500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第128回:鈴木くんのモロヘイヤ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 鈴木くんのモロヘイヤ1

「鈴木くんのこれって、モロヘイヤを刻んだ時に出る汁のよう……」
 そう言って女は、白くすらっとした指を、先端にそっと這わせた。にじみ出る、粘度の高そうな透明の体液を指ですくう。指から糸を引くそれを、先端からその周りへ、ゆっくりと擦り広げていく。

 厳冬期のこわばった空気が、俺の素肌を震え上がらせる。女の手のぬくもりに包み込まれ、執拗ないたぶりを受け続けるそこだけが異様な熱を帯び、猛々しい。

 女は、指の動きに微妙な強弱をつける。猫を思わせるつり気味の大きな瞳で、こちらの反応をじっとうかがい、時折残忍に笑う。

 俺はこの場から逃れようと、腕や足に力を込めた。もがけばもがくほど縄がますます素肌に食い込み、椅子から立ち上がることができない。強引にはぎ取られた衣服が散乱する倉庫の床に、獣じみた荒々しい息づかいだけが虚しく反響する。

「粘り気だけでなく、苦みも似ているね」
 女は、指だけでは飽きたらず、口腔のやわらかな粘膜を使って執拗に同じ動作を繰り返す。俺が崩壊する過程をじっくりと味わい、慈しむように。俺から全てを奪い取るかのように。



 鈴木くんのモロヘイヤ2

「いいのよ」
 彼女はそう言うと、次々に艶やかな葉を摘まみ取る。
「ビーチでこんな格好だと笑われるし」
 丁寧に、丁寧に取り除いたモロヘイヤの葉を重ねている。
「今も恥ずかしいんだけど」
「そりゃあ、私だって恥ずかしいわよ」
 裸になり腰を下ろして両足を開いた俺の股に、彼女が四つんばいになって覗き込みぷちぷちやっている。
「……そんなに多い?」
「ぼうぼうね」
 意地悪に言う彼女。ちらっとこっちを見た。
 その表情は、次の日の昼に彼女一人でこっそり食べている様子に似ている。
 上品に、ねっとりとした緑色の和え物を端の先で摘まんで、あ〜ん。頬を上気させ、夢見るようなまどろんだ瞳。満足そうに緩む頬。いや、今は期待に緩んでいる。
「痛くなぁい?」
「……ぜんぜん」
 そんなに丁寧に摘み取られて肌に痛みがはしるわけもない。
「ふふ。これで丸見え」
 悪戯そうな言葉とは裏腹に、彼女は俺を一瞥しただけで部屋を出た。
 収穫したモロヘイヤを優しく抱えながら。
 ……どこかが、痛い。



 鈴木くんのモロヘイヤ3

 軽音部の山下さんに恋い焦がれている田中くんは、同部の鈴木くんに力を借りるべく、彼の部屋を訪れた。
「よく来た。さあ、これを授けよう」
 小袋を渡された。
「いったい何だい?」
「ふふん、訊きたいかね」
 怪しげな祭壇や、ドクロや旗の装飾が施された部屋にドン引きしつつも、田中くんは鈴木くんの話に耳を傾けた。
「ルイジアナに伝わる呪いでね、恋の御守りなのさ。あれを見たまえ」
 祭壇にブドウが奉ってある。鈴木くんは「な?」とでも言いたげな表情をしている。
「君も聞いた事はないかね、女を惹きつける魔術の話を」
「ああ……あれか、“MOJO HAND”ってヤツ?」
「少し違うな。“MORO HAIR”だ」
「……モロヘイヤ? 野菜の?」
「そうとも言うらしいな。だが発音が悪い。きちんと言いたまえ、“モーロ・ヘアー“だ」
 甚だ不安をおぼえながらも、藁にもすがりたい田中くんはこの際モロヘイヤにもすがってみる事にして、礼もそこそこに鈴木くんの部屋を後にした。

「帰ったぞ。出てきたまえ」
 祭壇の後ろから、おずおずと顔を赤らめ現れたのは、山下さんである。
「見ものだな。このダブル・ミーニングに、彼が気づくかどうか」



 鈴木くんのモロヘイヤ4

事の発端はつい好奇心で覗いた彼氏のSNS。

「写メ見たよー。鈴木くんのおNEWの彼女カワイイじゃん?」
「顔面偏差値高いだろ?体育馬鹿の中の掃き溜めに鶴!」
「スタイルどーよ?主にチチシリフトモモ」
「乳が無い。平野も平野モロヘイヤ!」
「マジでか?ないわー」
「地平線眺めてるようだわー。まあ俺が立派に育ててみせる!」

