いやや1
あーちゃんちの子どもは、あーちゃんに似ている。ほとんど、あーちゃんといってよい。
さーちゃんちの子どもも、さーちゃんに似ている。さーちゃんのミニチュアといってよい。
まーちゃんちの子どもは、実はまーちゃんなのかもしれない。まーちゃんにしか見えない。
「いーちゃんは、まだなの?」と、みんなの首がぐるんとこちらを向く。
あやや、さやや、まややも同じ。可愛くない、やや子たち。
「人生観変わるよ?」
どうして私はここにいるんだろう、と思いながらパンケーキを頬張る。ラーメン食べたい。あと何分で終わるだろうか。
いやや2
明けない夜に入り込み、夢から覚めることができない。黄金の光を発する鳥居が立ち並ぶ夜は、闇からは程遠い。ただ、空はずっと暗く、ここが夜でしかないことがわかる。私は鳥居をひとつひとつくぐりながら、東へ東へと向かうが、一向に朝には届かず、曙光は差し込んでこない。明るく照り映える地から墨染色の天を見上げ、ただ歩を進める。
その発光に誘われるように、鳥居には小さな生き物がまとわりついている。それらは小さな羽根を持ち、昆虫のようにも小鳥のようにも、人の顔を有した小さな天使のようにも見える。鳥居をくぐる私にまとわりつき、くすくすと笑い、小さな声で囁き続ける。いややー、いややー。出られなーい、出られなーい。まるで呪いのように。
時折、朝の存在を感じる。そこに触れれば目覚めることができそうに思う。だが、小さな存在がまとわりついて囁き続ける。いややー、いややー。離さなーい、離さなーい。
夜がなぜ私を引き止めるのかはわからない。ぼんやりした知覚のみを手がかりに、発光する鳥居に導かれ、ただ先へ先へと夜のなかを歩きながら、自分も呟き続けている。いややー、いややー。戻れなーい。戻らなーい。
いやや3
かずら橋夢舞台?
観光バスが出入りする広大な駐車場の向こうにおみやげものと書かれた商業施設が見える。
秘境とは。
思い込みに過ぎなかったことは分かっていても、心がこう叫ぶのは止められなかった。
いーやーーやーーーーー
声に出してはいない。だが、マッチングアプリで出会って間もない彼は察しがいいらしい。かずら橋の料金所までの長い行列に並んでテンションが上がらない私に
「高い所苦手なん?渡るのやめてもええよ。」
と気を使ってくれる。
「そんなことないよ。」
折角だし楽しもうと思う。蔓で編まれた渓谷を渡る橋はゆらゆら揺れて、隙間のある渡り板を進むコツを掴むのはなかなか難しくて、景色は綺麗だった。それでも、これは住人の交通施設だった過去のかずら橋とは全く別物のアトラクションだ。
そんな心情を明かすにはお互いをまだ知らなすぎだ。運転好きだという彼の助手席に行き先も聞かずに乗り込むただの移動好きな私。明石海峡大橋から淡路島を抜けて四国に入り、山の中で高速道路を降り、大型バスが余裕ですれ違える2車線の山道の果てに行きついた我々の相性はまだなんともいえない。
だが、少なくとも「祖谷」の読み方を間違えることはこの先ないだろう。
いやや4
いややいやいや3いやや。あわせていやいや6いやや。
いやや5
スライドショーが終わった。拍手の波が穏やかに抜けてゆく。
そうだった、出会った頃はあんなにときめいていたのだった。
下がりかけた口角をきゅっと上げ、今しがた観ていたのと同じ、隣の顔を見つめる。
私の視線などおかまいなしに、既にナイフとフォークを構えている。
あ、そんなに乱暴に切ったらタキシードに跳ねてしまう…見かねて静止の手を差しのべると逆に「お前は食うなよ?」と言われてしまった。右のこめかみに微かな亀裂が走る。
今日のヒレステーキはウェルダンだった。レアが好きな私とミディアムが好きな彼の好みは、生肉を嫌う彼の母親の一言で潰されてしまった。あ然としたが、こらえた。
「どうせお前は食べられないしいいよな~?」という脳天気な口調に、今では軽く嫌悪感を覚えるようになっていた。先は長いのに。
始まる前から、私の新たな人生は使い古しのカーテンのように埃を孕み、褪せていた。
目元がひくついた。コルセットが深呼吸を阻むが、私の怒りの膨張は止まらなかった。
猛然とステーキに切りかかる。大きく口を開けて一切れを押し込む。染みが飛んだかもしれない、そう思うと快感の電流が背中を走った。
これは私の人生だ!
