500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第90回:もう寝るよ。


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 もう寝るよ。1 作者:須唐辺サクレ

定刻どおり起床して、御飯、味噌汁、目玉焼きの朝食を食べる。
私はいつもどおりを愛している。
髪を切りに行く。無口な店の主人が「いつもどおりで?」とだけ声を掛ける。一時間後、先月と同じ髪形に戻る。
行きつけのお好み焼き屋に入る。女将が「いつもので?」と声を掛ける。キムチ入りスペシャルが運ばれる。
いつもどおりは最高だ。

なのに、なのにこれはどうしたというのだ?

眩しい電灯の下、私はベッドに横たわっている。
両手に点滴を施され、透明なマスクで口元を覆われている。
ここは集中治療室。人工呼吸器やらパルスオキシメーターやらがものものしくベッドを取り囲んでビープ音を立てている。
何が起きたんだ、私の身に。
バイタル低下・・・
医師たちに替わって、妻と娘が私の顔を覗き込む。二人とも泣き腫らした顔をしている。
どうなってるんだ?こんなのは嫌だ!私はいつもどおりが好きなのだ!
意識が遠のいていく。
妻が激しく肩を揺するのがわかる。
妻と娘の顔がぼやける。
遠くで私の名を叫んでいる。
そして、私は意識を失う。

と、そこで目が覚めた。なんだ、夢か・・・
それにしても、なぜいつもこんな嫌な夢を見るんだろう。
私は妻の寝顔をいつものように見つめた。



 もう寝るよ。2 作者:千里月

『今夜は寝れるかしら』
はじめは不安で発していた言葉が、今では遠足前の子どものよう。立つには低い天井も、固めのベッドに座れば広く感じる。
上野発函館行の寝台列車『北斗星』。どれだけたくさんの夢を運んできたんだろう。深く味わいのあるレトロな個室に母と二人。
『昔はね…』とうれしそうな母の声。今日はいつもとどこか違う。部屋の灯りを消すとさっきまでは気づかなかった星が窓一面に広がる。部屋に流れるアラビアのロレンスのサントラが妙に合っていている。
明日からの旅行はどうなるんだろう。窓から離れない母に『もう寝るよ』と私は声をかけた。



 もう寝るよ。3 作者:黒衣

 「あの答えは」電子情報の教父が言う。赤いワインを飲みながら続ける。
 「興味深かったです」
 今日も解けなかった。解けないばかりか、頓珍漢なことを言って困惑させたばかりだ。
 「至るのも至らないのも、違いはないはずです」
 教父の背景は、革張りに題名を金箔押しした本で埋められている。いつまでも本題に入らず、人狼だの夜魔だのの話ばかりする。石だけで作ったこの部屋は寒い。体を肉と感じなくなって久しい。
 教父が空の杯を差し上げる。わたしも儀礼的に差し上げて、窓の外をみる。群青色だ。太陽も月もない。
 「また他日」
 機械の電源を落として意識も落とす。教父が消える。部分月蝕の夢をみる。教父たちは別のチャネルで他の学徒を苛みに行くのだろう。わたしには関係のない話。
 本当はもう公案は解けているのだ。うっそりと思う。金環蝕の夢をみる。



 もう寝るよ。4 作者:まつじ

 まあいつだって夢を見ているような気分でいる。
 元来が寝付きの悪いほうで、四六時中眠い眠いと思う。
 いつまでも起きているふうだと母がうるさかったので暗い中で本を読んでいたら、すっかり目が悪くなった。
 気が付くと、ほとんどまったく睡眠をとれなくなっていた。
 薬の類は効かなかった。
 眠れない間のとくに夜ともなると、やることのあるなしより起きていること自体に飽きてくる。
 わあい、と喜ぶことでもなし、やはり体にもよろしくないようだ。
 そらそうだろう。
 修学旅行の夜に、同じ部屋で寝ている友人を飲みこむ夢を見たかして目を覚ますと彼が消えていて失踪さわぎになった。
 そんな調子でもろもろ、父から母までいなくなった。
 みんな飲みこんだ気がする。
 そういうことのあった翌日は、幾分元気になるんだ。と打ち明けると、彼女はかなしそうに笑った。
 ねえ。このままじゃ、ぼくがいなくなればいいんだろうか。
 どうしても我慢が出来なくなったら、わたしを飲んで。おまじないをかけてあげるから。
 ある日、ぼくは一人になった布団で眼鏡をはずし仰向けになった夢を見る。
 好きなものは最後にとっておきたいのだから、どうかおまじないが効くといいと思う。



