500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第01回:そこにいる


短さは蝶だ。短さは未来だ。

うーん、「そこにいる」か、どうゆうふうにやるかな、まずモチーフを決めなくちゃ…。
一つ目、自分の中の自分を見つめるってのはどうだ、…している自分がそこにる、てな具合にだ、…してが問題だな。
二つ目、インターネットの中で、おばさま達の実生活とは離れたナイーブな乙女チックな恋なんてのは面白いけどな、ネットの中には確かに、そこにいる、様に思えるってな感じにしたら…。
これは無理、俺自身おばさまを扱うには荷が重過ぎるし、恐いぜ。
三つ目、おやじなんかどうだ、男としての面、父親としての面、足が臭いイメイジしかわかん、それとも「底にいるか」ってやるか…。
大夫無理してますね、そんな、がーもが
「そこにいる」。



「そこにいるのは誰か。どこから来たのか。どこへ行こうとしているのか」どこからか声がしたが、私にも私が何者なのか、何の目的でここにいるのか分からぬ。ずっと昔、人間の文明が今よりはるかに進んでいた当時、誰かが作ってくれたらしい。姿は人間と少しも変わらないが、人間のように泣いたり、笑ったり、腹を立てたり、好きや嫌いがない。私はずっとここに座っている。私の一日はこの世の100年に相当するので、周囲の状況は川が流れるように変わってゆく。人間はそんなに急いでどこへ行くつもりなのかと思う。今朝も世紀の変わり目を祝って大騒ぎしていた若い連中が、夕方には皆老いぼれて老人ホ-ムの二階の窓からじっと天空を見詰めている。人間の世界では光速が速さの極限だが、私がひとたび立ち上がると、光速の36500倍のスピ-ドで飛ぶことが出来る。先日極楽浄土を訪ねてきた。悪人が沢山屯しているかと思っていたが人影はなかった。ただ「そこにいるのは誰か。どこから来たのか。どこへ行こうとしているのか」という声が近くで聞こえた。



そこにいる?-
部屋の明かりをけして感触でお互いの存在を確かめあって、
首筋に吐息を感じた時、彼女はたしかにそういっていた。

そこにいる?-
休日の昼下がりに、人込みの中で僕は人垣のむこうにいた彼女がまさぐるようにして僕の腕をつかんできたとき、彼女の指がそういっていたように思えた。

そこにいる?-
薄い壁越しに隣の部屋から静けさの輪郭をかたどるように深夜番組の声がもれるなか、ふと、会話のとぎれた受話器の向こうの彼女の沈黙が、ぼくにそういっていた気がした。

ここにいるよ-
いつだって僕は彼女にそういってやることができなかった。
別にいえなかったわけじゃない。
別にいいたくなかったわけじゃない。
ただ口にすると、僕がここにいないものになってしまいそうだった。僕はいつだって何もいわずにこたえていた。

暗がりの部屋の中でも、
意味をもたないひとの群れの中でも、
終焉のような静寂の中でも、、、



そこに誰かがいる。そんなきになってしまうことってない?
あるよね。ひと一人がいられるスペース。ベッドの下、部屋の天井、ひょっとしてPC
使ってる私の背後に…首筋がぞおーっとしてきた。気持ち悪いからせーのでふりか
えってみよう。
せーの!        あー、やっぱだれもいない。ほっとした。でもやーめよ。
なんか怖くなってきた。
そもそも、そこってどこなの?いるって何が?
抽象すぎすぎてわかんないよう。
会話だったら、
「あのさー狛犬ってどこにいるの?神社だっけ?」
「うん、そう。そこにいるよ!」
って感じかなあ。
何も恐ろしいものがいるわけじゃないもんね.
安心していいんだよね。
そうそう。
そんなときテーブルの上の1万円札の福沢諭吉先生が
かすかに微笑んだきがした。



 鳥居の上。
 三面鏡の裏側。
 氷が張った池の底。
 寺の鐘の内。
 屋根裏部屋。
 蓋の閉まった風呂釜。
 深夜のホーム。
 歩道橋の踊り場。
 葦の茂み。
 ベッドの下。
 振り向いた視界の端。



