500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第74回:誰よりも速く


短さは蝶だ。短さは未来だ。

風を切ることに慣れていないのである。まして力強く大地を蹴ることにも長けないのである。届きそうで届かない。つかめそうでつかめない。手を伸ばせば届きそうなほどに近いその光を、何としてでも手に入れなければならないのに。何としてでも触れなければならないのに。置いていかれる。世界においていかれる。あなたにも置いていかれる。私をかすかに照らす、その光は、遠い。遠い。いや、しかし、と、思う。私は気づいていないのである。もう私はその光の中に存在しているのだという事を。光の中で光と共に光の速さで進んでいるという事を。もうだれも追いつけないのだという事を。それがわかったとたんに、私は、ふと、気付く。逝きすぎた道を引き返すことなどできないのだ。そして今、私は光という小さな小さな箱の中のオンリーワン。そう、今、一人ぼっちなのだ。



 僕たちは競争してたわけじゃない。みんなが揃って「いっせーのーで」でおんなじことをやってたわけでもなかったし。でも僕たちはたくさんいたし、似たようなことをしてる子はいくらもいて、そのやり方も速さもできあがりつつあるものもいろいろで、僕はなんでも速かった。すごく速かった。僕にはそれが気持ちよかった。スピードを感じること。時間を感じなくなること。
 なぞったり、思い出したり、まねたり、思いついたり、穴をあけたり、こねたり、願ったり、うめたりして、僕たちはそれぞれが世界を作ってた。そして僕は一つ先のステップへと進む。速すぎることはわかってた。僕はなんでも速いんだもの。でも速いのが僕で、僕の世界はもう満ちてた。だから前に進む。

 ざわざわしたものがまつわり付いた。そうだ、これが世界だ。僕は気づいた。それから少し不安な気持ち。
「ママ……?」
 僕はたぶん生まれてからいちばん速く言葉を喋った赤ん坊だと思う。だけど、うすぼんやりする世界にじっと目を凝らしても、少し離れたそこには、心底びっくりしている顔の白衣の男が二人いるだけだった。僕は、孤独なんだ。
「おぎゃあああ」
 何かが泣く僕の腕にぺたりと触ってきて、僕はいっそう声を張り上げる。



 。



レモンの木を見ると思い出すんだ。
無性に自転車を漕ぎたくなるんだ。
ボーイズ・ビー・アンビシャス、今流行の言葉も俺たちには関係ねぇ。
少年たちは又三郎に憧れるんだ。
運命の分かれ道は突然訪れるんだ。
ユア・マイ・サンシャイン、この世にある最高の出会い。
君の言葉が聞こえてくるんだ。
吐息に耐えた炎は花を咲かせるんだ。
メイク・ア・ファミリー、生命の掟。
そして俺はレモンの木に命の水をかけるのだ。



 スタートのピストルは真夜中ジャスト零時。深い霧のけむる古道に、応援する観客の姿など無論ない。沿道の家々は門や窓を固く閉ざし、走者の群れを遠ざけるべくあれこれと戸口に物をぶらさげる。だが、かえってそれが彼らを武者震いさせることを知らないのだ。ピストルが鳴り、気炎がわきあがる。最後尾から、走者を喰い尽くす勢いで鉄の処女がブルドーザーのように走り出す。青白い顔をうっすらと上気させ、土くれを蹴りあげて、漆黒の集団が猛スピードで駆け抜ける。
 八キロ置きに設けられた補給ポイントには、占領した近隣国より運ばれてきた若い女たちが腰を縄につながれて、白い首筋をむき出しにしていた。走者たちは熟知している。いかに健康で穢れのない稀少な女を捕らえるかが、最終的な勝負の決め手となることを。聡明で獰猛な先頭集団が、黒豹のような眼光で無垢な童女を瞬時に見定め、自慢の長い腕で一斉に飛びかかる。女たちは、領主の妻から一本ずつ配られた鉄槌を構えつつ、懸命に応戦し逃げまわる。すぐに組み敷かれるもの、他の女を盾にするもの、穢れなき女を見抜けぬもの、返り討ちに遭うものさまざま入り乱れ、夜明けまでの壮絶な生存レースは続く。



「誰よりも速く涙を流せた者をわたくしの夫とします」
 群集に向かってそう宣言した姫自身が、誰よりも早く頬を滴で光らせている。
 一人の男が進み出て、「何を以てはやいとするのですか」と怖ず怖ず問うた時には既に、あわれ姫の身体はすっかり干乾びてしまっていた。



 このままでは、約束の時間に間に合わない!

