500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第132回:やわらかな鉱物


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 やわらかな鉱物1

わたしが6つになったとき、おとうさんがきらきらのミドリ色の石をくれた。
「コップにこの石と、いっぱいのお水をいれてごらん。すてきなことがおこるよ。」おとうさんは言った。
お気に入りのお花のコップに、いっぱいのお水とその石をいれて毎日ながめていたら、石のミドリがふよふよしてきた。ふよふよ。ふよふよ。ふよ。
そのふよふよがとてもおいしそうだったのでぱくんと食べてみた。なんの味もしなかったけどあの日からおなかのまんなかがふんわりとあったかい。おとうさんの言ってたすてきなことってこのことなのかしら?



 やわらかな鉱物2

 月子さんは町の小さなパン屋さん。今夜はパンの試作などですっかり遅くなりました。そろそろ終わりと月子さんが戸締まりに向かうと外に男の子が立っておりました。男の子の手には百円玉がひとつ。「パン?待ってて」月子さんはいくつかのパンを袋にいれて手渡しました。「どうぞ。売れ残りで悪いけど」男の子はお金を渡そうとしましたが月子さんは受け取りません。すると男の子はポケットからオレンジ色の石を出して月子さんに手渡しました。石は温かく思いのほか重かったので月子さんは思わずしげしげと見てしまいました。そして顔を上げたときにはもう男の子はいなかったのです。石は乳白色にオレンジ色が混ざり合い、ときおり薔薇色や茜色がゆらめいて、まるで朝焼けの空のようでした。月子さんは不思議な気分で石を窓辺に置き、店の灯りを消しました。
 翌朝、窓辺から甘い香りがしました。朝日に照らされたその石を手にとると、陽の当たっていたあたりがぷにっと柔らかく月子さんの指の形が石に残りました。匂いをかぐとハチミツのようなクチナシのような優しい香りがしました。月子さんは石の柔らかいところをひとつまみ、小さく丸めて口に含みました。石は口の中でほろほろとほどけ懐かしい甘さを残しました。月子さんはこの石をパン種にいれて焼こうと思いました。そしてきっとまたあの子に食べてもらおうと思いました。



 やわらかな鉱物3

 命は、星くずの原子と原子がぶつかっていった果ての、エネルギー体。
 石は、星の中で元素と元素が熱くなって変化して、冷え固まった物。
 ジョバンニはそこまで読んで、本から顔を上げた。この自分の体も、草の茂った川べりの地面も、同じような元からできている。星が原料で、星に座っている。それは不思議な気分だった。
 川の向こう岸に、誰かが寝そべっている。自分と同じ年頃の、誰かだ。
「おおい……」
 ジョバンニは声をあげ、でももしその人じゃなかったらと思い直して、一番会いたいと思った人の名を、喉の奥に飲み込んだ。声は川の流れに消えてしまった。やわらかな髪の誰かは、動かない。
 彼は、ぼくよりもすぐれている。そうだ、元が同じなものだから、自分が人と違っているところを見つけるたび、変に悲しくなってしまうんだ。どのみち同じ元素なのに、だから、ああぼくは変だな。
 あの鉱物はあの対岸で、きっと星が出るのを待っている。今日は星祭の日だから、そうなんだ。星は明るく上ったら、川の波頭にも映るだろう。キラキラ砕けて散って、ずっと流れていくだろう。ぼくたちは走る。川の両岸を、おおいと呼び合いながら。



 やわらかな鉱物4

 年を取って、一番困るのは入れ歯だ。
 硬いものが咀嚼できない、美味い料理も味気ない、しゃべりづらく発音が不明瞭になる。
 どんなに金をかけて精巧に作っても、歯茎の老化に従って、すぐに合わなくなってくる。
 うちのじいちゃんもそうだった。町内会長として、以前は毎日ご近所を歩き回り、ゴミの不法投棄や無断駐車に睨みをきかせていたのに、すっかり元気をなくしてしまい、僕と顔を合わせるたびに、固いせんべいがバリバリ食いたいと悲しげに訴えた。

 そこで、僕の研究室では、新しい入れ歯を開発した。理想をいえば、入れ歯でなく歯茎から直接生えさせる偽歯が望ましいが、それはまだまだ遠い将来の話で、うちのはもっと簡便な方法だ。
 ずばり、可塑性のある入れ歯。歯茎の変化に合わせて形状も変わる。やわらかい合金技術の発達で、ようやく手に届くところまで来た。

