500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第133回:設計事務所


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 設計事務所1

 窓を開けていた。涼しい秋の風。
 町の住宅地。戸建住宅に住む彼女は二階の自室から一階のキッチンに行った。お茶を淹れる。
 お茶を盆に乗せて二階に戻ると紙ひこうきが床に落ちていた。窓から入ってきた物らしい。
 ひこうきを手に取った。広げる。

 玄関のチャイムが鳴った。
 彼女はひこうきを手に取ったままインターフォンに出る。
 受話器の向こうの声は女だった。こう言った。
「紙ひこうき」
「ああ、ひこうき」
 彼女はすぐに了解した。ひこうきの裏には、几帳面な細線が鉛筆で引かれていたのだ。おそらく何かの図面。
 設計事務所の女だと名乗った声は、受話器の向こうで、こう続けた。
 私、設計図を、このまま進めていいのか迷うと、紙ひこうきにして、飛ばしてみるんです。
 そして設計事務所の女は、作業の方向性の是非を、飛行経路で占うのだと言った。

 彼女は答えた。
「そうですか」
 それじゃあ返しますね。そう言って彼女は受話器を置いた。そして紙ひこうきを窓から投げ放ち、お茶を飲んだ。
 それから今起きた奇妙な出来事をソーシャルネットワークにポストした。
 そして数分後、彼女のアカウントは自称設計事務所の女に特定され、興信所に報告された。



 設計事務所2

うだるような暑い昼、事務所に一機のロボットが訪ねてきた。聞けば、恋愛感情を設計して欲しいと言う。費用は可愛がってくれている老婆が出してくれるらしい。
 依頼は私を混乱させた。ユングの深層心理学を含め自己投影のシステム、嫉妬や憎悪の感情が必要になる。仮にこれらのプログラムの制御が効かずに暴走した場合、その修正機能をどう設計すればいいのか。
 室内のくたびれたエアコンがうなりだす・・・。
 「請け負うとたら、君はどちらの性別を希望するのかな?」
 「トーゼンジョセイデス。ゴゾンジデショウ?」
 その意味を理解できないまま会話が進む。
 「ケショウガシタイシ、ダンセイハ、ジョセイガヒツヨウデショウ?」
 「オトコではダメなの?」
 少しの間があってからロボットは答えた。
 「キレイ? ウーン、ウツクシクナイカナ?・・・」
 しばらく不毛なやり取りが続き、私はまず外観から設計しようと決めた。すべての人が理想とする女性像を描いてみる。引っ張り出したクラウドからのデータを好きなように加工して3Dプリンターに送った。かつてない期待と興奮に、不眠不休の設計は続いているが、完成間近のこの興奮は私だけのモノ。



 設計事務所3

「艦長、船首に異常を検知しました!」
「どうした? 何があった?」
「さ、酸です! どうやらここは酸の海です!」
 俺達の乗る巡視船は数々の修羅場をくぐり抜けて来た。そしてまた新たな試練が。
「この航海の目的は一体何なんですかっ!?」
 苛立つ乗組員を納得させるのは大変だ。ここは本当の事を告げるべきだろう。
「船底にある秘密の事務所の扉を開けさせるためと聞いている」
 ざわつき出す乗組員達。逆効果だっただろうか?
「俺も噂を耳にしたことがある」
「なんでも進水式以降は決して開かぬらしい」
「いや、ある国では海賊船を横付けにして四つの贈り物をしたら開いたそうだ」
「扉が開くと、全員緑色の制服を着なければならないって話じゃないか」
「蛍光色の制服なんて嫌だ」
「でも扉が開くと、どんな船にでも変形できるんだろ?」
「俺はイージス艦がいいな」
「やっぱ原子力潜水艦だろ?」
「島風……」
 苦難を乗り越えると万能船になって変形することができる。その可能性を確認することで、俺達は再び団結を手に入れた。
「艦長! 今度は岩礁です!」
 見ると進む先はもの凄く狭い海峡のようだ。
「さあ、チームワークで乗り切るぞ!」
「アイアイサー!!」
 終着港はまだまだ遠い。



