500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第140回:お願いします


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 お願いします1

ひとつになった夢に、光は愛になった。時空の渦が、眩いばかりに愛を放つ。祈りは重さを持ち、堕ちていく。生を離れた夢がひらひらと散って往く。混濁ではなく、混沌でもなく、もちろん混合でもない。混迷となった祈りが、逆に研ぎ澄まされる。祈りが静謐になり、叶いの海となった。愛が軌跡を描かずに沈黙して大空になった。等値のない対置に夢を描くのだ。そして生まれる慈しみ。お願いします、と。大地が現れた。



 お願いします2

 「誰でもいいってわけじゃないんです」そう、女は言った。「なるべく横柄そうな男がいい。この世の権力は自分にあると思ってそうなタイプ。何か事があったら暴力的な言葉で場を片づけることを至上に思ってるような、そういう男がいいんです」
 随分不躾なことを言う女だ。つまり、この女の目には、私はそういうタイプの男に見えるのだ。本当に随分、随分、随分……「きみ、勝手な女だと言われたことはないか?」
 女は私の着衣を解き、私の肌に舌を滑らせながら、その身を震わせた。「そういう横柄な物言いができる男は随分と減りました。稀少品なんです。あなたはどこで訓練を?」
 いや、と私は首を振る。私は自分の来し方に思いを馳せる。私のどこが稀少だというのか。私はただ、不要な波風を立てるぐらいなら、自分が汚れ役を買って出たほうがいいと思っていただけであって、私は断じて、断じて、断じて……
 「わたしが憎くてたまらない? いい目をしてるね、あなた」女の手が私の顎を撫でる。私は喜ばない。私は憎まない。私は苛つかない。私は怒らない。私は許しを請わない。
 私は断じて、断じて、断じて……



 お願いします3

二十五年前の春の夜のこと

「お願いします。奥さんを幸せにしてあげてください。もっとちゃんと幸せにしてあげてください。
不倫してる分際で、私がこんなこと言うのはおかしいですか?
でも、私、あなたの奥さんに本当に幸せになっててほしいんです。奥さん子供まだなんですってね。子供ほしいんですってね。じゃあもっと愛してあげなくちゃ。子供作ってあげてくださいよ」

十年前の秋の昼のこと

「お願いします。奥さんと子供さんのとこに帰ってあげてください。私のところなんか来ちゃだめ。もっと奥さんのこと幸せにしてあげてください。私はその方が嬉しいの」

今年の冬の夜のこと

「こんばんは、お久しぶり。私のこと覚えてる? いやだ、違うわ、あなたの旦那を寝取ったのなんかほんの最近の話よ。四十年前にあなたが踏みにじった私のこと、覚えてないのね。残念。
でもいいわ、こちらで決めた話だもの。あなたが一番幸せなときにあなたに会うんだって私ずっと決めてたの。
お嬢さん達はもう永遠にあなたに会いに来ないわ。あなたのご実家も燃えてる頃ね。でもまだ始まりだから。全然全然始まりだから。本気にしてないわね? 大丈夫、すぐに分かるわ。じゃあ今日はこれで帰るけど、これからよろしくお願いします」



 お願いします4

 夏の夜だった。会社帰りに同僚と一杯やって、いい気分でのったりした空気の中をフワフワ駅から家へ向かっていたところ、公園の入口、街灯の下にワンピース姿の女性が所在無げに立っていた。距離が縮まるにつれ、人ではなくクシクラゲ様のもので、ワンピースと見えたのは明滅する幾筋もの虹色の光だと分かってきた。前を通りかかると、「こうぉん、こうぉん」とどうやって音を出しているのか呼びかけられている気がしないでもない。ぽやっと光るプルプルする饅頭大のものを触手で差し出すのを、思わず受け取った。
 家に着くまでの間にぼんぼり饅頭はもじりもじりと腕をのぼって肩に上がり、鍵を開けている隙に私の頭に入り込んでしまった。以来何を見るにも聞くにも考えるにも頭の中にぼんぼり饅頭大の違和があり、夢だと思うも半信半疑でおよそ一年が過ぎた。
 それが昨夜、まぶしさに眼が覚めると私は動画に見入っていた。暗い部屋でPCを立ち上げ、女の子が「この子をお願いします」と子猫を差し出すアニメのワンシーンを繰り返し再生して、「この子をお願いします」と真似ていた。ぼんぼり饅頭の巣立ちが近いのだろうか。俄かに親心が込み上げて、一緒に頭を下げていた。



