500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第158回:出てって


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 出てって1

悔しくて、彼女が思いも寄らぬ出方で出てってやろうと思った。

もすずれ接続詞などを含む広い意味での副詞系の抽象語が訪れたとき、ヒトは類人猿から出てった。

外界にあるものを動かしたりくっつけたり変化させたりする言葉があれば、それを呪文という。
類人猿だった頃は内界のものさえ自由に動かすことはできなかった。
ところが
たとえば
さぞ
なお
せめて
副詞という呪文が訪れ、記憶や概念やイメージを自由にドライヴできるようになって初めて、思考が娯楽になった。ヒトは心の中を駆けずり回った。

副詞習得は極度に困難なので、無意識の巨大なシステムがやってくれる。そぞ母語でしか機能しないので、日本語教師は副詞の用法を教えるのに苦闘する。母語話者は無意識が示す使用感に従って唱えているだけ(呪文のように)なので、規則を説明なんてできないから。

子供が「おかあさん、『だって』ってどういう意味」と訊いてこないのはさいわいである。

副詞は同じ地勢を流れる。同じ地勢を同じ水が流れれば、同じ流路が定まる。せかさらに誰もが、知らず同じ用法を会得する。
そもあれど副詞は言語の可動域を広げる。
どころみに副詞を創って、すらいぶ唱えていけば、奇しくに存在しない用法が定まる。
こそ副詞の大地を歩いて出てって僕は、無意識の側から彼女の中に歩み入り、すでぐに「出てって」という気分から出てってもらった。



 出てって2

 頭の中を小人の国に例えたら、離れ小島の地下迷宮に棲む大きな蟲、動物、いや簡単に怪物と呼べばいいんだが、そんな得体のしれないやつがアイディアなのだ。それを地下から明るみに引き出さねばならない。意識の灯りのあたる所に晒すことが出来たら、全身を震わせて「ひらめいたぞ」と叫ぼう。

「それで思いついたんですか?」
従順なふりをして、文句ばかりの子分がせっつく。
「まだだ」
ワシはぶっきらぼうに返す。そう簡単にこの土蔵の檻から出られるわけない。しかし脱出し、襲撃計画のことを知らせないと仲間は全滅だ。
「兄貴」
子分がまた縋るような目を向ける。しかしこいつはワシの背後を見ていた。振り返ると、猫ほどのでかさのドブ鼠がヌッと居座ってる。この土蔵の主か。のけぞったワシと子分は、反射的に逃げようとし同時に壁に激突した。土壁がボコッと崩れ、庭の植え込みが覗けた。
「何だよ、鉄格子なんかに気を取られて、こんなもろい造りだったとは」
「兄貴、急ぎやしょう」
子分はワシを引き離し、ぐんぐんと距離を広げる。ワシは何だか張りつめていた気がフツと途切れてテク、テク、とゆっくり子分の後を追った。
逃げ去るワシらを、巨大ドブ鼠は壁の穴からじっと見送っていた。



 出てって3

「出てって!」ふとした弾みに、鋭い一声とともに放り出された。いいんだ、そろそろだと思っていたから。
 放り出されたところで、そのまま地面に横たわっていると、遠くの声も聞こえてくる。
「出てって……ね、おまえ……だけ……」烏の嘴の下でやがて途切れた声は満足そうだ。ああ、あそこで旅立つ奴もいるのだ。
 海岸からも。「出てって、って言ったよね。出てって、海へ、世界へ、そう言ってふっつり切れたよね。私、ここまで来たよ」
「出てって」と突き放すように送り出されたとき、必要な用意はもう整っている。あとは自分で芽を出すしかないのだ。雨を待つ。



 出てって4

クローゼットの隅に黒っぽい、なんかがいて目に障る。
頭んなか、ぷうぷう五月蝿いやつがいてうんざり。
居眠りし、動かざること山のごとしの同僚。
耳の内でがさがさと棲みつく虫の気配。
メモ帳の文字間駆ける不要の字。
財布の底にた笑う貧乏神。
頭上から足音足音。
蝿が飯に着地。

