500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第186回:ブルース


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 ブルース1

レオパレスの薄い壁越しから、ネカフェの隣のブースから、パチンコのトイレの個室から、SNSや掲示板から、自傷したての紅い傷から、冷たいのをキメて開ききった瞳孔の奥から、黄色く治りかけた青痣から、交通整理のじいさんの背中から、立ちんぼのうんこのついたTバックから、ぺちゃんこになった猫の轢死体から、パネマジ上等の風俗の看板から、女装のおっさんの太い喘ぎ声から、踊り場にキラキラ輝く注射針から、河原に棄てられたコンドームから、ホストの投げ捨てた銀行の袋から、ゴミ漁りするホームレスの舌打ちから、在日を悪し様に罵るデモ隊の口から、人工透析で繋がれた管の中から、売り専のポッカリ空いたアナルから、アル中の部屋のションベン臭え酒壜の森から、万引犯を迎えに来た老妻の背中から、デリ嬢と食う焼肉の上げる炎から、ゲロを洗うタクシーの運ちゃんから、ネコみたいにでかい歌舞伎町のネズミから、そして口を半開きにして今これを読んでいるマヌケなてめえらの空っぽの目の奥から繰り返し繰り返しブルースが聞こえてくんだよ!楽園はどこにもねえんだ、せめて歌えよ。下痢の屁みてえな、腐った、きったねえ、おめえのブルースを歌いながら死ね。



 ブルース2

空き地の真ん中を、オオバコナズナ、バタバタと踏んで抜けていく。ランドセルの中身が、陽気にぶざまに踊っている。吸い殻が一本、落ちている。大人は、ずるい。今日も、明日も、お手伝い。お手伝い。大皿を落とした。いい音立てて三匹になる。母さんは犯人に襲いかかるシェパードの顔になる。恐怖漫画の女はきっと前世だ。皿はもう静かで、鳴かない。冷たい。部屋で鉛筆をへし折った。見つかって、げんこつを落とされた。星が飛ぶ。夜空は孤独だ。星はつながらない。星座なんてまやかしだ。凍えてふるえているシリウス。目が合う。目をそらした。ごめん、と唇の形をつくる。オリオンは遅い。死ぬほど遅い。僕のが断然速い。でも、かけっこで1位になれない。1位の旗を見つめている。騎馬を組み、あの赤い旗をいざダッカンだ! 旗は折れ、めめしい奴の女座りの形にしなしなと、地面に折り重なっていく。木枯らしが吹き抜け、霜柱が立ち、初雪は蹴散らされ、シリウスの叫びが強くなり、耳を塞げば春一番にすっ転ばされて空き地を転がった。オオバコタンポポ、踏まずにひょいと跳べば、ぼんっと桜が傘を開く。お手伝い。お手伝い。もう大皿は落とさない。桜がくゃみした。



 ブルース3

 僕は遠くまで歩こうとした。遠く遠くまで歩こうとしたんだ。でも気がつけば同じところを堂々巡りさ。

 僕は同じところを堂々巡りしてる。ぐるぐる堂々巡りばかりしてるんだ。でも、一周して同じところに来るたび景色が変わってる。

 一周すると景色が変わってる。一周して戻ると眺めが全然違うんだ。そう、これが歳をとるってこと、観るほうの目が変わってるのさ。

 歳をとれば景色も違って見える。歳をとったら同じ景色も違って見えるんだ。でも、それを誰かに伝えるには、どうすればいいんだい?

 見えてるものを伝えるにはどうすればいい? 今見てるものを伝えるにはどうすればいいんだい? そうさなお前さん、まずは歌ってみることだ。

 歌うって、どうすればいいんだい? どうやったら歌えるんだい? どうやってもいいさ、唸るんでもいい、とにかく腹の底から声を出すんだな。

 腹から出た声は届くだろうか。腹の底からの声は誰かに届くだろうか--
 ああ、誰かにはな。そうやって歌ってのは続いてくんだ、河のように。



 ブルース4

 広域火葬施設の放火事件が派手に書き立てられた年は、偏向報道とはいえ報道の自由が、まだ残されていた。良い時代だった。主犯格だった俺の親父は現役官僚だった。令和の大塩平八郎と、格好良く取り上げられたが、実際は短気なだけだった。空気も読めなかった。広域火葬施設は国営だったので代償はでかかった。凶悪犯罪への対抗手段と銘打ち、一気に改憲の流れが加速し言論統制と国軍の創設、徴兵制の復活までとんとん拍子に進んだ。俺はと言うと、語学が得意だったので貨物船籍に隠れて逃げ切り、メキシコ租界で故国の行く末を見届け中だ。
 奥州のやさぐれた小説家が作中で予言した通り、北海道はロシアとインドが切り取り、本州はアメリカ、九州四国は中国に割譲された。沖縄は台湾に併合されたが、短期間で独立を勝ち得て一番かつての日本に近い国となった。
 子供のころ、親父に沖縄旅行に連れてかれて「ここって異国だよなあ」と気候や城や、亀の様な形の墓を見てつくづく感じ入った思い出があるが、歴史を経て逆転した。今朝土葬が再開されたと、ヤフーニュースで読んだ。



