500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第89回:笑い坊主


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 笑い坊主1 作者:高橋唯

「今日は押してるんだよな」
 その日は親族や弔問客の多い葬式で、花輪や生花なども豪勢なものだった。参列者が増えるほど時間が押すのは当然で、大畑さんは炉の時間や次の仕事の打ち合わせをしきりに気にしていた。
 本堂では泣き崩れた家族が父親の亡骸の納められた棺に群がり、妻が花に包まれた夫の顔に触れて嗚咽を漏らす。
「はなれられなくなっちゃうから。ね?」
 母の姉妹と思しき人物が妻の肩を支えた。
 このとき大畑さんは腕時計をいじりながら天井の染みをを見つめていた。多聞院から派遣された原島さんはちらちらと部屋の隅に目をやり、他の親族たちはみな目を伏せていた。
 喪主はまだ若い息子で、アルトな声で御礼の挨拶をした。父の病状をつらつらと紹介し、いざ亡くなる段階に差し掛かると息を詰まらせ、やっと涙声を搾り出す。その声に、涙を流していた多くの婦人は少年を強い眼差しでまっすぐに見つめ、少年の晴れ姿を見つめる旦那勢はいっせいに下を向いた。
 若い喪主が珍しく、また親族に可愛い女の子を見つけて私はまあまあの気分だった。
 控え室に引っ込んだ原島さんのくゆらせる煙草の香りがとてもうまそうに漂う。そんな式だった。



 笑い坊主2 作者:わんでるんぐ

 親友の妹が、嫁に行くという。銘仙を解いてこさえたりぼんが似合う、まだ女学生気分の抜けない末っ子が、見合い相手について遙々海を渡るのだという。
「いろはの通じん国では、さぞ心細かろう。泣いて暮らすかもしらんと思うと、居ても立ってもおられん」
 妹想いの友は、学業を投げ出して笑い坊主を探し歩いた。帯に提げれば気散じに良し、つられて微笑めば器量も数段上がる、嫁入りには欠かせない品なのだが、近頃は作り手が無いらしい。あちこち尋ね回った末、ようやく田舎の骨董市で吉相の古い坊主を手に入れたと喜び勇んで戻ったのは、出立のわずか二日前のことだった。
 ところが、見送りの日は朝から陰気な小糠雨で、一同しんみりと涙に暮れるばかり、御利益の程を大いに疑ったものだが、友が言うには、
「見ろよ。馬鹿だなぁ、あいつ。坊主を逆さに掴んで振っていやがる」
 道理で泣けるはずだぜ。手拭いで顔を拭うと、デッキで袖を振る小さな影に、日の本一の兄は塩っ辛い笑いを投げかけた。
 その長い鳶を小刻みに揺すっている姿が泣き坊主そっくりで、俺は泣けて笑えてしようがなかった。



 笑い坊主3 作者:空虹桜

 末代無智(無智無智ムチムチむっちむちボンレスハム〓♪)のぉ、在家止住男女(にょにょーいにょーいにょーいにょにょーいのにょー!)たらんともがらはぁ、こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまいらせてェ(ライコッチャエライコッチャヨイヨイヨイヨイ)さらに余のかたへ(ライコッチャエライコッチャヨイヨイヨイヨイ)こころをふらず(いずいずっころばしっしっしぃー)、一心一向に仏たすけたまえ(たまえたまえたまこ!おおっ、たまこ!野比玉子!野比のび太あーっ!)と申さん衆生をばびばののん。ゴホンッ。たとひ罪業は深重なりとも(ぉっひゃっひゃっはっはっ。わけわかんなすぎるしぃひっひっひ)かならず弥陀如来はすくひますます(鮭鱒ますますマスオスエオ。アナゴくんどーだい?一杯。べし!べし!べしっ!)て、ひゃっひゃっひゃ。もう無理。腹いてぇ。ひぃーっ。いつあげてもこれが限界だもの。俺。絶対救われんわはははひゃっ。仏罰じゃねぇーや蓮如罰が当たるな。あなかしこーあなかしこーなまんだぶつなまんだぶつ。