携帯画面から、芋蔓式に掘り出される彼氏の本音に
『平野』と腐された貧乳が深く深く抉られる。

スポーツ推薦を貰い進学した大学で出来た、他学部の初彼氏。
体育系の自分と正反対の、知的な雰囲気の眼鏡男子に告白されて
(――もっと彼を知りたい、理解したい)そんな乙女心に突き動かされた
その結果、自分で掘った胸の墓穴に私は私の純情を葬った。

「あんたに育ててもらわなくても結構じゃ!モロヘイヤでも育ててろ!」

速攻で彼に叩き付けた後「若かったなー」と、思い返す私も一児の母。
十代の頃より確実に太くなった二の腕に、愛しい我が子を抱きしめる。
妊娠して豊かになった胸元から、子に母乳を含ませる喜びに浸りつつ
「……ワシが育てた」と、胸に手を伸ばす旦那に「モロヘイヤ」と言い返す。

そんな結末を迎えていた鈴木家の幸せな日々――



 鈴木くんのモロヘイヤ5

 二十歳の誕生日の朝、ベッドの上で啓示を得た。神曰く、「鈴木一郎、汝に見る力を授けよう」と。人の寿命でも見えんのかよ、と思ったが神の声はそれきり聞こえなかった。寝起きの頭で時計を見ると、結構やばい時間だ。ひとまず啓示は無視し、急いで服だけ着替えて部屋を飛び出した。
 ふと、道行く人の頭に青々としたものが茂っているのに気づいた。トウモロコシ、いやモロヘイヤ? チャラチャラした女の子の茶髪を貫き、高々とモロヘイヤがそびえているのだ。若い子は時々奇抜なファッションもするよなと視線を移し、僕は驚いた。通り過ぎていくサラリーマンもモロヘイヤだ。
 大学に向かう途中、老若男女、時に夫婦揃ってまで、頭にモロヘイヤを生やす人々が少なからず存在していることに気づいた。神より授けられた力は、モロヘイヤを見る能力ということで間違いないだろう。はたして、モロヘイヤのある人、ない人の差は何か。混乱した頭で、必死に考えていると、同じゼミの鈴木菜穂子が通りがかった。密かに恋焦がれている子だが、モロヘイヤだった。唖然としていると、会釈して彼女は大学へと歩いていった。
 ふと電柱のミラーに映った自分の頭を見て、僕は納得した。



 鈴木くんのモロヘイヤ6

「お? 順調順調、バッチシよぉ」
 と鈴木くんは歯を見せて笑った。
「そっちは?」
「おう、こっちも順調、バッチシよぉ」
 口調を真似て、言い返してやる。
 何がきっかけか担任の先生が家族の好きな野菜を育てようという課題を思い付いたのが事の始まりで、あたしたち曰く
「意味分かんねぇ」
 あたしは面倒くさいからカイワレを育てることにしたのに案外マジメで、
「モロヘイヤ、父ちゃんが好きなんだ」
「何それ、食べたことない」
「あー、ねばねばするホウレン草みたいな」
「うぇー、あたし無理だぁ」
 俺は嫌いじゃないけどな、と言ってニッと笑った。
 あたしのカイワレはそののちすくすくと育った。その話をしたら、すぐには返事をせずに、うちはもうダメかもなあ、難しいや、と目を細めてなんだかやけに柔らかい。
「つぅかさ、モロヘイヤのモロって何だよなぁ」
「モロ、ねばねば、みたいな?」
「お前、バッカだなぁ」
 それから数日後、鈴木くんは転校してしまった。家に帰って、モロヘイヤって食べたことあるかお母さんに聞いたら案の定、あたしは好きじゃないなあ、という答。そんなことより勉強はどうなのよと返されたから
「お? 順調順調、バッチシよぉ」
 歯を見せて笑ってみる。



