500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第92回:水溶性


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 水溶性1 作者:トオリキリカ

心は、晴れた日の海のように穏やかに波打っていて、
ここにいない誰かを思っている
ここにいない誰かを思っているわたしは穏やかで、
ここにいない誰かが現れたとき、わたしはわたしでいられなくなるでしょう
ひと雫、アルコオルを落として頂けませんか
出来れば毒持つ青色で
出来れば熱持つ赤色が良い
マドラーは不必要
刺激的なものほど勝手に混ざっていってしまうから
闇色猫目の電車が3回瞬いたとき
きっと誰かを乗せてくる
ここにいない誰かで無くなる為
踊りましょう沸点に到達するときに弾けて溶けてアルコオルランプ
あなたはここにいるのよ



 水溶性2 作者:空虹桜

 彼が席立った隙にグラスへ投下。かき混ぜずとも消え去った無味無臭のサラサラは、なにを話しても面白くできないあたしの話で彼を笑わせる。
 もともとサラサラはこんなつまんないノンフィクションだ。

 都内某地下鉄駅。ちょっと古めの路線からちょっと新し目の路線への乗り換えに歩く300m強の廊下。通路。ストリート。そこにひっそりと、しかし、明確な通行の妨げとして、救急用の担架が匣に入って眠っている。横たわってる。
 朝。通勤途中。平日。いた。匣の上に。なにが? ぬいぐるみが。ブタのぬいぐるみが。鎮座していた。降臨していた。あたしの方を向いて。直感的にテロだと思った。きっと東京の地下にあるすべての担架匣にブタのぬいぐるみは顕現なされて、それが秘密組織へのシグナルなのだ。実行の合図なのだ。手垢か埃かなにかで黒ずんでるけど。
 でもあたしは、三度見したって歩くことを止めない。遅刻できる余裕はない。

 笑わせっぷりは粒度と思いの丈に依存するから、吐いて天日(自然乾燥だとサラサラ度UP!)で一週間ほど乾かしたら、擂り鉢で丹念に細やかに擂る。イメージして。笑顔。見たことないけど。笑って。ねぇ。あたしの前で。お願い。



 水溶性3 作者:はるか

船端に腰かけて、海に溶ける雪を見た。少し身を乗り出せば海に落ちてしまうだろう。そうしたらこの寒さだからきっと死んでしまうはずだ。そうと解かっていても私はこの情景から目を離すなんてできなかった。それほどまでに私を惹きつける理由を、ぼんやりと灰色の空に探してみる。
「何やってんだ。自殺志願者」
「…船長」
いつの間にか隣にいた彼を見上げれば、どこか遠くを見据えるその横顔が目に入った。
「…ねえ船長。このまま雪が降り続ければ海はしょっぱくなくなるかな」
「さァ、どうだろうな」
「わたしは変わらないと思う」
海は大きくて広いでしょう?だから小さな小さな雪は、偉大な海に浸食されてしまうの。雪は溶けて消えて形を失うのに海はそれを気にもとめず大きく在り続けるなんて
「なんだかわたしと船長みたいね」
船長はしばらく黙って、やがて喉の奥でくつりと笑った。どうやら否定する気は無いらしい。
「ああ、そうだな。雪の無垢な白さも純粋な儚さも、海の青が掻き消しちまうんだ」

「それと、俺が海ならの話だが」

船長はにやりと笑って私の耳元に口を寄せ、白い吐息と共に言葉を吐き出した。



「雪の存在を、惜しむだろうな」




溶けるということ



 水溶性4 作者:仲町六絵

 王様からお師匠様へのご注文は、王様そっくりの身代わりをつくる事。暗殺に備えて、とはなかなか剣呑だ。
「自動人形なら、海竜の鳴き声と白鳥の歌がいるね。ついといで」
 お香のにおいが沁みたマントをひるがえしてお師匠様はずんずん歩き、辻で馬車をつかまえた。お師匠様は御者に「岬まで」と言ったけれど、海竜はこの国の海にはいないはずだ。どうするんだろう。
 岬に着くとお師匠様はぼくにひしゃくを持たせて、「岩場に座って、ひしゃくを海に浸してな。満潮ギリギリまで」と言った。弟子使いの荒い人だ。
 案外早く、ひしゃくに手ごたえがあった。引き揚げると、ひしゃくの中でくるくると銀色の水が回っている。鋭い叫びが聴こえた。お師匠様によると、水に溶けた海竜の声は潮の流れに乗ってこの国まで来るのだという。
この調子で、白鳥の歌も楽勝だろう。そう思ったが、お師匠様はにやりと笑って天を指差した。
「白鳥の歌は、水は水でも雲に溶けるのさ」
 当然、捕獲するのはぼくの役目だ。楽な仕事だといいけど。



