500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 小鬼の秘密 作者:たなかなつみ

 綺麗な町の外れに雑言ひとつ吐かない小鬼が住んでいて、口からぽろぽろと綺麗な氷の言葉を吐き続ける。陽光を受け八方に煌めく氷の言葉は、昼の温みで即座に形をなくし地に落ちる。溶け落ちた氷の言葉は土中に沈み、ひっそりと冬を待つ。
 深い冬の底で形を得た氷の言葉が地を持ち上げる。不規則に隆起した地の塊は、世を謳歌していた町人の家屋を倒し、田畑を割り崩す。地の隙間から湧き出た氷の言葉は、今や数え切れぬほどの悪口雑言。陽光を吸い取り八方に暗影を投じ、大音声で地に満ちる。
 氷の言葉を寝床に地から生まれ出ずるは小鬼の卵塊。時を移さず湧き出た小鬼たちは八方に飛び散り生を得る。小鬼たちは手に持つ火箸で地の氷を捕らえ、背に負う甕を満たしていく。囚われの氷は甕のなかで騒ぎ回り、割れ崩れ小片となり形をなくす。小鬼たちは溶けた水で満ちた甕を背に町中を移り歩き、ぽつりぽつりと小屋を建て暮らし始める。
 雑言ひとつ吐かない働きものの小鬼たちは、田畑を起こし、甕に溜めた水を撒く。小鬼たちは綺麗な氷の言葉で綺麗な町を築きあげ、楽園を探し求める数多の人を呼び込み。
 ひっそりと、冬を待つ。



 いやや 作者:磯村咲

 かずら橋夢舞台?
 観光バスが出入りする広大な駐車場の向こうにおみやげものと書かれた商業施設が見える。

 秘境とは。
 思い込みに過ぎなかったことは分かっていても、心がこう叫ぶのは止められなかった。
いーやーーやーーーーー

 声に出してはいない。だが、マッチングアプリで出会って間もない彼は察しがいいらしい。かずら橋の料金所までの長い行列に並んでテンションが上がらない私に
「高い所苦手なん?渡るのやめてもええよ。」
と気を使ってくれる。
「そんなことないよ。」
折角だし楽しもうと思う。蔓で編まれた渓谷を渡る橋はゆらゆら揺れて、隙間のある渡り板を進むコツを掴むのはなかなか難しくて、景色は綺麗だった。それでも、これは住人の交通施設だった過去のかずら橋とは全く別物のアトラクションだ。

 そんな心情を明かすにはお互いをまだ知らなすぎだ。運転好きだという彼の助手席に行き先も聞かずに乗り込むただの移動好きな私。明石海峡大橋から淡路島を抜けて四国に入り、山の中で高速道路を降り、大型バスが余裕ですれ違える2車線の山道の果てに行きついた我々の相性はまだなんともいえない。

 だが、少なくとも「祖谷」の読み方を間違えることはこの先ないだろう。



 誰かがタマネギを炒めている 作者:脳内亭

 西の空が飴色に染まる。



 ブルース 作者:つとむュー

「室長、大変です。ブルーノート株が日本に上陸しました」
「なに?」
 研究室が騒めいた。
 入国時の検体から新株が検出されたというのだ。
「それはどんな特徴だ?」
「三番目と五番目と七番目のスパイクたんぱく質の長さが半分なんです」
「それで感染するとどうなる?」
「はい、ブルーノート株に感染すると――」
 研究員の言葉に、室長はゴクリと唾を飲む。
「少し悲しげな感じになります」
「悲しげに? それだけなら問題ないではないか?」
「いや、問題です。感染力が強く重症化しやすいんです。ついには歌い始めてしまいます」
「歌い始める?」
 室長が眉を潜めた瞬間、一人の研究員がギターを持って現れた。
「リズムはブルースで、Bから始めるよ!」
 と同時にリフを奏で始めたのだ。
「実はですね、彼は重症化してしまい――」
「おいおい、ダメじゃないか!?」
「皆も感染しちゃいました!」
 研究員一同が楽器を取り出した。
『ルイジアナ奥地のニューオリンズ近郊で』
「めっちゃ明るい曲なんだけど?」
『行け行け、ジョニー行け!』
「行け行け!」
 ついには室長も歌い出してしまうほど感染力が強いのであった。



 ほくほく街道 作者:脳内亭

 だれも通ったことのない街道が、かつて幾つも存在した。
 なぜだれも通ったことがないのか。それらの街道が実は生きていて、人を避けて動いていたからである。
 名を挙げるなら、かりかり街道、さくさく街道、ぷりぷり街道、とろとろ街道──かつて国中に棲息し、密かにただよっていたこれらの街道は、今はもう存在していない。
 なぜ存在しないのか。食べられたからである。人知れず繰り広げられた弱肉強食によって。
 人との遭遇を避ければ、自ずと移動場所は限られる。ゆえに街道は他の街道と鉢合わせる宿命にある。そして互いの生存をかけて闘う。街道は共食いをするのである。
 かりかりを食べ、さくさくを食べ、ぷりぷりを食べ、とろとろを食べたもちもち街道もまた最後には敗れた。事切れる間際にもちもちが見せた表情はじつに悔しそうであった。おそらく勝者とは対照的であったろう。
 なぜそう言い切れるのか。わたしがその勝者であるからだ。この世に残った唯一の生きた街道である。
 断っておくが、街道を食べても味はしない。特にうまくもまずくもない。共食いはあくまで本能である。
 ところで、人はうまいのだろうか。