もみじ1
色づいて、華やいで、深まって。どこにも行かずに、旅をする。ざわざわと、くらくらと、ずいずいと、深く、ぐるり、旅に出る。とうに消えた飛行機雲をたどり、さみしい月の裏側を歩き、はりついた雪の結晶と踊り、暗い海底の砂をくぐり、桜の花びらに口づける。自分がもっと、浅く、淡く、ずっしりとした、あお色だった頃。身体の中を駆けていく水。顔を打ちつける滝のような雨。現れて、消える虹。きらきらと、陽光に目をつむり、夏の影。うずくまる、冷風にふるわせて、冬の声。深く、軽く、遠く、赤く。
「何しているの、おじいちゃん。……寝ていたの? 風邪引いちゃうよ」
「おや、お前、いつの間にそこにいたんだい」
おじいちゃんは、名前のまだないわたしを見つめ、ほのかに微笑む。
旅をして、また生まれる。
もみじ2
なおも未熟の重み、自涜に身を揉み、忸怩たるも身支度も惨め。かくも身近な雲見神社で、あたかも微塵子並みに錐揉み状に散るも見、地元の秋も短し。
もみじ3
揉みますか? いや揉みません。
何の会話か、読んで字のごとく、揉むや揉まんやの問答である。
揉めば紅さす年の頃、というのは此方(こちら)の勘違いであって、さあ揉むのかどうかと云う姿に恥じらいは無し、よって昂(たかぶ)る気持ちもない。
揉みますか? いや揉みません。
アキアカネ飛ぶ。
秋染めし町にも昂る私を謗(そし)る眼には憂いもなく湿度を帯びた熱を乾かす。
おや、奮う心がなくとも、感ずる景色。
病かと思いし此の癖(へき)を鎮める、寒き少女の眼を覗く。
アキアカネ飛ぶ。
枯れた心臓を巻き戻すように、私の湿った熱を少し奪うといい。
萌える思いと、色失いし感情に、差し引き、差し挿れ、恥を知り、恥を知り。
先程は悪かった。少し、歩こう。
「なんだか、何も感じなくて。」
アキアカネ追う。
もみじ4
俺は今年で28年間、造園工をやっている。
ある古い客からの紹介で、紅葉山町の一角にある江戸時代から建つ屋敷に行った。広大な庭に案内してもらうと、今まで見た事が無い傘のような形をした横15メートル、高さ7メートル程の大きな老木があった。それは見事であったが、剪定をしていないため、ぼさぼさだった。よく話を聞くと、その樹を傷つけた者は、気が狂ったり自殺したりと呪われるらしい。
今時、呪い?と思いながらも、老木とその周りの手入れの見積りを次の日に渡しに行くと、その場で「お願いします」と女中は頭を下げた。女中は、気の毒そうな顔をしている。俺は「大丈夫ですよ」と請け負った。もちろん、根拠はないが。
そして一週間後、その屋敷に行き、老木にお神酒を撒き、剪定作業に入った。
全ての作業は、四日間で終了した。もちろん、俺と唯一のバイトの楓君は生きている。
その間にあった不思議な事といえば、「助手席が動いている」と二日目の朝、楓君が言い出し、5センチ程の葉が乗っていた。楓君は三日目の朝も動いていると言い、気持ち悪いからと帰ってしまった。そして四日目の朝、助手席には人間の形をした等身大のもみじの葉が座っていた。
もみじ5
ぼくは、にんげんがわいてくるのは、どこからわいてくるんだろうかと、ふしぎです。今年も、どこからともなくどやどや湧いてきたから、僕はうまく紅葉できてるんだな、と安心しました。にんげんどもは一年前からさして進歩していないように見受けられるが十年前に比べれば確実に変化しているし百年前との差異は明白なので、おそらくそのように緩慢に俺も年輪を増やしているのに違いない、今日という日は昨日と同じではあり得ないのだ、って明日も思ってたりしてな。と考えながら落葉に至るのが私の毎年なわけだけれども、毎年同じことを考えていて本当に成長していると言えるのであろうか? そう憂えるだけの思慮深さが小生に根づいたのは毎年毎年飽きもせず湧いてくださる皆さんのおかげだと感謝せねばなるまい。うううん、なんだか去年も似たようなことを思った気がするが、はて、どうだったかなあ、五百年前のことなら、おれの紅葉を早めたにんげんの睦言まで、はっきりと覚えてるんだがなあ。