 ブルース5

 そんな事があったんだってさ。と隣りのテーブルで誰かが誰かに話していたのだと、あの人が呟くように話したことがあったっけ。グラスの水はぬるい。知らない人たちが、知ったこっちゃない事を喋っている。囁いている。わめいている。知らない誰かや誰かにまぎれて、私は思い出している。指先でふれるグラスは、やはりぬるい。そんな事があったんだけど。テーブルを挟んで話しても、あなたは気のない相槌を打つばかり。いつかのテーブルの私みたい。あなたもいつか、ぬるいグラスを見つめるだろうか。そんな事があったんだってさ、と誰かがいう。いつか。



 ブルース6

 過去から来たという人と、未来から来たという人と、事情の飲み込めない私で食卓を囲む。囲むといっても用意は一人分しかない。晩飯前に現れられても困る。
 何をしに来ましたか。餃子を頬張りながら尋ねる。
 過去から来た方は、未来を見に来たのだという。腹が減っているようだ。
 未来から来た方は、過去を見に来たのだという。腹が減っているようだ。
 米は多めに炊いてあるから、食べさせてやらんこともないが。
 過去から来た方が、過去を変えに来たとかではないんですね、と未来から来た方にいうと、そんな阿呆なとご返答、二人ともがハッハッハ。
 なぜ私がこんな事態に巻き込まれているのか、誰も説明してはくれない。
 餃子を頬張る。米を頬張る。口のなかでいっしょにして、リズムよく食べる以外することがない。
 餃子を頬張る。米を頬張る。咀嚼する。
 事情は飲み込めないが。もぐ、もぐもぐもぐ。やり過ごす。早く帰ってくれまいか。私の飯はやはり私が食う。



 ブルース7

 元もと運動も団体行動も苦手。なのに気づくと社交ダンス部にいた。
 ペアを組んだのは図体の大きい男子。どちらも誘ってきた中学時代の友人に見離された余り者。
 そして最初からふたりで混乱する羽目に。SSQQって足したら三でないの? これを四拍子で踊るってどういうこと?
 楽しそうに踊る同級生を後目に、ホールドを組んだまま動けない。
 「ブルースって哀歌って意味だし、やっぱりブルーな気分になるね」
 「ダンスの種類がブルースってだけで、この曲はブルースでなくない? そもそもブルースの定義って……」
 ホールドを組んだまま滔々と語り倒し、笑われる。
 「音楽詳しいんだ。好きなんだ?」
 「それほどでも……」
 それから十年後、同窓会で同時に失恋したかれとわたしは、酔い潰れてひと夜の過ちを経て結婚するという、ブルーな未来を辿る。
 「別にブルーな話でなくない? 娘ができたって、いい話じゃん」
 こたつの角を挟んだ右隣で娘が笑い、かれは逆側でむっつりしている。
 明日、娘の彼氏がうちに来る。
 「娘にいい人できたって、ブルーな話でなくない?」
 水を向けてみたが、かれは、やっぱりブルーな気分になるんだよとぼやく。やれやれ。



 ブルース8

「室長、大変です。ブルーノート株が日本に上陸しました」
「なに?」
 研究室が騒めいた。
 入国時の検体から新株が検出されたというのだ。
「それはどんな特徴だ?」
「三番目と五番目と七番目のスパイクたんぱく質の長さが半分なんです」
「それで感染するとどうなる?」
「はい、ブルーノート株に感染すると――」
 研究員の言葉に、室長はゴクリと唾を飲む。
「少し悲しげな感じになります」
「悲しげに? それだけなら問題ないではないか?」
「いや、問題です。感染力が強く重症化しやすいんです。ついには歌い始めてしまいます」
「歌い始める?」
 室長が眉を潜めた瞬間、一人の研究員がギターを持って現れた。
「リズムはブルースで、Bから始めるよ!」
 と同時にリフを奏で始めたのだ。
「実はですね、彼は重症化してしまい――」
「おいおい、ダメじゃないか!?」
「皆も感染しちゃいました!」
 研究員一同が楽器を取り出した。
『ルイジアナ奥地のニューオリンズ近郊で』
「めっちゃ明るい曲なんだけど?」
『行け行け、ジョニー行け!』
「行け行け!」
 ついには室長も歌い出してしまうほど感染力が強いのであった。