 水溶性5 作者:sleepdog

 妻や娘たちを喜ばせようと、浴室に水溶性の世界を構築する。
 きっかけは数年ぶりに寄った画材屋だった。絵の趣味から離れて久しかったが、腕はまだ衰えていなかった。妻がずっと憧れていた南国のリゾートホテル、芸術肌の長女が言っていた宮殿風の大理石の巨大浴室、少し古風な次女が行きたがっていた山奥の露天風呂、たまには宇宙船の眺めなんてのもどうだろう。何を描いても水で流せばすぐ溶ける奇妙な絵の具で、天井や壁を自由に旅行気分で塗り替えていく。
 ひとつの情景が完成するまで一週間はかかるが、それまで誰もこの風呂で入浴することは無理だ。制作期間中は妻も娘たちも静かに何が完成するかを楽しみに待ってくれる。
 今日、新作ニューヨークの夜景が完成した。仏壇に線香を上げ、押入れから妻と娘たちを担ぎ出す。手足や腰を折り曲げ浴槽に座らせて、その中でシャワーをかけ服を脱がしてやる。浴室にピチャピチャと三人の嬌声が響く。
 落ち着いたら私も服を脱ぎ浴槽に入る。一番小さい次女を抱っこして、肩までぬるい湯を満たし、アロマ液を少し垂らすと、世界のどこにもない家族の時間が香り立つ。胸一杯に吸いこむと、向かいで妻はうっとり微笑んでいた。



 水溶性6 作者:脳内亭

 その唄は溶けるという。
「溶けるって、何が?」
 聴いた者のからだに染み込み、体液に溶けて体内を巡り、最終的にはおしっことして出るという。なので聴き手の記憶にも、ずっとは残らない。
「何だかもったいない話ね」
 唄を聴いた者は、いずれトイレへ駆け込むことになるまでに、別の誰かをつかまえてそれを自ら唄って聴かせる。聴かせずにはいられない程の唄であるから。そうして密かに人から人へ唄い継がれてきたのだという。
「どんな唄なの? 唄ってよ」
 唄おう、とおもっていたのだ。あなたの浴びせてくれたおしっこの色が、青かったりしなければ。
「ねえったら」
 せがむあなたの唇に固くなる。あなたの肌に触れる。あなたは唄を誰から聴かされ、そして誰に聴かせてしまったのか。
「ねえ」
 いい加減、催してくるのを私は耐えてどこまでも固く、どこまでも固くあろうとしたが、あえなく、あっけなく溶かされ、あまつさえだらしもなく、漏らす破目になった。あなたが笑っているのは、その青さを笑っているのか。
 あなたのまことの音色はどこにあるのだろう。
 唄も記憶も意識もろともやがては溶けてしまったが、謎はついに解けなかった。



 水溶性7 作者:楠沢朱泉

もうあんたの顔なんて見たくないって言ったじゃない。君は水溶性? は? いきなり意味分かんないこと言わないで。あんたの声だって聞きたくな……対して僕は脂溶性、って、ああ、だからあんたも相容れないって言いたいんでしょ? そうよ、無理なのよあたしたち。性格だって、趣味だって正反対。付き合おうっていうのが間違ってたの。これからは大丈夫って根拠もなく言わないでよ。今まではシーエムシに達してなかった? リンカイ濃度とかミセルとかヨーバイとか、専門用語並べ立てないで。理解できるわけないじゃない。化学も数学も成績悪かったの。そうよ、簡単に説明して。僕に界面活性剤を投入したから大丈夫? まだわかんないんだけど。それくらい知ってるわよ。洗剤のことでしょ。そうね、洗剤を入れれば油と水は混ざるわね。ようやくわかったわ、要するにあんたは自分を変えるからよりを戻したいってことね。……しょうがないわね、訳わかんない理屈をこねるあんたに付き合ってあげられるのは私くらいしかいないしね。



 水溶性8 作者:侘助

 丘の上から見下ろす風景はすっかり様変わりしているが、目印の楡の木は変わらずその場所にあった。幹の手触りを確かめながら歩みを進めると、半周ほどしたところで今となっては只の傷跡に過ぎないナイフの跡が目に入った。少し見下ろす場所へ位置を変えた痕跡が、確かな時の流れを感じさせた。
 ポケットから取り出した古びた便箋には、精一杯大人ぶって使った万年筆の文字があの頃のままの面影で静かに並んでいた。
「もし夢が叶ったら、あの丘でまた会おうよ。絶対だよ。その時は笑顔でね」
 リノリウム張りの部屋で君が書いた最後の手紙を一体何度読み返したことだろう。カレンダーの数字は年ごとに新しくなる。だが駆け抜けていった君は、永遠にあの日のまま変わることがない。自分の言葉を二度と翻すこともない。
 君との約束を水に流すことは出来ない。だが両眼からこぼれ落ちる滴は止まることを知らず、古びたブルーブラックのインクを滲ませていく。