ほら、そこの子供。あなたが笑っていられるのはそこにいる子のおかげだってわかっているのかな。廊下側一番前のだんごむし。自分の声を自分の胸にしか囁けず自己嫌悪を背中で受けながら常にそこにいる。見て見ぬ振りしてたって? まぁそうだよね、だから笑っていられるんだものね。あなたはこの先成長して教室を変えていく訳だけど、そこにいる子はクラスみんなの笑いを保つために辛抱強く丸まったままそこにいるんだよ。だからほら、そこの子供。顔なんか覚えていないでしょ。でもあなたのなにげない平和に寄り添ってそこにいるんだよ。だからさ、名前ぐらい思い出してあげなよ「気持ち悪い」なんて言わないでさ。一生そこにいるんだから。



わたしの安らぎ、あなたへ話をきいてもらうこと。
寂しいとき、嬉しかったとき、あなたは何時だってきいてくれるでしょう。
わたしって我が儘かしら?そう訊ねたらあなたはそうと答えたわね。
そう、わたしは我が儘。
あなたをひとりじめしたい、してしまえばいいのよね。
ひとりじめにできる方法、考えたのよ。
わたしが一番心地よいと感じる場所。
あなたも気に入ってくれると嬉しいんだけど。
最近悪態を吐かなくなったので、ちょっと寂しい。



そこにいる青い虫を私は憎しみをこめて指で潰した。せっかく芽を出した大根の葉を食い散らすふとどきもの。くる日もくる日も山の大根畑で青虫と大根の収穫を巡るたたかいを続けた。大根の葉の成育と共に、青虫の体型も大きくなってきた。手で潰すのが気持ち悪くなって、指でつまんで靴のつま先で踏み潰した。大根はどんどん大きくなり、青虫もさらに大きくなった。両手で抱えるほどに青虫が成長した時、もう私の手に負えなくなった。ぽりぽり大きな大根の葉を喰らう虫をいまいましく眺めていたら虫が口をきいた。「お前も大根の葉が欲しいのかい?ひもじければここに来て食べてもいいぜ」
大根が口を開いた。
「大地の養分と、雨と太陽の恵みをいっぱいに受けて、私はこんなに大きくなることが出来たわ。さあ存分に食べておくれ。私を食べることであなたたちが世の中のお役に立つ働きが出来るのなら、きっと神様はお喜びになるわ」
山の畑に大きく育った大根の葉の先で青虫がせっせと食っている。その横に見かけたことのない不思議な虫が真面目な顔をして葉っぱをかじっている。



 日に向かいのびつづける、あれは一つ目の巨人の形見の葉を落とした姿だ。肉が溶け、骨が砕けても、より合わさった神経繊維だけで、上へ上へとなお、のびていく。  私も空へ両腕をさしだした。日の輪をじっと見つめる。そのうち、少しづつ腕がのび、指がのび、それでもたらずに爪がぐんぐんとのびだした。  そして爪の先がようやく、日の輪にふれるころ、ふっと足の上をむずがゆいものが通り過ぎた。思わずふりかえると、それは無数の指の塊だった。ある、ささくれのできた人差し指は、なんども空に十字を切った。柔らかそうな、つやつやとしたある親指は水晶のような珠をなでまわす。中指だろうか、薬指だろうか、爪の中を真っ黒にして土の上を這い回る指もある。その中でも、小さな、小さな、指に埋もれた小さな指の先の、さらに小さな小さなピンク色の爪と目があった。しかし、 「あ。」 と私が言うと、指たちはあっという間に地中に潜ってしまった。  なんだ、そこにいたのか。



 渋谷駅前の大きなスクランブル交差点に差し掛かった時だ。全ての信号が赤になって奇跡のような静寂を得た交差点の中心に、たった一人身じろぎもしないで立ち尽くす少女がいた。少女は頭頂からつま先まで全身黒づくめの服装をしていた。やがて信号が青になり、分子のブラウン運動のようにばらばらに通行人が行き交うのだが、少女は相変わらず呆と立っている。気にはなったのだが、都会に生きる者の常識としてそこに誰もいないかのように通り過ぎた。渡り終えてから振り向いてみると、既に赤になっているというのに少女はまだそこに立っている。まあ、何処の誰とも知らぬ人間が轢かれようと私には関係ないことだし、急ぎの用事があったためにその時はそのまま立ち去ったのであるが、それ以降何処の交差点でもその少女を見るようになった。私が行く先々の交差点に立っているところからすると、その少女は最早人間ではないのだろう。辻に棲むという「魔」であるのか、はたまたただの幻覚であるのか。そうこうしているうちに、その少女は私の視界のそこかしこに出没するようになった。トイレの壁、窓の外の鉄塔の上、眺めやった海の地平線の上。これはもう気が狂っているに相違ないと精神科を受診したのだが、医者は何故か首を捻って、そのまま帰されてしまった。訝しいなあと思いつつ、手持ち無沙汰なので眼鏡でも掃除しようと外したら、レンズの上に丁度人間のような形で小さな蜘蛛が内腑をはみださせてへばりついていた。蜘蛛を拭い去ったら、それ以降少女は現れなくなった。



