500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第111回:


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 煙1 作者:はやみかつとし

 夜、街の上空を白濁した光る流れのようなものが覆ったかと思うと突然凝固し、落下して粉々に砕けた。
 街は全機能を停止し、沈黙に包まれた。

(「クラウド」はまやかしだったね)
(でもこれはホンモノ)
(フリーズしたけどね)
(おかげで嘘偽りないことが証明できたよ)

 足元には、一様で微細な粒子から成る虚ろな乳白色の破片が、無数に散らばっている。どうして生活基盤の一切を託していられたのか誰にもわからないまま、きな臭い残り香だけが夜を満たしていく。



 煙2 作者:たなかなつみ

 ぎっしりと埋まる。空間が埋めつくされる。
 刻一刻と増えていくモノを片っ端から選別していく。要るものと要らないものとに分け、要らないものは消去する。要るものは最適化して小さな隙間に押し込み、やっと少しの空間をつくる。息を継ぐ間もなく、またどっと埋めつくされる。ひたすらに選別作業を続ける。綺麗に片づけ終わらないうちに、また次の波が来る。びっしりと埋めつくされる。何とか動く指先だけを頼りに、選別作業を続ける。また次の波が来る。次から次へと押し寄せてくる。みっしりと埋めつくされる。呼吸をするのに充分な空間さえなくなる。
 このまま押しつぶされるのを待つか、すべてを諦めるか。わたしは後者を選択した。
 途端に解放され、身体中に空気が入り込んでくる。後生大事にためこんできたモノはすべてなくなり、わたしは一条の煙となる。
 荒涼とした空間のあちこちに、細い煙がいくつも立ちのぼっている。白くかすんだ靄のなか、ゆらゆらと震えて交わり、どこへともなく流れ、拡散していく。
 あまねく空間を。空間という空間を。



 煙3 作者:加楽幽明

 私は重い瞼のまま、寝癖の直らない髪を抑え、いつもと同じ時刻の列車へ飛び乗った。車窓からの風景は代わり映えもなく、退屈に流されていく。本でも読もうかと、鞄に手を掛けた時だった。その瞬間、ふと見た景色の中に違和感を覚えた。それに呼応するかのように列車も急停車をする。私は検めて外の様子を伺う。いつもはただ通過するだけの一風景でしかない街のそこいら中から煙が上がっていた。灰色、硫黄色、黒炭色、青、桃。様々な色の煙が主張するかのように、風に靡きながら列車に向かって押し寄せてくる。街の惨状と自分達の身を案じる人々のざわめきで、車内もやがて喧騒に包まれていく。車掌からのアナウンスは一向になく、人々は情報を求め、てんでんばらばらの行動を起こす。狭い車内が人熱でむっとする。人の波の中で小さな悲鳴が谺した。私がそちらに目を向けると、



 煙4 作者:紫咲

 カリスマシェフであるタカヒサが颯爽と登場すると、料理教室は色めき立った。色男への熱い視線を感じながら、全長12センチまで育てた睫毛を伏せ、教卓も兼ねたカウンターまで歩く。腰をひねりひねり三歩進んでは二歩戻る、練り歩きだ。「みんなおまた。せっ」巻き舌の上、最後の発声を妙に区切る。受講生の一人であるA子は忍び笑いのまま、隣に囁きかけた。「軽薄そう」B子は憧れの男性を凝視しながらうつろに答えた。「それがいいの・・・」自慢の美貌が今日も力を発揮しているので、タカヒサは大満足だった。壺型の電化製品を引っぱり出すと、その琺瑯仕上げの肌を、指先でさも愛おしげに撫でる。壺は恥じらうように振動をはじめ、劣端から七色の煙をたくましく吐きだした。蛍光灯がついているにもかかわらず、一寸先はカラフルな闇となった。「でぅーだい?これが霧料理。さっ」タカヒサの専門は和食でも洋食でもなく霧食である。講座のパンフレットは美と健康のために霧を痛飲してきた歴史と伝統を喧伝する。受講料は随分と高めの設定だ。「あそ。れっ」「そそ。れっ」タカヒロは噴霧の中で手取り足取り、調理方法からテーブルマナーまで、霧食にまつわる一切始終を、性的誘惑とともに伝授していく。受講生を明るく満足させたあと、タカヒサは蛇革のソファに肉体を横たえた。こぼした溜め息は悩ましげで、誇らしげなものだった。「煙巻きたあ、俺のこと。よっ」



