500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第120回:妖精をつかまえる。


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 妖精をつかまえる。1

 朝一番の光が朝露に降り注ぐ。
 きらきらと反射するその中で、妖精が遊んでいる。
 一晩中月光を浴びた紙をまるめて長い筒をつくり、右目にあて、左手は左目の前に——。
「あのね。これで、ようせいさん、つかまえられるんだって!」
 にっこにこの笑顔で教えてくれたのは、幼馴染の女の子。
「ダメだねぇ。つかまえられないねぇ」
 そういって、その子はやめてしまったけれど、僕はいまだ、毎朝実行している。
 窓枠に一晩吊るした紙をまるめて長い筒をつくり、右目にあて、生垣の緑をみる。そして、左手を左目の前に。僕の手のひらの中にきらきらと朝露。
 ライオンが獲物を狙うかのごとく、微動だにせず、しばし待つ。
 ばたばたと駆けてくる音が聞こえても、そのまま、そのまま。
「おっはよー。おまたせっ」
 朝露の前に飛び込んでくる笑顔。
「今日は、つかまえられた?」
 僕の手のひらの中から訊ねてくる、変わらないにっこにこの笑顔。
 ——ほら、つかまえた!
 そんなことを思うけれど。
「さぁ。どうだろ」
 左手を握ってみても、手のひらの中に笑顔が残るわけではないのだ。
「いつかつかまえられるよ、きっと」
 僕はただ頷く。
 ——そうだといいけどね。ほんと。



 妖精をつかまえる。2

ん?。

どうしたんだい?

あのね。
なんか変なの。

変?
なにが?

だって。
ほら。
ねえ。これは何?。
さっきからずっと私のそばにいる。
これ。

ああ それは妖精だよ

妖精?。
妖精って。
こんなに小さくて。
こんなに近くにいるのね。

そうだよ
いつでもそばにいて
だけど
よーく見ていないと
なかなか気がつかないんだ
妖精ってのは
そういうもんさ

ふーん。
妖精。
まん丸くて。
小さな妖精。
いつも私のそばにいたのね。
じゃあ。
あなたにも。
妖精はいるんでしょ?。

ううん
僕には
いないんだ
それでもいいと思ってるからね

ねえ?。
この妖精を。
つかまえることは。
できるの?。

できるさ
簡単だよ
「こんなふうにしてつかまえるんだ」

わかった。
やってみるね。

「こう?」。

そうそう
その調子

  。


「それ」。

もう少し



「 」

。「 」。

えい。

「 。

。」

今度こそ。

妖精をつかまえる「。」



 妖精をつかまえる。3

「妖精さん、みーつけた」
「ど、どうして、僕がここにいると分かったんだ?」
「お前が、誰もいない早朝の公園で幸せそうに砂遊びしてるって、タレコミ電話があったんだよ」
「くそぉー! 誰だよ? 【妖精保護観察機構】とは名ばかりの、本来は不可視のはずのピュアな妖精を、薄汚く堕落させてから可視の見世物にするのが目的の組織に僕を売ったのはっ」
「往生際の悪い上に、説明臭い妖精さんだなぁ。妖精もお前くらいのオッサンになると、とんがり帽子かぶって、砂場で城なんか作っててもサマにならねぇゼ」
「ほっといてくれよ。文句なら、『砂場イコール妖精』だなんて定義したヤツに言えよ。フフン♪」
「なんだよ、その気色ワりぃ余裕はよぉ」
「お兄さん。僕をつかまえたのは良いけど、最後の(。)は、どう処理する気なんですかねぇ?」
「バーロー、そんなの決まってンだろ。これだよ、こーれ」
「そ、それは……」
「お前の檻だ。うちの子がつい三ヶ月前まで使ってたこれさ。人間の汚物に触れると、今俺がかけている特殊なメガネでないと、あー、ヤケに説明臭い台詞だなぁ。作者の力量不足だ。とにかく覚悟しろ」
「ヒドイよっ、そんな醜い白鳥で、僕をつかまえるなんて」