 設計事務所4

 お化け屋敷の設計を頼んだ事務所へ打ち合わせに出掛けた。
 お盆休みで空いていると思ったのに、無人どころか大勢のコスプレイヤーでごったがえしていた。江戸風の半纏ねじり鉢巻の男が用水路の取水口の話をしているかと思えば、トーガを着た男が水道橋の図を指してラテン語らしき言葉で説明している。その向うではシルクロードの何処かにあったような石像のレプリカを掘っているやつがいる。
 一体私は人の熱気が大の苦手だ。どうにか立ちくらみをこらえて回りを見ると、もう誰もいない。あ、なんだ幻覚だったのか……。
 応接椅子に腰を下ろすと、今度はヒソヒソ話が聞こえて来た。内容は、GPS衛星の乗っ取り方法や、原発のコントロール室の占拠計画、蜂の視信号を送信して盗撮する方法など。
 背筋が冷たくなったところへ所長がやって来た。見聞きしたことを話すと
「いや、生前やり残した設計を続ける為に、連中は毎年この時期になると現れるんだよ、ははは」

 こうして完成したお化け屋敷は、なかなか恐いと人気になっている。お化け役に雇うバイトの人数が少なくてすむのも利点だ。ときどき、黒ずくめの外国人や覆面のゲリラたちが、極秘の相談に訪れている。



 設計事務所5

「――馬車馬のように働くだけの人生なんて、ツマラヘン!そう思わはったこと一度はおまっしゃろ?けど、かみさんと髪と仕事は、のうなってみてその大事さがよう分かる。さあ兄さん、顔を上げなはれ」
会社をリストラされてハローワークに出向いた求職面談の席で、お先真っ暗な僕を照らし出すかのように、陽気な禿頭の初老男性職員に励まされる。
「ようこそ、じんせい設計事務所へ。それではご相談に乗りまひょ」

のっけから虚を突かれた僕の表情に躊躇する事なく、男性は滔々と語りだす。
「手前どもの仕事の紹介には言いえて妙だと、私ゃ気に入ってるんですよ。ご相談者はんの思惑とは、ちいっとばかし違うてしもた人生設計のお手伝いさせてもろて、新たな職場ちゅう船を斡旋して人世の荒波に送り出す。でないと『hallo work』ゆう看板に偽りありや言われて、わてもお飯の食い上げになりまっさかいにな」

立て板に水の弁舌でにっかり笑う彼につられて、僕も思わず笑みを返す。
「人生いろいろ十人十色――今度はお気張りなはれや」
ほっこりした陽だまりのような彼の言葉に、冷たい世間の風に凍えた心がじんわりと温もった。



 設計事務所6

予定よりも早すぎる来訪で準備が整わなかった彼女は率直に切り出した。
「設計図は完成しました。しかし材料がありません。ご存知とは思いますが。」
「はい。実は伺う前に算所へ参りました。」
「センターへ?直接のルートをお持ちでしたか。」
「はい。先代で許されました。」
「計算結果は出ていましたか?」
「はい。お告げがありました。それで矢も楯もたまらず。」
「どうでしたか?通知は未だなのです。」
「はい。少なくとも5周期で出現すると。」
「5周期で生成可能…でも…。」
「はい。当代には叶いません。しかし次代は帰れるでしょう。」
「…よろしいのですか?それでも」
「はい。ありがとうございます、先生。ああ…。」
「え…?ちょっ…!」
彼らにしては珍しく露わにした感情を、依頼者は抑え切れずに噴出させたので所内は見る間に没してしまった。
「終わったぁ…。」彼女はディスプレイにほぼ、へばりついて呟いた。
何とか”感情溜り”から抜け出し、謝罪し続ける依頼者には一旦お引取り願って後はネットで対応した。
危ないところだったけど正直羨ましい、そんなに迄帰りたい場所がまだ存在しているなんて。
そう思いながら眺める窓の外は青い夕焼けに染まっていた。



