500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第187回:誰かがタマネギを炒めている


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 誰かがタマネギを炒めている1

 「大丈夫?…爺ちゃん?」
 「…あ?…ああ…何でもない…ちょっとな…」
 「どっか痛いの?…それとも…」
 「違うんだこれはな、その…」
 「またタマネギ?」
 「そう、そうだ、そう誰かがな…タマネギを…い…た…」
 直後にHBM022D000ACは活動を停止し、それが最後の言葉となった。
 これでこの星域の人類は終了したので報告書をまとめて転送したら直後に「指導」が入った。

 ーこの場合は「死亡」だ。訂正を。
 ー了解。
 ー後、この「タマネギ」だが…。
 ー「彼」は何時もそう言った。「泣く」度に。気になるか?
 ー過去に担当した個体と同じだ。この「可食植物」はかなり厄介なものだったらしい。
 ー「泣く」程「厄介」だったと?
 ー そういう事だ。記録によるとどうも「キル」のがそうだったらしい。
 ー「キル」…?「イタメル」のではなくて?…同義語か?
 ーどちらも「チョウリ」とか「リョウリ」の用語だ。
 ー興味深い。
 ーさらに古い記録閲覧の許可が可能だが?
 ー頼む。「彼ら」についてのデータを蓄積したい。
 ー了解。
 ーでは。
 出来ればまた直接、「担当」をしたかったのだがもうそれが叶う事は無いのだろう。



 誰かがタマネギを炒めている2

 鍋の底に菜種油をのばし、ごく弱火にかけている。微塵に切られた彼らは、そこにぼろんと放り込まれてしまう。ぼろんでできた小さな山を、ヘラで平すように馴染ませてやると、やがて彼らは小さな泡をたてて、いてもたってもいられないようである。手心を加えず、じっくり構えていたら、しんなりと色を変えるのが彼らである。何かが軋む。ページを捲る音がする。何を読んでいるのかは分からない。じりじりと沸き立つ泡を背景に、また、ページを捲る音がする。そうするうちに深く深くなってくるのは立ち上る香りも同様で、熱は彼らをすっかり別のもののようにしてしまう。熱は彼らをまるで別のもののようにして、未来を知ることのない彼らの細胞は壊れていく。
 本は閉じられる。
 何かが軋む。
 さてと、



 誰かがタマネギを炒めている3

 ついに携帯タマネギ炒め機が発売された。コンパクトでバッグの中に入れておくだけで面倒なタマネギ炒めが出来るという優れモノだ。
『さて、今夜私がいただくのは、帰りながら炒めた飴色タマネギです』
 このテレビCMが大ヒット。家に着いた時の飴色タマネギが実に美味しそうで、食欲をそそるのである。おかげで炒め機はバカ売れ、いつの間にか『ケイタマネ』の愛称で呼ばれるようになった。
 しかし良いことばかりが起きるとは限らない。
「うわぁ、目が、目がぁ?っ!」
「誰だ、電車の中でケイタマネの蓋を開けたのは!?」
 そんな事故が頻発する。満員電車なら最悪だ。
 たちまち「絶対蓋が開かないケイタマネカバー」なる商品が次々と発売され、新たに法律も整備される。公衆の集合する場所で稼働中のケイタマネの蓋を開け、若しくはこれをさせた者は軽犯罪法違反として罪に問われ、一日以上三十日未満の拘留または千円以上一万円未満の科料が科されることになり、事故は劇的に減少した。
「やっぱ、飴色タマネギだよね」
「蓋を開けた時の幸福感は半端ないね」
 日本中を平和が包み込む。今日もあなたの隣りでは誰かがタマネギを炒めている。