 お願いします5

 星が煌めくのです。
 濡れ縁に腰掛け眺める池の水面で。
 さざ波が立っているのでしょうか。いえ、そうではありません。風のない、温い夜です。
 だから星が煌めいているのでしょうか。願いが蜘蛛の子のように迷うこともないので。
 あまりの静けさにほうと溜息を吐くと水面がざわめきました。
「錦鯉はいいぞ」
 不意に、横からおじいさまの声がします。
「心に平穏をもたらせてくれる。惑えば寄ってきてくれる」
 いつの間にか私の横に座っていました。生前のままの姿で。
「いま、迷ってらっしゃるのですか?」
 おじいさまは何もこたえてくれず、寄ってきた鯉たちを数えるように麩を投じるのです。
 それきり、何も言いません。鯉たちは水面から顔を出し口をぱくぱくやっています。
 ほう、と溜息を吐き空を見上げると、星は変わらず瞬き続けています。まるで何かをねだるように、きらきら、きらきら。
「世の中から争いがなくなりますように、世の中から悲しみがなくなりますように……」
 私はいつものように小さく願います。きらきらと小さな光が手のひらに生まれると、夜空へ浮かんでいきます。
 風がないので夜空に真っ直ぐ届くことでしょう。
 星は、煌めくのです。



 お願いします6

 X県の書店員に、信じられぬほどの数の本を読みそれらをすべて覚えている男がいる。有名ではないが並みの評論家や学者ではその男の博識には及ばない。言葉で何処までの表現が可能なのか、何処までこの世界を、宇宙の全事象をうつせるのかを、その男は生涯をかけて見極めたいと企んでいる。そして膨大な書物を脳のフィルターにかけた後に、自分自身の表現で一冊の本を書きたいと考えている。感動を伝えたいという言葉では覆いきれない、読み手の心魂の揺さぶりを、最高の動揺を神域に辿りつかせようと画策しているのだ。
 言語野に微小の電位差が生じた瞬間、世界は美しく見える。刹那の高揚。同量の絶望。時間、どれぐらい貴方には可逆性があるの?
 私はもう、長くないがその男の企てが成就するのを出来れば見届けたいと願っている。そのためにだけあと僅かの命を、どうか、どうか・・・



 お願いします7

 また、あの声が聞こえる。今朝方からずっと、間を置いては玄関越しに響いてくる。

 《お願いします》

 何をお願いされているのか、とうに忘れた。何度となく果てしなく繰り返されるうちに意味の衣が削ぎ落とされ、ただ一途な懇願だけが残っている。

 《お願いします》

 そんなにお願いされるなら、と、一瞬気持ちが揺らぎかける。だが考えてみれば、頼み込まれて応じた頼みごとや買物が役に立った試しはない、どころかむしろ面倒ごとや厄介な荷物になったことのほうが数知れない。ほんとうに大切なものや意味あるものは、頼まれるまでもなく探し当てて手に入れているものだ。

 《お願いします》

 断る、と、ドア越しに声を強めて答える。

 《お願いします》
 《お願いします》
 《お願いします》

 断る。どんなに粘られても無駄なのでお引き取り願いたい。

 《お願いします》
 《お願いします》
 《お願いします》
 《お願いします》
 《お願いします》

 たとい……たといこれで世界を見殺しにすることになるのだとしても、要らないものは要らない。消えてくれ。

 《お願












 お願いします8

 電話ボックス、といって通じるのかわからないが雰囲気はそれに近い。ガラス張りの密室で、ほんの一瞬、天井から光が照射されたのち奥の扉が開く。
ちなみに、登録された者以外がさきほどの光を浴びるとたちまち分解される。実際、紛れて入り込もうとした小虫が消されたらしく、申し訳程度ほんの2秒のレクイエムが流れる。何かの効果音にしか聞こえない。と、いつも思う。
 願いを抱えて憔悴しきった織姫と彦星に、年末は自分も大変だろうにサンタクロースの爺さんが「ほ! ほ! ほ!」と声を掛け励まし、先輩諸氏のなかにはテーマパークのキャラクターなどもいたりして雑多壮観、八百万って感じである。
 各自が義務的かつ事務的に今月分の願いを受付で説明とともに渡され、今度はまたジャンルごとに分かれた別の列にそれぞれが連なっていく。受け取りの多い者は何度も列に並ぶことになるのだが、俺はひとつで大丈夫。そりゃそうだ。猫だもの。
 庭に作られた簡素な墓の前で俺を拾った一人娘が泣くのだそうだが、夫婦のことは如何ともしがたい。
 つきましては、なんとかしてやってくださいの意を込めてきっと君らは見たこともないだろう偶像に向かい俺はニャアと鳴くので、この長蛇なんとかしてくれんか。



