500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 円1

 何度目か小さく死んだあと、僕はまた小さく生まれ変わった。真っ黒の部屋の真ん中で横たわりながら、ぼうっとする頭が目覚めていくのをゆっくりと待つ。
 生まれたばかりの右手の先には、君の記憶がなかった。ついさっきまで繋いでいたはずの君の指の感触が欠片も、手の甲に刺さった長い爪の思い出が僅かにも、存在しなかった。
 四つん這いのまま、たったひとつしかない扉まで辿り着き、ノブを回してみるが、鍵がかかっていて開けることができない。仕方なく鍵穴から隣の部屋を覗く。
 そこは真っ白な部屋で、椅子に座った君が、僕の肩から先を持ってうっとりとしている姿が見える。かつての僕の右手が、君と手を繋いでいて、二の腕は頬擦りされてさえいた。君に抱かれている僕の右手がほんのり上気しているのが、なんだかとっても気に食わない。そう思っている僕の頬を今の右手が抓りあげた。



 円2

 マルつけをしていた。数え切れない小問に、数え切れない答案用紙を次々にめくりながら、もちろん不正解には斜線を、でも大半は正解なので数え切れない赤いマルを次々につけていた、そのときふと今つけたマルがまさに真円だったことに気づいた。もちろん見た目にはひしゃげた楕円の数ある中の一つにしか見えないのだけれど、マルをつけた手の感覚が《それは真円だ》と告げていた。
 真円はこの世界には概念としてしか存在しない。なぜなら、それを具現してくれるはずの円運動は、この物理的世界では常に何らか他の力の干渉を受けて歪んでしまうからだ。だから、全く干渉を受けなかったか、偶然のバランスにより干渉されないのと同等な力学的状態が生じたのだとすれば、それは奇蹟と言っていい。疲れ切って感覚の麻痺した私の手首が、その偶然を巧まずして感知したのだ。
 それにしても、真円というもののほんとうの姿が、こんなに地味でたわいもないものだったとは。私はたわいない冗談を言う神様のことを考えて、ちょっと好きになれそうだなと思い、そして仕事に戻った。



 円3

 彼は生放送のテレビカメラを前に「私の透視能力は万能ではない」と前置きして1枚の人物写真を見た後、ペンを取った。
 何を書くのだろう、と皆が注目するとひたすら「磐余まどか」と行方不明の少女の名前を書き綴っている。力強い書体や美しい筆致、そして判別できない文字など交えながら。
 やがて単調な作業が変わった。「ひっ」と見守る芸能人から短い悲鳴があがった。

 たすけて 助けて タスケテ 苦しい クルシイ くるしい……

 どのくらい同じ文字を書いただろう、彼はペンを手放し目頭を押さえうずくまってしまった。
 こぼれた涙が「クルシイ」の文字をにじませたとき、「少女はたくさんの友達をほしがっていました」と呟いた。
 そして言葉を続ける。
「少女はすでに水死しています」
「近くにはいわれもなき小さな祠があります」
「ため池が見えますが……上部に鉄条網のある金網に囲まれて誰も入れないようにしてあります」
 後に、少女は彼の言うような場所で遺体として発見された。侵入の痕跡が全くなく、神隠しだと騒がれた。

 知る者は少ないが、仕事を終えた彼はこうも言った。
「報酬は必ず円以外で。少女は友達をとてもたくさんほしがっているからね」



 円4

 それは水に浮くほど軽く、消費税のためだけに存在する。
 五枚集めて交換し、水を注ぐと、世の中を歪曲…いや正しく直して映す。
 十枚集めて交換すると、鳳凰のひと羽ばたきが、情報を瞬時に伝える。災害時は本当に助かった。今は町でもめったに使えないが。
 さらに集めれば、御重縁の願掛け秘宝だ。磁力が強い繋がりを与えていたものだった。
 しかし世界と円満に生きていくという決意はいつしか風化する。
 縁に穴が空いて磁力を失うと同時に、安っぽい百が生み出され、さらにその上は世界で一番コウカなコウカが幅を利かせる。
 合わせて666は悪魔の数字。
 なるほど、そのためか。いつしか我々は全方位をやめて、敵と味方を作るようになったのは。
 ヘイトが縁を覆っていく。そんな時代を生き延びていかねばならない子孫たちに、せめて円満な家庭を。



