謎ワイン1 作者:瀧子
毛細血管を突き破ったソレは
手始めに自分よりも大きな食菌細胞を犯した
すぐさま強姦罪に問われたソレは
自分の身体から溢れ出す背徳行為に気付かないまま亡命した
置き去りにされた背徳行為は
ソレを裏切り
今度は凝固機能を凌辱した
その犯行現場には
ただ点々と足跡が乱雑していた
「まるでボルドーワインのように暗赤色な証拠ですね。」
謎ワイン2 作者:三里アキラ
目の前に置かれたデザートワイングラス。まるく一口二口分、血の色をした液体が入っている。
好んで飲むのは辛口の白。キックがあり、スッキリしたものが良い。若くても構わない。一人で一本空けてしまうことも、多くはないけれど、ある。
赤は滅多に飲まないが、嫌いなのではない。初めて自分で買って飲んだものは赤だ。母が飲んでいたのとよく似た華奢なボトルだった。それはまったく美味しくなかった。その後も何度か深緑のボトルを試してみたが、どれもこれも、まだ30代だった母が「少しだけよ」と舐めさせてくれたものとはかけ離れた味で、軽かったり甘すぎたりした。
私は諦めた。母が飲んでいたのは高級な貴腐ワインだったのだ。違おうがそう思うことにする。私には手が届かないものなのだ。もう、出会うこともないだろう。
今、私はグラスから視線を逸らすことができない。泡立てながら注いだためか、微かに芳しい香り。期待、裏切られる恐怖、興味、絶望への不安。唯一の救い、お代は隣の紳士が払ってくれるという。
小刻みに震える右手が、ゆっくり引き寄せられていく。抗うことができない。ああ、もう、透き通った脚に、中指が触れてしまう。
謎ワイン3 作者:紫咲
ようこそワインランドへ。老いた子供のワンダラン。
茜空にそびえる漆黒のクレーン、いらっしゃいませお客様。
滅び損ないの首長竜が咥えるワイヤーの先、これがお二人のために
準備した超特大ボトルでございます。
こちらへどうぞ、服を脱いで、術台の上で仰向けに。
剃毛にはベテランのスタッフが当たります。
髪はまた生えてきますので、恐れることは何もありませんよね奥様。
終わりましたら勇気を出して、瓶の口から飛びこんでみましょう。
さあ。原液はご指定の通り、XXXXヌゥゥゥヴォォォ—!!
ありがとう、ありがとう。紳士淑女の皆様、拍手は政治の始まりです。
手と手と脚と脚を、余った部分を重ねまして、瓶の中程で抱き合います。外側にいると、二人が見られすぎてしまいますからね。
天井はコルクで塞ぎます。ご心配なく。空気が足りなくなったことは一度たりともございません。皮膚は飲酒のためにあり、呼吸はアルコールのためにある。ではあなた方は?そうです。愛しい。愛おしいですよね。愛おしくてしかたないだろうに。
それではアトラクションを回し始めます。寝かせすぎた愛を撹拌するため、順番待ちの皆様ども、まじまじとご照覧あれ!
謎ワイン4 作者:脳内亭
たいへん甘やかな唄声が聴こえてきたので、グラスは自らの縁を声の方へ傾けた。するとそこには赤でも白でもない、どう形容すればよいのかわからない色をしたワインが、何にも収まらずにゆらゆら宙をたゆたっていた。
グラスは呆とした。見知らぬワインの姿態。余す処なくさらされるそれはきわめてなめらかで、酸化の恐れをも知らぬ無垢と、だからこその慄然とした美を湛えていた。そうして何より唄声は、全ての憂いを受けとめる豊饒に満ちている。
(もし、そこの)
と、声を掛けようとしてグラスはおもい止まった(一度に三つ以上、感覚が働かないのである)。一時とて閉ざすのが惜しいのは、と考えて、集中したのは唄声の方だった。狂おしいほどに甘い。
(この声に触れてみたい、中に入ってきて欲しい)
グラスは自らの表面が湿っていることに気づいた。
もはや抑えられぬ昂ぶりにグラスは意を決し、ワインめがけて身を傾けた。ゆっくり、音もなくワインが身の内へ注がれていく。その感触に恍惚となった刹那、グラスは自らが粉々に砕けるのを悟った。
破片となった身でようよう意識を声へと寄せてみると、ワインの甘やかな唄声は、鋭い金切り声に変貌していた。
謎ワイン5 作者:noka
ワインが飲みたい
飲んでみたい
枯れ草の味っていったいどんな味なんだろう
昨日パパが飲んでいたんだ、真っ赤なワイン
ロマネ…ロマン?なんとかだって
「高かったんだぞ。ん〓さすが高級ワインだ! 深みがあってまろやかで、それでいて軽やか! 枯れ草の味がする…」
ボクはびっくりした
枯れ草の味? そんなものがおいしいの??
