500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第127回:ひょんの木


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 ひょんの木1

「ひょんだ、ひょんだ」
 幼い息子が、そう言いながら宙を見上げて飛び回っている。私は、それを穏やかな気持ちで見詰めていた。
 子供達が跳ね回る。みな喜んでいる。
 星に願いが届いて、今それが現実となっている。
「夢みたいですね」
 ひとりが呟いた。
「本当にみんな嬉しそう」
 答えるように口にした。
「これ幾つなってるんだろう?」
 笑顔で見上げながら、ひぃふぅみぃ数えている。
 いよいよ収穫だ。大人達が竿を手に集まった。枝を揺すって落とそうとする。
「頭に当たったら危ないから!子供は下に居ないで!」
 子供達は大人しく、親の元で落ちてくるのを待つ。内心は、欲しいものがあるから、飛び出したいのを何とか我慢しているのだ。
「ひょん、ひょん」
「もうちょっと待ちなさい」
 私は、息子をなだめた。
 作業が、うまくいかないようだ。揺さぶっただけでは落ちてこない。大人達は、長いハシゴを持ち出した。登って、直接枝から切り離すのだ。下に大きな網が待ち構える。
「もちっとだに」
「そうだね、もうすぐだね。どれが欲しいかな?」
「ひょん」
「そうかあ」
 わんさか採れた。五十はありそうだ。ひとつひとつ、子供たちに分け与えられる。
「ひょん、あちがとお、おかっつぁん」



 ひょんの木2

その年一番に『ひょんの木』に生る実(実際は果実ではなく虫こぶ)を、
乾いた笛の音のように吹き上げた北風の名が『木枯らし』と、呼ばれる。

我々の間では良く知られた話なのだが、人の世ではそうでないらしい。



 ひょんの木3

 じゃがいもを茹でている時、玄関のチャイムが、
「ひょーん」
 と鳴った。台所の窓が静かに開く。
「ひょんさん。どこ行ってたんですか」
 やあやあやあ、とひょんさんはこちらの心配もよそに、ボウルのゆで玉子を一つ摘まんだ。
「もう。すぐ支度しますから、居間で待っててくださいね」
 すると、ひょんさんはちらっと窓の外を見た。それからこっちに向き直り、玉子を飲み込む仕草の後、
「お別れを言いにきた」
 と言った。

 朝、目をさますとひょんさんはもういなかった。
 机の上の、空のお皿を手に取る。じゃこ入りのポテトサラダ。いつもキレイに食べてくれた。
 『この世界がどんなに美しいか、見せてあげる』
 ゆるやかに滅びに向かう世界にあって、ひょんさんと過ごした日々はそれだけで美しかったのに。
 TVをつけて、息が止まった。
 映し出されたのは、巨大な樹木に侵食されたスカイツリー。枝葉がめいっぱいに伸び、てっぺんは天まで届いて。響き渡る「ひょーん」の音。恒雲が散っていく。
 窓の外を見る。初めて目にする、水色の空。
 玉子はまだ残っている。じゃがいもとじゃこを買うべく、私は玄関のドアを「ひょーん」と開けた。



 ひょんの木4

「あ”っ!」
 自分でも驚きの声に、ウイスキィボトルの向きを微調整してたマスタまで、わたしを見た。
「・・・大丈夫?」
 ドライマティーニ嘗めながら次の段取り確認してただろう隣の男は、フリーズからの復帰に30秒超費やした。
「大丈夫。気にしないで」
(『にょんの月』なだけだから)
 まで言わない。さすがに自制心はあるよ。人並みに。羞恥心だって。
 毎日が「日常」なんて名前でグルグルするから、中学からやってるブログを「にょんの月」にタイトル変更。毎月変えるつもりで。脳内ガッツポーズするぐらいのダサカワフレーズだけど、旧友たちはイマイチな呟き。
 翌日。通勤電車で「ひゃん」とか似合わぬ可愛い悲鳴あげちゃうほど尻まさぐられ、その手を思わず捻りあげて出すとこ出したら、財務官僚だった火曜。水曜は朝の9時から夜の9時まで1時間1セットで全部違う案件の12時間耐久打合せ(昼抜き)
 で、今日。数あわせで連行された合コンで、ひょんなことから持ち帰られよかどうしよか。な、今現在。
「にょんの月」で「ひゃんの火」に「ひゅんの水」と来て、明日は「みゃんの金」か? しょーもな! と、気づいちゃったから出た、さっきの「あ”っ!」



