500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 作品一覧 > 第30回:松本楽志選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

西へ 作者:白縫いさや

 四季の折々に極彩色の花を咲き散らす樹の下で少女は生まれた。いつもそんな夢を見る。薄茶色の毛布をどけて立ち上がると、足元には古地図があった。図書館の背の高い本棚と、それより遥かに高い天井、天窓、真っ黒な羽根を撒き散らし横切る黒い鳥。青は鳥に啄ばまれた。灰色の空に白い雲が溶け込んでいる。ステンドグラスのキリストは磔にされたまま。髑髏に咲く花は紅薔薇だ。
 古地図に描かれたコンパスは西を示していたので、少女は古地図の上を西へ歩く。少女がツェッペリンの飛行船を跨いだところで、
「ビッグベンは鳴らないよ」
「鳴らないわね」
 本棚の上に寝そべる少年は少女を見下ろした。
「海を渡るの?」
「紙の海なら絶対に溺れないもの」
 本棚の一段から黒い鳥が現れて、向かいの棚へゆっくりと飛んでいく。とても醜い鳥だった。禍々しい声で鳴く鳥は紛れも無く少女の鳥だ。少年は鳥の背に飛び乗ると、首を絞めた。鳥は奇声を上げながら死ぬ。古地図の上に鳥と少年が落ちた。遅れて、黒い羽根。少女の視界一面を覆い、羽根が全て落ちると紅薔薇に穴が空いていた。先の見えない穴に向かって古地図は続いている。西へ。
真っ白な少年の手が、穴の奥から少女を呼んでいる。



雨 作者:不狼児

 取り外し式のペニスを外すとふしぎと心が落ちついた。安らかに眠れる。それからは毎日、家に帰ると靴を脱ぐようにペニスを外すようになった。
 彼は外したペニスを灰皿の上に置いた。灰皿は空っぽだ。もうタバコを吸う必要もない。窓に当たる雨はめずらしく錠剤のように堅い音をたてて強く降った。が、それも一時だった。
 だからその日、彼はもうペニスを着けないで外に出た。
 雨が降っていた。
 灰色の雲を串刺しにする無数の小さなペニスが彼の頬と背中と、手の甲と、街を行き交う人たちの衣服をやさしく叩いていた。



仰臥 作者:雪雪

あれは雲ではない、蓮だ。
してみるといま瞳が見ているのは光ではないなと思う。
泥が重い。
そう思ったが、泥だと思ったのはからだだ。
もう寝返りも打てない。
気泡がひとつ、ふらふらと昇ってゆく。仲間のところに帰るのだなおまえは。