 もう寝るよ。5 作者:はやみかつとし

こんな世界にさよなら
目が覚めたら誰より早く起き出して
生まれたての風景をひとりじめ



 もう寝るよ。6 作者:オギ

 他愛のない話を続ける私に、姉はちいさく息をつき、目を閉じてしまう。
 姉の眠りはすみやかで深い。寝息を確かめてから、そっと体を寄せた。
 手を繋がないと眠れないのは昔からの癖だ。姉と私は鏡映しなので、足の小指の先までぴったりと寄り添える。それなのに。
 見つめるうちに、姉の吐息に靄のようなものが混じりだす。それは暗い天井でゆるゆるとかたまると、数匹の魚になって、光る尾を引きながら泳ぎだした。
 蝶や鳥の時もあれば、架空の生き物の時もある。これが出だしてから、姉は痩せた。何度検査しても異常はみつからず、なのに日々体から生気が抜け落ちていく。
 魚は猫になり、猫は小さな子供になって、私たちを囲み、楽しそうに囁きあう。
(もうすぐだね)
(まだだよ)
(もうすぐだよ)
 なにが、と呟く。待っているのは姉の死か、それとも。
 子供の一人と目が合った。それは笑って腹這いになり、私の顔を覗きこんでくる。
「まだ寝てない」
 ひ、と息を飲んで我に返る。子供の顔が、姉の顔に重なって溶けた。
「ほら、手」
 姉は笑みをうかべたまま、添えていただけの私の手を掴んだ。そのてのひらはひどく冷たい。



 もう寝るよ。7 作者:海音寺ジョー

 レバーを下げると、フライス盤が勢い良く回り、NAC55のワーク(鋼材)をコンマ8ミリで削り始める。ゴッ!ゴッ!と重低音を発し、切り子が周囲に飛び散る。金型屋に勤めて2年になるが、オレはいまだにこの切り子の飛散する時の色に魅せられる。摩擦による高熱で、この合金の破片が紫に発光するのだ。それは一瞬のことで、床に落ちたときは温度が下がり、黒灰色の螺旋によじれた鉄屑と果てる。

 納期に追われ2日ほど寝てないため、意識が遠のく。ウトウトしていると、削り取られた切り子が角度を変え手の甲に突き刺さる。
 「人類はまさに今、機械文明を地上に刻んでいるのだ」焦げた鉄の臭いに対抗するようにオレはつぶやき、黙々と仕事を続ける。



 もう寝るよ。8 作者:砂場

 ねえおねがい、ってそれさっきも、その前も言ったろ、ほらほらママだって眠そうだ。昼間には自分でもくりかえし読んで、散歩にまで連れてってくれて、きみがこのお話を心底気に入ってるっていうの、僕だって嬉しいかぎりだけれど。
「ねえ、ママ、おねがい」
 今日十何回か、もしかしたら二十何回か開けられた絵本の一枚目を小さな手がふたたび開く。あらまあしょうがないわね、今度読んだら今夜はおしまいよ。ママが最初のページのタイトルを読もうとする。と、パタンと本が閉じちゃった。



 もう寝るよ。9 作者:伝助

 少年が瞳を閉じてからいったいどれほど待てばいいのか、天使はパトラッシュに教えない。



 もう寝るよ。10 作者:楠沢朱泉

 どこで覚えたのか6歳になる息子、優太が都合が悪くなるとそう言って布団に入ってしまうようになった。
 今日もいつまで経ってもゲームをやめないので叱ったところ、決まり文句を言ってふて寝してしまった。妻ならばまたそこで怒るのだろうが、私にとっては都合がよかった。
 優太の寝息を確認して自室で携帯電話を手にする。
「もしもし」
 受話器から甘ったるい声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ。今日は夜勤だから」
 しばらくお互いに愛を囁いてから、唐突に彼女が言い出した。
「え? 旅行?」
「出張って言ったって、この前行ってきたばかりだし」
「俺だって行きたいんだよ。あいつも感づいてるのか、最近監視が厳しいんだよ」
「なんとか理由をこじつけろって言われても……」
彼女のことは愛しているが、やや強引なところは疲れる。
 こういう時は早々に電話を切ってしまうに限る。
「ごめん、明日も早いんだ。もう寝るよ」



