500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第185回:ほくほく街道


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 ほくほく街道1

 「そんな名前ついてたっけ?」
 左折の時、表示板を二度見した。いつも通る道なのに全然気づかなかった。まあそんなもんかもしれない。  「街道って街中通ってるイメージだけどこんな山奥にもあるんだ。字面に騙されたな」
 ついつい独り言。
 「ねぇ、カフェ寄ってかない?海岸沿いの」
 「え?」
 サイドシートからの提案に驚く。
 「そろそろいい時間じゃない?テラスで太陽が海に沈むの見ようよ」  遠くに建物が見えて来る。多分あれがそうなんだろう。波音が聞こえる。右側に夕暮れに染まりかけの海が広がっていた。いつの間にか開いていた窓、湿った潮風が纏わりつく。左側は見れないまま車を走らせていた。…一体…ココは一体…何処…なんだ?隣にいるのは…コイツは誰…なんだ?



 ほくほく街道2

 飛脚から届けられたのは、明日からの手紙であった。いかにも私の書いた字であるが、未だ来ぬ日のことであるから、身に覚えのないことでもある。
 愛想のない飛脚の姿はすでに見えず、足跡もないような。
 首を傾げたところで訊ねる相手もおらず、天を仰げば悠長な様子で鳶が飛んでいる。犬が歩けど棒にも当たらぬ天下泰平。よもやの事も起こりそうにない。
 同じような昨日も、飛脚が立ち現れ、たちまち煙のように消えた。
 一昨日にも、いかにして所在を知ったのか私を呼び止め、やはり私のしたためたらしい手紙を渡すと音もなく霧散した。
 それにも増して妙なのは手紙の内容で、道中起こる災禍を教えてくれるのであるが、それを避けた私自身は飛脚に手紙を渡す以前に書くべきことも起こらないのだから謎は深まるばかり。
 呑気にそのようなことを考える私は団子屋におり、口の端のみたらしを舐めては茶を啜る旨い。昨夜の蕎麦も旨かった。
 さて、手紙の主は無事であろうか。
 当の私は、夕暮れまでには宿場町に着くだろう。
 何事もなく、街道をゆく。



 ほくほく街道3

気持ちの良い秋の日である。秋晴れの天は高く、近ごろ肥えぎみ。
爽やかな秋の日である。
行く道はなだらかで、高い木の傍には石の里程標が立つ。「○○より五里」という文字が彫ってある。○○は読み取れない。

――まだ少し生ですので

茶店の主は先に行くことを勧めた。
その言葉に押されて歩を進める。間もなく香ばしい匂いが漂ってくる。呼び込みの声が響く。「焼栗」の看板。

――おひとついかが? パリの味だよ~

フランスになど行ったこともないくせに。
誇大広告に呆れながら更に歩を進める。先ほどの里程標の脇にはネットを張った木があった。そこから後はもう目立つ木はない。
代わりに昔懐かしい幟が翻る。「九里四里美味い」
ポーと汽笛のような音。十三里の里程標。



 ほくほく街道4

「パパ、見て!」
 娘のくるみが携帯ゲーム機を持ってきた。息子の北斗と一緒に。
 画面には一本の道と、その両側に並ぶお店が映し出されている。
「右が私のお店で、左が北斗のお店なの」
「沢山建てたね!」
 俺は驚いた。お店は十軒はあったからだ。
「このお店は?」
「これは果物屋だよ」
「本屋」
 娘と息子が交互に紹介する。
 果物屋と本屋とはなんとも可愛らしい。が話を聞くと意外と手間がかかっているという。果物屋を開くためには果物の収穫が必要で、本屋には本が必要だからだ。と言ってもひとこと文学らしいが。
「その隣りは?」
「靴屋だよ」
「干芋屋」
 干芋屋?
 俺は息子に尋ねる。
「芋を収穫したなら、そのまま芋を売ればいいんじゃないの?」
「この芋は姉ちゃんの果物屋から買ったんだ。買ったものをそのまま売るのは転売だから、禁止されてるんだよ」
 その言葉をゲーム機の転売屋にも聞かせたい。
「じゃあ、その隣りは?」
 俺が訊くと子供たちは次々と紹介してくれた。
「薬屋」
「ホタテ」
「釘屋だよ」
「ホッケ」
「櫛屋さん」
「ホヤ」
「鎖屋」
 いやいや干物はもういいから。
 俺も子供たちと一緒にこのゲームをやってみたいと思ったんだ。