仕事から帰ると、不思議に人の気配がする。
が、誰もいるわけがない。
あの日、彼女が出ていってからもう2ヶ月になる。

その日僕は彼女と喧嘩をし、彼女は部屋を飛び出した。
それから2時間後、彼女は駅のホームに落ち、電車に轢かれて死んだ。
そのとき僕は、別の女の子と飲んでいた。

やはり何か気配がする。
振り向くと彼女が立っていた。
僕は何か言おうとしたが、後ろめたさが先に立ち言葉がみつからない。
彼女は言った。「忘れないわよ。」
どきっとした。
「あなたのくれた優しさ、勇気。そして、かけがえのない愛情。」
「私の事、忘れないでね。・・・バイバイ。」
そう言うと、彼女はすうっと消えていった。
結局、僕は何も言えなかった。

その夜、僕は一晩中泣きながら彼女の事を想った。
寛容にも彼女が僕に課した唯一の宿題は、“彼女を忘れない事”だけだった。
いずれにせよ僕はまだ生きていて、彼女はもうこの世にはいない。
残された者は自らの生を終えるまで生きるしか成す術はない。
僕は忘れないだろう。彼女の事を。
これから僕は誰かと結婚し、子供もできるかも知れない。
その度に僕は思い出すだろう。彼女の事を。
死の床で再び彼女に逢うその日まで。



天竺の仏様がおっしゃった
人の邪見、まちがった考え方は生き死にでは
消えねえと

村一番の産婆の婆さんの言う事にゃ
腹を押さえてやって来る妊婦の腰に赤子が見えるその時にゃ
かわいそうだけんど、お腹の子供は死んで生まれてくるんだな
あの時は二人の赤子が腹のこの手を引き引き遊んでる
右の赤子が右に引き、左の赤子が左に引いて、二つに裂けた腹の子
そんな幻見た時は、
逆子の首に臍の尾が纏わり憑いて首絞めて 生まれた時は死んでいた。
泣く母親の過去の水子に悔やみ涙は後の祭りよ
授かりものの赤子の命、粗末にすれば罰当たる

神も仏も在るものを 見て見ぬ心 罪と罰
ほらお前の後ろにいるぞ
振り向くな、振り向くところ そこにいる



「この基地に半魚人が潜入したとの情報が入った」
 上官の言葉に一同は顔を見合わせた。
「今、正直に名乗り出れば、命だけは助けてやる。さあ、半魚人、手を上げて」
 しかし、誰も手を上げなかった。
「では、半魚人でないもの、手を上げて」
 今度は全員が手を上げた。上官はじっとその様子を見つめて言った。
「おい、そこの水かき!」



ねえ、そこにいる宇宙人さん。
あなた、UFOに乗ってきたんでしょう。
遠い遠い星からやってきたんでしょう。どんな方法でやってきたんですか。
きっと地球人には分からない高度な方法なんでしょうね。
地球文明より何年ぐらい進んでるんですか。数百年、いや数万年。
コンピューターだって、ずっと進んでるんでしょうね。
地球のスーパーコンピューターの何億倍もの性能が有ったりして。
だったら、こんなことできますか。
日本政府には莫大な借金が有って、どうやったら生活の質を落とすこと無く
借金を無くすことができるでしょうか。簡単に解析できると思うんですが。
解答出してくださいな。
ねえ、そこにいる宇宙人さん、お願い。お願いです。お願いしますう。