 そうだ、俺は高校のとき、陸上部でスピードスターと呼ばれた男!

 普通の人なら無理、だが、俺なら速く走る事が出来る!
 そう、誰よりも、誰よりも速く!

「……ハイ、お兄さん。制限速度50キロオーバーね」
「お前、生身の人間でもキップ切るんかいッ!」



「せむかたなきことよ」
と、スカラ君はぼやいた。
 ベクトルン嬢の行く先は、いつだって明白だ。スカラ君はベクトルン嬢の前に現れれたい。颯爽とライバル達を追い越して、涼しげな顔でベクトルン嬢を迎えて一言いうのだ。
「お嬢さん、お待ちしておりましたよ」
 スカラ君が誰よりも速く進むのは容易いことだ。自身の値を上げればよい。それだけだ。しかし、それだけである。
 スカラ君は、自分でも何処へ行くか判らない。



機を織っている、白いの素敵、整列の数百数千数万人。この音の軋み妖艶が輪郭を蕩けさせる、このまま白に蕩けてしまいたい、けれど。はい、そこまで。硬質な声が響く。わたしの蕩けた輪郭をしゃんにする、ああ、もっとあの音を聞いていたいのに、糸と糸の閾で全身耳にして蕩けてぬらのになくなってしまえたら。けれどももう駄目。背骨もしゃん。続くはお針子さんの緻密、蝶のはためく鱗粉のさまで縫いあげられるは足袋。さあ、これがあなたの、胸元に押しつけられる。それはとてもわたしの足にぴったりで、とてもとてもぴったりで、ぴったりは、冷たいね。冷たいは、やらかいね、冷たいをしゅんと味わっていると、横から後ろから、人びとが駆けてゆく、お針子さんも駆けてゆく、間もなく無期限ストライキ、扇動するは、この道500年、船頭たちは、今度こそ譲らない、蓮華ベア、絶対獲得。三途の川を渡る船、最後の便はもうすぐ満員、ひとびとはぎゅうぎゅうの悄然、重量オーバーなんのその、河岸へゆかねばならぬのだもの、今生なんておさらばだもの、少年の第二次性徴の速度で、誰もが誰もが駆けてゆく。



 どうしてスポーツライターになろうと思ったのかと聞かれたとき、いつも彼のことを思い出す。
 学生時代、僕は二百メートルトラックの選手だった。選手は僕以外にもう一人いて、彼は校内はもちろん県下でもトップクラスのランナーだった。
 才能の差もあったろうが、努力の差も顕著だった。僕が筋トレを五セット行えば彼は十セットをこなし。僕が十本走った日には彼は二十本トラックを駆けていた。何より、僕が学校の成績のことや、漫画の続きのこと、女の子のことを考えている間も、彼はいかに速く走るかという、そのことだけを考え続けているようだった。少なくとも僕には、彼の姿はそう見えていた。
 僕は走ることに対して彼ほどの情熱を抱いていなかった。にも関わらず、彼の努力を認めようとせず、彼に追いつくどころか日毎に離されていく事実を受け入れられずにいた。
 ある日僕は彼に聞いた。それは皮肉混じりの、多分に嫉妬が含んだ問いかけだった。
 この学校にだって君より速く走るヤツはいない。いったいどれだけ速くなるつもりだい?
 そのとき。彼はこちらに振り向いたのだ。そして、言ったのだ。
 力強い、確かな声で。
 僕の人生を大きく変えた、その一言を。



