眠りすぎないように1
それは五歳の誕生日にもらった、オーダーメイドの高級品。細かなところまで細工が行き届き、繊細な表情を見せる、ヒト型の目覚まし時計。
夜寝る前には絶対に時計をベッドへ引きずり込む。どんなに嫌がろうと悲鳴をあげようと、絶対につかまえて布団のなかへ押し込む。可愛いパジャマを引きちぎって開き、その胸の中央にあるネジ型突起を力任せに巻く。巻きあげる。
泣き疲れてぐったりする時計を抱きしめ、わたしは眠りにつく。ネジを巻き終えてからきっかり八時間が過ぎると、目覚めた時計は悲鳴をあげ、わたしの抱擁から逃げようとする。その声と動作の大きいこと。おかげでわたしは寝過ごしたことがありません。
ただ、ひとつだけ。時計をもらったときに両親が言ったこと。もしも時計が目覚めたとき、あなたの手で時計を止められなければ、あなた自身が止まってしまう。気をつけて。
今夜もわたしは全力で時計のネジを巻く。目覚まし時計のネジ型突起と、わたしの胸の中央にあるネジ型突起を、ふたつの大きな悲鳴をあげながら、力尽くで、最後まで。
眠りすぎないように2
夢の中でしか会わない友人がいる。先月ぐらいから、とかじゃなくて、物心ついたころから、ずっといる。背格好も、ぼくと同じように少しずつ大きくなって年を取っていって、普通の友人とちっとも変わらない。学校で友達や先生に話したら、それはぼく自身の投影だという。いや、そんなことない。彼は、ぼくの知らないことを知ってるし、彼の紹介してくれた本を検索したら、ちゃんと出てくるし、辻褄が合わない。
ユングの夢の本も読んでみたが、どのケースもしっくりこない。ひょっとしたら、ぼくはこれが夢だと思ってるけど、他の人の見てる夢とは全く違うしろものなのではないか。
夢の中の友人に、家に誘われた。どぎまぎした。今まで、それは一度もなかったことだ。でも断る理由が思い付かない。行っていいんだろうか。もう、帰ってこれないんじゃないか。ぴぴぴぴとスマホのアラームが鳴って、引き戻そうとしてくれている。でもどこへ戻そうって?ぼくの腕をつかんだ友人が、ほら、早くいこうぜと快活に声をあげて、足が勝手に歩き出す。ここは、どこだ。
眠りすぎないように3
「ほら、コーヒー来たよ。」
目の前の男性がテーブルをノックしたらしい。眠っていたのかな、私。
コーヒーを口に運ぶ。
「で、話の続き。もう夢を見ないで欲しいんだ。そうすればここは切り離されて、うっかり裏返ることもなくなる。」
何の話だっけ。そう、たしか、この人は私を起こしにきたんだった。眠りの底が抜けると夢は裏返る。この人の部屋は夢が裏返る先にあって、復元力で夢が元に戻る時、しばしば取り込まれてしまうとか。
「この夢が気に入っているんだ。もう裏返って欲しくないんだよ。」
今まで取り込まれた先には酷い夢もあったんだって。
「夢の主にとっては夢でも、僕の身の上には実際に起きることだから、何度も繰り返し他人の夢に取り込まれる人生は終わりにしてそろそろ落ち着きたいんだ。」
えーっと、彼を信じるのであればここは私の夢ってことか。なのにどうしてこんなに眠いんだろう。夢の中ではコーヒー効かないのかな。
あれ?布団の中だ。なんか変な夢見てた。夫もちょうど目を覚ましたみたい。
「こっちで起きちゃったんだ。」
あれ?夫は別の人ではなかったかな。これはさっきの夢の中の人のような。わっ顔近づいてきた。
「おはよ。この、底抜けのバカ。」
眠りすぎないように4
「中高と朝起きれなくて、自分が怠惰な人間だと思ってたんです」
「生徒会長だったんでしょ?」
仄かに酔っているが、筋は出来上がったテンプレ話。打算は、ボンヤリ気づかれる程度が効果的。
「毎日先生に超怒られて。で、今のグループ異動した時に『超朝辛い』って話したら『病院行ったら?』って」
「睡眠外来?」
「そう。定期検査通ってるんですけど、頭とかにセンサ貼って一晩寝るんです」
「寝相悪いと大変だ」
「知らない人に寝起き見られるの最悪だし、もう一泊検査みたい」
「なるほど」
「『ロングスリーパー』って病気って言われたから、ちょっと安心して」
「そんな寝るの?」
僅かにテンプレから外れた不用意を、相槌がスルー気味に促したので、助かったと思うし、その程度かとも思う。
「平日は薬飲んでるけど、週末は飲まないから、起きぬけだと朝か夜かわかんないです」
「丸一日? もっとか? 薬スゲェ」
「でも強い薬らしくて、肝臓の数値も毎月検査してて」
「だけど酒好きと」
「昔はもっと強かったんですけどね」
本当に弱ったら起きないだろう。短い人生は強く生きねばならず、周囲は強さを求められていると信じて疑わない。
眠りすぎないように5
「目覚ましはやめた方がいい」
「何で?」