 もう寝るよ。11 作者:空虹桜

 って、そこまで書いたけど送信しない。できない。できるハズない。だって全部妄想幻想「好きです」「好きだよ」で「彼氏彼女」なわけじゃないもの。どころか喋ったことないし。つまり友達にだって至ってなくて、当然メルアドも知らず、でもダミーで名前だけアドレス帳に登録して、吐き出すだけで満足してるから、想いはケータイのメモリを埋め尽くしてて、重くする。化けるよ。このケータイ。たぶん。それはそれでいいのだ。仕方ない。だからまぁ、眼中に無いより「キモい」呼ばわりのがよっぽどマシで。けどさ! 枕の下に写真忍ばせて、平安時代か? 麿か? 小町かわたしは!? ノリで、せめて夢で逢いたい思ってた乙女の純情はどうしてくれるんだ。下着だってわざわさ毎晩下ろしたてが履けるほどお金持ちの子じゃないから、準じる程度に綺麗なの履いて、せめて夢の中ぐらい!



 もう寝るよ。12 作者:脳内亭

 散々な雨の日に、部屋で彼女と甘い時を過ごす。こんな茶番で日をつぶすなど、雨でもなければできないのだから。彼女の頬はやわらかい。じつに噛み甲斐のある頬だ。そして笑えるほどに紅潮する。
 ところで私は風船なのだ。散々にしぼんだ風船なのだ。青白い風船なのだ。我は行かないさらばない素晴らしくもない昴ーン、よくわからない問答なのだ。もう頑張ルーンの気力もないから、せいぜいその頬張ルーンの魅力でふくらませてほしいものだ。が、どっこい彼女は屍で。吐き捨てられたガムのよう。
 窓の外はもう暗い。雨は散々と降っている。もしも明日も雨ならば傘も持たずで外に出ていっそ弾けてしまおうか。



 もう寝るよ。13 作者:ぶた仙

 ねってはねかし、ねかしてはねる。そんな作業の繰り返しで夜が更けて行く。
 この工房を開いてかれこれ十年。同期の多くが既に廃業・休眠している中にあって、いつしか老舗と呼ばれるようになった。なんとなくむず痒い。こうなると20年後、30年後に工房を訪れた人に、今と変わらぬ、いやもっと洗練されたものを提供したくなる。その研鑽のために日々睡眠時間を削る。いや、寝ないのは顧客サービスをやり過ぎるからかもしれない。
 マンネリに堕することなく今の味を守ることはむずかしい。知らず知らずのうちに客の好みに合わせ、最近は十分に熟成させずに仕上げている気がする。

 でも。
 今日だけは違う。私は今、まったく新しい素材を使って準備をしている。過去の経験なぞ役に立たない。だが今の私には、これが必要なのだ。
 ねってはねかし、ねかしてはねる。一世一代の大勝負。
 その時だった。
 もう寝るよ。
 突如、手の中のものが宣言したのだ。
 まさか、自分から勝手に熟成を始めたのか。
 どうすることもできず、私は呆然と立ち尽くすのみ。発酵が過ぎると、ごく一部の人間しか楽しめないレアものとなってしまうのに。
 十杯目のコーヒーが冷え切ったころ、夜が明ける。