 笑い坊主4 作者:我妻俊樹

悲しんでいると複数の大橋を渡り継いで笑い坊主が到着した。
彼女は(笑い坊主はつねに女である)注射痕にはえかけた竹藪をねじりながら「肉体は乗り捨てられるボートに過ぎない。私たちはまだ半分も距離を縮めていない獲物と狩人である」そう南風まじりにつぶやいた。
私は悲しむのを止めて彼女の声に聞き入った。
扉のあく音、そして閉じる音がつづく。半開きの扉が全開する音や、閉じた扉に錠の下りる音も。内部は古い集合住宅で、胸のボタン穴から出入りする人々に彼女の声は夕暮れどきの雷鳴だった。けれど言葉の意味は電話のように私に伝わった。
「抜けた歯があれば売ってください。娘の指輪にするので」
彼女が放すと竹薮が葉を振り乱し、いっせいに鳥が羽ばたいていった。差し出された手のひらはベランダほどの広さで、私はポケットにしまっていた乳歯をそっと置くために暗い生命線を踏む。微笑みがアド・バルーンより高い人がほかにいるだろうか?
翌日口座に見たこともない金額が振り込まれていた。取出口であばれる猿の部品のようなそれをようやく全部押し込めた財布は、勝手に懐を飛び出すと路傍の植込みに転がり込んだ。



 笑い坊主5 作者:楠沢朱泉

 その日、体調不良で仕事を早退をした。日が沈みきる前に帰ることは珍しく、中高生に紛れて帰宅の途についていた。
 異変に気づいたのは、公園を過ぎて二つめの十字路を右に曲がった時だった。
 人通りのない道の真ん中に一人の僧が立っていた。土気色の肌。ボロボロに破けた袈裟の裾。編み笠で顔はよく見えないが、それが異質だと感じ取れた。
 引き返そうにも体が前にしか動かず、なるべく僧から離れて道の端を足早に通り過ぎようとした。
 すれ違うその時、突然僧は編み笠を脱ぎ捨てた。ぐわしゃっと血走った目を見開いてこちらに視線を向けると、それまで閉じていた口が耳元まで裂けた。
 キュヒョシュギャギャギャシャシャッ。
 耳にざらつく声で、僧は肩を揺らして笑い出した。
 足がすくんだ。
 ねっとり絡み付くそれは、皮膚から吸収されて体の中で暴れ出しそうな気がしてならない。
 笑われた。それだけだ。
 言い聞かせて、なんとか歩を進める。こだまする声を振り切るように、できるだけ早く。
 いつの間にか笑い声がキャハハッと聞こえ慣れたものになっていると気づいてゆっくり振り返ると、女子高生の集団が甲高い声で喋りながら歩いているのが見えた。



 笑い坊主6 作者:オギ

 えらくご機嫌だねぇお客さん。いい話でもあったのかい。おや私にも。こりゃどうも。
 お礼といっちゃなんだが、やつの話を聞いたことはあるかい。ああご存じない。出入りの多い土地だからね。
 妖怪。似たようなもんかもな。
 三度の飯より殴られるのが好きらしい。脳の分泌異常がどうのって話だ。女とやるよりいいってんだがほんとかね。
 また殴りたくなる顔なんだよ。あのぬぺっとした笑い方のせいかな。
 最初はいいカモだよ。しこたま殴りゃすんなり金をくれる。
 だがね。あんなのにいつまでも構おうってのはそういやしねぇ。
 殴られ足りねぇもんだから、最近は色々な手を覚えやがって。
 ああ色々だ。誰も口にしたがらないようなことさ。聞きたいのかい。
 おや。いける口だね。次はなにがいい。純米のいいのがあるよ。それとも焼酎にするかい。
 なに。やつの見た目。
 お客さん。もうわかってんだろ。



 笑い坊主7 作者:多間史恵

 つり上がった目に太い眉。への字の口と額に刻まれた深い皺。ははあ、これはひっくり返すと憤怒の表情が笑顔に変わるというだまし絵顔に相違ない。そのだまし絵顔の坊主を先頭に、次々と寺の僧が天竹を上っていく。天竹は太い竹がそろった竹藪にあって、一番高く太い竹だ。
 上るにつれて次第に細まる竹。先端に近い部分では後続の僧たちががっちり固まって足場となり、先頭の坊主を支えた。どうやらだまし絵坊主は竹の先端の、さらにその上の何かをつかもうとしている様子だった。しかし坊主の手は空を切るばかり。そうこうするうち、さしもの太い天竹も揺れはじめ、ついにはすごい葉音を立てながら、地面へとしなり落ちてきた。ばらばらと地面に投げ出される僧。そして一瞬垣間見えた、竹にしがみつく坊主の笑顔。
 次の刹那、跳ね上がった竹は大きく坊主を放り上げ、やがて水田に大きな泥しぶきが上がった。