 誰かがタマネギを炒めている4

 結実、と呼んだ時つい台所に目を向けてしまった。遅かった。
 手前にある衣裳タンスの上のアレと、目が合ってしまった。
 きろり、と黒目が閃く。
 でろり、とその裂けた口が端から溶け落ちる。
 遠くで誰かが、何かを呼んでいる。応える者は、いないらしい。
 モう、呼んドいてナによ? わタし、ホうチョぅ使うカら
 巨大な双眸は、早くも溶け落ちている。
 見えざる手が、その耳を、牙を、容赦なくただの土塊に還してゆく。
 元の輪郭が消えて不定形の一個になった瞬間、思わず首を竦める。
 心臓が、音を立てて縮む、何度見ても。
 土塊は、攫われる、だぁんんんと地に叩きつけられている。
 黒い手がくり返し叩きつけ、ざらついた色合いに戻ってゆく。
 喉から息が漏れた瞬間、視野の端から光の剣が飛んできた。
 ジャキュッ、ジャッ、ジャジャジャキュッ、ザァッ
 ひどく懐かしい音だった。
 土塊がまた弾み出している。バスケットボールをつく勢いで弾み続け、
 ニョキッと耳が生え、頬が膨れて口がみるみる内に広がり、
 すとん、と衣裳タンスの上に座っていた。
 ふといい匂いがしてきた。ああ、思い出した。結実の部屋だ。



 誰かがタマネギを炒めている5

 このアパートに引っ越してきた日は覚えていない。その理由もわからない。ただ生活をしている。ずっと毎日生活をしている。いつもと同じルーチンで。いつもと同じ速度で。
 アパートには雑多な人たちが暮らしている。年齢も性別も民族も出身地もまちまち。わたしたちは話さない。そもそも顔を合わせることがない。廊下には誰も出てこない。物干し台に通じる窓の外にも誰ひとり出てくることはない。
 それでもそのアパートに自分以外の人たちが住んでいることはわかる。喧嘩のような声、楽器を弾く音、ゲームをしている音、食器や椅子が鳴る音。
 開いた窓からいつもと同じ匂いが流れてくる。知っている。この曜日のメニューはいつもカレーだ。食卓に何人つくのかは知らない。そもそもどんな人が住んでいるのかも知らない。けれども、その家の夕食事情は、アパートの内外を流れる風が教えてくれる。
 このアパートからどうやったら出られるのかは知らない。そもそも出ることができた人がいるかどうかもわからない。でも、今日が何曜日なのかは知っている。
 誰かがタマネギを炒めている。



 誰かがタマネギを炒めている6

 おそらく、騒々しい日々が終わった。真新しい血や草木の燃える臭いはしない。新芽の匂いが仄かに漂う。  空腹に支配されているので、間違いなく、わたしは生きている。
 目につくものは、たいてい食べた。普段は気にも止めない小さな虫から、孵ったばかりの動物。木の皮さえも。けれど、一番おいしそうだった肉片は食べられなかった。
 ママさんの脚みたいだったから。
 誰かの家の跡で、赤茶色の球根を踏み潰した。
 食べられるか嗅いだら空腹が拒絶する。厭と言う。混沌とした意思が、さらに乱れる。いよいよ狂ったか? 怖さすら感じられず死ぬのか?  唐突に、本当に唐突に、ママさんの声がして、そちらへ鼻を向けると何度も嗅いだ匂いがした。ママさんがご飯の用意をしている時の匂い。ママさんがいて、パパさんがいて、しつこくモシャモシャしてきたお嬢さんがいた、あの頃の匂い。何度おねだりしても「駄目」と叱られた、あの頃の匂い。
 遠吠えが必要だ!
 わたしはここにいる。あの頃はそこにある。ママさん。パパさん。お嬢さん。帰りたいよ。会いたいよ。生きたいよ!
 さんざ啼いて、啼いて、啼き疲れてわたしは潰れた赤茶色を食べた。
 もう、生きるしかない。



 誰かがタマネギを炒めている7

 大変、よい休日の予感がする。天気も上々。
 春めいてきたけれどまだ少し肌寒いねなんていいながら二人暮らしも慣れ、公園は芽吹きの色、私たちのように散歩をする人、蕾を見つけて談笑する老齢の女子たち、流行りのダンスを真似る少女の群れ、駆けまわるのがただ楽しい子ら、みんながみんな不思議と生まれたてのように見えてどうしよう。ふいに笑ってしまう。意味はないのだけど。
 バドミントンをしよう。風が吹いては羽根の軌道が変わって、これはこれで面白いよ。ひとしきり動いたら、弁当にしよう。家で作ってくれていたハンバーグが満を持してご登場。
 うまいよーと伝えると、
「あ。タマネギ炒めておいてくれてありがとう」
 身に覚えのない礼をいわれてどうしよう、少し肌寒い。