 水溶性9 作者:オギ

 庭のプールに突き落としてから二時間。暗い水の底、兄の影はぴくりとも動かない。

 それを知ったのは四年も前だ。偶然手にした本の中で、兄と同じ顔をした人形は、艶然と微笑んでいた。
 水により初期化する特殊な一時記憶野。通称マーメイド。
 情事の後にバスタブに沈めておくだけでいい。手軽で高度なプライバシー保護が売りのレンタ・ドール。

 腑におちた。今では俺より若く見える容貌も、かつて父の寝室で見た光景も。
 物心ついた時には母は亡く、留守がちな父に代わり、俺を育てたのは兄だ。長年積み重ねた記憶の前には、そんなことどうだっていいと思った。そのはずだった。

 水音に顔をあげる。立ち上がった兄は、滴る水を拭うこともせず、静かに俺を見ていた。一族の誰にも似ていない、精緻で美しい顔立ち。
 濡れた手が、そっと俺の腕を掴む。
「……忘れたりしない」
 一瞬の空白。体を打つ痛みと共に、派手な水柱が俺を飲み込む。
 兄の姿が、歪んだ水の向こうで揺れる。目に鼻に耳に肌に脳に。じかじかと染みる水の苦さに目を閉じ、胸につかえる叫びを吐きながら沈む。
 叶うことなら。どうかこのまま。



 水溶性10 作者:まつじ

 変わったペンだな、とは思ったが、これがいま流行っているのだという。
 私が説明書どおり、つらりつらりと文面したためたツルツルした紙を、小さなビンに用意したぬるま湯につけると、紙のうえの文字がするするほどけて消えてしまった。
 これで、おしまい。
 彼に郵便で送ってみた。
「たとえばテレパシーが出来たらこんな感じなんじゃないかな。」お返しの手紙になった水をくいっと飲むと、彼がまるでテレパシーみたいに伝えてくれた。
 通じ合ってる気がしてとてもうれしい。
 流行っていたのが急に販売中止になったのは、まったくもってろくでもない人たちのせいで、とくに、これを使えば人を死なすことができるかもしれないなんて考えたやつなんか、それこそこの世から消えちゃってもいいんじゃないかと思う。
 実際できるらしいから、こわいのだけれど。
 どこか遠い国の人たちに使われるようなウワサも流れた。
 というような、ちょっとあぶないペンを私たちはまだこっそり持っている。
 彼から届いた手紙を水にひたしては、するりするりゆっくり飲んで、テレパシーを感じる。
 もしも遠くの彼に何かあったときは、このインクを飲んだら私がほどけて、水を伝って行けるかな、とか空想したりする。



 水溶性11 作者:たなかなつみ

 旅先でたまたま入った銭湯はぬるすぎるうえに垢まみれ髪の毛だらけ。狭い浴槽のなかには次から次へとしわしわの婆さんばかりが入ってくる。歯の欠けた婆さんたちは、つまらない話をしては、にょほほひほほと笑っている。そしてまた新たな婆さんが足をつっこんでくる。これ以上入るのはさすがに無理だろうと眉間に皺を寄せていると、大丈夫大丈夫、にょほほひほほ。隣の婆さんがぐにゃーり。目の前の婆さんもその向こうの婆さんも、いや、湯船のなかにいるすべての婆さんたちがぐにゃーりくにゃーりとろとろとろと。
 溶けていく。溶けていく。ずしゃりずしゃりと湯のなかへ。
 眼下の湯は先にも増して、垢まみれ髪の毛だらけ。そして、うにょーり、粘性の高い湯がわたしの体に絡みついてくる。しまった、と思ったときには、すでにわたしの体も溶けかかっていて。にょほほひほほ。枯れた笑い声のする湯のなかに、とぷん、わたしも引きずり込まれてしまう。
 あとにはもう、だーれもいないとさ。にょほほひほほ。