「止めて二度寝して寝過ごす」
「それは君では?」
「んんーでも必要ないよね?」
「…そうね」
目覚まし時計は小鳥に姿を変えて飛び去った。
「え?何今の?…ギミック?」
「昨今の流行り。変化形はランダムで今回は小鳥」
「そういうの疎くて…そう、小鳥なの」
「別のモノだった?」
「近い…かな」
そのあたり同じで無いのは仕方がない。
「…起きれないとどうなるのかな?」
「ありえない…と思う」
「だよね」
会話が途切れると緩やかな旋律が室内を満たした。暫くそれに浸っているのもいいなと思っていたら転調。
「時間…ね」
「いい頃合かも」
各々の個室に続くドアを開けて一歩踏み出す。
「おやすみ」
「Gute Nacht!」
共有エリアを出ると言葉は分かたれ奥に進むとドアは消滅した。ここはただただ白い。イメージの問題なのでちょっと変えてみたかったけど時間切れ。「ready 」を示す色の点滅が急かしている。
「あーわかった、わかった」声を出してみた。勿論、誰も応えない。「応えたら怖いな」聞いていた通り独り言が増える。ちょっとハイ?「しゃーないか」まあね。「…では行き…」いや「Good night」
眠りすぎないように6
今から寝だみぇ・・・
眠りすぎないように7
昔、おばあちゃんがよく言っていた事がある。
「あまり眠りすぎるものじゃないよ。夢の世界に取られてしまうよ」
おばあちゃんが亡くなってからは、今度は母が俺の睡眠時間を気にするようになった。明日は高校受験の日だ。連日徹夜だった俺は、前日ぐらいは早く眠ろうと思い布団に入った。
母の声がするが、俺はもう起きているのになんだよと思った。試験が始まり、順調に終わった。合格発表の日、もちろん俺は合格していた。高校では文武両道で有名にもなった。その後も一流の大学に合格し、一流の会社に入り、社長の娘と結婚し幸せすぎだと思っていた。俺の人生、順調すぎて怖いぐらいだ。
しかし、ある日から悪夢を見るようになった。結婚する時まで使っていた部屋のベッドで寝ている俺。両親が俺を見て泣いている。最初はそんな夢だった。日を追うごとに、俺はどんどんやせ細っていく。毎日、前日の続きから悪夢が始まるようになった。ある日は、俺を祈祷している。それでも俺は目覚めない。
そうして夢の中の俺はやせ細り、とうとう息をしなくなった。そのとたん飛ばされるような感覚が起こり、10代の俺の亡骸を天井付近から眺めていた。
眠りすぎないように8
静かな、夜だった。
吐く息は煙のように広がり、アイゼンの掻く音が、遠い。
衣擦れの音に満遍なく包まれて、一歩を踏み出す。
後頭部を、何か、が、かすめた。
幼い、頃によく、鳴っていた、鳥威しの、空銃。
乾いた、かろい音が、はろばろと田を渡って、いった。
違う。
…割れた!
下りの安堵感でゆるんでいた意識が、たちまち茨の鞭で締め上げられる。
ガバリと振り返る。
月光は、もう頂の見えなくなった山容の白と夜空の黒を、きっぱりと分けている。いるはずだった。
白い湯けぶり、などというものではなかった。
昔観た、ビルの解体場面がぶわりとあふれてくる。
巨人が、斃れてくる。
左右を、見る。
物陰は、なかった。
既に強張っていたはずの喉が、氷の滝となり這い登ってくる。
つぶやきは言葉にならず、わななきながら、足下を掘り始める。
このままくらったら、たちまち畳まれ、潰される。
地鳴りが腹を突き上げる
震える体を、かがめ、
トラックが飛び込んでくる
ぎこちなく、平らに、
視界が翼竜に覆われる
両手で、口、を
鯨が跳ね上がる
墜ちてくる
みしり、と両ドアは閉じられた。
眠りすぎないように9
カチカチと鳴っている。カスタネットみたいな音。わたしは目をあける。
赤いおばけと青いおばけが、天井の辺りに浮かんでいる。ふたつはぴったり重なって、互いをぶつけ合っている。鳴っているのはその音だ。
たぶん、見てはいけないものを見ているから、わたしの顔は赤くなっているに違いない。ベッドから起きあがり、いそいそと部屋をあとにする。顔を洗い、朝ごはんをたべ、歯みがきをして部屋にもどると、おばけはいなくなっている。
おばけは毎朝現れる。いや正確には毎朝ではなく、夜ふかしした翌朝には現れない。おかげで寝坊しそうになるので、そんな日こそ現れてほしいのだけど。
今朝は、いつもより長いあいだ聞こえてきた。どうしてか、目を上手くあけられない。するうちに音はどんどん速く、高くなる。あまりに甲高くって、わたしはきっと恥ずかしくって真っ赤になっている。やっとのこと、わたしはパッと目をあけた。
いつもと違う天井だった。起きあがろうとしたけど、からだが動かない。何人もの知らない人が、わたしの顔をのぞきこんだり、周りをバタバタかけ回っている。あれ、ここ、病院?