 妖精をつかまえる。4

 とっくの昔に見つけていた。妖精のいる(場所)は。六年前に。その(場所)に妖精がいる事を見つけたのは、僕だけであろうか?他にも見つけた人がいるかも知れない。妖精などというものにはファンタジー小説の中だけで出会っていた方が幸せだったかも知れない。子供の夢で終わっていた方が。しかしその(場所)に僕が妖精を見つけたのはファンタジー小説の中では無く、平成十九年。紛れも無く現代 にだ。今日もその(場所)へと僕は向かう。森の方へ?いや、都会の赤提灯が灯る、色褪せた深巷で。その(場所)。それは(あなたの心の中)。あなた、そうB子さんの心の中に僕は確かに妖精を見つけた。そしてまだ妖精をつかまえられない。いつの日かあなたの心の中の妖精をつかまえる事が僕にはできるだろうか・・・。



 妖精をつかまえる。5

 分厚い雲が覆う、薄暗い午後二時十二分、俺は子供の墓の前に立っていた。墓だが骨は埋まっていない。あの娘とふたつに分けた、本の切れ端を埋めた場所だった。だが今ではもう腐って土になっている。近くに植わっているススキが強く揺れる。風切り音が声に聞こえてくる。
 糞餓鬼! 俺の娘さ汚しやがったな。おめえなんぞ生かすもんか。この村から出すな! 父さんはね、制裁のために沈められたの。母さん貴方だけでも生きていて欲しいから。どこから忍び込んできた? ここか、ここは横浜だ。
 携帯電話のメールの着信音が鳴った。ファミレスのフェアのお知らせだった。風はさっきより弱く感じた。
 あの娘は今日も朝ごはんを食べたのだろうか。指でちぎった本の半分はまだ持っているのだろうか。捨ててほしいと思った。俺はもう供養してしまったのだから。
 目の前を小さな白いものが通り、俺へと近づいていき、手の甲へと落ちた。
 雪だろうか。空を見上げたが、他には降ってこない。
「ごめんな」
 息は俺の顔を伝い、メガネのレンズが曇った。



 妖精をつかまえる。6

 妖精は私にとてもよく似ている。
 目があう。透明な檻の向こう側は見知ったものばかりだ。左手と右手。指先が触れる。妖精の指が冷たいのか檻が冷たいのかはわからない。
 あいつは私にとてもよく似ている。そのことにきっと私は耐えられないのだ。視線を合わせたままゆっくりとあとずさる。そうしてあいつが壁の向こうへいなくなるのを見届けながら部屋を出る。
 明日だ。明日あの前に立つと、あいつは手を差し伸べる。指を組んで、額を寄せる。最初からそうあったかのように、檻を抜けたあいつを私は私のものにする。



 妖精をつかまえる。7

 髭の小男は、薄汚い布靴を遠慮無く蹴りつけた。
——骨のある奴だと思ってたんだぞ!
 ここらでは慣れっこの気紛れ雨に、傘を差さない東洋人が珍しかった。かれこれ7日、降っても照ってもへっちゃらで、レプラコーンの黄色い標識の下、隙無く辺りを睨み付けていた。
——だから、こうして顔を見せてやったというのに!
 苛立ちにまかせ、尖った靴先で大足を踏みにじったが、黒い頭はくたりと垂れたまま、ムニャとも言わない。地団駄を踏んでも、若草に緑の上着が尚濃く染まるだけだ。
 どうせなら、ざんざと降って凍えさせてやればいいものを、雲はするする滑って、春の月の飾りになってしまった。
——おい!あのご立派な決意はどうした!
 話しかけても通じるまいが、文句ぐらい言ってやりたい。
——つかまえるための手の内を見せびらかしておいて、今更なんだ!
 若者は度々手を叩き合わせ、それは不敵に笑っていたのだ。
 ネコダマシ、とか言うらしい、素早く逃げる小男をそれでどうにか出来ると信じている様が、おかしかった。
 久々の本気な人間が、愉快だった。
——起きろよ!
 だが、どれだけきつく鼻を摘まんでも、メーヴに囚われた男は目を覚まさなかった。