 ブルース9

 「地球は青かった」と、先人の遺した同じ台詞をつぶやく。
 いまや地球はすっかり泥団子だ。神の怒りか悪魔の宴か、世界中の海という海は泥土と化した。人も動物もたくさん死んだ。おれはどうにか生きている。神の慈悲か悪魔の罠か。どのみちおれにはわからない。神でも悪魔でも変わらない。
 元・水平線に陽が沈む。元は海だったぬかるみから、今宵もピアノの音が聴こえる。今宵もおれはぬかるみに足を踏み入れる。
 泥に咲くは蓮の花。半分沈んだ小屋に灯りがともる。酒場だ。
 窓から入ると、中には黒い翼を広げたピアノが一台。そして女が一人、鍵盤をずたずたと叩くたびに小屋がきしむ。この店の主人だ。
「スコッチ? バーボン? ビール?」
 封の切ってないボトルを並べてお決まりの台詞をおれによこす。それには答えずに女の元へ詰めよる。
 女が黒い翼を広げる。おれはそれをずたずたにする。
「好き?」と女が訊く。お決まりの台詞。
「ただやりたいだけだ」おれの返事も。
 ぐらりと小屋がゆれた。完全に沈むのも時間の問題だ。地球は青かった。昔話だ。
 女の顔を見る。髪も頬も泥だらけ。その瞳をおれはじっと見つめる。
 なんだ。やっぱり青いじゃないか。



 ブルース10

「あーそうそう、あれ見てきたぜ、菜名。ほんっと真っ黒けなのな!」
シャープペンをクルクル回しながら朔兄はヒイヒイ笑い出した。眉を寄せる。
「道祖神だよ、ほら」
ああ、と思い出す。
通学路の五叉路の道祖神は今、真っ黒に爛れている。久太のしわざである。墨汁は落ちないままだ。
「クロスロード伝説なんだってぇ?」
喉の奥でクツクツ笑いながら、朔兄は頬杖をつく。
「あれは悪魔に魂を売ってチョーゼツギコーの演奏テクを手に入れたってやつさ。呪いじゃねぇんだよなー」
「どうやって手に入れたの?」
小首をかしげると、朔兄はスマホを手に取り、タップし始めた。
高一の朔兄はスマホを持っている。私が高校に上がれるのはまだ四年も先である。
「えーと、0時前に交差点に立ってギターを独りで弾けば悪魔がチューニングしてくれるんだってさ」
ふぅんと相づちを打ち、算数のプリントに目を落とす。全身タイツで捧げる振付けが浮かんでくる。
「そういや菜名さぁ、『どろみず』好きだったよな?」
記憶の縁を翼が掠める。乾いた赤土が舞い上がる。
「マディ。赤い土の匂いが、する」
彼の曲ならいつか、踊ってもいい。ふとそう思った。



 ブルース11

ギターオタクの友人がくれたレコードを時々かける。
段ボール箱何箱もの中から好きなのを持ってってと言うので、ほくほくとあれもこれもたんまりともらってきた。
そのどれくらい後だったろうか、肝硬変で血を吐いてそのまま。
ミソジニストでレイシスト下ネタ好きのおっさんが言いそうなことが浮かぶので、2年経った今もまったく死んだ気がしない。
ギターはというとコレクションと拘りには釣り合わない腕前で、ステージでは毎回曲の進行を見失ってオタオタした。
そういえばいないんだったなと時々思う。



 ブルース12

 ランプの薄明かり、タバコの煙、それからオンザロック。こういうのが一番似合うといつも言ってたね。時々グラスの中で氷を鳴らしながら満ちてくる音符と一緒に夜の底へと沈んで行く。そう、それがつまりそうだって。
 うん、こういうのが気に入らないのは知ってる。カーテン開けて陽射しを取り込んで。悪いけどあンたの好みはこの際いいよ。聴きたい時に聴きたい、ただそんだけ。
 で、窓を開けて消臭スプレーをひと吹き。



 ブルース13

 今朝のわたしは機嫌がいい。他者とは関係無い。駅へ最短の繁華な元闇市。如何わしいこの街並の残像を無駄に捕らえる。意味深に。
『川崎区で有名になりたきゃ 人殺すかラッパーになるかだ』
 通勤路でBeats Fit Proが再生するBAD HOP「Kawasaki Drift」
 Explicitは便利だけど、ユーモアが失われる気もする。
「職質止めて」
 酔っ払いの悲鳴に、直截だからユーモラスな時もあると思い出す。土地柄、赤字も大惨事も日常茶飯事。改札を抜ける。
 やぎこにMoment Joon、なみちえでハイパヨからLil Nas Xのおみそはん、鎮座にMegan Thee Stallion、ヒプマイとBTS「Dynamite」
 シャッフルだと尚更、ラップなんてただの唄。これが音楽じゃなくて、ただの騒音だとしてもヒップホップなんてただの精神。
 一駅乗り過ごしても、満足だけは譲れない。血肉になってるリリックを囀る。そんな気分なのです。
 職場 a.k.a つるみの塔そば駅前で、赤目の達磨のオジキが合法的なトび方をビラ配り。人混みを馬鹿が自転車でやってくる。
 あゝ、Forever Youngっても、掲揚するパンチラインが古いのは、心のベストテン第一位があんな曲だからだ。