もみじ6
「もみじ作ってほしいのか!」
小さい頃そうやってよく学校で怒られた。僕らは「もみじ先生」と勝手にあだ名した。悪いことをすると、服を捲り、背中にビンタをされる。赤く、大人の男性の手の形に腫れた部分は、まるで「もみじ」だった。
僕らはもみじ先生が嫌いだったし、居なくなればいいと思っていた。だけど、悪いことを悪いと教えてくれ、正しいことを正しいと導いてくれたお陰で、僕らは真っ当な大人になれたのだと信じている。
その、もみじ先生が死んだ。風の噂に聞くと、体罰だの何だのと注意を受け、現代の教育の現場と自分自身の方針との合間で悩んでいたのだとか。もしかしたら、最近のモンスター化した父兄と揉めたり、何か直接の関係があったのかもしれない。
今の社会と、昔と。何が正しいのか僕にはわからない。
それでも僕が信じているのは、今も何か悪いことをしそうになったときに感じる、背中の火照である。
僕が生きていく上で、もみじこそがルールだった。
「もみじ作ってほしいのか!」
道を踏み外しそうになった時、いつもあの声が聞こえてくる。
もみじ7
それは、人を喰らう鬼の名だとおっしゃいましたか。
もし、まことにあれが鬼ならば、何故、私は今、こうして暖かな粥をいただいているのでしょう。
あれと出会ったということが夢なのでしょうか。
それとも、この粥も布団も、そして貴女も、私が死ぬ間際に見ている幻なのでしょうか。
すべては霞がかっているのです。
それでも。
秋の山の色づきのように、艶やかに染まる真紅の唇は、確かにもみじと名乗ったのですよ。
どのくらいの美しさだったのかは、思い出せません。
ただ、美しかったという事だけが分かるのです。
その美しさは、真実、鬼だったのかもしれません。
貴女の美しさが、まるで天女のようであるように。
そして、楓の葉のように赤く鮮やかな五本の指が、私の喉元にゆっくりとのばされてきました。
目の奥で紅がはじけ飛んで。その光景が、繰り返し、繰り返しまなこの裏に浮かぶのです。
そう、今、貴女が私に伸ばしているように。
鮮やかな紅の楓の葉のような、五本の――。
もみじ8
グツグツと煮え立つ音がする。
「こんなふうなキレイな葉っぱを、おばあちゃんたちが拾い集めてお小遣いにしてるんだって」
「ふぅん」
彼はこっちを見ずに応える。鮪の刺身に手を伸ばしたところだったから、仕方ないけど。
火を弱めてから蓋を開けると、モワッと湯気があがって、フンワリ昆布の匂いがした。
「茸先って言ってたよ」
「は〓い」
舞茸とか椎茸とか、茸の山から適当に掬い上げ、土鍋に沈める。
誘ってくれるのはいつも彼からで、リクエスト聞いてもらえるけど、会話はいつも盛り上がらず、帰る頃には一人で来れば良かったと思う。
白菜とか葱とか野菜も沈めて、最後に鶏肉。また、蓋をする。
「おいしそうだね」
「うん」
いつからか会話を続ける努力は放棄した。タダメシだと思ったら、これぐらいの我慢。
ポン酢におろし。オレンジというか橙色がボンヤリ浮かぶ。はしたないけど、箸先を軽く舐める。
どんなにつまらなくても、誰かと食べるご飯は、一人よりおいしい。妄想だけど。
「お皿ちょうだい」
よそってあげながら、ふと彼の頬にパチンとビンタしたら、綺麗に手の跡浮かぶんだろうなと思った。
もみじ9
秋とは思えないほど暑い昼下がり、公園の喫煙コーナーで一服中の俺に掛けられたのは、「おまたせ」と聞いたこともない女の声だった。振り向く俺の頬は、いきなりのビンタに襲われる。