 もう寝るよ。14 作者:六肢猫

「おかしをくれなきゃ、××××しちゃうぞ!」
「しちゃうぞー」
「・・・いないのかな?」
「いや、いるよ。でんきのメーターうごいてるもん」
「おまえ、あたまいいなー」
 勘弁してくれよ、昨日は夜勤だったんだから。
「ちょーないかいとのつきあいとか、いがいとだいじなんだぞー」
「なにそれ?」
「まほうのじゅもん!」
 何でもいいから早くどっか行ってくんないかな。ってか、ドア叩くのやめろよ。俺はもう寝るの。寝てるの。いや、寝ようとしてるの。ってか、もう寝るよ。ああ、何がなんだか。
「ほんとうに××××しちゃってもいいのかな?」
「おかしくれないんだもん、とーぜんだよ」
「じゃあ、ほんとうに××××するからな!こーかいすんなよ!!」
 うるせえ。でも、やっとどっか行ったな。これで寝れる。××××なさい・・・って、あれ?何か変だ。おはよう、こんにちは、××××・・・?・・・もう寝るよ。うん、OKだな。××××なさい・・・・・・!・・・・・・寝れないじゃないか、あいつらめ!!
「俺の××××を返せ!」
「あっ、きたぞ!」
「にげろー!!」
 俺はもう寝るよ。寝たいんだよ。寝なきゃマズイんだ。それなのに何で飴投げながら走ってるんだろう?



 もう寝るよ。15 作者:三里アキラ

 私は表現力の限りを尽くして私自身が異常でない事を証明しようとしているが誰も私の話を解さない、諦め目を閉じジャンクション。
 繰り返せばいつかユートピアに辿り着ける、はず、いつか、きっと、たぶん。



 もう寝るよ。16 作者:峯岸

 今日のお日さまが昨日のお日さまと同じお日さまだと言い切れないように、明日のお日さまが今日のお日さまと同じとは言い切れないでしょう。昨日と今日が繋がっているっていうのが私にはわかりません。
 窓の外から雨音がしてきました。でも本当に雨が降っているのでしょうか。雨音と同じ音が聞こえているだけで雨は降っていないのかも知れません。もし窓の外を見て雨が降っていたとしても、外を見る前に聞こえた音が雨の音だとは限りません。
 どうせ何もわからないのです。今日の私は昨日の私と同じ私でしょうか。今の私はさっきの私と同じ私でしょうか。私にはわかりません。それにどんなに考えたって何が正しいのかは明らかにならないのです。いっそ私が私でなくなれば良いのに。おやすみなさい。



 もう寝るよ。17 作者:モカ

「安定剤なんだ」

彼はピロケースに入っていた1粒の錠剤を口に含むと、砂浜に

横たわり瞳を閉じた。

クルージングを楽しんでいた仲間達は、突然の嵐で海へ投げだされた。

彼は溺れる私を助け、この島まで運んでくれたのだ。

最愛の人を奪った私のことを憎んでいると思っていた。

すまないと後悔の念にさいなまれながら暮れていく空を眺めていたら、

以前に彼らと交わした会話を思い出した。

「無人島に1つだけ持っていけるとしたら何にするかい?」

ナイフと私は答えた。恋人という友人もいる中で、彼は毒薬と答えた。

「無人島で一人になった時の絶望と恐怖、そして孤独を

君は想像できるかい?たとえ恋人がいても極限状態では、飢えて

カリバニズムを行うのかもしれない。

私が最後まで守りたいのは人間としての尊厳なのだよ。

だから眠るように死ねる毒薬を持っていくんだ。」

彼の微笑が脳裏に浮かんだ。

疲れ切った体の心臓だけが激しく動き出す。

「……私は、もう寝るよ」

彼からの返事はない。暗闇が彼の姿も包み隠した。

いったい、どっちなんだ?

打ち寄せる高波に私の疑問府が漂う。



もし、朝が来ても彼が目覚めなかったら

それが答えなのだろう



 もう寝るよ。18 作者:JUNC

ベッドに入ったと同時に、パチンと電気が消える。
コホンとひとつ咳払いが聞こえ、歌がはじまる。歌いあげる声はいつも同じで、歌いあげる歌もいつも同じ。ただひとつ違っているのは、その歌い方。昨日はラッパー風、その前は演歌歌手風。そして今日は、実にうまく強弱をつけながら、秋川雅史風に歌いあげている。
眠るまで歌声が聞こえるこの現象は、医者に言わせれば、僕が望んでいるから起こるのだという。母を亡くして以来、聞こえるようになったのだから、そうなのだろう。
でも、すごく残念なのは、声は母のではないし、少々オンチだということ。毎晩最後は僕が呆れて「もう寝るよ。」ってつぶやくんだ。