 煙5 作者:koro

 タバコに火を点ける。苦味と共に、頭が一瞬ふわっとした。タバコを吸うのは今日で三度目だ。煙を吐き出すと、あなたが現れる。オマエもモノ好きだよなぁ俺のどこが好きになったんだよ、と私の隣に座りイタズラにじっと見つめてくる。考える素振りをして「声と、抱きしめてくれた時の力の強さと、そのときの体温」って答えたら、あなたは「何それ」って笑っていた。でも、これで私たちも終わりだよって言ったら、あなたはすごく悲しい顔をした。今にも泣き出しそうな子供みたいな顔だったから、私はわざと笑顔を作ってみせる。「あなたが死んだときの遺留品のタバコ、これが最後の一本なの」と言うと、「やっぱ死んでいたんだ俺」と、あなたは肩を落として泣きじゃくった。そういう弱さを見せてくれる所とかも好きだったのよ、と私は抱きしめられないあなたの体を抱きしめた。離したくなくて、何かにしがみつく。「俺はオマエの真面目だけど不器用な所とか」とあなたが話し始めたから、私はずっと聞きたかった言葉を聞きたくなくて、タバコを急いで足で踏み潰した。あなたは、声にならないアイシテイルヨという唇の動きを最後にスッと煙のように消えていき、幻と悲しみだけが残った。



 煙6 作者:瀬川潮♭

 停留所の時刻表によると、一時間に一本程度の路線だった。
 腕時計を見る。
 運良く次の便が近い。
 私はベンチに腰を下ろす。質屋の広告が背もたれに塗装されているのが癪だが、足が棒になるよりいい。質屋から足がつくという話もあるのにベンチに広告を出すとは趣味が悪い。
 それよりバスは本当に来るのだろうかと手の平を見る。
 もうすぐ時間なのに私一人というのは落ち着かない。
 そんなことを思っていると人が来た。
 いや、人影かと思ったら煙だった。
 もわわん、と地面を這うような煙が広がりそこから人の姿形をした煙が実際に歩いている。停留所の標識の前に並んだ。
 また、煙が来た。今度は女性だ。標識に並ぶ。
 これはいかんと私も並ぶと、次々煙が来て結構な列になった。

 やがて車道に地を這うような煙が流れてきた。まさかと思うと煙のバスだった。
 前の男性と女性の煙は当然のようにバスに乗り込む。
 腕時計を確認するとこれに違いない。私も搭乗する。
「やれやれ」
 煙の座席に身を投げる。
 しかし、私は発車したバスをすり抜け車道に取り残された。
 何とか行方をくらましたいのだがと車道でバスを見送る。



 煙7 作者:不狼児

 煙は火の娘です。煙に行く先を尋ねると、風に訊いてとこたえます。風はオレンジの香りを遺して去りました。イタリアの伊達男のつもりでしょうか。燃えるものは燃え尽きて、地面が黒く焦げています。かけおちの当事者は姿形もありません。よく晴れた空には雲がひとつ、煙の消えた方角を見送っています。



 煙8 作者:つとむュー

 こんな田舎の国で、はたして車が売れるだろうか?
 日本から持ち込んだ販売促進用の自社製品、つまりこの高級車を運転しながら俺は不安になる。
 辺りは一面の荒野。コンクリートで舗装された道が一本、果てしなく続いている。
「おっ、対向車だ」
 近くに街があるのだろうか。久しぶりに前方に車が見えた。
「えっ!?」
 すれ違ったその車に俺は目を疑う。なぜなら、俺が今乗っている車にそっくりだったからだ。
「まさか、この車種はこの国ではまだ発売されていないはずだ」
 それもそのはず、その役目は俺が担っているのだから。
「あっ、あの車も……」
 街が見えてくると、そっくり車の数も増えてきた。そっくり車が停まっているドライブインもある。
「畜生。あの車、何てメーカーが造ってるんだ?」
 俺はドライブインの端に車を停めると、そっとそっくり車に近づく。リアのエンブレムを確かめるためだ。しかしその時——
「うっ、ご、ごほっ、ごほっ……」
 もうもうと排気ガスを撒き散らして車が発進。
「なんだよ、メーカー名が分からなかったじゃねえか。でもエンジンは現地産だな」
 かろうじて見えた車名は『KEMRY』だった。