「何すんだよ!」
俺の顔を確認して、女は青ざめた。
「ご、ごめんなさい。あの、その、人違いで……」
人違いだって? そんな理不尽なことってあるかよ。
「本当にごめんなさい。この埋め合わせはしますから。あっ……」
何かを見つけた女の視線を追うと、車椅子も入れる公園の大きなトイレだった。
「ちょっとあそこに行きませんか?」
言われるまま二人で個室に入ると、女はブラウスのボタンに手を掛けた。
「えっ?」
「私の背中でよければ……」
目の前に現れた女の綺麗な白い肌。俺があっけに取られていると、女が俺の表情をうかがう。
「ごめんなさい。これじゃ叩きにくいですよね」
そう言いながらブラを外す女。恥ずかしそうに手で隠す胸を見ないようにしながら、俺は意を決して女の背中を平手打ちした。
「いっ……。これで恨みっこなしですよ」
そそくさと服を着てトイレを後にする女の透き通るような背中を、俺はしばらく忘れることが出来なかった。
もみじ10
昨日の雨は、枝に残っていた蟹たちをあらかた洗い流してしまった。
今や蟹たちは歩道一面を埋め尽くし、赤い甲羅を泥に汚しながら、名残惜しそうに両の眼を上に向けている。
だが、やがて一匹、また一匹と動き出し、何処かへ消えて行く。
天を仰ぐと、枝にはまだ何匹かの蟹が残っている。
そいつらは小さな鋏でぶらさがり、赤い甲羅を朝露で輝かせながら、困ったように眼を地に向けている。
もみじ11
「小倉山」
と聞くたびに、行ってみたいと思った。粒あんが好きだったせいか、それとも、みゆきちゃんという子がクラスにいたからか。
「手向山」
は、「とりあえず」という現代風な表現で記憶に残った。天神様は偉かった。でも、修学旅行では、もみじ道は省略した気はする。
「三室の山」
も空想旅行先の一つだった。静かなイメージなのに嵐の吹き荒れる大スペクタクル。男の子はみんな、台風の力強さが大好きなのだ。
「奥山」
は行ってみたいようなみたくないような。聞いたこともないのに、美しくかなしい鹿の鳴き声が、耳の奥に響きわたるからだ。
かくて山桜よりも山藤よりも、心の原風景では、もみじの木が鮮烈に照り映えるようになった。
欲しい欲しいと思いながら高校生になり、ようやく買い求めた苗木。なのに植木市のおっちゃんたちは容赦がない。
「それはもみじじゃない、かえでだ」
もみじの苗木は、その三倍の値段だった。
もみじ12
「ママー!あのね!おそらにいっぱいあかいおはながさいてたんだよ!」
幼稚園の遠足から帰った娘が、お迎えに来た私に嬉しそうに話す。
「ママのぶんのおはな!あげる!」スモックのポケットから取り出した
可愛らしいもみじ――小さいながらも色鮮やかなイロハカエデの葉っぱ。
(…これは花じゃなくて葉なんだけどなあ。間違いだと教えてやるべきか)
一瞬、悩むも娘の無邪気な笑顔が愛しいので、お礼を言って抱きしめた。
「…で、これが俺への土産ってか?」深夜に帰宅した夫の晩酌の卓上の
小皿に盛られたドングリを見て夫が呟く。「ええ、パパのおつまみだって。
確かに『ナッツ』だしね」そうして、私は娘から貰ったもみじと花の話をした。
「いや、あの娘は間違ってないよ。もみじは『紅葉・黄葉』とも記述するが、
木偏に花と書いて『椛』とも読ませるんだ。」「まあ、そうなの?初耳だわ」
俺もだよ、と夫はスマホの検索履歴を見せる。「子供に教えられるとはな」
「…本当ね。子供には驚かせられるばかりだけではないものなのねえ」
娘の寝顔を見に寝室に行くと、布団から小さいもみじに似た手が覗く。
(…これからもいろいろ教えてくださいね、先生)若い夫婦は頭を垂れた。
もみじ13