 鈴木くんのモロヘイヤ7

 小松菜だ。
 私はモロヘイヤじゃないし、そいつは鈴木くんじゃない。こんなこと言ったって大して意味はないのだろうが。私の名前──タイトルは私が付ける。ペンネームだって大抵自分で付けるだろ?
 だから小松菜だ。私の色が小松菜よりの緑色でなかろうともちろんモロヘイヤよりの緑色でもなかろうとそれどころか緑色でさえなかろうと。私の栄養素がモロヘイヤとも小松菜とも人参とも似つかなくても0kcalだとしても。
 小松菜なのである。そいつが鈴木くんじゃないことについてはまあ、特に問題はない。そいつ以外も大抵鈴木くんじゃないし、タイトルというのはそういうもんではないし、自分になかなか「くん」は付けないし、フィクションだし、私は鈴木くんじゃあないし、フィクションだし。それは「お隣さんの名前」くらいのもんだと思うのだ。私には基本的に関係ないし変えようがないし引越すかもしれないし。
 もう小松菜ということで良いだろうか、フィクションだし。ちくしょう。たぶん私は小松菜でもなく、しいて言えば反抗期なんだろ。

※この作品は小松菜です。



 鈴木くんのモロヘイヤ8

鈴木くんっていう天使がいる。
見た目は冴えないメガネ男子だけど天使だと思う。アタシが彼氏に捨てられて死んでやるつもりで家に帰ったら玄関の前にいた。傷心の女に優しくしたら簡単にヤれると思ってるんでしょ。内心嘲笑しながら部屋に上げた。でも、彼はいきなりヘンなことを言い出した。
「しりとりしよう。俺からいくよ。こなゆき、き」
はああっ? なんのつもり。と思いながらも。
「キツツキ」
「きぼう」
「うそ」
「そうじ」
「じゃがいも」
「モロヘイヤ」

「や、や、やっぱやめたよ」

アタシが何もかもどうでも良い気分になってそう口に出したら、鈴木くんは、にっこりと微笑んだ。
「よかった。おやすみ」
靴を履き始めた鈴木くんの背中にミカンを投げつけて、アタシは思いっきり泣いた。



 鈴木くんのモロヘイヤ9

鈴木くんのじいちゃんはぬるぬるしたものを育ててるらしい。

食い物なんだぜえ、体にいいってじいちゃんが育ててさあ、じいちゃん最近、体にいい体にいいって、それが口癖なんだ。

で、畑に行ったら、ぬるぬるする食い物はお茶の葉みたいなこれだという。触ってみたら、葉の先に赤い毛が生えてて、全然ぬるぬるしてなかった。
だましたな、このやろう。

だましてねーよ。茹でたらぬるぬるすんだよ。

マジかよ。お、こっちに山ぶどう生えてる。

ちげーよ。ツルムラサキの実だ。それもぬるぬるした食い物だ。じいちゃん、ぬるぬるばっか育ててんだ。体にいい体にいいってのが口癖でさ。

うそだ。どう見ても山ぶどうだ。
と、ぷちっと一粒とったらつぶれた。指が赤紫色に染まった。

あーあ、つぶした。それ洗っても消えねえよ。

ひでえ。

鈴木くんはオレのことなど放置して、茶摘みみたいに、茹でたらぬるぬるになる葉っぱの先っぽだけを摘み取って、どんどんバケツに入れた。

おばちゃんがたっぷりのお湯で葉っぱを茹でて、包丁で切ったと思ったら、そのままバンバン叩いた。

ほんまにねばった。ぬるぬる糸を引いた。

しょうゆかけて食べるんだよ。
おばちゃんが皿に取り分けたぬるぬるにしょうゆを垂らしたら、つるんとすべった。

食った。まずい。味がない。

ばかやろ。混ぜねえから味がねえんだよ。

ってことで、納豆みたいにネバネバ混ぜた。まずい。味はある。なんていうか、しょうゆ味のもずく?