 妖精をつかまえる。8

 奴が残した手帳の、走り書きのメモの中、唯一くっきりと綴られた文字の筆圧の強さに、ふとあの傷跡を思い出す。
 座った時に親指でそこを撫でる癖がある。左腿に逆さ向きに刻まれた不格好な蝶の羽。おそらく自分で切ったのだ。跡が残るほどに深く強く。
 32歳男性。背が高い。やせ形、無口。酒もタバコもやらない。生活は質素。
 この職についたのは、行方不明の妹を探すため。色褪せたシールのついた、古い手鏡を持ち歩いている。
 長い付き合いだが知らないことも多い。例えばこの部屋。壁も棚も天井までも、古い鏡だらけだ。少し動くたび、幾千もの鏡像がぞろりと動く。
 手掛かりが見つからない。痕跡を辿ることに長けた人間は、痕跡を消すことにも長けている。だから失踪は奴の意思だ。そう思っても心がざわつく。
 不意に視界の隅で何かが動いた。鮮やかな黄色。さっと振り返った拍子に、傍にあった鏡を倒した。窓の外に、季節外れのモンキチョウ。
 ため息をついて、割れた欠片を拾う。
 奴と目があった。
 合わせ鏡の奥の奥。物言いたげな顔は、瞬きと共に消える。消えた。
 気づけば血が出るほどに欠片を握りしめていた。
 風を感じ、顔を上げる。無数の蝶の羽ばたきが部屋中の鏡を埋めつくし、消えた。



 妖精をつかまえる。9

はじめまして:よろしくね
Re:はいっ!こちらこそよろしくおねがいしますっ!
ReRe:今日はお仕事は遅くまであったんだ? 
ハチミツ:を集める仕事をしているのですが、なかなかうまくいかなくって、手間取りましたっ!
Re:ハチミツかあ、かわいいね
ReRe:そなことないでつ。
間違えちゃいました:そんなことないです!
あはは:休みの日は何をしてるの?
Re:もっぱらネコと遊んでますっ!
ReRe:私とも遊ぼうよ。
ReReRe:はいっ! 今度、ゼヒっ!

雨が:すごく降ってますね・・・。
Re:ちゃんと傘を持っていった?
えへへ:透き通ったピンクの傘なのですよっ!

とろり:ビンの内側を、ハチミツが落ちてくのが遅いですっ!
Re:その間にセーターが編めるね
ReRe:私は手袋がいいですねっ!

新宿か:渋谷、どっちがいい?
Re:新宿が近いですっ!
ReRe:じゃあ伊勢丹の9階に13時集合で。
ReReRe:らじゃーでっす!

今日は:ありがとうございましたっ!
Re:楽しかったね。今度は映画館でファンタジー見ようね。
ReRe:来週の土曜からあとならいつでも空いてますっ!



 妖精をつかまえる。10

 小学生の卒業文集の「好きな動物」の欄に「妖精さん」と書いたら,いじめっ子に「キモい」と言われた.
 その時は泣いたけど,三十を過ぎても同じようなことを考えている僕は,やっぱりキモいんだろうな.
 妖精たちは,虚数軸にある羽根を揺らして精密な機器と形而下の阿頼耶識との狭間でたゆとう.僕はそれをやさしくトレイスする.模造が保存されるだけで,その子たちは自由を失う.神話上の存在が真の名前を知られることで捉えられるのに似ているな,と思う.
 テラバイトのディスクは虫籠の集合体で,色々な子が格納されている.仕舞われている子たちは哀しまない.哀しむという意味を知らない.ただ,羽根を震わせる.ふる,ふる,という,iを含む数字でしか表現できないその音が僕を慰める.
 好きな子たちを閉じ込めて,孤独で,僕は愚かな王様のようだ.そんな僕の呟きに,答えるものとて,誰ひとりない.
 ファインダァから目を逸らす.束の間,家族を顧みる.ヴェランダに水瓶座が懸かっている.



