500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第106回:結晶


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 結晶1 作者:krauss

風に舞い散るは、いちょうの枯葉。瑪瑙でできた、いちょうの枯葉。

水晶の道を歩くたびに、結晶は細かく砕けた。
ルビーのもみじ、常緑樹のエメラルド、ダイヤモンドの水滴と、オパールの水たまり。足の裏に、パリパリと脆い振動が響く。もゆる黄金のどんぐりを踏みしだくと、キュッと鳴って、どこかに跳ねて消えた。

ただただ宝石と、準宝石と、金と銀と、貴金属だけがゆるされた森の道の果てに、ぼくは一枚の写真をそっと置き残して去った。

君の、微笑みの写真を。



 結晶2 作者:松浦上総

 夜を昇っていく。砂漠の真ん中に建てられている水晶の塔。その内側を貫いている螺旋階段を、僕たちは昇っていく。
 背中で君の息が細くなる。僕は不安になる。
 ねえ、アベル。君を殺すことと、君を愛すること、そのどっちがより罪深いことなのかな?
 君はふいにうたいだす。ささやくような声で。ハンプティ・ダンプティの歌を。
 夜の闇を映している水晶の壁に、白い霧のようなひび割れが広がっていく。音もなく、搭が崩れだす。
 僕たちは墜ちていく。いや本当は、最初から堕ちていた。人々が地獄と呼ぶ楽園の底に。

 僕たちは墜ちていく。



 結晶3 作者:瀬川潮♭

「これを、鑑定してください」
 思いつめたふうな客が差し出したのは、ルビーのような宝石が埋まった指輪だった。石の中で何かがちろちろ燃えているようなきらめきがある。
「これはまた、見事な嫉妬で」
 さっそくルーペを取り出し拝見する。
 不倫。
 そして、焼身自殺。
 残った嫉妬は見事に残り、別の意味で一流の技士により今の姿に。
「眞品ですね。今すぐ手放すのが良いでしょう」
 言って、聞くはずがない。
 あまりに美しすぎるのだから。
「何人、死んでます?」
「この姿になってから、五人」
「もう、きっと、打ち止めですね」
 明るく言う客。根拠がないのは、彼も知っているだろう。

 後日。
 足首だけ高温で焼け焦げた2つの足がある男の部屋で発見された。部屋にはぼやの跡すらない。
 残された足は、部屋の主の男のものらしい。
 科学的に、こういう焼け方はしないそうだ。
 気付くと、私の店の扉の隙間からスライムが忍び込んで来た。愛しさの赤で染まっている。私を覆い尽くす勢いだ。
 ふん、と袖にする。
 するとまた、宝石になった。
 無論、一流の私は指輪にして競売に出す。
 ああ、もちろん別の意味だ。



 結晶4 作者:紫咲

 両親の仲が良くても、僕は死んだはずだ。息子を喪ったふたりは病院のソファに座った。葬儀の終わったリビングに佇んだ。僕がいなくなった原因を探そうとした。原因はない。だからどちらも原因を拵えようと、脳の記憶を、心の命じるままに接続していく。僕には素晴らしくよくわかる。出来上がった回路は、憎しみと憤りの相似形であり、電流が流れるたびにふたりを言い争わせるのだ。
 一組の人間の台無しっぷりを、幽霊になった僕は、半袖姿のまま、幽霊仲間に、解説を交えて実況する。「アッヒャッヒャーン!」笑いに沈殿した猟奇。「飽きたな」レイトモがすうううと去ると、僕はいつも奇跡の計画を練る。
 凍てついた冬の朝に、雪が降ればいい。命の薄い僕でも扱えるくらい純度の高い結晶を、宙に並べてお礼の言葉にしよう。ベランダで両親が抱き合うのを見届けてから、僕は雪を一段一段登っていこう。まるで世界が、生れる前の美しさに還っていくみたいに。