 水溶性12 作者:東空

「すいようせい?」思わず素っ頓狂な声が出てしまい、慌てて質問を重ねた。気難しいが良く当たると評判の占い師だ。機嫌を損ねては元も子もない。私はこの恋に命をかけている…位のつもりなのだ。「…水曜にうまくいくとか?」取り戻すつもりが、声に怪訝さがにじんでしまい内心舌打ちする。〈綾ってさぁ、計算が足りなすぎ。みんなそろばんはじいてるのよぉ〉ユキの声がよみがえる。語尾を小馬鹿にしたように上げられてむかっ腹がたった。相談するんじゃなかった。
「六曜星と関係あったりします?…はは」水晶玉を見つめている老婆の顔を、ひきつった笑い顔を張り付けたまま覗き込んだ。フードの下から白髪がのぞき、しわとたるみで目が開いているのかどうかも判然としない。口角が下がったどう見ても運気が良くなさそうな顔から、不似合いな甲高い声が響いた。
「水には注意することだね」と。それが老婆の最後の言葉。この恋の行方はいったい…。



 水溶性13 作者:黒衣

 小学生の時以来ひさびさに粉ジュースを作った。縁側から見える伸び途中のひまわりが、しゅわしゅわうるさいコップ越しにひん曲がって見える。
 昨日、高校の頃から憧れたその人は、仕事着で言った。
 「ごめんなさい。でも、ありがとう」
 告げる前から分かっていた。ただ、久々の故郷で再会して、つい言葉が零れただけだ。
 「わたしにもね、いま、好きな人がいるんだ」
 それは、けれど進む意志を持った言葉ではなかった。もう隠す意味もないこととして、その人は続けた。
 「今のままで、いいの」
 今日はお宮の祓だからと僕を引っ張って、出来損ないの紙相撲みたいなものを貰ってきた。それで身体をなぞって、境内を貫く小川に流した。
 「色々、一緒に流しちゃおう」
 本当は厄落としだけなんだけど、と笑った。紙相撲はくるくる回りながら流れて、すぐに消えた。
 「環境に配慮して、去年から水に溶ける素材にしたんだって」
 たそがれて行く田舎道で、じゃあね、とその人は去っていった。
 そんなに簡単に消えるわけないよと、縁側に座ったまま遠い雲を眺めている。



 水溶性14 作者:砂場

 昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
 おばあさんは、川に着くといつものように洗濯をし始めましたが、ふと川上の方からどんぶらこど──いえ、川はさらさらと流れていて、何事もなく洗濯を終えたおばあさんはよっこらせっと立ち上がると、きれいになった洗濯ものを抱えて家へと戻りました。



 水溶性15 作者:K・進歩

公団の横の薄暗い階段で、隣に座る友人のありきたりな科白をきく午前6時39分。街灯が少し弱っている。耳を澄ませば神社の喧騒だって聞こえそうな静寂である。
「年が明けたなんて嘘みたいね。」うん、その通り。本当に。掌に何回も細長く折り畳んで皺だらけの大吉のおみくじ。さっきまで見ていた初詣の列とかけ離れた静けさが、突然肩に降る。お汁粉を持っていた左手が霜焼けだ。
私達は、今年こそはと呟いても、何を頑張ればいいのかさえ分からず、隣にいる彼女もそのことは分かっているはず。それでも頑張ろうと。うん分かってるよ、と私も笑う。知っている、私の笑顔が中途半端で機械的なものであること。嗚呼、冬の朝はこんなにも暗い。
 そんなに離れていないのに神社の獅子舞が躍る音も、賽銭箱の上の鈴の鳴る音も聞こえない。深海の沈黙。私たちは鯨みたい。白い息を吐き、彼女は言う。「初日の出を見に行こう。」
 カンカン階段を上って、寂れた屋上で見る去年の日の出を、私は思い出す。その時の彼女は、真っ赤なコートで、まるで朝日に向かうその人は、水に溶けだす前の金魚で、彼女はまるで溶けていくようで、私は彼女に手を伸ばした。彼女はまるで、溶けていくようで。



 水溶性16 作者:JUNC

今日は雨です。
ゴミはいつも雨の日に出します。
あちこちの袋に分別していたあの頃に比べると、
ずいぶんと楽になったものだといつも思います。
ここのところ、なかなか雨が降らずにいたので、
たまりにたまったゴミ袋を窓からポンポン放り投げます。
しかしまあ、わざわざ袋に入れなくても、
雨の当たる場所に置いておけばいいのに、
昔の名残とか何とかで、袋に入れなきゃ罰金だなんて、
ちょっと納得いかないんですよね。
とか言いながら、この雨は、ずいぶん長く降っています。
サッサとゴミを出して窓を閉めないと、
ついでのように私の体も、溶かされてしまいます。
イヤダイヤダ、気をつけないと。
そんなわけで、今日はずっと雨みたいです。