 妖精をつかまえる。11

 妖精はつかまらない。彼らは通常仕事中は不可視であり、あちらにこちら側と接触したい意思がなければ呼び止められないにしても、電話をかけても繋がるのは留守電で、メールはエラーメールが返ってくる。のろしは何だか空しくなったし、帰って来ない鳩には尋ねようがない。唯一手紙は返信が来た。返信というか、まるで友人が旅先から「やあ!」と送ってくるポストカードだった、ハワイのビーチの写真の。妖精なのだから多忙は仕方がないが、私は彼らの秘書である。人の側からつけられた秘書とはいえ、つけても良いかという提案に彼らは「うん」と言ってくれたのだ。ただ残念なことに、妖精の「うん」は人の「うん」とは別物だ。秘書を五か月と十一日やってきた私の結論である。そのため、好みそうな砂糖菓子、胡桃、ミルクティ、ボンボンをデスクに置いてみた。それではまるで罠ではないかと非難されかねないが、妖精の「うん」が人の「うん」と違うということは、「妖精に電話する」ということは「砂糖菓子、胡桃、ミルクティ、ボンボンを置いて待つ」ということではないかと私は思うのだ。冷え切ったミルクティを前にして、また一歩理解を深めていく。妖精には「アポイントメント」という意味の言葉はおそらく存在しない。



 妖精をつかまえる。12

 時は、江戸。町人達の娯楽と言えば歌舞伎、見世物小屋、富士参りなど。
 その見世物小屋の座長の呉十郎には年のころ八歳になる娘の紺がいる。だがそのお紺、日に何度か、何もない所へ顔を向け返事をし、相槌を打ったりしている。
 ここは東海道でいう五つ目の宿場 戸塚宿である。宿にいた犬の吉は朝、中庭で遊んでいたが、お紺の目の前で忽然と消えた。お紺は何もない空間を見て、相槌を打ち、おとうに「吉は帰って来る」と言った。吉は確かに三日後、これまた忽然と中庭に姿を現し、「ただいま」と声を出した。犬がしゃべったと、宿にいた全員が驚いた。吉曰く、妖精が口をきけるようにしてくれた。お紺の傍には妖精がいると。それを聞いた呉十郎は、むくむくと商売心が出た。呉十郎は、妖精の国に行きたいとお紺に頼んだ。妖精の国では時間の流れが違う、おとうに行ってほしくはないと言ったが、頑として聞き入れない。ついにお紺が負け、おとうは妖精の国に落ちた。
 呉十郎は妖精達の食べ物を口にし、姿がはっきり見えるようになった。帰る寸前、見世物にするため妖精を何人か捕まえ連れ戻った。だが、お紺が待っていると思いきや、まったく見た事もない風景が広がっていた。



 妖精をつかまえる。13

本を読んでいると、ページをめくった拍子に黒い影が逃げていくことがある。しおりに手足、のようなその影をつかまえようと思ったのは、ほんの気まぐれ。ここはひとつお気に入りの本といこうじゃないか。心をこめて声に出して読んでいく。紡がれた言葉は鎖となって宙にとぐろを巻く。物語に夢中になって、音読をしていることをすっかり忘れたころ、件の影がよぎる。すかさず鎖を投げつければ見事ぐるぐる巻きの捕獲完了。つまみあげるとぺらぺら暴れるので、足の先から冷めたコーヒーに浸けたらすっかり溶けてしまった。