 結晶5 作者:こけし

「何を隠そう、わたしの心臓は結晶でできているのです。身体も水晶になりかかっていて、いずれは身体も全て水晶に成り果ててしまうでしょう」
昼下がりの英国庭園での優雅なアフタヌーン・ティー・タイム。シルクハットを目深にかぶった目の前の細身の男が何の前触れもなくぼそりと呟いた。
淹れたての紅茶が入った高価そうなティーカップを取り落としそうになりながら、私は目の前の結晶になりかかっている男を凝視した。
男の瞳は黒曜石のように光っている。瞳は既に結晶になっているのかもしれない。結晶になった目で物を見ることができるのだろうかと考えながら、どういう言葉を発すれば良いのか分からず、私は黙りこくった。
「いやいや、そんな深刻な顔をなさらないでください。決して暗い話ではないのです。わたしの一族は全員、結晶の心臓を持っているのですが、身体まで結晶になることができる人間は滅多にいないのです。しかも普通は透明な水晶なのに、わたしの場合は紅水晶なのです」
そう言うと、目の前の男は首許の釦をいくつか外し、鎖骨の辺りを見せてくれた。紅水晶になりかかっている部分が昼の陽射しを受けてきらきらと光っていた。
「ほら、美しいでしょう」



 結晶6 作者:なぎさひふみ

夢の残照は、宇宙の真実の溜息。過去も未来もなく、愛の結晶体だけが、故郷の木霊となる。
球なる繋ぎは、ひとつから始まった。単独の夢は、内部で増殖させる。螺旋である。そして外なる投影は、自身の姿、則ち球をして互いを繋ぐ。次元で云えば一次元、直線である。
いのちは形ではないが、形を照らし、形からの反照による光の意識である。

ゆめひらり
そらかけるあい
えいえんの
そうぞうしんわ
いつくしまれて

時は今。永遠は今にしかない。宇宙は記憶でしかない。自由なのだ。創造と記憶が、夢の翼となって、結晶の天使へと伝令し、内なる視線が時を延べている。
意味と理由は、結晶の定義に寄り掛かり、全てと部分の調和に好意を示す。
波の合焦が、結晶の夢の基点になり、物理法則を放散させている。

地球は、シリカ成分で構成されている。云わば、クリスタルなのだ。
共振しているのは、愛の夢である。気付かないのは、自由独立を求めた人類の意志による。

ひとつとは、ふたつにならなければ分からない、愛の、いのちの、意識の探求である。旅とは、知らない夢と既知なる夢の渦を照らし出す。

ときめく夢は、結晶の煌めきを放つ愛になり、あなたの涙に光となって宇宙を照らしていた。



 結晶7 作者:不狼児

 彼は資産家で、働かないことが最高の贅沢と考えていたから、金は使うばかりで、これ以上財産を殖やそうとあくせくするなんてことはなかった。「働けば働くほど金は貯まらないものだ。人生は遊んでいる方が豊かになる」そう言って見せてくれたのが嘘か真か、患者に恨まれ殺された医者の塩漬け肉とか(「本物だよ。豚肉なんかじゃない。大半は喰われてしまった残りだ」)、自殺したアイドルの生手首とか(「生だよ、生。だから生きているんだって。握手してご覧。条件反射で握り返してくるよ」)、珍奇なコレクションの数々。「趣味、なんて熱狂的なものじゃない。別にその気はないんだが、自然と集まってくるんだなこれが」最も印象深かったのは、元は××財閥の持ち物で大勢の労働者から搾り取って凝縮したという、本物の血と汗の結晶だ。半透明の赤いやや歪な立方体で、大きさはマッチ箱ほど。結構な硬度で掌にのせても融けることはないが、まるで涙に濡れたかのように表面から徐々に透き通ってゆく。しばらくすると色はまばゆい真紅に変わり、「時間とか労働の対価とか、抽象的なものではない、これだけ純粋な結晶は希少だよ」とうそぶく彼の顔が鮮明に、逆さまに映って見えた。



