500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第159回:水色の散歩道


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 水色の散歩道1

 長い長いスケートリンクなのだと教えられた。僕はブレードのついた靴を履く。あまりしっくりとは来ない。おぼつかない足取りで、氷の上を滑りだす。この道を往かなければ、目的地にたどり着くことはできない。
 滑りにも慣れてきたころ、唐突に降ってきた雨。水滴が浮いたリンクは摩擦力がどんどん減って、僕はすってん転んでしまう。おまけに足もひねったようだ。くるぶしからじくじくと痛みが広まっていく。冷たい水玉は体の温度も奪っていく。どうやらここで、僕は終わってしまうらしい。そしていつしか、眠りが襲い掛かってくる。
 ……まぶたを二度三度と瞬く。目覚められたのが奇跡だと思う。見上げれば眩いばかりの星空。体は動く。足の痛みも大分引いている。僕はゆったりと立ち上がる。月明かりであたりは何とか見渡せる。いける。いこう。前を向いて、カッカッカ、カシューカシューカシュー。滑る音だけが響くこの道は、まだきっと長くて長い。



 水色の散歩道2

「なんだ、金も持たずにここに来たのか」
 霧に包まれた橋の袂で立ち往生していた私に向かって老婆がそう言った。金が必要であることを知らなかった私は、身に着けていた衣服を老婆に剥ぎ取られてしまった。
「こいつは金の代わりだよ。まったく、石を積むって歳でもないのに」
 老婆は私の衣服を傍にあった木に掛けながら、そう言った。その木にはたくさんの衣服が掛けられていた。
「あんた、歩くなら浅いところを歩きな」
 老婆に言われるがまま、私は底の浅い川を渡ろうとした。私には帰る場所があるという確信だけがあって、そこが一体どこなのかは分からないという不思議な感覚があった。
片足を水に付けた途端、首元がきゅっと締め付けられた。苦しいので首元に手を当てると、麻縄が巻き付いていた。ぐっと前に引っ張られる感覚が襲って来たかと思うと、体が宙に浮き、私は浅い川面を滑るように直進した。川面に映った私の顔は妙に蒼白であり、また、見知った男女の寝顔が見えた。
目を覚ますと、私は冷たい湖に顔を浸していた。顔をあげて周囲を見ると、木の枝に麻縄を括り付け、首を吊っている男女の姿があった。
木には私の衣服が掛けられており、私の首元には麻縄があった。



 水色の散歩道3

 朝露がハーブ園の緑にきらめく。
「やはり早起きいい」
 日が高くなり気温が上がる前。水気を含んだ空気で花や草木の色彩が瑞々しい。少し肌寒い気温も凛々しさを感じさせるのかもしれない。
「今晩はこれかな」
 レモングラスの葉を千切る。

「これ、本物の葉っぱぁ?」
 その晩、カウンター席の女性客がワルプルギスの夜のようなけだるさを纏い聞いてきた。ショートカクテルのグラスの縁に丸まって引っかかる、緑色の糸のようなものを指差している。
「はい。レモングラスの葉を縦にできるだけ細く切って丸めたものです。私が今朝、摘んだものですよ」
「前にこのカクテル頼んだ時ぃ、別の葉っぱだったでしょお?」
「ええ。お酒は一緒ですが葉はその日の朝の気分で選んでいます……お味はどうですか?」
 女性、少し口に含んで夢想する。
「ええと、さわやか……かな?」
 顔。口調。
 良かった、と思う。
 最近では「水色じゃない」と文句を言う客は少なくなっている。



 水色の散歩道4

すべては一瞬で終わる。宇宙の寿命を一年に換算すれば、たとえ生命と物質の全史を千兆回繰り返したとしても最初の0.000000000000001秒にも満たない。はるかに満たない。意味のあることは刹那で途絶え、その後なにも起こらない宇宙が延々と続く。

別の宇宙を訪れる力と意図を持つ奇特な存在がいつか、ここを訪れたとしてもおよそ、「ここもからっぽだ」と呟いて去るだけであろう。

訪れたのがしかし、より奇特な、時間を往来するものであったら、それは極初期の珠玉を発見するかもしれない。そして「水色」という色名を道標とするかもしれない。なんとなれば通常透明である水が色名であるならばそこに、記号言語を操る知性がありその知性は光学認知能を持ち色彩を表象として採用し、そして環境には天空に開豁した広大な水界が存在することを示す。そこは風光景物、考想念意ともに明媚であろう。