 妖精をつかまえる。14

「お庭を歩きたい……」
 青い顔をしてベッドに横たわる君がぽつりとつぶやいたのは、去年の五月の昼下がりだった。彼女の両親の表情を伺うと静かに頷いている。二人とも目に涙をためながら。
「じゃあ、庭まで抱っこしてあげるよ」
 そっと君を抱き上げて英国風の庭に出ると、春の日差しが僕たちを包み込んだ。中央の池へと続く、よく手入れされた小路の両側には薔薇が咲いている。
「まあ、綺麗」
 自分の足で薔薇を愛でたいと君は体をくねらせた。
「少しだけだからね」
 痩せこけた君の肢体を包む純白のネグリジェ。五月の風にふわりと膨らんだと思うと、よろけた君は生垣に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫!?」
「ううん、痛くないの。私ね、薔薇に体をうずめるのって、昔から夢だった」
 だってもう君の体は何も感じられないのだから。
「あはは、あはは……」
 棘で血だらけになりながら歩き出す君。純白に映える赤に目を奪われた僕は、我に返って君を追いかける。
「ダメよ、つかまってあげないんだから」
 いたずらっ子ような無邪気な笑顔が愛しくて切なくて、僕は思わず君を抱きしめた。
「つかまっちゃった……」
 君の最期の言葉が今でも耳から離れない。



 妖精をつかまえる。15

 妖精をつかまえ瓶詰めにする。
 綺麗なコインを用意すれば一発。そう言われたのでやってみたら煙草一本吸い終わらない内にうまくいった。ここらの妖精は服を着るという習慣がなくいつも裸だ。愛おしそうにコインを全身で抱き締めている。
 あれ。妖精がいない。コーヒーを淹れた合間に瓶の中にはコインだけ。がっかりしながら眺めていると、コインが呼吸しているのに気付く。定期的に膨らんだり萎んだりしているのである。そしてちょっと傾いたかと思えばコインは縁を巡って徐々に大きく回り始め、大きくなるにつれ瓶の底を擦る音も高くなってゆく。ほどなく完全にくるくる回転している。
 トイレから戻ってくると妖精はコインの上に大の字で寝ているのだった。疲れたのだろうか。瓶の腹を小突いたとてぴくりとも反応しない。ファルスを膨らませどこか微笑ましい。
 翌朝、歯を磨いているといよいよ瓶の中には何もない。蓋は閉まったままだ。どうやって逃げたんだろう。瓶の隣には妖精が大事にしていたコインが立っている。ぱっと見では何のコインか判らない程くすんでいる。歯ブラシをくわえたまま指で弾く。くるくる回る。



 妖精をつかまえる。16

 猫に小判。豚に真珠。馬に念仏。弘法に筆。河童に川。
 わたしは考えなければならない。ありったけの集中力で考えなければならない。切れて湿気ったシナプスを火炎放射機使ってでも発火させて、考えなければならない。
 指輪。ピアス。手紙。写真。栓抜き。スーパーボール。
 違う。
 「フェアリーテイル」なんてふざけた名前のゼブラ茄子を食べながら、器官で全開に消費させながら、わたしは考えなければならない。すくなくともわたしは、尻尾が生えた彼ら・彼女らを見たことがない。
 猿に木。虎に狐。鰻に西瓜。小人に靴屋。
 違う。
 彼ら・彼女らは小人ではない。アニミズムな精霊に属する彼らは、靴を盗んでも靴は作らない。
 豆腐の角に頭。隣の家に囲い。ト書きに当て振り。東電に倫理。トムにジェリー。
 わたしは考えなければならない。この罠に相応しい餌を。彼ら・彼女らを捕らえるに適切な餌を。もうすぐ、彼ら・彼女らが現れる時間だから。盗品の在処を聞かなければならない。色褪せていく想い出を取り戻さなくてはならない。わたしの前に彼を復元しなければならない。彼ら・彼女らに。考えなければ。必ず。なければ。ならない。