 結晶8 作者:まつじ

 ウウムと心中唸り一編捻りだそうとしていた電車で、見知らぬ坊主と乗り合わせた。
 念の為言うが、坊主とはいわゆるお坊さんの事であり、ガキ子供の類ではない。正真正銘と言いきるには些か自信がないが、坊さんみたいな風体のおっさんであることはほぼ間違いない。
 それはともかく。
 小太りで坊主頭の毛もまばらなその人はそれらしい黒い衣装で吊革に掴まり暑さからか、ひいふう息をつき汗を拭っては、ひいふうする。誰かが立つともちろんというべきか穏やかにしかし確実にその席を埋めた。
 背後の椅子が空いたのによく周りを見ているな、と妙なところで感心させられる。
 柔和そうな顔のつくりだが今は、ふうふう大変そうだ。
 ものは試しに脳味噌のなかで坊さんに喋らせてみると、
 私やあなた、全ての命が、まずは親の愛の結晶であると言えます。
 などと言う。疑えば、
 それでも私たちがここに在るのは誰かの愛情あればこその結果でしょう。
 と答え、
 例えば「坊主」は私の努力の結実ですが、それは完成でなく終わりでもありません。全ては積み重ねです。続けることです。
 空想なので、少々脈絡がない。
 結局、捻りでてこない一編。
 そうしているうちに坊主は南浦和辺りで煙のように消えた。



 結晶9 作者:砂場

 店には、所狭しといった様子で本が縦に横にと並べられていた。入口をまっすぐ行った所に暖簾が掛っており、その手前に大きな鳥籠が吊られている。中には文庫が一冊、寝ていた。分厚い。鳥ならば飛べまい。
「珍しいでしょう」と主人は言った。「物語の結晶です」
 金を払うと、崩れ易いですから気をつけて、とナイロン袋に入れて渡してくれた。

 家に帰ると直ぐに読み始めた。たくさんの章に分かれていた。話はどうにも退屈だった。珍しいどころではない、ありふれている。一章読み終えて、夕食にした。机の上に置いておき、二週間かけて終いまで読んだ後は、扉付きの本棚に仕舞うことにした。隙間にすっぽりと収まった。

 その隣に置いていた本を読み返したくなったのは、それから二か月ほど経った後だ。話の筋が、変わっていた。何事か。しかしそのまた隣の本を取り出して読んでみても、やはり違う。結末が、全く変わっている。
 よく見るとあの文庫は、痩せていた。棚に隙間があるのだ。こちらも読み返してみたが、内容を良く覚えていなかった。退屈なのは変わっていない。私は本屋へ走り、何十冊と買い込み、本棚の中身を入れ替えた。

 元の十分の一ほどの厚さになった時、再びあの文庫を取り出した。と、本の頁がぼろぼろっと解けてしまった。あっと思った時には、そこには何もなかった。解けた紙さえ落ちていない。



 結晶10 作者:sleepdog

 少年が浴衣姿の少女のために金魚をすくってみせるが、お椀に入れた途端、金魚は硝子玉になってしまった。横で見ていた猫もシラサギもフガッとうなる。
 二匹目をすくってみても、やはり同じく硝子玉になった。変に思った店のおじさんが桶に手を入れると、おじさんはみるみる間に硝子の像になった。
 腹を空かせたシラサギが勢い余って金魚をついばむと、綺麗な立ち姿で硝子の像になった。一方、猫が静かだと思ったら、シラサギの口から落ちた金魚が当たり、丸っこい硝子の塊になっていた。
 だけど、普通の金魚は取れるはずだ。
 少年は少女のために黙々と金魚をすくい、硝子玉をお椀に入れ続ける。飛沫がかかり、左手から硝子になっていく少年を見て、少女は後ろからしがみつき、同じ速度で硝子になっていく。二人の両親はまだ迎えに来ない。