旅するそれはこの宇宙に数えるほどしか存在しない「水を色と称ぶ」世界を一次元で結び、全天を指し渡す星座を定める。そして水色の散歩道と名付ける。

なにかの機会にこの言葉を耳にした人が、意味は知らずともはるかして近しい不思議な感興を抱くのは、はじめて出会う、みずからの恒星を含む星座の名だからであろう。



 水色の散歩道5

 それを「生き物」と名づけるのは容易い。それは軟体生物のような見た目をもち、のそのそと這って動くように見える。あるいは、身体中をキャタピラのように、うごうごと回転させながら進むようにも見える。大きさは揃っておらず、爪の先ほどの小さなものから、手のひらサイズのものまである。それは、ぐにょぐにょと勝手気ままに動いているように見えはするが、その実、みな同じ方向に向かっており、正確にひとつの線を示して見せる。それの辿ったあとは、ぬらぬらとした水色の粘液が残り、道となっている。もしもそれが真に生命体であるのだとしたら、その移動は何を示しているのか。生き延びるための移住地を求めているのか、それとも生殖につながる行為なのか。それの生態は未だほとんど解明されていない。サイズにより成体と幼体との区別があるのかもわからなければ、それぞれの個体に性差があるのかどうかもわからない。それの数は日々目に見えて増えており、我々の身体は徐々にそれを受け入れて水色の粘液をまとい始めている。そして、その意味がわからないままに、水色に染まった我々はすべてを放り投げて戸外へと出て、あてのない歩行を始めつつあるところである。



 水色の散歩道6

手をつないで紅葉散る中を歩いていたはずなのに、いつの間にか桜並木を歩いていた。
 「綺麗」
 目の前の桜がすべて地面を埋め尽くしたところ、君は僕の手を振り切って走っていく。地面に落ちた桜が真っ白で、君が踏み抜いたところだけが薄水色をして、僕はその水色を追いかけて君を捕まえようと懸命に走る。
 「じゃあね」
 めちゃくちゃに走り回って、もうあと少しで君を捕まえそうだって時に、君は股のぞきをして舌を出す。君の下着の色が見えたとき、僕はすぐに落っこちた。



 水色の散歩道7

もうどうでもよくなって夜中に家を出て海に来てしまった。少し欠けた月が白々と水面に光を伸ばしている。あの道をたどると極楽へ行けるのだっけあぁあれは夕陽だっけなどととりとめもなく、靴を脱いで海へ向かうけど。冷たい。すぐに浜の奥に引っ込んで、やっぱりダメだ自分はここでこうしているのがお似合いだ、と岩みたいに膝を抱えて海を見ていた。ほんの数メートル向こうにも岩。だと思っていたのが人だと気づいたのも、月がほとんど真上に来る頃で、その人が立ち上がらなければ気づかなかったろう。その人は海に向かって愚痴をこぼし、愚痴は波にさらわれた。なにか透明な生き物が寄って来て、愚痴を喰べるたびにポウと青く光った。やがて「よし」と小さく言ってその人は町へ戻っていった。東の空はもう明るい。自分も立ち上がって砂を払い落とした。波打ち際には青く透けた石が打ち寄せられている。点々とつづく石を拾いながら、さくりさくりと朝の浜辺を歩いている。



 水色の散歩道8

……ニュータウンと呼ばれていますが出来たのは前世紀になりますな。ありがちいやこの国では仕方の無いことですが丘陵地を切崩して宅地に造成したのですよ。それで「ヶ丘」という名前です、これも又ありがちですな。
山も近いし、手を入れられない様な急勾配の所はそのまま残して「緑いっぱいの街」なんてのをキャッチフレーズにしてね、まだ自治体もやる気があった時代ですな、勿論お金も、人もいましたしね。
住民の憩いの場として公園を幾つかと遊歩道を整備しましてね、「虹ヶ丘」に因んでその内の七つに名前をつけたんですよ。案は他にもあったそうですがまあ一番無難と言えば無難ですな。それでね最初はアスファルトをその色で塗るとかいう話だったのですよ。でも流石にそれはやり過ぎだろうと入口や行先表示なんかを色分けするに留めてね、それなりに好評でしたよ。今じゃすっかり褪せてしまってますけどね、もう。
ああだから気づかなかったのでしょうな。ここが『水色の散歩道』だと。え?知ら無い?ネットで検索すれば一番に出て来ますけどね。ここは圏外なので戻ったら調べてご覧なさい。
……もっとも戻れれば、の話ですがね。