 妖精をつかまえる。17

 洗濯物を取り込んだら、靴下の中で何かがごそごそ動いている。スズメでも入ったのだろうか。恐る恐るのぞき込むと、キラキラしたものが羽ばたきながら飛び出した。それはあっという間に窓から外へ消えてしまったが、網戸にぶつかった拍子に何かを落としていった。
「探してたトゥリングだ」
 今のは何だったのだろう。この指輪が欲しかったのだろうか。そうこうするうち、今度はもう一方の靴下がもぞもぞ動き出した。とっさに口をつかむ。
「ねえ、すごいもの捕まえたよ」
 廊下を走りながらふと気づく。こっちの足には指輪なんかしていない。してたのはたしか……魚の目取りの絆創膏?
 急にずしりと靴下が重くなった。薄くなったつま先からは、今にも何かがこぼれ出てきそうだった。



 妖精をつかまえる。18

いいかい、坊や、この世は理不尽なことに満ち溢れている。だけど、神様はそれでもやっぱりおられるんだ。そうじゃなければ、いったい誰がこの宇宙を作ったというんだい。
でも、宇宙を作った神様は偉大すぎて、ちっぽけな僕らはなかなか神様に気づいてはもらえない。だから、人の願いはなかなか叶わないんだ。
でも、たとえ神様に気付いてもらえなくても、僕らは間違いなくここにこうして存在している。
つまり、気づかれないからといって、それがすなはち、そこに何もいないということにはならないんだ。
神様でさえそうなんだ、いわんや人間をや。
だから、坊やが姿を見ることができないから、声を聞くことができないからといって、そこに何もいないということにはならないんだ。
つまりだ、僕がこのあいだ坊やに話した妖精を捕まえた話、あれは本当のことだ。そして、坊やがお小遣いで僕から買った、あの妖精の入った瓶だって本物なんだ。
中の妖精は見えなくても、あれは断じて偽物ではないし、僕も嘘をついていないから、坊やにお小遣いを返すことはできない。
理不尽だと思うかもしれないけれど、大丈夫だ。神様も、僕たちも、妖精だって、まちがなくいるんだからさ。



 妖精をつかまえる。19

 先生は地球の裏側からやって来た。南アメリカの小さな国の小学校で日本語教師をしていたらしい。来て早々、僕たちは想像力が足りないと言われた。
 一学期の終わり、夏休みの宿題が出された時、先生は黒板に自由研究のテーマをでかでかと書いた。妖精を見つけてきなさい、と言って学校が終わった。
 親に聞いてもネットで調べてもわからない。友達と話すと、ある子は水の妖精を探すと言った。ある子は火の妖精を探すと言った。歌とか花とか石とか道とか闇とか心とか化石とかみんな違うものを言った。
 妖精が決まらなかった帰り道、僕は草むらの真ん中に立つ鉄塔に目を止めた。看板に送電塔と書いてある。見上げるとたくさんの電線が空をかけめぐっていた。
 先生は、いると思ったら何でもいい、と言った。
 なら、僕は電気の妖精でも探そうか。コイルというものを知り、僕は何が見つかるかわからないけれど、とにかく電線を巻いてみている。



 妖精をつかまえる。20

 暗号のような書置きだけを残してその人はいなくなったのです。いなくなって72時間の後、書置きはさらさらと砂になって崩れてしまいました。いなくなった人の痕跡は次々に砂へと変わり、やがてその人が元からいなかったような部屋になりました。世界はそれでも滞りなく回り、残された人々はその人のことを次第に忘れていきました。
 このような出来事は、実は国中で起こっていました。
 一人の男が今まさに書置きを残し、家を出ようとしていました。男は前日の夜、空を明るく照らす流れ星を見たのです。それは男には希望の灯に見えました。何もかもがうまく行かなくなった男は、一筋の希望だけを頼りに流れ星が落ちたと思われる場所を目指しました。森だと思われました。
 飲まず喰わずで森を彷徨った男は光る泉を見つけました。男は泉に手を浸しました。掬い上げて一口飲みました。そしてその場に倒れこみ、体はさらさらと砂になって崩れました。ちょうど家を出て72時間後のことでした。男の魂は泉に溶け、男はようやく安らぎを得ることが出来たのです。男が生きたという痕跡はきれいさっぱり消えてしまったのですが、それでも世界は変わらず動いていました。