 お願いします9

 小瓶の中には、深い海の色をしている液体が入っていた。その底から、小さな泡が幾つも生み出されては下から上へと昇ってどこかへと儚く消えていく。人魚が人間の男に恋をして散っていった、あの想いがここに詰まっているのだと言う。人魚は男の幸せだけを願ったのだろうか、それとも恨みを募らせながら消えていったのだろうか。
 私の横に寝ている男は、一定のリズムで胸を上下させながら気持ちよさそうに眠っていた。私は、ベッドからそっと降りて戸棚に隠しておいた例の小瓶を取り出した。両手を使いゆっくりと蓋を開け用意していた細いスポイトで液体を吸い上げる。そして、男が寝息を立てながら薄らと開いた口の端からプシューと少しずつ流してやった。この人は死んでしまうのだろうか。それとも生まれ変わってくれるのだろうか。私は、どっちを願っていると思う? やさしく髪を撫でてあげるね。夜が明けるまで、ゆっくりとおやすみなさい。



 お願いします10

●村▲子 様

前略 先日は兵舎宛に差入れを有難うございました。
この物資不足の折、お気遣い頂き却って申し訳ございません。

さて此の度、防諜上詳しくは申せませんが、征きて還らぬ御役目を拝命致しました。
隣家の子供であった小生を、実の弟のように可愛がって下さり、感謝に堪えません。
小生も▲子様を実の姉と思い、甘え、我儘放題でご迷惑をお掛け致しました。

そんな▲子様に、最後に恥を忍んでお願いがございます。
小生の、最初で最後の女性になって頂けませんでしょうか。
他家に嫁していらっしゃる▲子様に此の様なお願いをする不道徳は重々承知しております。
それでも此の想い絶ち難く、長らくお慕い申し上げて居りました▲子様との契りを思い出に、
戦友達の許へ赴きたく存じます。

もし叶いませぬ時は、此の儘お読み捨て頂き、お返事も無用に願います。
風呂の焚き付けにでもお使い下さい。

小生は、▲子様と家族のように過ごす時間を持てましたこと、心より幸せに存じます。
どうぞ末永くお健やかにお過ごしください。
小生の分も長生きして頂けますようお願い申し上げます。

草々



 お願いします11

 お願いします、僕のキノコを食べてもらえませんか。枝の分かれたここんとこに生えてきたのがどうにもムズムズして……皆さんには美味しいと言われています。無理だなんて、そんなことはありません。ヤギは木登りするでしょう? おんなじように二つに割れた蹄をお持ちなんですから……大丈夫、あなたは充分身軽ですよ。毎日あんなに駆け回ってらっしゃるじゃありませんか。水平も垂直もそんな変わりゃしません。

 ……んな無茶な。しかしこうしてブタがうちの木に登ってしまい、降りられなくなってピキャーと鳴いているのを抱え降ろすのが朝の日課である。

 オネガイシマスの木はもともとイギリスでシルヴァン・プリーストと呼ばれたものだが、それは枝にブタが目白押しになっている様子を、生贄を捧げる司祭に見立てたのだという。やがて縮まってフランス語でシルヴプレと呼ばれ、日本にはオネガイシマスの名称で輸入された。近所にブタなんかいないから問題ないと思っていたのだけど、ミニブタブームの再来は計算外で……
 ピキャー!



 お願いします12

「お前、今まで星にお願いしたことないだろ?」
 五年前の七夕祭りの夜、二人きりの公園で健太が私に言った。
 星に興味が無いことはバレバレだった。だって宙を見上げる健太の方がずっと素敵だったから。
「あ、あるわよ……。でも星が流れるのって一瞬じゃない? 三回もお願いするなんて無理だよ」
 仮にお願いできたとしても、本当に叶うとは思えないし。
「ほら、やっぱり。気合いが足りないんだよ気合いが。やる気になればできる!」
 いつも空を見上げて、星が流れるたびに早口言葉を唱える健太。そんなあいつが、本物の宇宙飛行士になるとは思わなかった。
「大気圏突入で宇宙船が燃え尽きる時ってさ、流れ星の三倍長く光るんだってよ」
 帰還を翌日にひかえた交信で、健太は突然、縁起でもないことを言い出した。
「これは鈍くさいお前のために言ってるんじゃないからな。俺の人生が、少しでも世界中の人の役に立てたらいいなって……」
 そんなこと言わないで。私のお願いはたった一つなんだから。
 それにもしそんなことになったら、私は一体何をお願いすればいいの?
 今夜あいつの帰還を見上げながら、胸の前で組んだ手にぎゅっと力を込めた。