 設計事務所7

 私が勤めている小家設計事務所は、模型の記憶の家を作製している。大きさは約50センチ四方で二つ作製し、一つの家にはお客様の記憶を詰めた家具が配置される。その家具を触る事で、目の前に映像が浮かび記憶が流れる。出来上がった時、お客様の笑顔がいつも見られる事務所だ。もう一つは家具を配置しただけの家で、社長がどこかに持って行く。
 何年かすると社長の所に以前、家を作製した家族が何かを持って訪ねて来ている。私は気になり、社長にその事を訊いてみた。
「うーん、言いたくないな。人の口に戸は立てられないだろ」
 その時は、とうとう教えて貰えなかった。
 何日か経ち、社長の車で資材倉庫に行った。私は知らなかったが倉庫には地下があり、今まで作製した模型の家が並んでいる。公園やスーパーもあり、ミニチュアの町並みが広がっていた。
「おまえが作った家の中を覗いてみろよ」
 私はそっと窓から覗いてみた。そこには、亡くなったお客様がソファーに座ってテレビを見ていた。
「社長、これは・・・・・・」
「見ての通りさ。亡くなった後も、自分の家に居たいと言う執念のあらわれだ。成仏するまで、ここにいる。家型の墓にもなるのさ」



 設計事務所8

中国で大きな地震があったらしい。あちらの工場の打撃がたたって、ここのノルマが厳しさを増してる。
 メキシコのアグアスカリエンテスは自動車工業の一大拠点として日本人技術者が歓迎されており、俺も京都南工業団地の金型設計屋から流れてきたくちだ。
技術主任のマリオに今月の休みは大丈夫か?とたどたどしいスペイン語で訊いてみる。
「日本人は仕事が人生デショウ?休み、仕事でも問題ないデショウ」
マリオはメキシコ人らしくなく、くそまじめで勤勉なやつだよ。
それじゃあ日本の酷い労働環境から逃げてきた甲斐がないなと溜息をつく。
いまどきは全部パソコンのモニターで図面を引くから、過労はいつでも目に来るのがつらい。
設計事務室の屋根裏は荷物置き場になっている。俺は隠れてタバコを吸うため梯子をのぼる。明り取りの小窓から眼下の川を見下ろす。清流に見えるけれど実際は有害な産廃物がだくだく注ぎ込まれている。桂川の、ドス黄褐色に濁った支流に逞しく背を見せ遊弋していたニゴイの群れを思い出す。
 足に絡んだ蜘蛛の巣を振りほどいて座る場所を確保しようとしたら、でかい工程表示板がはずみで倒れた。その裏にドラフターが真横にしてダンボールの間に突っ込まれていた。停電対策に、マリオが捨てずに残していたんだろう。懐かしさがこみ上げる。この前時代の製図机で仕事をしていた若い頃を反射的に回想する。
 背後で小さく魚の跳ねる音が聞こえた。



 設計事務所9

 せっせせっせと働いているのは、小さな黒い生き物たち。房室のなかをびっしりと縦横無尽に行き交うその小さな粒は、多すぎて数えられない。七色に燦めく糸を細かく交わらせ、融通無碍に雄大な絵を描いていく。ひとときもじっとしていない黒い生き物たちは、一寸ごとに新しい絵を織り上げていく。房室のなかは小さな黒い生き物たちでひしめいており、誰もその絵を見ることはできない。
 茎の反対側では花が開いている。ずっしりした花弁を優雅に広げ、艶やかな花粉を撒き散らしてはその花弁を落としていく。花が開き、散る。散ったその根元が、膨らむ。
 膨らみの中心に鼓動がある。とくんとくんと拍を打ちながら、ねっとりとした液を押し流していく。粘液は拡散しながら、少しずつ一定の形を保ち始める。それには頭があり、呼吸器があり、排泄器がある。頭には眼があり、薄い膜で覆われている。ぬらり、と動く。生まれ出ずるまでにはもう少し時間がかかる。鼓動が繰り返される。
 房室では仕事を終えた黒い生き物たちが次つぎと息絶えていく。織り上げられた麗々しい絵は、命と引き換えに役目を終えて散る。



 設計事務所10

 事務員の採用試験にのぞんだ私を、ひとりの面接官が出迎えた。男はさっそく質問する。
「崩しても崩してもなくならないものは?」
「お金」
 即答したものの、なぞなぞの答えは私が知っているのと違っていた。
「はずれ。正解は“言葉”だよ」
 それっきり、男は黙ってしまう。どうも様子がおかしい。そもそも設計事務所だと聞いてきたのに、部屋のなかには図面もなければ模型もない。
 私はからかわれているのだろうか。
 相手がなにも言ってこないので、こんどは私から質問する。
「この事務所、建築とは関係ないみたいですけど。なにを設計してるんですか?」
「あなた自身」
 やっぱり、からかわれているんだ。
「私はすでにできています」
 そう言って立ち上がったとたん、私の髪は渡歯になり私の右腕は萵咤脂になり私の乳房は環多指になり私の膝蓋骨は綿死になっていた。私の頭部には何本もの歯が行き来しており、右腕には脂まみれのレタスが舌打ちし、乳房には無数の指が祈るように組まれていて、膝蓋には腐ったにおいのする綿が詰まっている。
「どうなってるんですか!? 私が、崩れていく……」
「はずれ。設計してるんだよ」
 男は笑っていた。汚床は、音粉は、終盗娘は、劣仔は…………。