 妖精をつかまえる。21

・捕獲開始時間は午前二時三十分か午後四時四十八分のどちらかにしてください。
・捕獲は必ず四分以内に行ってください。四分を過ぎて発見できなかった場合、最低三日間は人と会わないようにしてください。
・場所に関しましては特に指定はありませんが、服装は赤一色にしてください。
・曇りの日、微風の日、光化学スモッグの発生している日、喪に服している日は避けてください。
・捕獲する際には必ず付属のボールペンとマフラーをご使用ください。
・捕獲実行時は「が」や「ぼ」などの濁音を発声し続けてください。
・できる限り、雄の場合は右手で、雌の場合は左足で捕獲するようにしてください。
・十二歳以下の女児は絶対に同行させないでください。万一女児が目撃をしてしまった場合は、即座に女児の腹を力強く三度殴り、その後右の脛を折ってください。
・捕獲成功後に発生するいかなる事象に関しまして、弊社は一切の責任を負いません。



 妖精をつかまえる。22

 ちょっと問い質したいことがあるので網を張って待っていた。すると、奴はたいがい素直なものだからすぐに引っ掛かってくれるのだが、憎たらしいのは、引っ掛かったことを悔しがったり不快がったりする風がさらさらなく、何これ変なのーおもしろいーってな感じで悠長に構えているところだ。そのへんがいかにも妖精らしいといえば妖精らしい。とはいえこれが天使だったらいきなり最大出力のいかずちを召喚しそうだし、その意味ではまだましなのかもしれない。
 そこで問い質すのだが、相変わらず、えーだってーいいじゃん別にもーあはは、と一向に要領を得ないのは妖精なので仕方がないか。埒が開かないので話題を変える。ここで放してやると掻き消えてしまうわけだが、おまえどこへ帰るんだ? 奴はふいに神妙な顔をして、帰るとか帰んないとかないしなー、そもそも帰るってよくわかんないしなー、などと言う。言われて、たしかに愚かな質問だったな、と思い、放してやる。掻き消える。でも面白いのでまた別の網を張る。また来る。えー来たとか来るとかって何ーよくわかんないー、などと言う。



 妖精をつかまえる。23

 それは妖怪ですか?
 と、眼鏡の男が尋ねてきゃあがるので正す。
 否、妖精也と。然し、応えるも相違判らず、解くにも説くにも触れた事が無ェのだ。一体、俺が信じている妖精とは何ぞや、脳の味噌が迷い惑う。勤勉が足りぬ。
 男は腑に落ちない様子ではあるものの、なあんだ、と肩を落とす。
 知己方々に問えば、似て、若しくは全く非なる物と云う。メルヒェンの有無と答える輩もいるが、本質ではない気がする。ま、それを探っても、結局その物の本質には辿り着かん気配もある。例えば曰く、俳句と短歌の違いようは俺にとって至極些末な問題だ。
 空虚に意味を求む。
 狭きに無限を見る。
 妖精を採取するを欲す、己の意味は未だ解らず。
 人は俺を奇人と呼ぶが、我思う、皆人は奇で妙也と。
 網を持ち、罠で待ち、考え連ね、空想し、心遊ばす。
 それは妖怪ですか?
 否、否、妖精也。
 こだわっちまうのだ。



 妖精をつかまえる。24

 つかまえたはいいが妖精である。とりあえず鳥籠に入れてみたものの(先週まで文鳥を飼っていたのだ)どうすればいいのか。いったい何を食べるのだろう。と、そこまで考えて考えなおす。なぜこいつを妖精だと思ったのか、と。文鳥ほどの大きさの、羽根が生えた、文鳥(先週死んだあいつにそっくり)だ。
「おまえなのか?」
「そうだよ。幽霊になって帰ってきた」
「ばか、幽霊なんて言うな(そうか、幽霊だと思いたくないから)あ、バウムクーヘン」
「幽霊はおなかが減らないんだ」
「そうなのか、いや、そんなことより、ずっといっしょにいられるのか」
「ずっとなんてことあるわけないさ」
「じゃあ、どうして」
 籠をゆさぶると、ケケケケケケッ、と彼が激しくはばたいたので目をあけていられない。気配が消えてようやく見ることができた籠のなかには蝶の翅みたいなもの(やっぱり妖精だったんじゃないか)が散らばっている。手に取ろうとすると溶けてしまうから、涙に濡れた指を思い出して、また泣きたくなった。