 お願いします13

「それ、もうやめてよ」
「え、何が?」
「その、さっきのだけ敬語で言うの。お願い、とかでいいじゃん」
「そんな風に言ってた?」 
「言ってたよ。こないだ決めたじゃん。もうタメ語にしようって。いつまでも先輩後輩っていうんじゃなくて」
「うん」
「なんでそれだけ敬語になっちゃうわけ」
「わかんない」
「わかんない?」
「……わかんないな」
「……なら、もういいよ。もう行こっか。払うから」
「あ、じゃあ、お願いします」
「ほら、また」
「……あ、……なんでだろ」

 不意に、唇を塞がれる。
 周りの視線が気になるのと同時に、なんでこのタイミングで、と思った。
 唇を離した彼女は、なぜか自分の居場所を見失ったような表情をしていた。

「……どうしたんだよ」
「……」
「いやいや、ちょっと、意味わからんて。何とか言ってよ。お願いします」
「え?」
「ん?」
「今、なんで敬語になったの?」
「わかんない」
「わかんない?」
「……わかんないな」



 お願いします14

「おれがナニしたって言うんだよ」
「ねたむのはお門違いってもんじゃねぇのか」
「がんばったゴホービ、もらっただけだぜ」
「いやいやいや。お前にだってチャンスあったろ」
「しみったれたプライドにしがみついてっからだよ」
「まっすぐ欲望をぶちまけちまえば良かったのにさ」
「すげー可愛かったぜ。耳まで真っ赤でうなずいて」
「おいおい、もしかしてお前、涙目かよ」
「ねぼけたことぬかしてんじゃねぇぜ」
「がむしゃらにアタックしたもん勝ちさ」
「いままで告白されたことなんてなかったらしいぜ」
「しらねぇよ! 好きだった時間なんて関係ねぇよ」
「まだグダグダ言ってんのかよ……って、お、おい」
「すりよってくんなよ! 譲るわけねぇだろっ!」
「お前なぁ……その粘り、いまさら過ぎんだよ」
「ねぇよ。別れたりしねぇよバーカ」
「がっつり付き合っちゃったもんねぇ」
「いいかげんにしろ……あん? 違うって何がよ」
「しっらじらしいなぁ。なんだよ急に持ち上げて」
「ま、まぁな。恋愛については確かに、な」
「すぐに落とせる口説き文句? ……んとなぁ」

「おしえてやんよ。お前が今言ってたの繰り返し」



 お願いします15

台風一過。屋上で眺める空は晴れ渡って濃い夏の色。月並みだけれど吸い込まれそうだ。うん、一年前に君がうっかり飛んでしまったのが納得できる。
その日置き去りにされた靴があった辺りにいると「お待たせ!」と君がやって来た。最後に会った時と変わっていないね。薄手のジャケットを脱いだら、しゅるんと生えた翼以外は。「上級者」は伸縮自在になるって本当なんだ。
「ふっふっふっ、いいよぉ涼しくて」背中に開けた服の穴を見せながら得意げに言う。少し陽に焼けた翼は綺麗に整った形で、まだ不格好な自分のとは大違いだ。
つい無口になったら「キミが同じになってくれてうれしい。」なんていきなり真顔で言い出すから「お…遅かれ早かれ皆なるよ」と返してしまった。
うん、相変わらず気のきいたことは言えない。
「そろそろ、行こっか?」君が切り出した。
「うん。」
「あ、靴は脱がなくていいよ。」
「…そういえば何で脱いで行ったの?」
「なんとなく。飛ぶのにいらないかなって」
「後で困っただろ?」
「困った…ついでにキミは片付けてくれちゃったし。」
「ええ?ごめん…そんなつもりじゃ…」
「よし、行こう!見本みせるね。」
「お願いします。」
フェンスに手をかける。



 お願いします16

(都合により削除しました)



