500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

超短篇は本当に短いのか

  実は峯岸は「超短篇は短い」という事を疑っています。というか、自分なりに結論めいた事を先に書いてしまうと「そうでもない」という事になるのですが、今回は「超短篇の短さ」について。

 文字数が少ないという意味ではもちろん短いのですけれども、別の意味での短さーー「短い=(長いものから)何かが欠けている」という意味での「短さ」に対しての疑問がずっとあるんですね。実際に超短篇を指してのそういう評もよく目にします(もちろん悪い意味で言っているものばかりではないのですが)。
 こうした謂れは超短篇に原因があるのではなく、「短い」という言葉にそもそも含まれている「欠けている」「足りない」というニュアンスのせいかも知れません。
 ちょっと、広辞苑CD第五版を引いてみましょう(引用は省略してあります)。

みじか・い【短い】
[形]みじか・し(ク)

(1)長さが少ない。
(2)高さが少ない。低い。
(3)時を経ることが少ない。久しくない。
(4)位が低い。
(5)考えが浅い。かしこくない。
(6)足りない。劣っている。
(7)性急である。短慮だ。

 何かマイナス思考な言葉ばかりが並んでいて、切なくなりますね。
 これでは超短篇を、例えば普通の小説(長篇、短篇)から文字数を少なくしたものとして捉えてられがちなのも仕方がない風にも思えます。
 でも本当に超短篇はもっと長い小説のある一部分だったり、ある要素だけを抜き出したものだったり、その小説のあらすじだったりするのでしょうか。また何かが欠けている、足りないといったものなのでしょうか。

 峯岸はそうは思いません。作品に直接描かれていない事で読み手に想像をさせるという事を「欠けている」「足りない」というのなら、どんなに長い小説にだってそういった部分がない訳ではありません。超短篇だけが「欠けている」「足りない」と言われる事に、どうも違和感があるですよね。
 その作品がその作品としてあるべき姿をしているなら、文字数が多いとか少ないとかに関係なく作品として素晴らしいものでしょう。そうした「あるべき姿」をした作品の中で特に文字数が短いからこそ魅力のある作品が超短篇なのかなあ、と何となく考えてはいるんですけれどもね。

 作家小林恭二は短歌を「フルサイズの文芸」と断じていますが、超短篇だって負けず劣らず「フルサイズ」なんじゃないかな、とも思ったりしています。


 さてさて次回の自由題は、独身という名の自由の羽根がもげかかっている松本楽志へ続きます。おめでとうおめでとう。

選者:峯岸 



掲載作品への評

[優秀作品]霊感虫 : 金魚

>  人の脳に寄生する虫がいる。大きさは針の先ほど。

 読書や、読書から得る知識に対しての寓意とも取れますが、ここでは純粋に自分がこの霊感虫に寄生されている様に想像してみるのが正しい読み方なのかも知れません。
 実際には存在しない筈の虫が何ともリアルで、面白い読後感を与えてくれました。



オーラルセックス : ピッピ

> 裸の男が監獄に閉じ込められる。其処には、

 よく蛇で描かれる事の多いモチーフですがテーマに引き寄せ、蛇ではなく男女となっています。ともすればグロテスクにも取れる描写も作品の要素として溶け込むと、そうした印象を与えなくなるというのも超短篇の特徴の一つでしょう。
 何というか、厳密には69の姿勢だと互いの足の指を舐め合う事は出来ないのではなど思ったり。



タクシー : タカスギシンタロ

>  だらだらしていたせいで、約束の時間に遅れそうだ。

 タクシーを介しての主人公の悲劇がコミカルに描かれていて、面白い。
 ところでこれ、超短編マッチ箱の「おみくじ超短編」用の作品なのでは。そちらにはもう投稿されているのでしょうか。もしまだなら作品は是非、タカスギシンタロさんにお送り下さい。11月3日の「文学フリマ」に向けて、まだ作品の募集を受け付けている筈です。



掲載されていない作品への評

旅立ち

 悩みました。が、掲載まではあと一歩。いささか説明的な描写が多く、そこが却って作品の軸をぶれさせている風に思えます。



知っている人

 一行作品なのですけれど、タイトルと本文が比喩の関係になっているのでしょうか。うーん、ただの比喩では作品としての魅力に乏しい様に思えます。比喩としてどうかという事ではなくて、それだけで作品として成立する訳ではないのではないかと。



往復書簡

 友人から手紙が届きその返事を書く、ということの繰り返しを描いた作品。なのですが、その繰り返しが活きていない風に思えました。



アガリクス

逆上がりとキノコが出て来るナンセンスな書き出し部分で、凄く後の展開を期待させられたのですけれども、その後が単に深夜の通信販売番組のパロディとしかなっていないのが残念。もっとナンセンスに終始しても良かったのでは。



屋根の神様

 よく出来たショート・ショートという体の作品。実際に面白いのですが、掲載には。ショート・ショートが悪い、というのではないのですが、いわゆる「プロット」と「意外な結末」に魅力が集中している風に思えます。特定の要素に分類されない魅力というものを、このサイトでは求めていきたいと考えています。

*ショート・ショートにも超短篇としても優れている作品は多いのですが、話をわかりやすくする為、。一般的に知られている「プロットに沿って描かれた意外な結末の掌編」という意味で「ショート・ショート」という言葉を、ここでは遣っています。因みにショート・ショートの神様、星新一自身は、ショート・ショートに「プロット」や「意外な結末」が必ずしも必要ではない、という事を語ってもいたりもしています。