 水溶性17 作者:紫咲

 アイがいなくなった日にミキも帰ってこなかった。二人の両親は仕事を休み、汗だくになって町内を走りまわる。タケルが消えた日にヒロキも行方不明になった。警察と学校から多くの人員が駆り出される。それでもチカは失踪し、ユウタも消息を絶った。ひと夏で、町の子供はいなくなる。
 探偵の調査の結果、子供達は市民プールに行った日に消滅したことがわかった。水着は忘れ物として監視員が保管していた。プールは閉鎖される。
 プールの水がすべて蒸発した真夏日の正午、干上がった水底から一人の子供が現われた。子供はフェンスをすり抜けた。裸足でアスファルトを踏んだ。隣町のプールへ歩きながら、七色の声で歌う。



 水溶性18 作者:炬燵蜜柑

白い部屋に入ると、狛犬みたいに向き合ったテレビがあった。
(あのテレビの真ん中をうまく通ることができたらきっと次の部屋に行けるはずだ。)
漠然とそう思いながらテレビに近づいていく。
対のテレビから同じニュースが流れていた。
「悪い奴らが全部溶けちゃう薬を作りました。この薬を溶かした水を飲んだらシュワシュワ消えていくはずです。」
(博士の言うとおりなら悪の組織は消えちゃうんだろうか。)
テレビが同時に「仮面ライダー」に切り替わった。
「トオ!」「トオ!」
ライダーは見えない何かと戦っているけど、怪人の姿も戦闘員の姿もない。
(この部屋の向こうの世界には、オサマ・ビン・ラディンも金正日もいないにちがいない。)
テレビの真ん中まで進むと、左右のテレビが同時にボクに尋ねた。
右「トムが好き?」
左「ジェリーが好き?」

(どっちが正解なんだ?)
つい足を止めた瞬間、後ろのドアが勢いよく開かれ、軍服の男たちが乱入した。
ガッシリした腕につかまれて、全然身動きがとれない。
水の入ったコップを渡された。
(ボクに選択の余地はないな。)
(それが妙に安心だ。)
(冷えた炭酸水みたいだし。)
ゴクリ。
シュワシュワシュワシュワ。



 水溶性19 作者:星

メーデーメーデー
沈む私をどうか

ぽこぽこぽこり
ぽこぽこぽこり

太陽の光は水の薄いベールに包まれるのです
ベールは何枚も重なって
やがて強い太陽の光さえも通さなくなるのです

先ほどまで私の体は確かに空気に触れていました
先ほどまで私の足は確かに地面に着いていました

なぜ ここにいるんでしょう
なぜ 私は沈んで行くのでしょうか

ぽこぽこぽこり
ぽこぽこぽこり

私が吐き出す二酸化炭素が私を嘲るようにのぼっていきます
長い旅を終えた二酸化炭素はきっと先ほどまで私が触れていた空気と混ざるのでしょう
さて おかしいですね
酸素はどちらから入ってくるのでしょう
二酸化炭素は確かに排出されているのに

まあ 難しくて 分からないことは
考えないことにします
どうせ答えは 出ないのです
考えるだけ 無駄なのです
そうやって 私は 私達は 沈没するのです

ぽこぽこぽこり
ぽこぽこぽこり

水に落ち やがて溶ける私は
ただ 誰かへ 受け取ってくれない誰かへ 信号を送るのです
メーデー メーデー 助けて 下さい
メーデー メー… … メ… ……ー………



(空白?)



水の都は どこへ 消えるのでしょう
水の星は 悲しくも 水に 消えるのです。



 水溶性20 作者:ひつじ

 ふと、気付くと真っ暗な闇の中に私は居た。
(いつから、ここにいるのだろう。)
 遠くから声が聞こえた。車の音。テレビ。人の声。そして、一番近い音は、一定のリズムで流れるバックミュージック。
 タン、タン、タン、タン……
 そう、視界は遮断されていても、様々な音だけはクリアに私に届いてくる。
 私は様々な音に耳を傾けるだけで、この暗闇にいても、なぜか安心することができた。バックミュージックのリズムは乱れることも途絶えることもなく、朝も夜も流れ続けている。
 タン、タン、タン、タン……
 暖かく緩やかな液体に囲まれて、そのリズムに身を任せると幸せな気持ちになった。
 タン、タン、……タン。
 ある日、一瞬の喧騒の後、バックミュージックがピタリと止んだ。同時に、液体が急速に冷えていくのを感じた。周りを囲んでいる緩やかなものが大きく乱れた。
 怖かった。声をだして助けを呼びたかったが、何も音が出せなかった。
 自分と液体の境界線が薄れていく。私は自分自身が液体に溶けていくのを感じながら、全てが溶け込む寸前、一瞬「光」というものをみたような気がした。
 そして、また、私は別の闇に還っていった。