 ほくほく街道5

「え、ほっ、ほっかいどう?」
「違うよばあちゃん、北海道じゃないよ。ほくほく、かいどう」
「ああ~。北陸街道じゃね。懐かしいねぇ…あれはじいさんの若いこ」
「あーあー、ほ・く・ほ・く・か・い・ど・う!」
「北北回堂…」
「そう! 覚えてない? 姉ちゃんが小さいときにさぁ」
「それは幻じゃよ」
「…は?」
「信心あらたかな者にしか見えぬのじゃ。四阿山の孤峰を東に」
「コホー?」
「牛を置いて善光寺から御来迎の西へ分け入れば」
「え、ちょっと、道ちがくない?」
「飯綱の厳つき独立峰の全容も見渡せぬまま」
「独立法?」
「ひたにひたに山の弱き所を突きつつ進めばやがて」
「え、ばあちゃん、そん」
「空を抱きし水面が、ふいに現れる」
「え、っと」
「そこをの、皆乾へ進むんじゃが、違うんじゃ」
「いぬい、てどこ?」
「霊峰の袂はの、たしかにたしかに尊きがおわします。だがの!」
「はいっ」
「北北回堂はの、男人禁制なんじゃ…」
「へ? なんにん?」
「うむ…おや、おまえヤスミじゃないね?」
「姉ちゃんじゃねぇよ!」
「ならばこの話はなかったことに」
「え、ちょっ、今さら」
「喝!」
「うぎゃあああ



 ほくほく街道6

 さて、ここに、芋があった。片手で簡単に握れるぐらいの小さな芋である。
 そして、そこには、世界があった。
 電子顕微鏡で拡大して見ることがなければ、そこにかれらが住んでいることはわからない。ヒトによく似た姿をもつかれらは、ヒトとよく似た動きをする。当然のことながら、かれらは明らかにヒトではないが、ひとたび目にすることがあると、容易に勘違いできる。ありえないほど小さなかれらの姿態も生活も、ヒトのそれに酷似しているのだ。
 芋の中央には、大きな溝がある。ヒトの肉眼では見ることがかなわない、細い細い溝である。それは、かれらが長い時間(ヒトにとってはほんのわずかな時間)をかけて切り開いた街道であり、かれらはそこを中心に村を形成している。そこには商いがあり、賑わいがある。行き来があり、諍いがある。かれらは子を産み、育て、仕事をし、生活を営み、社会をつくっている。芋はかれらの地球であり、唯一の世界であり、すべてであった。
 その芋が本日誤って食卓に供された。丁寧に蒸かされたかれらの宇宙は、我が家族の口中から下水へと流れ、跡形もなく消滅した。



 ほくほく街道7

 小春日和やインディアンサマーのように、異なる季節で形容するのが人類に共通した詩情なのだろう。
 太陽が照り、北風が吹いている。
 ポリコレ的に「インディアン」はアウトかもしれない。と、己の思索へツッコミたくなるけど、つないだ手は温かい。
『またくだらないこと考えてたでしょ?』
 会話するには、どうしたって手を離さなくちゃならなくて辛い。
『くだらないこと考えるのが人間ですよ』
 そして、また手をつなぐ。
 難しいことを難しくなく言うのは難しく、適切な言葉が見当たらずにまごつく。どんなにITが進歩しても、簡単に「適切」は見つからない。
 日向にバス停が見える。眩い。
 不意に、亡くなった祖父と最期に手をつないだ記憶が蘇る。
 過剰にエモくて、自分がたまらなく気持ち悪い。
「元気でいてね」
 離れた手と、久々に聞いた声がそう告げる。
 乗降口が隔てる。
 もうつながらない手。
『うん。元気で』
 言葉は見えたハズなのに、答えは見えない。聞こえない。昼下がりの幹線道路は、なによりも逞しい。
 出発のクラクションが、雑多な音に融けて消える。
 さよなら。大切な人。
 永いが、しばしの別れだ。