 サムライが空を飛んでいた。
 肉眼ではその姿は捉えられなかったが、画像として補足した者がいたのだ。
 人型をしている。頭部には髷状の突起物がある。体の下部を覆っているのは袴状の軟物質。体の左側には棒状の二本の付属物が見える。まるで二本差しの武士に見えるのだ。
 形態はほぼ確認できたが、何者かは確認できない。未確認飛行物体、UFO だ。
 この侍型 UFO は人工衛星も姿を捉えていた。外宇宙から地球に飛来して来たのだが、計算上の速度は光速を超えていた。
 地球上には未だないとされる超光速技術を有した侍型飛行物体は大気圏内では速度を落としたために各地で姿をとらえられたが、何をするでもなく、地球を去った。
 ほとんど間をおかず、さらに高速の飛行物体が確認された。それは侍型 UFO の軌跡をなぞるように地球を巡り、去っていった。あの侍型 UFO を少しずつ追い詰めているのだろうか。地球上で速度を落とした時に軍事衛星が捉えたその姿は、なぜか老人に見えたという。



「誰 ?」、と問うてみる。
私より早く生まれた母。母よりも早く生まれた海。海よりも早く生まれた星。星よりも早く生まれた時よりも早く生まれた光よりも早く。生まれたものたちの系譜を遡ってゆけば宇宙の誕生に辿り着く。
宇宙の後に生まれたものはすべて宇宙よりゆっくりと生まれる。宇宙は誰よりも速く死に急いでいるためにすべての生とすべての死を追い越してしまう。
追い越されてしまってみれば、すべては宇宙に含まれるようにみえる。そのとき宇宙とは、あらゆるものをあらゆる方向に追い越す速さである。
誰よりも早くそれに気付いたものが宇宙と呼ばれる前になんと呼ばれていたかはさだかではない。そも、さだけくすることができない。それは、「誰 ?」という問いよりも速いがゆえに。

尋め行く者よ。
目的地よりも大きいがゆえに、目に入らないみちしるべを振り仰ぎ給え。
答えまでの距離よりも遠いがゆえに、問うことのできない問いを問い給え。



 目の表面が、ミントのようにすうっとする。心臓はのどまで来ている。足の裏が痛くて、熱い。
 空気とこすれて、あたしは光るよ。



21kmの折り返し地点、俺は疲れも知らずに快調に走っていた。
2位との差は、1km以上。ほとんど独走状態だった。
テレビ局は、前人未到の記録2時間をきるのではないかと大騒ぎ。

俺の体には、2つの心臓が施されていた。
万能細胞により、俺の心臓からもう一つの心臓をつくり、2つの心臓が
互いに体の負担を分散する仕組になっていた。
これは、ひとつの人体実験だった。
なにより一番過酷なスポーツマラソンでどれだけ誰よりも早くゴール
できるかの...

ラストスパートになって、2つの心臓は、一気に俺の体に血液を流し込んだ。
その血圧に耐えれなくなった俺の体は粉々に砕け散った。
ゴール前、100mを残して...



 わたしの前の席に座っている佐々木くんは、まいにち給食の時間になると、教室から忽然と姿を消してしまう。
 クラスのみんながグループを作って、たまあに出るコーヒー牛乳に喜んだり、揚げパンの粉をぽろぽろこぼしながらワイワイ食べている時、佐々木くんは、ひとりグラウンドでサッカーボールを蹴っているのだ。
 めぐちゃんが、佐々木くんちは給食費を払っていないからだよ、って教えてくれた。
 マラソン大会に参加すれば、いつも学年で一等賞だし、算数の時間には誰よりも計算ドリルを解くのが速い佐々木くん。
 前の席から順にプリントが配られる時、佐々木くんは「はいっ」と、にっこり笑いながら紙を回してくれる。佐々木くんのスラリとした綺麗な指先が触れると、わたしは少しばかり緊張して「あっ」と声を上げそうになるのだ。そんな時、きまって佐々木くんは「ごめんね」と言いながら、わたしの目をじっと見つめてくる。
 その瞳は、他の誰よりも成熟した大人びた漆黒なのに、そこにはいつも儚げな透明な膜が張られていた。
 それが羨ましくもあり、なんだかちょっと悲しくて仕方がないのだ。