 水溶性21 作者:もち

「どうやら蛇口を締め忘れたようだ」
もう顎までお湯に浸かっている。
「さすがにそろそろ止めるか」
振り向いた。が、蛇口は延々と続く水面の彼方にうっすらと見えるだけだ。なぜ遠い。
湯気が視界をぼやけさせる。近づこうと浴槽の床を蹴った僕は、限りなく拡がって、穏やかな波紋を生んだ。
 蛇口から落ちた雫が、ぴちゃん、と音をたてた。



 水溶性22 作者:

(都合により削除しました)



 水溶性23 作者:凛子

「アタシ、水溶性なの」
 そう言うと、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「ふうん。ていうことは、水に入ると溶けちゃうんだ」
 こんなツッコミは芸がないな、とは思ったけれども僕は無難に切り返してみせた。

 付き合って一月になろうとしている彼女は、こんな感じの不思議ちゃんだ。これまでも、自分は異星人だで始まり、自分たちには睡眠という概念がないだとか、食事はこれだけで充分だから、と言ってカプセル錠を一粒口にしたこともあった。
 そのたびに関西人である親の血が騒ぐのだろう、気のきいたツッコミを披露するのは僕にとっては至福のときでもあった。

「それなら、お風呂に入れないんだ。うわっ、汚ったね!」
 僕はわざと毒づいてみせた。まだ親密な関係だとは言いきれない僕たちだけれど、彼女ならどう切り返してくるか、ちょっとだけ楽しみでもあったからだ。

「だって……いなくなっちゃったら、もう……マコトに会えなくなっちゃうじゃない」
 彼女が初めて見せた真剣な眼差しを見つめながら、僕は握っていた彼女の掌を優しく握り返した。



 水溶性24 作者:きまぐれオッサンロード

ガツっと砂を固めてブロックができると積み上げて巨人が誕生した。それを創造主がサンドンと呼ぶといつの間にか人々の守り神になり、ブオっと嵐が来ればボンっと防壁となる。はたまたドドンっと地響きが起こり、山が崩れればドバンドバンと踏み込んで平地を作る。
サンドンよ、ありがたやと人々がお祝いすると子供が一人こう言った。次はお嫁さんね。それを聞くや長老のお出ましとばかりに張り切って南の同志に白鳩を飛ばしたところ、数日後にザザンっと大雨が降って近くの谷に湖が誕生した。こっちへ来て、サンドンの耳にフォワンっと悩ましい声が聞こえ始めるともう体がいう事を利かず、その脚は谷へ向かって、ついにジャボンっと湖に足が浸かるとザアババンっと中心が打ち立ち水の精が現れた。
ゾビーンっと心臓を討ちぬかれたサンドンはそのまま水の精に抱きつくとドローンっと湖は泥沼と化してしまった。だが人々が幸福であるのは、ポヨンっと毎年泥童子が現れて心の汚れを雨と一緒にドロドロに洗い流す術がすべて水溶性だから。



 水溶性25 作者:瀬川潮♭

「ねえ」
 公園にひとりぼっちで立つ女性が呟いた。どこからも返事はない。
「そこにいるんでしょう?」
 視線は上の空。でも一瞬だけ下を見た。
 足元には、水たまり。
 青い空と、ベージュのロングブーツ。そしてすらりと伸びる素足を逆さまに映している。ボックスプリーツのスカートは赤のタータンチェック。ミニ。内側には〓〓。
 刹那、波紋が咲く。
 足を踏み変え水たまりを覗いたのだ。不機嫌そうな表情の彼女以外に映っているものはない。
「いいかげんに戻ってきなさいよ。部屋のカップ麺、アンタ以外に誰が食べるわけ?」
 返事は、ない。
「ここにいるの、分かってんだからね」
 彼女はそう言ってグルタミン酸をスポイトで一滴垂らした。
 すると、水面がざわざわ沸騰した。反応あり。
 しかし瞬時に収まる。
「ちっ。逃げたか」

 彼女の生活は忙しい。
 温泉の女湯に入ってはグルタミン酸を落としてみる。熱い紅茶にも一滴。そんな、毎日。
「仕方ないわね。賞味期限が迫ってるし」
 ある日、例のカップ麺を食べてみた。
 熱い汁をそそってみると、彼女。笑みをたたえる。
 体の中で何かがざわざわ沸騰する感覚に震えているようだ。
 そして、魅惑的な、見る者を溶かしてしまうような〓〓笑み。



 水溶性26 作者:西本ごんた

「あなたは嫁に来たんだから」「○○家の嫁なんだから」・・・イライライライライラ・・・・・・・・はぁー、溶けて消えてしまえ!!