 鈴木くんのモロヘイヤ10

夢の中でしか味わったことのない感情が湧き起こる時、夢の中でだけ問うことができる問いの答えが訪れます。たいていは、なにか食べているとき。

鈴木くんとはいつも夢の中で会うの。彼の話は面白いけど長い。実感としては睡眠時間より長くて、そして遠いから、考えの表面が突っ張るくらいの加速度で私はついてゆくけど、詮無く失速しちゃって   目醒める。脳から血が退いてゆく音。夢の内容は憶えてない。ときめきの残響だけが。

彼との対話の時間はこの上なく幸福なので、ある時、お礼したい私にできることはないの? と尋ねると「食べたいものがある」って。
請け合って目醒めた時には例によって、鈴木くんのことは忘れてしまって。

なにかが無性に食べたくなる。詩のような名のケーキだったり地方色を指定した雑煮だったり、ただ大雑把に「肉!」だったり。その日の昼なり晩なりに「肉!」を含む食事にありつくと、そこだけ味がしない。でも味がしないことがしあわせ。誰か胸が痛くなるほど親しい人が、代わりにそれを味わっているから。遠く遠く、星のように小さく見える窓から、想いが落ちてくるよ涎みたいに。

昨日モロヘイヤを食べて味がしなかったときにも思いついた。こういう話を。



 鈴木くんのモロヘイヤ11

 鈴木くんのモロヘイヤはこの頃少し変だ。どうしたのだろう。水をやろうと言っても、肥料をやろうと言っても、いつも返事は同じだ。「あ・と・で。」詰らないことである。
 冗談はさておき。エジプト原産と聞き、砂漠化しがちな僕の庭にもってこいだと思って蒔いてみたのだが、生育は思わしくない。故郷を思い出させようとサハラ砂漠の砂を撒いてみたりもしたのだが、なかなか、命をつなぐのがやっとのようで見ていて気の毒になる。
 何とか枯らさないように手塩にかけて(青菜に塩じゃないよ)可愛がって育てていたモロヘイヤだが、ここに難関が立ち塞がった。実家からの帰省要請である。留守用の水やり器なども気休めながらセットし、後ろ髪を引かれる思いで家を出たが、気が気でない。
 戻ってみると、モロヘイヤはちゃんと生きていた。あまりに嬉しくて、お土産の季節外れのとちおとめを分けてやったのだが、これが不思議なほど効いたのである。翌朝には、ヒョロヒョロだった茎がシャンと伸び、葉も大きく色つや良くなっている。茎の先に黄色い蕾まで出ているではないか。
 早速、夜におひたしにしたが、蕾の部分はほんのり甘くて酸っぱい香りがした。



 鈴木くんのモロヘイヤ12

 沢山の鈴木、「a lot of 鈴木s」の中に「the 鈴木」を入れることで特定を避けている。親しみを感じて貰えるよう「くん」なんて付けて。ちなみに彼の本名は鈴木ではない。いかにも普通の人らしく名乗ることで、彼本人から注目を逸らしている。
 そんなことをやってでも、彼はモロヘイヤを出荷しなければならない。出荷して、売らなければならない。今時「ひみつけっしゃあくのそしき」と書いたところで、胡散臭さに皆、手にさえ取らない。返品・廃棄になってしまうとお金にはならない。鈴木くん(仮)はできる悪の総裁だ。
 モロヘイヤで稼いだお金は銀行に入金される。年利0.02%でじわりじわりと増えていく。彼が世界征服のために行動を起こす予算に届くには、売上が右肩上がりと仮定しても、まだ数百年かかる予定である。彼の予定ではマッドサイエンティストの研究成果で不老不死を得るので、どれだけ時間がかかっても構わないらしい。幼い頃からの夢を叶えようと努力する彼は輝いている。
 彼の作ったモロヘイヤはとてもよく粘ると本格派エジプト料理屋で評判だ。日本に本格派エジプト料理屋がそもそも何軒あるのか、彼はあまり気にしていないようだが。



 鈴木くんのモロヘイヤ13

 クリスマスに父から面白いものをプレゼントされた。父は特殊研究室の所長をしている。具体的にどんな仕事なのかは、国家秘密のため、教えてくれない。

「おい、早く来いよ。僕は学校に行かなくちゃいけないんだぞ」
「はい、はい。急いで行きます」
僕はそれを連れて、学校へ行った。クラスの女子達が集まって来た。
「わぁー、何これ。変なの」
「おい、変なのはないだろう」
「変なもの、連れて来ないでよ」
「おい、おい、そこまで言うなよ。これに、芸をさせるからさ」
「芸? 何かできるの」
「出来るとも。おい、あれをやってみろ」
それは、調理室に歩いて行った。興味津々の女子他、男子までついて行く。
調理室で、10分後。
「はい、できました、どうぞ」
そこには、モロヘイヤの卵焼きが出来上がっていた。
「へえー、鈴木くんのモロヘイヤ、料理も出来るのね、凄いわ」
その後、女子にモテモテになった。



