500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第94回:死ではなかった


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 死ではなかった1 作者:ぺる沢

「耳鳴りはある波長が聞こえなくなると、その波長を補うように音が聞こえるの。だから耳鳴りは波長の断末魔なの。」
そんな事を誰かが言ってたっけ。

痺れる横っ腹を押さえちゃいるが、アスファルトにドス黒いシミを広げてるんだろう。
体がどんどん冷たくなっていくのが解る。視界がだんだん暗くなっていくのも解る。
意識も白濁していく。
遠ざかるメルセデスのエンジン音ははっきり聞こえる。

耳鳴りはしない。



 死ではなかった2 作者:三浦

 霧がでてきた。
 あの男が渋い顔をしていたのはこれか。
 またたく間に白く濁った。
 ねえ、もどりましょうよぉ。
 いくって云い張ったのは君じゃないか。
 だってこれじゃ白くってつまらないんだもの。
 おい、独りでいくなよ。
 おもわずつかんだその腕の先がみえない。
 おい、そこにいるのか。
 なに云ってんの。あたしの手つかんでるじゃないの。
 そうだろうか、とおもう。
 これかい。
 そうよ。
 ほんとかい。
 ほんとよ——ちょ、いったぁい!
 つかんでいた腕がきえる。
 おいっ、おーい!
 大声ださないでよ。すぐここにいるじゃない。
 君、みえるのか。
 みえるわけないでしょ。なんもかも白いのに。
 こわくないか。
 どうして。
 みえないから。
 白く狭苦しいここに女の笑い声がばかみたいにひびいた。
 あんたって子どもねぇ。
 そうかな。
 そうよ。
 あらわれた腕がこちらの腕をつかむ。
 ひっ!
 え、なによ。
 いや……
 いま、毛むくじゃらの太い腕がみえた。
 君……ほんとに君かい。
 沈黙。
 おい……おいったら!
 ふふふ……こわがってるこわがってる。
 おい、よせよ……もう。
 沈黙。
 ……おい、おい……よせよ……おい、おい……
 沈黙。



 死ではなかった3 作者:

 かれは、その始まりから気の遠くなる年月を待ちつづけた。しかしかれの待っていたそれは死ではなかったので、かれが生きたのもまた生ではなかった。
 それから四十億年が経った。
 かれは無数に分割され、引き伸ばされ、見違える姿になり果てた。あたかも栄えているかのように広範に分布しながら、どれ一つとして同じかれではなかった。かれの断片はそこかしこで不意に終焉を迎えていたが、かれにとってそれは死ではなかったのでやはり生はかれのものではなかった。かれは永遠ではなかった。永遠と呼ぶにはあまりにありふれていた。生成し死滅するものたちの底流につねにいて、つねに気づかれなかった。かれはどこか摂理に似ていたが、生も死も知らなかったので、そのことを知ることはなかった。また知る必要もなかった。かれは知ることを知らなかった。それゆえ死は死ではなかった。



 死ではなかった4 作者:

「『貴方を殺して私もイぬ!』と言われ刺されたんです」
 拾った真っ白なイヌはそう喋る。チンチンさせネクタイをどけると、胸の真ん中に紅いシミがあった。逆二連双胴十字架の形だ。
 メビウス状ネックレスの逆二連双胴十字架は私も好きだが、もちろん私はイではなかった。
「その女は、紅いガーターベルト一つしか着けてない格好だった」
 続けてイヌははあはあ言いながら喋る。そういえば、紅いガーターベルト姿のイヌを以前見たような気がする。ストッキング止めが宙に浮いた4本足のようにぶらぶらしていたのが印象深い。
「貴女も、イぬのか?」
 イヌが舌をだらんと垂らしたまま聞いてくる。
 もちろん、私にイはない。



 死ではなかった5 作者:

 あなたはさらに一歩を踏み出す。枯れ果てた砂嵐の中を進むとやがて外壁が剥がれ落ちた骨組みだけのビルに辿り着く。
 かつて十人以上いたメンバも今ではあなた独りだけになっている。思い出と血と肉をあなたに預けて倒れた友人たちは皆、あなたを信じ恐れ敬い嘘をついた。あなたはあなた自身だけを信じていた所為で、未だに骨にならずにいる。
 ビルの中には動きそうもないエレベータの残骸。あなたはその扉を力づくでこじ開ける。そこにあなたは居なかった。あなたはあなたの欠片すら、そこに見つけることができなかった。
 重い扉を内側から閉めると、風圧で巻き上げられた砂粒があなたの目に入る。擦りとると眼球が落ちた。うかつにもあなたは自分を疑ってしまったのだ。このビルにあるはずのあなた自身を。あなたはあなたに殺される。次のあなたを殺すために。