普段のいらいらをこの箱に詰め込んで、後はこの「なんでもぽいしたー」を混ぜると・・・ぐるぐる・・・「おっ!消えてく!!いいね−いいね−どんどんイライラが溶けていってるね−!はぁ−すっきり!!・・・ん?待てよ??いっそのことストレスの大元を溶かしてしまえばいいんじゃん??

大元が寝てる時間を見計らって、頭からチロチロ「なんでもぽいしたー」をかけると・・・

ぐふっ 溶けてる溶けてる−!ばいばーい!!
明日から私は何の干渉もされず自由いっぱい!!

なーんて恐ろしいこと考えても見たけど、現実無理だから今までのことは水に流して明日からまたがんばろ・・・



 水溶性27 作者:白縫いさや

 雨の日が良い。塩の左手に砂糖の右手を握ってどこまでも。



 水溶性28 作者:キリハラ

「雪持って来た」五月がボウル一杯の雪を机に置く。
 私はライフルの照準器を調整しながら笑顔を向ける。「ありがとっ。後は弾作るだけだわ」
「あんたこういう事だけ熱心ね」呆れたような返事が舌打ちに続き、五月は真っ赤な手で雪を弾丸型の圧縮機に詰めて行く。「いいのかな本当に」
「何だよ今更。ばれないようにやるってば。任せてよ」
「へえ。じゃあ私は弾作り終わったら帰るか。寒いし」
 なんて薄情な。私はふてくされた表情を作りつつ、出来上がった弾をライフルに込める。うん、型崩れしない。
 五月は校庭の向かい側で練習中の野球部を見やる。「射角気を付けて。見つかるとやばい」
「あい。んじゃ」私は犠牲者様に向かって手を合わせる。「完全犯罪の実験台にしてごめんなさい」
「最悪」
 その言葉は無視して照準器を覗き、ライトの後頭部に十字の真ん中を合わせて引き金を絞った。
 消音器に消された発射音を残して雪の弾丸は哀れな的に見事命中、小柄な部員はゆっくりと前のめりに倒れる。
「うっし完璧」
「早く次。ばれるから」
「すぐ溶けるから大丈夫だよ。水溶性弾だもん」
 得意げな私に五月は頭を抱えた。
「それ水溶性って言わないよ。馬鹿じゃないのあんた」



 水溶性29 作者:はやみかつとし

 一面に波打ちながら流れ落ちる水の向うで、世界の色と形が滲み、境界を失っていく。
 やがて、その一様な混沌の中からゆっくりと、真新しい風景が析出するだろう。

 それまでの間、わたしも少し眠らせてもらおう。蛹のように。



 水溶性30 作者:ぶた仙

 温暖化の影響の中でもとりわけ問題なのが海水面の上昇だ。その膨大な対策費ゆえに、将来にわたって国家間紛争の火種になりかねない。そこでわが水曜会では対策を議論した。
 海底地層やマグマに水を吸収させる手法、塩以外の水溶物質で密度を高める手法などが議論されたあと、ひとりの優男風の海洋学者が席から立ち上がった。
「水妖精を用いるのはどうだろう」
 ウンディーネは愛を得て固化し、破局によって地下に閉じ込められたと言われる。そのメカニズムを解明すれば海水を自在に固化できる筈だと言うのだ。
「愛は地球を救う、か」
 長老格の地質学者がしごく真面目に呟き、その尻がむずがゆくなるような響きに一同は居心地悪そうに身じろぎした。
「しかし、ウンディーネなど、どこを捜せば見つかる?」
「それが……わが家の風呂場にいるんだ」
 そうむっつりと答えた件の海洋学者の家に、我々がさっそく駆けつけると、美しい女性が悲しげに瞳をうるませてバスタブから訴えた。
「夫の浮気性をなんとかしてくださらない? 液体になったり固体になったり忙しくって」