 鈴木くんのモロヘイヤ14

給食の献立表には、ほうれん草のおひたしと書かれている。
一方で鈴木くんは、茎の細さと葉の形、そしてその粘りから、それがモロヘイヤなのだと主張している。
だけど、葉から小さな目玉が生えているという点で、きっとどちらも間違っているのだろう。



 鈴木くんのモロヘイヤ15

 初夏を迎えると、鈴木くんが丸坊主になった。と思ったら、頭の上から葉っぱが生えてきた。
「何の葉っぱ?」と訊いてみると、鈴木くんは「モロヘイヤ」と答える。
 夏になると、モロヘイヤは青々と葉を茂らせた。
「ほら、栄養満点。野菜の王様だよ」
 葉っぱを一枚一枚手で収穫しながら、鈴木くんは貧しい子供達を訪問する。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「いつもいつもありがとうございます」
 夏の鈴木くんは人気者だ。
 秋分の日を過ぎると、モロヘイヤから小さな黄色い花が咲き始めた。
「きれいだね、お兄ちゃん」
「まあ、可愛らしいですね」
 花を見せて回る鈴木くんも、人気者だった。
 やがて花は長い鞘となり、鈴木くんは中から小さな三角形の種をたくさん収穫する。
「お兄ちゃん、それ食べられるの?」
「欲しい? だったら、ちょっと人探しをしてほしいなあ」
「なに? その人探しって?」
「僕と同じように、体からモロヘイヤが生えている人を見つけてほしいんだ。そしたら、見つけた人数分だけ種をあげるよ」
 きっとその人も鈴木くんだからと、手のひらで種を転がしながら鈴木くんは微笑んだ。



 鈴木くんのモロヘイヤ16

独身寮のワンルーム。ボクは風邪で寝込んでいた。
同期の鈴木くんが小さな土鍋を持ってやってきた。
「具合どう?おかゆ食べる?」
鈴木くんありがとう、と、フタを開けると土鍋の中はいちめんみどりのドロドロネバネバ。なにこれ。
「やっぱ、食べたことないかぁ、モロヘイヤだよ」
風邪をひくと母さんがいつも作ってくれてたんだ、と鈴木くんは笑った。
みどりのネバネバペーストの下は真っ白いおかゆ。混ぜて食べるとほんのり塩味と優しいのどごし。ボクはあっという間にたいらげた。
「大丈夫そうだな」
おとなしく寝ろよ、と鈴木くんは自分の部屋へ帰っていった。ボクはすぐに眠りにおちた。
夢をみた。
鈴木くんが料理をしている。ストトトト、あ、モロヘイヤを刻んでいるの、と手元を見ると、鈴木くんが刻んでいるのは、自分の指先!まな板の上は血みどろ、じゃなくてみどりのネバネバ。(す、鈴木くん、それがモロヘイヤ?)それがモロヘイヤだって?ちがうよ、僕がモロヘイヤだよ、と笑う鈴木くんの髪も指も顔も緑色の葉っぱがざわざわさわさわ。うわあぁああ。
目が覚めた。
あれ以来、鈴木くんの指先をかじってみたくてしょうがない。



 鈴木くんのモロヘイヤ17

「狡いと思います」
 自分の声が震えていて、内心驚いたら、まるで驚きを肯定するかのように、先生は鳩豆な顔を僕に向けた。
「彼ばかり贔屓してるって、クラスのみんなも言ってます」
 嘘ではないが、クラスのせいにしている罪悪感が、僕の息を詰まらせる。
「お前も、そう思うか?」
 先生の声は、しっかりと空気を震わせて僕の嫉妬心を揺らした。
「僕は・・・」
 言葉を探して、探そうとして頭の中が空回る。
「うまい野菜を育てられるヤツに悪いヤツはいないなんて、下らないことを言う気はないが」
 先生は、いくつか丁寧に千切ってから僕に手渡した。
「まぁ、食ってみろよ」
 口に含み噛む。摘みたてな青臭さのあとに、ぬめりが残る。
 なにもかも、ただ僕が食べ方を知らないだけなのかもしれない。