 彼女の広い屋敷にはたくさんの部屋があって、ぼくはすぐに自分の居場所を見失うが、彼女はけっして迷わない。彼女はいつも長いガウンをずるずると引きずって、蝋燭に火をともした照明を手に持って、廊下を歩いている。ぼくの影を見つけるといつも目を細めて蝋燭をかざす。ぼくだよ、と言うと、あぁ、と、無感動な返事が返ってくる。いつもと同じ部屋よ、そう言って彼女が導いていく部屋には、いつも違う時計が置いてある。大きさも違えば表示も違う。そして違う時間を刻んでいる。ぼくたちはいつもそこでお茶を飲む。いつもと同じ時間を、いつもと違う時間を、そこで過ごす。
 ときおりぼくは不安になる。あなたとぼくは違う時間を過ごしているので。帰ってくるといつも、ぼくは少し年をとり、あなたは変わらずに、廊下を歩いている。ぼくが贈った時計を、あなたはけっして使わない。
 ぼくが来なくなっても、あなたは変わらずにそこにいるのかな? そう聞くと、彼女はちょっと考えて。あなたがそこにいるのと同じようにね。そう言って、いつもと同じお茶を口に運んだ。



そこにいるのは私の夫でしょうか。私が夫の姿を見かけるのはベッドの中だけです。私がベッドを出ると夫も一緒に起きだしてきますが、そこから先はどこへ行くのか姿がなくなります。私たちには子供はありません。私は昼間は都心のオフィスでゲ-ムソフトの開発に携わっています。職場のリ-ダは三十半ばの美人です。職場には若い男性社員もいますが、見事な統率の下で働いています。彼女は離婚歴ありとの噂ですが、社長からも信頼されています。彼女は少し年上の私に何かと気を使ってくれています。私を独り者と思ってか郷里から送られてきたとお裾分けを頂くこともあります。仕事が終わってマンションにたどり着くのはいつも遅い時間になります。シャワ-を浴びてホット一息ついてベッドにもぐりこむと夫が待ってくれています。ベッドの中で今日一日のことを夫と話し合います。私が機嫌の良い時は夫もすこぶる上機嫌で話が弾みます。
ある日リ-ダから夕食に誘われました。私は火照ったままの体で我が家に帰ってきました。その夜ベッドの中に夫の姿はありませんでした。ベッドの中に姿見を持ち込む習慣をその夜から止めました。



「誰だ!そこにいるのは」
 人通りのない暗い夜道で、昨日ワニになったばかりの笑美の彼、誠が突然さけんだ。
 笑美はあたりを見渡したが、特に人の気配はなかった。
「大丈夫よ、誰もいないわ。どうしたの?」
 笑美はそっと誠を見た。月明かりを浴びて、彼の肌は艶やかに光っていた。
「まだこの体に慣れてなくてね。どうも敏感になりすぎてるみたいで」
「でもそれであなた、強い体を手に入れることができたんでしょ」
「まあな」
 誠は右肩を力強くまわした。
「パワーがあふれてくるんだ。でもこの目が気になって。視野が広すぎてね」
「そう」
「何でおまえは他の動物にならないんだ?人間なんてワニにくらべたら全然弱小だよ」
「だって私、かわいいじゃない」
 笑美はさらりと言った。誠は長い口をぽかんと開けたままで、言葉はなかった。
「このままで私は十分魅力的だと思うし、男の子にももてるし、上司にもやさしくしてもらえる。そんなに力は必要ないし、目は前しか見れないから、あなたみたいに臆病にならなくてすむしね」
「誰が臆病なんだよ!」
 誠は怒鳴ったあと、水っぽく笑った。
「誰だ!そこにいるのは」
 数秒後、誠はもう一度、大きくさけんだ。
 笑美はやわらかく微笑み、ぼんやりと浮かぶ月を見上げた。
あそこに誰かいるのかな?ま、いっか。
笑美は小さくつぶやき、軽い足どりで歩を進めた。



そこにいるのは紛れもない、あの人だ。彼女は中学二年の二学期、都会から転校してきた。背の高い眩いばかりに美しい人であった。田舎の中学では跳び抜けた成績で、悪ガキの私には手の届かない憧れのマドンナ。中学を卒業するまで同じクラスであったが、胸に秘めた熱い思いを打ち明ける機会はなかった。高校に進学する時、風の便りで彼女は遠いところに移って行ったと聞いた。その後私は高度経済成長期の企業戦士として世界を舞台に働き通した。結婚して子供も孫もできた。同窓会の案内状を開いてみる心の余裕ができた時、私は定年退職をしていた。
京都で開かれた同窓会に私は卒業後初めて参加した。48年の歳月が流れていた。その間私が年を重ねたということはあの人も同じはずである。だが今そこにいる彼女の姿は48年前のままではないか。微笑を湛えてそこに座っている彼女の周りから時の流れは避けて流れてきたのか。私のテ−ブルの近くに座ったお婆さん達とは昔話に花を咲かせたが、あの人のところには終に最後まで近寄ることが出来なかった。