 水色の散歩道9

 N社が大層美しい遊歩道を寄贈したということで、その記者会見に出席した。
「今回、弊社がS市に施設したのは空色の散歩道です。絶景で有名なウユニ塩湖のような体験をお楽しみいただけます」
 ほお、それはすごい。一体どんな散歩道なのか。
「それを可能にしたのは弊社のミラーシート技術です。全長五キロに及ぶ歩道に取り付けました」
 ミラーシートだって?
 すると女性記者が質問する。
「あのう、それってスカートの中も丸見えってことですか?」
「それにはご心配なく。歩道は凸面となっており下着が凝視されることはありません。また弊社の技術力をしても傷には勝てず、鏡としての性能はすぐに劣化します」
 ため息に包まれる会場。一体どの部分に落胆したのか。
「しかし散歩道の本領発揮はここからです。注目は雨上がり。ウユニ塩湖の輝きを取り戻すのです」
 ほお、雨上がりが見頃とはなんとも一興な。
「なぜS市が選ばれたのですか?」
「天空率の高いS市の地理が適していたからです」
 確かにこれは重要だ。
 しかし真の意味を知るのは後日、飛行機で上空を通過した時だった。
「これがやりたかったのか……」
 S市の街並みの中でキラキラと輝いていたのは巨大なN社のロゴだった。



 水色の散歩道10

(都合により削除しました)



 水色の散歩道11

 また放火事件が起きた。現場は近所で、今回も刑事がやってきた。
「その時間は犬の散歩に行ってました」
「気になるような人などは」
「見てませんね。今回も」
 お力になれなくてすみませんと言うと、刑事たちはいえいえありがとうございます、と頭を下げて去っていった。玄関のドアを閉めたのでコロを風呂場から解放する。キャンキャンずっと吠えていたコロは、捨て犬だった。黒っぽくもふもふしたぬいぐるみのようだった子犬も今や立派な中型犬。どう見ても雑種だけれど、日本スピッツの血が入ってるんじゃないかなって人から言われる。
「コロぉ、また放火だってよぉ」
 怖いねぇとコロに話しかけても鈴の入ったボールにかかりきりで僕の話なんか聞いちゃいない。
 あまりに続く連続放火。消防署と市の協議により、公道に面する建物には防火塗料が塗られることとなった。作業は突貫で行われ、街の景観はひどいものとなってしまった。市がケチって最も安い塗料を納入させたためらしい。
「プールみたいだねぇ」
 先を行くコロに話しかけるが行動はいつも通り。
「先に帰っちゃうぞ?」
 そう言うとコロは僕をじっと見つめた。手に持つ鎖からパチっと、きっと静電気。



 水色の散歩道12

 小学校入学早々、まっちゃんの青いランドセルをカッコいいと強奪し、以降、わたしはパンキーな女の子と認知され、もうすぐ高校を卒業するってのに、汚名を雪ぐどころか、むしろ、ファンキーとヤンキーを兼ね備えた、ありきたりな田舎ガールに成り上がった。
 内在してるガーリーやファンシーに気づいてくれる男は、だいたいナヨッとした残念男子か老人で、ヤれると思って近づいてくる男の子らは、案外身持ちの堅いわたしに気づいた途端、ホントに軽い娘へ流れる。うんざりしないではないけど、そういう時の捨て台詞コレクションはなかなかなもので、呟けば三桁RTを軽く超える。
 卒業して田舎を出るか残るかは、それほど問題にならなかった。出て行く理由も残りたい理由も無くて、通学路脇の川の流れに身を任せたみたいだけど、河口の街に就職する。
 パンキーもファンキーもヤンキーもガーリーもファンシーも、全部抱えてわたしは大人になる。歳を取り、たまに帰ってきたわたしはきっと、今のわたしと手つなぎして歩くのだ。この、かつての通学路を。