 こうして苦心のすえ完成した入れ歯の臨床モニターを、早速じいちゃんにお願いした。

 違和感…(−)
 骨や歯茎への影響…(−)
 味覚への影響…(+)
 硬いものが楽しめるか…(+++++)

 それ以来、じいちゃんは町内の迷惑車両をバリバリ齧っている。



 やわらかな鉱物5

 遠くの波間に、何か黒いモノがにょっきり顔を出しているのが分かる。
「海坊主じゃねぇの?」
 本気で言う彼が信じられない。そんなことより早くパスタを食べろと言いたげだ。
「せんぼう……」
「眼差し」
 違う。
 私は潜望鏡と言いたかったのだし、いまは連想ゲームをしてるわけじゃない。
 ふと視線を落とすとパスタにのった温泉卵が目玉に見えた。
「石は何がいい?」
 突然彼が聞いてきた。
「見られたくないものがいい」
「じゃあ、モース硬度10でいいな」
「液化したのがいい」
 彼は金属音と共にフォークを止めたが顔は上げない。
「いいよ。探しに行こう」
 ずずっとすする音。
 そんな彼を、私はずっと見続けたい。



 やわらかな鉱物6

 カーボン製の電極で岩を軽く叩くと澄みきったいい音が返ってくる。これは期待できそうだ。
 ハンドドリルで岩の表面に小さなくぼみを掘り、そこからメジャーで測ったもう一箇所にも小さく一穿ち。プラスとマイナスの電極棒をそれぞれの穴にセットした私が一服しようとすると、その合図を待ってましたとばかり娘が走ってきた。
「じゅんび、おしまい?」
「ああ。あとは夜を待つだけだ」
 嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる娘を遠ざけ電極棒がつながった機械のスイッチを入れると、みぞおちが痒くなる音が静かに響く。呼吸が苦しくなるのは振動のせいなのか期待に打震えているせいなのかわからないまま、娘が痺れを切らす前に夜が来る。
「ね、ね、もういい?」
 私が頭を撫でると娘は弾けるように岩へと走って行き、その中央に顔をとぷんと埋めた。岩の表面はぬらぬらと揺れ、娘の頭を水面のように呑み込む。だがその直後、埋まっていた頭が岩の中からぷはっと飛び出した。
「すごぉい! おおきなとりさんがとんでるっ!」
 娘はそれだけ叫ぶと再び岩の中へと頭を潜らせる。この分じゃ私の番は当分まわって来ないな……逸る気持ちを抑えつつ煙草に火を点けた。



 やわらかな鉱物7

 カクテルの中には金色の魚が、一杯に一匹ずつ棲んでる。でもマティーニグラスでは窮屈で可哀想だからロングドリンクにしてあげてるの。飲んじゃうけどね。
 屈託なく彼女は笑う。ぞっとする。なのに私は彼女の手に手を伸ばし、そっと握る。美しいが、やさしさや慈しみとは無縁のもの。いや、やさしさや慈しみさえも、ただ美しいと思う心の、ある部分集合に思い違いでつけられた仮の名に過ぎないのではないか。美しいものは、それだけでまたとない奇蹟なのだ。
 夜は、目に見えないほどの緩慢な速さで、その密度を増して行く。彼女の指先のそのかたちを、その弾力を感じながら、ひんやりした闇がやさしさを装って覆い被さってくるのを全身で受け止める。眠りはしない。しっかりと目を開き、息が詰まらないよう、息をひそめて冷たい鉄の匂いを味わう。



 やわらかな鉱物8

絶望に囚われた己のよすがは、苔むした岩間から迸る一筋の清流。
藁のように頼り無く、蜘蛛の糸にも等しいせせらぎに、必死になって縋りつく。
たちどころに指の狭間から零れ出た水飛沫と、きらきら目映い金色の光。
両手で流水を掬い取れば、みるみるうちに溜まる透明な水と細やかな砂金。

「汝の願いを叶えてやろう」「では、己が触れるもの全てを黄金に変えたまえ」

偶さかの出来事によって与った神の恩寵に酔いしれたのは、ほんの束の間。
身を養う飲食物までもが黄金と成り果てた身を呪い、件の神に額づき慈悲を乞うた。
そうして辿り着いたのが、己が治める国の山間に流れるパクトロス川の源流の地。
ごつごつとした岩肌に倒れこみ、窶れた身を横たえて掌中にした水と黄金。
飢餓に苦しむ己が欲するのは言うまでもなく――犬のように舌を伸ばし、
口あたりの良い清水を美味そうに啜り上げ、躊躇いも無く黄金の澱を打ち捨てた。

(本当に求めるべきものを過つとは!リュディアの王たる者が、何と愚かな!)