そもそもパパは枯れ草を食べたことがあるの?
んーわからない、枯れ草の味…
いつもは「はっぽう酒」しか飲まないパパがあんなにおいしそうに飲んでいたんだもんなぁ
いっそ枯れ草を食べてみようかな、牛もあんなにおいしそうに…
いやいや、ボクは牛じゃないぞ!
じゃあパパは牛なの?
あ〓ワイン、ロマンなんとか…枯れ草の味…
大人の味がわかるまで、あと12年かぁ…
謎ワイン6 作者:オギ
瓶の形はブルゴーニュだが、ラベルもなにもついてない。何年も前から、コルクに栓抜きを突き刺したまま、こけしや達磨と並んでレジの横に置いてある。大将曰く、皐さんのみやげだよ、ということだが、皐さんが誰なのか、いまだにわからない。
中身は半分ほど入っていて、酔った常連客が、たまに勝手に栓を抜く。
狭い店内に、あらゆる花と果実を集めたような、みずみずしい香りがたちこめると、誰もがいっせいに深呼吸をする。
グラスがないのでぐい呑みだ。ぽってりと白い今焼きに、深く艶やかな紅が煌めく。
ひんやりとした液体は、甘く複雑な味わいを描きながら、するすると喉の奥に染み込んでいく。子供の頃、外国の絵本を読みながら想像したぶどう酒の味は、こんな風ではなかったか。
ふだんは焼酎しかやらない大将までもが、ちいさな子供みたいに頬を染め、ぽやん、とその余韻に酔っている。頭上を流れる三味線の音色さえ、こころなしか、あまい。
翌日店にいくと、瓶はいつもどおりの場所にあり、中身は少しも減っていない。
たまに金色の時もある。ひやしあめの味がする。
謎ワイン7 作者:須唐辺サクレ
「Aだ。Aのワインが高級ワインだ。」と、青年。
「Bだ。Bにきまっている!」と、中年親爺。
テーブルに置かれた二本のボトルは白い紙筒で覆われている。
そのどちらかが、一本88万円の極上ワインであり、もう一方が一本1850円の安物ワインなのだ。
「Bのワインには洗練された気品がある。芳醇だ。Aとは大違い。それがわからんとはねぇ。」
中年親爺が蔑んだ視線を青年に浴びせる。
「Aだ。きっと。」青年が呟く。
さあ、極上ワインと安物ワインの違いがわからない、三流人間ははたしてどっちなんだぁ?
ドラムロール・・・そして結果発表!
「極上ワインはB!」
万雷の拍手を浴びて、勝ち誇る中年親爺。
さあ、青年、感想は?
「だって・・・だって、Aのワインの方が僕は好きだ。おいしいんだ。僕にはAで十分だ。」
ボトルを覆っていた紙筒が取り除かれる。
はい、Bが極上ワイン!ツヅラ・ド・デッケーニュでぇす!
そして、Aは安物ワイン!ツヅラ・ド・チッチェーニュでぇす!
大きなつづらと小さなつづら・・・
観衆が沈黙する。
中年親爺から笑みが消えてゆく。
あれ?
な、なんなんだ?なんだか急に立場が変になっちまったぞ。
俺は、「よくばりじいさん」じゃねぇ!