 僕はニューヨークで貸し傘屋を営んでいる。この街の最後が残っているトライベッカの倉庫や建築物を見ていると、僕は僕自身が喪失してきた歴史について考えてしまう。ヴィンテージ・ブーツを扱っていた中国女のベイカーも店をやめてしまった。彼女は工事中、と書かれた看板を蹴飛ばすのが得意で、ついには工事中の彼女自身をも蹴飛ばしてしまった。ドゥエイン通りからグリニッチ通りを右に曲がったあたりで車にひかれたのだ。
 僕は彼女に恋をしていたから、今でも雨が降るとその日のことを思い出してしまう。軽やかなクラクションが鳴るたびに、僕や、彼女の思い描いていた人々の、かなえられなかった祈りを聴いてしまう。

 だけれど、〈誰が〉祈りをかなえられるのだろう・・

 ニューヨークは変わり続けるし、完璧、を目指す女の子は、たいてい不幸だと相場がきまっているのだから。

 クリーニング屋のマイクは元気に鼻歌を唱い続けている。

 そこにいる・・
 そこにいる・・

 《哀しむ女の子》はしあわせなのかい?



 このところ、娘の様子がおかしい。私に対する視線が厳しくなって、やけに反抗的な態度を取るのだ。
 さやかは、主人の前の奥さんの子どもだけれど、まだ幼かったので、違和感なく私を母親として受け付けていたのに。
 そう、母親を殺されたことも知らずに。

 「厭だ、やだやだ、こないで。さわっちゃやだ」
  日曜日の午後、居間のソファで退屈そうにしている娘と遊ぼうとした私に、拒絶の言葉を投げる。
 「どうしたの、さやちゃん」
 「ママ、助けて、ママァ」
 「ママ、ここにいるでしょ」
 「ちがうもん、ママじゃなもん、こないで!」
 刺すような視線を私に投げ付ける。
 「じゃぁ、どこにさやちゃんのママがいるの?」
 さやかの瞳は、私の肩を通りこした向こうの壁。そこに微かに残る血痕を見詰めて。そして、言った。
 「そこに、いるの」



僕は,肉だ.
肉とはつまり,僕だ.
動きの原動力である.
僕は非常に,煮え切らない奴である.
いや,煮え切りにくい奴である.
故に,僕は煮物のさいに,最初に鍋に入る.
つまり,鍋の,底にいる.



そこにいるのが加藤なら、妻危篤の知らせを受けて出張先から急遽病院へ向かう途上、遮断機の下りた踏み切りに突っ込んで、特急電車に跳ね飛ばされ、ほとんどミンチ状の肉片が線路上の三十メ−トルに渡って散乱即死した人間は誰であったのか。集中治療室からベッドに横たわって出てきた男の顔は加藤春信そのひとであった。ベッドが運び出されるのと入れ違いに、首の無いマネキン人形様のものが治療室に運び込まれた。やや暫くして、明らかに死体と思われる白い布をかぶせた一体が出てきて、私の前で止まった。白い布の下には加藤の妻秋子の顔が眠っていた。私にはナゾが解けた。加藤は電車に衝突して肉片と化したが、首から上だけは無傷であったのだ。すばやくそれは病院へ運ばれ、脳死状態に陥っていた秋子の首に間一髪の早業で縫合された。そういえば牛の脳と人間の脳を取り替えて人間牛、牛人間が誕生したという話を思い出した。医学的には臓器移植はそこまで到達しているらしい。
 加藤は間もなく元気で退院し、名前を春子に変えた。自分のお腹から、やがて新しい生命が誕生する予定だ。



彼女は家に帰ると決まって迎えに出てくる
居間では私の座椅子を独占し
私が風呂に入ると必ず浴槽に足を掛けて湯気を嗅ぐ
私がベットに入ると足元で寝る
でも抱き上げようとすると決まって逃げる
それも2〜3メーター程逃げる
だがたまに私のひざに足を掛け「にゃん」と泣く事がある
旅から帰ってきた時である
やっぱり猫でも寂しいものなのか
ある日その日も旅からの帰りであった
寂しがっているのかなと扉を開ける
あれ彼女のいつものお迎えがない
居間に居るのだろうと居間に行く
やっぱり居ない
指定席の座椅子は空である
ベットルームは?こたつの中は?
風呂場は?まさか浴槽で溺れていないよな
部屋中探しても彼女はいなかった
どこへ?外に探しに出る
大通りの側溝にうずくまる彼女
車に轢かれて死んでいた
外に出たがらなかった彼女だったのに
どうして出たのかな
こう言う時涙が出るものですね
泣きながら家に戻りました
彼女きっと寂しくて私を探したのでしょう
また飼って寂しいと泣かれるとたまりませんから
もう猫飼いません
今も彼女の指定席は空のままです
今度は私が寂しくてたまに独り言です
「おい 出ておいで そこにいるんだろ
隠れたってわかっているんだ」