 お願いします17

 どうかあなたは、生きてください。



 お願いします18

 猫が窓から覗いた。こんなもの、と思いながら煮干しを投げてみたら一瞬で食べた。もう一つやってみた。また一呑みにした。翌日、深夜に帰宅すると窓の下で細い目が光っていた。あの猫。怖いと、かわいい、両方の気持ちで追われるように煮干しを置いたら、また呑んだ。ニャーとも鳴かない。触らせてもくれない。小さな体で命があるものに関わってしまった。それから毎晩、窓の下で待っている。高級猫缶を食べきった後で、ごろんと寝転がって見せてくれたおなかの毛は、そこだけふかふかで真っ白だった。猫の笑顔を見たと思った。
 アパートが取り壊されることになった。猫は家に付くという。できるだけ近くに引っ越し先を探したり、工事現場に餌を置いてみたり、無駄な努力だった。ある晩の夢に、やせ細ったノラが現れた。別れを告げに来た、と直感した。そんなのだめ、ばかっ、もっとずっと。一度も触れ得なかった体を、ぎゅうーっと思いきり抱きしめた。太いしっぽも細い腕もぎゅうーと握って、涙が止まらなくって、必死で願っているのに、ノラはふじゃーと後光の射した猫神に変わって、夢は見慣れた毛皮の色に深まり、もさもさにふわふわの、ピンクの肉球の内側だった。



 お願いします19

 あるところに,たいそう仲の良い兄弟がおりました。
兄はまわりからいじめられ歪んだ性格に育ちましたが、純朴な弟は、そんな兄を気遣い慕っておりました。
 あるとき突然、兄は病に倒れました。医師が申すには、あと僅かの命とのことです。
「神様、お願いします。兄の最後の望みを叶えてあげてください」
医師は困りました。そのようなことが世間に知れ渡れば、どうなることやら。
弟は医師に何度もお願いしました。
仕方なく承諾したものの、気がかりなのは場所です。
弟は言いました。
「山奥の小屋を。滅多に人が来ません」
 さて、約束の夜です。万が一に備えて、弟は外で見張り番をしました。
「神様、お願いします。どうか誰も来ませんように」
しかし運悪く、今日は年に一度の収穫日。小屋のあるじが、こちらにやって来るではありませんか。
弟はあわてました。
「お願いします。中に入らないで下さい。とっても大切なことなんです」
小屋のあるじは、どうしてなのかわかりません。
「わしの小屋で、誰が何をするつもりじゃ?」
弟は正直に小声で答えました。
「オネエが、医(師と)、します」



 お願いします20

「ありがとうございました」
 試合前日。並んで競技場に一礼する。並んで、と言っても四人だ。うちの陸上部にはリレーをギリギリ組めるだけの人数しかいない。補欠もいないので誰か一人、足に怪我でも負ったらそれでリレーには出場できなくなる。専門は俺が一一〇Mハードル、あとの三人が一〇〇M。全員三年生。俺たちが引退すると廃部となる。
 陸上経験のあった顧問が移動になり、当時の一年生五人を最後に新入部員の受け入れを停止した。一人は練習が面倒だと辞めた。残された皆が短距離だったこともあり、俺たちは強い仲間意識を持っている。それが一番発揮されるのは、やはり全員で走る四×一〇〇Mリレーだろう。専門の練習もそこそこに、バトンの受け渡しを繰り返した。
 競技場に出入りするときは声を出して礼をする。入部したての頃は形式上のものだと思っていた。今は違う。怪我なく走れること、全力を出し切れること。それを願うのではなく、自分たちに言い聞かせるためのものだ。
 一〇〇Mの一人は勉強に専念するため明日で引退。リレーへの出場はこれが最後。全然強くないチームだけど、どこよりも大きな声で礼をしようぜ。四人で笑い合って帰路につく。



 お願いします21

 魔獣がいる。魔獣がいて何か吠えている。何か吠えているが聞こえない。聞こえないので近寄ってみる。近寄ってみるとかなり大きい。かなり大きいがやっぱり聞こえない。やっぱり聞こえないのでさらに近寄る。さらに近寄ると魔獣は鼻水をたらしていた。鼻水をたらしていて眼まで充血している。眼まで充血しているとなればもしやとおもう。もしやとおもい背のびして魔獣のおでこに触れてみる。触れてみるとじつに熱っぽい。じつに熱っぽいのでこれは風邪に違いない。風邪に違いないなら当然のどもやられていると考えられる。のどをやられていると考えてみれば声が聞こえなかったのも理解できる。理解した上で何を求めているのかも推察できる。求めているものを推察して「風邪薬?」と訊ねる。訊ねられた魔獣は胸の前で手を合わせて大きく口をあけた。