謎ワイン8 作者:六肢猫
首にかかる重さは、きっとそれのせいじゃない。優しい声に送られて、僕は走り出す。今日も冷たい風が刺す。刺されながら走る。待ってて。君がどこにいたって、一億倍の力で察知してみせる。
上も下も見える世界全部、白い広い高い低い。目印のない世界でも、折れない心はまっすぐに立って僕を待つアンテナ。僕にもあるんだ、君の無事を願うキモチ。証明したい! 君は笑うかも?
白とオレンジが交代する。モミの木。黒い影が伸びる。空には三日月、帰り道を指して光る星がひとつ。夜が近い。吐く息が凍りながら風に乗る。
やがて僕は君に辿り着く。助けに来たよ! 目を開けて!! 言葉は持ってないけど、声で、舌で、前脚で、力の限り呼びかける。いいもの持ってきたよ。ご主人様の自慢の一品。これさえ飲めば元気になるよ!
君が目を開ける。それがうれしくて僕は笑う。だけど君は苦笑い。首を傾げる僕にかすれ声の一言。おまえ、味見したね? えっ? どうしてわかるの?! 思わず飛び上がった瞬間にちらり。目の端に紅いしっぽ。
謎ワイン9 作者:海音寺ジョー
新青梅街道を新宿方面へバイクでひた走ってると、右手にY製パンの工場があり強烈なパンのにおいが漂ってくる。
これは小学生のころパン工場の見学に行って嗅いだにおいとまったく同じで、瞬時に過去の時間に放り出される。嗅覚は、脳の古い記憶を呼び起こすのか。
甘いような香ばしいような、このにおいは多幸感に満ち溢れていた子どもの頃を象徴するかのよう。長距離通勤はウンザリだが、このパンのにおいは、いい。
工場の隣にうち捨てられたような寂れた公園がある。ベンチの前で真っ赤な上着を着た男が両手に何か持って叫んでいる。
こんなことは初めてだ。なんだか気になって、ひっ返した。
公園にいたのはカーネルサンダースに似た白髭づらの浮浪者で、右手にはパンがぎっちりつまった袋を、左手にはラベルが凄まじく磨り減り、銘が読めない古いワインの瓶をぶら下げていた。
「参加費300円、参加費300円」と叫んでいる。おいおい、そのパンひょっとして工場からくすねてきたのかよ。うまそうな湯気がたってるじゃねえか。もうこうなったら仕事どころではない。ワラワラと集まってきた浮浪者
達と、パンとワインで晩餐会だ。そういや今日はクリスマスだ。みんなマイコップを持参してる。オレもヘルメットに注いでもらい、謎ワインで乾杯!
謎ワイン10 作者:洋裁
順序正しく、汽笛を跨いで、夜のしじまに木霊する。ブライアン・ジョーンズは「抑制された賞賛」にプレッツェルの欠片を振り掛ける。分析の為の分析、検疫、演繹、文責は何処に?スキャッフォルドの夕べにみりんを少々、音頭を取るは判官贔屓の角砂糖。婉曲の果ての馴れ合い、勇気を小耳に挟んで文学誌漁る。予定調和のエディプス・コンプレックスに、右ハンドルはいかにも不釣合い。せいぜい養生するがいい。経世済民、ashtrayが空を舞う。おちょぼ口でヰタ・セクスアリス、目一杯背伸びして。スターリング・モリソンはもういない。ハハ、芥川と谷崎の論争でも夢想してるのかな?批評家気取りの包装紙、そんなに暇ならリヒテンシュタインの縁取りでもしてればいいじゃないか。「私は眼鏡を失った ひどい目に遭うわ」とブリジット・フォンテーヌは歌っていた。眠るな、ただひたすらに、月を撃て。
謎ワイン11 作者:空虹桜
夜中に目が覚めたわたしは、渇きを覚えベッドから出た。
ブラインドの隙間からは仄かに黄色い光が射し込んでいる。蛇口を捻ると、世界で一番安全なのに、嫌われものの水。すすぎっぱなしで置いていたグラスを満たし、窓際へ。畳んでいたスツールをなんとか片手で開き、その上にグラスを置く。
ブラインドを上げるとわずかに欠けた月。
