレタ。
役人の胸ぐらをつかんで拳を振り上げたとき、誰かが背後から俺の腕をつかんだ。
困ったことに、偶然は重なるものだ。
俺は止めに入った厚生労働省の官僚と大臣の顔面を勢い余って殴ってしまった。
と同時に居合わせたテレビ局のカメラがその場面を見事にスクープした。

何度も言う。
ヒーローになろうなんて思っていない。
俺はただ、年金が欲しいのだ。



「痛快娯楽時代劇のはずなのに、どうしてこう複雑かねぇ」
「ミニスカくのいちって」
「前半の思わせぶりな演出、全然回収できてないじゃない」
「伏線と見せ掛けた、ただの囮のつもりなんじゃねぇのか」
「誰もそんなん気付かんって。こだわりにしても一貫性ないし」
「ミニスカくのいちって」
「そもそも副読本が必須っていう姿勢の構築は映画としていかがなものか」
「しかも大根ばかり。アップが生きてないのが致命的」
「いやあ、それは監督が悪いからだろう。いろいろ手法はあるんだから」
「まあ、売れれば良い時代だし」
「あと、話題が先行すればそれで良し」
「ミニスカくのいちって」
「ただ、見る方も見る方だよね」
「そうそう。評価すべき小さな部分が総スルーじゃ、撮る方も育たないよね」
 気付いている者は少ないがスクリーンの光で生まれる観客の影は、最後列のシートの背後の壁でそんな陰口をささやきあっている。
 その映画の素晴らしい所は、剣客がスタッフロール終了の瞬間振り返り「でやっ!」と何かを斬ることである。観客は、それが何を意味するか分からない。
 ただ、この映画の陰口が表沙汰になることはなかったという。



 最近、行きつけのカクテルラウンジで、一人の女性を見かけるようになった。
 北の国から来たという彼女は、いつもカウンターの左端で、マスターの作るマティーニを飲みながら競馬新聞を読んでいる。
 僕は、彼女のことが気になって仕方ない。長い髪のミステリアスな美女。今日こそ、声をかけてみよう。そして、彼女のイメージのカクテルをおごらせてもらおう。
 僕が店に入ると、先客が彼女に声をかけていた。ヤツの顔は知っている。デムーロとかいう売り出し中の映画俳優だ。にやけた二枚目のいけ好かない野郎だ。
 僕が、カウンターの右端に座って、早く酔えるようにストレートを注文しようとしていると、デムーロが肩をすくめて隣に座ってきた。マスターに話しかける。
「フラれたよ。彼女には好きな男がいるらしい。いつもカウンターの右端に座っている男だそうだ」
 デムーロは、僕にウインクした。
「私は、彼女にミモザをおごるつもりだったんだが、君ならどうする?」
「マルガリータ」
「そうか、その手もあったな。マスター、彼女にマルガリータを。彼からのおごりだと言って。勘定は私に」
 僕は背中をポンと押され、グラスを掲げて微笑む彼女の席に歩いた。



 二枚のトーストが跳ねあがってプールに落っこちる。これがファーストシーン。ここから風が吹けば桶屋が儲かる方式で跳ねあがった二枚のトーストがプールに落っこちるラストシーンへつながる。
 たとえば流れるプールの鈴鹿サーキット然とした円環の心地よさ。外へむかう海。どこにも着かないプール。意味ありげなそれらのセリフを無表情あるいは不自然な笑みで喋らせることで生まれる白々しさを使って根底的なところへ到達しようという意図の白々しさ(白々しい糸の美しさをここで強調しておくことには何かしら意味があるはずだ)。
 主演の榊原國男突然の降板。主演を変えてのファーストシーンからの撮り直し。繰り返し。
 残されたフィルムは? 焼きつけられた榊原國男は?
 私の手元にある二秒間の榊原くん。く、と顔をあげる横からのショット。
 二秒間あれば人は死ぬことができる。生きるためにすることは何でも時間がかかりすぎる。
 二一歳『あしたのはなし』で映画デビュー。二九歳ダイビング中の事故で死去。『スクリーン・ヒーロー』での雑誌記者役が最後の出演となった。出演映画総数四本。主演本数ゼロ。それが榊原國男に与えられた映画人としての簡単な履歴。