 期待値0。
 あだ名はアロンアルファ(足の裏に瞬間接着剤が染み出すように、一足ごとに遅くなってゆくから)。

 たとえ君が世界で一番美しい少女だったにしろ、僕が君のおねしょを肩代わりしたのは少年史に残る愚かな行為だった。
 もし君が後で僕を裏切らなかったとしても。

 いつもの決まり文句「彼は死んだ」の前段階には「彼が生きた」事実がなければ言葉は意味を持たない。ゼロマイナスゼロマイナスゼロマイナスゼロマイナスゼロマイナスゼロマイナスゼロイコールゼロ。

 お前は生まれる前に処刑され、この世界に埋葬された。

 地雷を踏む確率89%。

 死んだ。



 独居老人へ、という手紙と共に我が家にやってきたのは、一体の介護用アンドロイドだった。先日逝った友人の形見らしい。
 青年型のそれは、表情にこそ乏しいが、見た目も声も人にしか見えない、最高級機種だ。奴は確かに天才と謳われていたが、私にとってはただの悪友、なにかの冗談かもしれないと思いつつ、青年との同居は始まった。
 ひとまず家事の腕は抜群だ。無口だが、その静けさは好むところだ。手書きの仕様書に、車の運転可能と書かれていたので、試しにさせてみたのがいけなかった。
 市場に行く予定が、あれよという間に道を逸れ、スピードが上がる。唖然としているうちに街を抜け、一気に視界が開けた。
「介護用なんてウソだろう」
 ようやくの私の叫びに、
「緊急時に速やかな搬送を可能とします」
 言いながら、青年は初めて、にやりと笑った。
「という名目です」
 車体は安定していて危なげない。加速によるGに押されるままに、私は座席へ沈み込んだ。不意に笑いと涙がこみ上げる。奴の考えそうなことだ。
 海、と言うとすかさずハンドルを切る。景色は素晴らしい速さで飛び去っていく。青年が懐かしい音楽をかける。
 どこまでも、走ればいい。



「亀の如く遅い」と超不評のお役所仕事だが、今年市役所に採用されたウサギ君はひと味違う。意欲まんまん、誰よりも速くをモットーに走り回った。
 市民課に配属されると、毎日早朝から市内を駆けめぐり、死にそうな人の枕元で死亡届を書く。あるいは、結婚届を提出しに来たカップルには、同時に離婚届も渡す。
 誰よりも速く配転となった先では、予算実行を早める為に、入札前に発注して新聞沙汰になりかけた。もちろん再配転だ。
 その後も市立大学の合格発表、市主催コンテストの表彰と、フライングを繰り返して、結局窓際に回された。
 そこは昼寝に最高の場所。かくてウサギは、人生最高の場所を誰よりも速く手に入れたそうな。



 親譲りのせっかちのせいで心臓の鼓動をマッハにしたら、主人公のよしたかさんはラットになった。よく考えりゃ俺はねずみ年。ねずみみてーに早死ごめん。よしたかさんは早くも恨んだ。俺をこんなにしちまったのは、俺のおやじのそのまたおやじのおやじのおやじのおやじじいのおやじの、またおやじあたりのせいだって。思考は音速超音速高速高速超高速、時はぴゅーんと遡り、よしたかさんは名前をなくし、原子レヴェルの速度になって宇宙を彷徨う漂う突っ走る。そうなったらそうなったでもなんとかかんとかなるもので、そいつは青い惑星を四十六億へんぐるぐる廻って、戻った戻った元の木阿弥、太陽までもが赤ちゃん帰り。銀河流れてどんどん遡って、集まり集まりきゅうきゅうきゅうしゅぽん!なんもかも消えっちまった。消えた消えた、さよならみんな。終わった終わったこの世のすべて。きゃぁぁぁぁぁ〜〜!!と、咽喉無き咽喉で叫んだら、天晴れ。よしたかさん、きょとんと目覚めましたとさ。