 もう寝るよ。19 作者:洋裁

「もう寝るよ」。そう言って僕は灯を消した。
彼女はふて寝をしている。真っ暗にすると彼女は怖いと言うので、灯はいつも赤い豆電球にしておく。
 今日、僕らは一緒に遊びに出掛ける筈だった。それはずっと前から計画していた話。それを僕の仕事の都合で反故にしてしまったので彼女は怒っているという訳だ。
 僕も同じ布団にもぐり込んだ。彼女はそっぽを向いている。僕は何だかもう、こう言っちゃあれだけど、どうでもいい様な気分になってしまって、くるりと彼女に背を向けた。
 背中合わせで二人黙っている。夜はどこまでも夜で、このまま夜が続いてくれないかと思う。朝の光は、何を照らすのだろう。僕はいつでも夜が早く来てくれないかと願っている。
 ふと、赤く照らされた部屋を眺めてみる。白い壁、本棚、小机の上のマグカップとその内側に付着するコーヒーの染み、ケヴィン・エアーズの「おもちゃの歓び」のCD、そんなのが全て赤に染まって静かにそこにある。
 すると突然、彼女が「ニャア」と猫の物真似をする。それが凄く似ていて、僕は思わず振り返って、笑いながら、上手だね、と声を掛けたが、彼女は振り返らずそっぽを向いたまま、もう一度「ニャア」と鳴いた。



 もう寝るよ。20 作者:白縫いさや

 病んだ月は遠く離れたこの星からも明らかなほどに火照っていた。かと思うと急速に青白くなり、きゅっと身を縮こまらせた嘔吐する。じわじわと黄色だか緑だかわからない染みが濃紺の空を汚す。
「おかあさんを助けてください」
 月の子どもを名乗る双子が目の前に立っている。にやにやくすくす、手には銀色のお盆。他所で集めてきたであろう錠剤や医学書や破れたぬいぐるみや虫食いの林檎が乗せられている。「そんなこと知るもんか」。そう言って顔を背けると双子は、感じ悪い人だね、感じ悪ーい、と私に聞こえるように囁き合ってフッと消えた。

 もう寝るよ。
 丘の一本杉の下で寝袋に包まる。誰に言うわけでもない。さめざめとした月光が降り注ぐ。病んだ月光は雑菌を蔓延らせ、今や目視できるほどの胞子が飛び交っていた——昼方、麓の川で村の子らがヘドロに手を突っ込み奇形魚を獲っていたことを思い出す。もう皆、永くない。繁る菌糸が寝袋を徐々に絡め取っているのを感じる。死んだ雛の眼から茸が生えているのを見る。銀色の牛車が月に昇る。月が嘔吐する。その軌道に沿ってアメーバみたいな染みができている。瞼を閉じる。何ものにも侵されない闇が広がった。



 もう寝るよ。21 作者:麻埒コウ

今日はグッスリ眠れてるなーとの安心もつかの間に薄闇を飛翔「えっ、なにここ!?」襲ってくるメキシコビール時計の群を「うわぁ危ない」枕にしがみつき回避すすんでいけば一際明るい砂時計がサラサラサラよく見れば砂自体が燃える時計で大量のヘリウムからできていることが判別したけどその総体がわからず「あなたは誰?」の問いかけに巨大砂時計さんは「究極的には…お母さんかねぇ」ここは神が見た夢のなかかもわあいお母さん抱きついたらあったかいというより熱い「そりゃ1500万℃もあるから」言ってよ先にとの抗議も気にせず「銀河は心中するよ」「もう!?」「お前の瞼時計は50億年分の眠り」確かめてみたけど僕の瞼に時計はなくて寝ている間に自然への反抗期が終わっていた「有限を数えきれたら永遠をあげるよ」と砂時計さんがイタズラっぽく言うのでそれなら砂を数えよう一つ二つ三つあれどこまで数えたっけ焦る僕に安心しろと微笑み「世界の最小単位は観察で生きる」「僕はどこ?」「お前たちの歴史はここに」砂の一粒がボゥッと明滅「さあオヤスミだ」周りに浮遊するひび割れた卵時計は根本的数学問題を「実は死産のヒヨコでした��!」といわんばかりに煌いたのち消灯