 ひょんの木5

オレの胸に穴があいた。夜中にひょうひょう鳴る。枕をつっこんでみた。穴の底へ落ちた。枕が変わると眠れない。穴の中へ探しにいった。猫が集会をしていた。枕のお礼にと小箱をくれた。フタを開けたら木が生えた。伸びた伸びた。急いでよじのぼった。そしてオレは彗星を捕まえようと虫取り網を振り回しているところだ。



 ひょんの木6

穴から入り込んだ水滴が、
小さな空洞を満たし、
溢れ落ちた滴が、
髪を濡らす。
笛の音。
雨。



 ひょんの木7

 5秒前。繰り返される音。ひょう、と響く音。
 2分前。木から葉をとる少年。葉を口に当て息を吹きかける。繰り返される音。ひょう、と響く音。
 7日前。街路樹の下に少年とその父親がいて、木から葉を取る父親。葉を口に当て息を吹きかける。ひょう、と響く音。少年にも葉を渡し、にこにこと見る。
 10年前。引っ越してきたばかりの若夫婦が散歩をしている。妻の腹は大きい。街路樹から葉を取る夫。葉を口に当て息を吹きかける。ひょう、と響く音。何事かを夫婦は笑い合う。
 45年前。山を切り崩して宅地造成が進み、道路が整備された。街路樹を植えていく作業員。若い木は町と共に成長するだろう。
 その木は知らない。何も知らない。自らが何故そこにいるのかも、どのような扱いをされているのかも。何処で育ったかも知らないし、その葉の瘤が笛になることも知らない。木には目が無い。耳が無い。触覚も無ければ舌も鼻も無い。木は、ただそこに立ち続けている。町を見守ってなどいない。それは人間様の勝手な思い込みでしかない。
 0秒先。少年はまた葉に息を吹きかける。ひょう、と響く音。木は立っている。少年や町がどうなろうと木の知ることではない。



 ひょんの木8

「ねえ、朱里、あいつまだ朱里んちに居る?」
 オフィスに着くと、同僚の日奈が心配そうに訊いてくる。
「ああ、居るよ。部屋でおとなしくしてるんじゃない?」
 あいつというのは、日奈の彼氏で私の元カレのこと。飯を食わせてくれと、先週私のところに転がり込んできた。
「あいつ、二度と私のところには来ないよね?」
「なに? もう飽きちゃったの?」
「だってあいつ、全然仕事しないんだもん」
 日奈はぷうっと頬を膨らませる。
「大丈夫よ、部屋から出て行かないわ、鍵を渡してないし。ほらウチってオートロックでしょ」
 今度出て行ったら、絶対部屋に入れてあげないんだから。
 女に食べさせてもらいたければ部屋でじっとしているくらいの甲斐性は見せるべきだと、私達はあいつの話で盛り上がった。

 帰宅すると、あいつは居なかった。
 窓が少し開いていて、ぴゅうと風鳴りがする。
「どんな顔して窓から戻って来るのかしら」
 私は冷蔵庫からワインを取り出すと、灯りもつけずにソファーに腰かけ、リビングの窓を肴にグラスを傾けた。



 ひょんの木9

 ここは、とある飲み屋「イスノキ」。今日も客が店主に相談事を持って来た。

 くたびれたサラリーマン風の男で、歳は45歳ぐらいに見える。
「おやじ、俺はさ、まじめに働いて来たんだよ。それなのに会社はよ、退職金がほしけりゃ、すぐに辞めろと言うんだよ。俺が何をしたって言うんだよ。おやじ、ちょっと耳を貸してくれないか」
店主は、おでんの鍋の前から離れ傍の椅子に座った。
その男は小声でこんな事を言いだした。
「おやじ、あの噂、本当かい?」
店主は首を傾げ、ウーロン茶を飲みだした。
「だからさ、あの噂だよ。ひょんの木で作ったイス型の根付けの事だよ。願い事を叶えてくれると言う」