 妖精をつかまえる。25

 だかラ、ソラ、お逃ゲ

           ♪



 妖精をつかまえる。26

プルンペルンプルルンペルンペルン。なんて美しい音なんだ。間違いない。ここらへんに、いる。チカラを入れすぎるとこの前みたいにつぶしてしまうから気をつけないといけないな。手の平に酒を浸してさきいかを置いて、じっと待つ。妖精が来ても平常心、平常心。2回目なんだからきっとうまくやれる。(10分後)ぷっはははぁぁぁ!ぶちっ!またやってしまった。笑わせておいてつぶさせて、生態は謎のまま。妖精ハンター歴40年。いろんな妖精みてきたけれど、あれは反則だ。



 妖精をつかまえる。27

「ぎゃ!」
 とても女の声とは思えない悲鳴が聞こえたから、台所まで見に行った。
「いた! いたの! あれ!」
 妻が指差すのは床に伏せられたザルだった。中に閉じ込めたのだろう。黒い小さなものがごそごそ動いているのが見える。
「あーわかった。後はやっとくから」
 気持ち悪いを連呼してうるさい妻をなだめて、台所から追い出す。
 ザルの上から麻酔スプレーをかけると動かなくなった。ザルを外して、触覚をつまんで持ち上げ、専用の瓶に入れる。
 こいつらは、動きのせいか、見た目のせいか、世界規模で嫌われ者だ。けれども、いろいろ役立つらしい。つかまえて役所に持って行くとわずかだが金がもらえる。
「ねー、ついでに床拭いてザル洗っておいてー」
 居間から妻の声。
 明日出勤途中に役所に寄れば、ちょっと豪華な昼飯が食べられる。そう考えたら、床掃除くらい何てことない。



 妖精をつかまえる。28

 妻は帰宅したかと思うと、出窓に見たこともない熱帯植物を飾った。
 どことなくハエトリグサに似ているか。
「お土産よ。ヨウセイジゴクっていうんですって」
 確かに海辺のロングチェアのような赤い花弁が扁平して伸び、がく片の進化したものと思われる触手が何本もうねりと垂れ下がっている。何となく、南国の楽園を連想させる。
「でも、我が家に妖精はいないよ?」
「だから私が探しに行ってるんじゃない。今度は欧州に行ってきますからね」
 南半球から帰ってきたばかりなのに、もう飛び立った。
 妻とは南国のビーチで知り合い、南国のビーチで愛を深め、南国のビーチでプロポーズした。
「妖精なんて捕まえておくことなんかできないよ」
 そう、妻の背中に声を掛けようとしたが、実際に口から出たのは「欧州にそんな探検隊ルックかい?」。
 すでに扉は閉まっていたが。
 さて。
 このヨウセイジゴクはどう世話をすればいいのだろう。



 妖精をつかまえる。29

 そっと、両手を差し出す。
 力を入れすぎないように。
 壊してしまわないように。

 そっと、この手に包み込む。
 逃げてしまわないように。
 飛び去ってしまわないように。

 こんなことで君のすべてが手に入れられるとは思えないけれど、僕はそうせざるを得ない。
 いつか君は分かってくれるだろうか。所有欲と自由への渇望を心の奥底で対立させながら、未来を選択していくヒトのエゴを。そこにある苦しみと悩みを。
 それとも、こんな希望すらも、君を得るためのただの言い訳なのだろうか。


 それでも、構わない。いま僕は、伸ばした両手で君をつかまえる。
 妖精をつかまえる。