 鈴木くんのモロヘイヤ18

「ねえ鈴木くん、鈴木くんはモロヘイヤって好き?」
 体育の授業中に突然尋ねられて鈴木くんは自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
「す、好きっていうか、好きとか嫌いとかそんな、すす、杉田さんは?」
「わたしは昨日はじめて」
 鈴木くんの頭の中が杉田さんのパンツでいっぱいになった。
「まずい」
「え、おいしかったよ」
「あ、いや、そうじゃなくて」
 しどろもどろな鈴木くんを不思議そうに見ていた杉田さんは名前を呼ばれると元気よく返事をして跳び箱へ走り出した。杉田さんが話しかけてくれることは二度となかった。
(パンツをモロヘイヤと言い換えずにいられなかったあのころのオレはどこ行っちゃったんだろう)
 ほろ苦かった鈴木くんのモロヘイヤは、噛むたび、甘酸っぱくなる。



 鈴木くんのモロヘイヤ19

 農学部の鈴木くんは、さあ、どうだ、という顔をしてソファにふんぞり返っている。また始まった。そんなの、この連中が知っているはずがない。

 法学部の田中くんは、
『インダスの遺跡がある平野』
 それは、モヘンジョ・ダロだろ。

 文学部の高橋さんは、
『フィリピンの小説家?』
 ぺろっと舌を出す。よし、可愛いから赦す。

 経済学部の山本くんは、
『マンガの題名』
 もう一度、留年してこい。

 医学部の佐藤さんは少し考えて、
『モーツアルト、ロッシーニ、ヘンデル、イザイ、ヤナーチェクでしょ?』
 四歳からバイオリンを習っているそうだ。

 教育学部の僕は、そばを通りかかるふりをして、ぼそりと『繊維』とつぶやいておいた。振り返った鈴木くんは実に嫌そうな顔をしていた。



 鈴木くんのモロヘイヤ20

 一月も後半ともなると寒さの底だけれど、冬至前に伸び始めた日脚はもう随分長くなって、夕方五時でもまだベランダ側の窓から入る間接光は柔らかく暖かいオレンジ色を微かに滲ませている。こんな時間にこの小ぢんまりとした1DKの畳の部屋で白木調の炬燵にくるまるように座っているのは、ちょっとした至福の時間だ。白木調の本棚に白木調の箪笥、つまりどれもイミテーションなのだけれど、わたしには馴染みのものたちだから、柔らかい空気の一部になってしっくり馴染んでいる。そんなのどかさの中で炬燵に突っ伏していられるのも、今日はごはんを自分で作らなくていいから。甲斐々々しく立ち働く音がキッチンのほうから伝わってくるのを、丸めた背中で感じている。鶏と玉葱の匂いがうっすらと漂ってきて、本日のスープの主役に思いを馳せてみる。他の素材と混ざっていても判るような鮮烈な香りはないけれど、口に含むとまろやかに溶け合って、えも言われぬ味わいを醸し出す。そして一度食べたら忘れられない不思議なとろみ。なんだか、誰かに似てるような。それを舌の上で転がしたときの幸せを想像する自分が、なんだか淫らだなあ、なんて思いながらついうとうとしてしまう。



 鈴木くんのモロヘイヤ21

 スーパーの帰り道、突然、道の中央で鈴木くんの眼前で増殖し始めた緑色の迷宮。緑色の迷宮の中に、鈴木くんはスーパーで買ったモロヘイヤが入ったエコバックを持って立ち尽くしている。一言で言い尽くせないその多彩な緑色。常盤緑色、千草色、青磁色、萌葱色、翡翠色、青緑色、花緑青色、若葉色、苔色、柳色、松葉色、淡萌黄色、薄緑色、若竹色、深緑色・・・。現実に戻らなければならない・・・。モロヘイヤの様にヌチョヌチョ、ネバネバしたものが待ち受ける現実へ。碧眼の妻が待ってくれている現実へ。鈴木くんはエコバックの中からモロヘイヤを取り出し、その現実の緑色を、妻の碧眼の様な緑色を凝視した。すると急速に緑色の迷宮は縮小し始めた。鈴木くんはモロヘイヤと共にヌチョヌチョ、ネバネバしたものが待ち受ける現実へと帰還した。