川底に積もる己の欲垢――やわらかな砂金の山を蔑んだミダスは、深く深く自省した。



 やわらかな鉱物9

 気温の暑さに耐えかねた私は、思うように寝付けないことにイラつきをおぼえ、思わずタオルケットを蹴飛ばす。意をを決して上体を起こしてから、枕もとのたばこに手を伸ばしライターを手探る。火をつけるのが億劫になり、取り出した一本をそのままにして顔を洗いに洗面所へ向かう。
 いつの頃からか、やわらかい鉱物を水に溶かしながら顔を洗う習慣となった。始めた直後、眉毛が取れた顔面はすべすべになり、しばらくして毛穴がふさがり汗もかかなくなった。数週間経って、自分の体に何かがぶつかっても痛みを感じなくなって、爪も鉄のように鈍色になった。数ヶ月後、涙腺もふさがり悲しくても泣けなくなったが、鉱物を目にするたびに喜びを感じるようになった私は、やわらかい鉱物のみを摂取し、排泄は皆無だ。
 硬くなっていく思考と身体がきしむのを感じた私は金属の快感、いや、この金属中毒から抜け出すために覚悟を決めたのである。
 とにかく温度に敏感に反応する身体には、疲労がつきまとい生きた心地がない。取りすぎた鉱物のせいで熱伝導率が上がり、蚊も寄りつかなくなった。
 やがて空が白みはじめる。湖水に沈む私の身体と記憶は、蒸気を出しながらゆっくりと溶け出していった。



 やわらかな鉱物10

「このような鉱物の存在が予測される」
 彼の最後の論文はそう結ばれている。最後の論文だが、彼は亡くなったわけではない。まだ若い彼はその論文を最後に、研究を離れたのだ。
 付き合っていた恋人の家に入る形で結婚し、現在は妻の実家である洋菓子メーカーで次期経営者候補として仕事をしている。彼の仕事は早く的確だと、義理の両親を含め周りの人は皆、口をそろえる。娘にも恵まれ、端から見れば順風満帆といえる。
 彼は頑固だ。自分が正しいと信じることを、滅多なことでは曲げない。その彼が研究を離れたのは「自身は研究者に向いていない」ということを彼が正しいと信じたからだ。堅い意思は曲がらないが、割れる。
 娘の二歳の誕生日。新しい鉱物が発見されたらしいと昔の仲間から連絡をもらう。仕事の合間に学術誌のサイトから該当論文をダウンロードして読んだ。
 夕食では娘の誕生日を祝い、自社のホールケーキが切り分けられた。彼はフォークで中のクリームをぐちゃぐちゃにし、黄桃を取り出す。食べる。甘い。
「おぎょうぎわるーい」
 娘にいわれて「そうだね」と返した彼の瞳は、少し、哀しい色に曇っている。後悔ではなく、罪悪感によって。



 やわらかな鉱物11

キンコン、カンコン。
先生が、横50センチほどの青のコンテナを抱えてドアから入って来た。
「日直、前に来てくれ。この中の鉱石を配ってくれ」
 コンテナの中を覗くと、校庭に落ちているような石がたくさん入っている。どれも同じ形、同じ色をしている。あれ、全部、同じに見えるなと思いながら鉱石に触ると、ゼリーのように軟らかく、僕は思わず手を引っ込めた。
「先生、これ」
「やわらかいだろう」
 先生は、ニタッと笑った。
 配り終わると、先生が説明を始めた。
「はいはい、静かに。今日は鉱石を目で見て、何の鉱石かを解答用紙に書くテストだ。やり方は、指でどこでもいいから押す。そうすると変化が始まる。10秒で次の変化が始まるから、それまでに答えを書くように。それでは、始め」
 テストも終わり、僕は先生の手伝いで理科室に付いて行った。
「先生、これは何ですか?」
「そうだな。これは物事を面白く覚えて貰おうと開発された、色々な鉱石に変化する物だ。石は硬いと思い込んでいるだろ。思い込みで何でも決めてしまうのはダメだぞ、この物のようにな」
 先生はその物を手の平に乗せ、太陽の光を当てた。そうすると、変化しながらキラキラと輝き始めた。