 笑い坊主8 作者:まつじ

 人類のほとんどは捩れて死にました。
 抱腹絶倒では事足りず、けたけた声をあげ背を抱え尻を抱え捻れに捻れ息絶える様子はたいへん気持ちが悪く、ふたたびあのようなことが起こるのを恐れ人々は随分、しんとしています。
 私がやりました。
 わっはは笑って福を呼び、にっこり土に還りましょう、と笑土宗を説き回りました。
 もちろん私は概ね真面目でしたが、妙に増える信者達が怖くなり、降って涌いたように件の病が流行り出したときには、鳩尾のあたりがごっそりどこかへ持って行かれたような心持ちになりました。
 なぜ、あんなことになったのか、今もって分かりません。
 それでも私が全てのはじまりのようで、以上の経緯から私の人生はたちまち転落、世間に疎まれ嫌われ石を投げられ妻を亡くし転げ転げてついに人でなくなったようです。
 今年で七つになる息子が、豆つぶ大に分裂した体の一つで私を呼びます。
 おれ、とうちゃんがいってたみたいに、みんながわらうほうがすきだので、いってくんね。
 まるい顔のいがぐり豆がにっこりぴょんと私の口から腹に飛び込み、残りは散り散り旅立ちました。
 すっかり怪異の体に馴染んだ腹の中の息子に感心し口の端緩むのを感じながら、いつまでもいじけてらんないぞ私もエイと体を分け四方八方行脚にゆきます。



 笑い坊主9 作者:影山影司

 てるてる坊主を作りましょう、というとその子はティッシュをしっちゃかめっちゃかに引っ掴んで雨合羽を被ったような坊主を作り始めた。ぎゅっと首の部分を紐で縛って、窓辺に吊るした後に笑顔を描くのは辞めて欲しい。



 笑い坊主10 作者:砂場

「──って知ってる?」
 随分長いこと構図が決まらない上手屏風坊主に、モデルの坊主がポーズはそのままに話しかけた。
 上手屏風坊主、「何それ」と言った後、「ちょっと休憩」と縁側から出て行く。と思ったら庭の畑で問う。
「君、知ってる?」
 葱坊主は首を振る。
 くるりと反転すると、今度は軒下にぶら下がったてるてる坊主に問う。知らんと体を揺らした。
 上手屏風坊主は再度反転、外へ走り出す。息が切れ、道が途切れ、潮騒がし出す。舟に乗ってどんぶら行くと、ぬうっ

と出てくる。
「わしゃ知らぬ」
 海坊主は聞く前に答えた。
 部屋に戻ると、隣の部屋へ通じる襖を開ける。茶坊主が茶を立てている。
「私は知らんぞ」
 顔も上げず言った。即、襖を閉め、また別の襖を開ける。すると今度は炬燵に入った生臭坊主がてっちりを食っている

。「俺が知るか」
「ああもう!」
 上手屏風坊主、縁側から禿げ山に向かって叫ぶ。
「Do you know──」「No!」
 ふんと鼻息荒くモデルの坊主に向き直った。
「みぃんな知らないって。嘘つき坊主!」
「だって、僕だよ」
 小声で言い、しゅんと俯くモデルの坊主。
「うっそだあ」
 上手屏風坊主がからから笑い、俯いた口の端がにやりと上がった麗らかな春のとある日。