いやや6
「は?」
思わず声が出た。メッセージ一行…いや一言って何じゃそりゃ。これ、関西弁の「嫌だ」だろうか?この言い方女言葉じゃなかったけ?よく知らんが…あいつ、出身は違うよな?いや、そんなことより連絡先交換して初めてのメッセージがこれかよ?返事のしようが無いじゃん。んんん?これもしかして何かのアレか?なんかをはかられているのか?流行りとかあんの?…うー検索しても出ないが…あーしゃーない……。
疲れていたので寝落ちしてしまった。翌日起きたら第三次世界大戦(と後に呼ばれる)が始まっていた。
いやや7
強かな酔いに任せて遊郭まで歩いた。
夜風が適度に心地よく、上機嫌のせいか花車の引きも鮮やかに、すんなり茶屋へ上がった。
以下は、夜伽で聞いた娼妓の話である。酔いのため、記憶は定かでないが。
「長女のわたしは、長女なので、他の弟妹より先に生まれました。遅い子どもでしたけれど、弟妹が続いたので、物心ついた頃には「いろは」の順で名前となりました。
父も母も頭が弱かったので仕方ありません。
けれど、飢饉で弟妹は死に、わたしは売られました。だからずっと、父や母にとってわたしは『い』です」
娼妓が言葉を切った途端、あたりが妙な寒気に包まれた。
「怖気」と言った方が正しいかもしれない。
「なぁウチ、ずっとずっと言うたよなぁ。なんで、おとうもおかあもウチの言うこと聞いてくれんかったのやろ。ウチが『行きたくない』言ってる間、ずっと知らんもん見てる目しとった。
ハハハ。
おとうもおかあもとっくに屍。ウチ売ってまで生き延びたのに、生きることに執着しても死ぬんや。嗚呼」
最後になんと言ったかは聞き取れなかった。
気怠さに任せ、眠りに落ちた。
酔いのため、記憶は定かでないが。
いやや8
(都合により削除しました)
いやや9
「妻帯者に再会、大枚はたいたに間に愛足りない笑いない涙に堪えないそんな気持ち」
「うまく言えたことは?」
「ないやいやい」
「Ya Ya」
いやや10
「IYAYA, HOTANI?SAN!」
海の向こうで、また妙な日本語が流行り出したようだ。
「IYAYA GAME, IYAYA LIFE」
これはなかなか微妙。向こうの人は言いにくいんじゃないの。
でも中にはしっくりくるものもあった。
「IYAYA WAR!」
うん、これは言いやすい。
いやや11
道中、猿を拾った。
落ちていたのではなく、捕えたのでもない。しかし勝手に付いてきて、与えるのは私だけなのだから、拾ったといってもよいかなと思う。そのように旅人に話すと、面白いこともあるものですねとだけ言い、手元の袋から乾燥肉と、先日立ち寄った村で手に入れた芋を取り出し、鍋の上でくるくると小刀を操っては適当に切り落としていった。私は手持ちの米とニンニクを放り込み、さっと塩を入れ、今晩はいつもより豪勢な飯となった。
飯をやると、猿は「IYAYA・IYAYA」と鳴いて満足そう、すぐに平らげて二度目をせびる際にも「IYAYA」という。あとは我々の分だと拒むと、「IYAYA……」と存外素直に引き下がり、隅で寝転んでしまう。ふて寝である。
私たちは酒をちびりちびりと飲みながら、お互いの旅の話をした。
翌朝目覚めると、猿がいた。どうやら仲間が迎えに来たらしかった。猿は「IYAYA!」と一度こちらを振り向き手を振ったようにも見えたが、そのまま遠くへ行ってしまった。
私は「IYAYA」と呟き、では私たちも行きましょうかと声を掛け合いながら旅人と別れ、引き続き西へ向かっているのです。
いやや12
じばさん、と地元の人が呼んでる観光物産プラザ。市民会館に土産物屋と食堂を足した総合施設で、二階にちっちゃな図書室もある。本が目当てで、父母の用事に付いて行く。妹は本が嫌いで、だいたい「いやや」って家に引きこもる。まちやりょうへいの新作があったので、借りて帰る。妹にも読み聞かせてやる。