 誰かがタマネギを炒めている8

 地球は亀が支えている。それは真実である。ただし正確ではない。亀が支えているのは、正しくは地球に転生したタマネギである。
 我々の住む、このオレンジ色の大地と海。それこそが、地球が転生したタマネギである証に他ならない。したがって我々は、あっさりと剥かれ容赦なく捨てられる、あのオレンジ色の表皮の上の塵に等しい存在である。

 ──余は亀のスープを所望である──

 それはお告げであった。時を置かずして、大津波が世界を呑み込んだ。オレンジ色の海はめくれ上がり、我々はなすすべなく流される。「ザクッ」という雷鳴が轟き、空が割れた。
 遠のく意識の最中、たしかに見た。空の向こう、ごうごう燃える太陽の炎で熱された、黒く大きな大きな鍋を。



 誰かがタマネギを炒めている9

「かっ火事だ!」
「どうしたんだい。そんな大声出して」
「ご隠居。火事ですぜい。火事火事」
「一度言えばわかるよ。誰も今何時だい?なんて言いやしないよ」
「えーと、十時で。十一、十二」
「『時蕎麦』じゃないんだから。で、何処が火事なんだい?」
「後楽園ッス」
「はて。そうそう燃えそうじゃないね」
「間違えました。後楽園ホールです」
「ってぇと、なにかい?大仁田厚が電流爆破デスマッチでもやってたのかい?」
「大仁田?誰ですか?ともかく、東京ドームも燃えてるみてぇです」
「ずいぶんと大きな目玉焼きだね」
「ご隠居。今時、誰も東京ドームの愛称なんて覚えちゃいないですよ」
「電流爆破デスマッチよりビッグエッグはマイナーかい」
「あっしの知識を舐めないでくだせぇ。オマケに日本武道館も燃えてるらしいんですよ」
「なんのオマケだよ。不謹慎な」
「不謹慎とは謹慎しないことナリ。火元はやっぱり『レストラン武道』ですかね?」
「こないだの改装で移転したよ」
「マジッスか?レストランだけに『目玉焼きの添え物にタマネギ炒め』ってオチだったのに」
「馬鹿だね。今はタマネギが高いから、目玉焼きが添え物だよ」



 誰かがタマネギを炒めている10

個々の居住スペースから匂い物質が漏れ出すことはまずない。漏れ出しているのはシチュエーションを想起させるデータである。
何故だか懐かしい。



 誰かがタマネギを炒めている11

 深夜のバルセロナ空港。エコノミー便はたいてい到着が遅くなる。日本人客がぞろぞろ移動するのに付いて行ってしまう。他国への乗り継ぎゲート。あわてて入国ゲートに引き返す。更に夜が更ける。
 ロビーでは金太が、目をぎらつかせ待っていてくれた。
「日本人ツアー客を追ってギリシアに行くとこやった」
「君、油断しまくりやのう」
また言われてしまった。十代で大学選びに妥協した時。就活で飲食業に早々決めてしまった時。転職した時。彼のメキシコ修業時代に会いに行って、バスに旅券を忘れた時。
「君、油断しまくりやのう」
「まったくその通りや」
二人で大笑して、一旦ケリがつくのだった。

 漫画家のアシスタント、給料月八万まで削られて怒って辞めて、十年ぶりに金太に会いに来た。
「ホテル予約した」
「いや、泊めてくれる?」
「俺のねぐら二畳の相部屋やから無理」
「どうしよ?」
「今から探したる」
「すまん」
「とりあえず、腹ごしらえや」
 電車で移動し、中華料理屋に連れてってもらう。客席でテレビを見てた店主が、のそっと厨房に戻る。座ってると、甘い玉葱の匂いがした。彩りの良い五目焼きそばを出してくれた。カシューナッツも入ってて、本格的だなと思った。



 誰かがタマネギを炒めている12

 西の空が飴色に染まる。