 死ではなかった6 作者:

お母さんがおっぱいをオレの笑顔にいっぱい押しつけて、意識は宇宙へおちていった。



 死ではなかった7 作者:

赤い紙が届いた。
これは、夢に違いない。夢でなければならない。

そして、起きて朝の食卓を囲って、笑って話すの。ひどい夢を見たわ、あなたが二度と帰ってこないの。と…
きっとあなたは無愛想な顔をもっとしかめて、そんな縁起の悪い夢を見るな、と怒る。でも、すぐに笑って許してくれる。

一緒に笑ってくれる人は、もういない。
下腹部に激痛が走る。

絶対に置いていかない、と軍服に身を包んだあの人は約束してくれたのに。無事戻って、一緒に海へ連れて行く、と。

涙で視界が滲んだ。赤い紙を、思わず握り締める。
呼吸をして。
意識がもうろうとする。痛みで喉がつまり、声が出ない。
ひー。ひー。ふー。
何もかも、どうでもよくなった。
だめ。生きて。

目を開けると、あの人の心配そうに覗き込む顔が見えた。
何がなんだかわからず、死んでしまったのかしら…?と思ったところで、あの人が大事そうに抱えている何かに気がついた。

白い清潔な布に包まれている、さっきまで私のお腹に宿っていた新しい命。
「よく頑張った。お前が元気になったら、この子と三人で、海へ行こう」

嗚咽で言葉を返すことができず、何度も何度も頷いた。



 死ではなかった8 作者:

「ねえ、バァバ」と子ウサギは尋ねた。
「死んだらどうなるの」
「さあねぇ。バァバも死んだことがないからねぇ」
「でも、ジィジは死んじゃったんでしょ?」
「ああ、そうだね。うん。じゃジィジの話をしてあげよう」
ジィジは、いつでも耳をピンと立てた元気なウサギだったよ。でもやっぱり命の水が尽きる時が来たんだね。あの朝、バァバが起きたときにはもうすっかり冷たくなってた。お弔いの晩バァバは一人でジィジのそばに座っていてね。ついウトウトしちまったのかな。気がつくと死んだはずのジィジが、起き上がってニコニコしてるじゃないか。びっくりしたさあ。「ばあさん、見てておくれ」ジィジはそう言うとみるみる光りだしてね。白いまあるい玉になった。毛の一本一本がふわぁとふくらんで、タンポポの綿毛みたいにひとつ、ふたつ、と飛んでいくのさ。そのひとつひとつに豆粒みたいな小さなジィジがぶら下がっていてね。「じゃあ行ってくるよ」って、あっちこっちへ飛んでいっちまった。え。ジィジはどこへ行ったのかって?さあねぇ。でも最後にひとつ残った小さなジィジは、バァバの手のひらに降りてきてねぇ。すうっと染み込んでいったんだ。そうしたらなんだか、あったかぁくなったんだ。



 死ではなかった9 作者:

 もう駄目なのだろう。妻がそばで喋っているのは分かるが、言葉が分からなかった。
 なぜかしら一つのことばかり頭をよぎる。孫とのすごろくのことだ。
 五月の連休だった。長男夫婦が孫娘を連れて遊びに来た。来るなり長男夫婦は買い物に行ってしまった。孫の好きなアニメが終わり、私は孫と妻とすごろくをした。大人げないことに私が一番先頭を切っており、次が妻、最後が孫だった。
 さいころを振ろうとして、咳が続けて出た。体が重いと思っていたが、風邪を引いていたのだ。息子らが帰って来たのをしおに、休ませてもらうことにした。孫はまだ途中だったすごろくからすとんと興味を失ったようだった。なんにせよ春花に風邪をうつさずに済んだようで良かった。
 その後私はするすると、風邪をこじらせ、肺炎を起こし、入院ということになったらしく、ここは病院の、個室に違いない。正直、まだまだ、と思っていたのだが。思い浮かぶのは、さいころを掴む孫の小さな手。そして自分の老いた手。さいころがこぼれ落ちる。
 頭の中がすうっと白くなる。と、はっきりとした妻の声が届いた。「ふりだしに戻る」
 私は目を開いた。