あまりにもしつこいので、店主はその根付けをその男に渡した。

店主は、その男の後をつけた。一週間に一度、その家に行き男の様子を窺った。

その男は、まず金、女、権力を手に入れた。周りの土地を購入し家も新しくした。店主が渡した根付けは、願い事を叶えるたびに少しずつ大きくなっていった。そうして欲にまみれた男は満足する事無く使い続け、今や座れる大きさになった。ついにある夜、イスに抱きしめられる形で死んでいた。

「人間は強欲だな」と店主は呟き、魂を小瓶に入れた。



 ひょんの木10

――ねぇ、さっきの子、どう思う?
ひょんの木(以下「ひょ」)  ひょん?
――いま帰った子。窓から見てたでしょ。
ひょ  ひょん……ひょ、ひょん?
――なんていうかさ、バイオリズム?みたいなのが合うかどうか、みたいなとこで。悪くないと思うんだけど、どうよ?
ひょ  ひょ、ひょひょんひょん、ひょ。
――みずみずしい、って。ま、私より若いのは認めるけど。
ひょ  ひょん……ひょんひょんひょひょひょひょん
――や、大丈夫だと思うよ? 一応成人だし、小分けすれば、こないだの赤んぼの時みたいな根腐れはしないはず。あんときは私が悪かったよ、ほんとごめん。
ひょ  ひょーん。……ひょ、ひょひょん。
――じゃ、気に入った? 良かった! したら、今度もっぺん呼ぶね。
ひょ  ひょん!
――なんだ結構乗り気じゃん。でもさー、あの子、私のこと「なんかきになる人なんだ」とか言ってたけど。結局木になるのは自分じゃん? シャレなんないよね。
ひょ  ひょひょひょひょひょ!
――こら、ウケすぎ。……あちょっと待って、いまメール来た。



 ひょんの木11

妻が妊娠した後に、私には子種が無いことがわかったが、産ませた。息子は長じてオカリナ吹きになった。
そんな文字を、書きつけた記憶がない。
私の脳裏にいくつもの空洞がある。妄想とも事実ともつかない記憶が、私から旅立っていき、誰かに宿る。ときには私に宿る。
誰かが、私の記憶を書きつけたとき、もとより内容は憶えていないけれどもそれとわかる。きまっておなじタイトルがついているから。



 ひょんの木12

「ひょんの木に見えます」
 被験者はそう言う。ロールシャッハ法なのだからそういうこともあるが、これは初めてだ。多くは「鬼です」、「なまはげです」、「ぬらりひょんです」などと返ってくるのだが。
 その晩、寝室で見上げる。
 天井の紙魚がひょんの木に見えた。ひょんの木など見たこともないのだが。
 ゲシュタルトだろう。そう思えば思うほどひょんの木そのものに見える。
 気分が悪くなったので起きて徘徊し、水でも飲もうとカップを手にすると模様がひょんの木。うわ、と水屋の戸を閉めて顔を背けた先に掛かるカレンダーの写真がひょんの木に見える。ひい、と伸ばした手の先にびくりとした反応。タマよ、なぜ今晩に限ってそこにいる。したたたと逃げる猫の背中の模様がひょんの木だ。
 気分が悪い。室内の闇に閉塞感を感じ外に出る。
 ひひひひひとひょんの木が月明かりの中肉薄してきているではないか!

