500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 選考結果 > 第26回:松本楽志選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

シナプス旅行

 言葉は単独でどこかの海に浮いているわけではありません。互いに干渉したり排斥しあったりして、それでも、それぞれは目に見えないシナプスを作っています。言葉はまた化学変化を起こします。二つの単語を並べれば、その間に目に見えない別の単語が現れたり、ひとつの単語が二つの意味に割れたように見えたり。

 漢字はその成り立ちから「象形文字」「指事文字」「会意文字」「形声文字」に分けられます。「象形文字」「指事文字」「会意文字」は視覚的なものを由来にしています。ご存じの通り、もともと漢字は絵だったんですからね。ただひとつの記号に大きな意味を込めて漢字は出来たわけです。つまり漢字というのはそれだけで小さな宇宙をかたち作っているともいえます。漢字はひとつの絵から成り立っているものばかりではありません。いくつかの絵が組み合わさってまた別の意味を持つ漢字を作っています。その絵はへん、やつくりという仕組みで他の漢字でも共有されていますね。つまり、ある文字のまわりには、同じへんやつくりからなる言葉がシナプスのように連なってぷかぷかと浮いているのです。(ところで、成り立ちの最後の「会意文字」というのは、ある文字に、同じ音をもつ別の文字を結びつけたところから作られた文字です。音、ということはこれはつまり聴覚ですね。漢字には視覚だけでなく聴覚も関係しているのです。たまには超短編を音読してみるのもよいでしょう)

 だからこそ、言葉の選択はとても重要なのです。
 たとえば、造語を使うなら、その造語を構成する文字ひとつひとつが持っているシナプスがどういう広がりを持って、どういう化学変化を起こすのか。たとえば、普段使わない漢字を使うのなら、よく使う漢字を使わないことでどういった印象がそこから無くなって、代わりにどういった印象が立ち現れてくるのか。
 書いてある文字だけではなくそこから広がるシナプスの海に自覚的になることで、短いのに奥行きのある物語が生まれてくるのではないか、そんなふうに思うのでした。

 いやしかし、だからといって僕自身が一字一句にいたるまでそんなことを考えて書けるものではありません。言うは安し行うは難しです。だいたい、超短編はおどろくべきことに500文字もあります(俳句の約30倍!)から、あまり神経質になりすぎるのもどうかと思います。そこだけに拘ってもきっと言い作品は生まれないでしょう(だってカタカナだけで出来た超短編だって存在できるんですから)。そのあたりのバランス感覚も必要になってくるのかも知れません。

 さて、話は変わりますが、お知らせがあります。超短編選者でありますタカスギシンタロと僕とで作っている小冊子『超短編マッチ箱』ですが、次々号のテーマを「モノノケ」にいたしました。つきましては、500文字の心臓で「モノノケ超短編」を募集したいと思います。
 詳しくは「モノノケ超短編募集のお知らせ!」をお読みください。

 次の自由題は決してシンクで髪を洗っているわけではないたなかなつみです。

選者:松本楽志 



掲載作品への評

時の扉 : sleepdog

> あらゆるものが願望のままに生きていた太古の時代、

 全体の長さに対して「海鳴り」「卵」「時計」など魅力的になり得るガジェットがやや多用されている感じもありますが、小さな物語の中に動きを感じさせる作品です。
 なお、この卵は超短編の卵でもあります。
 ――目が覚めたとき、恐竜はまだ、
 さて、その卵の中には何が入っていますでしょうか。



3つの風 :パラサキ

> 風がないので風鈴は夢を見ていました。

 「熱帯雨林」と同じ作者の方でしょうか。改行や言葉にぎこちなさを感じるところが多いという印象を受けましたが、良いところがそういったマイナスに勝っていると思います。冒頭の「風がないので風鈴は夢を見ていました」がとても魅力的で、評価されにくい一行開けも、全体のゆったりとしたテンポが本当に風鈴が夢を見ているような印象を与えるのに一躍買っているように感じました。ぽわん。



16才 : 木村多岐

> 何となく寄った花屋にとてもうつくしく花を扱う店員がいて、

 なんでしょうこの奇妙な感じは。「萎れて」とかは漢字なのに「うつくしく」「おもいで」などはひらがなに開いてあるという妙なテンションなのですが、16才と言われると何となく納得させられてしまう(いやほんとうは何も分かっていないのですが)のです。年齢の名前を与えられたとらえどころのない16才は世界からの相対距離でしか存在し得ないはかない生き物のように思えます。