 死ではなかった10 作者:

 彼の躯が朽ち果てても、彼を形作った物語はこの世界の中で生き続ける。彼が残した最後の言葉に、私は今日までそう信じ続けてきました。
 初めの頃は争いが終わったのだと、皆が歓喜の叫びを上げていました。そして彼のことを、人々は英雄と讃えました。彼が紡ぎだした数々の伝説は、人々の間で語り継がれていきました。酒や金貨が街中を飛び交い、人々は平和を謳歌しました。
やがて平和は平穏と呼ばれるものに変わりました。程なくして、そこに人々は退屈を見つけるようになりました。退屈は人を殺します。人々は心に陰を宿すようになりました。彼についても英雄から戦神と、少しずつその呼び名を変えていきました。彼の伝説は人々を鼓舞させます。些細なことから火種は生まれ、狂乱が再びこの国を包みます。私にはもう国を治めるだけの力は残っていません。ただ彼の伝説を胸に、人々は剣を掲げるのです。



 死ではなかった11 作者:

 水もなく、草木もなく、もちろん人もいない不毛の地。たまに吹く強風に巻き上がる砂のみが動く世界がここにある。私は誰だ、何故ここにいる。ある高台に行くとそれを伝えるメッセージが見えるという。私はその場所を目指してただひたすら砂とも石ともいえない階段を登っていた。足が悲鳴を上げると共に心臓も大きく応える。澄み切った空気のみが今私を支えている唯一のエネルギー源だった。無謀だと引き止めた友人の忠告も今なら素直に聞けたろうに。だが、どのみち私に生きる選択肢はない。ただ、そこを目指すのみだ。そしてついに辿り着いた。わたしは私一人が頂点に立つ360度地平線の場所から地上を見下ろした。“あ・し・も・と・を・ほ・り・か・え・せ”ルパンより、遠くに見えたグラデーションを理解すると私はすばやく蹲り両手でそこを掘り返した。
そして私が手にしたのは魚の形をしたチョコだった。私は思わずニヤリと笑い頂点からダイブすると、目覚めた瞳には愛しい人が映っていた。
抱き合いながらこの愛が実らないことを私は知っている。なぜなら私は、いま生きているから。



 死ではなかった12 作者:

 最期に昔話をさせてくれ。サウス・ブロンクスがクラックと拳銃と貧しさで腐ってた頃の話だ。
 あの頃の俺は、永遠に等しいFXXKな日常が一番恐かった。だから毎日、銃弾飛び交う中クラックを捌くのが愉しくてしかたなかったんだ。15の俺さえサウス・ブロンクス腐さらせてることはわかっていた。けど、ジャンキーの娼婦が母親じゃ、他に選択肢は無かった。
 飯の種だからクラックには手を出さず、その代わりウィードとHipHopに溺れた。ブギーダウン・プロダクションズに憧れて、ノトーリアス・B.I.Gに自分を重ねた。リアルな幻覚だったんだ。リリックとビートに共感し、似た境遇のアイツらみたいなギャングスターに、俺もなれると思っていた。FXXKな日常を脱出できるってな。
 それがこのザマだ。俺は30年も売人をやっちまった。
 だから、な。このFXXKな日常に生き延びたくないんだ。生きてることが恐いんだ。見殺してくれよ。ようやくFXXKな日常から抜け出せるんだ。2Pacは96年。ノトーリアス・B.I.Gが97年。Run-D.M.C.までが02年に撃ち殺されて、そして俺なんだ。最期ぐらい、ギャングスターみたいに殺してくれよ。頼むから。恐くないから。な。



 死ではなかった13 作者:

 今日も部屋の空気は淀んで湿っぽい。本郷のアパアトの一室から一歩も出ずに本を読む。書きかけた小説は行き詰まり、何を飲んでも続きが出ない。
 昨日からずっと小雨が降ってる天気のせいもあって、なかなかからっとした小説が書ける気もしない。何度も寝がえりを打ち、首をひねった末に、死のうと毎回思う。死のうと口にすれば気持ちは晴れる。死のうと呟いた瞬間だけは何でもできる気分になる。
 隣室との間の壁を叩くと、あっちからも叩き返される。トントントンと三回の合図「し、の、う」そうだ、死のう。僕らは生きてる。程なくして隣人は部屋にやってくる。僕に向かって「原稿は?」と聞く。君こそ。僕はできたよ。こっちもできてる。ビールを飲もうか。君の部屋から持ってきたまえ。困ったな、部屋にはないんだ買いに行こうか。
彼はそう言って小銭を並べる。僕も隣に小銭入れを逆さにする。足りるね。足りる。行こうか。行こう。
 二人で暗い路地に出る。彼の紺の着流しは闇になる。桜だけが嫌に白い。僕は下着を着てないと気づく。妙に寒い。彼に耳打ちすると噴出した。道の向こうに山崎酒店の赤い提灯。そこにあるのは死ではない。死ねない僕らの、まだ不確かな、何かだ。



 死ではなかった14 作者:

 消毒液の臭いが充満する病院に、ある老人は複雑な病気で入院していた。まだ早期の段階で、様々な治療法で簡単に直す事が可能である。しかし、いくら医者が提案した所で、その老人は頑なに突っ撥ねる。どうせ余生が短いと諦観しているのだ。 
医者が無念という表情を浮かべながら、最後の治療法を提示した。安楽死だった。老人は、それなら、と承諾する。
 麻酔もかけられずに、老人が処置室へ入っていく。こんな機械で人が殺せるのかい、と老人が訊くが、医者は何も答えない。
 機械がウーンという唸りと伴に起動して、老人の意識は無くなり、同時に命が一つまたこの世から去った……。
 目を覚ますと、見なれた病室の天井であった。看護婦と医者が笑いながら病室へ入って来て一言、年間何人自殺者がいるでしょう、クローン手術は完了しました、と医者は言う。鏡に映る見ず知らずの顔に戸惑う青年は、無事リハビリも終え、退院して行った。
 しかしその青年は帰る家が無く彷徨うだけだった。



 死ではなかった15 作者:

 彼女は(おやすみなさい)と言って、すうっと眠りについたきり目を覚まさない。今日も眠ったままだ。この事は誰にも知られてはならない。彼女の両親にさえもだ。
「お正月、遊びに来てね」
 電話越しの義母に、はい必ず、と嘘をつく。

 夜半、ほとんど聞こえない寝息を立てる彼女を抱き抱え、車に乗せる。助手席に座らせちゃんとシートベルトも締める。僕らは無人の住宅街を時速80kmで突っ走る。けれど僕らはどこにも行けないまま帰ってきてしまう。本当は宇宙船の救命ポッドに閉じ込められたまま火星の衛星になってしまいたいのにと思っている。

 薬を渡した時、彼女はそれがただの睡眠薬ではないことを知っていた。ぴかぴかの赤白のカプセルを摘んでしげしげと眺め、
(飲んでもいいの?)
 と目を輝かせ、それが繊細な硝子細工であるかのように手のひらに乗せた。
「水は?」
(いらない)
 そして彼女は手のひらを口に当てて天を仰いだ。羽が生えたように見えた。
 それから薬が効き出すまでの一時間、僕らは冷たい窓辺の下で並んで膝を抱えた。そしていつか世界からあらゆる乱暴で野蛮なものたちが一つの例外もなく死に絶えて本当に美しいものだけが残る未来について語り合ったのだ。



 死ではなかった16 作者:

 一つ、向日葵枯らす雨。二つ、風鈴揺らす風。三つ、三日月隠す雲。

 四つ、夜の森の中。五つ、良い子で待っている。六つ、迎えに来て欲しい。

 七つ、涙の向こう側。八つ、優しく手を招き。九つ、こっちへおいでよと、あなたに呼んでみて欲しい。

 遠い記憶の片隅で、滲んで歪む母の顔。私の首を絞めながら、あなたは笑っていましたね。

 一つ、陽がまた昇るまで。二つ、風葬終わるまで。三つ、醜い屍が、唄っているのは数え歌。母に捧げし呪い歌。



 死ではなかった17 作者:

「…詐欺ですか?」
 もしそうだとしたらもうなんぼでも巧くやるなあ報酬ももっと貰うなあと思いながら目の前の青年に、やんわりはっきり否定する。
「とんでもございませんよ」
 一通り説明するとたいていの人は、腑に落ちない顔でこっちを見る。
 たとえば若い女子が相手だとこんなふう、
「じゃあ、あんたって殺し屋じゃないの?」
「誰がそんな物騒な」
 干物みたいな爺さんのほうがよほど察しがよかったりして、
「つまり、おまえさんは消すだけじゃと言うのか」
「そりゃあもうなかったことに」
 ヒネた中学生男子には
「人が生きた痕跡全てを消せるわけが」
 なんて言われたこともあったけど、
「だって出来るんだもの」才能かしらね、
 おばはんに「なんで?」と尋ねられたって、「いやあ」それはこっちが知りたいのだった。
「問題は、あなたも僕も、消えたことすら忘れちゃうってことなんですけど」苦情が来てないということは上手くいってるんだろうでも、
「詐欺か」
 と概ねの人は言う。
 よく考えたら詐欺にもならん気がするのになあ。
 そんな毎度「期待してたんと違う」みたいな顔されても。
 菓子折ひとつで誰でも消します。
 と書かれた名刺を持って、いやだからホントそんな顔で見られても。



 死ではなかった18 作者:

 悪魔と取引したのは初めてですが、やはり対価は魂でしょうか。痛いのと見苦しいのは避けたいのだけれど贅沢かしら。
 せめて部屋の掃除だけは念入りに。下着は常に新品をつけるとして——

 万全を期して迎えたその試合は、キリン児童公園でのゲリラ開催(入場無料)でしたが、かの選手の奇跡の復活にふさわしい、凄まじい盛り上がりでした。
 来月の後楽園での本格復帰を見られないのは寂しいですが、これで悔いはありません。

「さぁ貴方のお望みは?」
 翌晩、訪れた悪魔に問うと、彼はなぜか少し頬を染め、目を泳がせました。
 そういえば魂ではなく処女という可能性もありましたね。今日の下着は桜色のプリンセス仕様です。お好きかしら。

「後楽園ホールに行きたい」

「……は?」

 悪魔はもじもじしながら、私が最後にと鑑賞していた『12.24蛍光灯666本マッチ』にちらちらと目をやりました。蛍光灯が割れるたび、尻尾がぴくぴく反応しています。
 …………ふっはっは。
 失礼、つい妙な笑い声をあげてしまいました。
 私は携帯を掴み、悪魔にテレビの前を譲りました。飲み物はビールでいいかしら。
「秘蔵写真もおつけしますわ!」



 死ではなかった19 作者:

 シロップの味がした。
 その少女は初め、酔っていたとおもう。呼吸の度にうっとりとした眼差しを強めていたから、あれは酩酊にちがいなかった。たしかにあの部屋は変だったとおもう。空気がおかしかった。感受の精度にもよるのだろうが、何か人を眩惑させるものがあった。
 わたしは少女に幾つか質問をした。それは名前や年齢といった類ではなく、傘とハンマーではどちらが哀しいかとか、三日月行きの舟には何が積まれているかとかいった問いをぶつけた。日の出の陽に触れるには、という問いに少女が返した答えは「月夜のうちに歩みを止める、あるいは雲と恋をする」だった。その頃には少女も既に醒めていた。
 青白い炎が少女から昇り出したのは、それから程なくしてだった。
 ふっくらとわらいながら少女は身を焦がした。頬に手を伸ばすと、しかしひんやりとした。少女はなおふっくらとわらった。
 跡形もなくなって、ひとり白々としながら、指を舐めた。その瞬間に訪れた、やわらかな震えをわたしは決して忘れない。
 部屋を発つ。朝になっていた。



 死ではなかった20 作者:

わたしは王国を創った。わたしの意志がそのまま倫理と道徳と法になる城に
少年と少女を集めた。朝は彼らを愛でることで意識を始めて肌の白さも肉の赤みも吐息のような声も声のような震えも私を深いところで満たしていつまでも溢れないで淀まないで幸せのまま夜の夢へと音楽的に続いていく。
 だが一組の男女がやってきてわたしの永遠を終わらせた。王国は革命されてわたしは牢獄に縛りつけられる。男はわたしを鞭で撃って打ちのめされる顔を少女に眺めさせる。女はわたしを針で刺して張りつめる体を少年に語らせる。
 初めの千年を怒りで耐えた。次の千年は復讐が支えた。そして淫らな欲と呪う言葉だけがわたしに残された。ここが最後だと思った。これが最後だと思っているのかと男に怒鳴られた。これで最後なわけがないだろうと女に嗤われた。生きながら死を望み死に憧れながら生きる時間は、しかし王国の倒壊とともに崩壊した。
 焼け残った骨でできた丘を生き残ってしまったわたしは登りながら泣く。涙が頬を冷やして朝日が出てきてそっと足元から拾った骨を抱きしめた。骨は踊りだした。わたしは抱きしめるためにもっと骨を拾ってやがて宴会が始まって宴会が終わるまで踊るのも祈るのもわたしはやめなかった。



 死ではなかった21 作者:

飲ませた<死>の効果は抜群。
すぐさま崩れる彼。私はお酒を注いで、
どこにいるかも分からない薬売りと乾杯。
ふらふらしてグラスを落とす。
大きな音にふと我に返る。背後には人の気配。
ふっと息を吐き、目を瞑る。



 死ではなかった22 作者:

 願いの代わりに魂売った。愛しい悪魔に魂売った。
 小さな家に広い庭、赤い首輪の白い犬。
 毎晩食べるごちそうで、メタボの道をまっしぐら。
 毎夜の激しい運動は、僕の心臓苦しめる。
 悪魔のおなかは膨らんで、ここに宿った新たな命。
 願いが叶った生活は手放せないや、もう、きっと。



 死ではなかった23 作者:

 やっぱり仏の加護はある物だ。
 郭の人間が自分の死体を囲んで騒いでいるのを眺めながら、私は熟々そう思った。
 もう自分の体を売る人生など嫌だ、何とかしてこの郭から逃げ出したいと仏に縋り続けて早二年。やっと願いが成就した。
 もう男に弄ばれる事も無い。そう考えるだけで私の心は晴れ晴れとした。
 仲間の女郎達には悪いが、私は皆より一足先にこの郭から足抜けする訳だ。
 ふふ、いい気味。
 よもや仲間達も死んだ筈の私がこんな姿で生きているとは思うまい。
 私はそんな事を考えながら、近くに居る女郎達の姿を舐める様に眺めて、一声ニャオと鋭く鳴いた。
 すると、その声に気付いた幇間の一人が、何だこのクソ猫が、と言って邪険に私を追い払った。
 フン、御生憎様。言われなくても退きますよ、こんな所。
 私はね、もうアンタ達の様な縛られた人生じゃ無しに、外の世界で伸び伸びと自由気儘に生きるんだ。
 だって、私は猫なんだもの。



 死ではなかった24 作者:

 全国高校野球選手権大会決勝戦も、いよいよ大詰め。両投手の投げ合いで0—0のまま、9回裏2アウト満塁。一打サヨナラの場面を迎えました。
 ここで監督は敢えてピンチヒッターは出さずに、4打席凡退している鈴木君をそのままバッターボックスに向かわせました。すでに球数は100球を越えているピッチャーの高橋君ですが、球威の衰えはまったく感じられません。高橋君、ランナーを警戒してから、投げた。おっと! なんということでしょう! すっぽぬけたボールが、バッターのヘルメットを直撃!! それを見た三塁ランナーが、両手を挙げてホームイン! サヨナラです。これは劇的な幕切れだ! デッドボールが一転、ウィニングボールとなりました!!



 死ではなかった25 作者:

降りたことのない駅に途中下車をした。
改札を出て、何でここで降りたんだと首をかしげる。
そのとき後ろから肩を叩かれた。
振り向くと、黒のパーカーで顔を隠した男が
布で包んだ長い棒のようなものを持って立っていた。
パーカー男が「すみません」と言いながら白い紙切れを差し出す。
紙に目をやると『死』の文字が。
死神か!やばい!!そう思った途端、全速力で走り出した。
何か叫んで追いかけてくるパーカー男を振り切って。
線路沿いをひたすら走る。
走って走って走りぬいて何とか家まで辿り着いた。
玄関の鍵を閉めて、握りしめていた白い紙切れを広げてみる。
あれ。書かれていたのは『花町1丁目』の文字。花かよ。