 円5

 足下に円を描く。ここは私の土地なので入って来たものは殺しても良い。だが円が小さいためか誰も入って来ない。円を広げてみる。
 他人の円に入りその所有者を殺す。ここはかつて自分の円だった場所だ。もともと私の所有地なのである。私の土地なのだから殺しても良い。
 円を隠す。どこから見ても円があるようには見えない。だが誰も入って来ない。仕方がないので円を広げる。
 他人の円に入りその所有者を殺す。過去に自分の円だった場所ではないが今は私の円が描かれているので何の問題もない。もう私の所有地なのである。私の土地なのだから殺しても良い。
 外に人がいるので話しかけてみる。話が合うから友だちになる。仲良くなったところで手を差し伸べる。友情の証として握手をするのだ。相手がそれに応えて入ってきたところで殺す。ここは私の土地なので入ってきたものは殺しても良い。



 円6

四角いメガネ、二本足をした円は、仲間を探す旅に出ました。
あるとき、門に会いました。門は「我輩は、確かに君と同じ二本足である。だが、この細くて知性的な目が君とは違うのである」と偉ぶって言いました。円はたじたじとその場を離れました。
あるとき、巴に会いました。巴は「アタシは、たしかにアナタと同じ四角いメガネ。でも、そんなガニマタの二本足じゃないわ」と言いました。そこへ、ポニーテイルをした色がやって来て、巴と色は二人でニョロニョロと行ってしまいました。
円はひとりぼっちで悲しくなりました。そこへ、ほっそりとした月が通りかかりました。少し自分と似ている気がしました。けれどもこんな美しい人と仲間になれるとは思えません。ところが月は「あら、あなた、私とそっくりね」と微笑みました。「ぼくはあなたのようにスマートではありません」円はうつむきました。月は優しく笑って「またお会いしましょうね」と言いました。円は、それから毎晩、月がやってくるのを待ちました。月は、夜ごとにふっくらとしていき、やがて満月になりました。自分が円でよかった。円はそう思いました。



 円7

「はあい、まあるでーす。これからホットケーキを焼いちゃいまーす!」
「待ってましたぁ!」
「まあるちゃん、最高!」
 お店に出ると、私は人気者になれる。
「おお、今日も見事な円ですね!」
「しかも一ミリの狂いもなく二十センチだ!」
 これが私の特技。完璧な円形のホットケーキを焼けるの。
「じゃあ、美味しくなる魔法をかけますね」
 私はチョコホイップでクマさんの絵を書く。その様子をキラキラした眼差しで見つめてくれるお客さんの笑顔を見るのが大好きだ。

「まあるちゃん、今日は何枚焼いた?」
「二十センチを十枚です、店長」
 厨房に戻ると一気に現実に戻される。
「じゃあ、材料費、計算しといてよ。まあるちゃん、申告よりも材料多く使ってない?」
 また計算なの? だから店長は嫌い。
 私が二十センチぴったりに焼けること、疑ってるのかしら。
「そんなことないですよ、店長」
 二十センチが十枚でしょ? 面積は十掛ける十掛けるおよそ三で、十枚分だから三千平方センチじゃない。
『まあるちゃーん、指名でーす!』
「はいはーい、今行きまーす!」
 私は笑顔に戻ると、また夢の世界へ飛び込んだ。



 円8

 探しているのはそれではないと言われる。手のひらと膝を泥だらけにして、服をかぎ裂きにして、鼻の頭をすりむいて、土の上を這って探し回ったのに、それではないと言われる。ドーナツ。ブレスレット。指輪。フラフープ。円環日食。どれも違う。
 僕が欲しいのはね、と依頼者が言う。完全な円なんだよ。わかるかな。
 ぼくは探し出してきた泥だらけのドーナツをばくばく食べながら考える。完全な円がどんなものだかは知らないけど、とぼくは思う。
 その胸の中心にぽっかり空いている穴はどうしたわけ。
 困ってるんだよ、と依頼者が言う。周囲の圧力に押されて、どんどん胸がつぶれていく。僕はね、きみ、心に完全な円をもたないと許されないんだ。わかるかな。
 わからないと思いながら、ぼくは探してきた泥だらけのバウムクーヘンをばくばく食べる。でも、依頼者が困っているのはわかる。だからぼくはこの仕事を引き受けたのだ。
 最悪、ぼくの胸のなかにそれがあるなら、依頼者に差し出したっていいと思っている。
 とりあえず残りのバウムクーヘンは渡す。