 水溶性31 作者:マンジュ

 浴槽にいつまでも浸かっている。僕とのセックスが長時間に及んだときや、僕が要求しすぎたとき、たびたび彼女はそうなった。そのときの彼女はまるで四肢に力が入っていなくて、何だか死んでしまったみたいに見える。話しかけても物憂げに頭を振る。
 あなたはわたしを重くする、と彼女は言う。重すぎて息が苦しくなる。だからときどき体のなかから流してしまわなくちゃいけない。
 それは流せるものなの。あなたのは幸いにね。人によって違うの。それはもちろん。何だか、僕が薄情みたいな気分だな。違う、あなたのはとても重いの。
 浴槽のなかで彼女の長い髪と少し縮れた草叢が漂っている。水分を含みすぎて皮膚がぶよぶよになるのではないかと心配になるくらい長く彼女は浴槽に浸かり、それからゆっくりと栓を抜く。
 そのときの彼女はもう全然物憂げではなくて、まるで憑き物が落ちたみたいに上機嫌になっているものだから、僕はそれ以上何も訊けなくなってしまう。ただ、浴槽から渦を巻いて流れてゆく水を眺めていると、無性に胸が切なくなるのだ。



 水溶性32 作者:葉原あきよ

 テレビの天気予報で明日は雨だと言っている。
 夫が居間に入ってきたからそれを伝えようとすると、彼も同じことを言おうとしていたのか、「明日」と言う二人の声が重なった。驚く私に彼は微かに笑う。
「明日、雨だってね」
「ええ」
 庭の物干しには、私達の婚姻契約書が洗濯バサミで吊るされている。
 彼から切り出された契約破棄に応じようと思ったのは、彼のことを嫌いになりたくなかったからだ。契約破棄を決めた次の日に、役所に預けておいた婚姻契約書をもらってきた。その日のうちにバスルームで溶かしてしまおうと彼は言ったのだけれど、私は雨で溶かそうとお願いした。まだ離れたくなかったのだ。自分の意志ではどうにもならないタイミングで引き離されるなら仕方ないと思えた。
「契約した日は晴れだったから、契約破棄は雨の日にしたいの」
 そう言うと彼は納得してくれた。最後のわがままくらい許してやろうという気持ちだったかもしれない。
 その雨が明日降る。天から与えられた猶予期間は七日だった。
「明日が楽しみ?」
 そう聞くと彼は困った顔でこちらを見る。でも、否定はしなかった。



 水溶性33 作者:三浦

 静江は今日も寄り道せずに帰宅する。
 築四〇年。彼女の母が残してくれた平屋に。
 脱いだ靴を揃え、居間の卓袱台にハンドバッグを置くと、風呂場へ向かい、蓋が外してある湯船の水に向かって「ただいま」と云う。
 財布と、買い物籠を手に取り、玄関の姿見で一通り身形を確認すると、サンダルをつっかけ鍵をかけずに出かけていく。
 一つ目の角を曲がって商店街に入り、威勢のいい魚屋のお兄さんに押し切られて鰤を買う。八百屋の前で足を止め、一本の大根を買う。
 それだけ買って、家に帰る。
 台所に買い物籠を置き、化粧を落とし、部屋着に着替え、夕飯の仕度に取り掛かる。
 一人分を卓袱台に用意し、白米、鰤大根、ミツバの味噌汁を少量盛った三つの器に梅干を一つ添えて長手盆に載せ、風呂場へ運び込む。
「また鰤なの。ごめんね。つぎは揚げ物にするからね」
 食事をすませ、長手盆を回収すると、仕度をして銭湯へ出かける。
 長く、長く湯に浸かる。
 帰宅し、寝仕度をすませ、風呂場に向かい、湯船の水に向かって「おやすみ」と云い、蓋をする。就寝。
 目覚ましで起こされる。
 いつもと同じ、朝の仕度をすませる。
 静江は今日も寄り道せずに工場へ歩いていく。



 水溶性34 作者:海音寺ジョー

 強引に飛べると思った。
周囲の反対を押し切って東京に出て来たものの、あの頃の俺に相応の覚悟はあったのだろうか?
 売れない原稿、掲載ラインに届かない実力、どれだけもがこうと醜態としかとられないもどかしさ、焦慮の日々。どうだい、あれから10年さ。

 数年ぶりに故郷の先輩に年賀状を出した。手紙の形で返事が来た。近況を伝える平凡な年賀状は、彼にはSOSに受け取れたらしい。
 「僕の沼君のイメージは、誰もいない真夜中の校庭のトラックを独りで喘ぎ走り続けながら、まわっている姿です」だと。そんな俺を尊敬しつつ心配しています、と書かれていた。

 大学の文芸部の、一回生上の彼とはよく文学と政治のことで論争したものだった。どちらも世間に合わせる器用さがなかったが、10年たち彼は妻帯し管理職に、俺は無職でいる。どう返事を書こうかと考えていたら、手に持っていた手紙が溢れる涙で滲みだした。



 水溶性35 作者:破天荒

太陽系外にある70%以上が水で構成され、多様な生態系を持つ地球に似た星。
唯一の違いは、ホモサピエンスが存在しない青く美しい星。