 もう寝るよ。22 作者:ハカウチマリ

 ジームは影を落とさない。
 身の内にはびこった、目に見えない微粒子どもが、ヘルノーの頭まで血管伝いに這いのぼり、意識にしがみついて脳から引き剥がそうとしている。そんな、今にも飛びそうな意識の中でジームの影に関するあれこれが浮かんでは爆ぜていた。
 自分はなぜジームの影のことなんか考えているのだろう。それは決して良いことではない。神を疑うなど畏れ多いことだ。 
 自分は疲れているのだ。だからこのような背徳的なことが頭に浮かぶのに違いない。
 微かな賛美歌が、不安の芽生えたヘルノーの耳に届く。注意を向けると、驚くべき一節に、彼は寒気を覚えた。
「ジームの影はその身の裡に」
 いつしか、見知らぬ歌い手たちが自分を取り囲んでいる。ヘルノーが認識できたのは、そのあたりまでだった。



 もう寝るよ。23 作者:凛子

 澄みわたる秋空の下、私たちは東京ディズニーランドにいた。
 色々あったけれど、やっと彼とここまで来れたという安堵感からか、私はやけにハイテンションだった。自然とアトラクションを巡るスピードも早くなる。周りの人からすれば、きっと年上の彼氏が若い彼女に振り回されているようにしか見えないだろう。

 そんな私たちは夫婦である。職場の上司と部下という関係から、結果的には彼の家庭を壊してしまったのだけれど、晴れてこの秋に籍を入れることができた。慰謝料や養育費など、彼に相当な負担をかけてしまった負い目もあって、結婚式は挙げずにハネムーンも近場ですませたのだ。

 閉園まで滞在したこともあり、ホテルに着いたときにはすでに時計は十時をまわっていた。

「先にシャワー浴びてこいよ」

 私は、勢いよく弾ける水飛沫に身をまかせていた。彼には、前の奥さんとの間に二人の子供がいるけれども、結婚したのだから私だってお母さんになりたい。ずっと避妊してきたのだけれど、もうそんな心配はしなくていいのだ。

「お待たせ。あなたもシャワー浴びて……」

 浴室から出た私が目にしたのは、大きな鼾をかいてベッドに横たわる彼の姿だった。



 もう寝るよ。24 作者:田中今日子

女性の一番の天敵ってのは空腹である。 
 私は、そう思っている。
 特に恐いのは、深夜の腹の虫だ。
 深夜0時。
日付を跨いだこの時間から、二時くらいまでが一番私はくつろげる。
 漫画読んだり、DVD観たり。
 至福の時間である。
 DVDの再生ボタンを押した時、ふと思う。
 あぁ、ポテチでもかじりながら観たいな、と。
 あぁ、ジュースでも飲みながら観たいな、と。
 それが出来たらばどれだけ幸せか、と。
 けれど、その誘惑に負けたらば、きっと転がるように体重は増えて行くのだと思う。
 そうすれば好きなデザインの服は着れなくなるし、きっと嫁にも行けないのだ。
 誘惑に負けそうになった時、私は布団に潜り込む。
 もうねるよ。
 だから頼む。
 私の腹の虫、泣き止んでおくれ。



 もう寝るよ。25 作者:三浦

 町がひとつ無くなった。
 猫が暴れたのだ。
 山のように大きな猫なのだ。

 キャットニップの香りにいざなわれ、猫はまたひとつの町を訪れる。
 町は夜の帳につつまれて、眠りの中に落ちていた。
 猫は夜行性なのだ。
——おおうい。だれでもいいよ。ぼくと遊ぼうよ。
 猫の声は空気をふるわせ、町をゆさぶった。
 けれど、だれも出て来なかった。
 いつものことなのだ。
 猫は、その体からすればごく少量のキャットニップでは酔うこともできず、結果、
 またひとつ、町が無くなった。

 猫はまたひとつの町を訪れる。
——おおうい。だれでもいいよ。ぼくと遊ぼうよ。
 猫の声は夜気をふるわせて、町をゆさぶった。
 すると、ちいさな人間の少年がひとり歩いてきて、こう云った。
——やあ。こんばんは。
——こ、こんばんは……。
 猫は囁くようにそう答えた。少年が自分の声でびりびりしないように。
——きみってずいぶん大きいんだねえ。なにして遊ぶ?