 設計事務所11

 性別・ご職業を。
『男性・建築士です。いずれ父親の事務所を任されます』
 学生時代は?
『T工業大学の建築学部、サッカー部のキャ プテンです』
  休日の過ごし方は?
『よく家族のために得意の料理を。時々は 友人と集まり、音楽・フットサルやバーベ キューをします』
  ご容貌は?
『長身は父親譲り、顔は俳優のAがみたいだといいかし ら?』
  かしこまりました。物理学・数的処理能力 ・美的感覚と運動神経に秀で、経営能力・ 人望とリーダーシップを備えた、五体満足で肉体・精神の先天的・遺伝的疾患がないお子さまですね。お顔立ちは、遺伝子操作より前時代的とお思いかもしれませんが、15歳前後に外科的処置をなさるこ とをご費用・安全面でお勧めします。
 『欲張りすぎかしら』
  とんでもない。優秀な旦那様の保管精子Y19M5-45732・お美しい奥様の保管卵子Y16M5の受精卵と、当事務所の最先端プランなら可能です。人工子宮からのお取出し後、 ご覧の【任せて納得・ダヴィンチ養成・乳 幼児36ヶ月コース】のご利用を。ご契約日から3年11ヶ月後には、きっと大満足頂けるお子さまを納品いたします。安心の納品後2年間保証です。規約にお目通しのうえ 、サマー割引最終日の本日、ぜひご契約を 。ご署名・ご捺印はこちらへ。
『たのしみだわ』
 ありがとうございます。設計図・計画表原本と、提携医療・教育機関へむけた指示書 控えをお渡しします。同内容を只今、各方 面へオンライン送信します。こちらは各機関の費用概算です。
『どうもありがとう』
 設計費用のお支払は、お帰りの際に受付でお願いいたします。



 設計事務所12

 かちかちっぽいよね。と口にした矢先に、なんだったらカチカチ山かもしれない、とも言う。
 たぬき?
 と尋ねたらその可能性もあるとかないとか、聞けば聞くほど定まらなくって一体何がかちかちなものか、雰囲気そんな感じがするということらしく、
 つまりは口から出まかせだよね→ ああそうだよ。
 しばいたろか、と思うのも暑苦しくて、それよりは喫茶店で茶ぁをしばいて涼をとりたいが我々にそんな贅沢をする小遣いはない。
 ラムネ瓶ももはや空っぽ。
 すぐさま汗になって流れてんじゃなかろうか。
 太陽がじわじわ攻めてくるような気候と蝉の声にじりじりじりじり取り囲まれながら、噂の絶えない廃ビルの看板、掠れた五文字を見上げているというか自然そういう姿勢になってしまうというか。
 で結局なんなんだよ→ 誰かが人造人間みたって→ たぬきは?→ 人造、たぬき……→ ていうか、工場とか研究所とかじゃあないんだよな→ にしちゃデカいね→ あー。人造人間、宿題やってくんないかなー→ 夏休みはね、休めばいいんです→ ……→
「暑ィなあ」斉唱。
 その間にも、汗が垂れる垂れる。
 絶対にラムネ飲んだ分より出てるぞこれ。
 正体不明の廃屋が背中を丸めた僕らの前で、陽炎歪む。



 設計事務所13

 曇ってひび割れた鏡の中に映っているのは、逆回りの時計に左右の文字が裏返ったカレンダー、でんぐり返ったような社是の書かれた額に狂った納期の記された予定表。くの字に曲がった器具の付く机に座すはほこりのみ。傾いてはいるがどっしりして揺るがない。
 足跡が残る床。落ちている青写真には縦書きで「未来」の文字。
 描かれているのは戦艦か宇宙船か空中庭園かは分からない。
 足跡の向いている鏡の中、時計だけは動き続けている。
 もちろんこちらに誰もいない。