 笑い坊主11 作者:立花腑楽

「ぎゃっ」
「うわっ」
 みんなが悲鳴を上げる中、僕は「ざまみろ」と思った。僕はこの時、ほとんど手札を持っておらず、ダントツのビリだったのだ。
 野島が、「むかつく!」と悪態を吐き、引いた札を叩き付ける。
「備品を乱暴に扱ってもらっては困る。みんなが叩き付けるから、その札だけ劣化が著しいのだ」
 僕は形成が逆転した(というより振り出しに戻っただけだが)喜びも手伝い、敢えて余裕綽々の口調で、野島の行動を諫めた。
「むかつくんだよ。俺ぁ今までトップ走ってたってのに」
「君ね、一回の勝負で、このリセットは必ず起こることなのだ。だから、それ以前の勝負の趨勢を云々したって仕方無い」
 野島は、納得がいかないらしく、先程叩き付けた札を人差し指で忌々しげに小突く。
「もう、毎回むかつくんだよ。場を荒らしてるってのに、それに無自覚みたいなこの醒めた表情がよ!」
「よし、ならば不祥この私めが、畏れ多くも蝉丸法師の代理として、100万ドルの笑顔で野島君の荒んだ気持ちを慰撫して進ぜよう」
 にっと両頬の肉を釣り上げ目尻を思い切り下げながら、言ってやった。
「知るも知らぬも逢坂の関」
「うわ、むっかつくなそれ!」
 野島が殴りかかってきた。



 笑い坊主12 作者:海音寺

 木喰が盛岡を遊行していた時、沼地の畔に行き倒れている小童を見つけた。携えていた干し飯と水筒の水を口に含ませたが、うけつけない。「やれ家族とはぐれたか、或は捨てられたか」木喰は小童に阿弥陀経を唱えた。

 せつな、小童がパチッと目を開けて明朗な声を発した。
 「死後の世界も、宇宙の真理も、ない。ただ今生だけがすべてだ。のう」
 直後、こときれた。

 それは木喰が深緑の沼沢地で見た幻だったかもしれない。色のない蛇が木喰の股の間を摺りぬけ、沼の中へと消えていった。もう一度童の方に視線を向けると、大変に涼やかな死に顔だった。感化されるものがあったか、以降、木喰が彫る仏像には微笑の表情がつけられるようになった。



 笑い坊主13 作者:たなかなつみ

 男の顔は幼いころから歪んでいた。両目の位置は不揃いで、眉毛はつり上がり、片方の口角だけが下へと引き攣れ、巨大な鼻の先はだらりと下に垂れ下がっている。そして、ばってんの形状をした大きなみみず腫れが、その顔を覆っていた。
 男は友人というものに恵まれなかった。成長した男の顔は、出くわした子どもたちが恐怖で逃げ出してしまうぐらい、凶悪さを感じさせるものとなりはてていた。男は自分の顔を人から隠すことにのみ、執着するようになった。
 俗世を捨てて出家しようと思いたった男は、自分の剛毛を剃髪し、黒い頭巾で頭と顔とを覆い、山寺へと向かった。辿り着いた山寺は、住職もおらず、荒れ果てていた。男はそこを自分の住み家とした。誰の目にも触れることのない生活。男は生まれて初めて平安を得た。
 安らぎのなかで食への欲を失った男は、枯れ木のように痩せ細り、そのまま死を迎えた。男の死に顔には満面の笑みが浮かんでいたのだが、その歪んだ顔では、失敗した福笑いのようにしか見えなかったという。



 笑い坊主14 作者:JUNC

Tシャツに短パンで10歳くらいの男の子。
この間は、朝に道端ですれ違った。すれ違いざまに目が合って、ニコニコって笑いかけてくる。こっちもおもわず、笑い返してしまった。昨日は、夕方駅の構内で向かいのホームにいた。目が合うと、ニコニコって笑いかけてくる。またおもわず、笑い返してしまった。今日もあの子に会えるかな。・・・なんて期待している自分がいて、1人でニヤニヤしていたら妻に気づかれ。どうしたの?なんて心配顔で話しかけてくるからあの子のことを妻に話して家を出ようとした。靴を履いて、行ってきますって言って。玄関のドアを開けたら、あの子が立っていた。真っ赤な目をして鬼の形相で
話したなーぁぁ!!って叫びながら、家の中に僕らを押し込んでカシャっと鍵をかけた。

3日坊主の男の子。ニコニコ笑った男の子。
あの子のことは決して。3日間は決して。
誰にも、誰にも、誰にも、話さないでください。



 笑い坊主15 作者:ぶた仙

 地下五十メートルの地層を発掘中に、今はなき石油由来製の箱から21世紀の古文書が出土した。さる結社の一員の手になるものらしく、古語を専門とする私が解読を依頼された:

「○○が人を幸せにすることは多くの研究に詳らかにされているが、そのための坊を起こしたのは、偉大なる我が師が初めてであろう。教えは専ら西方(浄土を意味する)の言葉でなされた。東の一部に公開された坊には続々と志願者が集い、厳しい修行ののち認められた者は伝道師(高僧の謂か?)として電波を発し、教えをあまねく伝えて民衆の心を満たした。伝道師の生命は多くは一年しか持たなかった(苦行のゆえか?)が、道を究めることによって新しい命を得た。また民意によって、ある者は政治を司り、ある者は報道(道を報せる意?)の上位を獲得した。この国を治めることを得た坊は、エンターテインメント(奥義の名か)を極めるため、上場から去り密教化した。師の目標は○○によってアジア並びに世界を制覇すること。それこそ全人類に幸福を与える道であろう」

 ○○は翻訳不能な語である。古代人の顔面運動もしくは情動の一を指すと思われるが、高度に発達した現代文明にはもはや存在しない。



 笑い坊主16 作者:侘助

「この外道が」
奴は瞳に怒りを湛え、吐き捨てるように言った。俺はただ沈黙を持ってそれに応えた。
 俺達の間には鈍色の空気が漂っていた。普段意識などしない空気が、こんなにも重いものだとは思っても見なかった。
「腐れ外道め」
奴はこの六時間ばかり繰り返してきた言葉を再度吐いた。俺はそろそろ限界を迎えつつあった。銜え煙草を一息に根元まで吸うと、灰皿代わりにしていたコーヒーの缶にねじ込んでやった。俺は奴と決して視線を交えることなく、水平線の彼方を見ながら言った。
「ああ。外道だよ。外道で何が悪い」
 先に誘ったのは俺だ。だがお前も俺の口車に乗せられてほいほい付いて来たじゃないか。お前だって相当の好き者だろうが。責められる道理などあるものか。俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「ぬはははは」
突然奴が壊れたように哄笑した。
「坊主だよ」
奴の視線の先を見て俺も馬鹿笑いした。
「だはははは。しかもお祭りだし」
 笑うしかないじゃないか。せっかく有休を取って伊豆の穴場まで来たっていうのに。



 笑い坊主17 作者:ハカウチマリ

 ジュースを買おうと通りに出ると、タイヤを軋ませてパトカーが止まった。制服姿の警官二人が降りてきて、俺を取り囲む。俺が何か言う隙も与えず、手錠をかけた。もう一人は現在の日時と俺の名前を口にし「……確保」と続けた。
 全く心当たりがない。
 パトカーに押し込まれた俺はなぜこんな事をするのか訊いたのだが、隣の警官に鼻を殴られた。鼻血を流しながら俺は呻いた。多分、鼻骨が折れている。
「弁護士を……」と言う途中で腕を折れそうなくらいにねじりあげられた。何か言おうとするたびに腕に力が加えられる。圧倒的な暴力に、俺の抵抗する意志は奪われている。
 俺の住む市の警察署に着いた。俺は最後の抵抗で「助けてくれ!」と叫んだが、次の瞬間、顔から地面に突き落とされていた。腰を蹴られ、頭にも衝撃を受けて気を失った。
 気付くと椅子に拘束服ごと縛り付けられていた。顔が中心からひどく痛む。口には何も入っていないのに血の味がする。
 暗い部屋の隅では坊主がこっちを見て笑っている。



 笑い坊主18 作者:脳内亭

「なつかしい笑い声だな」
 ぽつりと父が言った。家族でボウリングに来て、ちょうど私が一投目でいきなりストライクを取ったときだ。
「声?」
「今、ピンをたおしたろう。あの音がな、似てるんだ」
「何に」
 そして父は得々と話し始めた。ボウリングの由来、むかし故郷の山中で遭遇したという、或るお坊さんとの因縁を。
「……で、そこは竹林でな、おれは言ったんだ。おい坊主、子どもだと思ってなめんなよって。そしたらその坊さんもおれに向かって、おい坊主、……」
 父の話はえらく長く、そんなことより私は早くゲームを進めたいのだが、話の最中ふと目に入ったボウリングの球が、一瞬ニヤリとした気がした。