 煙9 作者:ぶた仙

 放射能予測の隠匿が問題になった際、放射能を煙のように可視化すれば大本営発表に騙されないのにと多くの人が思ったことだろう。
 それから三十年、ついに研究は実り、透明無臭の危険ガスが次々に有煙化された。放射能は発見者の名前にちなんでキュウリ色、一酸化炭素COはコバルト色だ。

 それ以来、煙に色を付ける事が流行り、煙草もアイディアをこらした新製品が続々と発表された。
「この色はどうかね」
 目の前を金色の煙が立ち上っている。なんでも、禁煙すると煙の色が金色にかわるのだそうだ。
「先生、金煙というしゃれは分かりますが、そもそも禁煙したのなら煙は立ち上らないのでは」
「いや、これは煙ではないのだよ。禁煙を決意した『息込み』さ」

 もっとも、悪い奴はいるもので、可視化技術を逆手に取って、今まで見えていた煙を無色にする技術が開発された。膨大な有害物質の処理費用に悩んでいた企業が、有害物質を海と空にまき散らす事で膨大な利益をあげたのも不思議はない。
 透明化が流行し、温泉の湯煙すら消えてしまって、テレビ局は入浴シーンに頭をかかえた。浦島の玉手箱から煙は出なくなり、アラジンのランプに至っては魔神までも透明になってしまったそうな。



 煙10 作者:オギ

 彼はなにかを飼っているのだ。彼の趣味にはそぐわない、あの古ぼけたピルケースの中に。
 滅多に人の来ない生物準備室で、彼はいつもそれに優しく語りかけている。
 白いもの。ふわふわと実体のないなにか。
「なんですか、あれ」
 出てきたところを捕まえ問うと、きょとんとした顔をする。
「なにかと話しているでしょう」
 ああ、と頷く。
「携帯だろ」
「煙みたいな」
「煙?」
 笑うように目を細め、私の目を覗きこむ。
「じゃあ煙なんだろう」
 だから体育の時間、私は彼の荷物を漁り、それを盗み見た。
 小さな白い、骨。取りだして中庭の花壇に埋めた。ちぎった花を適当に手向ける。
 振り返ると彼が立っていた。
「逃がしたのかい」
「なんのことです」
 彼は目を細めて私を見つめ、ふっと笑った。
 その晩彼の家が火事になった。遺体は出なかったが、それ以降彼の行方は杳としてしれない。
 火事の数日後、私の部屋の机の上に、不自然に膨らんだ封筒が載っていた。
 中身はあのピルケース。開けるとふわふわと白いものが立ち上ぼり、やがてそれは彼の姿になる。
 手を差し込む。かき回す。剥き出した身体をすり寄せ、口づけのふりをする。彼は虚ろな顔のまま応えない。ひどく笑える。



 煙11 作者:砂場

 刈り込んである紫陽花の枝を這うナメクジから顔を上げるとそこに立っていたのでぎょっとする。見ない子どもである。迷い子だろうとわかったが、それだけだろうか。さまよううつろな目、やせぎすな顔つき。名ばかりの春の冷たい風に倒れそうに見えたので、縁側に座らせた。本人が靴を脱ごうとせず、せめてもと私のジャンパーを羽織らせる。妻が、ココアとおにぎりを持ってきた。黙々と食べる。私は庭仕事の続きを少しする。食べ終わると、ふっくらとしている。背まで伸びたように思い、別の子どもかと思った。兄が迎えに来て、弟と入れ替わって座っているのかと思った。「どこから来たの」「丸くて細長いところ」まるでなぞなぞである。「一人で帰れるか」「帰るんじゃなくて行くところ」「どこに行くんだ」首をかしげている。つと立ち上がり、ひょこひょこと走って庭を抜けていく。追いかけて道に出ると、あちこちの家から自分と似たような大人と、子どもが飛び出してくるところだった。時差のある万華鏡のようだ。なんだかあっけに取られたまま大通りまでついて行く。子どもたちは軽やかに大通りの坂を上り、あっという間に見えなくなった。