シリウス : はやみかつとし

> 未明の冷えきった線路にじっと腰掛けていると

 何も起こっていないに等しい話なのですが、最後の「記憶」という二文字がうまい。そして、このお話についているタイトルがこの小さな物語から遥か遠いところにある「シリウス」というのがすばらしい。線路がまるで宇宙にまで延びているような心持ちがして、急に物語に奥行きがあらわれてきました。
 ……と思っていたんですが、まさかこれってダジャレですか? 美しいと見せかけて作者のゲップによるお話でした、みたいな意地悪な落差が狙いなのでしょうか。だとしても、先に思い浮かんだ物語世界の奥行きが向こうになるものでもないということにしておきます。



掲載されていない作品への評

熱帯雨林

 タイトルをイメージさせるカラフルな作品ですが、読点での改行の使い方がやや雑に感じたところがとても惜しいです(それとは別に、毎行1行空きがあるのはこれは意図してのことでしょうか?)。この軽快なテンポではさわやかすぎる気がします。しかし、最後の一行はとても良いですね。
 しかし、よく考えてみたらこれは夢オチなのかしら。



さよなら、イブニングスター

 まるで歌詞のような作品、といわれてしまうのがこの作品の弱点かと思います。体言止めの多用も、言葉が空回りしている印象でした。僕は別に歌の詞は超短編にはなりえない、ということは思ってはいません。中には優れた超短編があるかも知れません。逆にタカスギシンタロさんの歌詞に曲がついた例もあるくらいです。しかし、少なくともほとんどの歌詞は歌詞としてつくられたもの、超短編としては自立しないものだと思います。逆説的に、歌詞のように見えてしまう超短編というのはやはりどこか物足りないのです。



泪の旋律

 これは一見超短編的に見えますが、どうもまだ改稿の余地があると思います。
 非常にいびつな構成になっていますが、これはもっと整えられるのではないでしょうか。たとえば、中段で登場した「僕」は涙を落とすためだけに登場し、後半で急に視点を失ってしまいますね。また、音が許されない都市、というモチーフを涙のために出してきたというのではあまりにも設定が大げさすぎて(その説明は物語の1/3を占めてしまっています)、涙の話なのに都市のことがどうしても気になってしまう。唐突に現れた魔女が流す涙についても、オチに向かって涙を流させたいが故に無理矢理流させたように見えました。だとすれば、あまりにもこの涙は軽い。 
 ……というように、短いながらもこの作品は非常にバランスが良くない状態になっていると思います。
 ちなみに涙をすべて泪と書いてありますが、涙は形声文字で、泪は会意文字ですね。確かに会意文字は目という言葉が中に入っていて、いかにも「目から水が流れでる」といった印象を受けますから、この選択は悪くないと思います。しかし、つくりの部分に少しスカスカした印象もありますね。



本の部屋

 これは迷いました。面白い話なのですが、理に落ちすぎているのではないでしょうか。なにかもうひとつ世界にひねりをいれるか、そうでなければもっと短くても良いのではないかという印象を受けました。しかし、これは確かに面白い話なのです。「寮葬」という素敵な言葉による終わり方もいいですし……。



13番通りの切絵師

 ただこれだけのことを語るのには少し長すぎますね。そのわりには、「・」など記号的表現に頼っているところも弱いと思います。ところで、不吉な臭いを13という数字に頼るのもはわかりやすすぎやしませんか。



Aoyama-dori Boogie Woogie

 選択された言葉によるイメージの作り方やテンポが見事な作品です。しかし、語り口調なのにもかかわらず、全体がただ描写だけで埋め尽くされているような印象を受けました。物語的な動きがあればよかった。



言い伝え

 なかなか面白い設定なのですが、終わり方があまりにもあっさりしすぎてますね。そこで終わるのではなくそこから初めて、この設定の上に築かれた物語が読みたかったです。



技は電光石火

 なんだか一昔前の家庭用ゲームみたいなおおざっぱな印象をうけます。なんの衒いもなく登場する「敵」や、作品世界への効果が不明な「電速」という造語や、因果関係の不明な最後の数段など。プレイヤー不在でゲームが進んでは困りますよね。なんだか遠くのほうで何かが起こっていて、それが我々からはよく見えないという感じです。超短編は省略によって優れたものになり得る文芸ではありますが、ただ単語を無闇に放ってもお話は生まれてこないのではないでしょうか。