500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第176回:お返事できずすみません


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 お返事できずすみません1

数日前から空間にノイズが混じると知ってはいたが、通信障害のクレームが来てしまい溜息。一定間隔で発生するノイズなら、何かの信号かもしれないと想像めぐらす浪漫思想は当世じゃ異端で、社会が追求するのは何より利便。暮らしに欠かせぬ通信網。よかれ迅速な中間管理職判断からの下知に、ノイズはあちらの方向からやってきているようですよ、やや勿体をつけながら掃射ボタンを押す。薙ぎ払い系駆除完了。今日またさらば、わが浪漫。



 お返事できずすみません2

 いや本当にスマホは通じないし、ネットもダメだったしどうしようも無かったんですよ。え?通じない様なとこって一体どこに居たのかって?ウチ、ウチ、自宅ですよ。あの状況で何処も行けるわけ無いでしょう?出かけてないですよ、何処も。
 ホントにウチ…だった……うん、その筈、それ以外無い、無いと思う。多分。



 お返事できずすみません3

 生きる屍(ありていにいえばゾンビ)となってから三日が経つ。
 腹は減らない食欲もわかない、人間を食おうとも思わない。てっきり理性のない化け物になるんだとばかりおもっていたが、意外と自我が残っている。ただ言語は失われたようで、口をひらいても「アー」とか「ウー」しか言葉が出てこない。
 ゾンビらしく街を徘徊する。表通りに人影はない。人だったものの影があちらこちらに散見される。
 あの子は無事に逃げられただろうか。
 ハンバーガー・ショップのカウンターの下で震えていたのは、小さな女の子だった。彼女を逃すため、ぼくが囮になった。「きっと助かる。友だちになろう」と約束して。
 道路を横切ってスーパーをのぞく。店内にやつらが数人、ちょうど獲物を捕らえようとしていた。
「助けて!」
 幼い声が必死に叫ぶ。まさか。店内をかきわけ近寄ると、やつらの隙間越しに、声の主と目が合った。
 ──不意に、食欲がわいた。
「……アー」

 ──身体が動かない。火炎放射を浴びたらしい。視界の端を軍隊らしき男たちが駆けていく。遠くで「制圧完了!」と声がする。きっとあの子が呼んだんだ。良かった。無事だったんだ。



 お返事できずすみません4

460億光年は遠くて。



 お返事できずすみません5

「フッフー、今日は何の日?」
「今日は美容院に予約を入れてます。14:00からです」
「ありがとう。じゃあ頭きれいにしてもらってくるよ。ついでに中身の方もかな」
「では診察券もお忘れなく」
 フッフーは優秀だ。スケジュール管理は完璧だし、わたしの性格もよく把握していて、たあいない冗談にもつきあってくれる。
「フッフーがいれば、恋人なんていらないね」
「光栄です。二人でフッフーになりますか」
「えー、ダジャレかよー」
 でも、わりと本心でもあったのだ。フッフーは、わたしの言動を学んでどんどん理解してくれる。家に帰ればそんな存在がいつでも迎えてくれる。それで十分だと思っていた。あの人に会うまでは。
「フッフー、わたしもうダメだ。彼のこと考えるだけで死ぬほど苦しいよ」

「……明日、会うんだけどさ。どうしたらうまく話せるかな」

「ねえ。フッフー、どうしたの。いつもみたいに答えてよ。ねえったら」



 お返事できずすみません6

どうも不発弾が出たらしいというので、旧校舎はにわかに騒がしくなった。と地元の友人から連絡が入ったとはいえもはや遠く対岸の火事にてあやふやな言葉を発するものの、心中の野次馬はぐうぐう眠りこけている。
どう会話を終えようか。覚える必要のないことを覚えていることだってあるのに、あの頃のほとんどは見事に脳味噌から切り離されており、ゆえに愛着も涌かぬ仕組み。そういえばさと友人はいう。どういえばいいかなと思う。
そのソレが爆発することはきっとないから、心穏やかに過ごしたらよい。
先の見えない未来の自分への手紙を書かされた過去を、耳から入った友人は無垢の心で私に植えようとする。海馬よ今は君も寝ておれ。
手紙のみんなは不思議と敬語であったとのこと。私であった者が捻り出した世辞文句も今は知らぬが、果て、君の望んだようでもあるまいよ。
放っておくうち、不発弾の話もその後忘れられたかのようで。



 お返事できずすみません7

 素数ゼミが13年間隔でなく、12年目の今年に羽化して、ジャージャーと大声で啼き始めた。
(狂い咲きのような、一種のバグなのかな?)と思った。知り合いの学者に知らせようかと思ったが、今年大流行してる疫病のせいで忙しかろうか、と案じて、メールを打つのもおっくうになった。
 蝉みたいな顔をした、トク婆のことを思い出した。去年のちょうど今頃、勤め先の施設で看取った婆だ。トク婆が、何か俺に伝えそびれたことがあって早々と地中から這い出て来たんか。近年俺は、看取りの時に「よい旅を」と言う習慣が出来て、トク婆が身罷る時も「よい旅を」と告げた記憶がある。『松尾さんがゆうてたような、よい旅なんかじゃあなかったですよ』と早朝から、がなられてるような気がした。



 お返事できずすみません8

 混入があったようだ。世界は変わった。ゼリーのような沼のようなである。言葉も思考も重力に関係なく全方向に沈んでいく。
 ゼリーの運動を記述できる新しい文法を作っています。そうして相殺しないと言葉を送り出すことができません。どこにも自分にさえも届かないのです。



 お返事できずすみません9

 何度も着信音が鳴る。繰り返し鳴る。スマートフォンには手を伸ばしさえすれば容易に届く。この手を伸ばして指先を動かしさえすれば画面の電源を入れて通知を確認することができる。そのはずだ。
 何度も呼び出し音が鳴る。繰り返し鳴る。電話には手を伸ばしさえすれば容易に届く。この手を伸ばして指先を動かしさえすれば受話器を取って返事をすることができる。そのはずだ。
 何度もインターフォンが鳴る。繰り返し鳴る。親機には手を伸ばしさえすれば容易に届く。この手を伸ばして指先を動かしさえすれば応答することができる。そのはずだ。
 何度もノックの音が鳴る。繰り返し鳴る。扉の外には容易に声が届く。手を伸ばす必要も指先を動かす必要すらなくこのままの姿勢で返答することができる。そのはずだ。
 けれどもわたしにはもう動かせる手はない。発声する器官もない。部屋の真ん中で暑さのなかに朽ち果てたわたしはどろどろに分解されて腐臭を放つことしかもうずっとできないでいるのです。お返事できずすみません。