一人で残業していると窓際の電話が鳴った。受話器をとったら、知らない人が「もみじがりに いきましょう」とだけ言って切れた。なんだか嫌な気がしたが、とにかく明朝までに目処をつけたかったので作業に戻る。
結局夜半過ぎに作業は終わったものの、タクシーを呼んで帰るのは躊躇われた。だって、扉を出たとたんにそこが紅葉の森だったり。千年前の貴公子に見初められるとかファンタジーならいいけど、怪談だったら? 紅葉と思ったのが血まみれの手で、背中にべったり、とか。季節が深まるにしたがって自分の手が枯れていくとか。ましてタクシーなんて怖くて乗れない。
それで明るくなってから始発で帰って、何事もなく済んでいるが、あの電話はそういえば使われていなくて線が繋がってない、とかは考えないことにしている。あのとき鳴ったのが内線じゃなかっただけ、まだよかった。
もみじ14
「どこかにいい場所はないかなあ」
もみじは風に乗って、くるくる回りながら落ちる場所を探していました。
「あ、あそこがいい」
乾いた土とまばらな草のあいだに、ぽっこりとした小さな丸い泥の山があるのでした。もみじはそこに降りました。そしてすぐに気がつきました。
「あれ?これ、あんぱんだ」
おもてにこそ泥がついていましたが、それは食べかけのあんぱんでした。カビが生え、腐りかけていましたが、それはあんぱんなのでした。もみじは、降りた場所が腐ったあんぱんだったので少しがっかりしました。けれども、あんぱんはほんのりと温かく湿っていて、なつかしい土の匂いがするのでした。もみじはここに根を下ろすことにしました。
「おひさま、おはよう」
毎日、太陽に向かって背伸びをして、もみじはすくすくと育ちました。
ある秋の日、もみじは青い空に茶色いマントをひるがえして飛んでいく者を見ました。
「うわぁ!カッコイイ!」
小さくなっていくその姿を見つめ、もみじは陽に透けて赤く輝く手をいっぱいに振りつづけました。
もみじ15
この小さな柔らかい手。
この小さな柔らかい手で埋めつくされた世界の真ん中で、
私もまたほんのりと染まりゆく。
散るときを知らぬ深い眠りに包まれて。
もみじ16
その秋のもみじの赤は、今まで過ぎてきた秋の、どんなもみじの赤よりも、深く心に焼きついた。小学五年の秋。その秋に初潮が訪れた。私は、私の「少女という季節」が散り行く予兆を、確かに実感したのであった。
もみじ17
取り残された物達は色が無い。だから僕は、色あせた彼らに色を塗る。白とも違う、どこかクリーム色に近いキャンバスに僕は感情を塗り込む。特に好きな色は情熱の赤色だ。赤い葉っぱを一つずつ。赤い葉っぱを一つずつ。僕はそうして去る。すると、起き上ったキャンバス達は口々に騒ぐのだ。おお神よ、と。
もみじ18
「風に乗って気ままに窓からやってきた謎の何かは私の夫が帰ってくるなり二足の靴を履きわすれるほど慌てふためきふたたび窓から風を巻いて高揚した揉み師に身をやつし走りさっていきましたよ。ふふふ」
ベッドに忘れていったデジタルカメラを届けてあげようかと電話したけど彼は早口で学校帰りに家に寄るからというので私は夕餉の支度をさっさと済ませて待つことにした。
「待つのにも飽きてくるとだんだん赤く染まっていくものは何?」
いつのまにか窓辺に腰を下ろして缶ビールを開けながら月を見上げていた。
「もう何時だろう?」
もみじ19
「脇をしめて、流し込むように、喰うべし!喰うべし!喰うべし!」
ブンと一振りの竹刀が空を引き裂き打撃音が響く。
「いかん、なっちゃおらんぞジョウ!そんな食いっぷりで世界を狙えると思っているのか?」
酒気を帯びた男が叫ぶように言葉を吐く。
「わかってるよ、おっつぁん。今俺に紅葉饅頭が必要だってことぐらい……」
目をギラつかせた青年が物足りなさそうに口を挟んだ。