全部邪魔。

独。



 出てって5

何故かいつも帰って来るのはわかってしまう。決して待ち侘びていたわけじゃない。そう、悪い予感の方がよく当たる。そんなのカンジ。
合鍵を使って上がり込んで来て悪びれもしない。それどころかどうして世界で一番傷ついた子供の様な顔が出来るんだろう?テーブルに並べた料理も殆どお子様向け見たいなものだし、一体幾つのつもり?そう、お互い。
ーお前だけがわかってくれる。
ー私だけがわかってあげられる。
もう原形すら留めていない、もはや呪縛でしかない、いやそれすらでもない何か了解だったらしいものが蟠っている部屋。
本当にウンザリする、本当に。なのにどうして言えないのだろう?言ってしまえばいいのに。言えないのならとっとと引っ越すなり、鍵を変えるなりすればいいのに。
本当にウンザリする、自分に一番。アイツが欲しいのは都合のいい母親と帰れる場所。ただそれだけ。そんなのとっくにわかりきっているのに。
真夜中、彼女はお気に入りの万年筆で日記にだけ打ち明ける。だんだん文字が太くなるのに気づいてため息をつく。ふと、背にした彼の寝息を吹き消せるものならと思った。



 出てって6

 七十三歳になった私の中に、十一歳の私が産まれた。彼女に平仮名でゆりこという名前を与えたところ、漢字よりは良いねと喜んでくれた。ゆりこは私の目を通して世界を見て、目に映るものすべてに興味を示したので、私はゆりこに世界を教えるために百科事典を買い、ゆりこの望むまま手を動かし、難しい漢字は読んで聴かせた。最初は世界はなんて言葉にし難いのかと思ったのだけれども、皺だらけの指がページを捲るたび、モノは言葉に置き換わった。単に私が正しい言葉を知らなかっただけなのだ。
 十一歳の頃、私は何を考えて生きてきただろうか。当然それは辞典に載っていないので、私は私の言葉を探さなければならないかと思ったところで、ゆりこが言った。「先生になりたかったんだよ」
 先生か。ああ、あの頃は算数が好きで、小学校の先生になればずっと算数をしていられると思っていたっけ。なんで忘れていたんだろう。「それは百合子に逢ったからだよ。算数よりも面白いことをたくさん教えてくれた」
 そうか、それでか。それならそろそろもうお行き。これ以上、教えちゃ勿体ない。



 出てって7

  ああそうか。これが悋気なら嫉妬なら、このまま飲み込まれ、食らい尽くされてしまいたい。楽になれるだろう。直感する。もう苦しいのは嫌だ。もしくは苦しいだけの方がいい。狂おしく苦しい。貴方を独占することだけ考えて、食べることも寝ることすら考えたくない。考えない。どうしてそばにいてくれないの?あんなのといるの?笑ってくれないの?怒ってくれないの?気づいてくれないの?無視し続けるの?嫉ましい。わたしはいるのに。貴方のそばにいたいのに。貴方だけずっと。愛ってそうでしょ?わかってるんだから。倫理とか道徳とか良心だとか、心にも感情にも置いておく余地は無いし、今すぐ貴方を支配しきる力が欲しい。冷静さを排除し、客観を殲滅する。他にはなにもいらない。さみしくはない。貴方があればいい。生死は問わない。善良なるわたしの魂なんて事切れてしまえ。もしくは殲滅。最悪、放逐。愛してるから。



 出てって8

 井戸の中を覗いたら中から声が聞こえてきた。
「出てって」
 いやいや、俺は中になんて入ってないし、入るつもりもない。
 不思議に思っていると、真っ暗な井戸の底から異様な熱気が込み上げて来る。
 俺は慌てて後ずさった。なにか得体の知れないものが出てくるような気がしたのだ。
「出てって!」
 引き続き声がする。通告を受けているのは俺ではなく、まだ地下に留まっている何かのようだ。
 その正体は何? 幽霊? それとも妖怪?
 そんな恐ろしいものが出てきたとしても、ちらっと見てみたい衝動に俺は駆られていた。
「出てってよ!」
 繰り返すその退出通告は、男性の太い声だったから。