若干の肌寒さを感じながらも、グラスを手に取ってから、スツールに腰掛ける。月明かりがしんとグラスを貫き、水は変容する。ゆっくり静かに。しかしはっきりと。はじめは清澄な薄い黄色。ついで花を思わせる薫り。小一時間もすると、水は既に水ではない。
一気に飲み干す。
月の光はまろやかな口当たりで、はちみつのように甘く、ちょっとだけ酔った。
謎ワイン12 作者:きまぐれオッサンロード
はじめは塩辛かった。むっちゃシュークリーム好きやけど、私は甘党ではない。まあ慣れてしまえば私も違いの分かるゴールドほにゃららってな訳で、好みがハッキリしたけど。
一般的には純なものより熟したものが良いとされているが、私はやっぱり前者が好き。
それに最近は薬まみれのものが多く後者の良き味の深みも台無しにしているようだっていうし、恐ろしゃぁ。けどさ、最近はそれを好む者も多いとか。なんかエクスタシーみたいな感じになるらしい。でも気をつけて、私の知る限りそいつらには二度とあったことは無いから。ようするに、やりすぎにご用心ってこと。
さてと、私もそろそろお腹が空いちった。それにしても最近見た目では男か女かさっぱりね、頼りはこの嗅覚だけよ。「へっくしょい」鼻水が止まらんわィ。
謎ワイン13 作者:砂場
「喋るワインがあると聞きました」
その女はストレートに尋ねた。
ええ、元々は普通のロゼだったのですが──と答えるとでも思ったのだろうか。
「喋るワイン、ですか?」
主人は客の目をじっと見つめ返す。
結局、客は帰った。
「近頃は減りましたわねえ」
「ああ」
鳥はなぜ鳴くの? 髭が生えるのはなぜ? 水は透明なのに海はなぜ碧なの?
どこで海など見たのか。愛らしい声でなぜを連発するワインに、夫婦は適当に答えることも、知らないで通すこともあった。何かしら答えてやらなければ同じ質問を繰り返す。夫人は時に友人を呼んで質問に答えさせた。
ある日、息子が帰ってきて製造メーカーに送ってしまう。メーカーは地元大学の農学部へ送った。五年後に教育学部の人間がやってくる。
「分かりませんでした。たくさん、聞かれはしたのですが」
家に戻ってきたワインは三分の二ほどに減っていた。そのせいなのかどうなのか、声が低く口数が少なくなった。
「なぜ、誰も私を飲まないのだろう」
と聞くのに、
「そりゃお前がものを言うからだ」
夫が答えると、その後一か月だけは饒舌だった。以後はめっきり無口。
ある夜、夫人がワイン庫を開けた。別のワインを取る。
「なぜ他の奴らは喋らない」
との呟きに、夫人は答える。
「なぜかしらねえ」
謎ワイン14 作者:凛子
「さて、次はお酒の話題です。信州に謎のワインがあるということなのですが、いったいどんなワインなのでしょうか。現地に行っているリポーターの山田さんを呼んでみましょう。山田さん!」
「はい! リポーターの山田です。私は今、ここ信州の山奥にある酒造所に来ているのですが、とっても寒いです!! こんなときは熱燗をキュッといきたいところですけれども、今日はワインの御紹介です。そのワインというのは、こちらなんです」
「『謎ワイン』と書いてありますね?」
「そうなんです。ラベルには確かに『謎ワイン』と書かれていますけれど、これはどんなワインなのでしょう。早速、このワインを製造されていらっしゃる加藤さんにお伺いしてみたいと思います。なぜ名前が『謎』なのですか?」
「そうですね、このワインは原料が『謎』だとか、製造者が『謎』だとかではないんです。この地方は古くから謎という地名で呼ばれていまして、そこから付けただけなんですよ。けれども名前がユニークだからなのか、売り上げの方も上々でして」
「それでは、一口味見をさせていただこうかと……」