 望道歩というヒーローがいた。
 望む道に歩む、という。彼は子供向けアニメの主人公である。悪を嫌い、善を好む。絵に描いたかのようなとは、正しくこのとこであろう。アニメは高い視聴率を出し、得られるものは全て得たようなはずだったが、ここで彼は現実の世界にも登場してみたいと願ってしまった。
 彼が変えたかったのは二次元の世界ではなく、現実世界だった。二次元から現実に影響を与えられないかと考えていたが、一向に結果が得られないので、考えを覆したらしい。
 現実に出たことで、彼のアニメからは主役が消えてしまい、様々な企業が混乱した。(だが、これは代わりのヒーローを出して解決した)
 そして、混乱したのは望道歩も同じだった。
 彼の正義は受け入れられなかった。悪を裁こうとしても、逆に彼自身を悪と見なされた。
 それでも彼は世界を変えようとしたが、彼は必要悪というものを知らず、それを潰したことでさらに汚名を被ることになる。所詮、彼が描いた正義というのは絵空事だった。それもそのはず、彼がいた世界は、善と悪の二次元世界だが、この世はさらに中庸が存在する三次元の世界だ。二次元のスクリーンヒーローが救うには、この世界は強大すぎる。



 俳優の名前は覚えているだろうさ。宣伝用のポスターにも、大きく名前が入っている。けれども、その役名まで覚えているかい?
 アン王女。スカーレット・オハラ。マチルダ。ゴーゴー夕張。エレン・リプリーにエリン・ブロコビッチ。そうそう、それから、山村貞子。
 思い出せる名前となりゃあ、実はそうそう多くない。あんただってきっと、そうじゃないか?
 プリティ・ウーマンの、ジュリアの役名を覚えているか? 氷の微笑でのシャロン・ストーンの役名は? コールドマウンテンの、ニコールの役名はどうだ? 
 幕が上がってから、エンドーロールが流れるまでの間だけ。その後は、名前すら記憶されない。生まれては消え、消えてはまた生まれる。フィルムは巻数だけが積み上げられて、中身はただ消費されていく。
 けれど、俺はこう思うね。そいつはそれで、いいんじゃないかって。
 名前は浮かばなくても、場面は脳裏に焼き付いている。名前は忘れてしまっても、物語は心に残っている。それで、いいんじゃないかって。
 ヒーローに名前はなくてもいい。記憶と、心に、残ればいい。


 そうなんだ。実はヒロインしか覚えてねえ。仕方がねえだろ? 男の名前なんて、覚えても。



その昔、液晶はイカの内臓から作られていたという。
死してなお、光の点滅と拡散を無限に繰り返すのだ。
(・・・なんだか潔くない生き物だね)
そう思ったとたんにタイプミスをした。
最近、思考と指がもつれっぱなしでどうもいけない。
そして何より、ディスプレイの調子が悪くていけない。
それでも捨てて新しいのを、とは不思議と思わない。
(あ・・・まただ・・・おまえも私も歳だから、仕方がないね)
再起動しようとしたそのとき、スピーカーから陽気な声がした。
「よう、じいさん!」
驚いて顔を上げると、赤いマントをつけた生イカが画面いっぱいに横たわっていた。
「いつも大事に使ってくれてありがとな!!今日はじいさんの願いをなんでもひとつ叶えてやるよ」
「・・・こういうのを”さいばーてろ”って言うのかねえ・・・」
「じいさん、早く願い事を言えよ!!」
「じゃあ、このでぃすぷれいを直してくれんかの?」
「それは無理!!他の事だったら何でもいいから早く!!俺には時間がないの!!」
イカは確かに、刻々と鮮度を落としていた。
「ではひとつ教えておくれ、一体全体、おまえさんは何なんだい?」
「聞いて驚くなよ!俺の名は・・・」
ブツッ、という音がして、残ったのは暗闇と静寂。