 設計事務所14

「独立おめでとう!」
「ありがとう!」
「でもなんで階段専門?商売成り立つの?」
「昔はさ、立地、予算、法令による制限、構造上の制限といった条件をいかにクリアしてお客さんの要望を適える建物を造るかが事務所の力量だったけど、今は条件入力すれば自由にいじれる範囲がポンと示されるわけよ。差別化が難しくて。その点、階段は体に直に語りかけるから売り込みやすい。そこのモデル階段試してみてよ。」
 トントントン
「なんか普通の階段だけど。」
「その隣りも。」
 とん とん とん とん 「あ、違うね。」
 ダダダダダダン トットトトントットトトン 「楽しい!」
「ね、上り心地、下り心地、自分に合った階段、欲しくなるでしょ。でも、うちのイチオシはこの猫階段。」
「猫階段?」
「ミーちゃんによるデモをご覧ください。」
 にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ
(とっとっとっとっとっとっとっとっ)
「つい声が出ちゃう階段。空気袋としてのお宅の猫ちゃんが伸び縮みするのに最適な段差を実現します。」
「お前、コピーの才能は無いな。」



 設計事務所15

渡す限りの地平線。
そこにぽつりと存在する小さな空間。
そこは彼の「世界」だった。彼しか存在しなかった。
小さな世界で、たったひとり、考えていた。

まずは人間だ。人間をつくるのだ。
その次は大きな木をつくろう。その木にとまりさえずる小鳥や、野を駆ける動物も。
長く長く続く道をつくり、そこに車を走らせよう。
それから大きなビルを建て、大空にはジェット機が力強く飛ぶ。
そこはたくさんのものに溢れ、人は人を愛し、ときに憎むようになるだろう。戦争が起こったっていい。大勢の人が死に、勝者は束の間の喜びを得るだろう。そうしてやっと争いなど、無意味で、何も生むことはないことに気付くだろう。それでいい。それでいいのだ。
 
小さな世界で、たったひとり、考えていた。依頼者はまだ来ない。



 設計事務所16

「お客さんから仕様変更を頼まれたんですけど」
 戻って来た営業の新人がそのまま俺のデスクにやって来た。言いにくそうにしている様子でなんとなく分かる。厄介な依頼なんだろう。
「名前考えてたら性別変えたくなったそうで」
 それだけならよくある話だ。ファイルに手を伸ばしながら聞く。
「誰さん?」
「田端さんです」
「は? もう制作入ってるだろ」
「変更できないって言ったんですが、お金かかってもいいし納期が延びても構わないっておっしゃるので……」
「そういう問題じゃねぇよ」
 俺は頭を抱える。そういうのは持ち帰らずにその場で断って欲しい。
「制作入ったのはいつ?」
 見兼ねたのか、主任が聞いた。
「確か、昨日です」
「今ならまだ、双子にできるんじゃないか?」
「あー、そうですね」
 ただ時間がない。
「いいか、まず変更は断れ。どうしてもって言うなら、双子を提案しろ。一時間以内に決めてもらって来い」
「はいっ!」
 新人君は威勢よく飛び出して行った。
「大丈夫かねぇ」
 主任が苦笑いする。
「決まるまで三時間はかかるんじゃないですかね」
 俺は大きく伸びをする。今日も残業になりそうだ。