 ほくほく街道8

 だれも通ったことのない街道が、かつて幾つも存在した。
 なぜだれも通ったことがないのか。それらの街道が実は生きていて、人を避けて動いていたからである。
 名を挙げるなら、かりかり街道、さくさく街道、ぷりぷり街道、とろとろ街道──かつて国中に棲息し、密かにただよっていたこれらの街道は、今はもう存在していない。
 なぜ存在しないのか。食べられたからである。人知れず繰り広げられた弱肉強食によって。
 人との遭遇を避ければ、自ずと移動場所は限られる。ゆえに街道は他の街道と鉢合わせる宿命にある。そして互いの生存をかけて闘う。街道は共食いをするのである。
 かりかりを食べ、さくさくを食べ、ぷりぷりを食べ、とろとろを食べたもちもち街道もまた最後には敗れた。事切れる間際にもちもちが見せた表情はじつに悔しそうであった。おそらく勝者とは対照的であったろう。
 なぜそう言い切れるのか。わたしがその勝者であるからだ。この世に残った唯一の生きた街道である。
 断っておくが、街道を食べても味はしない。特にうまくもまずくもない。共食いはあくまで本能である。
 ところで、人はうまいのだろうか。



 ほくほく街道9

 助手席からカネトモ君が「あれは、おかしい」と、前方の仏具店を指さしながらいぶかってる。運転の集中力を維持しつつ、見やると全体がガラス張りで、仏具店の割にはど派手だった。
「うーん」確かに不自然だな、と相づちを打つ。もともとはこの辺も賑わってたんだろうな。古代より栄える敦賀港から、京都まで通じる旧街道だし、新幹線・高速道路が人の流れを変えるまでは。今では大手チェーンの飯屋・健康ランド・時代がかった連れ込み宿だけが、ぽつぽつと生き残ってる。
「あっ、そうか」と都会育ちのカネトモ君が、眼鏡の奥の細い目を広げた。
「パチ屋やったんや」
パチンコ屋がつぶれて、空きテナントに仏具屋が入ったのか。そういや、隣町のショッピングモールが、総合福祉センターと化したわ。去年。  まだ路脇には雪が残っている。判子屋の柿渋の木戸に、選挙ポスターが色褪せている。アルトエコのタイヤがアイスバーンを踏み、つるっと滑った。



 ほくほく街道10

「北前船ってのがあってだよ」
 オッサンの有り難い高説中に呑む酒は、たまらなくマズいので、せめて一杯ぐらい奢れよな。と思うのだけどグッと我慢する。
「舞鶴から、荒れる日本海を新潟山形秋田青森と北上してくのだけど、初っ端で能登半島がつっと邪魔しとるわけだ」
 お前、全石川県民に土下座で謝罪しろよ? 「すみませーん。『手取川』の純米吟醸、グラスで」
 呑まなやってられんて。
「いいねぇ。純米吟醸ってお米を」
「あっ、唎酒師持ってんで」
 安いマウント取りに来んなや。
「えっ……凄いなぁ……となれば、能登で風待ちすることになるから、北陸と東北・北海道の結びつきは強くなったわけだ」
 酔っ払いの戯れ言でも「となれば」ぐらい正しく使え。「となれば」ぐらい。
「海廊は対馬海流に合わせて毎年変わるけど、山や岩くれは動かないので目印になる」
 そりゃなー。
 なんなんだよ。この話。
「そうして、北陸から北の港町をつなぐ海道ができ、開拓使が終点の名前にしたと」
「嘘ですよね? それ」
 薄っぺらな蘊蓄もどき。
「バレた? でも、『ほくほくフィナンシャルグループ』の由来は、そんな感じだよ」
 知らねぇよ!