 煙12 作者:もち

 それが失恋か否かはどうでもよかった。
 初雪が降っていた。何をする気も起きなくてベランダの柵にもたれていると、頭の上に煙が浮いていた。さすがにパジャマでは寒いからと部屋に入ると、その煙もふよふよとついてきた。目が覚めると天井近くに例の煙がただよっていて、窓の外はすっかり雪景色だった。そりゃあ夢じゃないよね。もう午後だ。
 煙と暮らすとはいえ、息苦しくはなかった。煙はどこまでも静かで、とらえどころがなくて、触れようにも触れられない。別に煙に八つ当たりするつもりもなかったが、煙はいつも私の手が届かない高さをふよふよとただよっていた。
 三月にしては少し寒い日だった。玄関を出たところで財布を忘れたのを思い出して、ついでに上着を持ってこようと思ったところで唐突に気がついた。煙。部屋に忘れてきたとも思えない。煙がどこへともなく溶けこんでしまって、そのいくらかが自分のからだの中にもある気がして、なんとなく行き先を変えた。財布も上着もいらないどこか。空が霞がかっている。朝。



 煙13 作者:空虹桜

 キャンプだホイホイ。キャンプだホイ。
 浮かれ気分を吐き出す僕らのワゴン車は、早すぎたのか、遅すぎたのか、野焼きされたばかりの山を登り、小綺麗なオートキャンプ場に入った。
 見知らぬ土地。空には春の飛行機雲。
 テントを立てたら、火を焚け燃やせ、天まで焦がせと薪を組んで、カレーの準備。手持ちぶさた組が、もらった火でタバコ吸ったり葉っぱ吸ったりしてる内に夜となる。
 BBQからキャンプファイア。しかして、湯気たつカレーこそがキャンプの真髄だとみんな弁えてる。ハフハフハフハフ、カレーだよ。
 季節外れの花火でみんな燻製されたら「バルサンじゃなくて良かったね」だなんて、酔ってラリってなきゃ笑えないジョーク。
 見上げるは南の空よ。夜風に震える歌声よ! 笑い声よ! 伝われ! 遥か遠くの星へ!
 やり過ぎたのか、やらなさ過ぎたのか、いつの間に火を囲んで眠っていた僕らは、真っ白な霧かなにかに包まれベチャベチャ。
 きっと霞を食らう仙人か、牛に穴を開ける宇宙人が出てくるとか、浦島太郎は玉手箱を手に入れるためだけに生まれてきたわけじゃないとか、眠気眼でダベっていたら、遠くに烽火をあげるSLの汽笛が聞こえた。



 煙14 作者:よもぎ

こっこれ、受け取ってください、と差し出されたチョコレートがあまりに意外だったので、顔をまじまじと見つめたら、その人はドッカンぷしゅーと煙を出して走り去ってしまった。あとには白い煙がもくもくもくもく、たなびくばかり。



 煙15 作者:氷砂糖

 七色の煙が立ち昇る街で僕らは育った。吐き出す煙突の下には工場群があり、そこで作られる品物は僕らの街に富をもたらしてくれていた。代わりに僕らの多くは呼吸器に疾患を持っていた。ぜぇぜぇと言葉よりも息をする音で僕らは想いを交し合った。
 あるとき街に虚無が落ちてきたらしい。突然のことだった。街から何もかもが消え、ぽっかりと円形を崩したような入り江ができていた。その日、僕は街の外に出ていて、用事を済ませて帰ってきたら街がなくなっていたのだ。人も建物も地面さえもなかった。
 僕はいろんな人に何が起きたのか訊いて回った。けれど誰も街の存在自体を知らず、そしてみんな音もなく息をしていた。僕はひゅぅひゅぅと喉を鳴らしながら街があったはずの虚無を眺めた。そこには元から何もなかったような気がしてきて、僕は立ち去ることにした。
 街の名前も思い出せなくなった頃、酒場で老人と出会う。煙草をくゆらせ、呼吸音は微かだが濁っていた。僕と老人との間に言葉はない。老人は火を点けたばかりの煙草を灰皿に置き、二人で酒を飲みながらそれを眺めた。呼吸音。煙草は細い煙を昇らせながら次第に灰となり、過去は幻のように霧散していった。



 煙16 作者:渋江照彦

 会社の同僚の口元を良く見ると、幽かに煙が見える事がある。
 煙には三種類あって、青色の煙はその煙を出している本人が会社で昇進する事を意味している。
 黄色い煙が出ている時には、その人が会社でちょっと失敗をするという事だ。
 そして、赤色の煙が出ていたらこれは要注意。その人は確実に会社から首を切られる。
 これが面白い事に、煙が出てから3日以内に必ず的中するのだ。
 それで今日、何気なく歯を磨きながら鏡を見ていたら、自分の口元からも幽かに煙が出ている事に気が付いた。
 一体何色の煙だろうと思って、自分の口元を食い入る様に見ていると、段々と色が判って来た。
 赤色の煙だった。
 煙を見つめている自分の顔が、煙の色とは正反対に真っ青になって行くのが判った……。