「山田さん! 申し訳ありませんが、時間がきてしまいました。味見の方はまたの機会ということで」
「えっ、そんな……というわけで、味の方は謎のままなのですが、『謎ワイン』の御紹介でした」
謎ワイン15 作者:伴橋祝
懐かしい友達がワインを持って訪ねてきた。扉から入る冷たい風に震えた僕は彼をすぐに招き入れた。ワインのラベルはかすれてしまっていて、どんなものかわからなかった。彼にその事を尋ねても、貰い物らしく答えは出なかった。しかし、そのワインは不思議と良い物のように思えた。本当に不思議な事だが、なんとなくそんな雰囲気を感じさせるワインだった。
その夜は、友達との懐かしい思い出話に溺れた。二人でこたつに入り、お互いの近況も答えあった。話し、笑い、泣き、騒いだ。
窓の外はひどく冷たい黒だったが、僕の中では、また火が灯った気がした。それは前のものとは違う火のようだ。
翌日、目覚めると友達はいなかった。朝方には帰ると言っていた気はするが、帰った時の事は覚えていない。霜の降りた窓に手を掛け、大きく開けた。凍った空気に思わず震える。そして、煙草に火をつけた。
その時、僕は新しい火に気付いた。それと同時に、彼女がこの部屋から消えた理由がわかったような気がした。
散らかった机の上には、ラベルのかすれたワイン瓶が立っていた。
謎ワイン16 作者:JUNC
あるかどうかわからない。
それなのに頭から離れない。
その存在をみんな知ってる。
ある大雨の日。
町中みんなが天を仰ぎ、口を大きく開けている。
その顔はほんのり赤い。
ゆらゆら揺れながら、みんな同じ方向に歩き出す。
雨が溜まった大きな池に、こぞって飛び込む。
ブクブクブクと音をたて、みんな沈んでいく。
顔は笑って、心からの笑みを浮かべながら。
雨が止んで。その池から
あふれ出す液体はアカムラサキ。
謎ワイン17 作者:葉原あきよ
産地や歴史や材料や飲み方について一通り説明してから、僕は彼女に聞いた。
「こういう話つまらなかった?」
「ううん、そんなことないわ」
そう言いながらグラスを手にとって、彼女は首を傾げる。
「あら、茶柱?」
「それはモミの木」
さっき説明したのに。
内心がっかりしながら僕はもう一度説明する。
グラスの中では赤い雪がひらひらと舞い降り、小さな家やモミの木に積もりつつある。早く飲まないと底で固まってしまうから大変だ。
早口で話す僕に構わず、彼女はグラスを掲げる。
「乾杯」
彼女がそう言うとグラスが弾け飛び、僕らの上に赤い雪が降ってきた。彼女は驚いた顔で天井を見上げる。
「だから乾杯しちゃだめだって言ったのに」
「ごめんなさい。でもほら。綺麗」
彼女は雪を手のひらで受けて微笑む。もうどうでもいいか、と僕もグラスを掲げる。
「乾杯」
謎ワイン18 作者:五十嵐彪太
酒屋を営むネゴチオ氏は、或る朝、見慣れぬ薄汚い木箱が店先に置かれているのを発見した。
木箱の中には、ワインが一ダース。取り出してみるが、どこにもラベルは貼られていない。
まさか毒入りということもなかろうと、ネゴチオ氏は一本開けると、香りを確かめ口へ含み、直後にそのワインを店で売り出すことに決めた。値段をいくらにしようかと悩んだ末、店で一番安価なワインより更に少し安くした。
ワインは「謎ワイン」と呼ばれ評判となり、大変によく売れた。売り切れる頃合いを見計らったように、店先に例の木箱が置かれるので、品薄になることもなかった。
しかし、善良な商売人であるネゴチオ氏には、罪悪感があった。素性の知れないワインを店に出すことも、売上のすべてを己の懐に入れることも。
ネゴチオ氏は、徹夜で店の前に立ち、木箱を運んでくる人を待つことにする。せめてお礼を言わなければ、気が済まない。