 結晶11 作者:オギ

 体から出た無数の糸のようなゆらめきは、絡まりを解くようにして水の中にひろがっていく。隙間からは絶えずなにかがこぼれ、瞬きながら溶けていく。
 ゆらめきはやがて薄い帯になって体に巻きつき、肌と馴染んで消えてしまう。目を覚ました人は、誰もが静かに去っていく。それにあわせて、水はゆっくりと引いていく。
 白い仮面の番人と並んで、同じような仮面をつけ、全てを見守る。なにもない、白い部屋だ。細く穿たれた窓から、月明かりだけが注している。床は半ほどから段になり、夜にだけ満ちる水の中へと落ちていく。
 番人は底に残った水を小さな瓶に掬う。水がどこからきてどこへ消えるのか、番人も知らないという。私たちにはここに来るまでの記憶がない。
 番人の部屋の壁には、無数の瓶が並んでいて、水と一緒に鉱石のようなものが沈んでいる。溶けたなにかが、静かに置くうちに再び凝るのだ。たいていは鮮やかな美しい色をしている。時々こっそりと欠片を取だしてみる。舌先で舐めそっと口に含む。味はなく、崩れることも溶けることもない。 
 朝眠り、夕方に目を覚ます。部屋を清め、すべての瓶を磨く。ふたつだけ、いつまでも水だけの瓶がある。
 仮面をつける。
 夜が来て、水が満ちる。



 結晶12 作者:つとむ

「結晶ってさ、気体からもできるんだよ」
 そんなこと、どうだっていいのよ。純一も相変わらずね。
「ほら、あれを見てごらん。地面から噴気が出てるだろ」
 ここ、恐山って火山地帯だったのね。
「ガスに含まれる硫黄が気体から直接結晶になってるんだ」
 確かに噴気が当たるところは、キラキラと黄色く光ってるわ。
「それでさ、気体が結晶になる現象を『昇華』って言うんだけど知ってた?」
 純一のそんな講釈が懐かしい。それがまた聞けるのも、この場所のおかげかもね。
「それって違うんじゃない?」
 思わず反論しちゃった。昔はよくこうやって議論したもの。
「じゃあ、何て言うんだい?」
 純一は意地悪そうに問いかけてくる。
「晶出?」
 その響きに私は嫌な言葉を思い出した。
 ——消失。
 純一と会話をするのは彼が失踪して以来だから。
「そうとも言うね」
 なんでそんなに平気でいられるのよ。
 純一がいなくなって私、すっかり絶望しちゃって、最後にここに来たんだから。
「じゃあ、この結晶は霊が晶出したもの……?」
 イタコが右手を開くと、人の形の結晶が姿を現した。
 そう、それは私の魂の形。
「今頃になって会いに来るなんて、あなたも意地悪ね」
 老婆が私の気持ちを口にした。



 結晶13 作者:はやみかつとし

 あなたを極低温で凍らせて粉々に砕いた。なのに破片はどれもきれいな斜方体の断面で、わたしはわたしにふさわしい罰に傷つくことすらできない。



 結晶14 作者:もち

 どこからか降ってきたのか、あるいはせりあがってきたのか、そのどちらでもないのかはまったく見当もつかないが、ある朝、山の空き地に鎮座していた多面体を犬の散歩をしていた叔母が見つけ、ひとしきりあたふたしてからうちに電話してきたのだ。それが彼と人間との邂逅だった。
 彼は誰にも、何も語らなかった。研究家らしき人々も彼の正体はつかみかねているようだった。しかし、彼がゆっくりと大きくなっていることも、その時かすかに光を放つことも僕は知っていて、それだけで充分だった。おそらく、彼は生きていた。