 猫は何日もその町で遊んだ。
 けれど、その少年のほかには、だれも出て来なかった。
 そしてある日の夜から、その少年も出て来なくなった。
 猫は何日もその町で待った。
——もう寝るよ。
 少年の声が耳から離れなかった。



 もう寝るよ。26 作者:仲町六絵

 我々は、深い闇を好みはじめた。現実どころかレム睡眠の見せる夢さえも、我々には負荷となる。美も苦痛も快楽もない深い眠りを、我々は求めた。文明を維持できる最低限の活動時間は成人で一日当たり8.05時間と算出されたが、それでは眠り足りないと誰もが思った。協議と密約の末、計算機が壊れているという事になった。
 眠りたいという欲望が肥大したために、眠りは罪という社会通念が生まれた。社会全体における睡眠時間の総和を制限する法律が生まれた。
 法は欲望の孫娘であり、自らもまたさまざまな子を生む。法の網の目をくぐる術が、高値で取引された。密林の緑はますます濃くなったと言う。
 背後から、女の声がする。闇の中で、ぼくの肩に触れてくる。 
 「もう寝るよ。」
 したしげに答えたものの、同衾しているこの女が誰なのか、最近わからない。妻、恋人、母、妹のうち、どれかだと思うのだが。
 まぶたにくちづけがおりてくる。



 もう寝るよ。27 作者:紫咲

いつも切ないな夕暮れ。橋の終わりで彼は寒そうにコートに手を入れた。
取りだした指に何かがぶらさがる。はい、合鍵。
わたしの手のひらにキラキラと冷たい金属が着地する。尖ったシルエットの少年は、卑怯にもそのままマンションの角になる。わたしは月の生き物みたいに軽くなった。
日曜日を二回、体験してやっと重力は元に戻った。それまでは宙に浮いていってしまわないよう大変だった。寝ても座っても、つま先から頭のてっぺんまで気が抜けない。
わたしが恋だけになって地球から出発しそうになるのは、日本の小都市の古い商店街から一本入った場所だ。エレベーターの先のドアに合鍵を刺しこむ瞬間なのだ。
細やかな鍵のエッジがひと区切りひと区切り、重なって密着して反時計に回る。彼の薫りを引きつれ、ドアが開く。
脱いだ靴をうさぎの耳にように持って、ペットボトルは脇に挟んで、彼の唯一のクローゼットに陣取った。
遅くなるけど今晩おじゃましてもいいとメールで嘘をつき、わたしは算段する。
彼の驚き彼の顔。わたしの悪戯わたしの夢。白い祝福を、健やかに待つ。
気がつくと彼の隣に寝かされていて、彼はくすくすと笑う。
全ての灯りを消し、唇をわたしの耳たぶと一つにして、卑怯な言葉を囁いた。



 もう寝るよ。28 作者:瀬川潮♭

 返事は、ない。
〈了〉

 解説

 僕と本作著者との出会いは、「500文字の心臓」という超短編の競作をするサイトだった。
「まったく、何をしたいのか分からない」
 これが、彼の作品を一読した時の感想である。後、オフ会で対面することがあり話題にしたところ、「影絵みたいな面白さを追求したかった」という。500文字未満のその作品は、例えて広大な草原に立つ1本の木だと理解した。面白い、としみじみ感じた。
 だから、僕は今も彼の作品を読んでいるし、つたないながら超短編なるものを書いてもいる。
 一つだけ断言すると、それでもその時の作品自体はよく分からなかった。
 本作がその作品であるかどうかは、薮の——いや、夢の中である。