しかし、ここで話は終わる。この話の目撃者であるネズミがネズミ獲りに掛かってしまったからだ。謎ワインはチーズによく合うだろうと思ったのが運の尽き。ネゴチオ氏がワインの謎を解くのを見届けるまで、我慢することができなかったのである。
謎ワイン19 作者:伝助
「耳を澄ますとわいわい子供たちの歓声が聞こえてくる飲み物って、なんだ?」
夕暮れの山道を可愛い孫に手を引かれながら、頭の体操にとなぞなぞを考える。じいちゃん、はやくはやく。孫の急かす言葉とともに、そろそろ山の上の広場から祭囃子が聞こえてきそうだ。昼間、友達と喧嘩して不貞腐れた口調で、ぜったいに行かないからね、なんて言っていたのに、今は孫は笑顔で道を駆け上がっていく。
広場はもうすでに両手一杯に駄菓子を抱えた子供たちが大勢集まっていた。
孫はきょろきょろ、もぞもぞしながら櫓の近くに固まっている子供たちのほうを何度も見る。向こうの子供たちも、孫の姿を見て、ばつが悪そうにしている。
私は孫の背中をそっと押し出す。
「その輪の中に入る飲み物って、なんだ?」
謎ワイン20 作者:三浦
甲州市に赤い川があらわれたと山梨目目新聞が記事にすると間もなく市役所が調査に乗りだし、翌週の新聞に『赤い川、正体はワイン?』と見出しが載った。しかしその記事は、原因は不明であると言葉少なに締め括られていた。
数ヵ月後、深夜枠の全国放送バラエティ番組でこの「ワインの川」が取り上げられたのをきっかけに山梨県内で静かなブームとなり、これにより二度目の調査が前回よりも大規模に行われた。三ヵ月間に渡る詳細な調査の結果、源泉は成分的にもごく一般的な水であり、ある地点から突然ワインに変貌していることがわかった(ワインに変わった川は地下に潜り、ある地点から再びもとの水に変わっていることも判明した)。だが、何故ワインに変わるのかについては明らかにならず、しかし自然破壊や農作に悪影響が出ているわけでもないということで、謎は謎のまま、行政は調査から離れてしまった。
ワイン川のワインはとにかく渋い。汲んで帰る人達は砂糖を入れて飲んでいる。また、県内のワイン会社が甘く加工したものを販売している。一リットル瓶三百円。
現在は、川が赤いのに因んで「赤い糸伝説」に引掛け、縁結びの名所としての町興しが企画されている。
謎ワイン21 作者:黒衣
あの頃、生徒会でワインと言えば備品棚の赤ワインだった。旧制中時代の遺物だとか言われていたが、素性は不明。印字の擦れたラベルに毛筆で大書された「Lebe friedlich」の文字が奇妙だった。先輩の間でよく「飲んでしまおう」という話は出ていたが、結局そのまま継承されたのは何となく遠慮があったのだろう。
それを飲んでしまったことについては、書記だった東と副会長だった加藤が発端とはいえ、会計の三木島にも、会長の廣井にも、議長の私にも等しく責任がある。とにかく、あえて言えば若さ故、クリスマスイブの夕方、校門脇の暗がりでワインは五つの紙コップに注がれた。ほぼ初めて飲む葡萄酒は、酸っぱいばかりで胸につかえた。
卒業後すぐに東と加藤は入籍し、来年は二人の娘が私の勤め先に入学する。三木島はしばらく「東のことは吹っ切れても、今も廣井をそういう風には見れない」と言っていたが、一昨年ついに交際を宣言した。
蚊帳の外の私こそ、あのラベルの通り「皆で楽しく」と諭すべきだったと考えたこともあったが、折々に届く画像添付メールを肴にグラスを傾けながら、それでもあれはかけがえのない時間だったと今は思う。
謎ワイン22 作者:はやみかつとし
へえ、これがねえ
うーん
たしかにうまい
けれろ、これのろこがらぞらんらい
らんか、ひろくゆかいじゃらいか
もうらぞらんてろうれもかわわ
謎ワイン23 作者:まつじ