 残暑。射抜くような日差しだった。彼の落とす影はぽっかりと暗い。彼はずいぶん大きくなっていて、てっぺんを見上げようとしても陽がまぶしいばかりだった。何を思ったのか、僕はそっと彼にふれた。
 初めてだ。彼にふれるのは。
 そのとき、彼が転がりだした。かろうじて均衡を保っていたのだろうか。彼は止まることなく一気に山肌を下っていく。彼の通った跡には何もなかった。草も地面も何も見えず、ただぽっかりと暗いのだ。家も電柱もただただ消えていくばかりで、転がりながら彼は大きくなり、難なく街をおかしていく。
 そして彼の軌跡が何かを描く気がして、僕は動くことができないのだ。



 結晶15 作者:ぶた仙

 ここに人間が入ったのは何年ぶりなのだろうか。
 白い埃の積もった床に足跡を印し、切断されたコードが垂れ下がる聖域を行くと、奥から規則的な機械音が響いてきた。立ち入り禁止の筈なのに、という疑問は、わざわざここに潜入した私にはない。
 そんな私も、無数の青い小人たちがせっせと働いているのを見たときは少し驚いた。彼らが病的なほどに美し過ぎるから。しかもベルトコンベアーに乗って流れていくのは、鮮やかな濃紺の結晶だ。
 六シアノ鉄酸塩、本来は微毒ながらも非常に有用な物質だ。日本でも古来から顔料として用いられ、紺青、ベロ藍などと呼ばれた。動物がそれを摂取したあとの糞を小人たちが長い年月をかけて精錬し、結晶させる。それは、この地域にしかない力を持っている。
 一糸乱れぬ動きが止まった。右往左往する小人たちを蹴散らして、一番大きな結晶を素手でつかむ。
 私にとっては、至高の宝石。迷うことなく飲み込んだ。
 体が熱い。結晶が脈動を始め、腹のあたりが衣服を透かして、ぼうっと青く光っている。
 禁止区域の外へと、ゆっくり歩き出す。
 もう私を止めることのできるものはない。まず最初の行先は、隠れてのうのうと生きているあいつらだ。



 結晶16 作者:三里アキラ

 純度が高く大きなものを得るためには、ゆっくりと冷却することがポイントです。
 小さな身体に知覚を溶かし込み、撹拌します。化合物ができるまでは外から加熱しながら待たなければなりません。早ければ15年、遅くとも25年程で取り出すべきものは出来上がります。ただし、取り出すにはこれまた手間と時間がかかります。個体によって量の多少があることにも気を付けなければなりません。
 繰り返しますが、冷却は極めてゆっくりと。状況によっては再加熱を重ねることも必要です。撹拌は控えるようにしてください。これを誤ると身体は破裂します。そうですね、50年もあれば取り出せる大きさにまで成長するかもしれません。取り出した残りは害しかないので身体ごと焼却処分するのが良いでしょう。まあ、取り出した結晶自体が極めて強い毒となる場合があることも周知の事実でしょうが。
 これをどう使うかは、あなたの善意に賭けてみたいと思います。



 結晶17 作者:白縫いさや

 岬で海を眺めていると、何かが沖から流れてくるのが見えた。目で追いながら足でも追う。時刻は午前四時。水平線がうっすらと紺色に色付き始めていた。
 漂着したのは海の色をした立方体のガラス箱であった。前のめりの体躯が湿った砂に沈み、その足元を波が洗っている。振り返れば僕の足跡。
 箱に居直る。
 真っ直ぐな辺を指先でなぞる。上の面をスライドさせると、ガラス板がずれて中が明らかになる。覗き込むと、そこにあったのは乱雑に詰め込まれた手首や衣服や靴や手紙であった。察するに持ち主は遠い国の少女のようである。一番汚れていなさそうなボールペンを選んで摘み上げた瞬間、太陽の上辺が顔を出し、ボールペンを始めとする箱の中のものを急速に溶かし始める。黒や赤などの様々な色の靄が立つ。潮風に流されていく。
 全てが溶けてなくなった後に残ったのは親指の爪くらいの紫水晶であった。それは僕が摘み上げても溶けることなく、光を受けてきらきらしていた。
 見つめ合う。
 僕は紫水晶を口に運び、嚥下した。おなかの辺りがぽっと温かくなった気がした。
 空になった箱は海へ押し返す。それが再び水平線の彼方に消えていくまで僕たちは見送っている。