 設計事務所17

 騒音に悩むヤドカリは、腕利きと評判のカタツムリのところへ電話をいれた。
『しばらくお待ちください』




















 引っ越した方がはやそうだ。



 設計事務所18

「聞いてます?」
 七三分けの紳士が私の目を覗き込む。
「は、はい」
 えーと、ハンカチは赤で、朝の通勤で左から二番目の改札を通ることと、頭文字がSの店で珈琲を買うってところまでは覚えている。でもそこで通勤路でSなんてあったかななんて考えちゃって。
「もう一度説明しますよ。正午以降は幅2センチ以上の漫画雑誌をカバンに入れておくというところまでは大丈夫ですか?」
 幅2センチって単行本じゃダメだよね……ってそれ聞いてなかった。
「あの、本当にそれで」
「はい。開運には必要なんです。例えば人間の脳は記憶を行うと神経細胞感に電気が流れます。その電気が頻繁に流れるところは電気が流れやすくなって記憶が強くなる。運もこれと同じである種の行動を繰り返し行うことで呼び込みやすくなるんです。そしてあなたに必要な行動はこちらです。まずは一週間繰り返してくださいね」
 目の前に置かれた処方箋に目を通す。
「あの、午後三時から四時までノーパンってのもですか」
 紳士は力強く肯いた。時空運設計って名前の割には……まあ、先週行った言霊運設計よりかはマシだけど。一週間濁音禁止に比べたらノーパンくらい。



 設計事務所19

 駅前商店街徒歩5分の雑居ビル、4階の表札は「ヴォルケイノ設計事務所」。そのまんまのネーミングセンスが残念だが、学校に寄贈するなら、地質や気候を熟知している地元の業者に任せるのが一番安全には違いないのだ。鉄扉の脇の内線電話をとり、「新田小学校PTAの佐々木です」と告げると、中のテーブルで待つように言われた。
 入って正面には、マグマが流れているハワイスタイル火山の模型が置かれていた。この設計事務所が、地元の公園に設置した火山の模型である。自分も下見に行ったが、熔岩の温度もほどよく制御されており、地震も子供が怖がらない程度に調整されていた。デザインは少々月並みだが。
 プラスチックカップで出された冷茶を飲みつつ、所内を見渡す。熔岩を扱うノウハウを生かして温泉も作っているらしい。こっちでもよかったかな、と思ったが、もう「校庭に火山を寄贈する」方向で話も交渉もできているので変更は面倒だ。
 机に敷かれた透明マットには、火山発注の基本の流れを書いたチラシが挟んである。噴火の方式にはいくつかあるようなので、話をして決めよう。
 やがて、背広よりも作業服の方が似合いそうな五十年輩の所長が出て来た。



 設計事務所20

 たとえば「夜がおもむくままに」とか「火星保険」とか。「夏の右足」や「ひらひらとワンプレート」みたいに、「の」や「と」で繋ぐなら、踏み切って飛び出すために、単語間の距離が必要ですね。
 professionalを名乗るからには、注文を聞いた上で、一歩踏み込んだところにあるinspirationを刺激する提案ができなければならないと、わたしたちは考えています。
 Webを検索してhitする唯一のphraseに、構造化され、心擽るplotを添える。普遍的で辞書的なtermをtitleに、acrobaticな意味を付与するplotを展開する。
 by nameでお受けすることもありますけど、staffそれぞれ書き味に違いがありますからね。もちろん、文体模写をさせることは可能ですが、弊社をご用命ということは、one more thingをお求めでしょうし、社名に「DESIGN Office inc.」を掲げている以上、組織だから出せる緻密さに価値があると考えております。
 それなりのお値段をご呈示させていただきます。が、お取引させていただいた作家や脚本家、作詞家・漫画家の方々が料理された作品は、それはもう、惚れ惚れとしますね。仕事冥利です。



 設計事務所21

 堅牢にして威風堂々たる合同庁舎の両翼の最上階、ならびにそれを結ぶ渡り廊下に絵画が持ち込まれ飾られた。最初は限られた数だけ、しかし年を経るにつれ徐々に拡大され、対岸の王宮との間を結ぶ新しい回廊までもが夥しい数の作品で埋めつくされることとなった。しかし古今東西の名画ならどれでもよいという訳ではなかった。庁舎の建築総監督でもあった初代館長は、一つの明確なヴィジョンを示していた——それは、人間中心主義であるルネッサンスを経てキリスト教的世界観に回帰した今、「神は人が造った」という明快な事実から後戻りはできないということ、なれば神を中心に据えた世界観を奪還することもまた人間自身の手による世界の再描画に他ならないこと、これであった。全ての絵画作品はこの考えに基づき、こうした経緯とその時点における最新の世界認識を正確に照射するよう慎重に選ばれつづけ、それぞれの時代を映す世界最高のコレクションとしてつねに成長してきた。今や美術館と呼ぶのが相応しいこの建築物に、今もってなお「事務所」(uffizi)の名が冠せられているのは、まさに今この瞬間もそれが世界の透視図を再描画しつづけているからに他ならない。