そこそこしあわせそうな家庭の日曜の居間で、父役は気怠いあくびをし母役は菓子を口に放りテレビを見ている。子供たちはそれをよそに隣の和室で遊んでいるが、じきに小さなことを言い争いをはじめ、テーブルにはワインの入ったグラスが置かれている。
人のまばらな最終電車でひとり吊革に手をかけている男の頭に立つグラスの中身は波を立てない。
喧嘩をする学生たちの足元に無数に。
失踪した村に残された葡萄畑に、ぽつん。
薄暗い部屋で愛を囁き合う男女の男の背後で、妖しく光る液体。
飲む前に講釈を垂れた切り開かれた患者の前で、女医が手を伸ばすメスの横に。
欲情する男の前に満たされたグラスがいる。
鉄の味がする、と誰かが言う。
清掃中のプールサイドに置かれている。
というようなことがあるという。
赤なのか白なのか、まったく別のものなのか、明らかでない。
舞台上で誰からも忘れられた小道具のように、しかし私の見る風景のそこここでも現れる。
これが物語の一部ならば、あなたには分かるのだろうか。
けれど私には。
どうしてそこにワインがいるのか。
理由はまだない。
謎ワイン24 作者:瀬川潮♭
わ。
中華街を歩いていると、どん、とだれかとぶつかった。
知らない男だった。
別に何ということもない。
ただ、気に食わなかった。理由はない。強いていえば、いきなり裏拳を繰り出してきたことか。
いや、別に裏拳が飛んで来たこと自体は悪いわけではない。自分も裏拳を放っていたのだから。
気に食わないのは、続けて掌打を繰り出していたこと。もちろん、この行為は別にいい。こちらも叩き込んでいるのだから。
問題は、やはりともに受け止めたこと。
ぐびり、と奴は改めて距離を取り、手にしたワインをあおった。俺も偶然持っていたワインを、あおる。
「ふん」
奴はそういうと、塀の上にあごをしゃくった。面白い。そこでやろうってのか。こちとら酔えば酔うほど強くなるのだ!
「……とまあ、この塀の上に家が建って郵便ポストが立って車道が通って交番ができて刑務所ができて本屋が開店して作家が住み着いて文字を書き散らかしてとかしたのは、そういういきさつがあるんだね」
中華街を歩きながらお父さんはそういう。ワインを飲みながら歩く風習も、それからなんだろうな。
私はといえば、塀の上の街からこぼれた「ワ」の活字を拾って観光土産にしたわ。
謎ワイン25 作者:楠沢朱泉
巷で資産家と言われる老人は悩んでいた。
兄と弟どちらに財産を相続させるべきか。
本来ならば折半だろうが、私利私欲に目がくらむ二人のこと。土地は?会社は?花瓶の一つに至るまでどちらがもらうかもめるに違いない。ならば片方に全てを譲ってしまおうというのが彼の考えであった。
悩んだあげく、老人は息子達を呼び出した。
この真っ黒な瓶に入っているワインは赤か白か。当てた方に財産を相続する。金はいくらでも援助すると彼は付け加えた。
非破壊検査、瓶から製造会社の特定、販売ルートからの調査等々兄弟はありとあらゆる手を使い、ワインの謎を解こうとした。最終的に兄は赤、弟は白と回答することにした。
そんな矢先に老人はぽっくり逝ってしまった。
兄弟はワインの中身を確認すべく、慌てて実家へ戻った。
しかし、そこはもぬけの殻。居合わせた弁護士は言った
「不況で遺産は少なくなっていた。その上、老人は何を思ったかここ数ヶ月で驚く程散財してしまった」
兄弟がぽかんとしてると、弁護士は真顔で続けた。
「最後の言葉はワインは実に美味であった、でした」
兄弟の脳裏には父親が大口を開けて笑っている姿が浮かんだという。
謎ワイン26 作者:仲町六絵
おそらくは、珍陀(チンタ)の酒なのだろう。ビードロ製の球体を、箱からそっとつまみ出す。表面はつるりとして継ぎ目ひとつ無い。その内部で、見覚えのある透き通った紅色の液体が揺れている。南蛮でつくられた、果実の酒だ。