 やわらかな鉱物12

妻を埋めるのは気が進まなかったが本人が望むのだから仕方がない。
買ったばかりの家の庭をひたすら掘る。
「ごめんね〜。私モゲラならよかったのに。」
「…それモグラだから。」
「そうそれ!」
”結晶化”が始まったと彼女から手引書(翻訳済)とキカイ(該当単語無)を渡されたのは一週間前。真っ先に近所への根回しは済ませた。
丁度いいサイズになったことをキカイが告げると妻は穴に横たわった。そっと土をかける。
「もっとケーキおいしくやっちゃって!」
「は?…何?…もしかして景気良く?」
「そうそれそれ!」
「…えっ…とその、こういうのってお義母さんとか君の家族は来ないの?」
「え?どうして?何しに来るの?こんな一年もかかる辺境に。」
(辺境なのは君の星の方だろう?)
顔の部分だけ残した辺りで中断して暫く話をした。
久しぶりのまとまった会話なのに段々途切れがちになってやがて彼女は黙り込む。
完全に埋める様にキカイが告げたのでその前に頬に触れた。
柔らかい、とても。何となく輪郭が硝子質になった様なのは気のせいか…。
これから暫くはキカイと一緒に暮らすことになる。
「明日は筋肉痛かな?」彼女達が戻る迄の同居人(?)にそう言ってみた。



 やわらかな鉱物13

 彼はそれを、地面に叩きつけた。ありったけの力を込めて、何度も何度も踏みつけた。ハンマーを持ち出し、おもいきり振りおろした。ハサミやナイフを持ち出し、容赦なく突きたてた。
 それは割れなかった。割れることも、千切れることも、穴があくこともなかった。ただぐにゃりと伸びたり曲がったりを、繰り返すばかりだった。
 彼は諦めずに、今度は車で轢いてみたり、ビルの屋上から落としてみたりと、手をかえ品をかえ、これでもかこれでもかと挑み続けた。それでも傷ひとつ付くこともなく、ただただぐにゃりと伸び、曲がり、そしてうすくひらべったくなっていった。どれほど力を込めようと、その手がどれほど硬かろうと鋭かろうと、それはひたすらにうすく、うすく広がっていくのみだった。
 どこまでも、どこまでもうすく、うすく、うすーく、うすーーく、うすーーーく、うすーーーーく、うすーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく広がっていき、ついに、地表すべてを覆いつくしてしまった。

「これでピザ焼いたら何人分になるだろうね」
「食べられないってば」



 やわらかな鉱物14

「ねえ剛、最後に見せたいものって何?」
 晶子を喫茶店に呼び出した剛は、テーブルの上に置いた右手をゆっくりと開く。掌の中から現れたのは一粒の結晶だった。
「へえ、綺麗ね。それって水晶?」
「トパーズだよ」
「トパーズ? だってそれ透明じゃない?」
「本来、トパーズって透明なんだ。嘘だと思ったら、その水晶のペンダントで擦ってみるといい。やらわかい水晶の方に傷がつく」
「嫌よ。このペンダントは母の形見なんだから。ていうか、それってこの間の仕返し?」

『あなたと居ると私の心が傷つくの。だから距離を置きましょ』
 剛は、晶子の言葉を思い出していた。

「君の言葉で目が覚めた。すべては僕の強がりだったんだ。本来の自分をさらけ出すと僕の方が傷つきそうで、それが恐かった」
 剛はコーヒーを一口含むと、ゴクリと飲み込んだ。
「君を失いたくない。だから、このトパーズのような強がりを捨てる。君となら傷ついても構わない」
 射抜くような視線に根負けした晶子は、剛に右手を差し出す。
「じゃあ、それ貸して。あなたの言葉が本当か試してみるから」
 そして晶子はペンダントに語りかけた。
「いいよね、お母さん?」
 キラリと光る結晶面は、微笑んでいるように見えた。



 やわらかな鉱物15

 石を飼っている。それは腹のなかで生まれる小さな小さな塊。幼少時から大事に大事に育て、成人したころには膨らんでいる。街のなかは大きな腹をした人たちが溢れている。
 石は重い。時に痛みをもたらす。ごろごろする腹をさすりながら、大丈夫、大丈夫だよと呟く。街の人たちはみな横向きに寝る。
 石を落とす時期は定まっていない。重すぎる腹が身体に異常をもたらすのを防ぐために、若い折に開腹して取り出す人もいれば、死ぬ間際になってから石を落とし、やっと役目が終わったと笑って往生する人もいる。わたしは前者だった。
 汗を流しながら落とした石は、高熱で煮立つどろりとした液状のものだった。あなたのこれはね、と医師は言った。長い長い時間をかけて少しずつ冷たくなって、この星の核になるのですよ。
 その頃にはもうわたしはこの世にいない。この街が在るかどうかも定かではない。
 家に帰る途中、わたしは平らになった腹をさすりながら、そっと地面に口づけた。それは遠い昔に誰かの腹が産み落としたもの。