 ここで私は絵本を閉じた。
「結局、なんだったの?」
「だから、ご本を読むときは食べたり飲んだりしないでね」
 そう教えて娘の口の端を拭いてやる。



 ひょんの木13

 びよぅびよぅと吹き荒ぶ、全体、何の不満があるのか風は誰に彼にとなくぶつかり此れという目的もなく、みじみじと照り炙る、一体、いつ充ち足りるのか、燃え蠢く太陽はあらゆるを焦がすようで、其れと求めるものもない。
 あんぐり裂けた地表は、果たして幾度も震え揺るがしては自ら傷つけるようにまた裂け、どうぶどうぶと猛りうねる海は、近付くものぞろ浚い呑み込み飽きること尽きることがない。

 どこから現れたのか、誰も知らない。
 いつ生えたのか、知る由もない。
 気まぐれのようなたった一本の木が、世界を変えたとか、変えなかったとかいう。



 ひょんの木14

 地方によってはヒョンノキを指すらしいが、この土地ではちがう。駒を作る原木の事だ。
 その謂われは、まだこのあたりが開拓村だったころに遡る。
 開墾直後の畑に稲や麦を植えるのは難しく、まず野菜などで土を慣らす。ある年、瓢箪を植えたら、他はことごとく全滅したのに、一株だけが見事な瓢箪を成したそうだ。その瓢箪が巻き付いていたのが件の木だ。
 その瓢箪を収穫した時のこと。ある者が冗談まじりに、
「駒が出てくるかな」
 と言ったら、驚いたことにひょんと駒が出てきた。最初は魂消ていた村人たちだが、すぐに
「神様のお告げ」
 と皆の衆で相談し、瓢箪の巻き付いた木から駒を作ってみることにした。そうしたら本当に、見事な駒ができたのである。
 さっそく、同じ種類の木を駒の原木として植林した。今では、この土地の立派な基幹産業だ。
 ずっと後になって、村の古老のひとりが「実は」と告白した。「あれは、若いころ、仲間と徒党を組んでやらかした悪戯だった」というのだ。
 まさに瓢箪から駒が出たという話で、それ以来、瓢の木、つまりひょんの木と呼ばれるようになった。
 爾来、この土地では、悪戯が出来ない若者は成人とみとめられない。



 ひょんの木15

 ひょんひょんと泣く。ひょんの木が。
「否、鳴るはひょんの実だ」
 ぬらりひょんが、ひょうひょうと言ってのける。
「ひょんの実とは何さ」
 あたしも負けじと返す。
「ひょんの木になるから、ひょんの実なるぞ」
「ひょんの木じゃない、イスの木だよ」
 ひょんひょんと、ぬらりひょんは笑った。
「だが、ひょんの実だ」
「ひょんの実じゃない、虫こぶだよ」
「虫こぶ?」
 それは、ひょんなことを言うな、とのたまう。
「ひょんなことじゃない、へんなことだよ」
 ぬらりひょんは、また笑った。
「お前はおれを何だと思っている」
「ぬらりひょん」
 ぬらりひょんは、口を大きくあけ、ひょんひょんと笑った。
「ぬらりひょんは海にしかいない」
 ぬらりひょんだったモノは笑い続け、ひょんひょんと消えていった。
 あたしは、足元に虫こぶが落ちているのに気づいて、拾ってそれを吹いてみた。
 ひょんひょん、確かにそう鳴った。
 ひょんなことで出会った老人は何だったのだろう。ひょんひょん。ひょんなこともあるものである。



 ひょんの木16

この冬の住み処は炬燵に決めた。異常気象の影響で十二月の平均気温が四十度を超えようが、隣の部屋から火の手が上がろうが僕はここを動かない。僕の意志はそこいらのダイヤモンドよりよほど硬いのである。むろん炬燵の電源は入れない。炬燵布団を二重にし、タートルネックの上から褞袍を羽織り、深くニット帽を被る。四肢はなるだけ布団からはみ出さぬように、顔だけは外敵を怖れる亀のごとく申し分程度に出す。食料は炬燵の中に入るだけの缶詰を用意した。これで冬ごもりの支度は完璧である。我ながら用意周到だ。僕は気を大きくして体を丸めた。と、そのときである。「寒いからって、いつまでも炬燵に籠もってないで外で遊びなさい」と、何者かの腕が出てきて、僕の住み処はガバッと持ち去られてしまった。ひょう、寒い。