しかし用途が謎である。酒瓶のつもりならば口があるはずなのに、このビードロは完全な球だ。酒を封印している。異国のどんな名工が作り出したのか、私には知る由もない。
これを何と言って殿に見せよう? 伴天連からの献上品に紛れ込んでいた、用途の分からぬ珍品。好奇心旺盛な殿は、ただの珍品では納得しないだろう。
背後で襖がひらいて、黒い法衣をまとった伴天連が入ってきた。言葉は一応通じるので、これは何だと聞いてみた。伴天連は「このように使うです」と言いながら、私の手からビードロを取り上げた。避ける間もなく、伴天連の持った紅い球体が私の額に押し当てられる。冷ややかな感触は、しかし一瞬で消えた。伴天連が笑顔で広げてみせたその両手に、珍陀の酒はない。かわりに、頭の奥が火のように熱くなってきた。伴天連が聖句らしきものを短く唱えた。熱い。
謎ワイン27 作者:茶林小一
「ばか! イワンのばか! イワンの意気地なし!」
果実酒の詰まった瓶を振り回しながらハイジが泣きじゃくる。ふとラベルが気になった。ちょっと待て、その紋章はもしかして。
「立った! イワンが立った!」
ハイジは万歳。瓶は指からすっぽ抜け。
謎ワイン28 作者:ハカウチマリ
レトロポゾン、という奇妙なDNAが我々のゲノムには含まれている。
それは、RNAとして自分自身のネガを作り、また逆転写酵素によってDNAに読み直してはゲノム内に増えていくのだ。まるでゲノムを宿主とする寄生虫のようである。
そんなレトロポゾンの短いものは、short interspersed repetitive element、SINEと呼ばれる。それに対して、自分自身を増やすための逆転写酵素込みの、もっと長目のレトロポゾンは、long interspersed repetitive element、LINEと呼ばれている。
レトロポゾンと言えばこの二者がメジャーだが、非常に長く、数遺伝子もが群れになっているものが、こともあろうにこの僕から発見された。これは、wide interspersed repetitive element、WINEと呼ばれている。調べてみると、このWINE、うちの家系にはちゃんと存在するのだが、大抵のヒトは持っていないのだ。
SINEやLINEと同じく、WINEに違いがあるからといって特殊能力があるわけではない……はずなのだけれど、これがわかってから、僕の周りには見慣れない黒服の男が露骨にうろついている。
謎ワイン29 作者:ぶた仙
ブドウは全滅だった。新世界から持ち込まれた害虫が大発生したのだ。
頭を抱えていたある日、肩から大きなカバンをかけた風采のあがらない男が、私のワイナリーを訪れた。彼は一本の苗木と一本のワインを取り出した。
「これは、新種のブドウの苗木。これに接木すれば、虫害に強い品種となりましょう」
差し出されたワインは、やや癖のある香りはあるものの、味は極上だ。
接木した苗木はすくすくと育った。この苗木から出来たブドウでワインを作ったところ、記憶にある味と香りが再現された。これなら売れる。どのみち他の選択肢はない。
数年後、はじめての本格的収穫を迎えた。発酵を終え、オーク樽の試飲口から注ぎ出される紅い液体。適度な酸味と芳醇な味わいだ。
二樽目を開けると、さらに極上品の味がした。三樽目は天にも昇る心地だ。
期待を込めて四樽目を開ける。すると、ワインの気泡と見えたものの中から例の害虫が姿を現わした。樽の中で孵化したのだ。慌ててすべての樽を開けると、あふれ出た虫たちが、いっせいに農場から飛び立った。
それを為す術なく見送っていた私は、いつしか虫の飛んで行った方向へとふらふらと歩き始める。肩から大きなカバンを下げて。