 円9

「わたしの名前、鳥居みたいじゃない?」
 付き合って5年、お互い三十路越えようかって季節に、脈略なくマドカが言ったのでタケシは戸惑う。
「魔法少女みたいだなぁとは思ったけど」
 気の利いた切り返しが思い付かず、時間稼ぎにタケシはビーンボールを投げる。
「少女でも処女でもないし。っていうか、面白いの? それ」
 敬遠をセンタ前に跳ね返された投手の気持ちが、タケシはわかった気がした。
「それは知んないけど、いい名前だと思うよ。お寺の娘っぽいし」
 仕方なくタケシはストライクを取りにいく。ちなみに、マドカの兄は結婚し、男の子も作って実家の跡継ぎに収まっている。
「小学生の頃は太ってたから、名前でイジめられたんだよ」
 5年前の合コン以前を詳しく知らないから、タケシはそのエピソードを初めて聞いた。
「んと、マドちゃんの顔とかさ、見ようと思えば名前みたいじゃない」
 マドカの輪郭に手を沿わせながら、タケシは次の言葉を考える。
「見えちゃうのは仕方ないけど、俺はマドちゃんの顔も名前も大好きだよ」
 よくまぁヌケヌケと。と、タケシは脳内でセルフツッコミを入れるが、プロポーズはしないんだなぁとも。



 円10

 「さーくん元気になったんだ。よかったねー。」
今日さーくん来たよとママに言ったら、ママは本当に嬉しそうにそう言った。さーくん病気だったんだ。
 次の日も保育園にさーくんが来ていたので、「さーくん、元気になってよかったね。」と言った。さーくんは「うん。まどかにもリンガリンゴ教えてあげる。」と言って、リンガーリンゴーとかパーケッポーとか歌いながら丸く回りだした。僕は真似をしてリンガーリンゴーとかパーケッポーとか歌って、さーくんについていった。
 他の子たちも入ってきて、列のしっぽにさーくんが追いついて輪になった。手をつないでリンガーリンゴーと回っていると、たまき先生が見にきて「なにー、マザーグース?えー?さーくんが病院で教わったの?シュールだなあ。」と言った。先生は「はくしょん、はくしょんって最後倒れるんだよー。」と仲間に入った。さーくんが小さな声で「倒れちゃだめだよ。」と言った。どうしてと聞くと「僕もあっちでそう言われたんだ。」と言った。
 
 たまき先生がお休みの間、園長先生が担任だって。園長先生は「リンガリンゴ禁止。」と言った。どうしてと聞くと「めっちゃスピードあげてぶっ倒れるのは危険。」と言った。



 円11

 大暴落の日から、さほどたたないうちに通貨がドルに切り替わり国の制度が大きく変わっていった。

 タローは国防軍に編成されてから1年と半年で中東の最前線基地に送られた。トーチカの設営を手伝いながらここも陥落が近いことを予感し、お守り代わりにポケットに入れていた故国の古銭をそっと握りしめる。



 円12

 いやはや、幸運というのは掴むものではないんだなー降ってくるんだなあー、と空を仰いだのはいつの事だったか。
 勝手なもので、人間、ゆとりができればカドがとれる。昔はこんなではなかったような、こんな感じだったような、どうであったか、どうでもよいような。
 あぶく銭で救った女から不老不死を授けられ、また金も尽きることがない余裕綽々の生活、困ることはないし、知人を作っても先に死ぬし、物も壊れてなくなるし、すると様々が薄く平たく感ずるもので、お猪口一杯程度あったやる気も今やするっとなくなった。まあるくなって、平穏無事ブジ。
 安穏が過ぎて、はじまりがどこであったかさっぱりすっかり覚えがない。今日がいつかも定かでなくて、いつやるべきこともない。
 神仏に飼われているのかしらん。などと思ったこともあったが、自分が何であるかさえ、どうでもよくなりつつある。
 どこが明日かも、よう分からん。