笹の葉を一枚、川に落とした。
川はトンネルをくぐって流れている。
葉っぱは、最初のトンネルを抜けた。
「ここは違いますね」
葉っぱは、次のトンネルを抜けた。
「ここでもないですね」
三つ目のトンネルを抜けた時
葉っぱは笹舟になっていた。
「ここですね」
我々は水音を立てながら、トンネルに入っていった。



 ずっといっしょに、ときみは言った。
 去年のきのう
 来年のあす
 なにもわからない世の中で。

 だから

 ぼくは子宮にもぐり込み
 星の時間をさかのぼる。



 ずっと休んでたけど、学校へ行く。
教室には俺の机があるのか?
 クラス1の人気者だった俺が無視されだしたのは、突然の事だった。心当たりもない。思えば、今まで俺が仲間を無視したり、いじめたりした時もそんな感じだった様な気がする。
 きまぐれなら、ほかの目標ができた時、俺の存在は
また復活するのさ。
 教室に入り「あるじゃん机」とおどけてみる。
まだ俺は空気だった。教室にはいない人。
 俺は椅子を持ち上げ眼の前の頭に振り降ろした。
 やっとみんな俺を見たよ。
だけど、それでも俺はいないらしい。



彼が近頃おかしなことを言う。
なんかさぁ、最近変な声が聞こえるんだよねーすぐ耳元で俺の名前よんでんのに振り返ると誰もいないの、変じゃねー?
ああ、また聞こえる
そういって振り向いた彼の首筋で、うっすらとまぶたと口が開いて私を見てにっこり笑った。
私もにっこり笑い返す。
なんだ、そこにいるじゃないの。



気が付いた時、ベッドに横たわる全身傷だらけの自身の姿を見下ろしている視点の自分がそこにいた。ぼんやりとした記憶を辿る。・・・そう。修学旅行の高速バスが事故を起こしたのだ。母校に戻るだけの道程を残した、楽しい旅の最後の時間だったのに・・・。意識を失う瞬間の恐ろしい衝撃と級友たちの叫び声が耳の奥で甦るような気がした。・・・それにしてもこれは一体どういう事だろう?僕は死んでしまったのか?そんな事をふと思った時、遠くから自分を呼ぶ沢山の声が飛び込んで来た。「こっちに戻って来い!」「そっちに行っちゃ駄目!」「頑張れ!負けるな!」それは級友たちの、或いは担任の教師の声であった。それらの声に導かれるように暗闇の中を歩き始めた瞬間・・・病室で僕は意識を取り戻した。僕の周りにいた両親、看護婦、彼らの全てが僕の目覚めに驚き、そして喜んでくれた。主治医の話では危険な状態だったという。僕は辺りを見回して、級友らの、そして担任の励ましにお礼を言おうと彼らを探した。僕の生還にも関わらず、彼らは一様に険しく、笑みの消えた表情で僕の姿を眺めているのであった。病室の窓ガラスの、恐らく地上からかなりの高さであろう外から。



 テーブルの上にはコップが一つ。コップには《空虚》がなみなみと注がれているので、コップはコップとしての機能をすっかり失っている。そこに一本の薔薇を差し入れると、薔薇は跡形もなくなる。面白がって花瓶の薔薇をすべてコップに移してしまう。よく見ると、花瓶の中には《虚無》が滲み出しているところだ。花瓶はそんなことを予感していたようで平然としている。見る見るうちに、花瓶は"KA-BI-N"へと変わり、"過敏"になったり、"カビin"になったり、"か紊"だったりして、意味を失い、結局は《虚無》そのものになって床に転がってしまう。しかし、その床にしてみても《非在》で支えられているだけので、その存在は曖昧である。床が曖昧ならば柱も壁も無いに等しい。ということは、花瓶もコップの存在は、さらに言えば、跡形もなくなった薔薇でさえ、初めから無かったのかも知れず、つまるところ、そこにあったはずの《空虚》も《虚無》も《非在》も有り得べからざるもの、ということになるのだが。では、そのテーブルに、そのコップに、その薔薇に、《空虚》に、《虚無》に、《非在》に——あらゆるものに、満たされたあなたは、いったい、誰だ?