 煙17 作者:脳内亭

 空へのキスは片道切符。決死のスキップ軽やかに踏む。尻に火がついていようとのんびりが俺のダンディズム。
 暮れなずむハニーの頬がとけてはにかむ夢みている。



 煙18 作者:ダンデイムーン

かの地の遺跡が一夜にして取り巻きの砂煙と共に消えたという。何某の詩人が砂の煙があまりにも目に沁みるので、涙で流れてしまったのでしょうなんて言うものだから、なんだか煙に巻かれたような気分になってしまった。



 煙19 作者:松浦上総

「お嬢さんと結婚させてください」たった、その一言がなかなか切り出せない僕を気づかってか、彼女のお父さんが、僕を近くの公園に誘った。なんとなく気まずい雰囲気の中、ベンチに並んで腰掛けて、二人でタバコを吸った。ふいに、お父さんが口を開いた。真冬の冴えた月光に照らされた砂場やブランコを懐かしそうな眼で追いながら、独り言のように淡々と。
「あの子にハンディがあるとわかったとき、私たち夫婦は絶望した。目の前が真っ暗になった。なんでうちの子なんだと運命を呪った。でもね……、そのうち、あの子がハンディがあるからこそ、人一倍感受性がつよくて、やさしい子なんだと気がついて、しだいにあの子と暮らすのが楽しく思えてきた」
お父さんは、タバコの火をもみ消した。ひとすじの煙が夜空に昇っていく。
「私はね、君に、あの子を幸せにしてほしいとか、守ってやってほしいとか、そんなおこがましいことを云う気はさらさらないんだ。ただ、君にあの子といる時間を楽しんでほしい。そして、あの子にも君と過ごす毎日を楽しく思ってほしい。ただ、それだけなんだ」

「約束します」
それだけしか言えなかった。でも、それで十分だと思った。



 煙20 作者:水池亘

 どこまでも高く上りつめたい鳥がいた。彼は何度も何度もそれに挑戦しては、そのたびに肉体的限界を思い知った。
 どうすれば良いのだろう。
 そのとき彼の目に入ったのは、煙突から静かに立ち上る煙だった。それは確認できないくらいの高みへ上りゆくように彼の目には写った。
 そうか。あれになれば良いのだ。
 彼は下界を伺いながら空を飛び回り、具合の良い焼却炉を見つけると、タイミングを見計らってその中へ飛び込んだ。焼ける体、でもそれがむしろ心地良かった。今から自分は夢を叶えるのだ。
 数十分の後、彼の体は完全に燃やされ、煙となって煙突からゆっくりと立ち上った。彼の心は喜びに支配された。
 ……しばらくして、彼は気がついた。何か、様子がおかしい。体が体を保てない。思考が思考を保てない。
 それは煙が煙であるが故の当然の作用。
 拡散。
 気づいたときには遅すぎた。絶望すら彼の脳裏には訪れない。意識は拡散し拡 散  し   か    く     さ      ん



 煙21 作者:奇数

私は、とある町の十字路に居た。そこで私は、気色の悪い出来事に遭遇した。道の至る所から、私の方にゆらゆらと人々が集って来た。皆一様に白いTシャツを着ていてTシャツのフロントに「煙」というロゴが大きく書かれている。「煙」「煙」「煙」「煙」・・・と書かれた集団が大挙して私に迫って来たのだ。数は数百人に及ぶだろうか。私は白昼夢を見ていると信じたかったがどうも現実の様だ。そして煙集団は私を囲むとゆらゆらと揺れながら別に私に危害を加えるまでも無くただ私を囲んだ。するとその内の一人が煙のロゴが書かれたTシャツを脱ぎ、私の服を指差した。交換するのか?私はやはり内心この集団が恐かったので私の服を脱ぎ交換した。すると煙集団は私に背を向け、町中(まちなか)に煙の様に消えていった。そして私も彼らの後に付いて町中に煙の様に消えていった。私の服と交換したカレをその場に一人置いたまま。 