 円13

円は魔術の根本である。

例えば。

夜更けの丘に鱗の女王は円を描く、長い裳裾を引いて。

一めぐり、星よ落ちてこい
二めぐり、月よ落ちてこい
三めぐり、太陽よ落ちてこい

太陽を髪に飾り、月を胸に飾り、星を後ろに撒き散らし。鱗の女王はゆっくりと、さらに大きな円を描く。

一めぐり、大地は滅び
二めぐり、……

ステーションの窓を横切った眩い光は、鱗の女王の裳裾であっただろうか。



 円14

 水面近く。すっと留めた指先にはめたリングから乾いた音がカシュッと吹き出す。と同時に水面に波紋が幾重にも刻まれ、それは文字通り水面に刻まれる。水の表面に刹那浮かんだ同心円を薄く凍りつかせたのだ。水槽の縁にとりつけたLED照明の冷たい光の下で、そうして止まった時間が不変をじわじわと放棄し普遍の法則の中へと還ってゆく。最後まで残った幾つかの円のラインが恥ずかしそうに水の中へ沈んで消えるのだが、何回かに一回、円は壊れずに円の形のまま水没する。それがまた妙に良い。
 本来は腹腔鏡と共に使うための医療器具。それを改造しようと思ったきっかけはスカートをめくろうだなどという邪な理由だったが、気づけば芸術とも呼べる領域にまで辿りついていた。そうか、スカートの中は芸術なのか、などと徹夜続きでおかしくなったテンションの隙をついて欠伸が襲う。
 カシュッ。
 右目に鋭い痛み。そして顔を覆う自分の手に気づく。咄嗟に傍らの水槽を覗き込むと私の顔から何かがゴソリと落ちて水面に大きな波紋を作った。水面に大きく浮かんだ円がひとしきり乱れた後、水面にぷかりと浮かんだ球形の中央、黒い小さな円が僕をじっと見つめた。



 円15

「九本のマッチ棒を使って円を作っています。ここからマッチ棒を二本動かして、二つの円にしてください」

 彼はおもむろに二本抜き取ると、そのうちの一本を手のひらの上でシュッと擦った。またたく間に手のひらから一円玉が現れた。
 スゴイ、と拍手すると、彼は残った一本を今度は地面の上でシュッと擦った。次の瞬間、地球は地円になっていた。



 円16

それは高度400kmの宇宙ステーションからも観測できたらしい。

女達が踊り始めた。
何時からなのかは誰もわからないし、知らないし、覚えていない。
見えない旋律に合わせた軽やかなステップの傍で所在無げな靴達が同じ様に列を成して行く。
春霞の色
南洋の色
宵闇の色
思い思いの色のフレアスカートが揺れる。同じ色は多分ひとつも無い。

忌々しげに男達は呟く。
くだらない。
地球温暖化の影響か?
これだから女は。
いつものそんな謗りにはとびきりの微笑みで返して女達は踊り続ける。
木漏れ日の森で
細波が唄う浜で
廃墟に成る街で

そういえば宇宙ステーションにも女達は居たはずなのに…。

雨の降る中、男の手を振りほどいた女はついに輪を完成させた。
くるりとターン。
スカートが真円になった時
みんな
消えた。



 円17

 天狗に遭うから山奥へは行くなと祖母に言われていたが、今時、ありえないと思っていた。でも、それは間違っていたと今なら信子は思える。崖から落ちた日、小高い開けた山頂近くの藪から見えたのだ。背中に真っ白い羽を持ち白い着物の子天狗が、地面に円を描いていた。そして小さい声でケンパーケンパーケンケンパーと言いながら、円の中を飛んでいた。
 信子は天狗なら道を知っているはずと思い、ゆっくり近づいた。
「ねぇ、ここはどこ。天国では、ないわよね。私、崖から落ちたんだけど」
「わー、ビックリした。やっと迎えに来てくれた」
 その言葉を聞いて、信子は祖母が話してくれた明治時代からの言い伝えを思い出した。
「もしかして、石けりをして崖から落ちた事ない」
「え、なんで知っているの。僕、ここでずっと石けりをしながら待ってたんだ。でも人間に迎えに来てもらわないと、下界へは戻れない」
 その夜、大天狗は扇で円を描き、下界への道を作った。
「坊、良かったな。これで、お父さんとお母さんに逢えるな」
 祖母の家の門の傍に降り立つと、子天狗が嬉しそうに言った。
「あ、お父さんとお母さんだ」
 子供の姿になりながら駆けて行き、両親と共に空へと消えて行った。



 円18

 迷いの道のり=恋心からの距離×2×3.141592653…

 ほら、無理数が出て来たってことはこの気持ちは割り切れなくて、恋心には近付けなくて、でも離れることもできなくて。同じ考えをぐるぐる、いつまでも。



 円19

嗚呼、何ゆえ世界は斯様に理不尽で不合理で不平等なのか。
不意に俺の内で大いなる義憤が湧き上がった。
内なる衝動に駆られ、立ち上がって拳をテーブルに叩きつけて叫ぶ。
「神も仏もあるものか!神や仏がいるのならば、今この場で奇跡をみせてみろ!」
すると、愛用のマグカップが倒れ、コーヒーがこぼれた。
漆黒に似た液体が静かにテーブルに広がった。
カップから一直線に流れた珈琲は途中で左右に広がりだし、やがて、見事な円になった。
試しに測ってみると、縦横いずれの直径も長さが等しい正円だ。
嗚呼、神よ、仏よ、これが奇跡だとでもいうのですか。
天に向かって声を張り上げようとしたが、しかしその正円は母に一瞬にして拭い去られており、小さな奇跡はこの世から完全に消失していた。