 妻の用意してくれた朝食を食べ終え、子供たちが学校へ行くのとほぼ同じ時刻に、私は会社へと向かう。つい先日、業績を認められ、私は部長に抜擢された。社内での私の評判は高く、女性社員のウケもいい。

 仕事を終え、七時過ぎに帰宅すると、玄関で待っていた娘がはしゃぎながら今日はすき焼きだと言った。家族四人で囲むすき焼き。肉ばかり食べようとする息子を、姉である娘がなじり、妻がそれをなだめる。私はそれを見て笑う。

 一家の団欒も落ち着き、私はビールを飲みながらテレビを見ていた。

   ふと私は、自分が幸せであることを実感する。人生という袋の中身は満たされ、これ以上何も入らないということを。

 少し酔ったのだろうか、リビングに息子がいるのに、私は妻を抱き寄せた。
 妻は少し驚いたようだが、何も言わず、身体を預けてきた。そして私はそのまま、妻の首を絞めた。指に白い肌をめり込ませ、もがき苦しむ姿を見て、私は優しく微笑む。今迄感じたことのない、やすらぐような痛みを覚えながら。

 「もう飲まないんですか」テレビの音が私の耳に帰ってくる。「ああ」ビール瓶に栓をして冷蔵庫にしまうと、妻が微笑いながら言った。「飲み過ぎは体に毒ですものね」



僕は暗く深い《海底にいる》。呼吸をするたびに気泡が上へと続いて行く。瞼は開かない。圧縮された僕を取り巻く環境が牢獄のように身体にまとわりつく。相思相愛的な恋愛は存在しない。他者の不在が自明のものであるからだ。ふやけて皺だらけになった皮膚は膨張し、拡散して全体と融合する。

つまりだ、僕は誰にでもなれるし、何処にでも行ける。
2005年にインターネットの進化と普及がもたらした現実は認識の向上ではなく、低下と曖昧さを浮き彫りにした。

僕はタトゥーを刻み、誰でもない自分になろうとする。
瞼は開かない。圧縮された僕を取り巻く環境が牢獄のように身体にまとわりつく。

僕は暗く深い《海底にいる》。

相思相愛的な恋愛は存在しない。呼吸をするたびに気泡が上へと続いて行く。



私はジャングルの主、やりたいことは思いのまま。
だから、魅力的な女性を観れば、押し倒し欲望のまま振る舞い、格好のいい男性を観れば、誘惑して精気を吸取り奴隷とする。つまり私に性別はない。
このジャングルは、なかなか抜け出すことができない樹海だ。しかし、最近は自然破壊だの異常気性などが影響して外へ出る事が容易で、実に面白い。
お前も、こんなジャングルの主になる事ができる。どうすればいいかって?…ふふっ。簡単なことだ、なぜならジャングルはお前の心の中にあるのだから。私はお前自身ジャングルを壊せばいつでも、同化できる。
私は”そこにいる”みんなのジャングルの中に。



 学芸会の練習で断崖に掛けられた網を彼女と二人で横断する。彼女の体はロープで繋がれていて俺はその先端を持っている。ロープは細いがかなり丈夫そうだ。
 彼女がずんずん先に進んでしまい危ない。俺はロープを何重にも手に巻き付けがっちりと網にしがみつく。しばらくするとロープに引っ張られる。彼女に少し待つように促してから俺は網から慎重に手足を抜き差しする。俺が落ちればただでさえ小さな彼女は俺を支えきれはしないだろう。手に巻き付けたロープが上手く解ければ良いのだが。
 ゆっくり尺取虫の様に進んでいる。このペースではいつ渡り切れるのか解らない。それも悪くないなと思う。
 教師が二人怒鳴っている。仕方がないので説教を聞く。自分らの居ないところでこういった事をするなを繰り返している。彼女はいつの間にかどこかへ行ってしまい怒られているのは俺だけだ。細いロープが俺の手から垂れ下がっている。教師の一人がどうせお前は退学だから好きなようにしていれば良いと泣きながら言い放つ。