 やわらかな鉱物16

 ちーちゃんは混乱していました。頭の中がぐわんぐわんします。
 長瀞渓谷が自然公園で天然記念物だと、チーちゃんは知りません。ただ、崖に爪跡が残ってしまったので、勝手に視界がボヤけて、勝手にしゃくりあげて、息をするのが苦しくなります。
 ぼんやり爪の隙間に挟まった白いなにかを見たら、その向こうに妹のあーちゃんがいました。
「あーちゃん、めっ!」
 突然の大声に驚いて、ゆっくり泣きそうな顔であーちゃんは振り向きました。
 見る見るあーちゃんは、複雑な表情になります。
「ちーちゃん泣いてるの? あーちゃんのせい?」
 言われて、ちーちゃんは自分が泣いていることを知りました。そして、我慢できず、ちーちゃんは声を出して泣きました。あーちゃんも一緒に泣きました。わんわん長瀞渓谷に泣き声が響きます。本当に響きます。
 二人揃って泣き疲れて、どうやって謝ろうかと考えた二人は、刻んだ線をつなぎました。「ゴメンナサイ」と。



 やわらかな鉱物17

とうとう来たかと覚悟して深夜の電話に出た。果たして夫の会社から。
「主任は落盤の前兆にいち早く気付き、作業員を退避させて対処にあたられました。主任おひとりが坑道に取り残され、現在救出に全力を尽くしております。」
現地行きの手配を頼んだ。荷造りは疾うにできている。
ビデオチャットした五日前、後ろめたいような申し訳ないようなそれでいて心ここにあらず、結婚前「今度の土日は会えないんだ。」と言う時に夫が見せた表情だった。

夫は父親の転勤で地方都市を転々として育った。母親はいないので、休みの日は父親の職場近くのデパートやビルで勝手に遊んでいたそうだ。
ある日壁の中に光る石を見つけた。
「指がすっと入って指を抜くと平らに戻った。滑らかでまったく抵抗無かった。金属だと思うんだけどそんなの無いし。もう一度見たいんだ。」
「誘ってもつまらないだろうと思って。」デートを断って探していた。
ついて行ってみると子供目線で石を探す旅は面白く、二人で周るようになった。

「君と会えてラッキーだった。」なんて怪しすぎる。たぶん夫は試掘を進める中何かを見つけ、仕事でも私でもなくそいつを取った。それは何?今から地球の裏まで聞きに行く。



 やわらかな鉱物18

「そういう事情があってね」
 カクカクシカジカの末尾に溜め息を添え麗しの彼にそんな説明をされたらその体に触れたくっても触れちゃあダメってことになってしまうから、わたしにとってそんな仕打ち正味なところ苦行に近い。
 さわりたいさわりたい。
 さわりたいけれど、たとえばこの親指と人指し指の腹でその左耳を撫でようものなら、いかにもカタブツな彼のアイデンティティは崩壊しその体はもはや彼ではなくなってしまうんかもしれないんだって云う。
 うーん、それはそれで、きもちいい、気配。要は自信がないってことかしら。
 彼の云うことはいつだって、わたしにはさっぱり分からない。それでも惹かれる摩訶不思議。きれいは汚い、みたいなミステリアス。ものの喩えじゃなく、本当に彼は人ではないのかも。触れたら、ひんやりと優しくて、それだけじゃない何かがあるんだろう。
 だから触れたいけど、まだ触れず、想像するだけでいる。



 やわらかな鉱物19

 その隕石の変わっていたのは何と言っても、落ちた瞬間にポヨヨンと跳ね返ったことだった。研究所の人たちはこれを鉄の箱に入れたけれど、箱は一瞬でポヨヨンになった。そこでもっと頑丈な箱に入れたけれど、翌朝には研究所の中の金属とか鉱物はみんなポヨヨンになっていた。
 各国政府は警戒した。民家がポヨヨンになったって仕方ないが、ライフラインを守れ、兵器廠を守れ。……甲斐なく、兵士がポヨヨンな銃を撃てば発射されるのはポヨヨンな弾丸で、人は死なない。

 でも人類は負けない、強い、しなやかだ。
 世界初のポヨヨン製コンピュータを作った発明家はポヨヨンな豪邸で快適に暮らしているし、ポヨヨンに毒ガスを封じ込めた爆弾で大儲けした死の商人は、紙幣(鉱物インク不使用)を数えている。