 出てって9

 はな唄部・くちギター課では今、ジャカジャン派とデデッデ派とによる派閥争いが激化している。すでにヨウオン氏とハツオン氏はジャカジャン派に、ソクオン氏はデデッデ派にそれぞれ取り込まれた。残るダクテン氏にとっては実に頭の痛い事態である。
 ダクテン氏は「心まで濁らせず」を信条とし、元より争いは好まない。だが両派にとってダクテン氏は不可欠な存在であり何をもってしても獲得すべしと双方せめぎ合っている。己の所為であるのかとダクテン氏は思い詰めたが、そんな氏の憂鬱をなぐさめてくれる唯一の存在が、ハンダクテンの君であった。
 そうしてついに、業を煮やした両派から詰め寄られ、「どちらにもつく気がないなら、即刻ここから失せろ」と罵られたダクテン氏は、翌日その言葉どおりに姿を消した。
 結果、シャカシャン派もテテッテ派も気のぬけた炭酸のようにもはや争う力も格好も失い、双方ともあっけなく解散してしまった。
 自らが去ることで争いを終わらせたダクテン氏であるが、今どこで何をしているのかはわからない。噂では、共に消えたハンダクテンの君と仲睦まじく、ビバップを奏でているとも、ドゥワップをくちずさんでいるとも。



 出てって10

 決まった! バックを鮮やかに狙いましたね。
 はい。球よ弾けろラケットよ砕けろとばかりの渾身のスマッシュでしたね。彼女の卓球は大人しいと言われてたんですが……。
 表情にも鬼気迫るものがあります。それにしてもどうしてラケットが手鏡なんでしょう?
 お気に入りらしいですが最近鏡の中に悪霊が巣くうようになって困っているそうです。
 お年頃ですね……あっと! また叩きつけるようなスマッシュが決まった! 顔に笑顔はありますが鬼神のようです!



 出てって11

「——っ! あああああああああああああああああああぁ……!!! ……ふぅ〓……。よし、いいよ」
 今の絶叫は何だ?
「留守中に変なものが居たら嫌だろ? だから追っ払った」



 出てって12

名も知らぬ路傍の花が語り始める。夢と希望の境に、いのちは華やぐ。わたしの私は、余りに儚い。永遠を玉響揺れて、偶さかに祈りが哀を愛に変えるのか。時は知れない。時の夢を追って、時の哀から逃げる。愛の波がその使命に、運命を風にする。

ささやかな
あまりにゆめの
うつくしき
なびくいのちの
いのりにかえて

狭隘な広大に、眩暈する。永遠の隔てに、叶う溜息。夢舞台に忘れて、大仰な挨拶は恥ずかしい。適うとは、何なのか。叶うとは夢か。出入りに襲う不可思議な愛の躊躇い。悲しみが哀しみに凍る前に、嬉しさが喜びに発散する痕に。交じりの夢に、儚く舞う。



 出てって13

 テレビの真横でもなく、カーテンの近くでもなく、かといってテーブルの脇というわけでもない、リビングなのに何か死んだ感じがする場所に鬼が立っていた。女の私より少し低く、目はかっと開いたまま。形相は恐ろしいがこちらに近寄るわけでもなく、開きっ放しの目がだんだん滑稽なものに思えてきたのでとりあえずテーブルに着くよう促した。
 椅子に座る鬼を背中に、はてさて何をと冷蔵庫を開け、少し迷って冷奴を出した。鬼は表情を変えずに豆腐を見、やがて一口で平らげた。食べるんかい、と驚いて、次の日は激辛麻婆豆腐を出したがそれも食べた。その後も味噌汁、豆乳スープ、大豆ハンバーグ、豆大福などを出したがすべて食べた。納豆を出した時には少し嫌そうな顔をした、気がした。しまった、さすがに露骨すぎたかと思ったが結局食べた。今日は熱々の湯豆腐。表情は全く変わらないのに熱そうなのが分かるのが不思議だ。明日は二月三日。もう遠慮はいらないぞ、と戸棚にしまってある、バケツ一杯はあろう炒り豆を思い浮かべて私は少し震えた。