 水色の散歩道13

「散るが愛しい」詩人にそう言われて赤色は削ってもらってて、水色にはそれが面白くない。水色は詩人が大好きであったので、自分も削ってもらいたかった。紫色はクールに、水色の羨望に満ちた顔を無表情で観察していた。全く詩人に触られたことのない白色は水色に少なからぬ同情を抱いた。長身を起こし、「気散じに、ちょっと出ないか?」と誘いの声をかけた。白色に連れ添うようにして水色はコロコロと一緒に転がっていった。
 白色と水色のささやかな反逆を、赤色や青色や茶色は他人事として横目に眺めていた。しかし黒色は薄目をあけて、白色と水色が何処まで行くのかを、静かな情熱をもって見届けようとしていた。黒色の瞳は、他の全ての色を真っ直ぐに見据えることに長けていた。他は皆偏った見方しか出来なかったが。
 白色は机のわきのゴミ箱に真っ直ぐ落ちてしまったが、水色はまだ勢いを残し、階段まで達し転がり続けていく。
 皆気づいてなかったが、黒色はずっと目で追っている。見えなくなってもカン、コンと水色の足音を聴いている。



 水色の散歩道14

 私の生涯が読み物だとしたら随分と退屈だろうか。
 妙な人間だとよく云われはしても暮らしはいたって平坦であったし、そういう、何もない日々によろこびを感じていたから、ひとりではいずれ苦労すると友人に忠告されても、結局、新しい家族というものをつくらないまま、すっかり骨も衰えた。
 両親が先代から継いで遺したちんまい家の戸を開け、かつての私たちの足跡をたどる毎日、「白」と「青」のふたりから生まれた私に「自由」という名を渡してくれたいきさつを思い返しては、不自由な足どりで小枝を踏む音や木漏れ日に意味はなくともうれしい。
 そろそろ夜は冷える。
 何のスープを作ろうか、台所の様子がどんなであったか記憶をたぐる。
 こんな調子で何万字何百万字もやられてはやはり退屈だろうから、さっそく筆を折ることにして、明日は何をしようと小枝を踏み踏み。



 水色の散歩道15

 月曜日とは憂うつなものだと相場が決まっている。学校へ行く学生も、会社に向かうサラリーマンもみんな浮かない顔で歩いている。
 一方、犬や猫やおばけやドミノには学校も会社もなく、ましてや月曜日なんて概念もない。学生やサラリーマンが浮かない顔で歩くその横を、すました顔で歩いたり浮かんだりパタパタ倒れていたりする。
 今「何故ドミノ?」と思われたかもしれない。実は、あなたは気づいていないだろうが、ドミノはどこのどんな道にもひそかに並んでいて、常にパタパタ倒れているのである。
 稀に、ドミノの倒れる音を聴くことがある。ほとんどが一律のドミノの列に、肉厚のふっくらとしたドミノがまぎれている場合である。それはブギウギのリズムにも似て、聴けば憂うつな気分もすこし晴れる。
 もしも聴きつづけようとすれば、あなたは学校へも会社へも行く気が失せ、ドミノの倒れる先を辿っていきたくなる。不安と期待とが入り混じりながら辿るその道筋は、通称「水色の散歩道」と呼ばれる。そして行きつく先はひとつである。すべてのドミノは丘へと通ずる。丘にはブルーベリーが生っている。



 水色の散歩道16

虚と実の狭間に、真実の夢を見る。飽いた苦しみに護られた生死の向こうに、外された色の舞い。行けども来ず。還るにも会えず。顕現を与えられた幾重にもなる哀の文、透過されるには、余りにも古びているのか。萌えに限りを尽くし、収斂に舞いを緩める。高々に囲う、その輪郭の音音は、発散までの玉響、想いの色を歩む。

かなしみの
ゆめのまにまに
たまゆらの
いろにあゆみの
うつくしきたび

発光がした。夢へ帰還せずとも、香りさえ漂う。凋落の暦でなく、深く認められた祈りの軌跡。続く回廊への仄かな躊躇いが、逆に強く決断を強いる。染められた空が色に出会う。嘘ばかりの空間が真実を述べるように。将に帳は数える。帰還と応答は、美しき夢となった。彷徨うまでもなく、流離う溜息と共に。