 結晶18 作者:JUNC

ザルのフチをとんとんと叩いて砂をふるいにかける。
それと同じような感じで、僕達は生まれてきたのだ。
いらないものはふるい落として必要なものだけを装備して。
だから、どれひとつもいらないものなんてないということになる。
先生はそう言って、ハラリと落ちた自分の髪の毛を
丁寧にハンカチに包んで、ポケットにしまった。



 結晶19 作者:空虹桜

 そこはマンションの屋上。柵を挟んで対峙する男女一組。
「近寄らないで!」
「落ち着け。話し合おう」
「嫌! 一歩でも近づいたら墜ちるわよ!!」
 痴話喧嘩にも見えるが、真偽は本文と関係無い。
「こんなところで死んだら、君のご両親が悲しむぞ」
「あの人たちにそんな感情無いわよ!」
「そんなわけない! 君は・・・君はミョウバンなんだ」
「待て」
「ビーカの中で大きく育ったミョウバンなんだ!」
「えっと・・・もうちょい良く喩えて」
 はたして、ミョウバン登場の是非は本文と関係無い。
「じゃあ・・・そう君は、君はご両親の血と汗と涙の」
「下ネタ!?」
「えー。そっちですか?」
 下ネタだと理解できるか否かは、本文と関係無い。
「ならそうだ! 君は、君は雪の一片だ。一片ひとひら形が違う。それぐらい君の存在は貴重で」
「融けて消えてしまえって言うんだ!」
「違う。待て。違う。ウチの田舎じゃ、裸眼で見えるぐらい大きな」
「雪みたく墜ちて、融けて消えるんだ。消えてやる。消えてやる!」
 そして、女は墜ち、大地に朱い六角形を広げた。
 女の朱は、そう簡単に融けて消えやしない。



 結晶20 作者:脳内亭

 綿棒の先には、面倒が詰まっている。
 救いがたいほどの甘えんぼうは死ぬとめんぼうになる。ありとあらゆる甘えの汁をいたずらに吸ったその骨はぐにゃぐにゃにやわらかい。ひとしおにやわらかいひとすじがゆきゆきてそれになる。骨となってなお甘えんぼうは愛しい者の奥へともぐりこみ甘えに甘えたうたをささやくのだ。うたを妨げる不純物をせっせと掻きだしながら。



 結晶21 作者:よもぎ

「一刻の猶予もならぬ。封印は溶けてしまったのじゃ」
八百万の神が集まった。
「毒羽虫は飛び立ってしまった。もはや封じることはかなわぬ」
「私が洗い流してしまおう」と雨の神が言った。
「私が雨で射て毒羽虫を地に埋めてしまおう」
「地に埋めれば毒の木が生える」と地の神が言った。
「毒の木には毒の実がなり、それを喰らえば喰らった者もまた毒に冒される」
八百万の神は沈黙した。そこへ
「私が毒を喰らおう」と声がした。
「私がすべての毒を喰らって共に消えよう」と小さな花の神が言った。
「やむをえぬ」「やむをえぬ」
八百万の神が呪を唱える。小さな花の神は手の平を椀の形に捧げ持った。雨の神が毒羽虫を銀の矢で打つ。すべての毒羽虫が小さな花の神の手の平へ吸い込まれていく。
やがて銀の雨が止み、呪を唱える声が止んだ。手の平には燐光ゆらめく青い石がひとつ。小さな花の神はひと息にそれを飲み込んだ。一瞬苦痛に顔を歪め、小さな花の神は霧散した。毒羽虫の気配が消え、八百万の神は涙した。神々の涙が地を潤すと、小さな芽がそこかしこに現れた。
やがて世界はいちめんのなのはな。