 笑い坊主19 作者:六肢猫

 怒りん坊主の偏屈娘、そんな仇名を蹴飛ばしたかったというか、これは仇討ち。実家の寺のその横に、故意に建てたる工場の、上から見下ろす秋景色。家を出てから何年か、今日も今日とてあの父は、きっと怒っているのだろう。
「○×寺スイート侵略計画」の完遂、それは仏に唾。甘味嫌いにビスケット工場で対抗、なんて建設的。甘い香りで修行僧篭絡、高待遇で囲い込み。一人で護れる寺は無し、泣く泣く畳む無人寺。跡に建つのは菓子工場、伸び行く業績、日本一。その功績を手土産に、本社に栄転、サクセスライフ。
 寺を無人にするところまでは予定通り。と思っていた矢先に、嫌な噂を耳にした。工場が建ってからというもの、なぜか父は怒るのをやめたという。甘い排気に晒しても、修行僧がいなくなっても、近所の人から尼僧もいないのにアマデラ呼ばわりされても、人が変わったようにニコニコしているらしい。
 計画の頓挫は回避したいが、どうにもいい案が思い浮かばない。そんなときにふと、遠い昔に一度だけ見た父の笑顔がよぎる。



 笑い坊主20 作者:きま

南風吹く最北の地に夏が来たよと花が咲く。
あたしが見えるの?
無視する俺に白い花びらのドレスを揺らす。
みて見て、可愛い?
阿澄 佳奈の真似をしてもだめ駄目ベイビー。
だめなんて言わないで。
弥(いよいよ)正体を現したなオッサンキラー、でも俺様は負けん。
にょろにょろ。にゃん。
陀羅尼(ダーラニー)、いかあぁん。
らーら、ららーら。やっぱりー。
仏像を思い浮かべるのだ、俺負けるな。
いーかげんに、素直になれば。
そーだね。
にゃん。



 笑い坊主21 作者:三里アキラ

 からからから、と笑う。
 元気なお年寄りにインタビューする企画で来ている。前もって聞いたとおりよく笑う。
「何でもよく食べることだな。わしは旨いモンが好きだ。肉も食うぞ。旨い肉といえば、あの女の肢体も……おっと」
 からからから。
「食った分は責任持って生きんとな。命を食うんだから、そいつらの分まで幸せにならんとイカン」
 また、からからから。
 拒食症気味の私の胸に刺さる。
「結局はなるようにしかならんのだから、今を精一杯生きるべきだとは思っとる。が、何にしろ深く考えすぎん事だな。逆にいえばなるようにはなるんだから」
 からからから、笑う。からカラ空。
 檀家は多い。



 笑い坊主22 作者:青島さかな

 笑い坊主では葬式には呼ばれない。だから坊主は顔に包帯をぐるぐると巻いていた。この村に坊主は彼一人しかいなかったので。坊主が顔を隠している日は、この村で悲しいことが起きた日に決まっていた。
 あるとき顔を隠した坊主は湖のそばにいた。包帯の端を水に沈めて、顔中で湖を感じていた。
「泣き坊主になりたいの?」
 そう問いかけたのは湖岸亭の酒姫。首を振る坊主に、ではせめてその呪いを解いてあげましょうと、酒を降り掛けた。
 呪いの解けた笑い坊主は普通の坊主になったのだけれど、坊主は包帯を顔に巻いたままで過ごすようになった。以来この村は悲しみに包まれたままでいる。



 笑い坊主23 作者:松浦上総

 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラに捧ぐ。

 20XX年。突如勃発した北海道独立運動は、解放軍を名乗る武装グループが中核をなし、そのリーダーは女性であった。
 セーラー服に身を包み、右肩にバズーカー、左手にサブマシンガン。太腿と胸元には、多数の手榴弾を隠し持っている。迎え撃つのは、国防軍精鋭第九師団を率いる、因幡中将。旧日本軍時代から続く悪弊である戦力の逐次投入の愚を排し、前年沖縄で起こった同様の武装蜂起をわずか一月で鎮圧している。巨漢でつるつるに禿げ上がった頭部。常に自信に満ちた不敵な微笑を絶やさない。

 早朝、戦闘の火蓋は切って落とされた。ポニーテールにセーラー服姿のリーダーは、単騎で敵陣に切り込んでいく。膝上25センチのミニスカートと黒のニーハイが作り出す絶妙の絶対領域が眩しく煌めく。一騎駆けは戦場の華である。だが、それを見事咲かせては、精鋭第九師団の名折れとなる。たちまち集中砲火が浴びせられるが、一発も当たらない。無敵で可憐なセーラー・アイドルに砲手が魅了されて、照準を誤るからであり、天が、この自由の女神を別して愛するからである。
「見事かぶいたものよ……」
 因幡中将は、苦笑して頭をかいた。