紅葉饅頭。それは茶褐色の体を持ち、五つに枝分かれした葉が五行の力を持つと云われる神聖なマテリアル。
二人がまだ子どもだった時、それぞれの幼稚園で出会ってしまった。
「怪傑!紅葉饅頭くん!」
二人の人生は変わった。すべての悩みを吹き飛ばし、新たな道を模索するには充分すぎる出会いだった。そして志を同じくした者は必然的に足を揃えた。
「おっつぁん、ロードワークに行ってくるわ」
紅葉饅頭を口にくわえた青年が部屋をでた。
いつものコースを黙々と走り込む。
一本の紅葉の前で足が止まる。
「脇をしめて、えぐり込むように、打つべし!打つべし!打つべし!」
青年は力一杯拳を木に叩き込む。
紅葉の葉とともに大粒の涙が落ちた。
背中から人の気配がして振り向くと、哀愁漂う男が同じく涙を流している。鼻水とともに。青年の抱え込んでいたものに気づいてしまったようだ。自分がついていた嘘にも……。
そう、二人は知っていたんだ。もう一つの出会いによって。
中二病という名の世界の悲しみを。
「おっつぁん、今夜は飲んでも良いかな?」
「いいぞ、ジョウ。もう戦わなくていいんだ。戦うんじゃねぇ」
男は泣きながらタオルを握りしめ手を振り上げた。
もみじ20
小鬼が河原の岩に座ってじいっと水面を見ていた。
「もみじは、どこですかいの?」
背後に通り掛かった老人に聞かれると、小鬼はまっすぐ上流を指差した。老人は背をさ丸めてから歩を進めた。会釈のつもりだろう。
「もみじは、こっちであっちょりますで?」
次に通り掛かった女性が聞いた。
こくん、頭を下げる小鬼。女性はうなずき歩く。
「もみじはこっちやんしょ?」
「もみじ、こんさきえ?」
結構、通る。小鬼はそのたびごとに上流を指し示す。
やがて血が流れてきた。川が真っ赤に染まる。流れに沿ってなびく色彩。まるで錦のようだ。
そして新たな旅人。
「よみじは、こちらでよろしいですか?」
小鬼、頷く秋。
もみじ21
美しいものは沈黙している。
絵画のように、ただひっそりとそこにたたずんでいる。周囲の雑音を鮮やかに呑み込んでしまう。時と言葉を奪われた人々は自己同一性を失い、風景の一部となって取り込まれていく。
彼は紅、橙、黄といった暖色を好む。このこだわりは孤独を隠すための装飾にすぎない。秋は彼ほど感傷的なものを知らなかった。はらはらと音もなく孤高に舞い、人知れず老いていく。世界中の悲しみ独りで背負ったみたいな顔して。
季節の移り目を告げるあのこが通り過ぎ、彼は空高く舞い上がった。その姿は太陽にかざした掌のように儚く、きらきらとしていた。秋は初めて彼に希望を見た。あるいは祈りの形をした痛々しい絶望だったのかもしれないが。
秋はまもなく遠くへ行ってしまう。あのこに連れられて。彼は冷たい土の上に置き去りにされる。死んだ蝶の羽のように地面が透けて見えるだろう。人々はがさつな音を立て、忙しなく美の残骸を掻き集めるのだ。
もみじ22
みどりさんは、トカゲである。その名は血の色に由来する。みどりさんは、よく涙をながす。そしてみどりさんの涙は、血の色をしている。
みどりさんには、悩みがある。
みどりさんが涙をながす度、その涙は前肢を染める。だからみどりさんの歩いた後には、その痕跡がくっきりと、あたかも判子のように残る。みどりさんはそれを嫌う。みっともない、と思っている。涙の印だなんて。思いながらもみどりさんは、ながれる涙を止められない。
夕暮れに涙しながら、みどりさんは、考える。
世の中というのは広いもので、血も涙も色々で、たとえばこの夕陽のようにあざやかな血の通うトカゲもいると聞く。叶うなら、そんなトカゲと連れ合いたいな。どうせ、ながれる涙なら、せめて、美しく交われたなら。
みどりさんは、歩いていく。振り返ることもなく。点々とつづく足跡が、夕陽に染まっている。