 煙22 作者:峯岸

 食事の時間になり料理が運ばれてくる。アペリティフのキールに手を伸ばす王を制し、まずは執事がグラスを空にすればたちまち息を引き取る。アントレのすべての品に対しても執事が一人ひとり端正に検めれば順繰りに命を落としてゆく。
 ポタージュの表面を軽く撫でたスプーンを口にくわえたまま執事は斃れる。柑橘系のグラニテを舌に乗せただけで執事は不帰の人となる。牛フィレのステーキはそれを口にした執事を昇天させる。空腹に耐えかねた王がパンに手を伸ばすも執事がそれを奪い取りすぐさま齧り付いてはこの世に別れを告げる。サラダを食べた執事の心音が途絶える頃には、用意された数種類のドレッシングを確認した執事らもすべて事切れている。
 食器類が片付けられると王の前には色とりどりのプティフールが並べられ、それぞれを執事が口に含んでは天に召されてゆく。香しい紅茶が注がれ、やはり執事が口をつけた途端に黄泉の客となる。
 王は今日も食事にありつけない。部屋を埋め尽くす屍体の山を見据えながら王は懐から拳銃を取り出し銃口をこめかみに当てる。後ろから現れた執事が王の手から拳銃を取り上げると、銃口を自らの口に銜えトリガーを引く。
 床に落ちた拳銃から静かに立ち上る煙を王は見るともなく眺める。すると煙がぼんやりと女の顔になる。すうーっと近付くと王にキスをする。途端、がくりと力なく天井を見上げ王は永久の眠りにつく。かくして暗殺は成功に終わる。



 煙23 作者:きき

村全体が、薄靄のようなものに包まれていた。それは夕暮れ時で、山懐の集落は、西空の朱に沈んでいるように見えた。
疲れた足で自転車をこいでいた僕は、今夜そこでなんとか眠れないものかと思った。
村に近づくにつれ、その低くたなびいてぼんやり村周辺に漂うものが、一ヶ所から出ている煙であることに気付いた。ゆっくり、細く、流れ出してはとどまり、辺りが無風であることを物語る。何を燃やしているのだろう。
朱はやがて藍に溶け、暗黒の空が村を呑み込み始める。近そうに見えるのに、村にはなかなか辿り着けない。僕はいっそう上半身を深くかがめながら、一回一回、大げさに自転車をこいだ。
家々のシルエットがようやく形を現わしてきたのに、気付けば灯りがなかった。この時間だ。人がいれば窓から微かにでも光が漏れるだろう。東の空の薄っぺらな月だけが、村の存在を浮かび上がらせている。
煙はもう、どこから来ているのかわからない。しかし冬を思わせる焚火のような匂いは、確かに僕の鼻をとらえていた。そこに行ってみるべきなのか、行かないほうがいいのか、僕は心底迷った。
煙の帯はついに僕の前方にまで伸び、やがて僕を巻き始めた。(つづく)



 煙24 作者:まつじ

煌めけるような気もしたけれど、お生憎様の違う体で煙も縁もないものか、煙煙と同じ、変わることがない煙ドレス、煙ドレス。それでも煙路はるばる煙じ続け、緩やかに煙が高騰、煙カウンター率上昇、積み重なり折り重なり遂には類人煙となる。人間の子ども達は脳に煙症を起こし、え煙え煙と泣く。公煙で遊びなさい、と煙長先生が言う。煙ジョイ、煙ジョーイ。才煙と結ばれ披露煙の運び。終日禁煙を禁ず。世間では我々を敵とみなす向きもあるが、とんだ煙罪だ。我々は生きる。永煙なれ、妖煙なれ、煙熟の煙タテインメント地上の楽煙。煙ドルフィン分泌。煙も酣。
 煙充?



 煙25 作者:楠沢朱泉

 春。勢いよくもくもくと上がる黒い煙に向かって手を合わせる。
「被害者が出ず、早く消火できますように」
 
 夏。ゆらゆらと細い線を描く煙に向かって手を合わせる。
「家族みんなでじいちゃんが帰ってくるのを待ってます」

 秋。パチパチという音とともに上がる煙に向かって手を合わせる。
「蜜がたくさん入ってて、ほくほくしていますように」

 冬。もわもわと視界を遮る煙に向かって手を合わせる。
「混浴風呂で可愛いお姉ちゃんと遭遇できますように」