と。おばけはひときわ高く「カンッ!」と鳴り、消えた。
眠りすぎないように10
うさぎは三日眠り続けると、もう目覚めない。死ぬわけではない。ただ生きたまま、静かに瞳を閉じている。それが本当のことだと私は知っている。今も私のそばで寝息を立てるミアがそれを教えてくれる。彼女は二歳になってすぐ長い眠りについた。私は中学に上がったばかりだった。毎日泣いて過ごしたことをよく覚えている。あれから時が経ち、私はもう成人式も終えてしまった。
青空の澄んだ土曜、ミアが子供を産んだ。そこに確かにいる小さな存在を私は呆然と見つめた。きっと……きっと、これは彼女が夢の中で成した子供だ。私は即席のベッドを作ってその子を寝かせた。それはごく小さな体を震わせ、か細く泣き、やがておとなしくなった。眠ったのだ。眠った……? それは恐ろしい予感だった。月曜になっても私はただ赤子を見ていた。朝日を浴びたその寝姿はミアとそっくりに見えた。私は祈った。それが私のエゴだとわかっていても、それでも祈らずにはいられなかった。
どうか、私のこれからの十年を、この子と共に歩ませてください。
やがて日も沈んだ。時計の音が静かに鳴っている。
眠りすぎないように11
物理的な拠り所がないので、気を抜くと霧散しそうになる体である。
宙ぶらりんの精神は誰の視覚に捉えられることもなく、どこともいえぬ空間で揺蕩い、自我を保つことがとてもむつかしい。おらは死んじまっただ。
叱ってくれる相手もおらず、たった独りの自覚だけがある。
なにせ身体がないのだから、周囲を知覚することもできないようだ。
血流をめぐらせるように思考をめぐらせて、私というものをなんとか留めようとする。
生まれてから、独りでいる。
拠り所がないから、霧散しそうになる。
考えることが、私の血であり肉である。
思考を閉じたらきっと消えて失くなってしまう。
夢見ることもなく、不安のなかを私は揺蕩っている。
眠りすぎないように12
明日が試験なので、今夜は徹夜を覚悟せねば。とりあえず夜食代わりに、珈琲と冷蔵庫の杏仁豆腐を食おう。うん、このピリ辛の甘さが頭を冴えさせるな・・・いや、なんかねむい。ねむくなってきた。いかん。ラベル見たら、これは杏仁豆腐じゃなくて安眠豆腐だった。
眠りすぎないように13
睡魔が睫毛に腰掛けて、曖昧になってくる。目蓋を擦ってもふわり舞っては腰掛ける。無限が待っていると囁いて、睡魔は数を増やしていく。戯れに目を閉じると嬉しそうに笑うから、意地悪をしてやりたくなる。
眠りすぎないように14
「えっ、一日十時間?」
留美子が驚きの眼差しを私に向ける。
「夢月、それは寝すぎだよ」
その言葉に違和感を覚えた私は思わず反論する。
「やだなぁ、寝すぎじゃなくて眠りすぎって言ってよ」
「いやいや、寝すぎは寝すぎじゃね?」
そんな言われ方は嫌だ。私は「眠る」が好きなのだ。
「ほら、眠り姫とは言うけど、寝る姫とは言わないじゃない」
「でも、永遠に寝るとは言わないけど永遠に眠るって言うよ。縁起悪いよ」
ああ言えばこう言う。
そんな留美子を論破するには「寝すぎ」の危険性をアピールするしかない。
「じゃあ、例えば三日間を考えてみて。三日間眠ると三日間寝るはどう?」
「うーん、どっちも同じ感じかな……」
「次は一週間。一週間眠ると一週間寝るは?」
「一週間眠るは何か変かも?」
「でしょ! だから「寝すぎ」の方が危険なの。寝すぎることはあっても眠りすぎることはないのよ」
ポカンとする留美子。理解できないという様子だ。
やがて彼女はキレ始めた。
「いやいや、夢月は寝すぎだって」
「違うよ。眠りすぎなの」
「やーい寝る姫」
「だから眠り姫だってば!」
こうして始まった寝る派vs眠る派紛争は、一年間も続くことになったのだ。