 笑い坊主24 作者:五十嵐彪太

 誰も見つからない。
 僕は諦めて、ぼんやり下ばかり見て歩いている。
「もういいかい」
 きっちり百数えてそう叫んだけれど、応えはなかった。たぶん、はじめから僕を置き去りにするつもりだったのだ。
 僕は僕の影を見つめて歩く。このまま家に帰ったら、母さんの顔を見た途端に泣いてしまいそうだった。いや、もう泣いてる。
「何を泣いておるのだ」
 にゅうと立ち上がった僕の影が、口と目をくり抜いただけの真っ黒な顔で、僕を覗き込んだ。
「……誰?」
「お前の笑い坊主」
「笑い坊主?」
「泣いてばかりでは、泣いてばかりだから、笑い坊主だ」
 とんちんかんなことを言いながら、真っ黒な顔は百面相を始めた。
「やーいやーい、泣き虫毛虫、アリンコのキンタマくれてやる」
 とうとう僕は吹き出す。
「今泣いたカラスがもう笑った」
 笑い坊主は泣きそうな顔をした。きっと夕焼けのせいだ。



 笑い坊主25 作者:三浦

 小学二年の八月三一日、酷い風邪をひいた。
 私は一人で自宅に帰ることになっていたから、快復するまでは祖父母の家に留まることになった。
 明くる始業式の朝、薄暗く幾分は涼しい小ぢんまりとした部屋に敷いた蒲団の中で梅肉がのった粥を三口だけ含んで薬を呑み込むと、祖父母は畑仕事に出かけていったため、私は父親とその四人の兄弟が生まれ育った広い日本家屋にたったひとり取り残された。
 目覚めたり寝入ったりをゆらゆらつづけているうちに夢も現も区別がつかなくなり、そのどちらかで私は一人の少年と出会った。
 苦しさのあまり無感動になっていた私は、部屋の隅でちょこんと正座している同学年らしいその少年を呼び寄せ、名前をたずねた。
 少年が枕元に移ってきたので、私は起こしていた体をふたたび蒲団に沈ませた。
 天井を見上げると、その途中に少年の笑みがあった。
 半開きの目で見たその笑みには濃い影が落ちていて、しかし苦しみの中にいた私は、暑苦しいからどいてほしいということを云ったと思う。
 今、膝に抱きついて私を見上げている息子の笑みを見て、何十年も思い出さなかったこの出来事が頭に浮かんだ。
 息子の顔はその子に似ていなくもない。



 笑い坊主26 作者:ておまさお

「松田、ちょっとこい」
 うわぁ、またかよ……何もこんなところで言わなくてもいいのに……。
「——というわけで、このような間違いは、絶対にしないように気をつけてください」
 俺が何か失敗すると、いつも係長は朝礼で、しかも名指しで注意するんだもんなぁ……。
 よりによって、うちの会社の朝礼は通行人に丸見えなんだもの。こんな晒し首たまったもんじゃないよ。登校途中の小学生にも笑われる始末だ。
「こらっ! 笑うな坊主!!」
「いっけね! 逃げろ」
 朝礼が終われば、こんなやりとりも日常茶飯事だった。

 最近失敗が多いのには理由がある。言い訳になるけれども、いま付き合ってる彼女から家族に会ってほしいと言われているんだ。
 彼女はバツイチで息子がいる。こんな俺がいきなり父親になるなんて、想像できるわけないじゃないか。かといって、彼女以外の女は考えられないし……。
 そして今夜、彼女の息子と対面することになっていた。

「紹介するね。息子の翔太です」
「はじめまし……えっ!?」
「ぼ、坊主?!」



 笑い坊主27 作者:瀬川潮♭

 爆発君が爆発した時、町が吹っ飛んだ。
 爆発君の妹のパトリオットちゃんがパトリオった時、迎撃に飛び立った。
「ウチの家系は、目の前でバカにしたように笑われると起動しちゃうから」
 2人の母親、マッドバズーカさんはそうため息を吐く。ちなみに、曾祖父はオキシジェンデストロイヤーさんと言う。海中でバカにしたように笑われ大往生したらしい。
「お母さん、つまり僕たちは周りからバカにされないような立派な大人になればいいんだね」
 次男の隕石落としくんと三男のコスモクリーナーくんは口をそろえる。
 ちなみに、困った家系はほかにもあるようだ。
 弱ったことに、次男の隕石落としくんと今度中学で一緒のクラスになった生徒に、笑い坊主くんがいたのだ。割と人を小馬鹿にしたような生徒らしい。
 幸か不幸か、笑い坊主君の起動条件は明らかになっていないと言う。