 最新の移動撮影用ビデオカメラを担いだ連中が、有事の際に備え常にどこからかこちらを監視している。
 近所の野良猫相手にこの体の愚痴をこぼしたりしていると、ぴんぽんぱんぽん、迷子の呼び出しのような音に続き
「東京は足立区にて、怪人が発生しました」
 きれいな声のアナウンスが全国に流れる。
 専属カメラの録画ボタンが押されれば、足立区の、は人間ではなくなる。
 いやあ、ぼくの管轄じゃなくてよかった。ひやっとした。
 というようなことがあった次の日の映画館は非常に混み合う。
 怪人と、たとえば足立区のとのたたかいの編集された映像が見られるのだ。
 変身してしまった後の足立区のが、でかい画面で怪人とたたかう。
 あれで録られた体は、勝手に動くようにされているから嫌がっても仕方がない。
怪人が巨大化し、足立区のが巨大化するとやんやの喝采、足立区のがやられそうになれば知らないおっさんが「なにやってんだ、ばあか」などと言う。
 このわけのわからん状況は、映画屋と政府と悪の秘密結社の陰謀なんじゃなかろうかと勘繰ってみる。
 とりあえず、あのおっさんとかカメラの奴らの息の根が止まればいいのに。
 なんてな話を、今日はハトに豆やりながら話したりしているとまたぴんぽんぱんいう。  



 終電が出てしまったあとの西武新宿線・上石神井駅前は、西部劇の無法地帯のようだ。急行準急各停すべての電車が停まる上石神井駅前の踏み切りは、常に下りっぱなしで、南北を分断している。  黎明から宵闇まで延々、延々、自動車と自転車と歩行者が澱のように溜まっており、倦怠と苛立ちと静かな怒りが湯気のように立ち込めている。    だが、深夜0時31分になると踏み切り棒の国境線が消え、劇的に南北往来の自由が生まれるのだ。咎人も思想家も、娼婦も馬喰(バクロウ)も、流民も贋金作りも、手風琴(アコーディオン)弾きも寸借詐欺も、堰を切ったように跳梁跋扈を始める。  オレの勤めている中華料理屋はちょうどその国境に隣接していて、玄関のガラス越しに、踏み切り前の往来が覗き見える。それは場末の映画館のスクリーンのようで、見ていて飽きない。  字義そのものの、ロードムービー  ほの暗い画面の中で、紅毛碧眼の乞食(コツジキ)が、セラミック製の左の義足をカツン!カツン!と路面に打ち響かせながら、右から左へと、すなわち南から北へと、ゆっくりと横切ってゆく。



裏はない。 深みも、厚みもない。 でも、銀色に光ってる。それがきみとってはかけがえのないことなんだろう? きみを救えやしないのはわかってる。でも、行かなくちゃ。



 風が強く吹き荒れている。  廃墟となったシアターのスクリーンは、舞い上げられ、揺さぶられている。  映像は好き勝手に、壁や、破れたシートや、裂けて捩れた幕に投影されている。  天井はほとんどなく、曇天の重く灰色の空が見える。  あまり名の知られていない、主役を演じている俳優は、黒いスーツを着た悪者に追われている。  今、まるで嘲るように、スクリーンが上空へ舞い上がった。  主役を追いかけていた、黒いスーツの悪者が、壁面に投影されている。その壁に、上空から急降下してきたスクリーンが激突する。  その直前、追われていた主役が、黒いスーツの悪役をシートの下へ引き込み、スクリーンは再び上空へ舞い上がる。  あとはただ、誰かの口笛だけが聞こえている。



 イヌサルキジを連れ天竺に有り難いお経を取りに行くドロシーの足元が凄い勢いで隆起した。咄嗟に飛び退るドロシーの眼前に現れたのは巨大なてのひら。金光放つ眼を有する巨石像が一行の前に立ちふさがっていた。
 像が狙うは、経典の礼として納めるためにドロシーが隠し持つ秘宝ゼウスマリアサタンの三鐘。この鐘を狙う非道の輩は後を絶たず、ドロシーも困り果てていた。
 この魔像は手強そうだ。いや、手強いどころか今回は死すら覚悟している。
 魔像の足に潰されるのか、と思われたその刹那、フランケンドラキュラワーウルフの三人組が現れた。
 先制のキシュウ攻撃、続くミト攻撃、とどめのオワリ攻撃の必殺コンボにより魔像は砕け散った。
 ドロシーが礼を言う暇もあればこそ、彼らは現れた時と同様にどこかへと消え去った。
 彼らこそ、陰に義を支える勇者なのだ。だったら早よ出て来いよと疑問もあろうが、その存在は覆い隠されているため、仕方ないことなのである。実際、ドロシーも彼らのことを語り伝えるに足る情報は持ち得なかった。
 そう。おばちゃんが手首に嵌めている輪ゴムからは微弱な放射線が出ているという事実のように、彼らのことは知られてはいない。