 クラスのあきこちゃんの誕生会、集合時間は君の生まれた午後一時、君が生まれたときから好きだというドラえもんのぬいぐるみを持って、一番に君の喜ぶ顔が見たくて、会いたい会いたいと思いバビュン、音速を超え、光速も超えて君の家へやってきたのだけど、あれあれ時間の壁までも超えてしまったようで、残念、約束の時間よりもはるかに早く着いてしまったので君はまだ生まれてさえいなくて、けれど、僕は君のことを誰より先に知っていて、君のことを一番想っているのは僕だから、君に会いたい会いたい、と今度は君が生まれたというマリア病院へ向かって、音速を超え、光速も超えてバビュン。



 貧困に喘いで棄てられた娘たちが一様に、一本の木に長い髪の毛を括りつけられている。結び目は固く髪をほどくことの出来ない代わりに、娘たちは伸びた髪のぶんだけ毎日少しずつ歩を進める。家に向かい。最初に帰ってきた娘だけなら、一人なら、再びこの家に迎え入れてやることもきっと出来るわ、去り際に残された両親の言葉が娘たちを強く奮い立たせるのだ。
 手櫛を通し、雨水で洗い、馨しい花のにおいをさせ、娘たちは自身の髪を丹念に手入れする。どうかこの髪が早く早く伸びますように。そうしてまた果てしない道を歩みゆく。



 思うように動かない体のうちで、辛うじて両眼と脳味噌だけがどうにか生きていると感じられる。
 そうしてその男は瞼をいつまでも開いたままで、いつまでも景色を眺めている。
 自分という、意識をもった存在がここにいることに、誰も気がつかないと男はすでに知っている。
 それを悟るまで生物、無生物にかかわらずあらゆるものに対して向けていた憤りは、もうすっかりなくなっている。
 ひっそりと、ただ前にある風景を眺めている。
 どこに埋もれたかも分からない足で、小さなアリの行列を一足跳びに越える。
 蹴飛ばされた石ころのずっと先まで転がる。
 ベビーカーを押す母親に、かわいい赤ちゃんですねと声をかけてお先に失礼する。
 のどかな町を並んで走る二台の自転車を、仲の良さそうな家族を乗せて運ぶファミリーカーを、空を悠々と滑るツバメを、誰も彼もを最後には太陽のひかりをも追い越してそのまま消えたいと考える。
 ここに、いるぞ。
 ここに、いるぞ。
 男が岩にされてから、随分と経つ。
 岩男は、夢を見ることができない。
 せめて瞬きくらいはと、その岩は今日も何度となく眼を閉じようとした。



 静まるスタンド。プランをリピート。並ぶアスリート。長いストレート。
「On your mark」
 照らし出すライト。心臓のビート。白でセパレート。ただのストレート。
「Get set」
 駆ける100m。賭ける9s。息を止める。
「 」
反応。
 収縮。
  踏込。
   一歩。
    あとは自動。
        一歩。
         前へ。
          一歩。
           前へ。
            一歩。
             前へ。
              一歩。
               もっと前へ。
                   一歩。
                    より先へ。
                       一歩。
                        もっとより先へ。
                              一歩。
                               もっと。
                                 もっと。
                                   もっと!



いつも決まった時間。
“戦場のメリークリスマス”が流れて、学校中が、わやっとなる。

どうして、どうして、雑巾はこんなに臭いのか。
なぜ、なぜ、教室の床はこんなに臭いのか。
床が先か。雑巾が先か。
そんなことを考えたのも先週まで。
今日からは、“ろうか掃除”である。

ろうか掃除で、私は流線型になる。
誰がなんてったって、あの時の私は流線型だ。

膝を付けない四つんばいで、いつもより少し濡らした雑巾で、すべるすべる。
かぜ、かぜ、感じる、風。
横ぎる、人、人、ホウキ、人。
私、流線型。

に、なりたい、私、女の子。
いつも速くて、適当な掃除をする男の子に、文句をいいながら、羨ましい、女の子。
私だって、できるのだけど、と、心でつぶやく、女の子。