 笑い坊主28 作者:峯岸

 笑う角には福来る。幾ら殴っても笑っているので幾らでも殴る事が出来る。殴られている最中ずっと何か呻いているのだが要領を得ないので取り敢えず念仏という事にしておく。とはいえ念仏というのは笑いながら唱えるものではないのだろうからなるほどこいつは不真面目なやつだ。
 どれだけ念仏を唱えようが誰も現れない。ひたすら殴る。左頬を殴れば右頬が差し出される。平和主義。特に絶対的な平和主義とは歴史的に見ても異端であるからしてこれは徹底的に迫害しなければならない。ただ無抵抗というだけならまだしも殴られるたび笑っているのだ。これほどの平和主義も他にあるまい。
 殴る毎に少しずつ形を変えてゆく。いつしか顔も消え失せ表情などまるで酌み取れなくなっているのだけれども笑っているという事だけは間違いない。どうしてこいつは笑っているのだろう。解せないので殴る。腰を入れて殴る。このまま真っ白い蕾にしてしまおうと躍起になるもののなかなか上手くいかない。上手くいかないからまた殴ってしまう。
 幾ら殴られても笑っているのでその笑いが殴っているこちらに感染する。きっと俺にもいずれ福が訪れるだろう。洪笑しながら殴り続ける。念仏。誰か後ろにいる気がする。



 笑い坊主29 作者:紫咲

絶頂寺最後の仏像を駅前で質入すると、和尚はヨレヨレで半笑いの諭吉数枚をパチンコ玉に替えた。
「ゆくも八卦。ゆかぬも八卦」だが機械が嗤えば、神も仏も揃うはずがない。寂しいピンクネオンを後光に和尚は帰寺、気は重いが明日の準備をする。
梁にはBOSEのスピーカー、壁にはプロジェクターで曼珠沙華。型落ちのシンセサイザーを打ち込み終える。
「ラップではなく念仏だ。強く諭せば素人にはわかるまい。事情がわかれば玄人も責めまい」
明くると墓のような駐車場にベンツとベンツ。スーツとジャージ。棺桶一つ。大の大人の無言の膝小僧が講堂に並ぶなり和尚は「参ります」
ビートと読経が一巡すると下手の渡り廊下から和尚の一家がおぼんを両手に入ってくる。
 和尚は袈裟から取りだしたジャックナイフでまずは娘を袈裟斬りに。
それから息子を三度頭突き、一礼してからまた頭突く。往生するまで反復する。仕上げに妻と自分に縄を巻く。
「これでよござんすか」スーツの中のスーツが無表情に証書を突きつけ問う。来世に旅立ちし折 五千万円也。
 和尚はぐいと縄で幕を引く。飛びだした舌が伝えるところ。「僧DEATH」



 笑い坊主30 作者:凛子

 今日は忙しい。亡くなった父の七回忌法要が営まれるからだ。けれども、私に比べれば兄の方がよっぽど忙しいはずだ。遠くから訪れる親類の宿泊から、弔問客の食事の準備など、朝からてんてこ舞いなのだから。
 兄がいらいらしているのは、目に見えてわかっていた。普段は温厚で優しい兄だけれども、今日は近寄らない方が無難かもしれない。まだ残暑が厳しい中、クーラーのない実家での法要も兄のいらつきを助長していた。そして、あの御坊さんの態度にも……。
 最初に異変に気付いたのは兄嫁だった。
「見て、あの御坊さん」。言われて、御経を読み上げている御坊さんに視線を移すと、信じられないことに御坊さんが笑っている。御経は自然に耳に入ってくるのだから、顔だけが笑っているのだ。気付いたのは私たちだけではないらしく、周りの親類もこそこそ言い出していた。勿論、兄も気付いているはず。兄の体が小刻みに震え始めていたので、早く御経が読み終わることを願った。しかし、兄はとうとう耐えきれなくなったのだろう、急に立ち上がって怒鳴り散らした。

「何笑ってんだ! 坊主!!」